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2021年04月15日

松山英樹「マスターズ制覇」はどれ程の快挙か


 

 松山英樹「マスターズ制覇」はどれ程の快挙か

 東洋経済 4/14(水) 16:31配信


    4-14-40.jpg

 4-14-40 日本ゴルフ界の悲願だった「マスターズ」優勝を成し遂げた松山英樹(写真AP アフロ)

 松山英樹がプロゴルフの「新たな世紀」の扉を開けて呉れた。ゴルフのメジャー大会「マスターズ」で日本選手として初めて優勝を飾った。  
 報道によると、TBS系列の生中継の視聴率(ビデオリサーチ社調べ)は、プレー前半の4月12日午前3時30分〜5時の関東地区平均視聴率が5.4%占拠率は53.3%を記録。優勝を決めたプレー後半の午前5時〜8時20分は12.1%・瞬間最高視聴率は優勝を決めた午前8時3分から同5分頃の17.7%だった。何れもその時間帯としては高い数字だったと云う。

 ゴルフファンのみ為らず、1度はゴルフを遣った事がある人、遣って居なくてもゴルフは知っている人、ゴルフとは無縁でも何か凄い事が起こりそうと思った人・・・多くの人が松山の偉業を目の当たりにした。  
 1997年サッカー日本代表が初めてワールドカップ出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」・2009年WBC・ワールドベースボールクラシック決勝で日本がイチローの快打で世界一に為った瞬間・2011年サッカー女子ワールドカップで「なでしこジャパン」が世界一に輝いた衝撃・2015年ラグビーワールドカップで日本が南アフリカを倒した驚き・・・そんなインパクトのある日に為った。

 株式市場は「ご祝儀買い」  

 4月12日は大騒ぎだった。東京株式市場は「御祝儀買い」でゴルフ関連株が上昇したと云う。松山が使用するクラブを提供して居る住友ゴム工業は一時4.4%上げる等、今後ゴルフが人気に為りそうだと見ている投資家が少なからず居るのだろう。  
 ダンロップブランド等でお馴染みの住友ゴムでは、松山優勝で社内も沸いたと云う。浅妻馨・スポーツ事業本部企画業務部広報グループ課長は朝から晩までメディア等の対応に追われた。

 「松山選手をサポートして居る事もありますが、1ゴルフファンとして嬉しい事でした」

 と云う。早速、今後の需要を見越して、小売り大手からは昨秋発売で松山が使用して居るスリクソンブランドのドライバーZX5(松山はプロトタイプを使用)等の注文が入って来て居ると云う。
 マスターズ最終日、2位に2打差と緊張の中で迎えた17・18番で、松山は完璧なドライバーショットを放った。『思った通りの球が打てた。クラブのお陰』と松山選手から担当に伝えられたそうです」と、嬉しい報告もあった。  

 「今回の優勝でクラブの『信頼性』が上がったと思います」と浅妻課長。日本国内で海外メーカーが上位シェアで国内メーカーは苦戦して居るが、今回の「実績」は、アメリカを初めグローバル展開する中でも謳い文句に為りそう。今後は「ユーザーに何らかの還元をしたいので、優勝フェアの様な事を企画して行きます」と話した。

 スポーツ界ではゴルフに限らず、こうした快挙があると当然ブームに為る。最近のゴルフ界では、渋野日向子が2019年に「AIG全英女子オープン」で日本選手42年振りの女子メジャー制覇をした際には、渋野が使用したドライバーがその年の売り上げ1位を記録するなど業界が活性化した。  
 松山の優勝はそれ以上のインパクトがあると云って好い。コロナ禍で感染リスクが低いゴルフが見直されて新規ゴルファーが増えて居る中で、ゴルフ業界に取って更に「追い風」に為る事は間違い無い。

 この追い風をゴルフ業界は生かせるか。コロナ禍で主に中国で行って居た生産の規模が縮小された為、一部ゴルフ用品メーカーで問題に為って居るのがシャフトやグリップの品不足だ。折角需要が高まっているのにクラブを売りたくても部品が足り無いと云う状況は作りたく無い。  
 この風は、マスターズの会場のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブに吹く風の様に気紛れだ。松山の様に確りと風を捕らえたい。ゴルフは見るだけでは無く何歳からでも自分でプレー出来るスポーツ。ゴルフ人口が減って来ている中、右肩下がりから脱却して再び右肩上がりに転じさせるチャンスを折角松山が呉れたのだ。

