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2014年02月19日

マリオ









 
操作方法
“start”を押してゲームを始めます。←=左へ移動 →=右へ移動 、↑キージャンプ
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2013年06月10日

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2012年10月17日

中国市場におけるP&Gの浮き沈み(11)

中国市場におけるP&Gの浮き沈み








慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
 朱 琲クン



4.企業公民として義務を果たす
  
  中国進出して以来20年、P&Gは中国で優秀な企業公民の役を演じた。中国の各公益事業への寄付金の総額は6000万元を超えて、中国の教育、衛生、救済に使われてきた。1996−2005年、P&Gは「希望プロジェクト」に累計2400万元を寄付して、全国27カ省、自治区で100の「希望小学校」を建てた。中国にある多国籍企業の中で、最も多い「希望小学校」を建てた企業である。1998年4月、P&G元CEOが中国に訪問したときに、清華大学に1070万元を寄付して、最も先進的な実験器械を導入して、学校の実験施設を完備させた。同時に中・小学校の青春期健康教育の為に、中国教育部に700万元を寄付した。公益活動を通して、P&Gは企業の利潤を高めようとする同時に相応の社会的責任をも履行して、利益関係者の満足度に注意を払うことによって、より高い賞賛と知名度を得ることができた。




終わりに

 1988年8月18日、当時の広州石鹸工場と合資して、広州宝潔有限会社を設立して以来、P&Gは中国と一緒に成長しながら、世界に注目される著しい業績を遂げた。2008年時点では、中国におけるP&Gの投資総額は10億ドルとなって、年間売上高は30億ドルに達している。中国に進出して以来の20年間で、P&Gは日用品の帝国を築き上げた。その中、1998年−2001年のピンチ期を経験したが、後の戦略調整によって、ユニリーバなどの強いライバルに奪われた失地をすぐに回復した。P&Gは中国市場において成功したと言えるのであろう。
 P&Gの中国市場における成功は、売上の成長、市場占有率の拡大、事業の発展などに表されているだけではなく、最も重要なのは、中国の公益事業に力を尽くすことや、中国の国内日用品企業の模範となったことなどであろう。P&Gの中国進出は我々にそれまでのない高品質の製品をもたらしただけではなく、中国民族企業に成功の経験や模範の力をももってきたのであろう。激しい競争の中に、中国民族企業も日増しに強くなりつつある。
 一方、より多くの外国企業は中国市場に関心をもつようになることにつれて、P&Gにとって中国市場における成果を保つことはより難しくなるのであろう。P&Gの中国市場での歩みはまだまだ続くのであろう。





参考文献:

1. P&G中国ホームページ、http://www.pg.com.cn/
2. P&Gホームページ、http://www.pg.com/
3. P&G日本ホームページ、http://jp.pg.com/
4. 王分棉(中国対外経済貿易大学国際商学院)、《宝洁:日用品帝国的沉与浮》(「宝潔:日用品帝国の浮き沈み」、http://business.sohu.com/20050926/n240455956.shtml
5. 中国计量学院零点调查协会(中国計量学院零点調査協会)、《案例分析:宝洁 日用品帝国的沉与浮》(「ケーススダディー:宝潔 日用品帝国の浮き沈み」)、http://www.lddc2003.com/html/data/report/20061221/349.html
6. ウィキペディア、「プロクター・アンド・ギャンブル」、http://ja.wikipedia.org/
7. ウィキペディア、「中華人民共和国の経済」、http://ja.wikipedia.org/
8. ウィキペディア、「改革開放」、http://ja.wikipedia.org/
9. 周涛、中国管理传播网(中国管理メディアネット)、《宝洁的方向在哪里?解读和黄卖掉宝洁》(「宝潔の方向はどこにあるか、和記黄埔は宝潔を売るのを解読する」)、http://www.mie168.com/manage/2005-04/74299.htm
10. ショーチャイナネット、中国経済チャンネル、《百姓经济生活的十大变化》(「国民経済生活の十大変化」)、http://www.showchina.org/ zgjbqkxl/zgjj/200709/t126078.htm
11. 中国化妆品网(中国化粧品ネット)、《宝洁:海飞丝如何打入早期中国市场》(「宝潔:Head & Shoulderは如何に早期の中国市場に入ったのか」)、
http://news.c2cc.cn/market/data/200811/406150.htm
12. 呉敬l(中国社会科学院大学院教授、国務院発展研究センター研究員)、「改革の成果をもたらした経済学の進歩」、
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/021224gakusya.htm
13. 「中華人民共和国商業年鑑」
14. 中華人民共和国国家統計局ホームページ、「統計知識」、「中国統計年鑑」

