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2019年01月31日

世界1周の旅:ヨーロッパ前編I 古都フィレンツェを彷徨う日々、そして希望の光が…

A voyage round the world : Europa Edition 1st part I Days I wander old city Florence, and find the light of tiny hope...【March 2011】

「フィレンツェで引きこもり? Be a hermit in Florence?」

イタリアから、スペインで巡礼を開始するまでの約1か月をどう過ごすか、ローマに入ってもまだ私ははっきりとは決めていなかった。
ユーレイルパスは日本で購入してきたので、それをフルに利用してローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、そしてポルトフィーノなど地中海沿岸の村々をたどりながらスペインへと移動するつもりでいた。

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ミケランジェロ広場からのフィレンツェの眺め。アルノ川の対岸にあるドゥオモが強烈な存在感を放っている。


ロンドンに居る時、ホストマザーに借りたパソコンでとりあえずローマに3泊、フィレンツェに3泊の安宿を予約していたが、ローマの宿が予想を遥かに超える低レベルなホステルだったことと、ローマに入ってから精神的にも身体的にもボロボロだったのでちゃんとしたホテルで快適に過ごしたい、という思いから、現地ローマのJTBを通してフィレンツェの三ツ星ホテルを更に2泊押さえることにした。

この頃の私の精神状態はかなりダメージを受けており、ひたすらラクな方へと流されていたようだ。
予定ではフィレンツェの後、ヴェネツィアに移動して3日ほど滞在するつもりでいたが、ローマ入りした途端気力が萎え、震災の報により全ての前向きな気力を失った私は、もう宿を探したり新たな街へ移動したりする煩わしさから逃れ、ひたすら沈殿したいと思っていた。

3月13日、私はひたすら精神的混乱の中で過ごしたローマから、予定通りフィレンツェへと移動した。
フィレンツェという街はローマと違い、まことにその目的にかなったこじんまりとした広さの静かな古都であった。

JTBを通して予約した三ツ星ホテルは値段のわりに期待したほど快適ではなく、結局フィレンツェで始めに3泊したHotel Spagnaに更にもう3泊、つまりフィレンツェにトータル8泊することになった。

右:扇状のシエナのカンポ広場。精神的に病んだままリジョナーレとバスを乗り継いでサ・ジミニャーノとシエナまで足を延ばしたが、そのほとんどが記憶に残っていない…。
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Hotel Spagnaは二つ星ではあるが、駅からも近く最低限の設備は整っていたし、朝食をサーブするスタッフや受付のお兄さんとも仲良くなっていたからだが、何よりも料金のバカ高いヴェネツィアで安い宿を見つけ、荷物を抱えて移動するだけの気力がなかったからだ。



「もがき続けたフィレンツェでの8日間 
   For 8 days in Florence with continued struggling 」

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ドゥオモのクーポラから見下ろした、フィレンツェのオレンジ色の町並み。ずっと見ていると、映画「インセプション」のように付近の建物が浮き上がってきて、手が届きそうなほど近くにあるような錯覚を起こす。異次元にたった一人でタイムスリップしてしまったような不思議な感覚だった。そんな時、私の携帯が鳴った。


旅人として様々な国を巡ると、その国の特性が見えて来る。基本的に皆善人のはずなのだ。なのにイタリアに来てからというもの、私は旅の楽しみを感じられずにいた。

イギリスに居た頃の「幸せ」という気持ちをしばらく感じていない。イタリアという国自体が一人で来るべきではなく、周囲に溢れる圧倒的な装飾芸術や歴史的遺産に対する感動を分かち合う相手がいてこそ楽しめる国なのだと思う。個人を受け入れやすいイギリスとの違いがそこにある。

この国ではどこへ行っても一人で歩いている人を見かけることはほとんどない。老人たちは常に打ち解けた仲間とカフェの店先に陣取ってお喋りを楽しみ、若者たちは人目も憚らず愛を交わし合う。バルには昼間からワインを片手に料理を頬張るパワーに溢れた人々が集い、観光名所では各国からのハネムーナー達が微笑み合いながら幸せをかみしめている。

イタリアに来れば、どんな冷え切った夫婦でも手を繋ぎたくなるに違いないと思うほど、この国で人は愛という感情を隠そうとしない。感情は表に出すべきである、という民族。そのためなら他人の迷惑やどうみられるかといった思慮は一切ないオメデタイ面もある。

店やホテルで誰もが ” Hi! “ 、” Hello! ” とほほ笑んでくれたイギリスとは違い、こちらから声に出し、態度に示して繋がりを求めない人間は、彼らの視界には入らないも同然だからだ。だからこそ、自ら心を閉ざした旅人が、徹底的に孤独を味わうには最適な国だともいえる。

