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2019年05月28日

「実態を知らぬ〈嫌韓〉の罪深さ」




 




  「実態を知らぬ〈嫌韓〉の罪深さ」

 
  新大久保駅転落事故から18年


  勇気ある韓国人留学生が未来に託した 「日韓の架け橋」




  AbemaTIMES 5/27(月) 10:03配信 より引用します



         5-28-1.jpg

                辛潤賛さん

 
 先週金曜日、JR新大久保駅に1人の韓国人女性の姿があった。辛潤賛さん(68)は今から18年前、この駅で大切な長男を失った母親である。毎年の命日には、事故現場と為ったこの駅を欠かすこと無く訪れて居ると云う。
 2001年1月26日、JR山手線・新大久保駅で線路に落ちた人を助け様とした二人の男性が犠牲に為った。その内の一人である李秀賢(イ スヒョン)さんは当時、日本語学校に通って居た韓国からの留学生で当時26歳だった。


 




 事故現場と為ったホームに立ち、悲しみの余り今にも崩れそうな身体を懸命に維持しながら「何時もここに息子が居る様な感じがします」と涙ながらに話す辛さん。18年前の1月26日、一体何が起こったのか・・・


 




 東京・新宿の或る日、この日に行われて居たのは、3月に亡く為ったイ スヒョンさんの父であるイ ソンデさんを偲ぶ会。ソンデさんは息子の死後、日本と韓国の学生を繋ぐ奨学金制度を設立。この日は外交官等の関係者を含む80人を超える人が献花に訪れて居た。


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           26歳で亡く為った息子の李秀賢(スヒョン)さんを偲ぶ慰霊碑の前で 


 スヒョンさんは、高麗大学に在学中の25歳の時に日韓の貿易関係に興味を持って来日した。スヒョンさんが通って居た赤門会日本語学校の新井時賛理事長は当時のことを、

 「自分は必ず『日韓の架け橋』に為るんだと話していた。明朗活発で非常に運動も好き。音楽も好き、勉強も好きの稀にみる好青年。絵に描いた様な学生だった」

 と振り返る。自らの命を顧みず勇気ある行動を起こしたスヒョンさん。その行動を称えられる一方で、母親が大切な息子を異国の地で亡くした悲しみは想像を絶する。
 又、この日は両親の活動を追ったドキュメンタリー映画「かけはし」が上映された。その映画では、来日した韓国の学生と日本の学生が、交流を深めながら歴史認識の違いを知り成長して行く姿が描かれている。
 来場者した中高年の女性等が「凄く色々と考えさせられる」「今まで過ごした時間の中で今日が一番、有意義な時間の過ごし方だった」と映画の感想を述べれば、若い夫婦は「子供が立派に育つ様な親でいなくてはいけ無いと感じた」と話した。


 




 現実を受け入れられず、霊安室で眠る息子の携帯に電話を掛けた 


 近年、その関係が悪化の一途を辿る日韓関係。こう云った状況の中、スヒョンさんの母親はどの様な思いを抱いて18年間を過ごして来たのだろうか。18年前の事故当日、第一報を聞いた時の気持ち等も含めて話を伺った。

 「連絡があったのは夜1時過ぎでした。大怪我をしたと云う事だけ聞いたので、足が不便に為るのか? 腕は不便に為るのか? 等ケガの事ばかり考えて居た」

 そう話した辛さんの思いは来日直後に一変する。成田空港に降り立ったご両親を待ち受けて居た報道陣の余りの多さに「只事では無い」と云う事を悟った。しかしこの時点では、息子の死を知ら無かったと云う。その後、警察署の霊安室でスヒョンさんの遺体と対面することに為る。
 「これはうちの息子では無い」
 現実を受け入れる事が出来なかった辛さんは、その場でスヒョンさんの携帯電話を鳴らした。しかし、スヒョンさんの死と云う辛い現実は揺るが無かった。スヒョンさんの夢は、事故の翌年に開催されるサッカーの日韓W杯で通訳をする事だった。その夢は叶う事は無かった。この事故を経て、日本を恨んだことは無いのか? その問いに対しては次の様に答えた。

