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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2013年07月10日
個人の意志を阻む「人間の成長スパイラル一極主義」!\(^0^)/





 私たちが18〜19歳の頃は、「若者は好きな事をして良い」、「やりたいことがあれば良い」、「若い人たちには夢があれば良い」という雰囲気が濃厚だったのですが、それから約十年後の今日、そんな台詞を言う人は一人もいません。

 十年前と今日の日本を比較すると、時代はさらに暗転しています。

 このブログでも繰り返し述べているように、

 私が18〜19歳の時にやりたかったことは「正典主義の遂行」です。

 作家になること、批評家になること、創価学会員であること、それ以前にまず、私の目的には「正典主義」の精神に則って、書籍や古映画DVD、音楽ソフト等々をコレクションすることが、人生の最初の計画に含まれていました。

 私が発案したこの目的に強く影響され、それに追随しているのが、高校時代の元友人であり、今では犬猿の仲となった日本大学写真学科の香取勇進君(HN・アンダーソン)です。

 彼には、私に対する対抗意識があり、彼自身の表現の意図を考えるよりも、私が到達するべき場所に、私よりも早く到達したい、

 つまり、私の目的を先取りし、私の目的地に私よりも早く先回りすることの方が、彼の目的なのです(私のツイッターで、坂本龍一の動画をペーストした影響でしょうか? これは、准教授の振りをしてソファに腰かけている、フェイスブックの彼の写真を見ても明らかです)。

 しかし、奇妙な事に、私の真似ばかりしている彼は、高校時代に本しか読んでいなかった私に対し、「アレは現実逃避だ」と仲間内で噂し合っていたような気がします。

 ツイッターで更新が停止している落虚団さんにしても、私が創価学会の信仰を始めた動機に、「正典主義」の計画と精神があることが分かると、

 すぐに、「それは、現実逃避だね」と指摘しましたが、

 抑々、私は、18〜19歳の段階で、自分の死から人生を逆算した時に、本当にやりたかったことは、この「正典主義」以外になかったのです。

 今頃になって、ヤフーの公式ニュースなどで、「自分の死から逆算して、人生を計画する」云々という記事が話題を集めているようですが、

 私の場合は、17歳を過ぎた辺りから、仮に小説家になれなかったとしても、「正典主義」だけは絶対に貫こうという覚悟で、その後の人生について考えていたのです。

 早い話が、作家以外の仕事をしていても、私はその生活において、「正典主義」を貫くのです。

 仕事をするのは、「正典主義」を遂行するための資金を得るためで、決して、幸福な家庭を築いたり、車のローンを払ったり、育児に忙殺されるために働くのではありません。

 現に学生時代に、三菱の下請け会社で毎朝、アルバイトをしている間も、私は頭の中で、「来月の給料で、次は何が買えるか?」とずっと考えていたものです。

 タイプ2の友人(香取勇進)やタイプ3w4の先輩(落虚団)にとっては、タイプ4w5(私)のそういう生き方は、

「お前は、逃げているだけで大丈夫なのか?」、「それは、現実逃避なんじゃないのか?」という指摘に象徴されるように、非難に値するものだったのかも知れません。

 しかし、そういうアナタ方は、中学高校時代は部活に熱中して、学業を終えたら就職し、やがて結婚し、子供を産み、育児の為に働くというのが、

 いかなる人間の人生においても「幸福なのだ!」と主張する、「成長スパイラル一極主義」の盲信の徒と云えるのではないでしょうか?

