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2024年04月20日

日立のCMソング

 日立製作所のCMソングと言えば、誰もがご存知の「この木なんの木」「日立のうた」です。

 私の場合は、この歌は、海外ホラードラマ「事件記者コルチャック」と、記憶が結びついています。

 なぜかと言いますと、およそ半世紀前、日本では、「事件記者コルチャック」は、日曜の夜10時半から放送されていたからです。
 この「コルチャック」を観るために、当時、小学生だった私は、一度、布団についてから、10時半少し前に、わざわざ、また起きてきました。そして、この「コルチャック」の手前の時間帯で放送されていた番組のエンディングで「日立のうた」が流れていたように、覚えているのでした。

 そのせいか、「日立のうた」を聞くと、私は、今でも、ちょっと怖い気分になるのでした。(まさに、「コルチャック」の影響です)

 さて、今回、この話を書く為に、この件について、少し、ネットで調べてみました。すると、この問題の「日立のうた」が流れていた番組とは、日立プレゼントの「すばらしい世界旅行」だったみたいです。

 ところが、もっと良く、データを確認してみますと、どうも情報が一致しません。wikipediaによりますと、「コルチャック」が放送されていた時期(1976年)は、「すばらしい世界旅行」は日曜の夜7時半から放送されていたらしいのです。これまた、一体、どうして?

 同じ日曜の放送だったので、私が勘違いしていただけだったのでしょうか。それとも、私が住んでいた地方の局では、「すばらしい世界旅行」は夜10時半から放送されていたとか?

 ひとまず、この謎については、しばらく保留のままで、まだ解けなさそうなのでした。

posted by anu at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2024年03月20日

アーティスト 斉藤由貴

 斉藤由貴と聞けば、ほとんどの人にとっては、アイドル女優、せいぜい、歌手ぐらいの認識しかないでしょうが、私にとっての彼女はアーティストでした。

 と言いますのも、彼女は、当時(1980年代)としては珍しい、文系のアイドルでして、自分の歌の作詞をいっぱい行なっていたのです。もちろん、当時も著名なシンガーソングライターでしたら大勢おりましたが、でも、作詞だけに特化した本格派アイドルとなると、かなり希少だったのです。

 しかも、当時のアイドルは、戦略なのか、どのアイドルも、一、二曲ぐらいなら作詞も行なっていたのですが、その内容は、たいていは無難な恋愛歌でした。その点で比べても、斉藤由貴の作詞は、バリエーションが広く、特にファンタジー風のものが主流で、そのへんも私の好みに合ったのでした。

 最初に、私が彼女の作詞を知ったのは、多分、「斉藤さんちのお客さま」(1987年)と言うトーク番組だったと思います。もちろん、彼女が主役の番組です。この番組の中で、彼女は自作の小説の朗読をして、さらには、エンディングが彼女の作詞曲「家族の食卓」だったのです。

 で、この「家族の食卓」と言う曲に惹かれた私は、さっそく、この曲が収録されているアルバム「風夢」(1987年)を聴いてみたのでした。すると、斉藤由貴がけっこうな量の作詞も行なっていた事を知り、なんとなくズブズブはまりだして、以後、彼女の作詞目当てで、彼女のアルバムを聴きまくるようになった訳です。

 ちなみに、「風夢」の収録曲(「風・夢・天使」「眠り姫」「体育館は踊る」)は、あまりにも気に入りすぎて、当時、私が作ったアマチュア映画のBGMにも使わせてもらった程なのでした。(おかげで、とても可愛いイメージの映画が撮れました)

 それ以降、私は、「LOVE」(1991年)まで、斉藤由貴のアルバムを聴き続けました。斉藤由貴自身は、その後も歌い続けていたのですが、私の方が聴かなくなってしまったのは、彼女の新作アルバムの発表が不定期になり、発売時期を私がすっかり見失ってしまったからです。でも、今更になって、その後の彼女の作品が聴いてみたいとも思い始めております。

 なお、斉藤由貴の作詞曲は、「風夢」以外にも秀作が多いのですが、私なりにオススメを選ぶとすると、やはり、アルバム「MOON」(1990年)こそがベストではないかと思います。このアルバムは、全作詞が斉藤由貴で、その上で、アルバムそのものも、彼女の演出による、ちょっとした物語仕立てになっているのであります。この「MOON」が、私の作品「秘密美少女ドクガール」に影響を与えた事については、確か、別の場所でも書きました。

