2017年01月26日
これからの時代の【成功】について、考える。
これからの時代の成功、というテーマについて書きたいと思います。
ちょっと長くなりそうですが、大切なことなので、丁寧に書きます。
実際、他にも書きたいことは山ほどあって、今日書いてもあと999個あるぐらいのイメージです。
そして、今日書いたあとにまた1個ぐらい生まれてくるであろうと思うので、永遠に言いたいことはなくなりそうもないです。
今日のテーマは、これからの時代の成功、についてです。
これについては、大変シンプルです。
まず一つ目 時代の流れを読むこと
そして二つ目 時代の流れに合致した目標を立てること
三つ目 自分の専門性を絞ること
四つ目 実際の成長にはある程度の時間がかかるが、毎日コツコツやれば確実に進んでいくので、ただ淡々とそれを続けること
以上です。
これから各論を説明します。
まず一つ目ですが、時代の流れを読む、ということについてですが、
私が、誰にとってもわかりやすく、これからの時代を考えるとするなら、以下のような表現になります。
しかし、これからを考えるその前に、まず、前提としてこれまでの時代について表現します。
産業革命というものによって、大規模、効率、大量生産、それによって社会は便利に、現代人の生活は近代化して向上しました。
需要以上に供給できる仕組みが考え出されて、多くの国民は、その仕組みの上で仕事をしていくことが当然となれたわけです。
一方で、労使の利益相反が起きましたが賃上げ交渉と企業自体の成長もあいまって、国民の一人当たりGDPも昔に比べ成長したわけです(ただしここ20年はよこばっている)
全体としてみれば、大企業が繁栄して、雇用が生まれ給与がもらえてみんなが近代生活を歩むことができ、まして、会社には利益が出て、納税もされて、政府が回り、利益が投資家に共有されることで投資家も成長した。
その世界では、一般の国民にとっては、いかに素晴らしい大企業を見つけてそこに入り込むかという技術が重宝されてきました。
それを図る尺度として学歴、資格を中心に、最近では容姿なども影響すると言いますね。
選ばれる人材となり、会社から貴重だと思われ続ける人材を目指す。
この良い会社に選んでもらいたいという現象自体は今後も続いていくことでしょう。そして、それで良いと思います。近代国家の象徴です。
ただし、あえてこれまでの時代の問題点を述べるとすれば、
情報や知恵が偏って存在していたという点です。
労働者や勤労者側からすると、資本階級側の考えなど知る由もなく、情報は特権的と言うべきか、少なくとも特殊な層が情報や知恵を持ち、それを持つものが得するというように、不合理に不公平にしか流通していませんでした。
確かに物やサービスは、大量生産できるようになったかもしれませんが、お金や情報が自由に行き来するには、不十分でした。
常にどこかに富や知恵は偏在していて、知恵がある層と知恵がない層、それだけの差によって、人生が変わるのは、嘘ではなく事実です。
知る者からすれば窮屈な世界に、その人は窮屈だと意識せずに閉じ込められている人もいれば、逆に、特殊な情報や知恵によって自由になった人もいます。
搾取されていることに気付かずに搾取されている人もいれば、搾取しているけど搾取していることを悟られないようにしている人もいます。
要は不公平な時代だったわけです。
もちろん国家の成長モデルは、まずは近代化を目指す、皆が一律底上げで豊かになることを目指す、で良いわけですが、一度近代化されると、次の問題が生まれます。人間や企業間での利害衝突や労使間の不公平感、また、さらに社会全体が、次に一体何を目指すかという目標の見えない時代です。
これらを回避するためには、情報と知恵を付けることでそれが可能ですが、情報と知恵が偏在しすぎていたため、不利な立場に置かれる人は、たいていの場合負けてきた、気づかない、という歴史があります。