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中国市場におけるP&Gの浮き沈み(10)

中国市場におけるP&Gの浮き沈み








慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
 朱 琲クン




3)製品の命名
   P&Gはその製品への命名に工夫している。適切で絶妙な製品名は、消費者の製品への認知の抵抗を減らすことができるし、消費者の美しい連想を呼び起こすことができる。また、消費者の製品への親和力及び依頼感を増進することもできる。それで、製品の販売促進費用を減らすことが実現できるようになる。
   中国市場に販売されている全てのP&G製品は、意味のある美しい名前を有している。P&Gは、英語単語の精選と組み合わせて、中国語の製品名と英語とは、意味も発音もぴったり当てはまるように、製品の特徴と描き出そうとするブランドイメージを表すことができるようにその製品を命名する。Pampers (パンパース、帮宝适 bangbaoshi)、Safeguard(舒肤佳shufujia)そのよい例である。中国語では、「帮」は手助けするの意味で、「宝」は赤ちゃんのことで、「适」は心地よいの意味で、「帮宝适」を日本語に翻訳すると、「赤ちゃんを心地よくさせるための手助けをする」となる。「舒肤佳」も同じように、「舒」は心地よいの意味で、「肤」は肌、皮膚のことで、「佳」はよいの意味で、あわせると、「肌をよくする」「気分をよくする」の意味合いである。

  

 4)広告宣伝
P&Gの中国での成功に、広告宣伝は一つのポイントである。毎年P&Gの広告宣伝に使われる費用はその売上総額の1/8を占める。その広告宣伝の成功は以下のように分析することができる。
  
  セグメンテーション
   P&Gは広範囲で「USP理論」を使ってきた。広告の基本理論である「USP理論」は、「ユニーク・セリング・プロポジション」の略で、その製品にしかないウリを提供することで、短期間で市場から差別化されるための具体的な手段である。中国でのP&Gの製品の広告の中に、この理論は徹底的に使われてきた。例えば、REJOICEの「シャンプ・コンディションナー 2 in 1」、Head & Shoulderの「ふけ取り」、PANTENEの「髪を守る専門家」、VSの「美髪専門用品」、Safeguardの「殺菌及び長時間にばい菌の再生を抑える」、ARIELの「汚れすっきり」など、全ての広告は消費者に一つの重要な利益点を承諾して、消費者の認めと信頼を得る。日用清潔用品に対しては、消費者が最も関心を持つのはその効果である。消費者の心理に合わせるために、USP理論を使うのは有効であろう。
   
利益訴求と感情訴求
   利益訴求とは、製品の機能から概念を演繹する。感情訴求とは、消費者との感情の交流から概念演繹する。利益訴求としては、CRESTは中国全国歯病予防指導組と「根元から虫歯を予防する」という歯の病気を予防する、歯を守る理念を言い出したこと、Safeguadは中華医学研究会と「健康、殺菌、皮膚を守る」理念を言い出したこと、シャンプの「ふけ取り、健康、スルスル」の理念を言い出したことなどが挙げられる。感情訴求としては、、例として「自信」という概念を言い出そうとするREJOICEの広告が挙げられる。「自信」のシリーズには、「REJOICEケンカ篇」、「REJOICE教師篇」、「REJOICEコンダクター篇」がある。テレビ広告以外、「自信」という概念をめぐって、「REJOICE自信学院」、「いくつかのことに挑戦する」、「同じように自信を持つ」、「職場新入者」、「自分の自信を言ってください」などのキャンペーン活動を行うことを通して、「自信」という概念を演繹した。
広告の普及から見ると、テレビ広告において、P&Gは成功できる公式を有している。まず、消費者の注意を引くために、消費者の面している問題や悩みを指し示す。次に、速やかに広告の中で、解決法案を出す。それは、P&Gの製品である。
利益訴求と感情訴求を結びつくことを通して、P&Gは自分のブランド力、ブランドの文化的意義を高めた。
  