 驚く事に、こうした斉藤由貴の作詞曲の数々は、いっさい、彼女のメジャーなヒット曲にはなっていません。斉藤由貴の歌と言えば、「卒業」とか「悲しみよこんにちは」とか「夢の中へ」ぐらいしか思い浮かばない人が大多数じゃないかと思います。でも、だからこそ、斉藤由貴の作詞曲ばかりを追っ掛けていた私は、逆に、彼女の通のファンを気取ったりもしていたのでした。

 まあ、最近の斉藤由貴と言えば、不倫騒動を起こしたお騒がせ女優のイメージを持つ人もいるかも知れませんが、斉藤由貴の作詞曲を聴けば、彼女がかなりの強い恋愛体質だった事がよく分かります。つい不倫しちゃったのも、この恋愛体質の負の側面だったのだと考えれば、なんとなく頷けたりもするでしょう。

posted by anu at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2023年08月10日

フィンガー5

 今回は、実家にあったフィンガー5LPレコード (多分、姉が買ったレコード)の話を書こうと思ったのですが、これが思ったよりもクセモノです。毎度おなじみ wikipedia で調べてみたのですが、該当商品の情報が掲載されていなかったのです。

 確か、フィンガー5のヒット曲アルバムだと思ったのですが、wikipedia には、その情報は納められていません。
 仕方ないので、「フィンガー5」「アルバム」「ベストヒット」などの単語を組み合わせて、ググってみたのですが、ヒットするのは、CDで発売された最近のアルバム「ゴールデン☆ベスト フィンガー5」(2003年)ばかり。いちおう、収録曲を確認してみましたが、私んちにあったレコードとは、かなりラインナップが違っておりました。

 CD発売されたフィンガー5のヒット曲集は、他にも、「フィンガー5 ベスト&ベスト」(2010年)や「フィンガー5 ベストアルバム」(2008年)などもあるのですが、いずれも、レコード盤に収録されているラインナップとは内容が一致しておりません。

 それでも、記憶だけを頼りに探し続けていますと、ようやく、「これだ!」と言うのを発見できたのでした。

フィンガー5.jpg
「フィンガー5 ゴールデン・ヒット」(1974年)
 収録曲は、
A面
「恋の大予言」
「上級生」
「恋のアメリカン・フットボール」
「学園天国」
「恋のダイヤル6700」
「個人授業」
「つばさがあれば」
「サインはウイッシュ」
「恋のハートビート」
「ステッピン・ストーン」

B面
「フィンガー5のテーマ」
「恋の研究」
「おませなデート」
「ワン・バッド・アップル」
「オキナワへ帰ろう」
「白いパーティー・ドレス」
「気になる女の子」
「朝が眠いよ」
「銀の十字架」
「バラの少女」

 となっており、念のために、カセットテープに落としてあった、そのレコードの中身と照合したのですが、確かに、このラインナップで間違いありません。

 なんか、また一つ、子供時代のモヤモヤが解消して、ホッとしたのでした。

 それにしても、このレコード盤の選曲なのですが、CD盤には採用されなかった曲も、かなり混ざっています。「サインはウイッシュ」「ワン・バッド・アップル」「気になる女の子」「朝が眠いよ」など、私が好きだった曲もけっこう入っていましたので、どうせなら、このレコード盤をCDで復刻してほしかったのであります。

posted by anu at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2023年07月27日

「およげ!たいやきくん」って

およげ!たいやきくん.jpg
 「およげ!たいやきくん」(1975年)とは、言わずと知れた、オリコン調べ450万枚以上を売り上げた、伝説の史上最大のヒット曲です。

 今、思い返しますと、そこまで人気が出るほどの名曲だったのだろうかと言う気もするのですが、よく考えたら、「たいやきくん」のレコードは、私もしっかり持っていたのでした。

 当時、小学生低学年だった私は、自分のレコードと言えば、雑誌のおまけのソノシートぐらいしか持っていなかったのに、なぜか、「たいやきくん」だけは新品のシングル盤を買ってもらえたのであります。それを思いますと、確かに、「たいやきくん」は、レコードとしては、そうとう売れたのかな、と納得もできてくるのでした。

