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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2014年07月30日
今回だけはバナー広告一切なしの記事で、本音を書きます!(^0^)/
さて、鹿島茂御大の著書、『文学は別解で行こう』を通して、このブログの作者である私自身の借金癖や浪費癖について解説した先の記事から、全くこのブログを更新せずに何ヶ月(半年以上?)かが過ぎてしまいました。

実際には先の記事を投稿した時、世間に対し私がこのブログで訴え主張したかったことは、全て言い終えてしまったのですね。作家を目指していた私は、小説を公表することなく、自らの主張をオンラインで全て書き尽くしてしまった。本当は、先の記事を投稿し終えた時点で、このブログの大まかな主張もほぼ完成されてしまい、更新の余地などなくなってしまったわけです。だから、Twitterの私のアカウントは毎日更新する一方で、此方のブログの方は一時、放置状態になっていました。

ところが、大学を卒業して数年が経過した今、敢えて、このブログで指摘しておきたい問題がある事に気付きました。この問題について書くべきか書かぬべきか、私は数年ほど悩んでいたような気がします。私がその問題を露わにする事で、もしかしたら、その発言は組織の和を乱す自分一人の身勝手な発言と思われてしまう可能性がありますし、このブログを閲覧した人たちの多くにその考えが伝染し、その人たちの人生を破壊してしまう可能性もある。

ですが、その考えを敢えて、このブログに公表する事で、世間にその是非を論じさせることも出来るでしょう。私は、これまで自分が一番悩んでいた事を此処に書くことに決めました。

私はこれまで二回、大学に入学しており、高校時代に現役で入学した最初の大学はその義務教育的なカリキュラムと道徳的気風に失望し、早々に中退。その後、引きこもったまま小説を書き続けましたが作家にはなれず、止む無く、三年制の小説教室と四年制の通信制大学に通うようになりました(別に浪人はしなかったです)。今の私は、この二つの学校のカリキュラムを全て修了し、既に卒業している事も念を押しておきます。

問題は大学の二年目だったのですが、その夏季スクーリングの授業で隣の席に座っていた生徒と険悪なムードになったのです。その生徒は私よりも年下の平成生まれで、声の調子や見た目はタイプ2以外の何物でもない。兵庫県からその授業を受けに来たらしいですが、その若い平成生まれのタイプ2は、インターネット上での私の書き込みを見たことがあるのか、私とは非常に険悪になりました。

タイプ2の人物というか、特にタイプ2の男に関してはこのブログでも再三、私は批判しています。日本大学写真学部出身で、私と同じ高校の元同級生だった写真家の香取勇進は、創価学会が大嫌いで、私にとっては無二の親友でしたが、実際は様々な局面で私を裏切ったり根回ししたりしていた事が分かり、数年後に、彼は「アンダーソン」というHNで執拗に私を批判し、鶏ガラ野郎に根回しし、私の実名を掲げて「ゴーゴーセフレ」というなりすましブログまで運営するようになります。

実際に、香取勇進と、夏季スクーリングで険悪になった平成生まれのタイプ2は、顔や髪型や声の調子だけでなく、角張った肩の骨格まで良く似ていました。タイプ2の骨格というのは、余り体を鍛えていない人でも、肩甲骨が浮き上がっているのですよ。問題なのは、その平成生まれのタイプ2が同じ思想を信奉する同志だった事です。

創価学会名誉会長池田大作先生も、「君たちも職場や(創価)学会の人間関係で悩むだろう」みたいなことを仰っていたような気がしますが、創価学会の外で自分が苦手とした相手と全く同じタイプの人間が、同じ思想を信奉する組織にもいることに私は吐き気を催したのです。

タイプ2の男の特徴は、根回しが得意であり、人の悪口が巧いという事です。親友になれば、良き理解者となるし、彼等は元々、人間関係が巧いので、余り悪いイメージを持つ人は少ないですが、私はダメなんですね。

平成生まれの生徒たちが携帯電話でのやり取りで何を話していたのかは知りませんが、何故か、兵庫県出身のそのタイプ2の男のせいで、私が小説を書いている間、仕事らしい仕事を何もしなかったみたいな、そういう噂を広められた形跡があるのですね。それに、ある女子生徒と会話している最中に、私が精神科に通院している話をぽろっとしてしまい、私が統合失調症だというのも、彼等にとっては何らかの偏見だったようで、それを巧く利用した平成生まれのタイプ2は、まんまと彼等の仲間から年上の私だけをスケープゴートしたのです。

