2019年01月25日
世界1周の旅:ヨーロッパ前編H そしてローマで途方に暮れる…
A voyage round the world : Europa Edition 1st part H
I was at a loss in Roma…【March 2011】
「印象最悪のローマ Impression of Roma was the worst」
古代ローマ帝国が栄えた歴史の都ローマ。
初めて訪れたその街は、1時間半遅れでテルミニ駅に到着したその瞬間から、一筋縄ではいかない旅を私に予感させるだけの、充分に不穏な空気を発散していた。
フォロ・ロマーノやコロッセオなど古代ローマの遺物が大道路のすぐ脇にあるので、
現代建築と古代が一緒くたになったローマは不思議な印象を与える
至る所に怪しげな若い男たちが固まりカモを物色するかのようにサングラス越しにじっと人込みを見ている。そして駅周辺には多くの警官の姿。物乞いをする人々も多い。すれ違う人々が皆悪人に見え、私はいつも以上に眉間に皺を寄せて駅の裏に位置するはずの予約済み安ホテルを一目散に目指した。
巨大な黒い木の扉をくぐり、旧式の手動エレベーターを使って3階のレセプションへとたどり着く。時間が早くても用意ができてさえいればいつでも部屋に通してくれるのは、日本以外を旅する際の数少ないメリットだ。
幸いすぐに天井のやたらと高い殺風景な部屋に通されて、昨日からの長い旅に人心地つくことができた。
が、その二つ星のホテル・ビューティフルは実質ホステルで、シャワーのお湯も1分しかもたないし、オートマティックのはずの暖房は全く効かないし、受付のアジア系お姉さんの態度はぞんざい、更に男性のクラークには事務所に連れ込まれるというセクハラまがいの対応をされた。
日本のホテルの星基準は、海外では星一つ分プラスだということを、ローマのJTBで知った。
つまり、ローマの二つ星ホテルは日本のひとつ星に相当する。半年旅の後半はドミトリー形式のホステルにも慣れて多少の不便さには目を瞑ることができるようになったが、この頃の私はまだシングルルームにこだわりつつ安い部屋を探していたので、値段に見合った宿だったわけだ。
宿の印象は街の印象にも影響を及ぼす。更に私をイラつかせたのは、ローマの公共交通機関である。見るべき箇所があまりにも多すぎるローマを足で巡っていてはとても3日では足りない。ということでRoma busという観光都市には必ずある見所を効率よく回る乗り降り自由の24時間バスチケットを購入。
知らない街はまずバスで1周しながら大体の地理を把握してから歩き始めるのが私流。
が、ことローマに関しては、私のその目論見は見事に裏切られることとなった。時間通りにバスが来ないのはイタリアだから仕方ないとして、バスがルート通り走らないのだ。ストライキが多くの場所で発生しているとかで街中に警官が配置され、車も人も大幅な回り道を強いられていた。
しかもルート変更に伴う案内など一切なく当てにしていた箇所で止まってくれない。チケット購入の際渡されていたルートマップをもとに降りたい場所をチェックしていてもなんのアナウンスもなく通り過ぎるので車掌に抗議しても鼻であしらわれてしまう。仕方なく次の停車場所で下りて延々目的地まで歩いて戻ることに…
地下鉄もバスも全てが当たり前のように時間に不正確、マックに入れば秩序などなく自己主張した者勝ち。「食べて、祈って、恋をして」のジュリア・ロバーツが受けたのと同じカルチャー・ショックにしばし呆然。人をかきわけ、やっとの思いで頼んだココアはかき混ぜていないのか下にドロドロが溜まり、飲めたものではなかった…。
イタリアングルメの美味しそうなお店にはお一人様は見当たらず、不親切でタカビーなイタリア人店員から相手にされないことはわかっているため、とてもレストランに入る気などおきない。
こんな時、自分の容姿を恨めしく思う。例えば私が栗山千明のようなすらりと背の高いエキゾチックな美女で、長いサラサラの黒髪を靡かせてレイバンのサングラスを外し艶然と微笑んだなら、たとえ彼女が一人でもイタリア人店員は鼻の下を伸ばして特等席へ案内するだろう。どんなに厚化粧しようとも私は彼らにとって「チビで金の無さそうなイエローのガキが一人で来る所じゃない」と鼻で笑われる対象でしかないのだ。
世の中不公平だと、全てが上手くいかないイタリアで、私はかなり卑屈になり苛立っていた。
「追い打ちをかける未曽有の出来事
To add to my confusion, unprecedented disaster happened」
そんな私を完全い打ちのめす出来事がその日ついに起こった。
一日中フォロ・ロマーノからコロッセオ、パンテオン、サンタンジェロ城周辺を歩き尽くしてテルミニ駅裏のホステルに戻った時、受付のいつものタカビーなお姉さんがいきなり親し気に声をかけてきた。
「日本の家族は大丈夫?」
は、何言ってんの、この人?
