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2023年12月28日

小林秀雄の講演

小林秀雄さんが私たちの高等学校へ講演にきたことがあります。
(中略)
小林さんは、外国語の本を読むのにも、一日一冊を片づけられる程度のはやさがなければ、そもそも外国語の知識というものは使い道にならない、という演説をしました。
加藤周一『頭の回転をよくする読書術』光文社 97頁

加藤周一が通っていた高等学校は、旧制一高であり、現在の東京大学教養学部ですが、小林秀雄が講演に来るとは相当なことですね。そして、講演の内容も外国語の本を一日一冊読めるほどの力がなければならないというのですから、強烈です。レベルが高すぎますね。目眩がしそうです。

我々からすると浮き世離れした話に聞こえます。もちろん優秀な人は一定数いますから、小林秀雄、加藤周一のような人がいるのは確かですが、我々庶民からしますと、知性の超人の話にしか受け取れません。

小林秀雄が講演に来てくれるというのもすごいのですが、その聴衆の一人が加藤周一というのもすごいことですね。加藤周一は、さらりと書いていますが、なかなかディープな話です。

レベルが高いところには、レベルが高い人々が集まるということでしょう。我々も少しでもレベルが高いところに至れるように日々精進しなければなりませんね。外国語の本を一日一冊読むのは無理にしても、それなりの速度で読めるようにはなりたいものです。ある程度の速度で読めませんと読む気にならないですからね。

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2023年11月28日

カルヴァンの予定説

キリスト教には、予定説というものがあると世界史で勉強しました。救われる人と救われない人とは、はじめから決まっているという説です。思い切った説であるなと感じていましたが、なんとなく、そうだろうなとも感じていました。

仏教徒としては、キリスト教のひとつの説という認識であり、気になる説ではありながら、深く考えることはありませんでした。

しかし、仏教信仰、法華経信仰、日蓮信仰をしていく中で、また、一時、新宗教団体での活動をしていく中で、救われる人と救われない人がいるという現実を見続けてきました。どうしようもない業を感じるのですね。実は、予定説のとおりなのではないかと感じることが多くなりました。

もちろん、仏教、法華経、日蓮の思想からは、予定説をいう必要はなく、修行すれば、すべての人々は仏の境涯を得ることができるという信仰になるのですが、やはり、予定説が引っかかるのですね。なぜか気になるのですね。

そこで、カルヴァンは予定説について、実際どう言っているかが気になりました。予定説と言われているけれども、カルヴァン自身は、はっきりと救われる人間と救われない人間がはじめから決まっているとは言っていないのではないかと想像していました。ああでもないこうでもないとカルヴァンがいろいろ論じている中で、予定説といえるような言説がそれらしくあるという感じかと思っていました。

しかし、カルヴァンの著作である「キリスト教綱要」を確認すると、
わたくしたちは、予定を、神の永遠の定め(aeternum Dei decretum)と呼びます。この定めに従って、神は、何が、各自に起きるべきかを決定します。なぜなら、すべての人は、同じ状態に創造されていないからです。ある人には、永遠の生命が予定され、ある人には、永遠の滅亡が予定されているからです。
カルヴァン 「キリスト教綱要」3.21.5 小平尚道訳 『世界大思想全集(社会・宗教・科学思想篇29)』 河出書房新社 153頁

とあります。

予定説そのまんまですね。モロ予定説です。はじめから決まっているという穏やかな言い方ではなく、神が決定しているのですね。神の決定、それも神の永遠の定めですから、人間がどうのこうのできる問題ではありません。ここまではっきりと予定説を言っているとは思いませんでした。

よく現代の哲学者、思想家にあるように、うだうだ言いながら、結局、何が言いたいのかはっきりしない言説が多い中、カルヴァンは、明確に、明瞭に、一切の誤解を許さない書きっぷりで永遠の生命が予定されている人間と永遠の滅亡が予定されている人間が神によって決定されていると言います。

すべての人は同じ状態で創造されていないということですから、平等ではないのですね。法華経薬草喩品では、「三草二木の喩え」があり、圧倒的な平等観に貫かれていますが、予定説では、あっさりと救われる人間と救われない人間が分断されています。

