2012年10月17日
中国市場におけるP&Gの浮き沈み(8)
中国市場におけるP&Gの浮き沈み
慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
朱 琲クン
慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
朱 琲クン
2002年―今まで
2001年6月に、羅宏斐はP&G中国のCEOに就任した。P&G中国は危機から救われるようになりつつある。まず、今までの広州、香港、台湾三つの中心の局面を変えて、広州は中国地区(大中華区)の本部にされて、直接本社に報告するように決められた。次には、卸売商、小売商と仲良くするようにした。本土化戦略の元で、P&G中国は反撃し始めるようにした。2000年から、P&G中国は農村市場の開拓に力を入れ始めた。次々と「農村端末ネットワーク建設」プロジェクト、「農村食料品マーケット展示計画」などを行った。2003年になると、農村市場を全面的に進出するようにした。
コストを有効的にコントロールしたP&Gは、中国国内企業と価格戦争をし始めた。2003年、P&G所属ブランドOLAY、Safeguard、ZESTはそれぞれに20%、25%、30%と値下がりした。洗濯用洗剤市場においては、失地を回復するためには、中国本土ブランドDiaopai、Qiqiangに矛先を向けて、タイド(650g)は2002年の5.9元から2004年の3.5元まで値下がりされた。さらに、1.9元の超低価格を出した。このような低価格戦略を通して、タイドの市場占有率はうなぎのぼりに上昇した。中国商業連合会情報部の資料によると、2007年1−8月タイドの市場占有率は29.74%であって、二番名のDiaopaiより、10%以上高かった。次には、P&Gはシャンプ市場の価格戦争をも始めた。2003年末、P&Gは一部の地域で9.9元のREJOICEシャンプ(200ML、市場価格17元)を販売することを試してみた。この時期のP&Gは中・下ランクの市場に浸透するために、低価格戦略だけではなく、さまざまなキャンペーン活動を行った。
この時期において、P&Gは中国での投資をいっそう増やした。2004年5月12日に、P&Gは18億ドルの高価格で和記黄埔有限会社の有している広州宝潔の20%の株を買収して、100パーセント外資企業となった。その後、中国の最大のマス・ミディアム―中央テレビチャンネルに目を向けた。2004年、2005年落札3.8億元で連続二年中央テレビチャンネル「ゴールドタイム」コマーシャル入札者の一位となった。P&Gは中国でブランド拡張の時代を始めた。
P&Gの反撃は著しい効果を収めた。2002年、2003年売上の成長率は25%を超え、利潤は平均年率140%のスピードで増加した。その三大ブランド―REJOICE、Head & Shoulder、PANTENEは失地を回復して、再びシャンプ市場の半分以上を占めるようになった。2003年、中国は全世界におけるP&Gの六番目大きい市場となった。その業績は150億元近いであった。
2005年度 中国3,000店舗のスーパーマーケットにおけるシャンプー売上高
表7
北京
表8
上海
日用品のような代替されやすくて、消費者にとって選択の多い端末市場では、その国の実際の市場状況を見落としたら、強力なブランドを有しても、後で参入した企業に付け込まれやすいであろう。1988年にP&Gは中国に進出して以来、1998−2001年のピンチ期を経験したが、そのあとのより大きな成功をもたらしたのであろう。P&Gは中国市場を把握したし、中国で世界に注目されるべき業績を達成した。
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