「議員になったとき、竹下先生や金丸先生によく言いきかされたのは、
「国家の基本は、安全保障、外交、教育、治安だ。この四つだけはしっかり頭に入れておかなければ、政治家として失格だ」
ということ」(鈴木宗男『政治の修羅場』文春新書 124頁)
政治家にとって、安全保障は第一に考えなければならない問題であることは、論を俟ちません。
ただ、安全保障は、政治家だけが考えることでしょうか。
もちろん、国民ひとりひとりが考えることですが、あまり専門的に考えたり、複雑に考えたりすることは、実際のところ、難しいでしょう。
もっと身近なところから、自分自身にとっての安全保障を考えてみようと思います。
例えば、誰に対しても丁寧に接する、誠実に応対するということは、倫理の問題、善行の問題というよりは、安全保障の問題といえます。
どこで怨みを買うかわからないからです。
自分自身の身を守るために丁寧であり誠実であるということです。
倫理、善行という生易しいもの、麗しいものではなく、生きるか死ぬかの殺伐とした安全保障の次元で自らの振る舞いを見つめ直すことは有益だと思います。
しかし、調子に乗っている人間、思い上がった人間、人を嫌な気持ちにさせる人間、失礼な人間、厚かましい人間等々、所謂、悪い人間に不愉快にさせられることがあり、つい悪口が出てしまいそうになることがあります。
そのような場合、悪口を言わないということも、倫理、善行の問題というよりは、安全保障の問題と考えた方がすっきりします。
悪口を言わないことは善い振る舞いであるなどという甘いものではありません。
他者からの危害を受けないようにする防衛という観点から悪口を言わないということを考え直すことですね。
そうすれば、悪口を言いたくなるという浮ついた気持ちなど吹っ飛んでしまいます。
あまり怨みの感情は持たないことですね。
自分が損をしますし、自分を傷つけることになります。
単に不愉快になるだけでなく、悪い人間をしっかりと観察し、他山の石とすべきでしょう。
また、どうでもいいことにあまり関わらないことです。
価値のない事柄に囚われないことが大切です。
つまらないことに時間を費やすことは、自分自身の生命を傷つけることに等しいと考えてよいと思います。
もちろん、他者が悪いという時ばかりではなく、自分自身が悪いということもあります。
自らの至らぬ点に気付いたときは、私自身は何も変わっていませんよという顔をしながら、さり気なく至らぬ点を改善しておくことです。
いつの間にか、誰にも気付かれることなく、成長しているというのが理想です。