 ちなみに、「たいやきくん」レコードを持っていたと言う事は、B面の「いっぽんでもニンジン」も、当時の私は、さんざん聴いていて、当たり前のように歌えたのでありました。

posted by anu at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2023年05月12日

私とビートルズ

 私がまだ高校生だった頃の話です。

 当時、私は、例によって、姉が持っていた録音済みカセットテープを、勝手に漁って、勝手に聴かせてもらっておりました。
 これまでに手に取った事がなかったテープもありましたので、チャレンジして、聴いてみましたら、これが全くの洋楽です。全部の曲が、英語の歌詞なのです。でも、聴き慣れていくうちに、私は、この洋楽がひどく気に入ってしまったのでした。

 そこで、私は、このテープを姉に見せて、誰の曲なのかを尋ねてみました。
 すると、姉は「ビートルズだ」と言います。
 しかし、私は疑って、その言葉をすぐに信じなかったのでした。
 と言うのも、当時の私は、ビートルズなんて有名すぎて、逆に、ろくに聴いた事もなかったからです。知っているのは、「イエスタデイ」とか「ア・ハード・デイズ・ナイト」クラスの超メジャー曲ぐらいなもので、私にとってのビートルズのイメージは、その程度のものだったのでした。
 そんな訳で、あやふやなまま、そのテープの洋楽の件は、ずっと放ったらかしになっていたのです。

 で、それから間もなくして、私は大学へと進学したのですが、そこで受けた英語の学科で、教科書にビートルズが使われておりました。
 この時、授業で引用された曲の中に、バッチリ、例のテープの洋楽が含まれていたのでした。私は、あらためて、強いショックを受けたのであります。
 やっぱり、姉の言っていた事は間違っていなかったのです。こうして、はっきりとした確信を得ましたので、私は、さっそく、貸しレコード屋に向かって、速攻で、ビートルズのアルバムを借りてきたのでありました。

 曲名さえ分かれば、あとは探すのは簡単です。
 例のテープに入っていた曲の収録アルバムは、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」「アビイ・ロード」でした。ちょっとでもビートルズを分かっている人ならば、当然ご存知のアルバムだったのですが、こんな常識ですら、当時の私は知らなかったのでした。

 ちなみに、姉の持っていたテープは、ビートルズ本人の音声ではなく、誰かのカバー版だったようです。どうやら、姉も友人あたりから貰ったものだったらしくて、このテープにはあまり思い入れがなかったみたいで、実は、テープの半分ほどは、すでに消されており、さだまさしの歌が上から録音されていたのでした。

 とにかく、私としては、ようやく、謎の曲の正体も判明して、とても満足なのです。
 これらの曲のうち、私が特に気に入っていたのは、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」「ゲッティング・ベター」「フィクシング・ア・ホール」「シーズ・リーヴィング・ホーム」「グッド・モーニング・グッド・モーニング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」と言った辺りでした。

 名曲も、けっこう混ざっていますね。本当に良い曲と言うのは、大衆に受けるだけではなく、私のような偏屈なオタクの心にだって響く、と言う事だったのでありましょうか。

posted by anu at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2022年12月28日

YMO

 YMO、すなわち、イエロー・マジック・オーケストラが大いに流行ったのは、私が中学生の頃でした。

 当時は、何しろ、どこに行っても、YMOの曲が流れていました。うちの学校の給食時間の校内放送でも使われておりました。私の兄までもが、YMOのカセットテープ(「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」)を買ってきて、車の運転中にガンガン聴いていたぐらいです。

 そんな環境でしたから、私も、大ファンと言うほどではありませんが、YMOの曲には、それなりに思い入れがあるのでした。近年、私が perfume の歌を聴くようになったのも、perfume の歌がYMOの音楽に似た曲調だった事に、ひどく懐かしみを抱いたからです。

 で、特に好きだったYMOの曲と言うのが、私の場合だと、やっぱり、当時、読んでいたマンガや小説などとリンクして、記憶には残っているのでした。

 例えば、あの頃は、私は、都筑道夫氏の怪奇小説を知ったばかりで、どっぷりとハマって、集中して、読んでいました。この都筑氏の小説と脳内で結びついてしまったYMOの曲が、「インソムニア」です。

