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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2014年02月24日
「非凡=天才」な男は、イケメンよりも、オタクや童貞に多いのでは?




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知恵袋で書き込んだ私からの質問です。(−−;

◎以下質問◎

ネット上で初めて「天才論議」を紛糾させた私からの質問です。

偶然、こんな記事を目にしました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1046076185

果たして、この質問と回答には意味があるのでしょうかね?

非凡、鬼才、天才には明確な区別など必要なく、敢えて「天才は秀才よりも能力が高い上に、秀才よりも遥かに人間的な欠陥がある」程度の理解に留めておけば宜しいのではないでしょうかね?

私個人の考えでは、天才も鬼才も「非凡」の一語で括られるもので、仮に天才になりたい若者がいるとすれば、彼は他に比して非凡にさえなれば良い。

後輩の芥川龍之介に対し、先輩作家の谷崎潤一郎が雄叫びを上げたように「一番なら何でも良い!(一番なら、どんな分野でさえ良い)」の精神で頑張れば良いわけですよ。

ネット上で天才論議を紛糾させて、一番戸惑ったのは、人々がイメージする天才の像にも、様々なものがあるという事なんですよ。

私は詩人が好き(私自身は詩なんか書きませんが)なので、「天才」という語を持ち出すと、すぐにボードレールやヴェルレーヌ、マルセル・プルースト、バルザックなどの退廃的な文学者ばかりイメージしてしまう傾向があるのですが、他の人はそうではない。

IQ未知数の理系の研究者だけが天才だと思っている人もいるみたいでしたし、芸能事務所に所属している一流大卒のイケメン俳優こそが天才に相応しいと考える人もいたようです。

この知恵袋のサイトでも、私の書き込みをどこかで閲覧したのかと思える中高生が「俺は天才イケメンで喧嘩も強い!」みたいな事を自称しているわけです。

すると、彼等みたいな人たちにとって、

天才=明星?であれば、今の日本の社会文化においては、既に芸能事務所に所属し、マスコミのスポットライトを浴びているアイドルやイケメンの若者だけが「非凡=天才」と云われてしまうのか?

と、其処に疑問が生じるわけです。

ところがですよ、ハッキリ言って、幕末思想家の吉田松陰みたいな偉人だって生涯女を抱かずに童貞のまま28歳で刑死しているわけですよ。

19世紀西欧小説の大家であるヘンリー・ジェイムズだって、生涯童貞のままだったらしい。

これは恐怖作家のラグクラフトや幻想作家のボルヘス(彼は素人童貞で心因性インポテンツだった!?)だって同じです。

ボードレールやプルースト、バルザックなどの退廃的な文学者が借金に苦しみながらも、当時の世相において「明星」だった事は認めるにしても、サルトルだって決してイケメンだったわけではない(彼は自他共に認める醜男だった)。

有名無名を問わず「非凡=天才」な人はいるだろうし、「イケメン=天才」は違うのでは?

◎補足◎

すると、私に反対した多くの若い人たちは、最初から「天才」には興味も関心もなく、イケメンかどうか、芸能事務所に所属しているかどうか、有名一流大卒かどうか、外見や肩書といった異性から見て一目で分かる「スペック」にばかり注意が集中していたという事になりますね。こういうスペックは、最初から本人の非凡さ=天才性とは何も関係ありませんね。

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Posted by 評論家 at 09:00 | この記事のURL
2014年02月05日
「経験しなきゃダメだよ」という箴言は、若者の価値観に対する大人の「押し付け」!w(^0^)w




タイプ2(エニアグラム類型)の人や社会人として経験を積んだ人は、作家になりたくて文学書に挑んでいる若者に対し、

何かと優越感や傲りの感情を持って接することが多い。

「もっとイロイロ経験しなきゃダメだよ」という口実で、彼等の価値観を作家志望の若者に押し付けるのである。

コレはどうしてなのだろう?

