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2020年05月05日

130人の子供が失踪 謎の事件が伝説に変わる迄




 130人の子供が失踪 謎の事件が伝説に変わる迄

            〜JBpress 佐藤 けんいち 5/5(火) 8:00配信〜


      050507.jpg

     現存する最古(1592年)の笛吹き男の絵画(出所 Wikipedia)

 本日5月5日は「こどもの日」だ。とは云え、新型コロナウイルスのパンデミックに伴い日本国内でも「緊急事態宣言」が発令中である。「不要不急」の外出は自粛する様要請されて居る事も有り、例年とは異なる「こどもの日」と為る事だろう。
 緊急事態宣言は昨日(5月4日)5月31日迄延長される事に為った。ウイルスと云う「見えない敵」との戦いである以上、仕方の無い事だ。本日もStay at Homeで行きましょう。

              050508.jpg

     文 佐藤 けんいち 著述家 経営コンサルタント ケン・マネジメント代表
 
 と云う訳で「こどもの日」だから子どもに因んだ話にしたいと思うのだが、内容は子供向けの話では無い。子供達が集団で誘拐された事件に付いて打。それもヨーロッパ中世の話である。しかも、今から700年以上も前の13世紀の話である。
 ここ迄書いて来れば、判って居る人は直ぐにピンと来る事だろう。ドイツ北部の都市ハーメルンで発生した「事件」の事だ。所謂「ハーメルンの笛吹き男」の事である。
 医療活動やビジネスと比べたら、歴史等「不要不急」と見做され勝ちだが、コンな時期だからコソ、株価や円相場の様にリアルタイムで更新されて居るコロナ関連情報に一喜一憂するのでは無く「アフターコロナ時代」に向けて、長期或いは超長期のスパンでものを考える為の機会としようではないか。本当は、歴史コソ重要なのだと云う話をしたいと思うのである。

 「ハーメルンの笛吹き男」伝説に反映する黒死病

 今から736年前の1284年6月26日、ドイツ北部の都市ハーメルンで、子供が130人も集団で失踪すると云う事件が発生して居る。これは否定しようが無い「歴史的事実」である。だが、明らかに為って居るのはそこ迄だ。何時、何処で、誰が消えたのか迄は判って居る。
 と云っても、失踪した子供達の名前が全て判って居る訳では無い。だが、どの様に失踪したのか、何処に行ってしまったのか、何故130人も一緒に蒸発してしまったのか、迄は判ら無い。正にミステリーである。謎は謎のママ伝説化されて現在に至る。

 そんなミステリーに挑戦したのが歴史家の阿部謹也先生である。『ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界』(平凡社 1974 文庫版はちくま文庫から1988年)がその成果だ。大学学部時代の恩師なので、敬称付きで記述する事をお許し頂きたい。
 この「伝説」は、観光用に再現されて居て有名だ。カラフルな衣装を身に纏ったネズミ獲り男の寸劇を、現地で実際に見学した人も居るだろう。ストーリーを極簡単に要約すると以下の様に為る。

 「高名なネズミ獲り男」と云う触れ込みでハーメルンに現れた「異人」。収穫した小麦がネズミに食べられる被害に困って居たので大いに歓迎された。
 見事にネズミを駆除して見せたが、約束の報酬が支払われ無かった事に腹を立てたネズミ獲り男は、笛に釣られて集まって来た子供達を連れてそのママ忽然と姿を消す。戻って来たのは、耳は聞こえるが目が見え無い子供と、目は見えるが耳が聞こえ無い子供の2人だけだった。

 中世後期の13世紀の「歴史的事実」がコアと為って、何度も何度も繰り返し語られる内に尾鰭(おひれ)が付いて「伝説」と為ったのだが、元々は「笛吹き男」が子供達を連れ去ったのだった。それが、中世から近世への転換期であった激動の16世紀には、魔術的能力を持つ「ネズミ獲り男」と合体し「笛を吹くネズミ獲り男」として現在迄伝承されて居る形に為ったのだ。
 そのプロセスを「社会史」と云う歴史学の新しい手法で描いたのが、阿部先生の『ハーメルンの笛吹き男』なのである。