例えば、労使で対立しても最終的には、使用者が勝ちます。それがこれまでの時代。
しかし、これからの時代は、そうとも言えなくなります。
下手すると大企業の声よりも、個人一人の声の方が拡散する場合もあるからです。
大企業はこれまでのようにずるいことをブラックボックスに入れて処理していくことはできず透明性をもって、真に公明正大にやっていかないと、いずれたった一人の個人に負けちゃることもあるでしょう。
だから、大企業ほど、個人のネット活用力を恐れている存在もないのです。
中国が徹底的に検閲するのは、一党独裁、社会主義という特殊な政権ですから、その転覆すらも国民が例えばネットで団結したら、起こりえないとは言えないことを本質的に理解しているからだと思います。
中国政府は最も国民が使うネットの力を理解し、恐れているということ。
また、これからの時代においては、情報と知恵の偏在がネットによって原理的には解決しました。
もちろん、情報や知恵がネットに書き込まれない限りは無意味ですが、構造的には情報の非対称性を全て解消していこうとすることは可能になりました。これまで見えなかった色々なものがデータ化され、それが見える化していっていますね。不動産取引データや顧客の声など含め、ビッグデータも塊として登場してきています。
実は、皆さんは、このことの価値、すごさをあまり実感し、理解していません。
情報が偏在しているということは、ほとんどイコールで富の偏在も起きています。
これまでの時代はそうでした。
その状況を覆すにも、情報や知恵が足りず、いや、足りないというよりは、そもそも認識すらしていないため覆すという概念がなかった、あるいは、知りたくても知れない情報が多すぎた、わけです。
また、お金についても、日本人は日本円で稼ぎ、日本でそれを使う。このことは当たり前であり、悪いことでもなんでもありませんが、たった一つ忘れているのは、お金というのは、本質的には、世界を飛び回っていて、最もリターンが高いと思われるテーマを目がけて、ものすごい速度で流動的に流れ続けているんです。トレンドが去れば次のテーマにマネーは流れます。日本がバブル時代の不動産土地価格や日経平均株価に戻れないのは、日
本はもうトレンド自体ではないからです。安定先進国です。
マネーはトレンドを追います。一度トレンドが弾けると、そこを回復することは直後にありません。長い時間をかけて、再びトレンドになるか、あるいはファンダメンタルズの強かったトレンド対象はやがてファンダ自体でゆっくりと回復しますが、そもそもファンダメンタルズの弱かったトレンドは、一生その水準を回復しないことがほとんどです。
つまり、もともとお金というのはグローバルな存在です。そして、移ろいやすいです。新しいトレンドを常に探しています。
そして、情報というのもグローバル存在です。
一層のメリットを享受できるのは、情報の受け手だと思います。
情報というのは、使い方によって情報を有価値化できるのです。情報を価値あるものに変えられるかどうか受けて次第なのですが、人によって数字で言えば、100倍にできる人もいたりする、というのは、本当です。
その情報を行動に変えたり、お金を載せて投じたりという具体的アクションがないと情報は情報のままですが。
これまでの時代は、労働者は労働者でした。
しかし、これからの時代は、労働者は、別物に変わりゆくことができます。
思うに、これから先進国(日米欧等)の国民には、次のようなテストが課され、振るいにかけられます。
一例ですが、
人を動かす言動を巧みに用いることのできる人材であるか?
無駄な仕事を無くす構造転換を考え出し形にできる人材であるか?このことは規模の大小を問わず、より生産的な仕組みを作る力です。
人間特有の感情や思想、想い、などが豊かで、クリエイティビティがあり、ユーモアのある人材であるか?
