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2020年01月31日

ロッテ創業者の重光武雄氏が死去



 
 ロッテ創業者の重光武雄氏が死去 韓国出身 98歳

         コピーライトマーク一般社団法人共同通信社 2020/1/19 20:51 (JST) 〜


             yjimageX87JDBQV.jpg

 【ソウル共同】ロッテグループを創業したロッテHD名誉会長の重光武雄(しげみつ・たけお、本名・辛格浩=シン・ギョクホ)氏が19日午後4時半(日本時間同)頃、老衰の為ソウル市内の病院で死去した。98歳。

 戦後日本で、チューインガムの成功をスタートにロッテを菓子業界大手に育て上げた。韓国にも逆上陸し、製菓に留まらずホテルや流通業に進出。ワンマンのオーナー経営者として知られ、日韓を往復し多くのグループ企業を率いた。1921年、韓国南東部・蔚山市生まれ。1940年代前半に日本へ渡った。終戦後に東京で化粧品の製造に乗り出し、稼いだ資金で1948年にロッテを設立した。

 ロッテ・重光オーナーとは、どの様な人なのでしょうか。参考文章が探せ無かったので、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ロッテグループ・重光 武雄(辛 格浩)から抜粋し引用します。 

 重光 武雄(辛 格浩)しげみつ たけお(シン・キョッコ) 

 生誕 1921年11月3日 (戸籍上は1922年10月4日) 日本統治下朝鮮・慶尚南道蔚山郡・蔚山広域市
 死没 2020年1月19日(98歳没)
 国籍 大韓民国
 出身校 早稲田実業学校
 職業 ロッテグループ創業者・総括会長 ロッテホールディングス取締役名誉会長 千葉ロッテマリーンズ代表取締役オーナー 韓国ロッテ・ジャイアンツオーナー

 重光 武雄 1921年11月3日生 日本の実業家。日本統治時代の朝鮮慶尚南道蔚山郡(現・蔚山広域市)出身の在日韓国人一世で、本名は辛 格浩( シン・キョクホ、又はシン・キョッコ)。韓国第5位のロッテグループ財閥の元総帥

 経歴 1921年、日本統治時代の朝鮮(現・大韓民国)の慶尚南道蔚山郡で5男5女の長男として誕生。戸籍上の生年月日は1922年10月4日。しかし老人が牛耳る故郷に未来は無いと見切りを着け、妻と娘を残したママ1941年に関釜連絡船に乗って所持金僅か83円で日本本土へ転居。
 文学徒を夢見て居たので文学を専攻する積りだったが、徴兵を避けるには工学の専攻が必要と云う事に為り、化学工学を専攻した。新聞・牛乳配達等をしながら1944年に早稲田実業学校を卒業した。

 日本人の友人の勧めで切削油生産工場を設立し事業を開始。戦時中の連合国の爆撃で建設したばかりの工場は全焼したが、アルバイトで働く学生時代の辛の誠実な性格を信じて5〜6万円と云う多額を出資した日本人投資家は、稼働前に工場が爆撃で灰に為っても辛を最後迄信じた。辛は崩れた軍需工場で石鹸を作って再起し、日本人投資家に借金を1年半で全額返済。感謝の気持ちで住宅1軒を贈った。
 1945年太平洋戦争が終結。進駐軍が持ち込んだチューインガムが人気を博して居るのを見て、1947年にガム製造に乗り出す。1948年6月に株式会社ロッテ設立、代表取締役社長に就任する。ゲーテの若きウェルテルの悩みを愛読して居た辛が主人公シャルロッテより名前を捕った。
 ロッテのガムは人気を博し、辛は実業家として成功を収めた。1954年、サッカーW杯予選出場の為に来日する韓国代表チームの支援活動を始める。後に1964年東京オリンピックの韓国選手団を支援した。

 祖国の観光業への参入

 1965年の日韓基本条約によって両国関係が正常化し、1967年4月、祖国に貢献すると云う信念を引っ下げ韓国にロッテ製菓を設立。日本で稼いだ資金で一方的に韓国に投資し、その逆は無かった。辛は韓国に進出する際、食品会社では無く重化学会社の設立を希望して居たが、石油化学事業はLGグループが事業者に為って断念した。
 製鉄業を朴正煕大統領に勧められたが、後にポスコと云う半官半民の会社が遣ることに為って製鉄業も諦めた。ヤガテ資源が乏しい韓国には観光立国作りが必要に為ると考え、しかし韓国には一流ホテルが無かった為将来性があると判断し観光業への参入を決めた。