 また、「デイ・トリッパー」を聴くと、なぜか「キン肉マン」が思い浮かんでしまいます。YMOが流行った頃と言えば、「キン肉マン」の雑誌連載は、ちょうど、超人オリンピックや悪魔超人編などで盛り上がっていた時期だったのです。

 吾妻ひでお氏の「きまぐれ悟空」をサンコミックス版(朝日ソノラマ)で読破したのも、大体この頃でして、どう言う訳だか、私の中では、「キャスタリア」は、「きまぐれ悟空」の壮大なエンディングのBGMにと指定されてしまっています。

 他にも、「ラップ現象」とか「君に、胸キュン。」なども好きだったのですが、これらの曲は、どちらかと言うと、私自身が書いた当時のシロウト小説と紐付いていたのでした。

posted by anu at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2022年12月01日

渡辺美里

「オタクのお前には、あまりにも似つかわしくない」と言われるかもしれませんが、一時期、私は、渡辺美里の歌をよく聴いておりました。

 テレビで流れていた彼女のヒット曲(1986年「My Revolution」「Teenage Walk」)を聴いていて、続けて二曲ほど「いいなあ」と思えたので、思い切って、アルバム(1986年「Lovin' you」)にも手を出してみたのです。そしたら、私の勘は当たっていて、そこそこにハマってしまったのでした。名曲とは、聴く人のタイプや人種を超えて、誰の心にでも響くものなのであります。(同じようなパターンで、のちに、私は、平松愛理の歌にもハマりました)

 当時(1985年ごろ)は、私も大学に進学して、田舎から大都会の札幌へと引っ越しすると言う、メンタル的にも不安定で、不安や期待などが強く入り混じっていた時期でもありました。そのせいか、今になって、あらためて、渡辺美里の歌を聴き返してみますと、当時のワクワクした希望に溢れた気持ちが蘇ってくるのであります。

 そんな訳で、当時は、私は、貸レコード屋から、渡辺美里のレコードを片っ端から借りまくっていました。「Lovin' you」以前のアルバム「eyes」(1985年)も聴きました。アルバムに収録されていなかったシングル(1985年「I'm Free」など)もきちんと借りてきました。そうやって、けっこう熱心なファンだったのでした。もっとも、さすがに、コンサートを観に行くほどではありませんでしたが。

 特に好きだった曲は、「きみに会えて」(「eyes」収録)、「そばにいるよ」「君はクロール」(「Lovin' you」の「HERE」収録)、「A Happy Ending」(「Lovin' you」の「THERE」収録)、「HERE COMES THE SUN〜ビートルズに会えなかった〜」(1987年「BREATH」収録)、「Tokyo Calling」(1988年「ribbon」収録)、「ムーンライト ダンス」(1989年「Flower bed」収録)と言ったあたりです。あんまり意識していませんでしたが、私も意外と小室哲哉の曲が気に入っていたみたいです。

 札幌に住み始めたばかりの頃の私は、こんな感じで、渡辺美里松任谷由実、あとは、伊藤かずえとか安田成美などを好んで聴いておりました。それが、都会の生活に慣れてきますと、次第に、劇場で映画を観るようになり、それと並行するように、映画のサントラばかりを聴き集めるような音楽生活スタイルへと変わっていったのです。
 
posted by anu at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2022年10月29日

「過ぎてきた河」

 私が高校生の時(約40年前)に耳にして、ずっと気になっていた歌がありました。

 女性シンガーが歌う歌謡曲で、流れる川をモチーフにした、どこかノスタルジックな雰囲気の歌なのです。しかし、私は、この曲の題名も、誰の歌なのかも、全く知りませんでした。たまたま、耳にした曲だったからです。

 どこで聞いたのかだけは、はっきりと覚えているのです。それは、兄の運転していた車の中でした。兄が、運転中のBGMにして流していた曲らしいのです。

 だから、この歌のことが気になった私は、まずは、兄が持っていた録音済みカセットテープに探りを入れました。車のカーステレオから流れてきたと言う事は、当然、兄の所有していたカセットの中に入っていた曲だった可能性が高かったからです。
 ところが、兄のテープを一通りチェックしたにも関わらず、ついに、問題の曲は見つからなかったのでした。

