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2016年01月08日

母が緊急入院した

母は大晦日に退院後、抗生物質の薬のお蔭で歯は痛まず、穏やかな良いお正月を迎えることができた。
しかし、母は1月5日の朝、38度を超える熱を出した。当日は歯科の検診日だった。母は風邪を引いている様子はないが熱でフラフラだったので、車椅子で移動した。

歯の主治医(女医)に母の様子を診てもらった。歯と歯茎の様子は大晦日と比べ、そう変化は無い。少し膿が出ている程度だ。
母は歯は傷まないとのことだった。主治医は熱の根源が歯ではないのではないかと疑った。それからの女医の判断は早かった。血液検査をし、白血球の値(白血球数2万以上)や炎症反応の値が異常に高いとわかると、母の心臓病の主治医と直接電話で話しをしてくださった。結果、母は心臓病のかかりつけの病院へすぐに行くことになった。年末に骨髄炎の入院をし、また年明けに入院の可能性があると聞き、ショックだった。
しかし、そんなことを言ってられない。女医の言うとおり、38度以上の熱は怪しかった。
一度自宅へ戻り、遅い昼食を簡単に済ませ、年末に使った入院準備品を一式まとめ病院へタクシーで向かった。母は疲れと熱で車中でウトウトとしていた。私でさえ疲れて眠くなったほどだ。

循環器専門のかかりつけの病院へ到着すると、緊急外来で案内された部屋には主治医がいた。症状を話すと、主治医は「感染性心内膜炎の疑い」と診断した。 ネットで調べると100万人に10〜50人(年間) 程で多くはない病気だ。感染性心内膜炎とは、心臓に何らかの経路から菌が付く病気だ。歯の骨髄炎を持っていると歯の菌から感染することが多いという。初期症状は発熱の為、風邪と間違って数日医者にかからない人も多いという。
しかしこの感染性心内膜炎は、とても怖い病気だ。いわゆる敗血症のようなものである。特に発症してから時間が経つと重篤な状態になる。母の場合、発熱当日に診断されたので、とても幸運であったといえる。

主治医に「感染性心内膜炎の疑い」と診断された後の病院側の対応は、物凄く速かった。
採血(大量)、レントゲン、 経食道心エコーでの検査が続けて実施された。経食道心エコーとは、食道に胃カメラのようにエコーの管を通し、胃側から心臓の様子をエコーするというものだ。苦しい検査なので母は麻酔をかけて検査された。開始から終了まで約1時間はかかっている。主治医他医師が6人も検査の様子を見届けたようだ。
経食道心エコーが終わり、麻酔から覚めても意識はフワフワとしている。母は疲れと熱、麻酔の影響で着替えも自分でできない状態であり、看護師と2人でパジャマに着替えをした。その後、夕方、夜と2回に分けて強い抗生物質の点滴が施された。母が落ち着くのを見届けて病院を後にした。私も疲れで電車の中で居眠りをした。

まだ検査結果が出ていないので、体のどこに菌が付いていたかは不明だ。駆除するまでは油断できない。ひたすら1日3回抗生物質の点滴を続ける約6週間の入院予定となった。入院日は母はくたくたに疲れていたが、昨日見舞いに行ったらかなり元気になっていた。病院生活は退屈で味気の無いものだが、今の母の体は24時間心臓に異常が無いか検査機を装着して監視され、抗生物質により菌から守られている。母本人も身内にとっても、ひと安心な状態である。

次にフォローしないといけないのは父だ。父は元気だが、母が長期入院が決まったことで家に一人になる。父は年々神経が細くなり、母が体調を崩すとたちまち気弱になり体調を崩す。食事は宅配に依頼して毎日1食お弁当を取ることになった。私は数日に1回実家に帰り、一緒に食事を取ったり、惣菜を作ることにした。母はもう何度も手術の為に長期入院しているので対処は慣れている。
が、母のいない実家は火が消えたように寂しい。母の存在、役割が、どれだけ大きなものかが身に浸みる。

病原菌が早く駆除でき、元通りの生活に戻れますように。母がまた自宅に戻れ、父と仲良く元気に生活できますように。
母はこれからも「菌」という爆弾を抱えながら生活することになるかもしれない。私はできる限り支援するだけだ。
今年は闘いの年になるかもしれないが、母が気丈に前向きに闘っているように、私も頑張ろうと思う。
posted by 小町 at 11:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い

2015年12月29日

退院は大晦日?

