天才・偉人エニアグラム診断で分かる9つの性格に見合った9つの成功例 あなたにはあなたの成功法がある。30分で読めるシリーズ |
創価学会員のやっていることは「脳内自己完結」だと主張するアンチ創価の人たちがいますが、人間一人の個性には有限性がある事は確かなので、別に創価学会員であろうとなかろうと、どんな人間にも「自己完結性」というのはあるのですね。
俺には「自己完結性」はない! と断言する人は、一人の人間としての自らの有限性に気付いていないというか、無自覚であるという事です。
北野武監督の映画を観ると「人間なんて、こんなもんなんだよ」という意識を垣間見ることがありますが、どんなに自分の可能性を無限だと思っている人でも、周りの人たちは、そういう誇大妄想の人の有限性に気付いていることが少なくありません。
人間の一生に与えられた時間は有限なので、自分のやりたいことを一つに絞るなり、目的の対象物を取捨選択しない限り、私たちは真に豊かな人生を味わうことはできません。
財産だって、無尽蔵にあるわけではないので、欲しいものは常に厳選しなければなりません。
大学を中退した頃の18〜19歳の私は、自分自身の有限性にかけては自覚的で、だからこそ、自分のやりたいことを文学と哲学に絞り込み、市民運動に参加して小説家兼活動家を志すというニート生活を送っていたのです。
自分自身の有限性を自覚するというのは、自分にできることとできないことを知悉し、できないことは一切やらないことです。
ところが、そのようなニート生活を三年か四年ほど送ると、私は突然、創作学校と通信大学のダブルスクールに通うことを思い立ち、同時に余った時間では、室内での筋トレとスポーツジム通いを始めるんですね。
どのような考察と方法論を経て、それまで「できない分野」と見做していた筋トレやスポーツを私が自己の生活に取り入れたかという顛末に関しては、バナー広告に貼ってある『運動不足解消の技術』、『運動習慣向上の秘訣』に全て書かれているので、御参照下さい。
で、ダブルスクールやスポーツジム通いを経て、私の可能性は無限になったかというと、やはり、私の生活には有限性というか、「自己完結性」があるわけです。
自己完結性があると私が自分で言えるのは、他ならぬ私自身が、自らの有限性に関して自覚的であるという事の証明なのですが、今の私は、トレーニングのメニューを隔日でベンチプレス、腹筋ベンチ、木人椿の鍛錬の三種目に絞っています。で、ベンチプレスのインターバルの日には、棒術のトレーニングをしています。
トレーニングのメニューを絞り込んでいるので、せいぜい1〜2時間くらい、そんなに長い時間鍛えているわけではないのですね。
これが自己の有限性を弁えるという事です。
私には本を読む時間や映画を観る時間、酒を飲む時間や内職をする時間も必要です。
最近では、外で仕事をする時間も長くなりました。
私は自己の有限性に関して自覚的ですが、他人の生活を見ていても、親しく交わった知人・友人にも、その人たちに固有の有限性があるな、と思う時があります。
十代後半の時に、私が親しく交わった知己は二人いて、一人は人生の先輩としての詩人の古賀学故氏、もう一人は、創価学会の是非を巡る意見の対立で、後に仲違いすることになる写真家の香取勇進なんですが、この二人にも親しくなればなるほど、彼等の生活に固有の有限性というのがあったのですね。
例えば、古賀学故氏は、子供が三人いて、個人の車で仕事をしていて、住まいもアパート暮らし、酒は嫌いだけど喫煙が習慣なので、生活したり経験したりするのに元々、お金を遣う。なので、私のように本を集めるのに金を出したり、資料を図書館でコピーしたりするのは「勿体ないぞ」という感じなんですね。これは、古賀学故氏の有限性です。
また、こんな事もあります。
大学を辞めて、「正典主義」の萌芽となる理念のもとに、古今東西の文学書や哲学書を読み始めた私が、自分のやりたいようにやっているという意味では「巧くいっている」と香取勇進に言った時、彼は「巧くいっている?」と私に聞き返したことがあります。
その後の香取勇進は、映画学校を辞めて、四年制大学を目指し始めるのですが、その時、私は自分の考えと彼の考えには、相当、隔たりがあるなと感じたんですね。
香取勇進の場合は、何をするにせよ、「社会的関係性」というのが基準で、今あるその関係性を受け容れて進路を形成するという、世間や社会に対して従順な側面があるんです。
四年制大学を中退して、今もその教育方針や世間の価値基準には断固反対している私のような、世間や社会に対する反抗心は微塵もない。
仮に、香取勇進に反抗心があったとしても、それは哲学・思想レベルの不良的思考ではなく、せいぜい、行為の不良に留まるのではないかと思います。既成道徳や社会的通念・モラルを破壊できないというのが、香取勇進の有限性です。
なので、創価学会員であろうとなかろうと、人間が一人の個性として世の中に生きている以上、その存在や可能性自体が元々、有限です。
創価学会を信仰していようとしていまいと、「自己完結性」というのは、どんな人間にも付いて回ります。
創価学会員には「脳内自己完結」の奴が多いと不満を漏らすアンチ創価の人たちは、他ならぬあなた方自身が無限といえるのかどうか、そこから考察された方が宜しいかと思います。
尚、今回の記事もまた、創価学会に関して言及してしまいましたが、このブログで示した私の意見は、他ならぬ私個人の我見を表明しているに過ぎないので、宗教法人としての創価学会の指導とは異なります。なので、このブログを閲覧されていて、もし、少しでも創価学会に関して興味をお持ちになったら、なるべく、私の意見は脇に置いて、創価学会が発行している機関紙「聖教新聞」なり、理論誌「大白蓮華」なりを購読するようにして下さい。
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