2014年02月24日
「非凡=天才」な男は、イケメンよりも、オタクや童貞に多いのでは?
知恵袋で書き込んだ私からの質問です。(−−;
◎以下質問◎
ネット上で初めて「天才論議」を紛糾させた私からの質問です。
偶然、こんな記事を目にしました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1046076185
果たして、この質問と回答には意味があるのでしょうかね?
非凡、鬼才、天才には明確な区別など必要なく、敢えて「天才は秀才よりも能力が高い上に、秀才よりも遥かに人間的な欠陥がある」程度の理解に留めておけば宜しいのではないでしょうかね?
私個人の考えでは、天才も鬼才も「非凡」の一語で括られるもので、仮に天才になりたい若者がいるとすれば、彼は他に比して非凡にさえなれば良い。
後輩の芥川龍之介に対し、先輩作家の谷崎潤一郎が雄叫びを上げたように「一番なら何でも良い!(一番なら、どんな分野でさえ良い)」の精神で頑張れば良いわけですよ。
ネット上で天才論議を紛糾させて、一番戸惑ったのは、人々がイメージする天才の像にも、様々なものがあるという事なんですよ。
私は詩人が好き(私自身は詩なんか書きませんが)なので、「天才」という語を持ち出すと、すぐにボードレールやヴェルレーヌ、マルセル・プルースト、バルザックなどの退廃的な文学者ばかりイメージしてしまう傾向があるのですが、他の人はそうではない。
IQ未知数の理系の研究者だけが天才だと思っている人もいるみたいでしたし、芸能事務所に所属している一流大卒のイケメン俳優こそが天才に相応しいと考える人もいたようです。
この知恵袋のサイトでも、私の書き込みをどこかで閲覧したのかと思える中高生が「俺は天才イケメンで喧嘩も強い!」みたいな事を自称しているわけです。
すると、彼等みたいな人たちにとって、
天才=明星?であれば、今の日本の社会文化においては、既に芸能事務所に所属し、マスコミのスポットライトを浴びているアイドルやイケメンの若者だけが「非凡=天才」と云われてしまうのか?
と、其処に疑問が生じるわけです。
ところがですよ、ハッキリ言って、幕末思想家の吉田松陰みたいな偉人だって生涯女を抱かずに童貞のまま28歳で刑死しているわけですよ。
19世紀西欧小説の大家であるヘンリー・ジェイムズだって、生涯童貞のままだったらしい。
これは恐怖作家のラグクラフトや幻想作家のボルヘス(彼は素人童貞で心因性インポテンツだった!?)だって同じです。
ボードレールやプルースト、バルザックなどの退廃的な文学者が借金に苦しみながらも、当時の世相において「明星」だった事は認めるにしても、サルトルだって決してイケメンだったわけではない(彼は自他共に認める醜男だった)。
有名無名を問わず「非凡=天才」な人はいるだろうし、「イケメン=天才」は違うのでは?
◎補足◎
すると、私に反対した多くの若い人たちは、最初から「天才」には興味も関心もなく、イケメンかどうか、芸能事務所に所属しているかどうか、有名一流大卒かどうか、外見や肩書といった異性から見て一目で分かる「スペック」にばかり注意が集中していたという事になりますね。こういうスペックは、最初から本人の非凡さ=天才性とは何も関係ありませんね。
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