  表現
   模範を示すやり方を用いる。P&Gは、NIKEのように、有名人にブランドと結び付いて、広告の中には製品が出てこないやり方を用いるのではなく、製品と消費者を密接に関連させる広告を作る。P&Gの広告は、いつもその製品を使う一般の人を使って、素朴でみんなのよく知っている言葉で製品の特徴を紹介して、消費者に一つまたはいくつかの利益点を提供することを通して、理性的に消費者の心を動かす。

  テレビメディアの有効利用
テレビメディアは、計量的に評価すること及び視聴コストを計算することができる最も便利なメディアである。また、テレビメディアの視覚的効果は、製品の機能を十分に消費者に示せるから、P&Gの中国における広告宣伝の主要な手段となった。
テレビをつけると、毎日P&G製品の広告が見れる。P&Gは消費者の記憶曲線への研究を通して、「波型遁増方式」で、長期的に広告を放送するが、他のメーカー、例えばユニリーバは、製品の導入期及び販売の旺盛期が来る前に広告で宣伝を行う。日用清潔用品としては、一般家庭の日常消耗品で、常に買われるものだから、長期的な広告を通して、まず消費者にP&Gの製品を認識させる、その後は購買欲を引くことができる。遁増的な放送は、消費者の認識を強化することができるし、消費者のP&Gに対してのロイヤルティを高めることもできる。
  
  OAT
   OATはOFFAIRTESTの略で、P&Gは市場調査研究会社と長年の研究蓄積で形成され  たテレビ広告効果を測定する方法で、新しい広告の効果を保証するために放送する前に行われたテストのことである。その目的は、消費者の購買潜在力、広告への反応及び記憶を測定することを通して、新しい広告を出せるかどうかを評価すること、出せるならば、よりよい効果を収めるために、テストされた広告を改善できるところを検討することである。

   P&Gの広告宣伝は、テレビ、インターネット、雑誌を利用するだけではなく、一方、全国でイメージキャラクタを選ぶことや、大学で奨学金を設立することや、国家部門と公益事業をすることなどを通して、その製品の認知度を高める。同時に、農村市場を占領するためには、全国的な路上公演まで行った。都市部では、P&Gはスーパーやデパートでの製品の陳列に工夫を凝らしている。消費者の注意を引こうとして、陳列台の広いスペースを占めるようにした。

3.研究開発を基盤にした事業
  
  「我々の成功の源は、手ごろの価格ではっきりとした優位性を持つ製品を提供するこ
とにある。安くて品質のよい製品に導く方法は、他人よりはやい発明である。研究開発
は我々の革新及び事業の生命ラインである。」とP&G元CEOジョン・ペッパーはこう語
った。
 早くも1934年に、P&Gはアメリカで消費者研究機構を設立した。アメリカ工業業界
で真っ先に科学的分析方法を使って消費者の需要を調べる企業となった。70年代にな
ると、P&Gは始めてフリーダイヤル電話で消費者とコミュニケーションをとる企業と
なった。東の人々に合うような製品を研究するために、P&Gは日本で全世界最も大きい技術センターを設立して、アジアの消費者だけにサービスを提供する。新製品の研究開発だけではなく、製品の品質、調合指図書及びパケッジデザインの改善から消費者を満足させる。P&Gの多くの製品は、毎年少なくとも一回、改良される。世界はじめての高効果合成洗濯用洗剤―Tideが1946年に出された以来、今まで60回以上の改良は行われた。P&Gは日々激しくなる競争の中で、不敗の地に立つことができるのは、研究開発を通して絶えずに革新することは欠かさない要因の一つであろう。
 P&Gの研究センターにある83000以上の科学者たちは、心を込めて、P&G日用品帝国を建てている。彼らは人間性への配慮を持ちながら、消費者至上の理念で、実用さ、便利さ、快適さ、美しさの角度から、消費者に精彩あふれる生活を創るために力を尽くしている。ここで、中国消費者にとってなじみのあるシャンプブランドREJOICEを例として、P&Gは如何に絶えずに革新を求めるのを示したいと思う。
 
