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2019年10月31日

世界遺産の仁徳天皇陵 本当に仁徳天皇の墓なのか?



 

 世界遺産の仁徳天皇陵 本当に仁徳天皇の墓なのか?

              〜JBpress 10/30(水) 6:00配信〜


           10-31-2.jpg

 〜天皇が埋葬され国の貴重な文化財と為って居る天皇陵。「聖域」であるが為に、調査発掘が許される事無く現在に至って居る。天皇陵を聖域たらしめて居る本当の理由は一体何なのか。歴史学者の外池昇氏が天皇陵の謎を解明する。本稿は『天皇陵「聖域」の歴史学』(外池昇著 講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです〜





 問題の核心「天皇陵」

 陵とは天皇・太上天皇(既に退位した天皇)太皇太后(先々代の天皇の皇后)皇太后(先代の天皇の皇后)皇后・北朝天皇の遺骸が葬られて居る場所、墓とはこれ以外の皇族の遺骸が葬られて居る場所を言い、陵墓とはその全体を云う。
 詰まり、天皇陵とは陵墓の中のひとつのカテゴリーである。とは言いながら、天皇陵を巡る問題は、陵墓全体を巡る問題の核心であり象徴である。

 被葬者が分から無い様に作られた古墳

 宮内庁は、陵墓をどの様に管理して居るのであろうか。勿論宮内庁による陵墓管理の実態には未だに解明されて居ない部分も多い。しかし以下に述べる二点は、宮内庁による陵墓管理の問題点として極めて重要である。

 第一は、研究目的の内部への立ち入りを一切認め無いと云う事である。これは、陵墓で安んじる「御霊(みたま)」の静謐(せいひつ)を妨げる様な事があっては為ら無いと云う宮内庁の陵墓管理の基本的原則によるものである。
 処が今日、宮内庁が陵墓として管理するものの中には、文化財としての価値が大変高いものがとても多い。殊に古墳、中でも巨大古墳が陵墓とされて居る場合には事態は深刻である。発掘調査は勿論の事、墳丘、詰まり古墳の表面を歩いて表面観察をする事すらも出来無い。

 取り分け古墳の中でも中核的な位置を占める巨大古墳に付いて見れば、尚事態は深刻である。巨大古墳の有力なものの殆どが宮内庁によって陵墓として管理されて居る為に、考古学上のデータが極端に制限されてしまって居るのである。
 これは、古墳研究の上での著しい障碍(しょうがい)以外の何ものでも無い。勿論何がナンでも発掘をしなければ古墳研究が全く出来ないと云う事でも無いし、性急な発掘が古墳の破壊に他為ら無いと云うのも確かである。
 そして、それが古墳である以上、例え天皇陵で無くとも遺骸が葬られた場所である事には違いは無いのであるから、被葬者に対する尊厳の気持ちも決して忘れては為ら無い。しかし、研究者が墳丘を実地に観察する事すらも出来ないと云うのは、古墳時代の研究、延いては古墳の研究と云う事に付いて云えば致命的である。

 第二には、陵墓には本当は誰が葬られて居るのかと云う事である。宮内庁は被葬者を夫々の陵墓の制札によって明示して居るが、その宮内庁によって決定されて居る被葬者は、学問の上での手続きを経ての事なのであろうか。
 もし、その被葬者が正しく無かった事が学問的に明らかに為った場合には、宮内庁は被葬者を学問の上での手続きを経てより適当な被葬者へと改めるのであろうか。

 ソモソモ宮内庁はどの様にして被葬者を決定したのであろうか。ここで古墳が陵墓として管理されて居る場合に付いて焦点を絞って云えば、一般にこの国の古墳は被葬者を決める事が大変難しい。何故なら、この国の古墳には被葬者の名を示す、例えば墓誌(被葬者の事績等を石碑に彫り込む等したもの)の様なものが全く見られ無いからである。詰まりこの国の古墳は、元々後世の人々が被葬者が誰であるか判ら無い様に造られて居るのである。





 日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」

            10-31-4.jpg 仁徳天皇

 仁徳天皇は『古事記』『日本書紀』の伝える第16代の天皇である。民家から煙が立ち上ら無い事を憂えて3年間全ての租税や労役を免除したと云う説話で好く知られて居る。しかしそれ以上に仁徳天皇を歴史上著名ならしめて居るのは、大阪府堺市堺区大仙町に在る仁徳天皇陵の存在であろう。この国最大の規模を誇るものとして、これ程好く知られた古墳は無い。

 此処ではこの仁徳天皇陵やその周辺の事柄を例として取り上げて、どの古墳が何天皇陵とされるのか、詰まり天皇陵比定の方法に付いて考える事にしたい。但し此処では、墳丘の規模・形態や遺物の検討等と云った言わば考古学的方法では無く、専ら文献によった方法を採用する事にしたい。
 その方が、今日における陵墓を巡る問題点をより明確に浮かび上がらせる事が出来ると思われるからである。

