2018年04月11日
千住大橋から吉原大門までポタリング
先日は北千住から千住大橋までをポタリングしましたので、今日はその先の南千住から吉原まで行ってみます。
⇒「北千住をポタリング(北千住駅から千住大橋へ)」をご覧下さい
千住大橋を国道4号線沿いに南に行くと右手に「素盞雄神社」。 立派な神社です。
平安時代から続く南千住や三ノ輪など広範囲にわたる鎮守様だそうです。
ちょっと寄り道して吉原とは反対方向、素盞雄神社を右手に入って道なりに行くと野球のグラウンドが見えてきます。
いまは少年野球などのグラウンドになっていますが、その昔ここはプロ野球の「東京スタジアム」。
1962年から1972年まで、毎日大映オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)のホームグラウンドでした。
足かけ11年で下町の夢は消えてしまったんですね。
東京スタジアムを後にして素盞雄神社方面に戻り、国道4号線をわたって南千住駅方面に向かいます。
この通りの名前は「コツ通り」。
この辺は江戸時代「小塚原刑場」。鈴ヶ森、大和田と並ぶ江戸の処刑場で、小塚原だけで通算20万人以上が処刑されたそうです。
「コツカハラ」の”コツ”だとか、この辺を深く掘ると人骨が出るからとか「コツ通り」の由来にはいろいろあるそうです。
コツ通りを進むと左手に南千住駅が見え、その向かいにカベに大きな葵の紋のあるお寺があります。
ここが「小塚原 回向院」。
刑死者を葬るために建てられたお寺です。
ここには安政の大獄で処刑された吉田松陰や橋本佐内などのお墓があります。
ちなみに吉田松陰が処刑されたのはここではなく「伝馬町牢屋」で処刑されたあとにここに葬られたそうです。
⇒「レンタサイクルでぶらぶら東京見物(人形町から神田まで)」をご覧下さい
またここは杉田玄白と前野良沢が罪人の亡骸の解剖を行ったことで有名です。
この解剖により「解体新書」が記され、日本の医学の発展に大きく貢献したことは一度は皆さん社会の授業で教わったかと思います。
回向院を出て少し進むと常磐線と東京メトロ日比谷線のガードの間に「延命寺」があり大きな「首切り地蔵」がそびえています。
日比谷線のガードをくぐった一帯が通称「山谷」、大阪のあいりん地区と並ぶ”ドヤ街”、日雇い労働者の街です。
以前はこの辺に車を止めておくとタイヤが盗まれるとか色々治安の悪い噂のある所でしたが今ではそんな様子もなく落ち着いていました。
この辺りは安い宿が多く、最近では海外のバックパッカーもけっこう利用しているそうです。
※冷暖房完備とわざわざ書くところがいかにもですね
この町のちょうど中心あたりにある交差点が「泪橋」。
私と同世代の方には”あしたのジョー”で記憶にのこっているのではないでしょうか?
現在は橋はありませんが、昔はここに川が流れていてこの川を渡ると小塚原刑場。
罪人はこの世との別れの場であり、家族との別れの場であったことからこの名がついたそうです。
山谷からさらに南に行くと江戸の歓楽街、吉原にたどり着きます。
⇒「よりみち(浅草から吉原へ)」をご覧下さい
歓楽街の裏側は悲しさの詰まった場所でした。
⇒「北千住をポタリング(北千住駅から千住大橋へ)」をご覧下さい
千住大橋を国道4号線沿いに南に行くと右手に「素盞雄神社」。 立派な神社です。
平安時代から続く南千住や三ノ輪など広範囲にわたる鎮守様だそうです。
ちょっと寄り道して吉原とは反対方向、素盞雄神社を右手に入って道なりに行くと野球のグラウンドが見えてきます。
いまは少年野球などのグラウンドになっていますが、その昔ここはプロ野球の「東京スタジアム」。
1962年から1972年まで、毎日大映オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)のホームグラウンドでした。
足かけ11年で下町の夢は消えてしまったんですね。
東京スタジアムを後にして素盞雄神社方面に戻り、国道4号線をわたって南千住駅方面に向かいます。
この通りの名前は「コツ通り」。
この辺は江戸時代「小塚原刑場」。鈴ヶ森、大和田と並ぶ江戸の処刑場で、小塚原だけで通算20万人以上が処刑されたそうです。
「コツカハラ」の”コツ”だとか、この辺を深く掘ると人骨が出るからとか「コツ通り」の由来にはいろいろあるそうです。
コツ通りを進むと左手に南千住駅が見え、その向かいにカベに大きな葵の紋のあるお寺があります。
ここが「小塚原 回向院」。
刑死者を葬るために建てられたお寺です。
ここには安政の大獄で処刑された吉田松陰や橋本佐内などのお墓があります。
ちなみに吉田松陰が処刑されたのはここではなく「伝馬町牢屋」で処刑されたあとにここに葬られたそうです。
⇒「レンタサイクルでぶらぶら東京見物(人形町から神田まで)」をご覧下さい
またここは杉田玄白と前野良沢が罪人の亡骸の解剖を行ったことで有名です。
この解剖により「解体新書」が記され、日本の医学の発展に大きく貢献したことは一度は皆さん社会の授業で教わったかと思います。
回向院を出て少し進むと常磐線と東京メトロ日比谷線のガードの間に「延命寺」があり大きな「首切り地蔵」がそびえています。
日比谷線のガードをくぐった一帯が通称「山谷」、大阪のあいりん地区と並ぶ”ドヤ街”、日雇い労働者の街です。
以前はこの辺に車を止めておくとタイヤが盗まれるとか色々治安の悪い噂のある所でしたが今ではそんな様子もなく落ち着いていました。
この辺りは安い宿が多く、最近では海外のバックパッカーもけっこう利用しているそうです。
※冷暖房完備とわざわざ書くところがいかにもですね
この町のちょうど中心あたりにある交差点が「泪橋」。
私と同世代の方には”あしたのジョー”で記憶にのこっているのではないでしょうか?
現在は橋はありませんが、昔はここに川が流れていてこの川を渡ると小塚原刑場。
罪人はこの世との別れの場であり、家族との別れの場であったことからこの名がついたそうです。
山谷からさらに南に行くと江戸の歓楽街、吉原にたどり着きます。
⇒「よりみち(浅草から吉原へ)」をご覧下さい
歓楽街の裏側は悲しさの詰まった場所でした。
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