これらを総称すると、特に、創造性です。
私の言葉で言えば、創造性とは、差別化です。
これまでの時代においても、差別化、差別化と叫ばれてきましたが、それは目標であり、大量生産で品質よりも量であるがゆえの、差別化できない悩みがあればこそ、差別化が叫ばれていた、という感覚。
結局それは正しくて、だけどできた人は少ない。
現在、差別化された企業や人だけが各業界トップにいると思います。
これからの時代は、差別化こそが、お題目ではなく、死活問題として重要なのですが、差別化の意味としては、そもそも、何かが違うわけです。
その何か、という違いを考え出すためには、クリエイティビティが必要なのです。
どの時代にも、面白い人はいたと思うかもしれませんが、それは構造的に不可能だと思います。
面白い人が世に知られるチャンスはほとんど、なかったからです。
また、差別化と言えば、例えばわかりやすく言うと、異性からモテるというのも究極的に考えると、特定のコミュニティの中で差別化された結果になると思っています。
かつては高身長、高学歴、高収入に代表されるように大量生産時代に相応しく、恋愛市場でも定められた性能表の数値が大変良い人がモテたということでそれはそれでわかりやすかった。
かつての資本市場においても同じことで、わかりやすくステレオタイプ的な性能表が高い人は、企業からモテた。
しかしこれからは個性を世に認めさせることができるかどうかによっては、おじさんがモテたり、かっこよくなくてもモテる人が出たり、ルックス、高身長、高学歴、高収入だけがモテるというわけではなくなると思います。
恋愛が偏在し、不成立が多くなる。
これまでは普通に則り行動することが得をした時代だったかもしれませんが、これからの時代は、普通に則って行動していると損をすることが多くなります。
恋愛論じゃないので、途中で閉めますが、私が言いたいことは、差別化されているか、この言葉なのですが、薄っぺらく捉えないで下さい。
個性が突き抜けていて、それでいて社会に調和しているということです。
何より個性と言っても、経済的にも普通より成功していないと話にならないのです。普通を捨てさり、個性をお金に変えるのは、それほど難しいことです。
そして二つ目 時代の流れに合致した目標を立てること
時代に逆行した生き方としては、選ばれる人材を目指そうとするほど、待遇は金太郎あめにされます。
こちらが企業や人を選ぶ側になることが大事です。選ぶ側になるということは、前提として数多くの人から求められていなければならないです。
そして、時代の流れ的には、創造性、面白さ、クリエイティブ、個性が評価される時代が来て、かつ、情報とお金と人が世界を流動的に移動します。
情報は、探そうと思わないと探せません。お金がどこに向かっているかもよく見ていないと掴めません。人は移動したいから移動し、移動せざるをえないから移動します。
より良い環境を求めて、情報も人もお金もどこかに流れていきますが、より良い環境を自ら作り出すか、それらの流れをチャンスに変えることが思いつきます。
ここに書いたキーワードに合致する流れに乗ることが大切で、あとは各自個別の状況がありますから、応用して考えるべきです。こういう時に、私のコラムを参考に応用して考えられないというのは、脳が弱いということです。すると、これだけ情報チャンスの時代に、それを掴めないという結果になりますから、ここは苦労してでも良く考える癖付けをしていく必要があります。
三つ目 自分の専門性を絞ること
これからの時代は、普通の人は、所得が下がる仕組みです。恋愛市場ではモテないということになります。もちろんこれまでの時代にあっても代替可能な人材は、市場平均の相場賃金で雇用されていた(言い方悪いですが取引されていた)わけですが、これからの時代はもっと過酷です。
猫の手も借りたいではなく、猫でできることはパソコンやソフトウェア、ロボットでも、できるよね、人は要しないとなり、また、同じ作業なら安売りしてくれる労働力(これも言い方悪いですが、後進国の労働力)に流れるのが資本主義の本質です。
なぜなら、利益を出すのが事業の本質ですから、利益を出すために代替可能なものはより安いものが選ばれるというのは、当たり前のことなんです。何ら悪いことではありません(トランプさんは、減税するから自国の高い労働力を買ってくれよ、と企業に交換条件を出しており、この本質を捻じ曲げようとしているが、減税という餌を代わりに用意しているのは、評価できるとも言えます)。
これからの時代は、何があなたの専門なのかがより明確でなければ、高い価格であなたを取引してくれる人はいなくなります。良い意味で自分を高い価格で取引してもらうためには、高度かつ狭い専門性が必須です。
ただ、ここで言う専門性とは全てのアカデミックが対象とはなりません。実益があり、誰かがそれに価値を付けて資本と交換しようと思ってくれるものでなければ、いわゆる宝の持ち腐れです。当たり前です。いかに高度の技術を開発している会社でも、その技術を買ってくれる人がいなければ、存続できない、これは市場が需給の結果として、成立していることの当然の帰結です。
