2020年01月01日

サイト案内・大学卒業、教員免許など、ローリスクで取得してみませんか。

サイト案内・大学卒業、教員免許など、ローリスクで取得してみませんか。


法政大学通信教育部文学部史学科を4年で卒業し、同時に教員免許も取得して、現在高校の教師として日々充実した毎日を送っています。

そんな私も、大学に入学する前は、倒産、閉店、失業、闘病生活をほぼ同時に経験し、人生のどん底を味わっていました。

通信制大学との出会いが、私の人生を大きく変え、小さい頃からの夢、学校の先生になる切符となりました。

いろんな人たちに夢を実現してほしい。

通信制大学という存在は、様々な可能性を少ないリスクで挑戦できる夢のような制度です。

世間の認知度が低い通信制大学の魅力を、いろんな人に知ってもらいたいという気持ちからこのサイトを立ち上げました。

リポートの書き方、単位修得試験に合格する方法、卒業論文の書き方、私が書いたリポート、大学時代の日記、通信制大学の魅力などを記事にします。




●サイトのカテゴリー案内、ここから好きな記事に移動してください。

129a.jpg◎リポート作成

・4年で卒業できるリポートの書き方。
コツをつかめば、スラスラと書けるようになります。
リポートが書けるようになる秘訣や合格する為のテクニックを一挙に公開しています。



129a.jpg◎合格できないリポートの対応

・何度提出しても不合格になるリポートがあります。
そんな時、どのように対応すれば良いのか、また、合格できるのかなどを紹介します。


022a.jpg◎単位修得試験

・試験問題を予測できれば、ほぼ、単位修得試験は合格したようなもの。
試験問題を予想して、高確率で的中させる方法を伝授します。



022.JPG◎合格できない単位修得試験の対応

・試験問題を予測しても、不合格になり続ける単位修得試験があります。
そんな場合の様々な対応テクニックを紹介します。



IMG_0001as.jpg◎卒業論文

・卒業への最大の難関。
それが、卒業論文の作成だろう。他人が作成した卒業論文を参考にするのが一番の近道。
卒業論文はリポートとは全く違う作成の仕方。
誰も研究していない事を自身が解明していく。


091a.jpg◎私が書いたリポート集(一般教養)

・4年間の学生生活で製作したリポートをそのまま公開します。
リポートを製作する手っ取り早い方法は、他人が書いたリポートを読んで参考にする。


093b.jpg◎私が書いたリポート集(教職)

・4年間の学生生活で製作したリポートをそのまま公開します。
リポートを製作する手っ取り早い方法は、他人が書いたリポートを読んで参考にする。



096.JPG◎私が書いたリポート集(日本史)

・4年間の学生生活で製作したリポートをそのまま公開します。
リポートを製作する手っ取り早い方法は、他人が書いたリポートを読んで参考にする。


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◎私が書いたリポート集(世界史)

・4年間の学生生活で製作したリポートをそのまま公開します。
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5.jpg◎私が書いたリポート集(宗教・思想)

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リポートを製作する手っ取り早い方法は、他人が書いたリポートを読んで参考にする。






015.JPG◎私が書いたリポート集(政治経済)

・4年間の学生生活で製作したリポートをそのまま公開します。リポートを製作する手っ取り早い方法は、他人が書いたリポートを読んで参考にする。





009a.jpg◎私が書いたリポート集(地理)

・4年間の学生生活で製作したリポートをそのまま公開します。
リポートを製作する手っ取り早い方法は、他人が書いたリポートを読んで参考にする。


091b.jpg◎通信制大学のメリット

・ローリスクで、ハイリターンを望める通信制大学。
通学生の大学と比べて、何がお得なのか、その様々なメリットをお伝えします。




1.jpg◎退学者が多い通信制大学

・ローリスクで、ハイリターンが望める通信制大学だが、単位を修得して卒業するのはかなりの努力が必要。
卒業が困難な通信制大学、退学者が多い通信制大学の知られざる実態に迫ります。




092a.jpg◎通信制大学のシステム、単位の取得方法

・通学生とは違う、特殊な方法で学習を進める通信制大学。
ある程度システムを知ってから入学する事をお勧めします。



091a.jpg◎カテゴリー案内

・このサイトのカテゴリーをご案内します。
的確に、手に入れたい情報を入手してください。



093b.jpg◎通信制大学生の日記

・通信制大学に通った4年間を紹介しています。
通信制大学を卒業するヒントや魅了がたっぷりと詰まっています。



038.JPG◎自己紹介

・サイト運営者の紹介。
大学に関して思う事。
高校卒業後は飲食業に従事。
その後、お店を立ち上げるも、病気を患い、閉店。
闘病生活の末、退院後、通信制大学に入学、卒業後、高校教師として日々生徒と向き合って生活をしています。



通信制大学を卒業した高校教師ってどんな授業をしているの?