〜歯の治療のきつい表現が出てきます。ご了承願います〜

母の病院へ行ってきた。午前中に主治医が骨髄炎の様子を見てくれた。
母は昨日から強い抗生物質の点滴をしている。そのお蔭で口が3cmほど開くようになったが、それでは治療は無理なようだ。膿も出ている。主治医と話し合った結果、今日は骨を削る等の治療は無理にせず、様子見となった。
明日まで抗生物質の点滴を行い、31日に血液検査を行った後、退院できるかどうかの判断だ。
口が開くようになっていれば、切開して膿を出すぐらいの作業はするかもしれない。さすがに大晦日には、骨を削って大掛かりな治療はしないだろう。

恐らく抗生物質が効き、白血球や炎症反応の値は低くなっているかと思うが、もし検査結果が悪かったら、病院で年越しとなるのだろうか。主治医は31日の午前中までしかおられないし、病院にいたところで抗生物質の点滴を継続するだけである。病院で年越しは避けたいところだ。

母は心臓弁膜症の大手術に2度も耐え、ペースメーカーを装着したお蔭で心臓は問題なく動いている。しかし、これも心臓が良くなったのではない。無理やり規則正しく動かしているのだ。心臓内科の医師から、「心臓はこれ以上良くなることはありません。一番ベストで現状維持です。」と以前言われたことがある。その上、母は心臓に炎症があり、ステロイドを常時投与している。その影響で骨が脆くなり、骨粗しょう症や骨髄炎を起こしていると考えられる。寝ていても腰、歯への痛みが強く、老いた母の体にはきつい。

抗生物質が効き、骨髄炎の炎症が軽減されますように。母が少しでも楽になりますように。血液検査結果が良いよう祈るばかりだ。大晦日に退院した母を迎えるのは、やはりおせち料理しかない。明日は実家へ帰り、準備をしてこよう。
posted by 小町 at 18:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い

2015年12月28日

それでもおせちを作りたい

〜歯の治療のきつい表現が出てきます。ご了承願います〜

今日母が急遽入院した。以前骨髄炎で抜歯した2本の奥歯の跡が腫れ、膿が貯まってきていた。病院は年内で今日が最終日であり、以前から予約を取っていた日であったが、女医に腫れを見せると血液検査、レントゲン、CTを一気にしてくれた。以前と違い、ものすごいスピードであった。病院側も最終日だし、早く仕事を終えたいんだろうね、なんて母と笑っていたのも束の間、女医から薦められたのは入院だった。入院を薦められるのは予想外であり、母も私も少なからずショックを受けた。

白血球の数が異常に上昇し、化膿しているのは間違いない。母は継続的に抗生物質を飲んでいたが、それでは追い付かないようだ。女医からは、点滴で強い抗生物質を投与して様子を見たいとのことだった。
また、明日は歯の状態を看てくれるという。抜歯後に盛りかけていた肉を取り除き、膿を出しかつ骨を削ることになるかもしれない。恐らくそうなるだろう。せっかく治りかけてきたと思ったが、またやり直しだ。
女医は30日まで病院におられるようで、入院しながらも看てもらえる。
母の口は腫れで3cmほど開くかどうかで、頭の耳のほうにまで痛みも出ている状態だ。状態は良くない。
女医の薦めに従って、入院して短期で早く治療してもらうのが一番だろう。

母とは、12月30日、31日に実家で一緒におせち料理を作る約束をしていた。30日には餅つき器で餅を作り、31日にはお重に入れるおせち料理や鯛を焼く。今年は最小限にしようと言いながらも、あれこれと材料を買い込んでいた。
母はどうしてもおせち料理を作りたいようであった。良い年になるようにと願いを込めて作る毎年の始まりの祝い膳である。作りたい気持ちはわかる。
しかし、それどころではない。骨髄炎で口が開かないほど化膿し、下唇は痺れ、耳のほうまで痛みが出ているのだ。それなのに母はおせちを作りに自宅へ戻りたいので、外出許可はできるかとまで尋ねていた。
若い綺麗な女医と私は、顔を見合わせて苦笑した。女医は外出もできないことは無いと言ってくれたが、私は外出は止め、治療に集中しようと母を説得した。

母は無理はできないし、させてはいけない。母を説得する為に、今年はおせちは私が作ると言った。以前母が心臓弁膜症で年越しで入院した時も、私が代わりにおせちを作った。しかし父はそのおせちを全く覚えていなかった。母が入院していた師走、正月のことを父は殆ど覚えていないのだ。父にとって母のいない自宅は、娘が作ったおせちがあっても味気なく空しいものなのだ。私にすれば味付けは、ほぼ母の味に似せた力作だったのだが。