 早くも経済効果を算出している向きもあるが、こればかりは推測の域を出ない。松山が今年中に更にメジャー大会に勝つ可能性が十分あるからだ。何より、本人も「開催されるなら当然狙いたい」と云う東京オリンピックで金メダルとも為ればもっと大騒ぎに為るだろう。

 青木功・尾崎将司・中嶋常幸も感激  

 プロゴルフ界では、青木功・日本ゴルフツアー機構・JGTO会長が「私だけで無く、日本全国のゴルフファンや関係者等が待ち望んだ瞬間」とし「新型コロナウイルスの世界的な拡大によって、国民の皆さんの気持ちが落ち込んでいる状況の中でのマスターズ優勝と云う事で、本当に多くの方々に希望を与えて呉れたと思います。松山選手には祝福と同時に心から感謝いたします」と云うコメントを発表。テレビ出演の際には「ジーンとして下を向いて寝た振りをして居た」と涙した事を明かした。

 尾崎将司「日本プロゴルフ界の大偉業である。これは松山本人の挑戦力と勇気、そしてそれに必要な努力の結果である。最近の調子から余り期待をして居なかったが、今週のスイングは今迄と違って素晴らしかった。この松山に続く世界で通用する男子プロの出現を切に願う。本当におめでとう!」とコメントして居る。  
 そして、TBSの生中継で解説をして居た中嶋常幸。優勝の瞬間から放送ブースは号泣で、中嶋も「本当に好かっタア」と涙声を絞り出した。これで、貰い泣きした視聴者が多かった。表彰式後に松山と直接会話した際には「日本に帰って来たら(優勝者に与えられるグリーンジャケットに)袖を通させて呉れ」とお願いした。

 男子プロゴルフ界を牽引して来た「AON(青木・尾崎・中島の略称)」が、これ程迄に松山の優勝に感激したのは「メジャー制覇」が日本プロゴルフ界の悲願であり、AONも何度も挑戦しては跳ね返された経験があるからだ。  
 メジャー大会への日本選手の挑戦は1932年全英・全米両オープンに出場した宮本留吉から始まるが結果は何れも予選落ちだった。メジャーには、歴史の古い順から@全英オープン(1860年〜) A全米オープン(1895年〜) B全米プロ(1916年〜)そして Cマスターズがある。

 「球聖」と呼ばれたボビー・ジョーンズが1930年にアマチュアとして年間グランドスラム・・・全米・全英アマ・全米・全英オープンの4冠を達成した直後に引退。アメリカ・ジョージア州オーガスタにゴルフ場オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを造り、現役時代に戦った選手達を招待して1934年に第1回マスターズ(当時オーガスタ・インビテーション・トーナメント)が行われた。
 以後、4つの大会をメジャーと呼ぶ。マスターズには、2020年まで延べ132人の日本選手が出場して居る。1936年・戸田藤一郎と陳清水が初めて招待された。陳が20位戸田が29位。戸田は「招待試合だから遊びかと思って」と、前の日に飲み過ぎた事もあって初日81を叩いた事を生涯後悔して居たと云う。ここから日本選手の挑戦が始まった。

 河野高明が1969年13位・1970年12位に入り「リトル・コーノ」の愛称でパトロン(観客)の声援を受けた。1973年尾崎将が飛距離でパトロンの目を見張らせ8位と初めてトップ10に名を連ねた。1978年中嶋は13番ホールでクリークに入れて13を叩いて予選落ち。それでも挑戦を続け、筆者が取材した1986年には優勝争いに加わり、46歳ジャック・ニクラウス(アメリカ)の劇的優勝の陰に為ったが、日本選手初の4日間通算アンダーパーで8位に食い込んでいる。 
 青木14回(最高成績1985年16位)・尾崎将19回・中嶋11回とAONの挑戦でも夢は叶わ無かった。丸山茂樹は1998年から9年連続出場したが最高は14位(2002年)・2001年に伊澤利光が初の2桁アンダーで4位タイと初のトップ5に。2009年には片山晋呉が優勝スコアとは日本選手最少の2打差で4位に入った。日本選手が優勝の扉の前に立つ所まで来た。

