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2016年02月25日
「絵心がない」という才能 (アメトーーク)
アメトーークの「絵心ない芸人」に、プロ野球選手の前田健太さんが登場しました。それについて書きます。
今回、絵心がない芸人として集められたのは7人。
チュートリアル徳井
陣内智則
中川家 礼二
カンニング竹山
ロザン宇治原
サンドウィッチマン伊達
雨上がり決死隊 蛍原
ここにプロ野球選手・前田健太(通称マエケン)を加えた8人が、「絵心ない芸人」である。
マエケンは広島東洋カープに所属していた選手で、今年からメジャーリーグでプレーする野球選手である。
彼は野球の試合後のインタビューで、Tシャツにマジックで絵を描いて披露したことがあった。
その絵がなかなかに味のある絵だったため、今回の「絵心ない芸人」のオファーにつながったようだ。
今回マエケンが描いた動物の中で、私が衝撃を受けたのは「ヒツジ」であった。
地球上の生物とは思えず、恐怖を感じた。
また、「ラッコ」に関しては、「人間」にしか見えなかった。
マエケンに限らず、他の出演者たちも実に個性的な絵を描いていた。
正直、腹がよじれるほど笑ってしまった。
人の絵を見て笑うなんて失礼な行為かもしれない。
申し訳ないとは思いつつも、耐え切れない。
しかし、「人を楽しませる絵が描ける」という能力があるわけだから、これもひとつの才能と言えるのではないだろうか。
普通の人が、「笑える絵を描こう」と思っても、そんなにうまく描けるものではない。
絵心ない芸人たちは、自然に不自然な動物たちを描けるのだ。
普通の人ができないことを、彼らはできる。
素晴らしい才能の持ち主である。
自分の弱点だと思っていたことが、周りの環境を変えたら強みになった。
そういうことは現実にあります。
弱点は克服しておきたくなるものですが、それは大変な努力を必要とします。時間もかかります。
無理に克服するより、その弱点を活かせるような環境をつくる方がいいかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このブログがあなたのお役に立てたら嬉しいです。
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絵心ない芸人 出演者
今回、絵心がない芸人として集められたのは7人。
チュートリアル徳井
陣内智則
中川家 礼二
カンニング竹山
ロザン宇治原
サンドウィッチマン伊達
雨上がり決死隊 蛍原
ここにプロ野球選手・前田健太(通称マエケン)を加えた8人が、「絵心ない芸人」である。
マエケンは絵心がない?
マエケンは広島東洋カープに所属していた選手で、今年からメジャーリーグでプレーする野球選手である。
彼は野球の試合後のインタビューで、Tシャツにマジックで絵を描いて披露したことがあった。
その絵がなかなかに味のある絵だったため、今回の「絵心ない芸人」のオファーにつながったようだ。
マエケンの描く動物たち
今回マエケンが描いた動物の中で、私が衝撃を受けたのは「ヒツジ」であった。
地球上の生物とは思えず、恐怖を感じた。
また、「ラッコ」に関しては、「人間」にしか見えなかった。
「絵心がない」という才能
マエケンに限らず、他の出演者たちも実に個性的な絵を描いていた。
正直、腹がよじれるほど笑ってしまった。
人の絵を見て笑うなんて失礼な行為かもしれない。
申し訳ないとは思いつつも、耐え切れない。
しかし、「人を楽しませる絵が描ける」という能力があるわけだから、これもひとつの才能と言えるのではないだろうか。
普通の人が、「笑える絵を描こう」と思っても、そんなにうまく描けるものではない。
絵心ない芸人たちは、自然に不自然な動物たちを描けるのだ。
普通の人ができないことを、彼らはできる。
素晴らしい才能の持ち主である。
まとめ
自分の弱点だと思っていたことが、周りの環境を変えたら強みになった。
そういうことは現実にあります。
弱点は克服しておきたくなるものですが、それは大変な努力を必要とします。時間もかかります。
無理に克服するより、その弱点を活かせるような環境をつくる方がいいかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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2016年02月13日
オリラジ同期芸人 (アメトーーク)
アメトーークにて、「オリラジ同期芸人」が放送されました。それについて書きます。
2005年にデビューし、すぐに大ブレイクしたオリエンタルラジオ。
そんなオリラジの同期芸人が集まった。
・トレンディエンジェル
・フルーツポンチ
・はんにゃ
・ニッチェ
・三四郎
この5組とオリラジが、デビューしてからこれまでの歴史を振り返る。
デビュー直後に「武勇伝」というネタで大ブレイクしたオリラジは、3年でレギュラー番組10本を持つ売れっ子となる。
しかもそのうち3本は冠番組だったという、若手芸人としては異例の事態であった。
オリラジの独走状態だったこの頃、はんにゃとトレンディエンジェルは、吉本興業の劇場でのライブでオリラジのバックダンサーを務めていたという。
その当時の映像を見ると、調子に乗って天狗になっているオリラジがいる。
しかし、デビュー直後にあんな売れ方をしたら、誰だって天狗になる気がする。