法華経信仰をしながらも、カルヴァンの予定説は気になってしまい、なぜか、魅力的に感じるのですね。実際は予定説ですよと何かがささやいているように思えるのですね。

では、私は、と考えますと、やはり、そこは仏教的な感覚が出てきて、信仰する人間であるから、救われる人間だろうと簡単に判断してしまいます。ここが仏教信仰、法華経信仰、日蓮信仰している人間に特徴的なところなのでしょうね。予定説を採用しても、私は救われる側の人間ですと自分で決定してしまうのですね。キリスト教を信仰しているわけではないので、神が決定するという感覚が今ひとつ分からないのですね。

自分については、予定説であっても救われる側であることは確実としながら、他者を見るときには、この人は救われない側の人ではないかと、予定説が出てきます。当然、世の中は、ある意味、不条理ですから、不幸になる人々も多く、その姿を見続けますと、法華経信仰に基づき、すべての人々が成仏できると安易に夢想できないのですね。やはり、予定説でしょう、となるのです。予定説は、気になる説であることは確かです。

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2023年11月09日

12年という単位で物事を考える

物盛んなればすなわち必ず衰え  驍ればまた替あり
速成は堅牢ならず  すみやかに走れば顚躓多し
灼灼たる園中の花  はやく発きてまたまず萎む
遅遅たる澗畔の松  鬱鬱として晩翠を含む
賦命は疾徐あり  青雲は力めて致し難し
語を寄せて諸郎に謝す  躍進は徒為のみと
『蒙求・小学 (中国の古典)』村山吉広 編訳 講談社 235頁

「速成は堅牢ならず」を強く感じております。人生、何事をするにも時間がかかるものです。

それなりの知識を身に付ける場合でも、資産運用をする場合でも、人との付き合いを充実させる場合でも、とにかく、時間が必要なのですね。じっくりと取り組まないと何事も成就しないわけです。

つい、人は、早く早くといきり立ちますが、結局、何事も身に付かず、漂って迷走しています。私もそのような感じであったと思い返します。

では、どのくらいの時間を考えればよいのか。10年ひと昔と言うぐらいですから、10年でもよいのですが、何か10年ではキリよすぎて、すっきりしないのですね。もうひとつと言いましょうか、何かが必要な感じがするわけです。

あと2年足して、12年というのがよいように思います。ちょうど干支が一回りするのが12年であり、物の個数の単位として1ダースというのがありますが、これも12ですね。1年間は12ヶ月であり、12という数字にはなじみがありますし、収まりがいいように感じます。

また、小学校、中学校、高等学校の年数を合わせると12年間であり、ある一定の知識や経験を積むには、12年かかるのでしょうね。

このように、12年間という期間は、物事を成就させるのにちょうどいい時間と思えます。今までの人生を振り返りますと、12年ぐらいでひとつの形ができたように思います。それなりの時間が必要なのですね。

もちろん、12年以上になると、長くなりダレてしまいますが、ここは、干支が一回りするのと同じように、新たな12年が始まると考えればよいですね。12年間を繰り返すのが人生と言えましょうか。

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2023年08月06日

仏と神との融合

つらつら微管を傾け、いささか経文を披きたるに、世皆正に背き、人ことごとく悪に帰す。故に、善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還りたまわず。ここをもって、魔来り、鬼来り、災起こり、難起こる。
『日蓮大聖人御書全集』新版 25頁 (立正安国論)

仏教の正しい法に背き、悪道に陥ると、善神はいなくなってしまうと言っています。そのため、魔と鬼とがあらわれ、災難が起きると言います。

善神がいれば、魔と鬼があらわれることもなく、災難が起きるにしても、大事にはならないわけですね。

善神にはどうしても国にいていただかなければなりません。去ってもらっては困るのですね。

このように日蓮は、「立正安国論」において、善神が必要不可欠と述べているといってよいでしょう。善神を排除していないのですね。よって、曼荼羅本尊には、「天照大神」、「八幡大菩薩」が勧請されています。その他の神々も善神として連なっていると考えるのがよいでしょう。

ある意味、日蓮仏法は、神仏習合となっています。立正安国論の記述や曼荼羅本尊の相貌をみるとそれは明らかです。日本の神々と仏教とを融合させたのが日蓮仏法といえるでしょう。