 日本人のメジャー初挑戦から89年目での悲願

 歩みは遅かったが、着実に先輩達が道筋を着け、日本選手のマスターズ初挑戦から85年、日本プロゴルフ殿堂によるとメジャー挑戦で云えば89年・・・延べ663人目の松山で結実した。
 メジャーを勝つ難しさ苦しさを知って居る先輩達が、我が事の様に喜び泣いたのは、そんな歴史の上に立って居るからだ。昨年、2020年は1920年に福井覚治が日本で初めてプロゴルファーと云う職業に就いてから100周年に当たった。

 101年目の今年、松山が開いたメジャーの扉は日本プロゴルフ界の「新しい世紀」が始まった事を宣言したと云って好い。その新世紀を生きる事に為るのが、小学生・中学生・高校生ナどの若い世代だ。松山は会見でこう言っている。

 「これからゴルフを始めたり、10代とか高校生に影響があると思う。初めてのメジャーチャンピオンに為った事で、今迄だったら日本人には出来ないんじゃないかと云うのがあったと思うが、そこを覆す事が出来た。ヤッと日本人でも出来ることが判ったと思います。もっと好い影響を与えられる様に、僕はマダマダ頑張って行けたらと思います」  

 日本でも米国でも、タイガー・ウッズの登場で、それを目標にして育った今の選手も多い。松山も自覚して居る。今のそして将来の、ゴルフに関わる全ての人に影響を与える「日本選手メジャー初制覇」に為った。 (敬称略)

 赤坂 厚 スポーツライター

                   以上





 松山英樹がマスターズ制覇の快挙を成し遂げた 5つの勝因

 ディリー新潮 4/15(木) 6:01配信


4-15-1.jpg

                 松山英樹 4-15-1

 松山英樹(29)が最終日18番ホールのボギーパットを沈めた3秒後に、私は思わず泣いて居た。私は1986年大会からマスターズを取材して来たが、この年には中嶋常幸が8位タイに為り、1973年の日本人として初めて10位以内に入ったジャンボと並ぶベストスコアを出し「マア、好いとしよう、8位タイだもの」と喜んだ年である。
 それからは伊沢利光の4位タイ・片山晋呉の4位が出た。以来、松山がローアマに為った2011年迄、全く鳴かず飛ばずだった。

 ゴルフ記者を48年間続けている私も「タイガー・ウッズが出て来てからは絶望だナ。あるとすれば片山流の5番・9番ウッドを多用して高い球で止める技術しか無い」と諦めて居た。  
松山の場合も、8年前の全英オープン(ミュアフィールド)で見せた粘り強く、又ロングアイアンが抜群だった事から、この先の全英オープンを期待した。
 何分にもマスターズは規定競技みたいなもので、それもロングヒッターで短いクラブで高いボールを打ってグリーンに止めるパワーヒッター向きに改造された。全英オープン開催コースの様にリンクスで有るがママの自然なコースで無い為、体力の無い日本人には不向きである。松山はそれを遣って退けたのだから、ゴルフ記者歴48年の私は「松山は強く為ったナ」と感激した。  

 実は私自身、松山は又左親指の腱鞘炎(けんしょうえん)に苦しんで予選落ちかなと諦めて居た。3日目で2位に4打差を着けても左手親指が痛み出してボギーの連打で崩れるだろうと期待しなかった。腱鞘炎の一件では、アメリカツアーに参戦を決めた2014年の正月、私は都内のホテルの宴会場でマスコミに囲まれた彼に対し「左手の指の方は好く為ったそうですね」と質問したことがある。処が松山は記者達の前で怒って私を睨み着け何とも怪しい雲行きに為った。
 私は週刊新潮の枠で取材に臨んで居た。その後隣の会見室で記者会見だ。処が誰がどう言ったものか、幹事社の者が「週刊新潮は入ら無いで下さい」と私を除外して1時間半程アメリカ出発前の記者会見が行われた。私は外で待ち惚け何て事もあった。サテ、松山の勝因を分析するとこう為る。

