2019年01月24日
世界1周の旅:ヨーロッパ前編G ついに念願のイタリアへ!
A voyage round the world : Europa Edition 1st part G
At last, to long-desired Italy !【March 2011】
ロンドン及びイギリス南東部で平和な半月(ヨーロッパ前編@〜F)を過ごした後で向かったのは、未知の国イタリア。
1997年から5回もヨーロッパに来ていながらいまだにイタリアにいったことがないというと皆に驚かれるのだが、イタリアと言えばアモーレ、そう愛の国。
新婚カップルがこぞって目指す愛の都。残念ながらパートナーのいない私には今まで縁のない国だった。
が、新婚旅行などを当て込んでいたのでは私は永久にイタリアへ行けない!ということで今回イタリアへ一人で乗り込む決意をした私だったが、とかく危険な話題が後を絶たない犯罪大国イタリア。
気を付けるポイントさえ押さえておけば安全な旅ができる平和な紳士の国イギリスでまったりしきった私は、イタリアに次いでスペインへ向かうこの時、正直かなりビビっていた。
勝手知ったる感のある愛するイギリスで過ごした半月がとてつもなく貴重に思えるほど、危険な目に遭うことを恐れる一方、どこか「来るなら来やがれ!」といった挑戦的な気持ちもあったことは確かだ。
とにかくイタリア入りに始まり、スペイン巡礼で終わるこれからの3か月が本当の意味で修行なのだと肚を括っての移動となった。
3月9日、ロンドン郊外からセント・パンクラス・インターナショナル駅までの道のりは、いやイタリアはローマの宿に辿り着くまでの道のりは、想像を遥かに凌駕する程の困難を極めた。
前日ヘイスティングスからロンドンへ戻り駅の近くに1泊するつもりでいたが、ロンドンはホテル代が高いのでウチに泊まったら、というミセス・ババのご厚意に甘え、タダでSouth Ricelipのババ家に泊めていただいたのだが、住宅地の最奥にあるババ家から最寄り駅まで重いスーツケースを引きずっての往復30分はまさに修行以外の何物でもなかった…。
その名もLong Driveという、駅へ続くメインストリートを冬だというのに汗だくになって突き進む私の姿はさながら十字架を背負って丘を登る伊達政宗のようだったろう
とはいえ40ポンドの節約になったうえ、洗濯までさせていただき、ミセス・ババのホスピタリティには感謝である。
セキュリティ・チェックの厳しさも同様である。やっとの思いでユーロスターに乗り込んでもわずか1時間ちょっとでパリに着き、更なる移動が待っている。洗練されたビジネスマンの群れに混じってパリのノルド駅に降り立ち、そこからローマ行きの夜行列車アルテシア号に乗り継ぐためにベルシ―駅へと移動しなければならないのだが、これがまた厄介なルートで、またしても階段の昇り降りを繰り返すパリの古い地下鉄の乗り継ぎで40分かかってやっとベルシー駅に到着。
まったく、国際列車は東京みたいに一つの駅にまとめてくれればいいものを、何もわざわざパリの四隅に分けなくても…と、ヨーロッパ人の非合理性が腹立たしい。(彼らにはこの方が合理的なんだろうけど…)
大きなスーツケースを抱えてのこの移動、文字で読むのと実際体験するのとでは大違い。海外から成田に着いて東京駅へ移動して夜行で九州へ向かうようなものなのだ。狭い分日本国内の移動の方がまだ楽かもしれない。
パリ、ベルシー駅に入線したローマ行きホテルトレイン、アルテシア号。
リッチな人々はポーターに荷物を運ばせ、優雅にタクシーで乗り付けるだけで済むが、極貧女ひとり旅の身では全て自分で、が鉄則。しかもヨーロッパの交通機関は歴史が古いだけに、東京のように至れり尽くせりなバリアフリーが行き届いたサービスには程遠いので、重い荷物を伴う移動は何より力を必要とする。加えて慣れないフランス語表示、そして悪名高きパリのスリどもの目を気にしながらの移動は、心底神経をすり減らすものであった。
苦労が報われたと感じたのは、国際列車アルテシア号の寝台車旅客のみ入れるラウンジでワン・ドリンク・サービス付きのゆったりした待ち時間を持てた時だった。
ベルシー駅は最近できたのか新しい駅で発着路線が少なく、売店やカフェなどの設備がない。地下鉄駅とも直結しておらず、不便なことこの上ない。
ラウンジに荷物を預けて身軽になると、ダイニングカーで優雅なディナーなど問題外の私は、車内で食べる夕食をゲットするために街の広場の方まで出なければならなかった。とはいえさすがはパリ、笑顔が魅力的なお兄さんの声に誘われ、美味しそうな総菜パンやスイーツを幾つか買わされてしまった。広場の屋台風のお店でさえもグレードが高い。
ローマに近付くにつれて「ついにイタリアへ来たんだ…」と胸が高鳴ったが、まだまだ不安の方が大きかった。
★『映画で見るイタリア』の記事はこちらへ。
At last, to long-desired Italy !【March 2011】
ロンドン及びイギリス南東部で平和な半月(ヨーロッパ前編@〜F)を過ごした後で向かったのは、未知の国イタリア。
