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2017年10月07日

未亡人が語るカルロス・プエブラの真実 アスタ・シエンプレ・コマンダンテの作者

rosalba-juarez-viuda-de-carlos-puebla.jpg
ロサルバ・フアレス。カルロス・プエブラの未亡人

Cubadebte、2017年10月7日、Julieta García Ríos 記者

「アスタ・シエンプレ・コマンダンテという曲はチェが亡くなったときにプエブラが作ったのだと多くの人が誤解しています。でも実際はそうではないのです。私たちはテレビでキューバ共産党中央委員会創立式典を見ていました。1965年10月3日のことですが、その夜にフィデルはチェの別れの手紙を公にしました。私の夫はこのニュースに心を揺れ動かされ、そのまま書斎に向かい、この歌ができあがるまで出てきませんでした。そのときこの歌をつくったのです。」

カルロス・プエブラの未亡人であるロサルバ・フアレスは、必要な真実を告白する人として、彼の人生をそのとき共有したのだった。

私は彼女を2005年の5月のある日、ホセ・マルティ文化協会の会合で知った。彼女はその会員であり、その場では、プエブラがホセ・マルティにささげたある歌のフレーズがうたわれた。

彼女が聴衆のなかにいた、と誰かが教えてくれた。私は彼女に会いに出かけた。数日後彼女の自宅で話を聞くことができた。自宅の外観には大きな五線譜が目をひいた。

彼女はにこやかな女性で、ゆっくりとした口調で、しっかりとした言葉づかいで話してくれた。これらの彼女の特長は、とても楽しい会話を可能にしてくれた。

- いつ、どのような状況で、カルロス・プエブラと知り合いましたか。

1940年代の初頭のことです。私はマンサニージョにいて、同地の数名の友人たちと数日を過ごしていました。そのときネナ・マイーという女の子と知り合いました。彼女は私を自宅に招待してくれました。素晴らしい歌をつくっているとても素敵な若者がいるから会いにこいというのです。私はOKし、彼女の自宅に向かいました。そこでギターを手にして座っている若者に出会いました。彼は自作の曲で私を楽しませ始めました。

- どうなりましたか。

私は彼に衝撃を受け、おそらくは彼も同じく私にショックを受けたようでした。

- それから会い続けた・・・

はい、教会で。プエブラは無神論者でしたが、でも、私のために同行して、そこで座っていました。終わるとアイスクリームを食べにラ・ドミニカというサロンに私を誘ってくれました。そのあとも会いましたが、たった数日でした。私は姉に会いにサンティアゴに行ったからです。

「私たちは文通を始めました。彼はときどき私に会いに私の生地であるオルギンに来ました。私も何度か彼に会いに行きました。5年くらい恋人同士でした。なぜなら彼には私を養う固定給がなかったからです」

- 芸術家の妻という状況は、簡単ではなかったのではないですか。

彼を愛し、信じていたので、そんなことはありませんでした。私たちはとてもうまくいっていたし、お互いを長所も短所もあるがままに受け入れていました。これがパートナー間の基本です。さらに私たちには共通のことがたくさんありました。二人とも読書を楽しんでいて、お互いに本を勧めあっていました。

「ふたりの間にはとてもよいコミュニケーションがありました。一緒に住んでいるカップルも、別れているカップルもいます。でも、私たちはとてもしっかり結びついていました。私は彼の歌が好きで、彼は歌を作り終えると、私に歌ってきかせて、私の意見を訊いたものでした。」

「彼はお酒も演劇も好きではありませんでしたが、私たちは一緒に出掛けることも楽しみました。私は踊りが好きでしたが、彼と結婚してからは踊りませんでした。なぜなら彼が踊れなかったからです。本当に彼はワンステップも踊りませんでした。」

- プエブラはあなたが踊るのをいやがりましたか。

彼は私に彼の友人たちと踊れと言っていました。彼はやきもちやきではありませんでしたが、私は夫と踊りたいからといつも断っていました。

- 彼はたくさんの名士と交流があった男でしたね・・・

はい、彼らの中にはニコラス・ギジェンがいました。彼はプエブラをとても評価していました。アルバム「これが僕の国民」に序文を寄せたほどでした。二人はときおりラ・ボデギータ・デル・メディオで会っていました。ある日私たちがそこに行くとギジェンがいました。プエブラがこう言いました。「元気ですか、詩人さん」、するとギジェンはこう答えました。「詩人は君だろう!」。