 1. 決勝のペアリングに恵まれた  

 決勝の2日間を一緒に戦ったX・シャウフェレは、英米の選手ながら珍しく大人しく、仏教信者的な柔和さと思いやりのある好人物だった事である。父親はドイツとフランスのハーフで母親が日本育ちの台湾人で日本語がペラペラだと聞いて、ふとタイガー・ウッズを思い出した。
 英米のプロは平気で視界に入る所に立ったり、ショットで威圧する処がある。まるでマッチプレーの様に激しく闘志を剝き出しにし、自分が打つと後ろを振り返りもせずサッサと歩き出し、同伴者への思い槍など見せ無い。

 私は全米・全英オープンを何年も取材して来たが、競い出すとこうして必ず威圧する選手が少無くない。青木なら「何を、このヤロウ」と気を取り直して攻めて行くが、気の弱い日本人プロはそこからズルズルと崩れる。  
 処がシャウフェレは3日目15番でイーグルを決めると、話し掛けて拳を突き合わせて互いに励ました。マスターズでは見られ無い美しい光景だった。片言の日本語で松山に好く話し掛け、ジョークで笑わせて居たとも云われる。私は彼が勝つと好いなとも思った。
 松山に取って、プレッシャーの掛かる3日目・4日目をこうした人間と回れた幸運は、勝利への隠れた大きな要因に為ったに違い無い。

 2. 新ルールでパットラインが修理出来た事

 今年のグリーンは固く雨上がりの所為で重かった。多くの選手がパットをショートして居た。速いグリーンのタッチが体に染み着いている選手程タッチが出せ無いで居る。「分かって居るが打て無い」のである。 グリーンのコンディションも、最終組が回る頃には全選手とキャディの体重がグリーンを踏み着けるのでパットラインが凸凹に為る。マキロイがパットに泣いて優勝出来無かった時は、ラインが出せ無かった所為だった。2年前に改正された新ルールでスパイク跡等を修理出来る様に為ったので公平なパットが出来たのである。

 3. 松山は怒らず、平静を保った  

 これ迄の松山はミスすると感情をムキ出してパターで靴やグリーンの芝を叩いたりして、注意された事があった。今年のマスターズでは目沢秀憲(30)コーチを同伴し、スイングをチェックして貰ったり、悩みを聞いて貰ってメンタル面で強く為っている。
 平常心が保てたのは目沢コーチとの相性から來る。過つて私が友利勝良プロの欧州ツアーに3か月間同行した時の事だが、必ず2人程、心理学者風のメンタルトレーナーが売り込みに来て居た。1回50ポンド(約7,500円)が相場で、悩みごと・戦う心理状態について話を聞いて呉れる。松山の目沢コーチはゴルフを知って居る上に、話を聞いて呉れるのでメンタル効果があったのだろう。怒ら無く為って居た。

 4. 15番ボギーが幸運を呼ぶ  

 松山が最終日15番第2打をキャリーでグリーンオーバーさせて池に入れてしまったが、16番池近くからワンペナ払ってアプローチし、ボギーに為った事は幸運だった。バーディを決めて-10として2打差に迫ったシャウフェレは行け行けドンドンで16番もバーディを決め様と9番アイアンでピンを狙った。処が彼のトップを見た時、高過ぎると思った。

 短いクラブで狙う時は往々にしてバックスイングが大きく為る。するとフック系のボールに為り勝ち。ドロー系のシャウフェレには16番のピンは左手前にあって攻め易いので狙ったが失敗した。逆にフェード系の松山には攻め難い。ピンの右に落としてランで寄せる作戦に出ているが、余りにも完璧過ぎてボールが止まってしまった。ピンを背負う形でのファストパットをいきなりボギーにするが、シャウフェレの池ポチャのダボに救われた。グラブ選択にも迷わ無かった。

 5. 風が吹か無かった  

 オーガスタの11・12・13番は右手の13番ホール側から風が下りて來る。しかし今年は4日間、こうした風は無かった。17番池も波が立た無かった。このことが、アイアンがフェード系の松山に味方した。 しかし松山が優勝すると俄(にわか)にそよ風が吹き、応援するスポンサーのロゴが輝いて見えた。
 それにしてもオーガスタは余りにも改造し過ぎだ。これではアマチュアは予選パスさえ不可能に為った。ボビー・ジョンズのアマチュア優勝希望も絶望的に為った。本来のマスターズに戻して欲しい。

 早瀬利之 作家・ゴルフ評論家  デイリー新潮取材班編集 2021年4月15日 掲載

 新潮社    以上













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