現在、社会科の高校教師として働いています。

授業の内容を分かりやすく生徒に伝えるために日々努力し、また、教科書に載らないような歴史の秘話や裏話についても研究しています。

普段の授業実践などを中心に記事をアップしていきます。

通信制大学を卒業した、高校教師が普段どのような授業をしているのか紹介して歴史の面白さを伝えます。


‐授業実践集、他ブログの紹介‐

12345816_433055803566618_1314550962_n[1].jpg★教科書に載らない歴史ブログ!英雄や事件の真実に迫る教育実践



11349336_433628713509749_17143875_n.jpg★世界史授業集!現役社会科高校教師が歴史ブログを作るとこんなのが出来た

世界史の教科書を分かりやすくまとめた授業実践



008.JPG★世界遺産学検定を一緒に受験してみませんか?合格の秘訣を公開

授業で世界遺産を取り入れて、生徒と一緒に合格をめざす。



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2017年06月24日

入学までの過程が評価される日本の大学!世間の大学に対する認識についての違和感

入学までの過程が評価される日本の大学!世間の大学に対する認識についての違和感

受験勉強を頑張って、一流大学に入学した。

「今までよく頑張ったね」

と褒められる。

日本では、大学は入学する事に意味があり、入学までの過程が評価される。


●(例)東京大学に入学
@東京大学の入学試験に合格するために受験勉強を行った。
A東京大学に入学して、官僚になるための様々な勉強をして大学を卒業した。

日本では@の方に注目する。

大学で何を学んだかよりも、入学試験に合格した事が評価の対象になる。

そのため、誰でも入学できる大学は世間では評価されにくいという現実がある。



●日本の大学に対する評価に疑問

何か勘違いをしているようですが、本来大学は入学してから勉強する所。

大学に入学するまでの勉強で評価する世の中の風潮に違和感を覚えます。

通信制大学は学力が無くても誰でも入学出来ます。

学力は入学してから付けるものなので気にする必要はありません。

私自身も、法政大学通信教育部に入学してから、本格的な勉強をはじめて、学力をつけました。

大学は入るまでの過程を評価される機関ではなく、卒業した事を評価すべきだと感じています。


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2017年06月03日

大学に卒業しただけでは難しい現実とは!進学を考えている人必見

大学に卒業しただけでは難しい現実とは!進学を考えている人必見

私自身、法政大学の通信教育部の卒業ですが、もし、学位の資格だけだったら、就職に生かす事は出来なかったと感じています。

これは通学制の大学でも同じです。

若い新卒なら、学歴が有利に働きますが、私の様に、年を取ってからの学歴では、世間的に評価の対象にはならないと感じています。

職があふれている日本ですが、学歴を生かす事は現実的には難しいでしょう。

通信制大学で学位プラス何かしらの資格を取得する事で、はじめて大卒を生かす職場に巡り会えると思います。

これは通学生にも言える事ですが、大学全入時代の今、大卒だけでは、その後学歴を生かす事は難しいのが現実です。

大卒プラス、手に職をつけるか資格取得によって、大学卒の資格が活かされると感じています。

せっかく苦労して、通信制大学を卒業するのだから、それに見合った見返りが必要だと思います。


大卒でないと取得できない資格、これが重要だと感じています。













2017年05月20日

平安時代から鎌倉時代までの仏教美術について、通信教育課程文学部史学科(日本美術史リポート)





平安時代から鎌倉時代までの仏教美術について、通信教育課程文学部史学科(日本美術史リポート)


 平安時代前期は密教が全盛を極める。

それに伴って、仏像の様式も密教と関連したものが作られる。

密教の信仰では、仏の中心と考えられている大日如来だけでなく、その他の仏に対しても盛大に信仰が行われた。

これらのことは仏像美術にも大きな影響として現れ、仏像の種類は著しく多くなる時代でもある。


 密教の仏像の全体的な特色は仏像に大きさは求められず、仏像の形式的な雄大さの表現は必要がなくなり、仏像のモデルとなる仏の性格や力、特徴などを表現することが重要となっている。

また、密教が神秘的な祈祷法と仏像の力によって祈祷効果を高める性質をもった宗教なので、仏像には力強さが求められた。

力強い仏像を造るのに最適な技法として、一木彫成法が最適と考えられた。

平安前期は一木造りの仏教彫刻の時代とも言える。


  密教の中心となったのは空海である。

空海は嵯峨天皇から平安京を守るための1つの政策として、教王鎮国寺の建設を依頼された。

教王鎮国寺は空海の存命中には完成されなかったものの、空海が学び行っていた新しい仏教をしめすような仏像が多数存在している。

密教美術を考えた時、この教王鎮国寺は重要な存在と言えるだろう。

教王鎮国寺で創建当初に製作された密教を代表する貴重な仏像が講堂に多数存在している。

講堂の中は大日如来を中心とする5仏、4体の菩薩、5大明王、4天王などの仏像が配置されている。

これらの仏像の中で、不動明王を中心とする5大明王の仏像はこの堂内に安置されているのが日本で最初の作品だと言われている。

最初に相応しい日本を代表する名作である。

5大明王の仏像は、髪が逆立ち、顔は恐く怒りに満ち溢れ、牙を突き出し、ポーズも怒りを表現していると思わせた造りで、全体的に怒りをイメージして造られていると推測される。