1997年から5回もヨーロッパに来ていながらいまだにイタリアにいったことがないというと皆に驚かれるのだが、イタリアと言えばアモーレ、そう愛の国。
新婚カップルがこぞって目指す愛の都。残念ながらパートナーのいない私には今まで縁のない国だった。
が、新婚旅行などを当て込んでいたのでは私は永久にイタリアへ行けない!ということで今回イタリアへ一人で乗り込む決意をした私だったが、とかく危険な話題が後を絶たない犯罪大国イタリア。
気を付けるポイントさえ押さえておけば安全な旅ができる平和な紳士の国イギリスでまったりしきった私は、イタリアに次いでスペインへ向かうこの時、正直かなりビビっていた。
勝手知ったる感のある愛するイギリスで過ごした半月がとてつもなく貴重に思えるほど、危険な目に遭うことを恐れる一方、どこか「来るなら来やがれ!」といった挑戦的な気持ちもあったことは確かだ。
とにかくイタリア入りに始まり、スペイン巡礼で終わるこれからの3か月が本当の意味で修行なのだと肚を括っての移動となった。
3月9日、ロンドン郊外からセント・パンクラス・インターナショナル駅までの道のりは、いやイタリアはローマの宿に辿り着くまでの道のりは、想像を遥かに凌駕する程の困難を極めた。
前日ヘイスティングスからロンドンへ戻り駅の近くに1泊するつもりでいたが、ロンドンはホテル代が高いのでウチに泊まったら、というミセス・ババのご厚意に甘え、タダでSouth Ricelipのババ家に泊めていただいたのだが、住宅地の最奥にあるババ家から最寄り駅まで重いスーツケースを引きずっての往復30分はまさに修行以外の何物でもなかった…。
その名もLong Driveという、駅へ続くメインストリートを冬だというのに汗だくになって突き進む私の姿はさながら十字架を背負って丘を登る伊達政宗のようだったろう
とはいえ40ポンドの節約になったうえ、洗濯までさせていただき、ミセス・ババのホスピタリティには感謝である。
階段の多いロンドンの古い地下鉄を乗り継ぎ、だだっ広いセント・パンクラス・インターナショナル駅内のユーロスター乗り場目指して長い通路(右写真)を延々と歩き、国際列車ユーロスターを使うのは、飛行機に乗るのと変わらない労力を要する。 |
セキュリティ・チェックの厳しさも同様である。やっとの思いでユーロスターに乗り込んでもわずか1時間ちょっとでパリに着き、更なる移動が待っている。洗練されたビジネスマンの群れに混じってパリのノルド駅に降り立ち、そこからローマ行きの夜行列車アルテシア号に乗り継ぐためにベルシ―駅へと移動しなければならないのだが、これがまた厄介なルートで、またしても階段の昇り降りを繰り返すパリの古い地下鉄の乗り継ぎで40分かかってやっとベルシー駅に到着。
まったく、国際列車は東京みたいに一つの駅にまとめてくれればいいものを、何もわざわざパリの四隅に分けなくても…と、ヨーロッパ人の非合理性が腹立たしい。(彼らにはこの方が合理的なんだろうけど…)
大きなスーツケースを抱えてのこの移動、文字で読むのと実際体験するのとでは大違い。海外から成田に着いて東京駅へ移動して夜行で九州へ向かうようなものなのだ。狭い分日本国内の移動の方がまだ楽かもしれない。
パリ、ベルシー駅に入線したローマ行きホテルトレイン、アルテシア号。
リッチな人々はポーターに荷物を運ばせ、優雅にタクシーで乗り付けるだけで済むが、極貧女ひとり旅の身では全て自分で、が鉄則。しかもヨーロッパの交通機関は歴史が古いだけに、東京のように至れり尽くせりなバリアフリーが行き届いたサービスには程遠いので、重い荷物を伴う移動は何より力を必要とする。加えて慣れないフランス語表示、そして悪名高きパリのスリどもの目を気にしながらの移動は、心底神経をすり減らすものであった。
苦労が報われたと感じたのは、国際列車アルテシア号の寝台車旅客のみ入れるラウンジでワン・ドリンク・サービス付きのゆったりした待ち時間を持てた時だった。
ベルシー駅は最近できたのか新しい駅で発着路線が少なく、売店やカフェなどの設備がない。地下鉄駅とも直結しておらず、不便なことこの上ない。
ラウンジに荷物を預けて身軽になると、ダイニングカーで優雅なディナーなど問題外の私は、車内で食べる夕食をゲットするために街の広場の方まで出なければならなかった。とはいえさすがはパリ、笑顔が魅力的なお兄さんの声に誘われ、美味しそうな総菜パンやスイーツを幾つか買わされてしまった。広場の屋台風のお店でさえもグレードが高い。
期待していたホテルトレインと云われるアルテシア号の寝台車は、朝食付きといっても小さな冷たいクロワッサンとカプチーノだけでたいしたサービスもなく割高な印象。定員2名のベッド下段には、イギリス人の初老のご婦人、私は上だったのでイタリアを走る昼間の車窓はほとんど見られず残念。 |
ローマに近付くにつれて「ついにイタリアへ来たんだ…」と胸が高鳴ったが、まだまだ不安の方が大きかった。
★『映画で見るイタリア』の記事はこちらへ。
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