日蓮が正しい法とするのは、法華経ですが、法華経を中心に信仰をする中で、曼荼羅本尊に向かって、勤行、唱題をしていきますと、「天照大神」、「八幡大菩薩」が目に入ります。仏道修行をしているのですが、同時に、伊勢の神宮と宇佐神宮とに参拝していることになるのですね。また、その他の神々も連なっていると考えますと、八百万の神の神社に参拝しているのと同様となるわけです。

法華経の修行をしながら、神々にまでその信仰が広がっていきます。曼荼羅の世界は、この世の中をすべて包含するわけですから、ある意味、当然の事柄なのですが、カルト的に信仰をしますと、特定の教団のみを至高とするようになり信仰が偏るのですね。やはり、法華経の記載、御書の記載、曼荼羅本尊の相貌を確認しながら信仰するのがよいですね。

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2023年03月24日

日蓮仏法の骨格

日蓮の書を読むにあたり、骨格となる御書を確認しておくことは有益でしょう。

また、日蓮の生涯を「初期日蓮」「佐渡期日蓮」「身延期日蓮」と区切り、以下のとおり、それぞれの時期に2つの御書を選定するのがよいでしょう。

【初期日蓮】
「守護国家論」「立正安国論」

【佐渡期日蓮】
「開目抄」「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」

【身延期日蓮】
「撰時抄」「報恩抄」

結局、五大部に「守護国家論」を付け加えただけですが、やはり、五大部が日蓮仏法の骨格といえます。また、初期日蓮の著作として「守護国家論」は外せません。

上記6つの御書を丹念に研鑽することによって日蓮仏法の骨格が出来上がります。その上で他の御書を研鑽していくならば、充実した御書研鑽となるでありましょう。

まずは、骨格から固めていくという姿勢は大切ですね。

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2022年05月30日

時間を迹門、本門で考える

妙法蓮華経28品の内、前半14品を迹門、後半14品を本門といいます。勝劣派からすると迹門よりも本門の方が重要と考えますが、この迹門、本門を時間に当てはめて考えると面白いのではないかと思います。

過ぎ去った時間は迹門、これからくる時間は本門、つまり、人生はこれからだという感覚を常に持ち続けることができるのではないでしょうか。

もちろん、勝劣派の立場をとっても迹門は重要であるのと同様、過去も重要です。しかし、もっと重要なのは、これからの時間です。過去よりも未来が良くあるべきという感覚が大切です。

常にこれからが本門であるという姿勢が好ましいですね。

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2022年05月29日

まずは、本尊に大書されている文字を読むこと

南無妙法蓮華経とは、文字通り、妙法蓮華経に南無すること、帰命することです。妙法蓮華経の通り生きていくことといえるでしょう。

では、その妙法蓮華経とは何なのか。鳩摩羅什が翻訳した経典である妙法蓮華経ですね。妙法蓮華経には、どのようなことが説かれているのか。端的に言うと成仏できますよということ言っているのですね。舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来、目連は多摩羅跋栴檀香如来、阿難は山海慧自在通王如来というふうに仏から記別を受けています。

妙法蓮華経に南無するとは、自らが仏に成ることなのですね。南無妙法蓮華経とは、衆生が仏になれることをあわらした名号であり、日蓮の文字曼荼羅本尊には、真ん中に大書されています。この本尊に向かい、南無妙法蓮華経と唱えることは、自らが仏の境涯に至りますと言っていることと同義ですね。

よって、南無妙法蓮華経と唱えながら地獄界、餓鬼界、畜生界の三悪道の境涯に留まることは、あり得ないことです。万一、三悪道に留まっているとするならば、その人の唱えているのは、南無妙法蓮華経ではなく、何か得体の知れない名号といえるでしょう。

実際、そのような人は、南無妙法蓮華経とは言っていないですね。よく聞き取れませんし、文字にもできないような変なことを言っています。本尊には、南無妙法蓮華経と書いているのですから、それをそのまま読んで発音すればよいものを、全く違うことを言うのですから意味不明といったところです。

結局、目の前にある本尊の文字を見ていないということなのですね。このようなことでは、信仰になりませんので、我々としては、本尊に書いている通り、南無妙法蓮華経と唱え、自らを仏の境涯にすべく精進することですね。