幸い、彼等と同席したのはほんの数日だけでしたし、大学も四年目になってからは、私も少しは働いていたので、それなりに楽しい学生生活を送ることが出来ましたが。

信者には、創価学会の人間関係が巧くいかずに脱会し、自らの独創で日蓮思想を解釈した人たちもいます。

例えば、Twitterで私も何度か交信したことがある、HN「考える人」のアカウント。
   ↓   ↓   ↓
https://twitter.com/kangaeruhito777

これが、「考える人」のブログです。
   ↓   ↓   ↓
http://kangaeruhito777.blog100.fc2.com/

私は日蓮御書を通読した上で(大学の二年目には既に完読していました)、御書の発刊に尽力したのも二代会長の戸田城聖先生と三代会長の池田大作先生のお二人だけだと分かっていますので、絶対に創価学会から離れる事はありませんが、創価学会脱会者としてペテンに余念がなかった山崎正友でさえ、「正信会」という新宗教法人を創っているのですよ。つまり、創価学会を離れていく人たちの特徴というのは、創価学会内部での人間関係が巧くいかず、創価学会脱会後、虚偽と出鱈目に満ちた自らの独創に走る傾向があるのですね。

山崎正友という男がどんな奴なのか知らない人は、ウィキで御確認下さい。
   ↓   ↓   ↓   ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%8F%8B

私は、タイプ3の詩人の古賀学故とは何度も話したことがあるのですが、Twitterでも彼とのやり取りで、「それは幻想への逃避」、「(正典主義は)君の独創」みたいな事を再三、指摘されたのですね。

「正典主義」という私の考えが一体何なのか、それはこのブログを今まで読んできた方々には今更説明する必要はないでしょうけれども、

古典・純文学、クラシック映画、ベンチプレスという三位一体で生活の基本軸を定め、漫画・アニメ・ゲーム等々の日本のサブカルチャー性を一切、実生活上から排除する。

その生活方針こそが、私が考え出した「正典主義」という独創的な生活スタイルだったわけです。私が買い物依存症に陥ったのも、全ては、この「正典主義」という生活法を実践する為だったのですよ。

ところがタイプ3の古賀学故氏のように、人によっては、私のこの考えは、日蓮の思想ではなく、私個人による独創の思想と見做されてしまうわけです。云ってみれば、それは創価学会の思想ではなく、私自身が創り出してしまった「新宗教」です。実際に、某掲示板で私が天才を自称したのも、「正典主義」という新宗派の開祖という意味があるわけです。

古賀学故氏のアナーキズムは、レフ・トルストイの大農場経営という理想が背景にあるらしく、その目的の為には、彼がまだ若いうちにたくさん子供を産み育て、大家族を建設しておく必要があるわけです。つまり、古賀氏の当面の目的は他の創価学会員の目的と同じく、「家庭の建設」なんですね。それとは全く異なる理想の為に自分の生活を推し進めている私の考えは、彼にとっては「独創」という風に映ってしまうのでしょう。仕方のない事だと思います。

但し、私が創価学会から離れないのは、私がより良く「正典主義」を実践する為で、自分の願望を叶える為です。創価学会に発心する人たちの多くは、自分の願望を叶える為に御本尊に向かいます。人によっては、誰かに希望を与えたいとか、世の中や人の為になることがしたいからという願望で、発心する方もいるでしょう。私は、私の願望を叶える為に御本尊に向かいます。良いですか。ココは大事なんですよ。相手に助けを請われれば、私もその人を助ける為に尽力しますけれど、しかし、私は他人の願望の為に生きているのではなく、己の願望の為に生きているであり、基本的には、己の願望を叶えたいからこそ御本尊に祈りもするのです。

家庭の建設という他人の目標を私に押し付けられても、私は元々、そんな事を望んで、信仰に発心したわけではないのです。創価学会の方々には、会員の願望の相違について考えている人達が余りに少ないという気がするのですね。最近では、Twitterやブログなどで、個人としての創価学会員が彼等一人一人の考えを表明する機会も多いです。その中には身勝手な事を言っている人もいますし、私のように鼻持ちならないアフィリエイターもいる事でしょう。ですが、もしかすると、広宣流布の真の対話の潮流はいよいよ、ココから始まるのかも知れません。

yjimage.jpg


ちなみに、上の写真が創価学会の反逆者たちで最も執拗にペテンを仕掛けた正信会の山崎正友です。私も、このペテン師だけは確かに地獄に堕ちていると思いますけれどね。

Posted by 評論家 at 00:48 | この記事のURL

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