と恐らく目がテンになっていた私に、彼女は心底同情した顔つきで説明した。
「知らないの?日本で大地震が起きたのよ!大きな津波が来てたくさん被害が出たって…」
Massive earth quake? Giant tsunami?
その時、朝食をとるために降りて行った1階のカフェで見たテレビに菅首相が映っていたのを思い出した。
時間は朝8時過ぎ。日本では午後3時半頃にあたる。菅さんが悲痛な面持ちで頭を下げていたので、ついに辞職か、と他人事のように思っていた。画面が小さかったし、ワイワイガヤガヤした中で音もほとんど聞こえず、何のニュースかよくわからないまま水浸しの画面が映ったので、タイやインドネシア辺りでまた洪水でも起きたのかとさほど興味を持たないままカフェを出てしまった。
あれが3.11の東日本大震災のニュースだったとは…!
あの時、少し前に起きたクライストチャーチ地震を遥かに超える悪夢が、今度は東日本を襲っていたなんて。
私は震える足で部屋へ戻りアイフォンの電源を入れた。実家の長野でも大きな地震があったらしく、私が長野にいるものと思って心配した友人たちから安否を確認するメールが入っていた。
私は慌ててアイフォンのニュースをダウンロードして事態の把握に努めた。長野の姉一家と東京の友人たちの無事を確認して、ようやくその長い一日が終ったのだと思う。
ローマの街に氾濫する芸術の中を10キロ以上歩き回って消耗し、疲れ果てた脳と身体に、日本の震災が大混乱を流し入れた。5日前頃から始まった原因不明の下半身の痒みが、その混乱に拍車をかける。膝下、膝上、太腿とダニなのかストレスなのかわからないが乾燥して暖まると気の狂いそうな痒みが襲い、掻き壊しの流血が何か所にも見られた。
天国での日々のようだったイギリス滞在とは180度真逆の、暗い沼の底へと引きずり込まれたような混沌としたイタリアでの日々が始まったのだった。
★ローマが舞台の映画『天使と悪魔』の記事はこちらへ。
I was at a loss in Roma…【March 2011】
「印象最悪のローマ Impression of Roma was the worst」
古代ローマ帝国が栄えた歴史の都ローマ。
初めて訪れたその街は、1時間半遅れでテルミニ駅に到着したその瞬間から、一筋縄ではいかない旅を私に予感させるだけの、充分に不穏な空気を発散していた。
フォロ・ロマーノやコロッセオなど古代ローマの遺物が大道路のすぐ脇にあるので、
現代建築と古代が一緒くたになったローマは不思議な印象を与える
至る所に怪しげな若い男たちが固まりカモを物色するかのようにサングラス越しにじっと人込みを見ている。そして駅周辺には多くの警官の姿。物乞いをする人々も多い。すれ違う人々が皆悪人に見え、私はいつも以上に眉間に皺を寄せて駅の裏に位置するはずの予約済み安ホテルを一目散に目指した。
巨大な黒い木の扉をくぐり、旧式の手動エレベーターを使って3階のレセプションへとたどり着く。時間が早くても用意ができてさえいればいつでも部屋に通してくれるのは、日本以外を旅する際の数少ないメリットだ。
幸いすぐに天井のやたらと高い殺風景な部屋に通されて、昨日からの長い旅に人心地つくことができた。
が、その二つ星のホテル・ビューティフルは実質ホステルで、シャワーのお湯も1分しかもたないし、オートマティックのはずの暖房は全く効かないし、受付のアジア系お姉さんの態度はぞんざい、更に男性のクラークには事務所に連れ込まれるというセクハラまがいの対応をされた。
しかも私の部屋の前はラウンジで、常にバックパッカーのたまり場となっており、朝方までTVやラジカセから音が流れ、ほとんどパーティ騒ぎを続ける北米系若者たちの大きな声が響く最悪の環境。結局3日3晩ゆっくりするどころか耳栓をして催眠剤を飲んでも切れ切れにしか眠れなかった。 |
日本のホテルの星基準は、海外では星一つ分プラスだということを、ローマのJTBで知った。
つまり、ローマの二つ星ホテルは日本のひとつ星に相当する。半年旅の後半はドミトリー形式のホステルにも慣れて多少の不便さには目を瞑ることができるようになったが、この頃の私はまだシングルルームにこだわりつつ安い部屋を探していたので、値段に見合った宿だったわけだ。
宿の印象は街の印象にも影響を及ぼす。更に私をイラつかせたのは、ローマの公共交通機関である。見るべき箇所があまりにも多すぎるローマを足で巡っていてはとても3日では足りない。ということでRoma busという観光都市には必ずある見所を効率よく回る乗り降り自由の24時間バスチケットを購入。
知らない街はまずバスで1周しながら大体の地理を把握してから歩き始めるのが私流。
が、ことローマに関しては、私のその目論見は見事に裏切られることとなった。時間通りにバスが来ないのはイタリアだから仕方ないとして、バスがルート通り走らないのだ。ストライキが多くの場所で発生しているとかで街中に警官が配置され、車も人も大幅な回り道を強いられていた。