 「笛吹き男伝説」から「ネズミ獲り男伝説」への変貌に当たっては、16世紀前半に都市ハーメルンが体験した大火・黒死病(ペスト)・大洪水等の人間がコントロール出来無い災害が反映して居る事が明らかにされた。自然災害と感染症の蔓延は半端では無かった。
 民衆が苦しむ状況に、更に追い打ちを掛けたのが、16世紀前半のドイツで始まった「宗教改革」である。ハーメルンは都市ぐるみでルター派と為ったのだが、キリスト教徒同士の「宗教戦争」に巻き込まれ、同時代の日本と同様、当たり前の様に人が殺されて行く戦国時代の様相を呈するに至ったのであった。21世紀の現在とは比べようも無い程、生きる事そのものが過酷な時代だった。

 そもそも「ネズミ獲り男伝説」を育て上げた都市下層民達の生活は、恒常的に続く飢えに苛(さいな)まれて居た。都市は城壁に依って防衛されて居たが、警察制度は誕生して居らず自力救済が当たり前の時代であった。この中世の延長線上に有るのが現代の米国なのである。参考・・・コレだけ事件が起きても米国で銃規制が進ま無い理由。
 西洋も日本もそうだが、過酷な中世に比べたら、21世紀の新型コロナウイルス等ものの内にも入ら無いではないか!そう思うべきでは無いか。
 『ハーメルンの笛吹き男』は、1988年にちくま文庫で文庫化されロングセラーと為って居るが、何故か今ブームが再燃して居るのだと云う。新型コロナウイルスの国内感染発生以前の事だが、今年の初めに大手書店でコンな感じで陳列されて居たのには大いに驚かされた。

 阿部先生が亡く為ってから既に14年。月日が経つのは早いが、こう遣ってブームが再燃する事で、それ以外の著作への関心が拡がって呉れると好いナアと、弟子の一人として切に願う・・・勿論『ハーメルンの笛吹き男』と同時期の研究成果で「東方植民運動」を扱った、500ページ強の本格的研究書 『ドイツ中世後期の世界-ドイツ騎士修道会史の研究』(未来社 1974)を読めと迄は言わないが。

 中世史研究にはイマジネーションが不可欠
 
 世界的なベストセラーであり、未だにロングセラーとして売れ続けて居る『サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社 2006)を読んだ人も、少なく無いだろう。ホモ・サピエンス・人類が、大脳の発達に依って言語を獲得し、様々なフィクション・虚構を構築する事で、如何に生物学的制約を乗り越えて急速に発展して来たか、その歴史を辿った作品だ。
 ホモ・サピエンスが急速に地球上の覇権を握った先史時代から、人工知能・AIの進展に依って覇権を失うで有ろう近未来迄、超長期の歴史を一気通貫に記述して居る。

 『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ教授は、最近では自ら哲学者と名乗って居るが、元々はイスラエルの歴史学者である。だが、歴史学と云っても、ソモソモの専攻が何で在ったか迄気にして居る人は余り多く無いのでは無いだろうか。
 ハラリ氏の専攻は、実はヨーロッパ中世史と軍事史であり、この分野で数冊の著書も有る。例えば Special Operations in the Age of Chivalry, 1100〜1550 (日本語だと、『騎士の時代の特殊作戦』と為ろう)は、電子書籍版で入手可能だ。

 1948年に建国されたイスラエルの在るパレスチナ地域は、中世に於いては「十字軍」の舞台であった。中世史の研究は、現代に生きるイスラエル人に取っては、自分が暮らして居る土地の歴史を研究する事に為る訳だ。この様に中世史の研究者が、本来の専門分野を超えて活躍する事は少無くない。
 自らの捕虜体験を描いたノンフィクション『アーロン収容所』で一躍有名に為り、文明評論家として活躍した会田雄次氏は、元々中世後期のイタリア・ルネサンスの研究者であった。『ハーメルンの笛吹き男』の阿部先生も又、研究生活の後半に於いては「世間論」で、日本社会の「見えざる構造」を明らかにする事に注力し、旺盛な評論活動を行って居た。

 ソモソモ中世史は、近現代史と比較すると、残された史料が余りにも少ない。だから、限られた史料を基に、イマジネーションをフルに発揮する事が求められるのである。これは西洋史だろうが日本史だろうが変わら無い。
 失われたパズルのピースを仮説的推論に依って再現し、全体像を再構築すると云う知的作業が、中世史の研究者に求められるのである。専門の歴史学に留まらず、考古学や人類学、その他の関連諸分野をフル動員する事も求められる。
 又、中世史とは文字通り、古代史と近現代史と中間に位置する時代である。遡れば古代であり、下って行けば近現代と為る。詰り、古代と近現代を共に相対化して見る事の出来るポジション云う事に為る。

