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2013年01月30日

株価を動かす要因

「株式市場を左右するのは、実は次の四つの要因しかありません」(林和人『香港大富豪のお金儲け 7つの鉄則』幻冬舎 72頁)ということで四つの要因が示されています。確認してみましょう。

@ 企業が翌年に稼ぐ利益(前年よりも利益が上がるのならば○、下がっていれば×)(同書73頁)

A 金利(低金利が続き、大きく上昇しないときは○、上昇傾向が続くなら×)(同書74頁)

B 需給(需要が多ければ○、供給が多ければ×)(同書同頁)

C 市場心理(強気であれば○、弱気であれば×)(同書75頁)

非常に分かりやすいですね。当たり前のことを当たり前に理解することが肝要です。

つい株式投資になるとさまざまな言説が飛び交い、ウルトラCがあるかのように錯覚を起こしますが、適切に市場を見ていけばよいですね。

当然のことながら成長する企業を見つける必要があります。

別に新興企業である必要はありません。

老舗企業であっても成長する時はしますからね。

「本業でいくら利益が伸びていくかが重要。損益計算書だけをみてもいいくらいです」(同書73頁)ということですから、損益計算書を読めるように、活用できるようにしておきたいですね。

決算書の読み方に関し、Eラーニングや東証のセミナーで勉強したことがありますが、まだまだ身に付いておりません。

改めて勉強したいと考えています。

金利に関しては、現在の日本では低金利ですが、今後のことに関しては新聞等の報道で確認していけばよいでしょう。

需要に関しても、市井の人間にとっては、報道等からしか判断するしかありませんが、いろいろ見聞きすることでしょうね。

それと、街に出かけたときに何となく感じる空気、これは重要でしょうね。

自らが実感したものも大切な判断材料となります。

市場心理に関しては、現在、なかなかの強気となっております。

強気がいつまで続くかは分かりませんが、当分は続いてほしいといったところです。

注意したいのは、いつまでも強気が続くと感じはじめたときが危ないということでしょうね。

株式投資は、単なるマネーゲームではありませんね。

自分自身の全知全能をフル稼働させてはじめて成り立つものでしょうね。

真剣に取り組んでいきたいと思います。

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posted by lawful at 22:32| お金

貯金、寄付、金銭感覚

「まずは、「明確な目標」を設定し、「お給料の10%を貯金」すること。次に、「お給料の1%を寄付」すること。
 “あなたたち”はおそらく私のように自分で事業をするでしょうから、「仕事とプライベートの「お金」を混合することなく管理」すること。
 これだけは、絶対に約束してほしい。この3つが出来れば、こころ豊かな金銭感覚を身につけることが出来ると信じている」(竹内秀一『お金のことを真剣に考えているあなたへ』明日香出版社 178頁)

最初に貯金の話が出てきます。

収入の10%という数字を出しています。

10%であれば無理をしなくても貯金が可能ですね。

この10%の貯金ができないようであれば、何もはじまらないといってよいでしょうね。

理想を言えば、収入の25%ぐらいの貯金はしたいところですが、難しいですね。

10%であれば、できないこともないという絶妙なパーセンテージです。

貯金の話は基本中の基本ですから驚きはしなかったのですが、次の「お給料の1%を寄付」というのには驚かされました。

正直なところ、その発想はなかったですね。

うっかりしておりました。

寄付をするとなると、どこに?と考えはじめます。

今まで動いたことがなかった部分の脳が動きはじめます。

たった1%といっても収入の1%となると数万円ですから、これはこれで大きなお金です。

どこに寄付をしようかと考えることが大切なのでしょうね。

また、実際に寄付をすることによってお金の有難味、価値を実感することができるのかもしれません。

寄付をしたと言えば、東日本大震災の義援金を支出したぐらいであり、定期的な寄付をしておりませんでした。

ネット銀行では、東日本大震災の義援金を受け付けていますので、定期的な寄付が可能です。

寄付をしようと考えると今まで見過ごしていたものが見えてきます。

3つ目は、「仕事とプライベートの「お金」を混合することなく管理」することですが、自営業者の方で仕事のお金とプライベートのお金とが混合している人がいますが、はっきり言って、みっともないですね。