 「生前、スヒョンが日本が韓国より技術的な面で可なり発展して居ると言って居た。だから私も駅の機械は優れて居ると思って居た。スヒョンもそれを信じて行動を起こしたのだろう。事故後に実際に駅に行ってみたらホームドアやストップ装置も無くて、その時は凄く恨みました」 


        5-28-3.jpg

            赤門会日本語学校の新井時賛理事長


 「日本と韓国の架け橋に」亡き息子の遺志は未来の学生に託された


 しかし、辛さんの思いは或る出来事を機に変化したと云う。

 「葬式が行われたその日は凄く大雪だった。でも事故を通じてスヒョンの事を知って呉れた多くの方々が、手紙を書いて参列して呉れた。頂いた手紙を1枚1枚読んで居る内に気持ちが切り替えられる様に為りました」


 




 翌2002年には、全国から寄せられる支援金を元手に、アジア人の留学希望者を支援するLSHアジア奨学会を設立。「日本と韓国の架け橋に為りたい」と云う息子の遺志を継ぎその活動は続けられて居る。
 その理由に付いて辛さんは「息子は夢を叶える事が出来なかったが、同じ夢を見る留学生も沢山居る。スヒョンの強い遺志が多くの人を動かしたんだなと感じて居ます」/span>と語って呉れた。果たしてこの18年間は、そんな辛さんに取ってどの様な年月だったのか・・・辛さんは「息子は無くしてしまったけど遺志を受け継いだ18年間だった」と穏やかな笑顔で答えて呉れた。


 




           5-28-4.jpg

               三谷紬(つむぎ)アナウンサー


 実際に話を聞いたテレビ朝日の三谷紬アナウンサーは、

 「事故が起きた2001年は小学一年にも為って居らず、事故の事は殆ど知ら無かった。事故が起こって、息子さんが亡く為ってから失意に落ちるのでは無く、その後を見据えて、これからの留学生の事を支援しようとしたお母様やお父様の活動に心を打たれました。自分自身、何か嫌な事があったらそこで落ち込むのでは無く、次の事を確り考えた人生を送りたい」

 と静かに語った。この事件を受け、今日に至る迄日本では様々な変化があった。外国人留学生は2001年の約7万8000人から2018年では約29万8000人に増加。更にスヒョンさんの様な悲惨な事故を未然に防ぐ為の駅ホームドアの設置や緊急停止ボタンの設置に防犯カメラの増加等、事故の教訓は着実に生かされて居る。


 実態を知らずに〈嫌韓〉に走る「罪深さ」


 こう云った民間レベルで進む交流を受け、今後の日韓関係について意見を求められた国際政治学者の舛添要一氏は、

 「矢張り政治が問題。文大統領も安倍首相も確り政治の判断をすべきだし、政治判断をフォローするメディアも同じことだ。
 今だから話しますけど、3年前に失脚した大きな要因の一つは『日韓関係を良くしよう』とした事。当時の朴大統領に会いに行った矢先に批判が増えた。政府が日韓関係改善に取り組ま無かったから関係は物凄く悪かった。責めて地方の政府から改善を図るべきと考えた。
 東京とソウルは姉妹都市に当たる。しかし、(東京は)ヘイトスピーチが物凄かった。日韓の歴史認識において間違って居る点は間違って居ると申し上げるが、それ以上に〈政治の意思〉が確りし無ければ為ら無い。要約朴さんと安倍首相が話せる様に為ったら政権交代・・・非常に悲しいですね」



 


 

       5-28-5.jpg


 と持論を展開した。ネット問題に詳しい文筆家の古谷経衡氏は舛添氏の話を受けて、

 「スヒョンさんの事故の翌年のW杯辺りからネット右翼(ネトウヨ)と呼ばれる人達が出て来た。
 2003年から2006年に至る迄、それ等の人々はこの事故に付いて『事故自体がねつ造だ』と言って居た。韓国民団(大韓国民団)や日本メディアが韓国を美化する為にワザワザねつ造したとも。舛添さんが叩かれて居た時に、何の根拠も無い『舛添は在日コリアンだ』と云う噂も流された。
 ネット右翼の台頭に伴い、韓国人と実際に、又は通訳を介して話した事も無い人達が『韓国は滅亡する』『韓国人は嘘つきだ』『韓国人は盗人、詐欺師だ』と言い続けて来た。後に逮捕された或る人物に関しては、韓国に行ったことすら無かった。これが実態だ。韓国では反日本など売っていない、日本だけだ。この状況をどの様に考えるか」