しかもルート変更に伴う案内など一切なく当てにしていた箇所で止まってくれない。チケット購入の際渡されていたルートマップをもとに降りたい場所をチェックしていてもなんのアナウンスもなく通り過ぎるので車掌に抗議しても鼻であしらわれてしまう。仕方なく次の停車場所で下りて延々目的地まで歩いて戻ることに…
何のための観光バスなんだ、と憤懣やるかたなく歩いていくと、警官にここは通れないから向こうへ廻れ、と見当違いの方向を指示される。何それ、この広場突っ切ればすぐなのに、なんでそんな遠回りしなきゃならないの、と怒り心頭。相手に通じないのをいいことに、できる限りの悪態を日本語でつく。 左:広場でデモが起きたため、警察車両でブロックされた道 |
地下鉄もバスも全てが当たり前のように時間に不正確、マックに入れば秩序などなく自己主張した者勝ち。「食べて、祈って、恋をして」のジュリア・ロバーツが受けたのと同じカルチャー・ショックにしばし呆然。人をかきわけ、やっとの思いで頼んだココアはかき混ぜていないのか下にドロドロが溜まり、飲めたものではなかった…。
イタリアングルメの美味しそうなお店にはお一人様は見当たらず、不親切でタカビーなイタリア人店員から相手にされないことはわかっているため、とてもレストランに入る気などおきない。
こんな時、自分の容姿を恨めしく思う。例えば私が栗山千明のようなすらりと背の高いエキゾチックな美女で、長いサラサラの黒髪を靡かせてレイバンのサングラスを外し艶然と微笑んだなら、たとえ彼女が一人でもイタリア人店員は鼻の下を伸ばして特等席へ案内するだろう。どんなに厚化粧しようとも私は彼らにとって「チビで金の無さそうなイエローのガキが一人で来る所じゃない」と鼻で笑われる対象でしかないのだ。
世の中不公平だと、全てが上手くいかないイタリアで、私はかなり卑屈になり苛立っていた。
「追い打ちをかける未曽有の出来事
To add to my confusion, unprecedented disaster happened」
そんな私を完全い打ちのめす出来事がその日ついに起こった。
一日中フォロ・ロマーノからコロッセオ、パンテオン、サンタンジェロ城周辺を歩き尽くしてテルミニ駅裏のホステルに戻った時、受付のいつものタカビーなお姉さんがいきなり親し気に声をかけてきた。
「日本の家族は大丈夫?」
は、何言ってんの、この人?
と恐らく目がテンになっていた私に、彼女は心底同情した顔つきで説明した。
「知らないの?日本で大地震が起きたのよ!大きな津波が来てたくさん被害が出たって…」
Massive earth quake? Giant tsunami?
その時、朝食をとるために降りて行った1階のカフェで見たテレビに菅首相が映っていたのを思い出した。
時間は朝8時過ぎ。日本では午後3時半頃にあたる。菅さんが悲痛な面持ちで頭を下げていたので、ついに辞職か、と他人事のように思っていた。画面が小さかったし、ワイワイガヤガヤした中で音もほとんど聞こえず、何のニュースかよくわからないまま水浸しの画面が映ったので、タイやインドネシア辺りでまた洪水でも起きたのかとさほど興味を持たないままカフェを出てしまった。
あれが3.11の東日本大震災のニュースだったとは…!
あの時、少し前に起きたクライストチャーチ地震を遥かに超える悪夢が、今度は東日本を襲っていたなんて。
私は震える足で部屋へ戻りアイフォンの電源を入れた。実家の長野でも大きな地震があったらしく、私が長野にいるものと思って心配した友人たちから安否を確認するメールが入っていた。
私は慌ててアイフォンのニュースをダウンロードして事態の把握に努めた。長野の姉一家と東京の友人たちの無事を確認して、ようやくその長い一日が終ったのだと思う。
その夜は稀にみる最悪な夜として虚ろな記憶の中に残っている。全てに現実味がなく、東北の惨状や原発のニュースを読んで泣きながら夢を見ているような感覚の中にいた。 右:一歩中に入ると古代ローマ時代そのままのコロッセオ、シュールだ…。でもこの時、まだ私は日本で起きた大災害のことを知らなかった。 |
ローマの街に氾濫する芸術の中を10キロ以上歩き回って消耗し、疲れ果てた脳と身体に、日本の震災が大混乱を流し入れた。5日前頃から始まった原因不明の下半身の痒みが、その混乱に拍車をかける。膝下、膝上、太腿とダニなのかストレスなのかわからないが乾燥して暖まると気の狂いそうな痒みが襲い、掻き壊しの流血が何か所にも見られた。
天国での日々のようだったイギリス滞在とは180度真逆の、暗い沼の底へと引きずり込まれたような混沌としたイタリアでの日々が始まったのだった。
★ローマが舞台の映画『天使と悪魔』の記事はこちらへ。
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