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2019年07月30日

れいわ新選組の底力を、ポピュリズム批判だけでは見誤る「真の理由」




  いわ新選組の底力を ポピュリズム批判だけでは見誤る「真の理由」



  〜現代ビジネス 7/28(日) 7:00配信〜



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 猫やパフェと戦わ無ければ為ら無い


 今や国政選挙でさえも、スマートフォンの画面やアプリのタイムライン上に表示される無数のコンテンツの一つに過ぎ無く為って居る。筆者は、これを「ありとあらゆる情報がフラットにコンテンツ化される社会」と呼んで居る。
 そこでは内容の真贋≠竍善悪≠ノ関係無く、そしてフィクションかリアルかを問わず、ありとあらゆるテキスト、表現、パフォーマンス等々が、個々の重要性等は脇に置かれ、単なるコンテンツとして消費される。

 その様な中で今、政治は「見る価値」「参加する価値」があるコンテンツか否かが吟味される状況に為って居る。ここにおける「価値」とは「面白さ」であると云うことを、山本氏は意識的にか無意識的にか、感知して居るのであろう。
 今や国政選挙で票を得る為には、膨大な消費コンテンツと競争し無ければ為ら無い。インスタグラムでモデルが訪れて居たお洒落なカフェや、世界中でプレイされて居るオンラインゲームの新作や、ユーチューバーの「やってみた動画」等と「可処分時間」の奪い合いをし無ければ為ら無いのだ。

 スマートフォンの中では、政治家の街頭演説よりも、猫が床をゴロゴロする動画の方が、果物が山程載ったパフェの画像の方が、多くの人を惹き着ける。政治に無関心な層を掘り起こそうとすればする程「エンタメ要素」は必須と為らざるを得無いだろう。
 参院選の翌日に行われた吉本興業の岡本昭彦社長の約5時間に渉る謝罪会見で、選挙結果を吟味する為の「時間」そのものが掻っ攫(さら)われ、世間がそれ一色に塗り変わった事が典型的だ。政治も「面白く」無ければスルーされると云う訳だ。 


 




 「シングル・イシュー」が効果的な理由


 その点「れいわ新選組」の選挙戦は「エンタメ性」が徹底されて居た。例えば、難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者を国会に送り込むと云うのは前代未聞の試みであるだけで無く、彼等が主張する価値観(中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えて居ても、将来に不安を抱える事無く暮らせる社会を作る)をリアルタイムで世に問う「社会実験」でもあった訳だ。
 「れいわ」に票を投ずるか否かを逡巡する事は「難病患者を国会議員にする事に賛成か反対か」と云うイシューに関して、自らの態度を決める事と同義に為った。その為、有権者に明確な参加意識が生じ易かった。詰まり「れいわ」は、今回の選挙自体を「既存の社会に対する挑戦状」にすると云うストーリーを構築し、有権者達も事実としてそれに乗ったのである。

 「エンタメ化」は「シングル・イシュー・ポリティックス」と親和性が高い

 「シングル・イシュー・ポリティックス」とは、一つの争点のみに付いて賛否を問う政治運動の事だ。実際に「NHKから国民を守る党」は「NHK」(の現在の様な受信料制度にノーを突き付ける事)の賛否だけを問うた。
 「れいわ新選組」の場合は、今回の参院選から新たに導入された「特定枠」にALS患者の舩後靖彦氏と重度障害を持つ木村英子氏を指定する事で「障害者」(も生きてて良かったと思える社会を実現する事)に対する賛否を、実質的に「一つの争点」として機能させる事に成功したと推測出来る。

 この様に構造を分析した上で「れいわ」の台頭と「左派ポピュリズム」が危険か否か、と云う問いに戻ろう。「左派ポピュリズム」と云う言葉が一人歩きし「れいわ」や山本氏の存在を危険視する声は強まりつつあるが、実の所日常的に「身の危険」を感じて居るのは、彼等の批判者よりも、支持者や支援者達の方では無いか。


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 これは現代の「一揆」なのか

 
 「れいわ現象」の背景にあるのは「生産性」と云う尺度によって自分達の人生の価値が暴力的に決定され、何れは社会から「不要」と云う烙印を押されてポイ捨てされるのではないかと云う、様々な生き辛さを抱えた人々の差し迫った恐怖であり、不安である。(勿論、一人ひとりが抱える恐怖や不安の具体的な中身に付いては議論の余地があるだろう)
 平成の30年間、この国ではグローバル化に伴う経済的格差が拡大しただけで無く「職場」を社会的承認の柱とする人生モデルが崩壊し、更にそれ等と並行して地域コミュニティ等のソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が衰退「社会的孤立」に陥る人々が増大した。

 こうした悲惨な現状が、社会システムの変革による上からの°~済を切実に求める機運を作り出して居る面が、少なからずある。
 「NHKから国民を守る党」の場合、先行き不透明な経済情勢や、賃金が上がら無い事への不満、日常生活における漠然とした不安等が、自宅に直接訪問し強制的に受信料を徴収しようとする具体的な脅威として「NHK集金人」に投影されたと考えると分かり易い。

 私達の「徹底的に個人化された生活」と「情報環境への過剰接続」は、今後更に進展する事はあっても、後戻りする気配は無い。そして、一見「誰もが自由に生きられる時代」が到来した様に見えながら、実態は旧態然とした慣習やルールに押し潰されそうな境遇に絶望する人々は「正しい権力の行使」を政治参加によって実現しようとするだろう。これは現代における「一揆」であると云う言い方が相応しいかも知れない。
 「私達が抱えて居る恐怖や不安」に対する目処が付か無い限り、巷で云う「ポピュリズムと称されるもの」が決して収束する事は無く「政治のエンタメ化」も有効な手段であり続ける。これは必然である。

 それが民意に裏打ちされた「政党」の形を取り始めたのであれば、そこには恐らく「新しい共同性」への志向が存在する筈であり、その背後にある「無意識」にこそ観察の目を注ぐべきだろう。特に「れいわ新選組」は、共通の危機意識を基盤に、見知らぬ者同士が「アジール(聖域、自由領域)」を作る様な、直接参加型の「つながり政治」の最初の事例と言えるかも知れ無い。


 




 社会の「正当性」自体が揺らぐ


 「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党」が、政党交付金を得られる「政党要件」をクリアしたと云う結果のみを批判した処で何も始まら無い。
 「私達が抱えている恐怖や不安」を他為らぬ政治の力によって解消しようとする動きが、今回の参院選のタイミングで「政党として」表面化して来たのであるから、私達は、社会の正当性そのものが大きく揺らいで居る事にもっと危機感を持つべきだ。そう云う意味において、今回自ら候補者とも為った安冨歩氏の「れいわ現象」の分析は秀逸である。



 「れいわ現象」の分析

 「れいわ新選組」は、左派ポピュリスト政党等では無い。それはソモソモ「政党」では無く「左派」でも無く「ポピュリスト」でも無い。「れいわ新選組」は、無縁者の集まりであり、その無縁のエネルギーが、ガチガチに固まって人間を閉塞させて居る有縁の世界に、風穴を開けつつある。(内側から見た「れいわ新選組」 2019年7月24日付、https://anmintei.net/a/688)

            文 真鍋 厚  以上



 




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