 ホテル業の経験は無かったので世界各国にある一流ホテルを回って勉強し、国際観光公社(現在の韓国観光公社)が経営して居た半島ホテルを買収した上で、日本の帝国ホテルをモデルにした38階建てのロッテホテルを建設する事にした。
 ホテルは1979年に完成し成功を収め、1988年のソウルオリンピックの際には同ホテルに五輪組織委員会本部が置かれた。こうした功績が評価され、1995年には観光産業分野では初めて金塔産業勲章を受章した。1997年3月に釜山ロッテワールドがオープン。開館式のテープカットには日本の元首相4人が参加し、交遊の幅広さを示した。

 野球との関わり

 1969年、親交のあった岸信介元首相による仲介で、東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のスポンサーと為った事から野球との関わりが始まった。球団名をロッテオリオンズとするが、球団経営は引き続き大映に委ねた。
 その後、大映の経営危機により、1971年に正式にロッテオリオンズの経営権を譲り受けるが、オーナー職は球団の個人株主で大映経営時代の副オーナーだった中村長芳に委ねた。1972年に中村が退任して他球団の経営権を買収した為、11月にロッテオリオンズのオーナーに就任した。

 しかし、元来は野球よりサッカーが好きであったとも言われ、オーナー会議や球場にはホボ姿を見せず、現場を訪れたのは1973年7月11日の神宮球場での対日拓ホームフライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)戦や1984年8月25日の川崎球場での対西武ライオンズ戦など数度に留まる。

 晩年 2009年7月1日、創業以来務めて来たロッテグループ社長を退き会長に就任。2015年7月には代表権の無い名誉会長に退いた。
 2017年、次男の昭夫と共に勤務実態の無い親族等に計500億ウォン(当時のレートで約52億円)台の給与を支払う等したとして横領・脱税等の罪に問われ12月22日に懲役4年(求刑懲役10年)を言い渡され、2019年に刑が確定したが健康上の理由から収監はされ無かった。 2020年1月19日、ソウル市内の病院で老衰の為死去した。98歳没。これにより、1960年代に韓国の急速な高度経済成長(漢江の奇跡)を支えた10大財閥の創業者は全員世を去った。

 三つの経営原則 

 1 理解出来ていない事業には行き成り手を付けないこと。
 2 可能性がある事業を始める時は徹底的に調査をしながら準備すると云う事。
 3 事業に失敗しても株主も経営者も誰も被害を受け無い範囲で投資資金を借り入れること。

                 以上









 そのロッテが聞く処によると、現在、創業家のお家騒動の渦中にあるらしい。それに関する報道の一部を下記する。



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 ロッテホールディングス(HD)の取締役を2015年1月に解任された重光宏之氏が、プレジデントオンラインの取材に応じた。宏之氏は創業者の重光武雄氏の長男。ロッテグループの経営権を巡って創業家のお家騒動が続いて居る。その舞台裏を直撃した。

 重光宏之ロッテHD前副会長激白! 「従業員持ち株会の27%がカギを握る」

          〜PRESIDENT Online ジャーナリスト 松崎 隆司〜
 

 虚偽やそれに近い理由で追い出された

 ・・・現経営陣に対する現在の気持ちは。

 大変残念な事が起きたので早く解決したい。ロッテホールディングス(HD)社長の佃(孝之)さんは私を虚偽やそれに近い様な理由で追い出した上、現経営陣は創業者である重光武雄会長の代表権も剥奪してしまった。そんな人間達が経営者として居座って居る事は大変残念な事だと思って居ます。

 ・・・宏之さんは2014年12月、ロッテHDの副会長やグループ会社の取締役を解任された訳ですが、何故この様なクーデターが起こったのですか。

 切っ掛けは2014年後半から年末に掛けて佃さんが代表取締役会長をして居た父・重光武雄に虚偽や著しく誇張した説明をした事からです。佃さんに促され、会長は私の解任に同意しました。その後12月にはロッテHDから取締役の辞任を求められ、そして26日にはロッテHDの取締役会で副会長の解職が決議されました。その後グループ会社計26社の取締役も解任されました。