 という事は、どうも、兄はカセットを聞いていたのではなく、その時はカーラジオを聞いていて、ほんの偶然のタイミングで、この曲が流れた、と言う可能性が強くなったきたのです。

 これでは、ヒントが無さすぎて、とても探しようがありません。こうして、この謎の曲の探求は、いったん、頓挫してしまったのでした。
 でも、非常に特徴的な歌だったので、そのサビの部分の歌詞だけは、よく覚えていたのです。それだけが、この歌の唯一の手掛かりとなったのでした。

 それから、だいぶ時が経ちます。私もパソコンを利用するようになりましたが、インターネットというのは便利なもので、歌謡曲の歌詞検索なんて事もできるのであります。
 そこで、私は、さっそく、この謎の川の曲の歌詞を調べてみたのです。

 しかし、何も引っかかりませんでした。この歌の歌詞と一致する曲は見当たらず、相変わらず、この歌は謎のままだったのです。これが、およそ15年ほど前の話です。

 それから、再び時間が過ぎ、5年ほど前に、私は、あらためて、この謎の曲の歌詞を、最新の歌詞検索サービスで探してみました。
 すると、今度こそは、見事に見つかったのでした。やはり、10年待った事で、歌詞検索サービスの中身も、より充実したらしいのです。全くもって、諦めずに、再挑戦した甲斐がありました。

 このようにして、ついに探し当てた曲というのが、こちらです。
過ぎてきた河.jpg
「過ぎてきた河」歌・大橋純子

 大橋純子と言えば、「シルエット・ロマンス」(1981年)が有名です。
 なんて事ない。私が求めていた曲とは、この「シルエット・ロマンス」のシングル盤レコードのB面だったのです。しかも、この「過ぎてきた河」という曲は、テレビドラマ(1981年「嫁がず、出もどり、小姑」)の主題歌にも使われていたようなのでした。

 なるほど。当時、カーラジオから流れるラジオ番組でリクエストされていたとしても、おかしくない歌なのです。

 では、なぜ、15年前の歌詞検索サービスではヒットしなかったのかと言いますと、実は、この曲、最初にレコードで発売された後、長いこと、アルバム収録はされてきませんでした。で、ようやく、この曲も収録された大橋純子のアルバムと言うのが、2010年にリリースされた「Tea For Tears」(CDバージョン)だったのです。

 これで納得です。確かに、15年前の歌詞検索サービスには引っ掛からなかったはずなのです。つまり、15年前では、この歌の十分なデータがネット上にも無かったのでしょう。それが、2010年にアルバムで発売された事で、5年前でしたら、歌詞検索サービスの方にも、きちんとデータが収納されたのかもしれません。

 いやはや、昔の謎の歌探しと言うのも、奥が深いものなのです。

 さて、私には、もう一曲、どうしても曲名が知りたい歌謡曲がある事は、このブログでも、だいぶ以前にお話しましたが、こちらの方も、ぜひ、いつかは、見つかってほしいものです。

posted by anu at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2022年10月15日

ユーミンと私

 今年は、松任谷由実(ユーミン)歌手デビュー50周年なのだそうです。

 ユーミンの凄いところは、昔の一時期にだけ大ブームを巻き起こしたと言うのではなく、この50年間に常に定期的にヒット曲を送り出してきた点でして、そういう意味では、ユーミンのどの曲に思い入れがあるかで、その人の世代までが分かってしまう、とも言えましょう。

 私も、流行嫌いを自負しておきながら、いっちょ前に、ユーミンの歌だけは、よく聞いておりました。

 私のユーミンとの初遭遇は、以前にもこのブログ内で紹介しましたが、姉がカセットに吹き込んでいた「きっと言える」(1973年)でした。この時は、私もまだ小学生で、この歌の歌い手が荒井由実(ユーミン)だった事すら知らなかった訳であります。

 恐らく、私が、初めて、ユーミン個人を意識したのは、「守ってあげたい」(1981年)と言う事になるでしょう。この歌は、ご存知の通り、角川映画の「ねらわれた学園」(1981年)の主題歌でした。私は「ねらわれた学園」の原作者の眉村卓氏のファンでしたので、その点でも、この映画、この歌とは必然的な出会いだったのです。

