2012年10月17日
中国市場におけるP&Gの浮き沈み(7)
中国市場におけるP&Gの浮き沈み
慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
朱 琲クン
慶応大学
商学部4年フ組
13期生
李 梅
朱 琲クン
P&Gは中国進出して以来の3年目、1991年からもうけはじめて、1991年から1997年まで、その売上は平均年率50%のペースで年々増え続けていた。1997年に、P&Gの中国市場における主要な営業収入は80億元で、中国進出して以来、最も高い業績であった。
以上の図2に示されているように、上位三位を占める三つのブランド、REJOICE、PANTENE、Head & Shoulderは全てP&Gの製品である。1997年の時点では、P&Gの三つのブランドは中国シャンプ市場の半分以上(54.03%)を占めてた。シャンプ市場だけではなく、1992年に中国で発売された石鹸ブランドSafeguardは、ボスであったユニリーバ(UNILEVER)の石鹸ブランドラックス(LUX)の地位を取って変わった。
1998―2001年
1998年になると、10年の黄金時期を経てきたP&Gは、はじめてその業績は下がりはじまる。1998年−1999年、P&Gの中国における市場占有率は下がりつつある。その中、シャンプの市場占有率は60%から40%まで下がった。全体の売上高は39.17億元で、前年度に比べると、20%−30%下がった。
どうして1998年から、P&G中国は中国市場において不況になったのであろうか。その理由は、この段階では、P&G中国は多くの多国籍企業および国内の実力企業に攻められたからである。
P&Gの製品カテゴリの幅は広くて、中国では実力相当の企業はないが、各細分市場においては、ライバルが多くて、競争は激しい。
表4.各分野におけるP&G中国と競争相手の製品一覧
上の表4に示されているように、P&Gは各細分市場では、多数のブランドを出しているが、全ての細分市場においては、勝っているわけではない。
ヘアケア、オーラルケア用品、個人衛生用品、ファブリック&ホームケア分野においては、ユニリーバは最も強いライバルである。
ヘアケア市場では、この時期のP&GはSLEXとHAZELINEの挟み撃ちにされた。特にSLEX、「農村から都市を包囲する」戦略で、P&Gとの真正面な戦いを避けることを通して、1999年に全国的なブランドとなった。2000年になると、その販売量はREJOICEに次いで、P&Gの天下を脅かしていた。
洗濯用品市場においては、この時期のP&GはCniceとQiqiangの強い攻撃を受けた。特にCnice、P&Gの「高価ゲーム」に対して、「只买对的,不买贵的(正しいものだけ買う、高いものを買わない)」というスローガンを出して、中、下ランクの市場に注目するようにした。この戦略の元で、CniceはDiaopaiというブランドを出して、広告と低価格で、石鹸業界のリーダーとなった。その後すぐに洗濯用洗剤市場に進出して、2001年になると、洗濯用洗剤89万トンの年生産量で一位になった。
スキンケア・コスメティックス分野においては、P&Gの最も強いライバルはユニリーバではなく、L’OREALである。この分野では、P&Gは完全に負けている。OLAY、SK-U、IllumeのP&Gの三つのブランドは中国で知名度が高いが、中国のスキンケア・コスメティックス市場の上、中ランクの市場しか占めていない。L’Orealの12(1996年)のブランドは上、中、下の全てのランクの市場に進出している。
P&Gと中国日用品市場を分割したいのはユニリーバやL’Orealなどの多国籍企業だけではなく、中国国内ブランドを加えて、この時期のP&Gは中国で激しい競争に陥って、営業収入は急激に下がった。
苦境に陥ったもう一つの理由はP&G自身である。P&Gの「高品質高価格」の戦略は、国内企業に巨大な市場成長スペースを残した。国内企業はP&Gのこの弱みを握って、中、下ランク市場をターゲットとして、「低コスト、農村で都市を取り囲む」戦略で、農村市場を占有したし、絶えずに大・中都市を拠点としたP&Gに攻撃することを通して、危機に陥らせた。
1999年のP&Gのグローバル戦略の変更も中国市場での失敗に大きな影響を与えた。この都市のP&Gのグローバル戦略は「より大規模な変革を行おう」で、中国市場に示されたのは、大売場に進出する戦略をとったので、大きな農村市場と小売商を失ったし、競争相手に巨大な市場空白を残した。
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