「別の友人にはグアヤサミンがいました。自宅の部屋には、このエクアドルの画家によるプエブラの肖像画があります。またサルバドール・アジェンデやパブロ・ネルーダもそうです。彼らはキューバに来るといつもプエブラに会っていました。外国ではアゴスティニョ・ネト(アンゴラの初代大統領)にインタビューしました。朝鮮民主主義人民共和国では現地の大統領と会談しました。」

- プエブラはどんな人でしたか。

通りでも、家でも、冗談好きな人でした。いつもやさしく、愛情深い人で、それは私に対しても、子や孫に対してもそうでした。非常に慎重な人で、ものすごい読書家でした。小学校6年までしか学んでいませんが、大量の本を読んでいました。彼の書棚は分類されていませんでしたが、それぞれの本がどこにあるか彼はわかっていました。

「ジャーナリストが彼に何度か質問しました。訪問した国(30か国以上)のなかで一番気に入ったのはどこかと。彼はキューバと答えました。一番心地よく感じた場所はどこかとの質問に対しては、自宅だと答えました。」

「彼は湧水のようにアイデアを生み出す生来のレペンティスタでした。あらゆるテーマから歌や笑い話を引き出しました。」

「彼は仕事場にいるのがいつも好きでした。ある日40度の熱が出たので、病人が働きに出るべきではないと諭しましたが、彼の応えは、どのようにしていてもこの状態が続くだろうから出かけたほうがいい、というものでした」

「彼は糖尿病を患っていましたが、自分はこの病気の主人なんだ、と言っていました。彼に健康に注意するよう頼んだのは、娘が12歳くらいのときでした。すると、彼はこう言いました。もし10年間薬を飲みながら、何らかの食事制限をして生きなければならないのなら、5年寿命が縮んでも残りの人生を幸せに生きるほうがいい」。

五線譜の家

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Manos del cantautor Carlos Puebla, Museo de cera de Bayamo. Foto: Ismael Francisco/ Cubadebate.
歌手カルロス・プエブラの腕。バヤモの蝋人形館にて。

1948年7月24日、カルロス・プエブラとロサルバ・フアレスはマンサニージョで結婚した。そこで3年近く生活した二人は、娘マリア・アントニエタが生まれて6か月たったあと、ハバナに最終的に引っ越した。娘マリアはのちに両親に3人の孫をプレゼントすることになる。

ハバナに到着してからプエブラは、自身の楽団ロス・トラディシオナレスとともに、ラ・ボデギータ・デル・メディオで生計を立て始めた。そこは当時の多くの芸術家や知識人たちが交流する場であった。

ハバナ旧市街のテハディージョ60番地の家は、首都ハバナにおける一家の初の住宅となった。「私達が住むにはとても狭かった。月に30ペソを払い、積立金を納めねばならなかった。そのため私たちは毎日賃貸の負担を感じていた。それはつらい時期だった。ラ・ボデギータでのチップが唯一の収入だった。」

有名なレストランのオーナーが持ち主の、キューバ通りにある古い部屋204番が、プエブラの次の家となった。アンヘル・マルティネスは仕事場に近い家に移る際、プエブラにこの家の賃貸を譲った。

革命勝利から1年半たったばかりの1960年7月4日、全国住宅協会(INAV)は、この卓越した歌手に家を提供した。

「このグアナバコアの家には、彼のもっとも愛した人たちが住んだ。同じ年の1960年、プエブラは窓枠に五線譜を書き込むよう鍛冶屋に依頼した。司令官が来てもうやめろと命じた、というあの有名なフレーズを。」

およそ2000曲の歴史

1917年9月11日にオリエンテ地方のマンサーニジョで生まれたカルロス・マヌエル・プエブラ・コンチャは、音楽の道に完全に入る前は、大工や製糖工場の労働者、靴職人などに従事していた。およそ2000曲が彼によって作られた。すでに視力が衰えた1989年7月12日に亡くなる直前まで、彼は作曲を続けた。ジャンルは、グアヒーラス、ボレロ、ソン、マルチャなど多岐にわたっており、ハバナ市のラジオ放送局COCOの音楽テーマではスク・スクも取り入れている。なかでもアスタ・シエンプレ・コマンダンテはもっとも有名な曲のひとつである。

*カントール・デル・プエブロ(国民の歌手)2005年10月4日発行のインタビューより

「アスタ・シエンプレ・コマンダンテ」の歌詞

Aprendimos a quererte

Desde la histórica altura

Donde el sol de tu bravura

Le puso un cerco a la muerte.