せっかくお金がたくさんあっても、顔が貧層になってしまっています。

もったいないことです。

お金はたくさんあった方がいいのですが、適切な金銭感覚がなければ、お金も生きてきません。

ほどほどのお金しかなくとも、真っ当な金銭感覚があれば、豊かな生活をすることができますし、無理なく豊かさを実感することができます。

自分が為すべきことを「明確な目標」として定め、精進をしていきながら、別途、お金のことにも目を配るという姿勢が大切ですね。
posted by lawful at 21:26| お金

2013年01月27日

悪い人間への対処法

悪影響を及ぼす人間、所謂、悪い人間が一定数いますが、このような人間に対してどのように対処するのがよいのでしょうか。

日如御前という女性信徒に宛てた日蓮の消息文にヒントがありましたので、みてみましょう。

「相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり」(『日蓮大聖人御書全集』1244頁)

ここで悪い人間を表す言葉が3つ出てきます。

「とわり」
遊女のことらしいですが、女性に限らず平和な家庭に混乱をもたらす邪悪な人間と考えておけばよいでしょう。

「謗法の者」
謗法とは、誹謗正法のことで、真理を正しくあらわした法(正法)をけなすことやそしること(誹謗)をいいます。

物事を正しく見ることができない根性がひん曲がった人間ということですね。

「悪知識」
知識とは、中国古典では知人・知り合いの意味だそうで、仏教においては、通常、知識といえば善知識をいいます。

善き信仰仲間ということですね。

悪知識はその反対ということです。

善き信仰仲間の邪魔をし、人々を不幸に陥れようとする悪い奴と考えればよいですね。

このような「とわり」「謗法の者」「悪知識」への対処法も3つあります。

「寄せ付けない」
よせたくもなき様に、ということですから、とにかく、近づけない、近寄らせないということですね。

「防ぐ」
せかせ給うべし、ということで、防ぐということですね。

防衛という次元、所謂、安全保障の観点をも動員して防ぐということを考えておくべきなのかもしれません。

「捨てる」
寄せ付けないようにしても、防ごうとしても、悪い人間は近寄ってきます。

最終的には、捨てておくことですね。

日蓮は、法華経譬喩品の文を通しながら、善友(善知識)とは親しく交わっていきなさいと言っています。

ここで法華経譬喩品の文を確認してみましょう。

「又、舎利弗よ、若し人有って、
悪知識を捨てて、善友に親近するを見ん
是の如き人に、乃ち為に説くべし」

Burton Watson 氏の英訳もあるようですから、確認してみましょう。

Again, Shariputra,
if you see a person
who thrusts aside evil friends
and associates with good companions,
then to a person such as this
it is permissible to preach it.
(The Lotus Sutra and Its Opening and Closing Sutras p.114)

悪い人間は、一見するところ分かりませんが、よくよく観察すると悪い人間と分かるものです。

しっかりと観察したいですね。

また、自分自身が善知識、善友という人間になるべく精進しながら、善知識、善友と親しくしていきたいものです。

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posted by lawful at 21:27| 御書

2013年01月26日

家計管理の能力

「老後生活への準備は、お金を貯めるだけではありません。贅沢に慣れた生活を見直すことも、重要な老後への備えの一つです。その意味で、年収が低くても堅実に暮らせる家計管理の能力は、安心な老後を迎えるための大きな財産と言えるのです」(『荻原博子の金持ち老後貧乏老後』毎日新聞社 33頁)

お金を貯めるにしても、贅沢をするためであるならば、いくらお金があっても足りません。

お金が足りないために不安になるわけですが、贅沢をしなければよいだけの話ですね。

贅沢をしなくても豊かに暮らせるようにすればよいだけで、その方法は人それぞれでしょう。

大切なことは、お金をほとんど使わなくても生活ができるよう、スリムな家計を形作ることですね。

自分の身の回りを見渡せば、無駄なものが多いことに気付きます。

そのひとつひとつを取り除いていけば、無駄な出費が減ります。

また、無駄に使用していた空間が空きます。

物を持ちすぎているのではないかと考えることが重要でしょうね。

あれも欲しいこれも欲しいと思っていないかどうか、自分自身に問い掛けたいものです。

人間が生きていく上で必要なものはさほど多くはありません。

物が多くなりすぎて息苦しくなっているだけなのかもしれませんね。

年収が高かろうが低かろうが堅実な家計で生活できる人が本当の財産家といえるでしょう。

収入ではなく、堅実でありながら豊かに家計を切り盛りできる能力があるかどうかがポイントですね。

もちろん収入が多ければそれはそれで結構ですが、浪費家になってしまっては意味がありません。

あくまで財産家になる心構えが必要ですね。

質素でありながら、堅実でありながら、極めて豊かで文化的な生活を送りたいものです。

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posted by lawful at 15:07| お金

2013年01月19日

ユダヤの格言(英語付き)

烏賀陽正弘『ユダヤ人ならこう考える!』PHP新書という本にユダヤ人の格言が数々紹介されていますが、その中から、気になった格言を見ていきたいと思います。

「バカとは決して商売をするな」
“Never do business with a fool.”