しかし、顔や表情は恐いが、それとは対象的に体の作りは柔らかく、いたって普通の体付きをしている。

もし、効果的に怒りをイメージするなら、筋肉たっぷりの強そうで、もりもりした体付きの技法の造りかたが良いはずである。

だが、顔やポーズが怒りに満ち溢れていて、体つきは柔らかいという両極端な2面性とそのアンバランス感が逆に明王像の神秘的な力強さを作り上げているのかもしれない。

これらの仏像は一木造で製作されており、細かな造りや顔の表情など、高度な技法を必要とするものである。

また、一木造りでしか出せない雰囲気のすごさを実感した。


 平安時代後半になると、平安前期とは違った仏像の様式が造られ始めた。

時代的に藤原道長が権力の絶頂期に入り、貴族の文化は成熟期を向かえた。

貴族文化の影響を受けて仏像の様式も平安前期の力強さから貴族的な優雅さや繊細、調和、華やかさを重んじる新しい様式の仏像が造られた。

また、仏教では浄土教が発展し始めた。

平安前期なら仏門に入った人を対象にした解脱を助ける目的にした信仰の仏像、

しかし、浄土教の発展は、仏教の大乗仏教化と言うことであり、極楽住生を目的とする広く一般大衆にも影響を与えたことになる。

このことは、仏像に大きさを求める思想に繋がっていく。平安後期の仏像の特徴は優雅で大きな仏像と言えるだろう。


 仏像を造る技法も内側を空洞にした造り方に変わり、そして、十二世紀以後に入ると仏像に装飾化が加わってより華やかな仏像になっていった。

また、一木造りから寄木造に変わっていく。

寄木造は仏像の各パーツを別々に製作して、それを寄り合わせて一つの仏像を造る方法である。

メリットとしては、分業ができ、輸送がし易く、小さな材で造れ、失敗してもその部分を直せば良い等の利点がある。寄木造によって、仏像は手軽に造られるようになり、また、大きな仏像も造る事が可能となった。


 これらの平安後期の技法は定朝によって完成したと言われている。

定朝の代表的な作品として平等院鳳凰堂阿弥陀如来像がある。

見たイメージとしてやさしく、穏やかな感じで、救済をしてくれそうな感じがした。


 鎌倉時代に仏像様式が変化するきっかけとなったのが、東大寺や興福寺が焼けてしまった事である。

そして、その焼失した寺の再建事業を通じて多くの仏像の建造が必要となった事である。

その中で中心となったのが康慶や康慶の弟子や子供達のいわゆる康慶一派である。鎌倉時代の仏像の担い手は康慶一派が主流となっていく。


 鎌倉時代の仏像様式の特徴は写実性にある。

写実的な方法として、日本独自の手法でもある仏像の目に水晶を嵌めこむ玉眼という技法が用いられるようになった。

目に輝きを与えることによって、より写実性が増すというわけである。

鎌倉時代の仏像は平安前期の様式を思わせるものがあるが、しかし、それとは少し違い現実感を持った新しい様式の仏像と言える。

例えば、定慶が造ったと言われる興福寺の金剛力士像は怒りをイメージし、顔やポーズ以外にも体格や体の質までも怒りを表現した造りとなっている。

これは、平安前期の怒りとやわらかさのアンバランス感による神秘性とは異なり、姿全てで怒りを表現する力強さを感じる像である。

また、この像は南宋文化の影響も見られる。この時代は南宋文化の流入が激しくなりその影響は仏像の様式に変化を与えた。

また、東大寺の再建事業に際して、その総大工が南宋人である陳和卿が就任し、再建の中心的指導者が、南宋留学者で中国思想の禅の教えを広めた栄西である。

この事は、再建された東大寺は必然的に南宋の影響を大きく受ける事を意味している。


 鎌倉時代は貴族から武士への勢力構図の移り変わりの時代の混乱期である。

鎌倉時代は鎌倉仏教と言われる新しい宗派や旧仏教が宗教活動を行い仏教界が活気に満ちた時代でもある。

このことは、仏像にも影響を与えたくさんの仏像が造られた。

 (美術の本9 中国/日本の美術 講談社 参照)
 (密教の美術 佐和隆研 平凡社 参照)



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2017年05月06日

サハラ砂漠、世界最大の砂漠とは?文学部史学科‐地誌学リポート





サハラ砂漠、世界最大の砂漠とは?文学部史学科‐地誌学リポート


 世界最大の砂漠といえばサハラ砂漠である。

アフリカ大陸に位置し、東西は、エジプトからモロッコ、そして、南にはスーダン、エチオピア、ナイジェリアまで続く広大な砂漠である。


 サハラ砂漠が存在する、北緯と南緯25〜30度あたりの中緯度高圧帯下では、一般的に風は乾燥しているために降水量が少ない。

そして、亜熱帯地域なので温度が高く水分の蒸発量が多いため乾燥し、砂漠が作られる。


 現時のサハラ砂漠では、中緯度高圧帯の勢力が強いために、雨が降る大きな原因となる、北側にある、寒帯前線と南側にある、北熱帯収束帯がサハラ砂漠地域に入ってくる事ができない。

そのために雨があまり降らない。


 かつてサハラは緑に囲まれていたが、この時は中緯度高圧帯の勢力が弱く、前線がサハラ地域に侵入してきたために、たくさんの雨を降らし、サハラは緑に囲まれていた。

気候というのは、時代とともに、うつり変わるものである。サハラは過去に、砂漠化と緑化を繰り返している。


 その他、サハラ砂漠の大西洋側では、カナリア寒流が流れており、沿岸地域の地表の空気が冷却されるために、逆転層が生まれ、上昇気流が発生しなくなる。

このような理由で、雨があまり、降らなくなり、砂漠化の原因の一つになる。


 まとめると、現在、サハラ砂漠で砂漠化が進んだ理由は、アフリカの川は、海に注いでいない場合が多く、沼を形成する。前線の移動などの気候の変化により、温度が上がり、雨があまり降らなくなり、地表は乾燥する。