Aquí se queda la clara,

La entrañable transparencia,

De tu querida presencia

Comandante Che Guevara.

Tu mano gloriosa y fuerte

Sobre la historia dispara

Cuando todo santa clara

Se despierta para verte.

Aquí se queda la clara,

La entrañable transparencia,

De tu querida presencia

Comandante Che Guevara.

Vienes quemando la brisa

Con soles de primavera

Para plantar la bandera

Con la luz de tu sonrisa.

Aquí se queda la clara,

La entrañable transparencia,

De tu querida presencia

Comandante Che Guevara.

Tu amor revolucionario

Te conduce a nueva empresa

Donde esperan la firmeza

De tu brazo libertario.

Aquí se queda la clara,

La entrañable transparencia,

De tu querida presencia

Comandante Che Guevara.

Seguiremos adelante

Como junto a ti seguimos

Y con Fidel te decimos:

Hasta siempre comandante.

Aquí se queda la clara,

La entrañable transparencia,

De tu querida presencia

Comandante Che Guevara.

カルロス・プエブラがチェをうたう動画



Revelaciones del creador de “Hasta siempre Comandante”
http://www.cubadebate.cu/especiales/2017/10/07/revelaciones-del-creador-de-hasta-siempre-comandante-video/#.WdlGq691pdg
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2017年10月06日

映画「エルネスト」日本公開 チェ・ゲバラとともに戦った日系ボリビア人ゲリラ フレディ前村の人生

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映画「エルネスト」

Radio Habana Cuba、2017年10月6日、PL

日本とキューバで共同制作された映画「エルネスト」が今週金曜日、東京の映画館で公開された。エルネスト・ゲバラとともに戦った日系ボリビア人ゲリラのフレディ前村の人生を描いた映画である。

この映画は、ボリビアの日系移民二世の若者の歴史をたどっていく。1960年代にハバナで医学を学んだ彼は、チェ・ゲバラと知り合うことにより、その人生を根本的に変えていく。

チェ・ゲバラとの出会いに影響を受けた前村は、チェのゲリラ部隊であるボリビア民族解放軍に参加する。

この映画の監督である阪本順治氏は、前村の個性に衝撃を受けたと言う。「革命指導者チェ・ゲバラとともに戦って死んだ、エルネストという名でも知られたこの若者のことが頭から離れなかった」。

阪本監督は、19世紀末の日本からボリビアへの移民を調査していたときに、前村のことを知った。

この映画はキューバで、ほぼ完全にスペイン語で撮った。冒頭のエピソードは、1957年夏のゲバラによる広島訪問である、と監督は話した。

フレディ前村は1967年の8月に25歳で、ボリビア国軍によって殺された。

このキューバ・日本の合作映画は、来月、キューバとボリビアの両国で上映されるが、日本では一足早く、ゲバラと前村の戦死50周年記念としてきょう、日本で公開された。

映画紹介(EFE、スペイン語)



Estrenan película japonesa sobre Ernesto Guevara
http://www.radiohc.cu/noticias/cultura/143631-estrenan-pelicula-japonesa-sobre-ernesto-guevara
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チェ・ゲバラ戦死50周年記念追悼式典 10月8日サンタ・クララで開催

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Granma、2017年10月6日

今週日曜日の10月8日、午前7時30分から、サンタ・クララ市のエルネスト・チェ・ゲバラ広場にて、エルネスト・チェ・ゲバラとその部隊戦闘員のボリビアでの戦死50周年、およびキューバへの遺骨返還20周年記念追悼政治・文化式典が開催される。

ビジャ・クララ住民も出席しておこなわれるこの英雄的ゲリラとその同僚への追悼中央式典は、テレビ(クーバビシオン、クーバビシオン・インテルナシオナル)とラジオ(ラディオ・レベルデ、ラディオ・アバナ・クーバ)放送で生中継される。

また、チェとその同僚の戦死50周年を回想する文化イベントが、7日夜9時から、サンタ・クララ市のラ・カリダ劇場で開かれるが、これは10月9日の月曜日、夜8時30分から、クーバビシオンとクーバビシオン・インテルナシオナルで放送される。
che-guevara.jpg

Mañana Acto Central en homenaje al Che y sus compañeros
http://www.granma.cu/cuba/2017-10-06/manana-acto-central-en-homenaje-al-che-y-sus-companeros-06-10-2017-23-10-44
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ラミーロ・バルデス革命司令官 ボリビアで開かれるチェ・ゲバラ戦死50周年記念式典キューバ代表団を率いる