バカな人間は、お金の勘定ができず、ビジネス、商売というものがよく分かっていませんから、相手にしないことですね。

バカな人間と商売をしていると損害を被ります。

さすが、ユダヤの格言は見事ですね。

はっきりしております。

「バカに決して腹を立ててはならない」
“Never be offended by a fool.”

この指摘は重要ですね。

つい、腹を立ててしまいますが、バカな人間に腹を立てて時間とエネルギーとを取られてはいけないということですね。

難しいことですが、是非、実践したいですね。

「バカはいつまでたってもバカだ」
“A fool is a fool forever.”

これも思い切った格言ですね。

その通りなので反論できません。

「バカを直す療法はない」
“There is no remedy for a fool.”

手厳しいですが、この通りですね。

混じりっ気のない格言といってよいでしょう。

「もっともバカなのは、自分を賢いと思い込んでいるバカだ」
“The biggest foolishness of the fool is who thinks he is smart.”

これは極め付きですね。

あまりの洞察力に驚きますし、鋭さも尋常ではありません。

全くその通りと首肯する次第です。

「豚に椅子を差し出したら、今度はテーブルに乗りたがる」
“Give a pig a chair, then he will want to get on a table.”

なかなか辛辣な格言ですね。

今までこの格言に言う豚のような人間に嫌な思いをさせられてきましたが、この格言通りですね。

厚かましい人間は調子に乗ってきますので、気を付けなければなりません。

この格言を見てから、いろいろ思い出しました。

そうか、彼ら彼女らは豚だったのかと。

しっくりきました。

「学習することは、一生涯の仕事だ」
“Learning is a lifelong occupation.”

学生時代だけが学習の時期なのではなく、卒業してからも学習の時期ということですね。

いつまでたっても学習ということですね。

ユダヤ人と日本人との共通点を見るようです。

「学習を怠る人はすべてに欠ける」
“The man who lacks learning lacks everything.”

お金がない、機会がない、人脈がない、あれがないこれがないと言い訳する人が多いものですが、根本的にそのような人は、この格言が示しているように学習を怠るという傾向性があります。

確かに、学習を怠る人には何にもありませんね。

「無知な人には、老年は冬だが、学習を重ねた人には、それは収穫期だ」
“For the ignorant, old age is winter, but for the learned, it is the harvest.”

高齢化社会だなんだと世間ではうるさいですが、騒いでいるのは無知な人なのでしょう。

高齢化社会の何が問題なのでしょうか。

学習を重ねた人からすれば、いよいよこれからということですね。

「学べば行動したくなる」
“Study leads to action.”

学べばそれなりの動きに連動するものです。

口だけで行動、行動と言う人がいますが、行動が見受けられません。

そもそも学んでいないから行動に至っていないのでしょうね。

「口数を少なくして行動せよ」
“Say little and do much.”

無駄口をたたかず、為すべきことを為すというのがよいですね。

ただ、然るべき言論はこの限りではないでしょう。

「共同社会から自分を決して切り離してはいけない」
“Do not separate yourself from the community.”

社会性のない人は、やはり、おかしい。

変に浮いてしまってはいけません。

社会のルールを踏まえない人は困ったものですからね。

「時間ができたら勉強をする、と言っていたのでは、いつまでたっても時間はできない」
“You say when I have time I will study, you may not have time.”