供給だけあっても価格決定には至らず、GDP上存在していないのと同じだからです。
これからの時代に高価に取引してもらえる専門性は何か?これをもとに考えるべきです。
そして、趣味でやっている程度では全ての習い事や勉強についても意味がありません。買いたいと言って値段が付けてもらえるほど価値のあるものでなければならない。あるいは、それ自体が富を生み出す技術でなければならない。
売るという観点で言うと、値段が付くように見せるのがマーケティングですが、そもそも本質的に何等かの価値を継続的にもたらす専門性でなければ、見せかけを作って存続はできないようになっています。
四つ目 実際の成長にはある程度の時間がかかるが、毎日コツコツやれば確実に進んでいくので、ただ淡々とそれを続けること
人の成長ほどあいまいで目に見えにくいものはありません。
数字なら、数字が客観的に表現してくれるから良いですが、数字にならない人の成長過程があります。あとで数字にもなって帰ってくるパターンですが、臨界点を超えるまで人の成長は数字化できないことも多いんです。
そんな時、変化を感じられないとやる気が起きないという問題が出てきて、たいていは、そこで辞めますね。
しかし、私は過去振り返りどんなに、自分の成長があいまいだと思う対象事項であっても、やり続ければ成長は確かにあると確信できているので、断言可能です。
ただし、コツコツ毎日やっていないことは全てものになっていません。続けることは、専門性の唯一の必要条件です。
そして、なるべく繰り返す中で、ちょっとずつ改善していくこと、よく考えながら、正しい方向に努力しているか、チェックをすることが大切です。
以上を総合すると、時代の流れという目には見えないものを見て、それに合致する目標を立て、そこで自分の存在意義としての専門性を磨き、コツコツたんたんとやっていくしかないのです。
大切なことは、今後、情報とお金と人の流動性の部分で大きなチャンスがあります。そして、その源泉となるのは、全て情報と知恵です。問題はその情報と知恵に色を付けて、形にして、有価値にできるか、その力です。そして、人として差別化されるためには、個性を開放することが大事なのですが、その個性を社会に認めさせ、調和するためには、個性で結果を出さないとなりません。今後普通にとどまることで、年々状況が悪化していく場
合もあります。
今日書いたことの本質を捉え、応用し、実行していくのは、皆さんの務めです。また興味がない人は、それで良いことだと思います。厚かましくも私の考えを書きました。
与沢翼コラム
ちょっと長くなりそうですが、大切なことなので、丁寧に書きます。
実際、他にも書きたいことは山ほどあって、今日書いてもあと999個あるぐらいのイメージです。
そして、今日書いたあとにまた1個ぐらい生まれてくるであろうと思うので、永遠に言いたいことはなくなりそうもないです。
今日のテーマは、これからの時代の成功、についてです。
これについては、大変シンプルです。
まず一つ目 時代の流れを読むこと
そして二つ目 時代の流れに合致した目標を立てること
三つ目 自分の専門性を絞ること
四つ目 実際の成長にはある程度の時間がかかるが、毎日コツコツやれば確実に進んでいくので、ただ淡々とそれを続けること
以上です。
これから各論を説明します。
まず一つ目ですが、時代の流れを読む、ということについてですが、
私が、誰にとってもわかりやすく、これからの時代を考えるとするなら、以下のような表現になります。
しかし、これからを考えるその前に、まず、前提としてこれまでの時代について表現します。
産業革命というものによって、大規模、効率、大量生産、それによって社会は便利に、現代人の生活は近代化して向上しました。
需要以上に供給できる仕組みが考え出されて、多くの国民は、その仕組みの上で仕事をしていくことが当然となれたわけです。
一方で、労使の利益相反が起きましたが賃上げ交渉と企業自体の成長もあいまって、国民の一人当たりGDPも昔に比べ成長したわけです(ただしここ20年はよこばっている)
全体としてみれば、大企業が繁栄して、雇用が生まれ給与がもらえてみんなが近代生活を歩むことができ、まして、会社には利益が出て、納税もされて、政府が回り、利益が投資家に共有されることで投資家も成長した。
その世界では、一般の国民にとっては、いかに素晴らしい大企業を見つけてそこに入り込むかという技術が重宝されてきました。
それを図る尺度として学歴、資格を中心に、最近では容姿なども影響すると言いますね。
選ばれる人材となり、会社から貴重だと思われ続ける人材を目指す。
この良い会社に選んでもらいたいという現象自体は今後も続いていくことでしょう。そして、それで良いと思います。近代国家の象徴です。
ただし、あえてこれまでの時代の問題点を述べるとすれば、
情報や知恵が偏って存在していたという点です。