 さらに、角川映画の「時をかける少女」(1983年)でも、原田知世が歌う主題曲を作ったのがユーミンだったと知り、私は、よりユーミンに注目するようになりました。同時期に公開された映画「さよならジュピター」(1984年)でも、主題歌「VOYAGER〜日付のない墓標」(1984年)がユーミンの歌だった事も、影響が強いです。

 こんな感じで、この1980年代前半に、あちこちでユーミンの歌を見かけた事が、私のユーミンへの傾向のきっかけとなったのであります。

 その後、大学に行くため、田舎から札幌に引っ越した私は、貸レコード屋(40年前は、そういう店があった)で、何を借りようかと考えた時、何となく、ユーミンのアルバムを片っぱしから借りる事にします。それらの中には、初めて聞く歌でも気に入ったものが多く、こうして、私は、ユーミンに自然とハマっていったのです。

 それから間もなくして、ユーミンは、フジテレビのバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のテーマ曲(1986年「土曜日は大キライ」や1987年「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」)も手がけました。当時の「オレたちひょうきん族」をこまめに観ていた私は、やはり、この点(バラエティ番組を見下してない点)でも、ユーミンを好きになったのでした。

 こんな感じで、自分の過去を、ユーミンの歌をよく聞いていた頃と重ねて、振り返ってみますと、多分、他人にも、私の歳がぼんやりと推測できるはずなのであります。

 余談ですが、ユーミンは、「REINCARNATION」(1983年)や「ESPER」(1980年)、「SHANGRILAをめざせ」(1984年)など、(当時はまだマニアックだった)オカルト用語を取り入れた歌も、ごく当たり前のように歌っていました。オカルト雑誌「ムー」(学研)の創刊が1979年でしたので、そのへんのオタク文化に対する理解もあったのでしょう。そうした懐の広さもまた、ユーミンが様々な層から愛され続けている理由の一つなのかもしれません。

posted by anu at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事

2022年10月08日

渡辺美奈代ラブソング

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 一時期、アイドルの渡辺美奈代の歌にハマっていた事がありました。

 渡辺美奈代なんて、どうせ、おニャン子クラブ出身だし、王道のアイドルなんて、本来は、私の眼中にないはずの存在だったのですが、それでも、彼女のいくつかの曲には、ひどく惹かれてしまったのです。

「ちょっとFallin' Love」(1988年)あたりから、ちょっと良いかな、と思えてきて、「抱いてあげる」「いいじゃない」(ともに、1988年)を経て、「愛がなくちゃ、ネッ!」「恋愛紅一点」(ともに、1989年)で、完全に心を掴まれてしまいました。ただし、気に入ったのは、あくまで、これらの数曲だけで、他の期間に歌っていた歌には、ほぼ魅力を感じなかったのです。

 最近、調べて分かったのですが、私の好きな渡辺美奈代の歌は、いずれも、おニャン子卒業後のものばかりでした。言い換えれば、秋元康が携わってないものばかりなのです。私は、秋元康の作詞曲は、ヘンに流行を意識しすぎた感じで、あまり好きになれなかったのであります。

 対して、私の気に入った渡辺美奈代の恋愛歌なのですが、実は、他のアイドルの恋愛歌とも、大きく異なった部分がありました。

 普通、アイドルの恋愛歌と言えば、ツンデレとか恋の駆け引きなどの要素が多く盛り込まれているものなのですが、渡辺美奈代の歌は、思いっきりストレートなのです。特に好きだった「愛がなくちゃ、ネッ!」とかは、ひたすら、曲名の「愛がなくちゃ、ネッ!」を連呼しています。とことん、愛だけを訴えた歌なのです。まるで、子供向けの歌のような単純明快さなのであります。

 と、それで気が付きました。この歌詞の構成は、実は、昔のアニメや特撮もののテーマ曲の構造とそっくりなのです。昔のアニメや特撮もののテーマ曲も、ひたすら、主人公の名前や作品タイトルを連呼するものばかりでしたが、渡辺美奈代の恋愛歌は、それに似ているのです。いわば、恋愛を題材とした、大人のアニメ主題歌と言えそうなのであります。

 そして、昔のアニメや特撮ものをこよなく愛する私のような人間にとっては、やはり、渡辺美奈代の恋愛歌にハマるのは当然だったのかもしれないのでした。

posted by anu at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 自分の事