この時期オリラジは、「365日ライブ」という企画で、毎日ライブをしていた。
あまりの忙しさに中田が精神的におかしくなり、ライブ中に奇行に走ることもあったようだ。
オリラジの人気が落ち始め、10本あったレギュラー番組が全て終わった。
そして、はんにゃ、フルーツポンチが頭角を現し始める。
この2組は「爆笑レッドカーペット」や「爆笑レッドシアター」などのネタ番組で活躍し、人気者になる。
特にはんにゃは、「ズクダンズンブングンゲーム」というネタで若者を中心に大ブレイクしていた。
人気が落ちていたオリラジ中田は、「はんにゃにかみついて笑いをとる」という手法を使い、なんとか消えないようにもがいていた。
オリラジ藤森はある日、テレビであやまんJAPANを見て、『この人たちと一緒に何かできないか』と考えた。
そして事務所と相談し、共演が実現。そこからチャラ男としてブレイクしていくことになる。
フルポン村上はアメトーークの「運動神経悪い芸人」でヒザ神としてブレイクする。
しかし周囲からは、
『ブレイクしているのは村上のヒザだけ』
『ヒザにオファーを出したら、村上本体がついて来た』
『村上は、ヒザのバーターだ』
などと言われていた。
ニッチェや三四郎がネタ番組やバラエティ番組でブレイク。
そしてトレンディエンジェルはM−1グランプリ2015で優勝した。
一時は低迷していたオリラジも這い上がってきた。
6組とも知名度が上がり、それぞれ活躍している。
とは言うものの、フルーツポンチ亘(わたり)はあまり目立った活躍をしていないような・・・
フルポン亘はインスタグラムをやっており、自身のファッションコーディネートに関しての投稿をしているという。
オリラジ中田の調査によると、そのインスタグラムの写真の、亘の立ち方がほぼ毎回同じであるという。
また、「足元はWESCO」という文章がよく登場することも指摘されていた。
※WESCOはブーツのブランドです。
亘の、芸人としての活動はどうなっているのか。
そのあたりは今回の放送ではわからなかった。
オリラジ中田はデビュー当時、こう考えていた。
『同期の芸人たちは、俺たちオリラジの才能に打ちひしがれて芸人を辞めていく。だから同期とはしゃべらなくていい』
しかし10年後。そこには同期として胸を張って共演できるほど成長した芸人たちがいた。
中田は語る。
『自分の計画は失敗したが、今回こういう企画ができて嬉しい』
『視聴者の皆さんが、一瞬でも嫌なことを忘れられるような楽しいコンテンツづくりを、協力してやっていきたい』
『それぞれの個性を活かして社会に貢献していかなければならない』
『それぞれの適性を見極めて、力を合わせていきましょう』
中田自身もこの10年で大きく成長したようだ。
この世代はオリラジが引っ張ってきたと言っても過言ではないのかもしれません。
オリラジがいたから辞めていった芸人もいますが、オリラジに負けまいと腕を磨いた芸人もいるはずです。
同期に限らず、先輩や後輩にも刺激を与えたことでしょう。
あなたの周りにそういう人はいますか?
刺激を与えてくれる人と良い関係をつくって、切磋琢磨していけるといいですね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このブログがあなたのお役に立てたら嬉しいです。
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オリエンタルラジオの同期芸人たち
2005年にデビューし、すぐに大ブレイクしたオリエンタルラジオ。
そんなオリラジの同期芸人が集まった。
・トレンディエンジェル
・フルーツポンチ
・はんにゃ
・ニッチェ
・三四郎
この5組とオリラジが、デビューしてからこれまでの歴史を振り返る。
武勇伝期 (2005年〜2008年)
デビュー直後に「武勇伝」というネタで大ブレイクしたオリラジは、3年でレギュラー番組10本を持つ売れっ子となる。
しかもそのうち3本は冠番組だったという、若手芸人としては異例の事態であった。
オリラジの独走状態だったこの頃、はんにゃとトレンディエンジェルは、吉本興業の劇場でのライブでオリラジのバックダンサーを務めていたという。
その当時の映像を見ると、調子に乗って天狗になっているオリラジがいる。
しかし、デビュー直後にあんな売れ方をしたら、誰だって天狗になる気がする。
この時期オリラジは、「365日ライブ」という企画で、毎日ライブをしていた。
あまりの忙しさに中田が精神的におかしくなり、ライブ中に奇行に走ることもあったようだ。
レッドカーペット期 (2008年〜2010年)
オリラジの人気が落ち始め、10本あったレギュラー番組が全て終わった。
そして、はんにゃ、フルーツポンチが頭角を現し始める。
この2組は「爆笑レッドカーペット」や「爆笑レッドシアター」などのネタ番組で活躍し、人気者になる。
特にはんにゃは、「ズクダンズンブングンゲーム」というネタで若者を中心に大ブレイクしていた。
人気が落ちていたオリラジ中田は、「はんにゃにかみついて笑いをとる」という手法を使い、なんとか消えないようにもがいていた。
チャラ男・ヒザ期 (2010年〜2014年)
オリラジ藤森はある日、テレビであやまんJAPANを見て、『この人たちと一緒に何かできないか』と考えた。
そして事務所と相談し、共演が実現。そこからチャラ男としてブレイクしていくことになる。
フルポン村上はアメトーークの「運動神経悪い芸人」でヒザ神としてブレイクする。
しかし周囲からは、
『ブレイクしているのは村上のヒザだけ』