労働者や勤労者側からすると、資本階級側の考えなど知る由もなく、情報は特権的と言うべきか、少なくとも特殊な層が情報や知恵を持ち、それを持つものが得するというように、不合理に不公平にしか流通していませんでした。
確かに物やサービスは、大量生産できるようになったかもしれませんが、お金や情報が自由に行き来するには、不十分でした。
常にどこかに富や知恵は偏在していて、知恵がある層と知恵がない層、それだけの差によって、人生が変わるのは、嘘ではなく事実です。
知る者からすれば窮屈な世界に、その人は窮屈だと意識せずに閉じ込められている人もいれば、逆に、特殊な情報や知恵によって自由になった人もいます。
搾取されていることに気付かずに搾取されている人もいれば、搾取しているけど搾取していることを悟られないようにしている人もいます。
要は不公平な時代だったわけです。
もちろん国家の成長モデルは、まずは近代化を目指す、皆が一律底上げで豊かになることを目指す、で良いわけですが、一度近代化されると、次の問題が生まれます。人間や企業間での利害衝突や労使間の不公平感、また、さらに社会全体が、次に一体何を目指すかという目標の見えない時代です。
これらを回避するためには、情報と知恵を付けることでそれが可能ですが、情報と知恵が偏在しすぎていたため、不利な立場に置かれる人は、たいていの場合負けてきた、気づかない、という歴史があります。
例えば、労使で対立しても最終的には、使用者が勝ちます。それがこれまでの時代。
しかし、これからの時代は、そうとも言えなくなります。
下手すると大企業の声よりも、個人一人の声の方が拡散する場合もあるからです。
大企業はこれまでのようにずるいことをブラックボックスに入れて処理していくことはできず透明性をもって、真に公明正大にやっていかないと、いずれたった一人の個人に負けちゃることもあるでしょう。
だから、大企業ほど、個人のネット活用力を恐れている存在もないのです。
中国が徹底的に検閲するのは、一党独裁、社会主義という特殊な政権ですから、その転覆すらも国民が例えばネットで団結したら、起こりえないとは言えないことを本質的に理解しているからだと思います。
中国政府は最も国民が使うネットの力を理解し、恐れているということ。
また、これからの時代においては、情報と知恵の偏在がネットによって原理的には解決しました。
もちろん、情報や知恵がネットに書き込まれない限りは無意味ですが、構造的には情報の非対称性を全て解消していこうとすることは可能になりました。これまで見えなかった色々なものがデータ化され、それが見える化していっていますね。不動産取引データや顧客の声など含め、ビッグデータも塊として登場してきています。
実は、皆さんは、このことの価値、すごさをあまり実感し、理解していません。
情報が偏在しているということは、ほとんどイコールで富の偏在も起きています。
これまでの時代はそうでした。
その状況を覆すにも、情報や知恵が足りず、いや、足りないというよりは、そもそも認識すらしていないため覆すという概念がなかった、あるいは、知りたくても知れない情報が多すぎた、わけです。
また、お金についても、日本人は日本円で稼ぎ、日本でそれを使う。このことは当たり前であり、悪いことでもなんでもありませんが、たった一つ忘れているのは、お金というのは、本質的には、世界を飛び回っていて、最もリターンが高いと思われるテーマを目がけて、ものすごい速度で流動的に流れ続けているんです。トレンドが去れば次のテーマにマネーは流れます。日本がバブル時代の不動産土地価格や日経平均株価に戻れないのは、日
本はもうトレンド自体ではないからです。安定先進国です。
マネーはトレンドを追います。一度トレンドが弾けると、そこを回復することは直後にありません。長い時間をかけて、再びトレンドになるか、あるいはファンダメンタルズの強かったトレンド対象はやがてファンダ自体でゆっくりと回復しますが、そもそもファンダメンタルズの弱かったトレンドは、一生その水準を回復しないことがほとんどです。
つまり、もともとお金というのはグローバルな存在です。そして、移ろいやすいです。新しいトレンドを常に探しています。
そして、情報というのもグローバル存在です。
一層のメリットを享受できるのは、情報の受け手だと思います。
情報というのは、使い方によって情報を有価値化できるのです。情報を価値あるものに変えられるかどうか受けて次第なのですが、人によって数字で言えば、100倍にできる人もいたりする、というのは、本当です。
その情報を行動に変えたり、お金を載せて投じたりという具体的アクションがないと情報は情報のままですが。
これまでの時代は、労働者は労働者でした。
しかし、これからの時代は、労働者は、別物に変わりゆくことができます。
思うに、これから先進国(日米欧等)の国民には、次のようなテストが課され、振るいにかけられます。
一例ですが、
人を動かす言動を巧みに用いることのできる人材であるか?