そして、さまざまな原因が絡み合って、砂漠化が進んでいったと思われる。


 サハラ砂漠のような、中緯度高圧帯で大陸の内部に位置する砂漠は、一般的に1日の温度差がとても激しく、−3.3度〜57度という世界記録もある。

また、高緯度内陸砂漠では温度の年較差が特に大きいという特徴がある。

砂漠では一般的に温度差が激しいことが言えるであろう。

この他、砂漠では雨は極端に少ないがその代わり、いっきに雨が降り、豪雨になることが多い。


 サハラ砂漠では大平原が形成される地域が多いという特色がある。

これは砂漠の地形は、最終的には大平原となるためで、一億年を超える長い期間を経ている、サハラ砂漠ならではの光景である。

では、なぜ、大平原になるかと言うと、砂漠地域では厳しい環境のため岩石の破壊が通常の地域とくらべて早く、また、ときおり降る雨は豪雨となるので、岩や山が削られ侵食していく。

そして、山地は縮小していき、最終的に大平原になりやすいという特徴がある。


 サハラ砂漠では、たくさんの、民族が暮らしている。

サハラ砂漠の厳しい環境で生活するために、遊牧生活を営んでいる民族が多い。

遊牧生活の中で、飼育する家畜から、生活に必要な物を生産して、サハラ砂漠の厳しい環境でも生活を行っている。

家畜からは、チーズやバターなどの食糧が取れて、また、余剰は、町などで、他の食糧を買う、収入源ともなる。

また、家畜から、取れる毛皮は、衣服や移動式テントを作る材料ともなる。

この様に、遊牧こそが、サハラ砂漠の民族の生活を支えている手段である。


 サハラ砂漠の遊牧民は、わずかな、草をもとめて、砂漠の中を遊牧する。

サハラ砂漠の厳しい環境下で、移動するのには、ラクダを使う。

ラクダは砂漠の環境に適した動物でサハラ砂漠では、人間の生活にはとても重要な動物である。


 サハラ砂漠のガルダイアなどの、オアシスがある都市では、オアシス農業が行われている。オアシス農業は、あまり水を必要としない作物を栽培している。

サハラ砂漠で水量の多いオアシスには、昔から、人が集まり、都市化が進み、交易が行われ、サハラ砂漠の中心となっていった。


 広いサハラ砂漠の中で、エジプトの砂漠には外来河川のナイル川がある。

エジプトではこのナイル川を中心として、人間が生活をいとなんだ。

ナイルの賜物、まさに、エジプトでの生活はナイル川なしには語られない。


 ナイル川では7月ぐらいから10月にかけて、川は大洪水を起こす。むかしは、この時、川の灌漑などをしなかったために、ナイル川は洪水した。

ナイル川の洪水は、同時に上流からの天然のミネラルを含んだ養分を洪水地域のまきちらす効果がある。

ナイル川の洪水が終わった10月をすぎたら、毎年この洪水の地域には農業に適した肥えた土地ができあがる。

このため、人間は生活をするための食料と水を手に入れることができてエジプトの砂漠では人間が生活できた。

また、古代エジプトでは、このナイル川の洪水の時期には、住民は暇をもてあますために、国家プロジェクトである、ピラミッドやスフィンクス、神殿などの建設を行ってうまく繁栄した。


 サハラ砂漠地域では、かつては、イスラム帝国の支配下にあったことが理由で、サハラ砂漠地域にイスラム教が伝来して、現在でも、イスラム教を信仰している民族が多数いる。


 最後に人間はさまざまな環境に適応するために、いろんな工夫を行って、環境に適応していった。

そして、人間は生物が生きていくためには難しいような地域、砂漠や寒冷地などを含め広く世界中に生命の営みを育んでいる。

これは、人間、いや地球上の全ての生物が環境に適応する能力をもっているためではないだろうか。


(エジプト 鈴木八司 新潮社 参照)
(日本放送出版協会発行 緑の思考・砂漠の思考 参照)