耳の痛い言葉です。

心してこの格言をかみしめたいと思います。
posted by lawful at 20:25| 英語

2013年01月06日

宮本照夫『ヤクザな人びと』

現在、景気が上向きになりかけていますが、景気一つで人の人生はいかようにもなります。

「一寸先は闇。これが飲食店である。とりわけ飲み屋がそうだ」(宮本照夫『ヤクザな人びと』文星出版 227頁)

水商売は難しいと言われますが、難しいどころか闇の世界といってもいいかもしれません。

魑魅魍魎の世界ですね。

「この世界はまことにはかないのである。景気次第で店の一つや二つはすぐ吹っ飛ぶ。手形一つですぐ倒産する」(同書 228頁)

よく、景気が悪くなって商売がうまくいかないと嘆き、ぼやく人がいますが、水商売の世界では、嘆き、ぼやく前に吹っ飛んでしまっているのですね。

手形が落ちず倒産していなくなってしまうのですね。

ある意味、景気が悪いと文句を言えている業界の人の方がよっぽど恵まれているといえましょう。

まだ、生き延びているのですから。

「前途有望な青年に、おまえの人生をおれにくれ、おれと一緒にやっていこうなどと景気よく言う。そんな飲み屋のおやじがいたら、ほとんど詐欺である」(同書 228頁)

宮本氏の指摘は、極めて冷静ですね。

所詮、水商売は、変転極まりない世界ですよということがよく分かります。

宮本氏は、暴力団お断りで商売をし続けてきた人ですが、暴力団を以下のように分析しています。

「人はなぜ暴力団になるのでしょうか。私はよくそんなことを考えます。いろいろなヤクザを見てきて、ひょっとしたら私だって暴力団になっていたかもしれない、いや、みなさんだってヤクザにならなかったとはいえない、と思うからです。
 一足飛びに結論を申しますが、「貧困」「差別」「虐待」「偏見」、この四つが暴力団という存在を生む下地だと私は思っています」(同書 262頁)

「貧困」「差別」「虐待」「偏見」の四つが原因のようです。

「貧困」を脱するために、どのような方法であれ金銭を得るという行動になるのでしょう。

確かに「貧困」は苦しい。

どうにかしたいともがくことになることは容易に理解できます。

ただし、安易に金銭を得るために犯罪をしているようでは、人を傷つけると共に自分自身をも傷つけることになります。

真っ当な生き方をすればよいと言いたいところですが、真っ当な生き方を困難にするのが、「差別」「偏見」なのでしょう。

所謂、普通の仕事に就きたくても「差別」「偏見」で仕事が思うようにいかない。

「虐待」により、人格に問題が生じている等々の理由で、真っ当な生き方から排除されているのが暴力団ともいえます。

真っ当な生き方とは、宮本氏が指摘するような生き方ですね。

「人情は自分と相手の絆を大切にするということ、義理は自分と社会、自分と世間の因果をいつも念頭に置くということですね」(同書 265頁)

義理人情とは、関係性を大事にするということでしょう。

仏法でいえば、縁ですね。縁を大事にしたいものです。

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posted by lawful at 21:42| 雑感

日蓮を知るということ、把握するということ

日蓮の仏法を自らのものにしようとして、日蓮を読み込みますが、当然のことながら第一次資料は日蓮の書そのものです。

まずは、日蓮そのものを読み込むことが重要と考えますが、そうではない意見がありました。

「端的に言えば、それぞれの論者がどれほど日蓮の遺文(御書)を読みこんで推論・想像を逞しくしても、結局は論者の理解程度に応じて勝手な日蓮像を作りだしているだけのことで、そのような何の基準も持たない自己中心的な態度では決して日蓮の実像に近づくことはできない」(須田晴夫『日蓮の思想と生涯』論創社 453頁)

須田氏によると、日蓮の書を読み込んでも日蓮は分からないと言っているようです。

どういうことなのでしょうか。

私は日蓮の書そのものが基準となると思うのですが、須田氏は基準にならないと言っているようです。

また、日蓮そのものを読むことが自己中心的な態度であると言います。

確かに、須田氏の言うように、日蓮を読む人間の境涯に応じてしか日蓮を理解することができないという点は、私も同感です。

それは、致し方のないことでしょう。

所詮、自分の人生は自分の境涯の範囲内での人生でしかなく、日蓮を把握するといっても、その人間の境涯の範囲内でしか日蓮を把握することはできません。

そうはいっても、やはり、日蓮を把握する時に日蓮の書を外しては話になりません。

ある意味、日蓮を読むということは、自らの境涯をより広げるためであるといえます。

自らの境涯を広げることなしに日蓮を読むということはあり得ないといえましょう。

日蓮を通して成長するというのが真っ当な生き方のように思えます。

続いて須田氏の主張を見てみましょう。

「日蓮の真実の思想体系を知るためには、やはり日蓮に随順して日蓮の人格を深く理解し、内奥の思想を日蓮から直接伝えられた高弟の理解を指標とする以外にない。師弟を外して仏法を捉えることはできないからである。具体的には、われわれは、伊豆流罪の時から入滅の時に至るまで最も長く日蓮の近くに仕え、日蓮の正統継承者の自覚に立った日興を通して初めて日蓮の真実の思想を知ることができると考える(言い換えれば、日興を度外視した日蓮解釈は無意味である)」(同書 454頁)

