2021年04月19日
石器時代概説 その5
大崎の併用時代遺蹟 その2
續日本紀を按ずるに、既引の如く延暦七年に霧島山の噴火あり。
峯下五六里に砂を降らし、委積すること二尺ばかり、其の色黒しと見へたり。
ここに五六里とは今の一里ばかりにして、大崎との距離甚だ遠きに過ぐと雖、そは當時被害地調査の不十分なりしものなりとも解すべく、委積二尺ばかりにして、其の色黒しといふは、正に此の遺蹟の黒土の層に匹敵するなり。
されば廣く霧島山麓地方に於ける土層調査の結果として、此の黒土が果して當時噴火の遺物ならんには、少くも此の地方にありては、千百數十年前までも、一部に於てなほ石器が併用せられしことを認め得べきものなりとす。
續日本紀を按ずるに、既引の如く延暦七年に霧島山の噴火あり。
峯下五六里に砂を降らし、委積すること二尺ばかり、其の色黒しと見へたり。
ここに五六里とは今の一里ばかりにして、大崎との距離甚だ遠きに過ぐと雖、そは當時被害地調査の不十分なりしものなりとも解すべく、委積二尺ばかりにして、其の色黒しといふは、正に此の遺蹟の黒土の層に匹敵するなり。
されば廣く霧島山麓地方に於ける土層調査の結果として、此の黒土が果して當時噴火の遺物ならんには、少くも此の地方にありては、千百數十年前までも、一部に於てなほ石器が併用せられしことを認め得べきものなりとす。
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