 ・・・佃社長は武雄会長にどの様な話をしたのでしょうか。

 元々佃さんが社内を活性化させたいと云う事で、1億円迄の新規事業を募集したのです。その中に私が代表取締役を兼務して居た子会社の社員が出した提案があり、それが審査を経て最終的に残ったのです。只、金額は1億円では済ま無いものだったのでそれをどうしようかと云う話に為り、佃さんが議長をして居た取締役会に掛けて全会一致の承認を得、支払いも必要な決裁を受けて居ました。
 処が佃さんは、皆が止めたにも関わらず私が勝手に事業化を進めて、大きな損失を出したかの様に会長に報告したのです。しかも組んだ相手は私の悪い友人で、会社のお金を騙し取られたと会長に再三再四、吹き込んだ様です。
 実際には佃さんが議長をして居る取締役会で全会一致で決めた事ですし、支払先は上場して居る大手電機会社の子会社です。云い加減な会社ではありません。それを会長には捻じ曲げて報告してしまったのです。

 ・・・それは取締役議事録にも載って居る事ですから、直ぐに誤解を解く事が出来たのではないですか。

 会長は一旦相手を信じるとナカナカ考えを変え無い。それを納得して貰うのに時間が掛かってしまいました。それでも7月に為って、会長も騙された事に気が付いたんです。それで7月3日に業務報告に来て居た佃さんを厳しく詰問して、辞任を求めた訳です。
 佃さんは「長い間お世話に為りました」と言って下がって行ったのですが、辞めずにそのママ居座ってしまいました。本人は「自分は辞めるとは言ったが、何時とは言って居ない」と言って開き直って居るそうです。

 韓国を担当して居た弟はそれ迄全ての人事に付いて決裁を仰いで居た会長の了解を得る事無く7月15日に勝手にロッテHDの代表取締役にも就任して居る。
 会長は92歳(当時)と可成りの高齢で、2011年頃から、韓国の執務室に常駐して居たのですが「事態を収束させる為なら日本にでも何処にでも行く。取締役達にも幾らでも事実を説明する」と言って呉れました。

 そして会長自ら7月27日にロッテ本社に赴いたのです。取締役を辞めさせるのは株主総会でしか出来ませんので、先ずは職務権限を無くして解職しました。その上で新たに執行役員を任命して会社の運営に当たらせる様にしたのですが、現経営陣達はこれも事実を曲げて対外的には「取締役を解任しようとした」と発表しました。
 佃さんはこれ迄に私を含めて7・8人の役員を辞めさせ、自分達の息の掛かった者達を役員にして居ます。そして7月28日にはトウトウ創業者である会長をロッテHDの代表取締役から解任し、名誉会長に棚上げしてしまいました。

 中国投資で大きな損失が出て居る

 ・・・今回のクーデターの背景には韓国ロッテの大きな問題も隠されて居ると云われていますが。

 会長は経営の怠慢で損失を出す事に非常に厳しい。佃さんの話を聞いた会長から私も非常に怒られました。しかしそれ以上に大きな損失を弟(重光昭夫)が中国投資で出して居たのです。今判って居るだけでも中国や香港で5年間で1兆ウォンの損失を出して居ます。これを会長にはキチンと報告して居なかった。

 ・・・兄弟の対立の切っ掛けは、元々宏之さんが韓国ロッテのロッテ製菓の株を買い集め様とした事が切っ掛けと為ったと云う話も出て居ますが

 アレは父からは株を買う様言われて買ったのです。その時、全然関係無い企業の株を買っても仕方ありませんから、ロッテ製菓の株を買ったのです。

 ・・・ロッテグループは日本と韓国の2つに分かれて居て、複雑な株主構成に為って居ると云われて居ますが、どの様な組織に為って居るのでしょうか。

 韓国ロッテは、ホテル・ロッテが持ち株会社に近い役割を果たして居ます。韓国では持ち株会社が認められて居ませんでした。又ホテル・ロッテが出来た当時は外国からの投資の規制が非常に厳かったのですが、ホテルはその例外的な業種だったのです。だからソコを窓口にして成長分野に投資をして来ましたし、M&A をして会社を買収して行く内に資本関係が入り組んで行ってしまったのです。