 と語気を強めた。続いて大阪で生まれ育ったと云うタレントの時人は、

 「周りに海外の人が多く〈何が嫌なのか〉は分から無いが、シンプルに軽蔑したり差別したりと云う事があった。理由も判らずに『嫌韓』で居る人が多いと思う。僕もそうだが、こう云った事を知る事が出来れば、実態を分から無いまま差別して居る人が減る筈だ」


 




 と話した。最後に三谷アナは

 「日本で韓国がブームに為ったり、多くの韓国人が日本を訪れて居る。民間同士の交流は増えて居て嬉しい。一方で政治が可なり緊迫して居る状況だが、我々は政治に付いて何も言う事は出来無いのでモドカシイ」 

 と云う辛さんの言葉を代弁した。なを、映画「かけはし」は5月31日に大分で、6月25日の韓国での初上映を経て、7月7日に大阪、8月30日〜31日は沖縄で上映される予定だ。


                  以上



 





 【管理人のひとこと】


 管理人(私)が、駅のホームから線路に落ちた人を目撃したら一体どの様な反応をするだろう・・・と考えてみた。先ずは近くに駆け寄りその場を確認する「何が在ったのだ?」と。そして「落ちてしまい動け無い」状況なら大声を張り上げ廻りを見廻し駅員を探す。同時に「非常ベルを探して押して呉れ!」と叫び続ける・・・
 咄嗟にその様な行動が出来るか確信は無いが、その時間帯の電車の本数にもよるが、自ら線路に降りて助け出すまでの行動が出来るかどうかの自信は無い。

 スヒョンさんは恐らく「危ない!」と判断し、咄嗟に後先も考えずに線路に飛び降り救助に臨(のぞ)み、不幸にも電車に撥ねられてしまった。その時、彼は自らの危険は一切頭に浮かば無かったのだ。そんな事考えたら行動出来るものでは無い。危ない助ける、それしか無かった行動だ。何とも勇気ある行動だろう、私にはとても出来ない。日本だ韓国だとの国とは一切関係無い、人間としての咄嗟に出た尊い行動だ・・・有難う、ご冥福をお祈りする。


 




 管理人はこのニュースを聞いて心で泣いた覚えがある。何と立派な事が出来る人間なのだろう。何? 一人は韓国から来た留学生? 自分には到底出来ない立派な行動をする人だ・・・感謝とお詫びの気持ちしか無かった。私達は犠牲者に何を報いる事が出来るだろうか。
 責めて、日本の国民の多くで、残された肉親の方々に心からの感謝とお悔やみを捧げたいとの思いで一杯だった。政府や関係者は、特別な感謝と褒賞をさせて頂くしか報いる方法は無いと思った。

 〈嫌韓・嫌中〉〈ヘイト〉・・・何と人間の悪い面を強調する感情だろうか。国を人を嫌悪する・・・過去の戦争の際に敵国に対する、言われも無い意図的に作られた感情の事だ。「ネトウヨ」も同じなのだろうか、関心も無いので判らぬが、人や国を憎んで一体何が生まれるのか・・・単なる憂さ晴らしなのか、虐(いじ)めに似たこの感情を人は捨てられ無いものなのか・・・
 例え戦争で敵味方に別れても、一旦国を離れて個人に戻ったら同じ人間同士。そこには、人間としての感情が嫌でも現れる筈で、喜びも悲しみも分かち合う人間の関係が生まれる筈。一つの原因も無く何の因果関係も無いのに、廻りのムードに押し流されるのだけは慎みたいものだ・・・



 



 










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