2019年04月19日
私はなぜ百合を描こうと思ったのかB
「百合」は「少女漫画」です。
しかも、ど真ん中、ド直球の少女漫画である、と私は思います。
とは言っても、
「じゃあおすすめの百合マンガを教えて!」と訊かれたところで
私は答えられません。
なぜかと言うと、私は少女漫画を愛し、現在百合を描いていこうと思っているにも
関わらず、「好きな百合作品」は、無いのです。すみません。
私は百合を描きたいだけであって、百合を好んで読むことはない…。
それは矛盾しているでしょうか?
でも、ちゃんと理由があります。
まず、私は少女漫画というものを愛しているということ。
これは絶対なのです。
では、私が愛してやまない少女漫画とは?
それは、幼い頃に心を奪われた
「キャンディキャンディ」「はいからさんが通る」に始まって、
「風と木の詩」や「ポーの一族」、「トーマの心臓」、「メッシュ」
「日出処の天子」、「東京のカサノバ」などなど…
私にとって少女漫画とは、逃避でもありました。
不安な毎日、つまらない毎日から逃げ出す避難所。
少女漫画は、世界はつまらないかもしれないけど
素晴らしく美しくもある、と私に教えてくれました。
そして女の子は強くあれ、と教えてもらいました。
私が好きだった少女漫画の主人公たちは(少年であっても)
みんな、自分で世界を切り開こうとしています。
それが悲しい結末だとしても。
それに少女漫画家という職業も不思議で強く美しいものに感じました。
少女漫画家は、だいたい20代から30代の若い女性です。
若い女性が腕一つで生活を成り立たせているなんて、
他の職業では、あまり考えられません。
ほとんどの職業というものの職場は、会社の中にあって、上司がいて、
その上司というのは、だいたいが「おじさん」です。
(イメージです)
しかし、漫画家というものは、自宅が仕事場となります。
上司に当たる人とは、編集者であり、それはおじさんであるかもしれませんが、
職場でべったりおじさんに寄り添わなくてもいいし、お茶をいれたり
セクハラを受けたりしなくても済みます。
小説家も腕一つで生活していますが、小説はある程度社会での経験を積み上げてからでないと
仕事としてはなかなか、成り立たないのではないかと思います。
それに比べて少女漫画家とは、若いのです。ほとんど20歳までにデビューします。
社会経験がなくても、なれてしまうのが少女漫画家です。
若い娘が学歴も資格も何も無くても職業として成り立たせ、第一線で活躍することが可能な
少女漫画家というものにとても魅力を感じました。
私は少女漫画、少女漫画家という世界がとても好きなのです。
「風と木の詩」などは少年同士の愛ですので、
今でいえば「ボーイズラブ」に当てはまるのかもしれませんが、
私はそれは違うと感じます。
BLにはBLなりの面白さがあるとは思いますので、
決して否定はしません。
しかし、私が求める少女漫画ではありません。
そして、現在たびたび実写映画化されるような
イケメンが数人出てきてヒロインを取り合う、という感じの
ポップな少女漫画も、私がも求めるものではありません。
先日、ネットニュースで見たのですが、
大手の少女漫画雑誌の編集長が自慢げに
自分が立ち上げた連載のことを推していました。
そこでは、少女漫画の王道とは、
ヒロインがヒーローとの出会いによって変わっていくというストーリー第一…
てなことをおっしゃっておりました。
女の子が男に出会い、男の手によって、成長するストーリー?
それが少女漫画の王道?
反吐が出ます。
だいたい漫画において「王道」がどういうものかとか議論するあたり
少年漫画っぽいです。
(その編集長は、元少年漫画誌の編集者)
少年漫画のことはよくわかりませんが、
人気少年漫画誌の編集者というものは漫画家を
自分の駒かなんかと思っているのではないか?と疑問に感じます。
新人だったらなおさら、「俺がコイツを使ってヒットを飛ばしてやるぜ」とか
思ってるんじゃないでしょうか。幸い(?)新人漫画家は腐るほどいますので、
編集者にしてみたら、失敗したら違う新人を使えばいいだけの話です。
脱線しました。
「王道」だとか「ヒットを飛ばす」だとか、売れるための手段としての
漫画ももちろんあるし、アリだとは思います。
しかし、私が少女漫画に求めていたのは、それではない。そうじゃない。
もちろん、売れてほしいです。
ヒット作、ほしいです。
だって、漫画だけで生活しているのですから…
しかし、私が一番大事にしていることとはそうではなくて
私にとって少女漫画とは、手段ではなく、目的そのものなんです。
生きるために漫画を描いているし、同時に
漫画を描くために生きています。
なので、私のようなたいして有名でもなく売れてないヒット作もない
漫画家が、
「売れてないのになぜ続けるの?」と疑問をもたれる方も
たくさんいらっしゃるとは思います。
実際に、友人知人に「大変なのになんで描くの?」と
不思議そうに言われたこともあります。
絵はもともと下手な方でしたが、
何年も描き続けることで、思い描いた絵は描けるようになりました。
ストーリーも何度も形にすることで、
どんな話も考え出すことができるようになりました。
漫画の中で自分の感情を知ることができました。
そして自分の意志も伝えることができるようになりました。
強くなれました。
自分で自分を作ることができるようになりました。
すべて、幼いころに親しんだ少女漫画のおかげです。
だから私も少女漫画を描き続けていきたいのです。
そして、「では、なぜ百合なのか?」という問題なのですが、
昔、私が幼い頃に出会い、読んだ少女漫画たちは、
当たり前ですが「古い」のです。昭和です。
古いのが悪いというわけではもちろんありません。
しかし、その当時の少女漫画は、私が幼い少女だったからこその
感動がありました。
私はもう、少女ではありませんので、
私自身は、昔の少女漫画を読むと、当時の少女の気持ちに
瞬く間にタイムスリップできるのですが、
今、はじめてそれらの作品に出会う人はどうでしょう?
たぶん、同じような感動は生まれないと思います。
私が14歳のときに読んで感動した作品を
現在14歳の少女が読めば、同じような感動を得られるかもしれません。
しかし、44歳の人がはじめて同じ作品を読んだら、そんなに感動できないと
思うのです。
昔の少女漫画は、当たり前ですが、表現も「古い」。
そのまま描くと、ギャグのようなテイストにもなってしまいます。
実際、現在広告などに使われる「昔の少女漫画風」の画風は
少女漫画を茶化すものが多いです。
それはそれでいいのですが…。
シリアスなのにギャグとして伝わってしまうと、すべてが台無しになってしまう
作品もあります。
そこで、私は
昔感じた少女漫画から受けた印象は
「女の子が女の子を愛してしまう」という
「百合」というジャンルで表現することが
一番近いのでは?と思ったのです。
つづく
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