 日本の場合も、会社の構造がヤヤ複雑だと言われ、以前は事業会社であるロッテが持ち株会社の様な役割を果たして居たのですがこれを分離し、2007年に持ち株会社であるロッテ・ホールディングスを立ち上げました。
 資本関係が複雑だと配当に対して余計に課税されてしまう。ソコで持ち株会社と事業会社を分離する事によって、資本関係をスッキリとした形に整理したのです。只それでも、日本の税制と韓国の税制が異なりますので、それを満たす為には可成り複雑な構造に為り時間が掛かってしまって今の形に為って居ます。

 ・・・韓国と日本のロッテは持ち合いの様な状態に為って居るのですか。

 それはありません。日本のロッテグループは持ち株会社がロッテ・ホールディングス、その下に事業会社であるロッテがあり、投資会社としてはロッテ・ストラテジックインベストメントと云う会社が韓国投資への日本側の窓口に為って居ます。
 その下には元々ホテル・ロッテの株を持って居たL投資会社と云う会社があります。これは元々事業をして居た会社なんですが、韓国では会社が分割等で名義が変わってしまうと、売買された扱いと為り課税されてしまうので、それが無い様に、分割した会社を残して居るのです。最終的にはロッテホールディングスが持ち株会社に為って居ます。只傘下の会社ではどうしても持ち合いの様なものが起きてしまって居るのです。

 「人を裏切ら無い」「人に迷惑を掛け無い」

 ・・・昭夫副会長は新聞のインタビューに答えて、事業会社のロッテの上場を検討する方針だと答えて居ますが、それに付いてはどの様に考えていますか。

 事業会社のロッテを上場すると弟が発言した事が報じられて居る事は知って居ます。しかしその真意は好く判りません。事業会社のロッテは製造部門で販売はロッテ商事が担当して居ます。製造部門だけを上場させると云うのはどう云う事を意味して居るのでしょうか。
 会社のコンプライアンスや透明性を強化する為に上場するのであれば、ロッテホールディングスを上場すべきなのではないでしょうか。只最近は相当無理してM&Aをして居る様ですから、その為の財源の手当てが必要なのかも知れません。

 ・・・韓国でもホテル・ロッテの2016年に向けて上場を準備して居るそうですが。

 中国投資での大きな損失に加えて、サムソンケミカルを買収し様としてしますので、向こうは大きな資金需要がある。そうした中でホテルロッテを上場させ様として居ました。只ホテルロッテの収益構造を見てみると、ホテル部門では殆ど収益が挙がって居らず、免税店の事業で利益を出して居るのです。
 免税店事業の売り上げの半分は、本店とチャムシルにあるロッテ・ワールド内に在る2つの免税店です。韓国では免税店事業の免許が5年毎に見直される事に為り、韓国ロッテグループはワールドタワー店の免許を更新する事が出来なかったのです。此処は最近、3000億ウォン掛けて大規模な設備投資迄して居たにも関わらずです。その為ホテルの企業価値が可成り落ちてしまい、上場で入ると見込んで居るキャピタルゲインも半減してしまって居る様で、資金調達の見通しが可成り厳しく為って居る様です。

 ・・・従業員や会社関係社に対してはどの様に思って居るのですか。


 大変申し訳無いと思って居ます。早く収めないといけ無いと思います。只、今のママで好いのか。真面目にものを作って、世の中に無かった商品を作ってお客様に指示をされて伸びて来た会社です。今のロッテHDの取締役は8人居るのですが、父を除けば、お菓子の製造や開発に関わって来た人はもう一人も居ません。
 佃さんや小林さんは銀行出身ですし、弟は証券会社出身です。アトは広告代理店から来た人が一人、営業と資材・購買に居た人達です。それに社外取締役が一人居るだけです。消費者は今、食品会社に対しては非常に厳しい対応をする様に為って居ますが、何か事故が起きた場合に、正しい対応が取れるのか心配で為りません。

 ・・・クーデター以降、佃社長や昭夫副会長が経営の実権を握って居る訳ですが、そうした経営手法をどう思いますか。

 金融関係者が役員に多い所為か、どうしても減点法の様な評価体制に為って居る様です。しかし製造業と云うのは、減点法では無く加点法で評価して挙げなければ伸び無い。失敗したから始末書を書けと言われて居たら、社員はドンドン萎縮してしまう。好い処を評価しながら遣って行かないと、メーカーの仕事と云うのは上手く回ら無いと思います。