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2021年12月30日

三世の考え方から、勉強を考える

子供の時、学生の時にもっと勉強しておけばよかったと大人になって気付きます。そして、いまさら勉強でもあるまいし、と思うこともありますが、今世だけでなく来世もあるという仏教的なものの考え方からすると、気付いたときが勉強するスタート時点であることが分かります。

生命が永遠であるかどうか、正直なところよく分かりませんが、仏法的な考え方からすると過去世、現世、来世と続くわけですから、時の流れに終わりはありません。仏教の時間の流れからすると、常に出発時、スタート時なのですね。
心地観経に云わく「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」等云々。
『日蓮大聖人御書全集 新版』112頁(開目抄)

未来に然るべき果を得たいと思うならば、現在にその因を積む必要があります。まさに、今、勉強すべきなのですね。

人間、いつ死ぬかも分からず、とにかく、元気な内に勉強することですね。年を取れば取るほど、勉強は困難になります。ただ、勉強を続けておけば、年を取ってもその勉強してきたという蓄積があるおかげで、そんなに労力を使わなくとも勉強ができます。

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2019年11月22日

岩波 国語辞典 第八版

岩波国語辞典の第八版が発売されました。早速、中身を確認しておりますが、まずは、しんせい【新生】を引いてみました。
しんせい【新生】
@ 新しく生まれ出ること。
A 生まれ変わった気持で人生に再出発すること。特に、信仰によって心が一変した状態。

国語辞典も数年に一度、改訂があるように、我々も常に新しく生まれ出ることが肝要ですね。

いくら年を重ねようとも、常に生まれ変わった気持ちが必要であり、常に再出発であるべきでしょう。

また、新しく生まれ出るにしても、生まれ変わった気持ちになるにしても、再出発するにしても、その根本には、信仰がなければなりません。信仰に基づき、単なる過去からの延長上の再出発ではなく、自身の心が激変するほどの状態に至る必要があるでしょう。

岩波国語辞典では、新生について、信仰の観点からの説明があり、適切な語釈と思いますね。単に変わるといっても、信仰の裏付けのない変化は弱々しいものです。

岩波国語辞典で、「日蓮」、「法華経」の見出し語はありませんが、「日蓮宗」との見出し語があります。
にちれんしゅう【日蓮宗】
日蓮を祖とする、法華経信仰による仏教の宗派。

「日蓮宗」の語釈の中に、「日蓮」、「法華経」がしっかりと組み込まれています。

そのほかの言葉も見ていきましょう。
ぶっきょう【仏教】
釈迦牟尼が説いた教え。それに基づく宗教。現世の迷いを去り、悟りを開いて仏陀(=宗教的自覚者)になることが目的。インドに起こり、主に東アジア・東南アジアに広がっている。教派が多い。

端的に仏教の説明がなされています。いかにも国語辞典といった安定感ですね。

岩波国語辞典は、オーソドックスな語釈であり、安心して使用できます。

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2019年06月30日

言語で思考しているわけではないこと

結論を先にいえば、言語が話し手の思考を大幅に規定する、という説の科学的根拠は存在しない。
スティーブン・ピンカー『言語を生みだす本能』[上]椋田直子訳 日本放送出版協会 78頁

よく、日本語で考える、英語で考えると言うことがあります。つまり、言語でものを考えていると言うことがあります。しかし、実は、言語でものを考えているわけではないようです。

考えたことを表現する際、日本語や英語という言語を使用するので、言語でものを考えていると思うのでしょうね。

自分自身の思考を思い返してみますと、考えたことを言語で表現できないことがあることに気付きます。

言語でものを考えているならば、言語で表現できないという現象は起こりえません。

つまり、言語とは違う、なにものかによって思考しているのですね。

考えてみれば、すべてを言語で表現できるわけもなく、そのため、人間は、絵画で表現したり、踊りで表現したり、音楽で表現したり、所作で表現したりとさまざまな表現方法を用います。それらをすべて用いたとしても、考えたことをすべて表現し尽くしていないと思います。せいぜい、考えたことのほんの一部を表現しているだけかもしれません。

思考の範囲はとてつもなく広く、大きく、無限に近いかもしれませんね。ただ、その思考したもののうち、一部分だけが表現されているということでしょう。

そうしますと、これから、今まで表現されてこなかったものが、少しずつ表現されてくるのではないかと想像することができます。

人間の歴史とは、思考したものを表現していく過程ともいえそうです。

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