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2017年05月05日

古代ギリシアの哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート

古代ギリシアの哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート


プラトンは哲学史に多大な影響を与えた人物である。

それは、プラトンが書いたと言われる書物がたくさん残っており、後世の人が書物からプラトンの思想を読み取ることができることも1つの理由である。

また、プラトンは政治にも興味を持っていた。

理想の国家を作るためには、その統治者階級となるべき人には徹底した教育が必要であると考えた。

そのため、プラトンは、学園、アカデメイアを創設する。

学園でプラトンは理想国家の統治者になるべき人間を育てていく。

学園を作った事は、プラトンの思想をたくさんの人に知ってもらうきっかけともなるし、また、学園の創始者プラトンの思想に影響を受ける人も増えるのである。


 プラトンは幼少の頃からソクラテスと親交があり、ソクラテスの思想の影響を受けることになる。

その後、各地を旅し、いろんな人に出会い影響を受け、また、自分自身の哲学を作り出していく。

プラトンの功績はタレス以来のギリシア哲学を1つの集大成としてまとめあげた事にあるだろう。


 プラトン哲学の中心となる思想はイデア論である。

イデアとは形相の事で、視覚的なものと中身は違うと考えた。

例えば、美しいと感じる物があったとするなら、その美しいと感じる物のなかには、永遠不変の美のイデアが存在していると考えた。

また、イデアは高貴な神によって創造され、また、神の意志や思想を帯びたものであると考えられた。

この非現実的で神秘性を秘めたイデア論は後に、中世キリスト教の思想や教義とも結びついていくのである。


 アリストテレスもプラトンに影響を受けた人物の1人である。

イデア論はソクラテスが考え始め、プラトンが完成し、アリストテレスが引き継いで影響を受けた事になる。

アリストテレスは宇宙の万物は、神の影響の元にあり、また、神の意志によって動かされていると考えた。

このアリストテレスの神秘的な思想は、プラトンのイデア論の影響を受けていると見る事ができるだろう。


 しかし、アリストテレスの功績は、プラトン哲学を引き継いだことではなく、哲学や学問の世界に新たな道を作ったことである。

アリストテレスの学問領域はとても広く、様々な学問を紐解き、さかのぼって行くとアリストテレスに行き当たるのである。

万学の祖と言われる由縁である。

また、アリストテレスは豊富な知識をもとにヨーロッパで初めて学問の体系分類を試みた人物でもある。

そして、最大の功績と考えられるのは、哲学の分野に実証という概念をとり入れた事である。

それは、自然観測や観察をもとにして研究を行い、証拠を上げてから、理論を作っていく方法である。

プラトン哲学は実証性に掛けているが、アリストテレス哲学は実証性と神秘性を結びつけた哲学とも言える。

この実証的な学問のやり方は、現代でも通じるところがある。

哲学に実証の概念を取り入れた事から、そこから、自然科学と言う新しい学問分野も生まれてくる。

アリストテレスによってギリシア哲学は完成期を迎えたと言っても過言ではないであろう。


アウグスティヌスはプラトンの思想影響を大きく受けた人物の1人である。

アウグスティヌス哲学は、自然に関することはあまりなく、神や魂と言った神秘的な部分を重要視している所である。

この神秘的な部分がプラトンの影響を受けた部分と考えられる。

そして、アウグスティヌス哲学の特徴は、自然哲学を省いている変わりに時間の概念を取り入れている所である。

時間の概念を取り入れる事は歴史哲学に繋がっていく。

歴史哲学はギリシア哲学ではあまり考えられる事がなかった分野なので、ギリシア哲学に新しい要素を加えたとも見る事ができる。

時間と魂や神を考える哲学と言う事は、魂の行く末や人間の未来、歴史の行方、国家の行方などを考える事である。

人間の行方を考える所から、救済の問題も出てくる。

人間はどの様に生きていれば救われる事ができるのだろうかなどである。

この救済の概念から宗教哲学に発展していくのである。

そして、アウグスティヌス哲学は、中世キリスト教(カトリック)の教義と結びついていくのである。

そして、カトリック教会の教義は中世ヨーロッパ社会を思想的に支配して、ヨーロッパ中世社会形成の中核的役割を担っていくのである。

カトリック教会の教義が中世ヨーロッパ社会を支配した事は、カトリック教会の教義に影響を与えたアウグスティヌス哲学が一般の人々にまでその影響を与えた事を意味している。


 トマス・アクィナスは宗教と結び付つき形式化してきた哲学に新しい分野を切り開いた人である。

トマス・アクィナスの生まれた13世紀はキリスト教の教義が社会を支配し、ギリシアなどの異教徒の古典文化は危険視されていた時代である。

そのような時代の中、ギリシア哲学のアリストテレスの研究をしていきました。

トマス・アクィナスの功績はキリスト教とアリストテレス哲学とを結び付けたことであろう。

宗教と結びつき非現実的で形式化されてきた哲学の世界に、実証的で科学的なアリストテレス哲学をとり入れた事は新しい道を切り開き、また、停滞していた学問の発展を促すきっかけともなった。

また、異教徒のギリシア古典文化をとり入れた事は、後に始まる、ルネサンスの先駆となっているのかもしれない。


(西洋哲学史 今道友信 講談社 参照)(ギリシア・ポリス社会の哲学 岩崎充胤 未来社 参照)


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2017年05月04日

資本主義経済における生産や流通について‐文学部史学科(経済原論リポート)





資本主義経済における生産や流通について‐文学部史学科(経済原論リポート)