『ヒザにオファーを出したら、村上本体がついて来た』
『村上は、ヒザのバーターだ』
などと言われていた。
THE MANZAI ・ Mー1期 (2014年〜現在)
ニッチェや三四郎がネタ番組やバラエティ番組でブレイク。
そしてトレンディエンジェルはM−1グランプリ2015で優勝した。
一時は低迷していたオリラジも這い上がってきた。
6組とも知名度が上がり、それぞれ活躍している。
とは言うものの、フルーツポンチ亘(わたり)はあまり目立った活躍をしていないような・・・
フルーツポンチ亘の活動
フルポン亘はインスタグラムをやっており、自身のファッションコーディネートに関しての投稿をしているという。
オリラジ中田の調査によると、そのインスタグラムの写真の、亘の立ち方がほぼ毎回同じであるという。
また、「足元はWESCO」という文章がよく登場することも指摘されていた。
※WESCOはブーツのブランドです。
亘の、芸人としての活動はどうなっているのか。
そのあたりは今回の放送ではわからなかった。
オリエンタルラジオ中田の想い
オリラジ中田はデビュー当時、こう考えていた。
『同期の芸人たちは、俺たちオリラジの才能に打ちひしがれて芸人を辞めていく。だから同期とはしゃべらなくていい』
しかし10年後。そこには同期として胸を張って共演できるほど成長した芸人たちがいた。
中田は語る。
『自分の計画は失敗したが、今回こういう企画ができて嬉しい』
『視聴者の皆さんが、一瞬でも嫌なことを忘れられるような楽しいコンテンツづくりを、協力してやっていきたい』
『それぞれの個性を活かして社会に貢献していかなければならない』
『それぞれの適性を見極めて、力を合わせていきましょう』
中田自身もこの10年で大きく成長したようだ。
まとめ
この世代はオリラジが引っ張ってきたと言っても過言ではないのかもしれません。
オリラジがいたから辞めていった芸人もいますが、オリラジに負けまいと腕を磨いた芸人もいるはずです。
同期に限らず、先輩や後輩にも刺激を与えたことでしょう。
あなたの周りにそういう人はいますか?
刺激を与えてくれる人と良い関係をつくって、切磋琢磨していけるといいですね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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2016年01月16日
運動神経悪い芸人・フルーツポンチ村上の得意な競技とは? (アメトーーク5時間SP 2015)
アメトーーク年末5時間スペシャル(2015年)にて、「運動神経悪い芸人」が放送されました。それについて書きます。
フルーツポンチ村上は、走る時にヒザが曲がらず、足を棒のようにして走る。そのことから彼は「ヒザ神(ひざしん)」と呼ばれている。
その走り方で走り幅跳びをやったら、砂場に足から刺さっていったため、「走り刺さり」という競技を作り出したとされている。
しかし、ヒザが曲がらないというのは、スポーツにおいて致命的である。
だが、そんなヒザ神にも得意な競技が見つかった。
それは走り高跳びである。
走るのはぎこちないが、跳んだ後にヒザが曲がらないため、足がバーに引っかかりにくい状態になるのだ。
ヒザが曲がらないという弱点が、逆に強みになった。
つまり、弱点は状況によって強みになるということ。
弱点を克服できるのであれば、それはそれでいいと思うが、どうしても克服できないのであれば、弱点を活かせる状況をつくればいいということである。
弱点を「個性」と捉えると、違った道が見えてくるかもしれません。
正面から真っ直ぐぶつかることだけが正解ではありません。
真っ向勝負で勝てないのであれば、工夫して戦う。
それが生きるための戦略だと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このブログがあなたのお役に立てたら嬉しいです。
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運動神経悪い芸人・フルーツポンチ村上
フルーツポンチ村上は、走る時にヒザが曲がらず、足を棒のようにして走る。そのことから彼は「ヒザ神(ひざしん)」と呼ばれている。
その走り方で走り幅跳びをやったら、砂場に足から刺さっていったため、「走り刺さり」という競技を作り出したとされている。
しかし、ヒザが曲がらないというのは、スポーツにおいて致命的である。
ヒザ神・村上の得意な競技?
だが、そんなヒザ神にも得意な競技が見つかった。
それは走り高跳びである。
走るのはぎこちないが、跳んだ後にヒザが曲がらないため、足がバーに引っかかりにくい状態になるのだ。
弱点を活かす
ヒザが曲がらないという弱点が、逆に強みになった。
つまり、弱点は状況によって強みになるということ。
弱点を克服できるのであれば、それはそれでいいと思うが、どうしても克服できないのであれば、弱点を活かせる状況をつくればいいということである。
まとめ
弱点を「個性」と捉えると、違った道が見えてくるかもしれません。
正面から真っ直ぐぶつかることだけが正解ではありません。
真っ向勝負で勝てないのであれば、工夫して戦う。
それが生きるための戦略だと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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