2015年01月05日
先験的独我論を私は肯定します!\(^0^)/
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対象との関係性が人によって自ずと異なるなら、実際には、肉眼で見ている世界も、人によってバラバラです。
その事実を科学的に明らかにしているのが、上にバナーを貼った『イメージ脳』という本なのですが、
実際に、身長の高さによって、外出の際に見える風景は全く違って来ますし、
人間にはこれまで体験してきた「関係性(=縁)」の歴史が、その人の世界に対するフレーム(見方)を創りますから、
今、私たちの肉眼に見えている風景というのは、現実的にも科学的にも、私たち個々人が各自で創り出した産物なのです。
人間以外の動物を譬えにすると、コレは解りやすいのですが、猫にしても犬にしても、烏や蜂にしても、人間の眼球が捉える風景とは全く異なる世界が、その動物たちの眼球には映し出されています。
人間の肉眼に映る風景も、実際は、人間の機能が創り出したモノで、その人間さえ地上からいなくなってしまえば、その人が捉えた世界というのはやはり、其処から消えてしまいます。
かくて、デカルトやウィトゲンシュタインの理論を用いずとも、私たちの独我論というのは成立してしまうわけです。
仮に、このブログを閲覧している貴方が明日、亡くなってしまうとすれば、貴方の眼に今、映っている世界というのは全て消えてしまうわけです。
貴方がいなくなった後に、世界が続いているか否かは、貴方自身が亡くなってしまった以上、もう関係ない。
私が先験的独我論を素朴に肯定しているのは、こうした事情があるからなのです。
ところが、世の中にはこうした現実を全く把握せずに、但、独我論を怖い怖い哲学だと考えている人たちがいるのですね。
私たちが目にしている世界というのは、各自の感じ方や世界観、五感の機能によって、実は一人、一人、微妙に違っている筈なのですが、それを誰もが同じだと決め付けている人たちがいます。
私はこれを絶対に間違いだと思っているのです。
先の記事で、本人と対象との関係性(=縁)が、その対象に価値があるか否かを決める、との持論を述べて来ましたが、この事実をハッキリと認識している日本人は意外に少ないと思います。
効果的な時間管理の探究を模索しようとも、それは本人にとって最も価値のある時間を追究する事が狙いで、その為には自分の価値の機軸を明確にする事が必要になって来ます。
要するに、時間やお金を遣うにしても、自分にとって価値がある事は何かという基準を明確に打ち出しておく必要があるのです。
本当に幸福な人生を生きたいなら、他者の基準ではなく、自分自身の価値観に順応する必要があるのです。
ところが、日本では、こうした生き方をすると、周りで咎める人たちが多いのですね。
端的に云えば、高校や大学を卒業した後は就職して結婚して子供を産み、育児の為に残業しながら働くという、今の日本人に最もありがちな「人間の成長スパイラル一極主義」というのは、日本の産業化(近代化)以降から普及した定言命法的な価値基準であり、
このブログの著者である私は、そうしたスパイラルに対する対象価値を承認していない、絶対に承認しない! という事を繰り返し主張しているわけです。
分かって貰えますよね?
そして、こうした「人間の成長スパイラル」に対抗する形で、日本のサブカルチャー性を悉く排除して、「正典主義(前時代優越主義)」という、古典の読解とクラシック映画鑑賞とベンチプレスの三つを三位一体の中核とした生活法を実践するように至った訳です。
私の考えでは、この「正典主義」の三位一体の生活法には、その根底に日蓮主義の思想が不可欠であり、だからこそ、私は創価学会員であり続けるのです!
ハッキリ言って、私の本心が罷り通るなら、創価学会の御本尊には何を祈っても良いと思っているわけですよ。
日本の現行の刑法では、丑の刻参りのように神仏に祈願して相手を呪う事は「不能犯」と見做され、処罰の対象にはなり得ない事になっています。
私は、丑の刻参りよりも、創価学会の御本尊の功力を信じていますから、その御本尊でどんな願いも叶うなら、何を祈ったって良いじゃないか! くらいの事は普通に考えます(^^)
自分の復讐の手段こそが、創価学会の信仰だ! とさえ思っているのです(^^)
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