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ラミーロ・バルデス革命司令官

Granma、2017年10月6日

国家評議会および閣僚評議会副議長のラミーロ・バルデス・メネンデス革命司令官は、10月9日にボリビア多民族国家のバジェグランデで開かれるエルネスト・チェ・ゲバラ指令官とその部隊戦闘員の戦死50周年記念中央式典でのキューバ代表団を率いる。

キューバ代表団は、ほかに、ボリビアでチェのゲリラ部隊に属していたハリー・ビジェガス・タマヨ准将(ポンボ)、レオナルド・タマヨ・ヌニェス大佐(ウルバノ)の2人の戦闘員や、チェの子どもたちであるアレイダ、セリア、カミーロ、エルネストの4人、そして外務省のロヘリオ・シエラ・ディアス副大臣、駐ボリビアのキューバ大使ベニグノ・ペレス・フェルナンデスで構成されている。

Preside Ramiro Valdés delegación a actos conmemorativos en Bolivia por el Aniversario 50 de la caída en combate del Comandante Ernesto Che Guevara
http://www.granma.cu/cuba/2017-10-06/preside-ramiro-valdes-delegacion-a-actos-conmemorativos-en-bolivia-por-el-aniversario-50-de-la-caida-en-combate-del-comandante-ernesto-che-guevara-06-10-2017-23-10-59
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2017年09月27日

ユナイテッド航空 ヒューストン - ハバナ間の増便を申請

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Radio Habana Cuba、2017年9月27日、Martha Ríos 記者

米国企業ユナイテッド航空の代表者はワシントンで9月27日、テキサスのヒューストン市とハバナ間の運行を毎日運航に増やしたいとの意向を明らかにした。

ビジネス・ジャーナルのサイトによると、昨年12月以来、両市間は毎週土曜日に往復便が運航されている。またニュージャージーのニューアーク自由国際空港と、キューバ首都ハバナのホセ・マルティ空港のあいだでは、毎日運航されている。

シカゴのイリノイに本部があるユナイテッド航空は、上記運航増便について米国運輸局に申請をした。プレンサ・ラティーナ通信社に対して関係者が明らかにした。

申請が承認されれば、ヒューストン・ハバナ間は、メイン機であるボーイング737-800航空機か、メサ航空とユナイテッド・エクスプレスが運航するエンブラエルE175が飛行する予定である。

ユナイテッド航空はその声明において、増便は大きな市場競争を保証し、ヒューストンやその他米国中西部44都市からの旅行者にとってハバナへの航空サービスの機会を改善する、と述べた。

声明はまた、ヒューストンは原材料の大きな輸出地であり、その立地は商業発展に向けての特権的場所とならしめる、と強調した。

Aerolínea de EE.UU. quiere aumentar vuelos a Cuba
http://www.radiohc.cu/noticias/economy/142685-aerolinea-de-eeuu-quiere-aumentar-vuelos-a-cuba



posted by vivacuba at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba

2017年09月26日

ボリビアのエボ・モラレス大統領 フィデル・カストロ初の国連演説を回想

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Radio Habana Cuba、2017年9月26日、Lorena Viñas Rodríguez記者

ボリビアのエボ・モラレス大統領は今週火曜日(9月26日)、キューバ革命の歴史的指導者フィデル・カストロによる初の国連演説(1960年9月26日)について回想した。

大統領はツイッターを通じて、戦争や平和についてフィデルが提唱した考え方は、57年後の現在でもなお有効である、と述べた。

「フィデルは言った。収奪の哲学がなくなるとき、戦争の哲学は消え行くだろう」、とエボは別のツイートで回想した。

フィデルは、この歴史的演説において、戦争は他人の富を収奪したいという人間の欲望により人類の当初から生じた、と述べた。

「植民地が消え、独占による国々の搾取がなくなれば、人類は、真の発展段階に到達するであろう」、とその演説で最高司令官は言った。



Evo Morales recuerda primer discurso de Fidel Castro en ONU
http://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/142546-evo-morales-recuerda-primer-discurso-de-fidel-castro-en-onu
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2017年09月25日

キューバ ハリケーン・マリア被害のプエルト・リコに援助隊派遣

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ロヘリオ・シエラ・ディアス @RogelioSierraD
ハリケーン・マリア被害のプエルト・リコにキューバは援助を提供する
2017年9月25日14:32 キューバ