右:雨のフィレンツェも風情があって好きだ。コーヒー色の水を湛えたアルノ川沿いは目的なく彷徨うのに最適。
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イタリア人にとっての興味は、全くもって愛と美食とオシャレの3点のみのようだった。ホテルの受付のお兄さんはイタリア男の代表のような男性で相当オシャレに気を遣っているらしく、仕事そっちのけで暇さえあれば鏡に向かって服装や髪形をチェックしていた。

サービスという仕事に関して「お客様」という概念は、中国同様ないらしい。こちらから発声しない限り店に入っても無視されるし、モノを放る習慣があるのか単にガサツなのか…、徹底的なお客様第一主義を叩きこまれる日本のサービスとは全く違う対応ばかり。彼らにサービス精神と仕事に対する責任感は皆無なのか、と疑わずにはいられない。(でもこれは、私が彼らに対して心を閉ざしていたからであり、一度打ち解けたあとの彼らのおもてなし精神は、驚くべきものがあると今は思う。)

そんなこんなでイタリアに入ってから全てがうまくいかずイライラしていた私に、日本での東日本大震災の報が追い打ちをかけた。
大好きなイギリスから初めての国イタリアへ移動し、イギリス人とは真逆のいい加減なラテン気質に反感を覚え、冷たい人々、常に不正確な公共交通機関、そしてあまりに氾濫している芸術と歴史的美の洪水に溺れ、私は自分を見失った。
何が美しくて何が醜いのか、何が正しくて何が間違っているのか、全ての基準がわからなくなり、混乱に陥ったのだ。暗いニュースしか入ってこず、観光などする気になれないまま、ただただローマの街を徘徊した。

せっかくローマの都まで行きながら、私はスペイン階段もシスティーナ礼拝堂も、美術館にさえ行っていない。そのローマから逃げ出すようにして移動したフィレンツェでは、毎日降り続く陰気な雨。現地でも「クレイジー・マーチ」と呼ばれる狂った3月のすっきりしない天気に、陽光溢れる南欧に来たはずの私は、梅雨の日本にいるかのような陰鬱な気分に支配されることとなった。

イタリア入りして7日目、16日の日記にははっきりと大きな文字で「疲れた、日本へ帰りたい」と書かれている。その下に小さな字で「と、少し思ってしまう…」ともあるのだが…。

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気が滅入ると体も同様の反応を示すもので、このままではいけない、と思いつつも遅くまで起き上がれない堕落した日々が続いた。古都フェラーラへ足を延ばそうとAV(エウロスター)の座席を押さえていたが起き上がれず、20ユーロもの予約料をフイにしたこともあった。

左:フィレンツェの国鉄駅、切符売り場はいつも長蛇の列。
日本で皆が大変な思いをしている時に、私はこのイタリアで一体何をしているのだろう、こんなすべてを見失いかけた旅を続けていてよいのか、帰国すべきではないのか…、常にその煩悶を繰り返し、どうにも身動きが取れなくなっていたのだ。

そんな私の後ろ向きな愚痴を聞いた、混乱真っただ中の日本から偶然ドゥオモのてっぺんに登っていた私に電話をくれた友人は、言った。
「楽しまなきゃ、行った意味ないよ」と。

誰もが一度は行きたいとあこがれるイタリアにいながら、ホテルの部屋で落ち込んでいるだけなんて勿体ないにも程がある。未曽有の大災害が日本を襲ったその時、私が日本にいなかったこと、そして陽気な人々の国イタリアにいたこと、それもまた運命なら、そこにいてこそできることを楽しまなきゃ嘘だ。

だから「自分が今楽しい思いをするべきではない」と思うのは間違っている。だって今そこに、イタリアにいるんだから。それは変えられないことなんだから、そんなふうに罪悪感を抱いてうじうじしていても誰の助けにもならない。むしろ楽しまないことの方が罪だ。友人はそんな意味のことを言った。

そして雨の降り続いていたフィレンツェに太陽の光が戻ってくるのと時を同じくして、落ち込んだ私の心にも少しずつ希望の光が差してきたのだった。全てを行った先の国のせいにして落ち込むだけでは何も解決しない。

右:シエナのドゥオモのクーポラ内部はまるで小さな宇宙空間。天窓のからの光が神々しい。
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THE ALFEEも歌っている。
 〜諦めるための船に乗り込むな〜と。

どんな状況でも自分を前向きにすること。明るく過ごせるよう努力すること。それこそが私がすべき修行なのだと思った。ただつらい思いに打ちひしがれてその状況を打破しようと努力しないことは、全てに負けているということ。苦しい時いつも私を支えてくれたTHE ALFEEの歌が勇気をくれる。

 〜明日を信じて振り向くな、立ち止まるな〜

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 ドゥオモこと花の聖母教会は、赤いクーポラだけでなく建築物自体が、近くで見れば見るほど美しい。

それから私は精力的にフィレンツェの街を歩きまわり、この街を身近に感じられるようになった。


★フィレンツェが舞台の映画『冷静と情熱のあいだ』の記事はこちらへ。
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