 野球やサッカーも大嫌いな私は、高校の部活動に励んだことは一度もなく、代わりに、護身術の道場に通っていましたが、これは趣味の問題です。

 その時は、その道場で強くなれなかったとしても、成人した今では、その「強くなれなかった経験」を批判的に検討して、次のトレーニングに活かせば良いのです。

 現に、今の私は、自宅でベンチプレスを持ち上げても、やはり、野球やサッカーなど、他のスポーツには興味がないままなのですね。

 同じように、自分の死から逆算して、人生の計画を考える時に、

 車が欲しいとか、子供が欲しい、幸福な家庭を築きたいというのも、畢竟、本人の趣味の問題です。

 50〜60代で離婚歴のある男性というのは、社会に出ると、かなりいるものですが、

 大抵の場合、その子供は、前妻が引き取っています。

 これは、一家に、子供の数が5〜6人いても同様です。

 世の中の大概の男は、育児になんか興味ありません。

 離婚して、その子供を女房に預けた後は、自分がその子供の親だったことなんか、すぐに忘れてしまいます。

 恋人が欲しいと嘆いている若い男性でも、やはり、女房が子供を産んだ後の事は考えていないか、仮に考えるとしても、不快なイメージで捉えている筈です。

 つまり、男の大半は、性的欲望さえ満足させれば、その後の事なんか、どうだって良いわけです。

 大家族スペシャルとか「ビッグダディ」とか、世の中のテレビ番組が騒いでいるのは、何とも馬鹿馬鹿しいですね。

 独身貴族の方が、百数倍も良い身分であることに変わりはありません。

 私は、そんなモノに一生、阻害されることなく、私自身の本来の目的としての「正典主義」を貫いて、自らの人生を全うしたい。

 その為には、子供なんか邪魔です。

 学生時代は部活に励み、その後は就職し、結婚し、育児に忙殺されるというのが、「人間の成長スパイラル」を一極主義にする世間の考え方なのだ、と捉えるならば、

 私にとっての人間の成長とは、悪党になることです!

 好きな事に励んでいる若者やニートを今頃になって批判している年配の高齢者たちの言い分とは、

「お前たちは、俺たちの身代わりになって働け! そして、俺たちを養ってくれ!」

 等々と、奇声を上げているに過ぎません。

 性善説でもなく、性悪説でもなく、

 本質において、人間とは利己的な生き物であることをココで再確認しておきましょう(^^)

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Posted by 評論家 at 14:29 | この記事のURL
2013年07月02日
仕事をすることの本来の意味とは?







 書きたいことがまた増えて来たので、いつも通り、自分の書きたいことだけを書いて、更新します。

 七月にもなると、4月の新入社員の出来不出来が同僚にも上司にも分かって来る頃で、

「面接の時は良かったのに、こいつは使えないな」と思える社員の姿もチラホラ見受けられる筈です。

 私自身、会社経営の跡取りではなく、正規に就職していれば、上司から「使えない社員」の烙印を押されているかもしれませんが、

 結局、その社員の良し悪しというのは、面接や筆記試験で分かるものではありません。

 私は18歳の時に、チェーン店のカフェでアルバイトをしたことがあるのですが、そこでの評判は余り良くありませんでした。

 バイトを選ぶ前の私の思考では、

 「ハードボイルドが好きだ」→「だから、コーヒーも好きだ」→「コーヒーが好きなら、カフェで働こう!」

 という安易な判断だったのですが、

 一般的には、コーヒーだけを販売しているカフェというのは、世の中には一つもなくて、

 世の中にカフェと言われるお店の大半は、お菓子やデザートの類いも豊富に用意しているわけです。

 私は、私生活で甘いものを滅多に口にしないので、カフェに立ち寄っても、注文するのはコーヒーだけ。

 家にいて腹が減った時でも、大半の食事は、インスタント食品で済ませていましたし、冷凍食品を電子レンジで温めて食べたこともなかったのですね。

 私は極度の猫舌なので、白いご飯や味噌汁の残り物があっても、滅多に温めたりしないのです。

 コーヒーの為にお湯を沸かすことならありますが、それ以外の用途では、基本的にカップ麺を食べる時にしか台所に近寄りません。

 私の生活は粗食ですので、ベンチプレスが習慣になっていなければ、今もガリガリの体型だったかも知れません。

 端的に言えば、いくら面接や筆記試験で格好良く振る舞うことが出来ても、

 これだけ粗食な人は、飲食店でバイトするのは向いていません。

 現に、私は職場で電子レンジを使う事なんかできなかったですし、腕も棒のように細かったので、厨房の中で何か重いものを移動させるだけでも、その場で転倒しそうになったりしました。