 現在は当たり前と為って居る事も、時代を遡ってみたらそうでは無かった事、又未来永劫に続くものでは無い事も判るのである。相対化とはそう云うことだ。これはモノだけで無く、コトに付いても、目に見え無い意識に付いても同様だ。
 こう云った知的訓練を受けて来た中世史の研究者が、狭い専門分野を超えて社会的発言をするのは、或る意味では不思議な事では無いのである。
 阿部先生はゼミナールでは、中世や古代に遡る事は、未来世界を想像するSF・サイエンス・フィクションの様なものだと語って居た。過去も未来も、共に未知の世界だからだ。過去と未来では向かう方向が違うが、現在を軸にして働かせるイマジネーションの質は、基本的に似た様なものだと考えて好いのだろう。

 大学時代のゼミナールを振り返ってみる
 
 ゼミナールの話が出たので、どの様な授業が行われて居たのか、参考迄に私の学生時代のゼミナール経験を記して置きたいと思う。
 ゼミナールとは少人数で行われる演習の事だが、近代ドイツの大学制度に由来するものである。教師と学生との双方向の対話を前提として居り、一方通行のレクチャーとは根本的に異なる性格を持つ。しかも、参加メンバー同士のインタラクションも促されるので、様々な気付きを得る事も出来る。合計3年間、教えを受けた訳だが、大学2年に時の前期ゼミでは、20世紀前半の米国の著名な中世史家C.H.ハスキンズの『12世紀ルネサンス』を輪読して居る。当時は未だ日本語訳は無かったと思う。

 この時は参加人数が多かったが、大学3年に為ってからの本格的な後期ゼミでは参加メンバーは足った6人であった。阿部先生は当時既に著名人であったが、ソモソモ歴史学は就職に直結する訳では無く、しかも履修に当たってはドイツ語かフランス語のドチラか一方は必修と云う前提条件も有り、語学的にキツいゼミだとして敬遠されて居た様だ。
 後期ゼミでは、フランスの歴史家エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリーの『モンタイユ-ピレネーの村 1294〜1324』を輪読した。中世のフランス南部を描いた作品だ。フランス語が読める学生は原文で、ドイツ語の判る学生はそのドイツ語訳で読む。この時点では未だ日本語訳は無かった。何故この本が購読に使われたのか好く判ら無いが、自分が読みたい本を輪読のタイトルとして指定された様だ。

 ゼミナールが始まって最初に言われたのは「ゼミでは日本語の本は読みません。外国語の本の読み方は判ら無いだろうからトレーニングします」更にこう云う意味の事を言われた。「私は就職の世話はしませんのであしからず」
 後者の発言には気が引き締まる思いをしたものだ。こう云う事は、予め最初の段階で言って置いて貰った方が好い。自分の道は自分で切り開か無くては為ら無いと云う覚悟が出来るからだ。「歴史では喰え無い」と云うのは、昔から言われて来た事だ。

 『モンタイユ』も最初の100ページ位迄読んで、それで終わり。4年生に為ってからは、夫々卒論テーマを決めて、進捗状況の報告を行い、その場で質疑応答とコメントが為される。卒論を執筆する事は必修であり、最初の段階からテーマを決める事が求められて居た。
 「卒論テーマは、何を選んでも好い」と言われて居たのだが、これが想像以上の難題で在った。テーマを最終的に決める迄1年も掛かってしまった。『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』と云うのが卒論のタイトルだ。自分のアタマで考え抜いて自分で決める訓練の一環だったのだろう。こう云う訓練は、速い段階で遣って置いた方が好い。

 「そう云うテーマで書くなら、この本を読んだら好い」と行って、夏休み前に参考と為りそうな原書を蔵書から何冊か貸して頂いた。為る程アカデミックな歴史学者と云うものは、こんな風に線を引いたり書き込みをしながら本を読むのかと思ったものだ。これも又実地教育で在ったのだろう。
 その中の1冊が、米国の中世史家Lester K. Little のReligious Poverty and Profit Economy in Medieval Europe(日本語なら『中世ヨーロッパにおける清貧と営利経済』と為ろう)と云う本だった。「贈与経済」から「営利経済」への移行期に在った中世社会を扱った論文集である。残念ながら、現在に至る迄日本語訳が無い。
 こう行った「資本主義成立前」の世界を扱った本を読んで居ると、資本主義が飽く迄も歴史的存在で有る事が判るし「資本主義衰退後」の世界に付いてイメージする事も或る程度迄可能と為る。中世史を研究する事の効用の1つとして加えて置こう。