 仁徳天皇陵に付いては『古事記』『日本書紀』に好く述べられて居る。『古事記』は「毛受之耳原(もずのみみはら)」『日本書紀』は「百舌鳥野陵(もずののみささぎ)」とする。
 此処に「毛受」なり「百舌鳥」と有るのは、「日本書紀』仁徳天皇67年10月5日条が、仁徳天皇が河内の石津原(現在の大阪府堺市堺区石津町付近)に行幸(天皇が御所から外に出掛ける事)して自らの陵地を定め、陵を作り始めた18日に鹿が野から現れて役民(労役に従う人々)の中に入って倒れて死んで鹿の耳から百舌鳥が出て来たが、鹿の耳の中は悉(ことごと)く食い裂かれて居り、これを百舌鳥耳原と云う地名の起源とする・・・と記す事に由来する。

 この『日本書紀』の記述によって、仁徳天皇陵が河内の石津原改め百舌鳥耳原と称する地に営まれたとされた事が判るのである。

 諸陵寮式

 『古事記』『日本書紀』以外の史料と云う事に為ると『延喜式(えんぎしき)』「諸陵寮式」がある。仁徳天皇陵に付いては次の通りである。

 百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)難波高津宮御宇(なにわたかつのみやぎょう)仁徳天皇 和泉国大鳥郡に在り 兆域は東西八町・南北八町 陵戸(りょうご)五烟(原漢文)

 「諸陵寮式」は『古事記』『日本書紀』の段階よりも遥かに詳しく仁徳天皇陵に付いて記す。先ずは陵の名称である。ここに「百舌鳥耳原中陵」とあるのは、この仁徳天皇が、和泉国大烏郡の百舌鳥耳原に在る幾つかの天皇陵の内中央に位置すると云う事である。
 次には規模である「東西八町・南北八町」とあるのが仁徳天皇陵の規模を具体的に示すものである。この「町」と云うのがどの位の長さを示すのかが仮に判然とし無かったとしても、陵の東西の長さと南北の長さの割合を検討したり、他の天皇陵の規模を示す記述と比較する事は出来る。
 そして現地における管理の実態である。「陵戸五烟」と在るのは、現地における陵墓の世襲の管理者である陵戸(律令制下では賤民(せんみん)に属する)が5軒合ったと云う事である。
 
 さて「諸陵寮式」は、和泉国大鳥郡百舌鳥耳原に在る仁徳天皇陵以外の天皇陵に付いても記して居る。次の通りである。

 百舌鳥耳原北陵 丹比柴籬宮御宇反正(たじひのしばがきのみやぎょうはんぜい)天皇 和泉国大鳥郡に在り 兆域は東西三町・南北二町 陵戸は五烟。
 百舌鳥耳原南陵 磐余稚桜宮御宇履中(いわれのわかさくらのみやぎょうりちゅう)天皇 和泉国大島郡に在り 兆域は東西五町・南北五町 陵戸は五烟 (原漢文)

    10-31-1.jpg

 一見して明らかな通り「諸陵寮式」によればこれ等の位置関係は北から南に向かって反正天皇陵・仁徳天皇陵・履中天皇陵の順であり、此処で仮に「諸陵寮式」にある東西と南北の町数を乗じてこれ等の規模を比較すれば、反正天皇陵六(三町×二町)・仁徳天皇陵六十四(八町×八町)・履中天皇陵二十五(五町×五町)の割合と為る。
 これで、和泉国大鳥郡百舌鳥耳原にこの条件に適う古墳が丁度三基在ってそれ以外の古墳が一基も無ければ、反正・仁徳・履中天皇陵は直ぐにでも、そして誰にでも納得出来る形で決定出来ると云う事に為る。

 処が問題はそう簡単では無い。「諸陵寮式」の云う和泉国大鳥郡は概ね今日の大阪府堺市に当たり、古墳が密集する地域としては百舌鳥古墳群と言われる。そしてそこには巨大前方後円墳に限っても三基を遥かに超える古墳がある。その中から既に先に見た条件で、反正・仁徳・履中天皇陵を探さ無ければ為ら無いのである。しかし、或は疑問を持たれるかも知れない。
 詰まり、何故『古事記』『日本書紀』や『諸陵寮式』に頼ってどの古墳がどの天皇陵かを決め無ければ為ら無いのか、古墳には何らかの形で例えば墓誌(亡く為った人の事績等を石碑に彫り込む等したもの)等が在ってそこには被葬者(そこに葬られて居る人)の名が記されて居て、それによってどの古墳がどの天皇陵かを決められるのでは無いかと云う疑問である。

 墓誌の無い古墳
 
 処が、この国の古墳に墓誌が見られる事は無いのである。現代の感覚からすれば莫大な労力を長期間にわたって費やしたのであれば、被葬者に付いて記した墓誌が無いと云う事はおよそ考えられもしない。しかし、どの様な形にせよ、そしてどの様な理由にせよ、被葬者名を古墳に残す事はタブー(固く禁じられて居る事)であったのであろう。
 であるからコソ、後世に為るとどの古墳に誰が葬られて居るのかが遂に判ら無く為ってしまったのである。そこで、後世に成った諸種の文献等に拠るのが天皇陵決定の為の最も有力な方法と為ったと云う事なのである。