1989年秋、P&GはREJOICE「シャンプ・コンディションナー 2 in 1」を開発し、市場に出した。その売上数量は中国シャンプ市場の半分以上を占めた。1989年12月、中国市場でREJOICE 5ml 軽便パッケージを出した。1990年、REJOICEは中国におけるはじめての「ふけ取り 2 in 1」シャンプを出した。1996年12月、中国でモイストスムースケアのできる2 in 1シャンプを市場に出した。2000年3月、REJOICEは中国消費者のためにツルドクダミ黒髪2 in 1シャンプを開発。2003年9月、1分間コンディションナーエキスを出した。2003年10月、REJOICEは全面的に新しくなった。2004年8月、全面的に新しくなったREJOICEは発売された。2005年4月、若者向けのフルーツエキスシリーズを出した。

たゆまない努力と新商品の研究開発は競争の激しい中国シャンプ市場におけるREJOICEの高い占有率を保ってきた。REJOICEと同時に、中国消費者を満足させるために、Head & Shoulder、PANTENE、VSなど多数のシャンプ、コンディションナー製品を開発した。これは171年以来、P&Gは「高品質・安全・安心」の代名詞になった理由であろう。
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中国市場におけるP&Gの浮き沈み(9)

中国市場におけるP&Gの浮き沈み








慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
 朱 琲クン



P&Gの中国市場における成功の要因

1. 中国進出の時点と場所の選択

中国の経済発展においては、地域格差が存在している。広東省は、改革開放政策の最前線で、経済発展が発達している場所である。P&Gは中国に進出した1988年の時点では、広東省は改革開放以来の四回目の経済発展周期を迎えてきた。そのGDPは底をついた1990年から上がり始まった。1992年、1993年に22.1%と22.3%の成長率でピークを達した。90年代以降、中国東部の市場化レベルの向上につれて、非国有経済の発展は著しくて、特に対外開放地域の拡大によって、東部の経済発展の原動力は中部、西部より強かったのであろう。GDPの成長率から見ると、東部は中部、西部よりそれぞれ2.2と2.8ポイント高かった。収入の差から見ると、経済発展の傾向と殆ど一緒である。都市部住民の一人当たり可処分所得であれ、農村部住民の一人当たり純収入であれ、中・西部より東部のほうが明らかに高い。経済指標の分析から見ると、経済発展の総量でもスピードでも、東部は中・西部より優れていることが分かるのであろう。P&Gは中国経済発展の格差を把握して、広東省の経済開放性及び購買力を考慮して、広東省を拠点として中国市場に進出することは、その成功要因の一つだと言えるのであろう。



2.マーケティング戦略

 1)消費者至上の経営理念
   P&Gの成功は、「消費者至上」の理念とは密接にかかわっている。この理念を全てのところまで着実にさせるために、P&Gはいろんな工夫をしてきた。毎年、P&Gの製品は全世界160以上の国、地区で消費者と接触している。消費者によりよい製品やサービスを提供するために、1934年にアメリカで消費者研究機構を設立して、アメリカ工業業界で真っ先に科学分析方法で消費者の需要を分析する企業となった。20世紀70年代になると、P&Gはフリーダイアルで消費者とコミュニケーションをとるはじめての企業であった。今まで、P&Gはさまざまなツールと技術で全世界50億以上の消費者と交流している。
   中国でのP&Gの「消費者至上」の理念は、単に消費者のニーズを満足することに表しているだけではなく、より重要なのは、消費者のニーズを育てる、導くことである。P&Gは広告やキャンペーンを通して、中国の消費者にどうやって髪を洗うことや、どうやって歯を磨くことを教えた。経済的利益を得た同時に、かつてない長期的な社会的効果ももたらした。髪を洗う新しい概念を提起することから常に髪を洗うように導くことまで、正しく歯を磨くことから正しく歯磨を選ぶことまで、まめに手を洗うことから殺菌することまで、中国消費者の生存意識、生活習慣の変化をもたらしたし、ヘルシーな生活スタイル、新しい健康理念や健康用品の全てを消費者に送る。消費者としては受け入れやすいし、ロイヤルティを高めることもできた。