 ・・・ロッテとはソモソモどの様な会社なのですか。創業者の理念とは。

 会長は20歳位の時に韓国から日本に出て来て、戦争の最中相当苦労したそうです。それでも知り合いから「自分の空いて居る工場を使って好いから」と言われモノ作りを始める。処が戦争で工場が焼かれてしまい、仕事を続ける事が出来無く為ってしまった。
 それでも信頼して呉れた人を裏切ってはいけ無いと、韓国に戻らずに日本でもう一度事業を遣ってお金を返さ無ければいけ無いと云う事で始まったのがロッテの原点です。「人を裏切ら無い」「人に迷惑をかけ無い」と云うのが会長の創業の理念です。だから今の経営陣の遣って居る事はそうした創業の理念とは真逆の事を遣って居るのです。

 自由にものが言える会社に戻したい

 ・・・今後はロッテをどう変えて行こうと考えて居るのですか。

 昔のロッテの様な状況を取り戻して行かなければ為らないと思います。昔は新しい商品や今迄に無かった様なカテゴリーの商品を作りましたし、設備投資も確り遣って来た。消費者からも信頼されて来た。私が米国から日本に戻って来た頃は、ロングセラーのブランド商品のガーナチョコレートがお店から消えそうで、ライバルメーカーの半分以下に為って居た。
 それを何とか努力し、ライバルメーカーを抜いて逆転した訳です。商品開発と云うのは通常は半年から1年、長いものでは数年掛かる。だから今は未だこれ迄積み上げて来たものがあるので、目に見えて業績が悪化する様な事には為って居ませんが、何れこの様な状況が続けば、色々な問題が出て来ると思います。
 そう為る前にキチンと手を打た無ければ為ら無いと思って居ます。私達は甘いものは強いんですが、そうで無い分野は弱い。或は健康分野等も今後の課題だと思います。そうした新規の分野にも力を入れて行かなければ為らないと思って居ます。

 ・・・最近同族企業の経営が批判的な扱いを受けますが、同族企業には同族企業としての良さがあるのではないでしょうか。

 長期的な視点に建った研究開発等を進めて行き易いと云うのは同族企業の良さだと思います。うちも新カテゴリー商品を開発する為に5年位掛けて遣って居ますし、設備投資に付いてもチョコレート等は1ライン10数億円掛けて遣って居ます。必ずしもヒットする訳では無いのですが、同族経営はこうした大きな決断をする事が出来る処にその良さがあると思います。
 世界的に見ると、お菓子業界の再編は急ピッチで進んで居ますから、出遅れてしまうと取り残されてしまう恐れがあります。積極的に世界に出て行かないと、ロッテは日本と韓国だけのローカルメーカーに為ってしまいます。それを長い目で見て決断して行かなければ為らないのですが、そう云う面でも心配があります。

 ・・・現経営陣はコーポレートガバナンスを問題にして居る様ですが、その点に付いては。

 経営陣が虚偽で経営権を握ろうとしたり、力で押さえ着ける様な経営は企業に取って好ましく無いのは当然です。そうした問題が起こら無い様な企業体質にして行くい事が今後の重要な課題だと思っています。自由にものの言える会社に戻したい。

 ・・・韓国ロッテに対しては今後はどう対応しますか。

 私が経営を遣る事に為れば、韓国ロッテに付いても対応して行かなければ為らないと思って居ます。只韓国ロッテは、多岐の分野に跨り、企業数も80あり、コチラを入れると100位に為りますから、経営の専門家やアドバイザー等にお願いする様な形に為るのだと思います。

 ・・・今後の株主総会に付いては。

 弟の持ち株はそれ程多くはありません。ロッテHD株式の1.4%しかありません。逆に、従業員持ち株会、役員持ち株会、関係会社が保有する株式等を合わせると、佃さんや小林さんの影響下にある株は議決権のある株式の53.3%に為ります。過半数を影響下に置いて居ると云う状況です。
 しかし直接経営陣が株主権を行使出来る役員持ち株会が所有して居るロッテHD株式の6%程度に過ぎず、私共の光潤社が保有して居るロッテHDの株は28.14%あります。最終的には従業員持ち株会の約27%の株式が大きなカギを握る事に為ると思います。


       松崎 隆司(まつざき・たかし) ジャーナリスト  以上








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