 実際、その職場で、一番覚えが良かったのは、普段からお菓子作りなどで、厨房にいることを趣味にしている太った女の子でした(この女の子は、私と同期だったのです)。

 私の経験則からいうと、太った女の子には、覚えの良い社員が偶にいます。

 私と同じくらいガリガリに痩せ細った年上の女性社員もいましたが、その社員は、ほとんど職場の機械にシフトを入れず、ほとんど職場に来ることはなく、偶に来たとしても、私以上に仕事の事なんか何も分かっていなかったです。

 周りを見渡しても、太った女性の方が安定した家庭を築いていて、経済的にも自立しているような気がします。

 仕事の話をすると、ツイッターやフェイスブックが流行になっている昨今では、「盛りガール」と呼称される女性たちがいるようです。

「盛りガール」の「盛り」とは、「(話題を)盛る」こと。

 つまり、仕事関係での自慢話という事ですが、

 私は直接、彼女たちの記事を読んだことがないのですが、

 大半の「盛りガール」と呼ばれる人たちは、「仕事上で、こんな有名人(or 芸能人)と知り合った」とか、「こんな大物と一緒にイベントに同席した」程度の書き込みしかしていないようです。

 20代の女性社員の中には、「仕事関係で知り合った相手で一番格好良かったのは、ジャニーズ系の誰々君!」とか、

 色々と自慢している人もいるようですが、コレなんか、会社の仕事よりも、本人のジャニオタ振りをアピールしているに過ぎないように思われます。

 つまり、本気で仕事について考えることが自慢の人だったら、芸能人や有名人とイベントで同席した話なんて、抑々どうでも良い話の筈で、

 そんなことを逐一、フェイスブックやミクシイに「盛っている」としたら、

「お前達は、仕事の本来の中味よりも、芸能界に興味があるだけなのか?」

 と、私なんかは言いたくなります。

 私のように表現や学問にばかり探究心を持っていると、目上の立場にいる人から、

「お前は何がしたいんだ?」と問われ(実際に、私が何をやりたいのかは、向こうは百も承知なのではないか?)、答えに窮するシーンというのは、十代の頃から何度となくありました。

 それで、実際に私が何をしたいかが次第に明らかになって来ると、

「日本という国は人口が減少していて、高齢化社会が到来しているし、農業で立国しなければ、国が持たなくなる」云々と、

 説教を始める人が出て来るのですが、

 ハッキリ言って、表現をしたい若者に対し、抑圧を与える50代以上の高齢者の言い分というのは、

「全ての若者は、介護職か、さもなくば農業に就いてほしい」

 という事なんですね。

 彼等老人たちの言い分は、

「高齢化社会になるから、(若者たちには)自分(老人)の面倒を見てくれ」、

「それで、自分たちのような老人が食うに困らないだけの食糧を確保する為に、農業で日本を立国してくれ」

 ……程度の事でしょう。

 つまり、日本から働く人たちがどんどん少なくなってくるから、お前たち若者は、自分たち老人連中の何十倍も働いて、自分たち老人を養ってくれ!

 という風にしか聞こえないのですね。

 ほとんどの高齢者たちは、

 表現の仕事はおろか、口先だけの政治職や中味が空っぽの起業職等々、「自我」を圧倒的に肯定する分野の仕事なんか、若者にはして貰いたくないのです。

 つまり、50〜60代以上の高齢者たちも、本来は、若者自身の自由よりも、老人たち御自身の余生を利害の尺度として見做しているから、こういう反応になるわけですね。

 ここでも、若者側と高齢者側の利害の対立は容易に露わになっているわけです。

 高齢者が多いという負担のせいで、日本では、働いても自由になれる若者が少なくなる。

 本来なら、若者だって、

「俺が働いたって、その分け前は、あんたたち高齢者には絶対に譲らないぞ!」

 と、宣言したって良い筈ですし、現に私は、常にそういう立場で生きています(^^)



























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Posted by 評論家 at 11:38 | この記事のURL

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