 2)ブランド戦略―多数のブランドで市場を占有する
   中国におけるP&Gのマーケティング戦略としては、ブランドの価値創造に注目することが挙げられる。経済発展によって、中国国民の生活水準が大幅に高められて、人々の好みが多様になっていて、ブランドを追求するようになった。表にも示されているように、P&Gは中国消費者の異なる好みに合わせて、そのブランドイメージを高めるだけではなく、同じ製品でも機能の異なる多数のブランドを出すことを通して、高い市場占有率を獲得して、中国におけるP&Gの速い発展を支えてきた。洗濯用洗剤を例として、P&Gは、消費者の好みによって、全世界で機能の異なる九つのブランドを出したが、中国でTideとARIELの二つのブランドしか出していない。顧客ロイヤルティが低い、消費者好み差異が大きいシャンプ市場では、消費者の異なるニーズを満足させるために、REJOICE、PANTENE、Head & Shoulder、VS、CLAIROLの五つのブランドを出した。同じREJOICEでも、異なる機能の五つのパッケージがある。
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中国市場におけるP&Gの浮き沈み(8)

中国市場におけるP&Gの浮き沈み








慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
 朱 琲クン






2002年―今まで
 2001年6月に、羅宏斐はP&G中国のCEOに就任した。P&G中国は危機から救われるようになりつつある。まず、今までの広州、香港、台湾三つの中心の局面を変えて、広州は中国地区(大中華区)の本部にされて、直接本社に報告するように決められた。次には、卸売商、小売商と仲良くするようにした。本土化戦略の元で、P&G中国は反撃し始めるようにした。2000年から、P&G中国は農村市場の開拓に力を入れ始めた。次々と「農村端末ネットワーク建設」プロジェクト、「農村食料品マーケット展示計画」などを行った。2003年になると、農村市場を全面的に進出するようにした。
 コストを有効的にコントロールしたP&Gは、中国国内企業と価格戦争をし始めた。2003年、P&G所属ブランドOLAY、Safeguard、ZESTはそれぞれに20%、25%、30%と値下がりした。洗濯用洗剤市場においては、失地を回復するためには、中国本土ブランドDiaopai、Qiqiangに矛先を向けて、タイド(650g)は2002年の5.9元から2004年の3.5元まで値下がりされた。さらに、1.9元の超低価格を出した。このような低価格戦略を通して、タイドの市場占有率はうなぎのぼりに上昇した。中国商業連合会情報部の資料によると、2007年1−8月タイドの市場占有率は29.74%であって、二番名のDiaopaiより、10%以上高かった。次には、P&Gはシャンプ市場の価格戦争をも始めた。2003年末、P&Gは一部の地域で9.9元のREJOICEシャンプ(200ML、市場価格17元)を販売することを試してみた。この時期のP&Gは中・下ランクの市場に浸透するために、低価格戦略だけではなく、さまざまなキャンペーン活動を行った。
 この時期において、P&Gは中国での投資をいっそう増やした。2004年5月12日に、P&Gは18億ドルの高価格で和記黄埔有限会社の有している広州宝潔の20%の株を買収して、100パーセント外資企業となった。その後、中国の最大のマス・ミディアム―中央テレビチャンネルに目を向けた。2004年、2005年落札3.8億元で連続二年中央テレビチャンネル「ゴールドタイム」コマーシャル入札者の一位となった。P&Gは中国でブランド拡張の時代を始めた。


P&Gの反撃は著しい効果を収めた。2002年、2003年売上の成長率は25%を超え、利潤は平均年率140%のスピードで増加した。その三大ブランド―REJOICE、Head & Shoulder、PANTENEは失地を回復して、再びシャンプ市場の半分以上を占めるようになった。2003年、中国は全世界におけるP&Gの六番目大きい市場となった。その業績は150億元近いであった。

2005年度 中国3,000店舗のスーパーマーケットにおけるシャンプー売上高
表7
北京


表8
上海


日用品のような代替されやすくて、消費者にとって選択の多い端末市場では、その国の実際の市場状況を見落としたら、強力なブランドを有しても、後で参入した企業に付け込まれやすいであろう。1988年にP&Gは中国に進出して以来、1998−2001年のピンチ期を経験したが、そのあとのより大きな成功をもたらしたのであろう。P&Gは中国市場を把握したし、中国で世界に注目されるべき業績を達成した。

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中国市場におけるP&Gの浮き沈み(7)

中国市場におけるP&Gの浮き沈み








慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
 朱 琲クン




P&Gは中国進出して以来の3年目、1991年からもうけはじめて、1991年から1997年まで、その売上は平均年率50%のペースで年々増え続けていた。1997年に、P&Gの中国市場における主要な営業収入は80億元で、中国進出して以来、最も高い業績であった。