 資本主義社会において、単純な社会的総資本の再生産や流通、また、生産手段生産部門と消費手段消費部門との相互補填関係などを簡単な2つの式で表すことができる。

 生産手段生産部門 4000c+1000v+1000m=6000

 消費手段生産部門 2000c+500v+500m=3000


 資本主義経済では、生産資本が流通して新たな付加価値を含んだ商品資本なる。

生産資本はcの可変資本と労働力vによって構成されている。cに労働力が加わる事によって新たなに商品資本mを生み出す。


 そして、労働力をvと仮定し、mを資本家が手に入れる物と過程する。

しかし、生産手段生産部門の式では資本家が労働力を雇い入れる時には基本的に賃金を支払わなければならない。

賃金(貨幣)の概念が入れば複雑になるので、分かりやすくすると、資本家は労働者に消費手段という現物形態の物を支払うと考える事ができる。

生産過程では、労働者や資本家は消費手段を手に入れなければならないと言える。

すなわち、生産手段生産部門の中だけでは、労働者に賃金を支払う事ができないのである。

そのため、1度生産手段生産部門の1000vと1000mを1度消費手段生産部門に転換して、新たに転換した部分を消費手段生産部門から貰わなければならないのである。


 生産手段生産部門の式、1000vと1000mの合計は2000になる。

この2000という数字は、消費手段生産部門の2000cと一致する。

すなわち、生産手段生産部門の1000vと1000mと消費手段消生産部門の2000cが相互に過不足なく補填しあっているという事が言えるだろう。


 単純な社会的再生産の時は生産手段生産部門の式では、cが内部補填で再生産を行い、そして、消費手段生産部門ではvとmが内部補填で再生産を行う。

また、両部門間では、生産手段生産部門のcと消費手段生産部門のvとmとが相互補填を行う。

社会的再生産の進行時の生産、消費、流通と循環されていく過程ではこの3つの流れによって社会的再生産が行われる。


 以上の事柄は、単純な社会的再生産で、資本家が取り分を全て自らで消費しているとの仮定のもとに述べられている。

つまり、資本家は取り分を全て生活のために消費して、事業の拡大をまったく行っていないと考える事ができる。

もし、資本家自らが消費する以上の儲けを獲て、事業を拡大していると仮定した場合を考えていく。


 資本が増える概念が入った、社会的再生産が行われる時、まず、資本家が買い入れを行った、労働力や生産手段などの商品を消費する。

すなわち、不変資本cと不変資本vを消費していく。

商品を消費する事によって、あらたな余剰価値を含んだ商品が生まれる。

すなわち、cとvを消費する事によって、余剰価値mが生まれる。

消費する事によって、新たに増えた部分がmと考える事ができる。

この資本が増え、余剰価値mを生む現象は第1部門、第2部門に共通した現象でもある。


 この余剰価値mは資本家の取り分とも見る事ができる。

もし、余剰価値mを資本家が全て消費すると仮定すると、毎年同じ生産量の社会的再生産が行われる。

しかし、もし、資本家が余剰価値mの一部を追加資本として投資すると考えると、余剰価値mは、mc、mv、mkの3つに分ける事ができる。

この中で、mkは資本家の消費部分となり、また、mcは追加不変資本、そして、mvは追加可変資本となる。

すなわち、mkが資本家によって消費され、mcとmvとによって、事業が拡大していくと捉える事ができる。


 そして、余剰価値mの中のmc次ぎの年に追加資本としてcに投資される。そうする事によって、次ぎの年は、前年度に比べて、不変資本cの部分がmcの量だけ増えている。

この現象も第1部門、第2部門共に同じ現象で社会的再生産が行われている。


 追加資本によってcの部分が拡大すれば、それに伴って、労働力も増えていかないと、上手く機能しない。

すなわち、mvによって、vが拡大されなければならないのである。

そして、事業が拡大していくと、それだけ、資本家の総収入も増えるわけなので、資本家の消費部分も増えていく。


 そして、第1部門のvとmv、mkが第2部門のcに転換される。

第2部門のcとmcは、第1部門のvに転換される。

この時、第2部門のcとmcは、転換された第1部門の中で、労働者階級の個人消費と資本家階級の個人消費とに分けられる。

この分けられた部分の、労働者階級の個人消費が第1部門のvに生産過程として転換される。

すなわち、第2部門のcとmcを足した額に第1部門のmkを引いた額が第1部門のvになる。

結果として、第1部門のvは前年度よりも価値が第1部門のmvの量だけ増えている。

これは、第2部門でも同じくvの部分が前年の第2部門のmvだけ量が増えている。


 まとめると、第1部門、第2部門ではお互いに相互補填をしているので、追加資本mcによって、お互いに増えている。

すなわち、第1部門、第2部門ともに、相互補填しているので一方が増えると、もう一方も増えるという関係にある。

すなわち、追加資本による事業拡大の概念が入る事により、毎年同じ額での繰り返しから、追加資本によって、生産量が増えて、生産量が増えるという事は、消費量も同じく増えていき、結果としては、全ての項目が年を重ねるにつれて、追加資本によって、年々増えていくのである。


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2017年04月23日

お金は無いけど大学卒と教員免許を取得する方法!通信制大学の勧め

お金は無いけど大学卒と教員免許を取得する方法!通信制大学の勧め

お金が無いけど、大学に進学したい。

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2017年04月07日

仏像の歴史変遷とは‐文学部史学科日本美術史リポート

仏像の歴史変遷とは‐文学部史学科日本美術史リポート


 日本は外国の文化の接取のために仏教を取り入れる。

その流れで、仏像も日本に入ってくる。

仏像に人は何を求めるのだろうか。

おそらく、安らぎや清らかさ、神秘性、ご利益感など、さまざまな概念を仏像に求めると思われる。


 仏教という宗教はインドで始まりいろんな国に伝わっていく。

国や地域性、捉え方の違いによって仏教は違った形で信仰されることになる。

それは、仏像も同じ事で、伝わった国や地域によって、仏像に求める姿や形が違ってくるのである。

日本でも、仏教伝来当初の仏像は、大陸的な様式の仏像だが、しかし、時代を重ねていく間に、徐々に日本的な独自の仏像が作られるようになる。


 飛鳥時代の代表的な仏像として奈良法隆寺の釈迦三尊像がある。

この仏像は、現存する最古の仏像と言われており、きわめてアジア的な日本の仏像とは様式の異なった仏像である。

釈迦三尊像の源流は従来北魏の仏像様式が百済から日本に伝わったと考えられてきたが、しかし、近年は中国南朝から百済、そして、日本へと仏像様式が伝わったとも考えられている。