無駄な仕事を無くす構造転換を考え出し形にできる人材であるか?このことは規模の大小を問わず、より生産的な仕組みを作る力です。
人間特有の感情や思想、想い、などが豊かで、クリエイティビティがあり、ユーモアのある人材であるか?
これらを総称すると、特に、創造性です。
私の言葉で言えば、創造性とは、差別化です。
これまでの時代においても、差別化、差別化と叫ばれてきましたが、それは目標であり、大量生産で品質よりも量であるがゆえの、差別化できない悩みがあればこそ、差別化が叫ばれていた、という感覚。
結局それは正しくて、だけどできた人は少ない。
現在、差別化された企業や人だけが各業界トップにいると思います。
これからの時代は、差別化こそが、お題目ではなく、死活問題として重要なのですが、差別化の意味としては、そもそも、何かが違うわけです。
その何か、という違いを考え出すためには、クリエイティビティが必要なのです。
どの時代にも、面白い人はいたと思うかもしれませんが、それは構造的に不可能だと思います。
面白い人が世に知られるチャンスはほとんど、なかったからです。
また、差別化と言えば、例えばわかりやすく言うと、異性からモテるというのも究極的に考えると、特定のコミュニティの中で差別化された結果になると思っています。
かつては高身長、高学歴、高収入に代表されるように大量生産時代に相応しく、恋愛市場でも定められた性能表の数値が大変良い人がモテたということでそれはそれでわかりやすかった。
かつての資本市場においても同じことで、わかりやすくステレオタイプ的な性能表が高い人は、企業からモテた。
しかしこれからは個性を世に認めさせることができるかどうかによっては、おじさんがモテたり、かっこよくなくてもモテる人が出たり、ルックス、高身長、高学歴、高収入だけがモテるというわけではなくなると思います。
恋愛が偏在し、不成立が多くなる。
これまでは普通に則り行動することが得をした時代だったかもしれませんが、これからの時代は、普通に則って行動していると損をすることが多くなります。
恋愛論じゃないので、途中で閉めますが、私が言いたいことは、差別化されているか、この言葉なのですが、薄っぺらく捉えないで下さい。
個性が突き抜けていて、それでいて社会に調和しているということです。
何より個性と言っても、経済的にも普通より成功していないと話にならないのです。普通を捨てさり、個性をお金に変えるのは、それほど難しいことです。
そして二つ目 時代の流れに合致した目標を立てること
時代に逆行した生き方としては、選ばれる人材を目指そうとするほど、待遇は金太郎あめにされます。
こちらが企業や人を選ぶ側になることが大事です。選ぶ側になるということは、前提として数多くの人から求められていなければならないです。
そして、時代の流れ的には、創造性、面白さ、クリエイティブ、個性が評価される時代が来て、かつ、情報とお金と人が世界を流動的に移動します。
情報は、探そうと思わないと探せません。お金がどこに向かっているかもよく見ていないと掴めません。人は移動したいから移動し、移動せざるをえないから移動します。
より良い環境を求めて、情報も人もお金もどこかに流れていきますが、より良い環境を自ら作り出すか、それらの流れをチャンスに変えることが思いつきます。
ここに書いたキーワードに合致する流れに乗ることが大切で、あとは各自個別の状況がありますから、応用して考えるべきです。こういう時に、私のコラムを参考に応用して考えられないというのは、脳が弱いということです。すると、これだけ情報チャンスの時代に、それを掴めないという結果になりますから、ここは苦労してでも良く考える癖付けをしていく必要があります。
三つ目 自分の専門性を絞ること
これからの時代は、普通の人は、所得が下がる仕組みです。恋愛市場ではモテないということになります。もちろんこれまでの時代にあっても代替可能な人材は、市場平均の相場賃金で雇用されていた(言い方悪いですが取引されていた)わけですが、これからの時代はもっと過酷です。