以上の図2に示されているように、上位三位を占める三つのブランド、REJOICE、PANTENE、Head & Shoulderは全てP&Gの製品である。1997年の時点では、P&Gの三つのブランドは中国シャンプ市場の半分以上(54.03%)を占めてた。シャンプ市場だけではなく、1992年に中国で発売された石鹸ブランドSafeguardは、ボスであったユニリーバ(UNILEVER)の石鹸ブランドラックス(LUX)の地位を取って変わった。

1998―2001年
 1998年になると、10年の黄金時期を経てきたP&Gは、はじめてその業績は下がりはじまる。1998年−1999年、P&Gの中国における市場占有率は下がりつつある。その中、シャンプの市場占有率は60%から40%まで下がった。全体の売上高は39.17億元で、前年度に比べると、20%−30%下がった。



どうして1998年から、P&G中国は中国市場において不況になったのであろうか。その理由は、この段階では、P&G中国は多くの多国籍企業および国内の実力企業に攻められたからである。
 P&Gの製品カテゴリの幅は広くて、中国では実力相当の企業はないが、各細分市場においては、ライバルが多くて、競争は激しい。

表4.各分野におけるP&G中国と競争相手の製品一覧




上の表4に示されているように、P&Gは各細分市場では、多数のブランドを出しているが、全ての細分市場においては、勝っているわけではない。
ヘアケア、オーラルケア用品、個人衛生用品、ファブリック&ホームケア分野においては、ユニリーバは最も強いライバルである。
ヘアケア市場では、この時期のP&GはSLEXとHAZELINEの挟み撃ちにされた。特にSLEX、「農村から都市を包囲する」戦略で、P&Gとの真正面な戦いを避けることを通して、1999年に全国的なブランドとなった。2000年になると、その販売量はREJOICEに次いで、P&Gの天下を脅かしていた。
洗濯用品市場においては、この時期のP&GはCniceとQiqiangの強い攻撃を受けた。特にCnice、P&Gの「高価ゲーム」に対して、「只买对的,不买贵的(正しいものだけ買う、高いものを買わない)」というスローガンを出して、中、下ランクの市場に注目するようにした。この戦略の元で、CniceはDiaopaiというブランドを出して、広告と低価格で、石鹸業界のリーダーとなった。その後すぐに洗濯用洗剤市場に進出して、2001年になると、洗濯用洗剤89万トンの年生産量で一位になった。
スキンケア・コスメティックス分野においては、P&Gの最も強いライバルはユニリーバではなく、L’OREALである。この分野では、P&Gは完全に負けている。OLAY、SK-U、IllumeのP&Gの三つのブランドは中国で知名度が高いが、中国のスキンケア・コスメティックス市場の上、中ランクの市場しか占めていない。L’Orealの12(1996年)のブランドは上、中、下の全てのランクの市場に進出している。
P&Gと中国日用品市場を分割したいのはユニリーバやL’Orealなどの多国籍企業だけではなく、中国国内ブランドを加えて、この時期のP&Gは中国で激しい競争に陥って、営業収入は急激に下がった。
苦境に陥ったもう一つの理由はP&G自身である。P&Gの「高品質高価格」の戦略は、国内企業に巨大な市場成長スペースを残した。国内企業はP&Gのこの弱みを握って、中、下ランク市場をターゲットとして、「低コスト、農村で都市を取り囲む」戦略で、農村市場を占有したし、絶えずに大・中都市を拠点としたP&Gに攻撃することを通して、危機に陥らせた。
1999年のP&Gのグローバル戦略の変更も中国市場での失敗に大きな影響を与えた。この都市のP&Gのグローバル戦略は「より大規模な変革を行おう」で、中国市場に示されたのは、大売場に進出する戦略をとったので、大きな農村市場と小売商を失ったし、競争相手に巨大な市場空白を残した。


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中国市場におけるP&Gの浮き沈み(6)