細かい部分はまだ解明されていないが、大陸の仏像様式が百済経由で日本に伝えられたと考える事ができる。


 釈迦三尊像の特徴は、木製の台座の上に座禅を組んで座っている。

そして、両脇にはそれぞれ脇侍菩薩が配置されている。

台座の下側を底辺とし、舟形光背の頂点を結ぶと二等辺三角形の形になり、その中に三体の像が入る形となる。

見る人にとって安定感のある作りと言える。

仏像は全体的に痩せた細身感がある。

これは、日本の仏像の特徴である、ふくよかな肉体感のある仏像とは対照的な仏像と言える。

顔は、面長の印象を与える。

大きな鼻も印象的と言える。

目は杏仁形と言われる深く細長い目をしている。

口は大きな鼻のためか大きく感じる。

唇は仰月形と呼ばれるものである。

イメージとして聡明で高貴な感じのする顔立ちだと思う。


 飛鳥時代の仏像の特徴的な様式は以上げたような様式の仏像が多いと言える。

様式として日本的な特徴のある仏像の様式ではないため珍しいと言える。

しかし、その珍しさは私からみれば、神秘的な仏像というイメージをより与えてくれるものである。


 その他、飛鳥時代の代表的な仏像として百済観音像と夢殿観音像がある。

それぞれ、若干違った様式の仏像で、飛鳥様式の仏像でも、流派のようなものがあったと推測される。

百済観音像はクスノキの一木造りである。このクスノキの一本造りの技法は当時のとしては主流の造り方と言える。

百済観音像の私が見たイメージは、不気味な恐さがあったが、しかし、その中にやさしさを感じたイメージであった。

夢殿の観音菩薩像の特徴は厳格な左右対象と鋼のようにはりつめた線で構成された像身にある。

イメージとして、力強さを感じ、飛鳥仏像のイメージと少しかけ離れていた。

後、気になったのが、不思議でなんとも言えない笑みが特徴的だと言える。


 白鳳時代に入ると仏像にも変化が出てくる。

白鳳時代の仏像は日本人が知る仏像の姿に近くなり、日本的な仏像の原点を見る事ができるであろう。

歴史的にも仏教が外国のものから日本のものに変わってきた時代とも言える。

仏教も浸透を始め、国家政策とも結びつくようになってきた。

また、日本に仏教を伝え、影響を与え続けてきた百済が滅亡したことも大きな事件である。

このように、日本の内外で仏教を取り巻く環境が大きく変化したことも仏像の様式が変わってきたことと関連していると思える。


 全体的なイメージとして、顔は面長からやや丸みやふくらみがでてきた。

胴体に関してもややふくらみと丸みを帯びてきたように思われる。

素材は、木や銅以外に、塑や乾漆の像が作られるようになってくる。


 なぜ変化が起きた理由として、北魏の影響から唐の影響への変化が考えられる。

しかし、それ以外に私が思うに、国内の変化で、仏教に救済を求める思想が生まれたのではと考える。

そして、仏像に救済を求めるなら、細身な仏像より、ふくよかな仏像に対して安心感がでるのではと考えた。


 白鳳時代の代表的な作品として、法隆寺夢違観音像がある。

この像は悪い夢を良い夢に取り替える像として信仰された。

また、鋳造技術が高く、三面の宝冠と台座は別の鋳で、本体は1つの鋳で造られている。

見た感じのイメージは、しっかりした造りと体のラインがよくでていることである。

そして、率直な第1印象は雰囲気的に、日本の古代以前に出土されている土偶のイメージとだぶって見えた。

それは、神秘的でもあり、宇宙的なイメージでもある。


 天平時代は遣唐使などによる大陸文化の接取や律令国家体制の確立、平城京への遷都などに見られるように唐の影響を受けた時代である。

国家のシステムだけでなく仏教もまた唐の影響を受けたと推測される。

そして、国分寺の建設にみられるように、仏教に対しての鎮護国家思想が定着した時代である。

仏像も多数作られ、仏教の文化が花開き、仏教美術も最盛期を迎えたと言えるだろう。


 代表的なものとして、東大寺の建設とそれに伴う多数の仏像である。

有名な東大寺の大仏はこの時代に作られた。

東大寺の大仏から分かるように巨大な仏像を作る技術が進展した。

また、興福寺の阿修羅像に見られるような写実的な表情の変化もうまく捉える事ができる技術も進歩したと言えるだろう。

(美術の本9 中国/日本の美術 講談社 参照)(原色日本の美術2 法隆寺 久野健
鈴木嘉吉 小学館 参照)



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2017年03月24日

緑の革命と食糧問題‐人類に警告その危険性とは?文学部史学科‐地誌学リポート(2005年作成)

緑の革命と食糧問題‐人類に警告その危険性とは?文学部史学科‐地誌学リポート(2005年作成)