須田氏の主張ポイントは、日興を通して日蓮を把握するという点にあります。

日興門流の立場からすれば、当然の帰結です。

日興は、日蓮の高弟のひとりであり、重要人物ですから、日興を無視して日蓮を解釈することはできないという点に関して、私も同感です。

日蓮をどのように受け継いだかという点は、現代の我々にとっても重要な事柄であり、それを踏まえて日蓮を理解することは当然のことと思います。

ただ、須田氏の主張をみると日興を通してしか日蓮が理解できないと言っているようです。

基準、指標が日興になってしまっています。

私からすれば、基準、指標はあくまで日蓮であるべきと考えます。

なぜ、基準、指標が日興になってしまうのでしょうか。

もちろん、日興門流の立場だからだといえますが、日興門流の立場であろうがなかろうが、日蓮を把握する際には、やはり、日蓮そのものを基準にし、日蓮の書を読み込むべきでしょう。

須田氏が言うように「論者の理解程度に応じて勝手な日蓮像を作」ることになるかもしれませんが、それは日興においても同様でしょう。

日興を通して日蓮を理解するといっても、論者の理解程度に応じて勝手な「日興を通した」日蓮像を作ることになるだけとも言えます。

私も日興を通した日蓮という視点を重要視しますが、須田氏ほど日興に重きを置きません。

重きを置くのは日蓮であり、その日蓮理解を助けるべく、日興の業績にも目を配るという態度です。

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posted by lawful at 21:08| 日蓮

自分自身にとっての安全保障

「議員になったとき、竹下先生や金丸先生によく言いきかされたのは、
「国家の基本は、安全保障、外交、教育、治安だ。この四つだけはしっかり頭に入れておかなければ、政治家として失格だ」
 ということ」(鈴木宗男『政治の修羅場』文春新書 124頁)

政治家にとって、安全保障は第一に考えなければならない問題であることは、論を俟ちません。

ただ、安全保障は、政治家だけが考えることでしょうか。

もちろん、国民ひとりひとりが考えることですが、あまり専門的に考えたり、複雑に考えたりすることは、実際のところ、難しいでしょう。

もっと身近なところから、自分自身にとっての安全保障を考えてみようと思います。

例えば、誰に対しても丁寧に接する、誠実に応対するということは、倫理の問題、善行の問題というよりは、安全保障の問題といえます。

どこで怨みを買うかわからないからです。

自分自身の身を守るために丁寧であり誠実であるということです。

倫理、善行という生易しいもの、麗しいものではなく、生きるか死ぬかの殺伐とした安全保障の次元で自らの振る舞いを見つめ直すことは有益だと思います。

しかし、調子に乗っている人間、思い上がった人間、人を嫌な気持ちにさせる人間、失礼な人間、厚かましい人間等々、所謂、悪い人間に不愉快にさせられることがあり、つい悪口が出てしまいそうになることがあります。

そのような場合、悪口を言わないということも、倫理、善行の問題というよりは、安全保障の問題と考えた方がすっきりします。

悪口を言わないことは善い振る舞いであるなどという甘いものではありません。

他者からの危害を受けないようにする防衛という観点から悪口を言わないということを考え直すことですね。

そうすれば、悪口を言いたくなるという浮ついた気持ちなど吹っ飛んでしまいます。

あまり怨みの感情は持たないことですね。

自分が損をしますし、自分を傷つけることになります。

単に不愉快になるだけでなく、悪い人間をしっかりと観察し、他山の石とすべきでしょう。

また、どうでもいいことにあまり関わらないことです。

価値のない事柄に囚われないことが大切です。

つまらないことに時間を費やすことは、自分自身の生命を傷つけることに等しいと考えてよいと思います。

もちろん、他者が悪いという時ばかりではなく、自分自身が悪いということもあります。

自らの至らぬ点に気付いたときは、私自身は何も変わっていませんよという顔をしながら、さり気なく至らぬ点を改善しておくことです。

いつの間にか、誰にも気付かれることなく、成長しているというのが理想です。

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