中国市場におけるP&Gの浮き沈み








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1945−1980 新大陸と飛躍的な成長
 P&Gはアイボリー以降の最も重要な新商品とされたタイドを、1946年に市場に出した。タイドは市場における他社の商品よりはるかに優秀であったため、短時間で大成功を収めた。この大成功が、一連の新商品の導入だけではなく、世界中の新市場の開発を含めた当社の急速な成長期の資金源として貢献した。
 タイド導入後の数年間に、P&Gは数々の新商品を導入した。歯磨商品、トイレットペッパーと紙タオル事業、使い捨てのおむつのカテゴリーを市場に導入した。さらに、当社は既存事業を強化し、新しく食料品と飲料品のカテゴリーへ事業を拡大した。
 これにもまして大切なことは、事業の国際化に焦点を絞っていくことであった。新地域の市場で事業を成功させるためには、これらの国々のホームグラウンドでの活動が必要であることを確信したP&Gは、立上げ事業をメキシコでスタートさせ、続いてヨーロッパ、日本という順で発足させていた。P&Gは1980年には、世界23ヶ国での年商が約110億ドルの規模になり、1945年度の35倍以上の収入で事業を展開していた。

1980−1996 グローバル企業へと発展
 設立150周年が近づいた1980年になると、P&Gは当社の歴史上かつて見られなかった劇的な成長時期を迎えた。小規模な提携関係から中西部で始まった企業は、国内有数の多国籍大企業に成長した。この劇的な時期に、二つの重要な変化があった。
 第一に、1982年のノーウィック・イートン・ファーマステイカルズ買収、1985年のリチャードソン・ビックス買収により、ヘルスケア業界の新規事業者として台頭したことである。また80年代後半と90年代前半のノクセル、マックスファクター、エレンべトリックス等の買収により、新しい化粧品・香水事業に参入した。これらの買収は、当社のグローバル化計画に拍車をかけた。特にリチャードソン・ビックスおよびマックスファクターの買収は、P&Gの国際的な存在価値を劇的に増大した。この新しいグローバルな強みを基盤に研究施設の中心拠点を米国、ヨーロッパ、日本、ラテンアメリカに設立して、全世界の研究開発のネットワークを確立し、世界的なブランド製品となったパンパース、オールウエイズ/ウイスパー、パンティーヌ・プロV、タイド、アリエール、クレスト、ビックス、オイル・オブ・オレ等の商品のリーダー的地位を築き上げた。
 過去数年んびわたるP&Gの革新は、タイドがカテゴリーリーダーの地位を維持することと、P&G社内の単独最大規模ブランドを維持するのに貢献した。現在のP&Gは、真の意味でグローバルな会社である。1980年以降の当社ブランドを提供する全世界の消費者数は4倍、50億人となった。現在P&Gは、70ヶ国以上の国で事業を展開し、150ヶ国以上の国で当社の商品を販売し、世界最大規模の消費財メーカー最優良企業の一つとなった。
1997−現在 将来の展望
 P&Gは高品質のファブリック及びホームケア、ベビーケア、生理用品、ティシュー及びタオル、ビューティケア、ヘルスケア、食品及び飲料等の商品の開発、販売、マーケティングリーダーとして認識されている。
 P&Gは全世界150ヶ国以上で、約50億人の消費者に、およそ250のブランドを提供している。そのブランドにはパンパース、タイド、アリエール、オールウエイズ、ウイスパー、パンティーヌ、バウンティー、プリングルズ、フォルジャーズ、チャーミン、ダウニー、レナー、アイアムズ、オレ、クレスト、ビックス、アクトネルなどがある。
また、P&Gは全世界に11万人以上の社員を雇用し、経済成長の面でも健全性の面でも世界各地でその底力を発揮している。
 一世紀以上前のウイリアム・プロクターとジェームス・ギャンブルの精神と同様に、プロクター・アンド・ギャンブルの全社員は将来を展望している。これは世界の消費者に最高の品質と価値ある商品を継続的に提供していくことを意味する。
 

P&Gの中国進出及び中国市場における浮き沈み


 P&Gはグローバル企業へと発展しようとする1980年代初めの頃、中国に関心を持ち始めた。1985年に、現役中東及びアフリカ地域市場調査部の副総裁である呉凯(Berenike Ullmann)は中国で市場調査を行い始めた。中国消費者需要の調査を通して、P&Gはヘアケア商品(シャンプHead & Shoulder)を中国市場進出の初めの商品として決定した。
 1988年8月に、P&Gは広州で中国の初めての合資会社―広州宝潔有限会社を設立した。それからP&Gは中国での事業展開を始めた。宝潔中国の本部は広州にあって、北京、上海、成都、天津、東莞、南平などで子会社や工場がある。社員数は六千三百人を超え、中国における投資総額は十億ドルを超えた。
 P&Gの中国での発展は1988−1998の成長期、1999−2001のピンチ期、2002−現在の回復期の三つの段階に分けられると思う。