 食料問題それは、世界における非常に困難な問題である。

それは、現在も昔も変わらず存在している。

現代の食料問題は世界的に見ると、全ての地域で十分な食料が足りているとは言えない。

とくに、第3世界と言われる地域や発展途上地域、熱帯地域などの食料問題は非常に難しいものがある。

原因として考えられるのは、熱帯地域は基本的に土地はやせている。

なぜなら、熱帯の土は変わることなく、長い年月をかけて同じ場所にあるものが多い、そして、長い年月をかけて、高温多雨が原因で、土地はやせている。

この様な土壌では比較的農作物は育ちにくい環境にあり、食料の確保は難しい。

そして、一番の原因と考えられるのは第3世界での人口の爆発的な増加である。

現在ものすごい勢いで人口増加は進み、勢いが止まらない。

近い将来世界人口は80億人を突破するものと考えられ、食料の需要も現在よりも、もっと必要となるであろう。

近い将来今以上の食料不足が考えられる。


 この様な、食料問題を解決する一つの方法として、緑の革命が現在社会において注目を浴びている。

緑の革命の歴史は最初、第二次世界大戦末期のアメリカで始まった。

第二次世界大戦は各国とも国をあげた総力戦で、各国とも食料確保に苦労した。

そこで、アメリカは戦争を優位に進めるための戦略の一環で食料に注目した。

そして、効率のよい農法の研究に取りかかった。


 その後、品種改良による新しい作物の研究が行われた。

結果、農作物の収穫量は飛躍的に増えることになった。

これが緑の革命である。

最初、緑の革命は小麦からはじまり、メキシコの地で行われた。

メキシコ政府とアメリカのロックフェラー財団が協力して、品種改良の研究を行い、そして、研究に成功した。

また、メキシコでは、とうもろこしの新品種の研究も進められ、研究は成功した。

そして、これらの、新品種は、メキシコ北部の太平洋岸地域の灌漑地方を中心に爆発的に短期間で広まり、以後、メキシコでは、小麦の生産量は今までの約3倍、とうもろこしは約2倍にまで、生産量が飛躍的にアップした。

このため、メキシコでは輸入国から一躍輸出国へと成長を遂げることとなった。

この輝かしい成果は、たちまち、世界中の注目を集め、緑の革命は世界へと広まり、食料不足の地域は特に新品種をとり入れた。


その後、緑の革命は、1962年にフィリピンで国際イネ研究所が建設し、研究された。

この研究所で開発された、新品種は、背丈が今までのイネよりも短い。

今までの品種は背丈が高くすこしでも、肥料をやりすぎると成長して、倒れてしまい、そのため、あまり収穫量はあがらなかった。

だが、新品種は草丈が短いので、肥料を大量に与えても倒れにくく、そのため、大量のイネの実をつけることができた。

また、この新品種は日照時間の変化にあまり反応したいため、いろんな地域で栽培が可能で、さらには、化学肥料の吸収率も在来種にくらべて高いという特徴も持っている。

これらの理由のために米の収穫量は大幅に増大した。

この様に緑の革命は、すごいプラスの性質を持っている。

このイネの品種は(ミラクルライス)とも呼ばれ世界中に広まり、食料問題の救世主となった。


 まさに、食料問題の救世主的存在の緑の革命ではあるが、いろいろと問題点を含んでいる。

例えば、新品種は在来品種に比べて害虫に対する免疫が欠けている。

対策として、また、新たな免疫を持った新品種の開発が進められた。

害虫に対する免疫を持った新品種は、害虫に対して効果をあげた。

だが、害虫は短期間で、新しい進化を遂げ、新品種の免疫に勝った。

そうなるとまた、人間は新しい免疫を持った新品種を開発した。

そうすると、また、害虫は進化を遂げる。

この様に、作物と害虫が、まさに、終わることのない進化の競争をしなくてはならないようになった。

これは、同じ品種の作物を作りつづけることができないことを意味し、開発費、手間、新しい害虫が現れたときの収穫量の低下などのマイナスの要因を与えた。


 その他、現代の環境問題への関心の高まりによって、緑の革命は環境を破壊する恐れがあることが指摘されるようになった。

これは、新品種が大量の農薬や化学肥料を使い栽培するために、環境への悪影響が心配された。

また、新品種は、大量の農薬や化学肥料を使い、灌漑設備の整った場所で栽培するために、ものすごく資金投資が必要なのである。

そのため、資金力のない人たちは新品種を栽培することができないのである。

結果、資金力がある人たちだけが新品種を栽培できたので、ますます両者の経済格差が広がり、二極分化が進んでいった。

このように、緑の革命はさまざまな問題を含んでいる。


 最後に、今地球では手のほどこしようのないほど、地球の環境は破壊されている。

もう、ておくれなのかも知れないが、このまま、緑の革命を使いつづけていいのかと、私は疑問に思った。

急激な品種改良の作物を人間が食べ続けるのは、人体に影響はないのかとも考えた。

そもそも、食料確保の問題から緑の革命が注目されたのだが、他によい方法があると思う。

第3世界ではなぜ、食わすことができないのに、子供を産みつづけ、人口の増加と食料不足問題を招いてしまうのかを考え、人口増加を押さえる方法で、食料不足問題を解決していくほうが、人類のためにはよいことだと感じた。


(緑の革命とその暴力 ヴァンダナ・シヴァ 日本経済評論社参照)


いつもありがとございます。














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