猫の手も借りたいではなく、猫でできることはパソコンやソフトウェア、ロボットでも、できるよね、人は要しないとなり、また、同じ作業なら安売りしてくれる労働力(これも言い方悪いですが、後進国の労働力)に流れるのが資本主義の本質です。
なぜなら、利益を出すのが事業の本質ですから、利益を出すために代替可能なものはより安いものが選ばれるというのは、当たり前のことなんです。何ら悪いことではありません(トランプさんは、減税するから自国の高い労働力を買ってくれよ、と企業に交換条件を出しており、この本質を捻じ曲げようとしているが、減税という餌を代わりに用意しているのは、評価できるとも言えます)。
これからの時代は、何があなたの専門なのかがより明確でなければ、高い価格であなたを取引してくれる人はいなくなります。良い意味で自分を高い価格で取引してもらうためには、高度かつ狭い専門性が必須です。
ただ、ここで言う専門性とは全てのアカデミックが対象とはなりません。実益があり、誰かがそれに価値を付けて資本と交換しようと思ってくれるものでなければ、いわゆる宝の持ち腐れです。当たり前です。いかに高度の技術を開発している会社でも、その技術を買ってくれる人がいなければ、存続できない、これは市場が需給の結果として、成立していることの当然の帰結です。
供給だけあっても価格決定には至らず、GDP上存在していないのと同じだからです。
これからの時代に高価に取引してもらえる専門性は何か?これをもとに考えるべきです。
そして、趣味でやっている程度では全ての習い事や勉強についても意味がありません。買いたいと言って値段が付けてもらえるほど価値のあるものでなければならない。あるいは、それ自体が富を生み出す技術でなければならない。
売るという観点で言うと、値段が付くように見せるのがマーケティングですが、そもそも本質的に何等かの価値を継続的にもたらす専門性でなければ、見せかけを作って存続はできないようになっています。
四つ目 実際の成長にはある程度の時間がかかるが、毎日コツコツやれば確実に進んでいくので、ただ淡々とそれを続けること
人の成長ほどあいまいで目に見えにくいものはありません。
数字なら、数字が客観的に表現してくれるから良いですが、数字にならない人の成長過程があります。あとで数字にもなって帰ってくるパターンですが、臨界点を超えるまで人の成長は数字化できないことも多いんです。
そんな時、変化を感じられないとやる気が起きないという問題が出てきて、たいていは、そこで辞めますね。
しかし、私は過去振り返りどんなに、自分の成長があいまいだと思う対象事項であっても、やり続ければ成長は確かにあると確信できているので、断言可能です。
ただし、コツコツ毎日やっていないことは全てものになっていません。続けることは、専門性の唯一の必要条件です。
そして、なるべく繰り返す中で、ちょっとずつ改善していくこと、よく考えながら、正しい方向に努力しているか、チェックをすることが大切です。
以上を総合すると、時代の流れという目には見えないものを見て、それに合致する目標を立て、そこで自分の存在意義としての専門性を磨き、コツコツたんたんとやっていくしかないのです。
大切なことは、今後、情報とお金と人の流動性の部分で大きなチャンスがあります。そして、その源泉となるのは、全て情報と知恵です。問題はその情報と知恵に色を付けて、形にして、有価値にできるか、その力です。そして、人として差別化されるためには、個性を開放することが大事なのですが、その個性を社会に認めさせ、調和するためには、個性で結果を出さないとなりません。今後普通にとどまることで、年々状況が悪化していく場
合もあります。
今日書いたことの本質を捉え、応用し、実行していくのは、皆さんの務めです。また興味がない人は、それで良いことだと思います。厚かましくも私の考えを書きました。
与沢翼コラム
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