結論を先にいえば、言語が話し手の思考を大幅に規定する、という説の科学的根拠は存在しない。
スティーブン・ピンカー『言語を生みだす本能』[上]椋田直子訳 日本放送出版協会 78頁
よく、日本語で考える、英語で考えると言うことがあります。つまり、言語でものを考えていると言うことがあります。しかし、実は、言語でものを考えているわけではないようです。
考えたことを表現する際、日本語や英語という言語を使用するので、言語でものを考えていると思うのでしょうね。
自分自身の思考を思い返してみますと、考えたことを言語で表現できないことがあることに気付きます。
言語でものを考えているならば、言語で表現できないという現象は起こりえません。
つまり、言語とは違う、なにものかによって思考しているのですね。
考えてみれば、すべてを言語で表現できるわけもなく、そのため、人間は、絵画で表現したり、踊りで表現したり、音楽で表現したり、所作で表現したりとさまざまな表現方法を用います。それらをすべて用いたとしても、考えたことをすべて表現し尽くしていないと思います。せいぜい、考えたことのほんの一部を表現しているだけかもしれません。
思考の範囲はとてつもなく広く、大きく、無限に近いかもしれませんね。ただ、その思考したもののうち、一部分だけが表現されているということでしょう。
そうしますと、これから、今まで表現されてこなかったものが、少しずつ表現されてくるのではないかと想像することができます。
人間の歴史とは、思考したものを表現していく過程ともいえそうです。