Cubadebate、2017年9月25日

ハリケーン・マリアの通過の影響を強く受けたプエルト・リコで生じた被害を軽減するため、キューバは同国へ連帯援助を提供する。

キューバは、プエルト・リコの同胞を援助するため、電気技術者4チームの派遣と、医師39人による病院を設立する用意ができている。キューバ外務省のロヘリオ・シエラ・ディアス副大臣がツイッターで発表した。

この人道的行為は、わが国が姉妹国プエルト・リコとのあいだに築いている恒常的連帯の一例である。

cuba-puerto-rico-2.jpg
ロヘリオ・シエラ・ディアス @RogelioSierraD
プエルト・リコにキューバは電気技術者4チームを派遣する
2017年9月25日14:37 キューバ

Cuba ofrece ayuda a Puerto Rico tras azote del huracán María
http://www.cubadebate.cu/noticias/2017/09/25/cuba-ofrece-ayuda-solidaria-a-puerto-rico-tras-azote-del-huracan-maria/#.WcnCd4_9TIU
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2017年09月22日

駐キューバ米国大使館 査証手続きを9月29日まで休止 ハリケーン・イルマ被害

embajada-de-estados-unidos-en-la-habana.jpg

Radio Rebelde、2017年9月22日、ACN

キューバの首都ハバナにある米国大使館は、ハリケーン・イルマによる被害により、9月29日までの査証手続きの面接予定を変更すると発表した。

面接予定日が9月29日までの査証申請者には、電話かEメールで、新たな面接日時が知らされる。

渡航書類がすでに大使館内で準備されている人たちには、引渡し調整のために、同領事部から直接連絡がある。パスポートや渡航書類の引渡しの場合以外は、大使館に出向かないよう申請者にはお願いする。

米国大使館の領事サービスの予定については、同領事部の公式サイトでさらなる詳細を確認できる。

Nota de la embajada de los Estados Unidos en La Habana
http://www.radiorebelde.cu/noticia/nota-embajada-estados-unidos-habana-20170922/
posted by vivacuba at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba

ベネズエラのマドゥーロ大統領 義援金提供のためキューバ訪問 ハリケーン・イルマ被害

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ニコラス・マドゥーロ大統領(左)とラウル・カストロ国家評議会議長(右)

Cubadebate、2017年9月22日

今週木曜日(9月21日)の深夜近く、国家評議会議長のラウル・カストロ将軍は、ホセ・マルティ国際空港でベネズエラのニコラス・マドゥーロ・モロス大統領を出迎えた。

ベネズエラ大統領は、"ファースト戦闘員"(ファーストレディー)のシリア・フローレスとともに、キューバに到着した。ハリケーン・イルマの通過によりキューバに生じた被害を軽減するために、姉妹国であり連帯国であるベネズエラから我が国への義援金を提供するためである。グランマ紙が報じた。

この空港での歓迎には、ミゲル・ディアス・カネル・ベルムデス国家評議会および閣僚評議会第一副議長も同席した。



Recibe Raúl Castro a Nicolás Maduro, quien hará un donativo a Cuba para daños de huracán Irma
http://www.cubadebate.cu/noticias/2017/09/22/recibe-raul-castro-a-nicolas-maduro-quien-hara-un-donativo-a-cuba-para-danos-de-huracan-irma/#.WcXYTtL9TIU
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2017年09月20日

コロンビアからの支援物資が届く ハリケーン・イルマ被害のキューバ

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Radio habana Cuba、2017年9月20日、Bárbara Gómez記者

72時間ものあいだキューバを襲ったハリケーン・イルマによる被害を軽減するための援助物資が今週水曜日(9月20日)、コロンビアから空路で到着した。

キューバTVの昼のニュースによると、きょうの午後、衛生用品や食品、毛布などの物資を運んだ航空機がホセ・マルティ空港に到着した。

コロンビアの国家災害危機管理局のカルロス・イバン・マルケス局長は、ハリケーンに対するキューバの予防システムを賞賛し、FARCとの平和交渉においてキューバが証人として参加してくれたことに感謝を表明した。

コロンビアは、これまでキューバに支援物資を届けたベネズエラ、ドミニカ共和国、スリナム、ボリビア、日本に続いた。

72時間ものあいだに、死者10人と、多くの物的被害をキューバにもたらしたハリケーンは、ひじょうに強い勢力と、時速252kmにまで達する強風を伴った。

Arriba a Cuba ayuda humanitaria desde Colombia
http://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/141959-arriba-a-cuba-ayuda-humanitaria-desde-colombia
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