一般的には、大衆作家として成功した人ほど、日本では経験豊富な書き手が多いことは事実だと思う。

反対に、純文学作家として文学史に銘記された人のほとんどは、戦前から高等遊民みたいな人が多かった(例外もかなりあるが)。

「小説家には経験なんか必要ない」

これは、鹿島茂御大が ↓ の本の中でハッキリと明言している。

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事実として、何年か前に、商業高校卒業後、働きもせず進学もしなかった田中慎哉(当時40歳)氏がニートのまま、芥川賞を受賞したことは記憶に新しい。
                 ↓      ↓      ↓      ↓ 
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昭和30年代以降の戦後日本では、作家と云えば、様々な職業に就いた人が40代を過ぎてから成功する職業だと信じられていたので、彼の受賞に驚いた人はかなりいると思う。

ところが、それ以前の内外の文学史に焦点を合わせてみよう。

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畢生の大作(未完)『失われた時を求めて』で世界文学史に不朽の名を残したマルセル・プルーストは、若い時に、父親に就職を急き立てられるも、内定した企業を一日で辞職してしまう。

その後、彼はパリの社交界に出入りしたり、ドレフュス事件にも関わったりもするが、基本的には辞職したまま、正規の職に就くことはなかった。

ランボーを世に送り出したヴェルレーヌにしたって、まともな職業に就いていたとは云えないわけで、

これは、ボードレールを初めとするほぼ全てのフランス象徴派詩人に当て嵌まることだと思う。

オスカー・ワイルドなんか、絶対に普通の職業には就けないだろう。彼の伝記を読んだことは一度もないが(汗)。

ノーベル賞候補となった幻想作家ボルヘスにしても、恐怖作家のラヴクラフトにしても、彼等は自分では働かず、一生を親元で過ごした(その上、独身だった)。

戦前の日本にしても、菊池寛が芥川賞・直木賞を創設する以前の作家と云うのは、ほとんど無職同然だったのでは?

梶井基次郎や中島敦は病患の日々で働けなかったにしろ、葛西善蔵や太宰治は、田中慎弥氏と全く同じ「ニート作家」の典型である!

つまり、「作家になりたかったら、もっとイロイロ経験しなきゃダメだよ!」という言葉は、半分、嘘なのだ!

英文学作家のヘンリー・ジェイムズは、恋愛小説の妙手として今も世界中の人々に読まれているが、

彼自身は一度も女を抱いたことがないというのが通説である(つまり、ヘンリー・ジェイムズ=童貞作家!)。

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というか、こんな事実を明らかにしてしまったら、「小説家になりたいなら、もっと経験しろ!」という言葉は大嘘で、

単に、社会の先輩面した彼等の価値観を一方的に、文学志望の若者に押し付けているだけというのが、ありありと分かってしまう(汗)。

勿論、ニートだから作家になれるとか、童貞だから作家になれるとは、ここでは書かない。

現に、私には職歴があるし、報酬を得ている以上は内職(このブログを書くことだけが私の内職ではない)だって立派な仕事だし、風俗経験ゼロなのに非童貞である。

但、ここで敢えて書きたいのは、

彼等の利益誘導の為に、本人の願望を利用して、彼等に協力する事や彼等との付き合いを強要したり、彼等の価値観をその若者に押し付けるのは、倫理上の罪に該当すると思う。

作家に限らず、芸術家として成功した人の大半は無職だった。そういう時代もかなり長かった。

昔の画家なんて、その典型だろう。今は、無職の漫画家もいるかも知れないが。

科学者や宗教家だって、昔は閑人の典型だった。

ベンジャミン・フランクリンが避雷針を発明したり、植物の研究に一生懸命だったりすると、周りは「あいつには今、することがない!」と騒ぎ立てることがあったのは有名な話だ。

要はニートだろうと、ネオニートだろうと、定職だろうと無職だろうと、

本人に何らかの目的があり、それに励んでいる以上は、その人生を他人が否定するのは「余計なお世話」だと。

どんな人間にとっても、家庭の建設が人生の最大目標だとは限らないし、逆もまた然り。

定職に就いている人にしたって、その全ての人が、会社の期待に応える為に働き、会社の為に人生を生きている訳ではない。

自分が社長の地位にいるなら、一生懸命働くことが当たり前だとしても、である。

宗教的信仰に励むにしろ、本人が何かを望んでいるから、拝む対象に祈るわけで、

他人の理想の為に私は生きようとは思わないし、拝む対象に祈ったりはしない。

勿論、誰か悩んでいる人の問題を解決する為に一緒に祈ることは大切だが、

私は、他人の理想の為ではなく、自分の理想の為に生きているし、その為に拝む対象に祈っているのだから、

私自身の人生をお前が左右するつもりで、私と接するのは言語道断だろう!

相手が判断するべき事柄まで、自分が主導権を握ろうとするのは、相手に対する自由意志の抑圧である!