 ケーススタディは歴史研究に通じる 

 ビジネスの世界でも歴史研究が行われる。所謂経営史であるが、それ以外にも、ビジネススクール(経営大学院)の経営教育で行われるケーススタディは、歴史そのものだと云って好いだろう。ビジネススクールとは、所謂MBA・経営学修士の事である。私も、20歳代の終わりに米国に留学してMBAを取得して居るので、その経験を基に簡単に説明して置こう。

 ケーススタディと云えば、ハーバード・ビジネス・スクール・HBSが最も有名だ。ケーススタディとは事例研究の事だが、元々は法律学の分野で発達して来た判例研究を、ハーバード大学が20世紀初頭にビジネス教育にヨコ展開したものだ。これも又イノベーションの一形態と行って好いだろう。
 ケーススタディで扱われるのは、その性格上、全て過去に起こったビジネス上の出来事が文字化され、経営数字と共にまとめられて居る。従って、ケーススタディに記載されて居る情報は、リアルタイムのものでは無い。
 ケーススタディを使用した授業とは、記載された情報とデータだけを基にして思考を展開し、授業で発言し、ファシリテーターである教師や参加メンバー同士で対話するのである。自分が経営者だったら、或いはその他のポジションに居る立場だったら、こう考えこう実行して行くと云うストーリーを作る事が求められる。

 大抵のケースに付いては、扱われた企業が如何なる経過を辿って現在に至って居るかは、ネットで調べれば直ぐにでも判る事だ。だが、重要な事は、ビジネスでは答えは一つでは無いと云う事。何故なら、主体で或るビジネスパーソンの意志と行動は、競合の存在や外部環境に依って制約を受ける為、必ずしも自分が思っている通りには進ま無いからだ。現在の状況は、飽く迄も結果に過ぎ無いのであり、誰も結果そのものを事前にコントロールする事は出来無いのである。
 だからこそ「もし〜なら・・」と云う「イフ」による仮定思考が重要に為る。制約条件の基で、如何に最適な行動を執るかに依って、結果は自ずから変わって来るのであり、もしかすると、今有る状態だって、そう為ら無かった可能性も有るからだ。

 こう云う思考訓練を行うのが、ビジネススクールのケーススタディなのである。そして、出来る歴史家は、実は同じ事を遣って居るのである。凡庸な歴史家は得意気に「歴史にイフは無い」と口にするが、騙されてはいけ無い。そう云う考えに拘って居たら、ビジネスと歴史は永遠に相交わる事等在り得ないではないか。

 ビジネスパーソンは誰もが日々歴史を作って居る

 ビジネスに限らず、仕事をと云うものは、常に先を見据えて行うと云うマインドセットがベースに有るので、ビジネスと歴史は本来的に異なる存在だと見做され勝ちだ。だが、こう考える事も出来るだろう。ビジネスパーソンは或る意味で歴史を作って居る訳であり、自分が日々遣って居る事の軌跡が歴史に為るのだと。そう考えると、自分が遣って居る仕事に意味を見い出す事が出来るのでは無いだろうか。
 またどんな仕事であっても、実際にプリントアウトしなくてもペーパーワークから逃れる事は出来無い。文書を読み文書を作成すると云う作業だ。ビジネス関連資料を読み、作成する作業をしながら20歳代の前半に私が思って居たのは、ビジネスパーソンとして遣って居る子とは、歴史家が遣って居る事と余り変わら無いのではないか、と云う事だ。

 歴史家は、過去の「史料」を読み熟して読解するが、ビジネスパーソンは現代の「資料」を読み熟し処理して行く必要がある。ビジネスパーソンが日々作成して居るビジネス文書も、時間が経過したら歴史的資料、即ち「史料」に為り得るのである。
 そう云うマインドセットを持って仕事をして居ると、例え間接的で囁かな形であっても、自分が歴史の形成に参加して居る事が判る筈だ。そうで在ってコソ、ビジネスパーソンが歴史を知る意味が生まれて来ると云うものだ。

 ビジネスパーソンである私が『ビジネスパーソンの為の近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)を執筆したのは、そう云う背景がある。是非皆さんも、歴史形成に参加して居ると云う意識を持って、日々の仕事に取り組んで欲しいと思う。


             佐藤 けんいち      以上



















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