1988−1997年
 この時期においては、P&Gは中国で日用品の帝国を築き上げた。しかも、日用品王国の玉座に登った。




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中国市場におけるP&Gの浮き沈み(5)

中国市場におけるP&Gの浮き沈み








慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
 朱 琲クン


改革開放政策を実施して以来、中国国民の一人当たり年平均収入は増えつつある。表2に示されているように、1981年と比べると、都市部であれ、農村部であれ、1988年の国民の一人当たり年平均収入はほぼ2.5倍になったことが分かるのであろう。



収入の増加によって、国民の購買力が増大しつつある、また、消費者として、特に若い世代の消費理念は大いに変わった。国内の商品だけでは消費者のニーズには満足できなくなった。彼らは、新しくて珍しいものに好奇心を持ち、ブランド品などを求めはじめるようになった。
一方、この時期の中国の日用品市場では、日用品のメーカーが少なくて、消費者は、質がよくない、包装が荒い、個性が欠ける、種類が限られているいくつかの商品から選ぶしかできなかった。そのときの中国日用品市場は空白だと言っても過言ではない。
1980年代における中国の政治と経済環境は、外国企業の中国進出にとってはよいチャンスであろう。P&Gは中国の大きい市場を発見して、中国に進出しようと決めた。


プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble、P&G)

 プロクター・アンド・ギャンブルはアメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ市に本拠を置く一般消費財メーカーで、フォーチュン500社の一つとして、マーケティングの世界では名高い。
 1837年、石鹸業者のジェームズ・ギャンブルとローソク業者のウィリアム・プロクターが共同出資で設立した。その歴史は五つの段階に分けられると思う。

1837−1890 提携の時代
 1837年は企業家にとって困難な年であった。シンシナティの市場は繁栄していたが、米国は経済恐慌に襲われ、全国で数百の銀行が閉鎖した。米国の国自体が破産するのではなかろうかという懸念も広がっていた。
 このような経済環境にもかかわらず、プロクター・アンド・ギャンブルは新規事業を打ち上げ、国内を揺さぶっていた経済パニックを懸念せず、むしろ同市内の石鹸とローソク製造業者14社との競合を懸念していた。経済の嵐の真っ只中でのこのP&Gの冷静さは、将来を展望した当社の事業への取り組み方、すなわち将来のP&Gの社是となった取り組み方を反映している。
 その後、利益分配活動の国内での先駆者となると同時に、同業者の企業として始めて研究施設に投資した。駆け出しの若者であったプロクターとギャンブルの事業提携は、1890年には数百万ドル規模の企業へと成長した。それでも、P&Gは、将来に目を向け事業展開を続けていた。

1890−1945 革新を基盤にした事業

 1890年のP&Gはアイボリーを含めた30種の石鹸を販売していた。完全カラー印刷の広告を全国的な雑誌に掲載することも含めた革新的な宣伝広告手法が起爆剤となり、消費者のP&Gの石鹸に対する需要は継続的に成長していた。この需要の成長に応えるために、生産拠点をシンシナティ以外の場所に求め、カンサス州カンサス市の工場を初めとし、国外拠点のカナダのオンタリオにも工場を建設した。これらの各工場で操業が始まると、次々と新しい工場の建設がスタートした。
 研究施設も工場に負けないぐらいの忙しさで仕事した。革新的な新商品が次々と市場に導入された。ここで一番大事なのは、これらの革新的な研究開発活動が、単なる研究開発の目的のみならず、P&Gの先駆者的な取り組み方による市場調査を経て、徹底的な消費者ニーズの把握に先導されてきたことであろう。
 これらの商品は、ラジオ番組「ソープ・オペラ(石鹸ドラマ)」、製品サンプリング活動、販促割り増し金等を含めた革新的な手法で販売が促進された。
 P&Gは1945年には商約3.5億ドル規模の会社となり、その商品は米国とカナダ全土にわたって有名になった。また、P&Gは海外における事業開発の第一歩として、イギリスのトーマス&ヘッドレー社を回収した。108年間実績を経て、P&Gは飛躍的な成長に向けて基盤を固めた。
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