つまり、私が実行しているのは、「公」の信仰ではなく、「個」の信仰なのだ。

誠に勝手ながら。

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Posted by 評論家 at 00:18 | この記事のURL
2014年02月02日
借金の中味も、買い物依存症の中味も、人さまざま。(^0^)




最近、A8サイトの他のアフィリエイターの人気記事で、競馬で300万円の借金をつくり、その返済に苦悶する人の心情を読んだのですが、

私はギャンブルにハマったことが一度もなくて、クレジットカードで過去に借金を重ねたとしても、その多くは書籍とDVDソフトの購入に充てる「買い物依存症」が原因でした。

借金をつくる原因というのは人さまざまで、同じく、「買い物依存症」と一言で括っても、その中味は人によってだいぶ異なります。

昔、常連だった「朝までから騒ぎ」という掲示板で、クレジットの請求代を書くと、「何買ったの?」と他のユーザーから訊かれることが多かったですが、

私の場合は、その多くがクラシック映画や現代アート系映画のDVDだったり、人文科学・社会科学系統の学術書、古典だったりしたわけです。

DVDや本が欲しいので、敢えてギャンブルはしない、という判断をしているのですが、

「花菱昼男」というアカウント名で綴っている私のTwitterを御覧になった方はご存知でしょうが、

私は既に、その「買い物依存症」からも足を洗っていて、今はほとんど、借金がないわけです。

(おまけに大卒認定も去年、受理しました)

私が組んでいたのはクレジットカードの月額の請求だけで、消費者金融からお金を借りることは一度もありませんでした。

というわけで、外食もせず(お店でコーヒーだけは飲む)、風俗にも一度も行かない、ギャンブルも全くしない、煙草も吸わない(酒・アルコール類は頻繁に口にする)私は、

自分で自由に使える大半のお金をコレクションの蒐集に充てたわけです。

私の過去の友人(今は敵?)香取勇進(タイプ2)は、「イロイロな事に目を向けるのが小説家なのに、最初から拒否って何?」等々と、私のやり方を訝っているようでしたが、

私自身にとっては、こうしたお金の使い道は先に紹介したリチャード・コッチの『80対20の法則』の理論を踏襲するモノ以外の何物でもないわけです。

当たり前じゃないですか。

最初から目的を持って蒐集をしているのだから、その蒐集にはいつか終わりが来る。

お金が無くなる以前に、自分の人生の初期の段階(20代?)で、集めるモノは全て集めてしまい、そのうちに蒐集するモノがなくなってしまう。→つまり、全て集めてしまう。

計画された無秩序を生きる私には、最初からこの事が良く分かっていたのです。

そして、現実の話、私の蒐集は全て終わり、「買い物依存症」からも脱け出し、借金も完済しました(貯金もゼロですが)。

もし、香取勇進が押し付ける「イロイロなモノに目を向けろ!」という価値観を踏襲していたら、目的を一つに絞ることが出来ず、他の意味のない事に中途半端にお金を遣っていたかも知れません。

これは、私のやり方と香取くんのやり方の最も異なる部分なのですよ。

仮に、「イロイロな事に目を向けるのが小説家」ではなかったとしても、

やはり、香取勇進(タイプ2)君の生理的本能では、「イロイロな事に目を向けること」を他人に勧めたと思いますし、

彼自身、イロイロな事に目を向けて、特定の事柄に集中して意識を傾けるという事はなかったと思います。

個人の特性というのは、こういう意識の現れ方に最も反映されて来るわけです(私は再三、それを指摘しています)。

私のこのブログは、買い物依存症を触媒にしつつ、ショッピングやコレクションをテーマにした内容になっています。

そして、そのショッピングやコレクションの中味も、テーマが限定されています。

某掲示板で、私を誹謗中傷した鶏ガラ野郎は、「お前にはそんな本なんか読んでも理解できない」みたいなことを散々、罵っていましたが、

「読書百遍意自ずから通ず」という言葉がある通り、一度通読してしっくりこなくても、それが良い本だと分かっている以上は再度取り組めば良い、それだけの話です。

小説の筆を折ったとしても、私は本だけは一生、読み続けると思います。

20代の大半を費やして蒐集したコレクションの数々を自家薬籠中の物とすることに、私自身の今後の一生を賭けるのです!

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Posted by 評論家 at 04:25 | この記事のURL

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