 陵墓の「公開」

 最後に述べて置きたいのは、陵墓は公開され無くては為ら無いのか、又、何を以て陵墓の公開とするのか、と云う問題である。

 まず、陵墓の公開とは何か、に付いてである。私は、陵墓として管理されて居る古墳が学術調査の対象と為り、その成果が分かり易い形で学界・社会一般に公表される事を陵墓の公開と考える。この点に付いては余り異論は無いと思われるが、その学術調査の内容は何かと云う事に為ると、実は議論が分かれる処である。
 考古学者の中には、学術調査と云っても主には古墳の表面の観察や遺物の採集、又現況の記録に留め、発掘を伴った調査、中でも埋葬施設、詰まり石室・石棺等の発掘調査に迄は進むべきで無い、と云う考え方がある。

 この背景には、発掘を伴った調査と云うのは古墳の破壊と云う一面を必然的に抱えるものであって、理想的な古墳の保存・調査・公開の為には、発掘を伴った調査、中でも殊に埋葬施設の発掘調査は避けるべきである。増してや、今日宮内庁が陵墓として管理する古墳には巨大で学術上価値が高いものが多く、宮内庁によって管理されて居る為に開発等による破壊の心配は無い。と為れば猶更である、云う判断がある。
 確かに古墳であれ何であれ、一度発掘してしまえばもう完全に元の通りには戻ら無い。そう考えれば、発掘調査をするべきで無いと云う判断も一見尤もの様である。

 しかし私は、どうしてもこの判断に賛成する事が出来無い。それは、現実に宮内庁によって陵墓として管理され、学術調査から隔絶されている巨大古墳の多くが、この国の形成期の歴史を示す、他に掛け替えの無い貴重な文化財としての価値があると思われるからである。
 遺跡の価値に優劣等あるべきでは無いが、それでも此処で問題として居る数多巨大古墳の文化財としての価値が極めて大きい事に、異を唱える向きは無いであろう。

 どの様な価値があるのか、どの様な点で貴重なのか、それを学術上の手続きを経て解明し、その成果を学界にも社会一般にも誰にでも判る言葉で説明して欲しいと思うのである。その際、発掘はしませんでした、埋葬施設には手を付けませんでした、と云う事で良かろう筈は無い。
 もちろん拙速な発掘はいけ無い。充分な時間と経費を掛け、決して高松塚古墳で文化庁が犯した愚行を繰り返さ無い様な組織の枠組みを作って、最高の技術を用い、慎重の上にも慎重を期して調査と保存に臨ま無ければ為ら無い。

 何年掛かろうと何十年掛かろうと、それは当然の事であるし是非そうし無ければ為ら無い。そしてその為の努力と責任は、文化財の保存と活用(公開)に携わる人びとや学界の人士のみ為らず、広く社会一般にも課されるべきである。
 しかし、最終的な学術調査の到達点は、埋葬施設を含めた古墳全体の文化財としての価値の解明であるべきで、この学術調査に直接・間接に関与する者の側が、自ら古墳の中で学術調査が及ば無い部分を作り出す事が在っては為ら無い。

 今最も為され無ければ為ら無いのは、陵墓として管理されて居る古墳の学術調査が、天皇による祭祀と果たして矛盾するのかしないのかに付いての、後世の検証に耐え得る手順を尽くした冷静な議論である。
 

          10-31-3.jpg 

                成城大学 外池 昇氏  以上


 【管理人のひとこと】

 ピラミッド等を含む古代エジプト遺跡の発掘を考えると、日本の古墳が永い期間(それも殆ど未発掘のまま)手も着けられて居ないのは実に不思議な感覚だ。しかし、江戸時代・明治時代を含め、現代も言われる「天皇陵・古墳発掘の禁止」の取り決めの無かった時代、誰も手を付けて無いとは限ら無いと考えるのが当然。
 古事記や日本書紀に書かれて居る様に、陵墓等には代々継がれた墓守が居て(彼等は非人だと云う)盗掘されぬ様守って居たのだろうが、恐らく陸墓の財宝を求める「盗掘・盗人」が在って当然だ。もしかしたら、陵墓の中の金銭的に貴重なものは既に空っポなのではなかろうか。しかし、全てが持去られた訳でも無いだろうから、歴史的には貴重な数々の資料が埋まって居そうだ。
 本文中に指摘された様に、発掘は原型を破壊する事に繋がり、再現するには色々な困難も伴うだろう。そのままソーッとして置くべきか、それとも随時最新技術を駆使し発掘をするか・・・矢張り、後者に期待するのが人情と云うもの。日本の、失われた古代・4世紀・・・その何かが判明するかも知れ無いではないか。
 我が国も、歴上の一大ポイントと為る天皇陵等の古墳発掘に向けて、新たな政策を打っ出る事で古代日本の歴史の解明に新たな歩みを踏み出しては如何だろうか。





 

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