入院準備の為に一度実家へ戻り、準備品を持って再度病院へ行った。朝から、自宅→病院→実家→病院→自宅と、一日走り回った。明日は朝から歯の治療に立ち会う。大掃除の続きをするつもりであったが、予定が狂ったがしようがない。今日は病院から帰宅後も、掃除機をかけたり拭き掃除をした。分けて少しずつできる箇所から掃除をしていこう。

予定どおり治療が順調に進めば、二泊三日で30日には退院できる。できれば両親揃ってお正月を迎えさせてあげたい。たとえおせち料理を作っても、母は歯が悪く、殆ど食べれないであろう。お餅も本当は歯や歯茎にくっつくので、控えたほうが無難だ。父は小食で、おせち料理を一人で食べるのは嫌なようだ。そうなるとおせち料理は、ほんの少しずつ作るのがベストだ。お正月まで、あと3日。今年は母の代わりに私が、願いを凝縮したおせちを作ろう。みんな健康で、晴れやかな一年を迎えれますように。


posted by 小町 at 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い

2015年11月19日

抜歯2本・骨髄炎の恐ろしさ

一昨日母の抜歯に付き添った。
以前に歯槽膿漏の話を書いたがその続きだ。
母の抜歯は当初1本の予定だった。抜歯は午後3時から始まった。私は歯科の前で待っていたが、予定の4時を過ぎても終わらない。5時過ぎになって歯科医から部屋に呼ばれて説明があった。

母は奥歯を2本抜歯されていた。以前にCTを撮った時は1本で済みそうとの見解だったが、実際に一番悪い歯を抜いてみると中が腐っており、隣の歯も腐っていた。歯は腐ったら黒くなっている。確かに抜かれた血まみれの歯は全体的に薄黒く変色していた。
医師の説明では「骨髄炎」という表現だった。母は心臓病の為ステロイドを飲んでいる副作用で骨髄炎になってしまったとも考えられる。歯を抜いた下の骨もかなり削ったという。しかし削りすぎるとキリがないので、できる限りの所でストップしたということだった。全部を取り除くとなると、顎の骨をどこまでも深く削ることになるのだ。

母は気丈な人だ。歯の止血ガーゼを咥えながら「先生抜くのが上手だったよ」とふがふが言った。
抜歯してくれたのは、以前に一度抜歯してもらったことのある女医さんで、驚くほど綺麗な人である。20代にも見えるほど若い。私服で喋らずに笑っていたら、色白で目がぱっちりとした華奢な今時のお嬢さんだ。よくテレビで綺麗な女医がもてはやされているが、今迄テレビで見たどの女医よりも美しいと私は思う。本当にこんな綺麗な女医さんがいるのだ。テキパキとわかりやすく説明し、的確に施術する手さばきにびっくりする。処置も早い。手が細く華奢なこともあるが、繊細に施術されているのが母の穏やかな顔付きからわかった。

抜歯の後も止血や歯の保護用カバーを作り、全ての処置が終わって帰宅したら7時を回った。母は夜の9時過ぎには疲れて寝たようだ。今も頬は酷く腫れているが、経過は順調のようでほっとした。抗生物質と痛み止めを飲みながら、今週は連日通院が続く。80歳を過ぎた母はさすがに疲れている。付き添う私でさえ疲れているのだから当然だ。

歯は歯周病、歯槽膿漏と悪化すると「骨」の治療になる。痛く辛い治療だ。特に高齢の方や心臓病、糖尿病をお持ちの方には特に注意してあげていただきたい。
posted by 小町 at 21:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い

2015年11月12日

高齢ドライバーの葛藤

父は1年前に免許の更新を諦めた。現在83歳。免許の更新は1年前の82歳の時だった。
父自身はまだまだ元気で思考能力も落ちていない。運転技術もある。視力、聴力とも更新のテストには難なくパスできたはずだ。しかし高齢であるので家族の私達は反対し、父も更新は諦めた。

3年前までは、父が母の月1回の通院に同行していた。病院までは途中高速を使い往復で2時間ほどだ。母が診察中、父は病院には殆ど入らず、駐車場や車中で2時間以上待つ。父は次第に母の通院に付き合うのを億劫がった。運転と待機でほぼ1日費やすと疲れるのだろう。
現在では母は介護タクシーで病院の送り迎えをしてもらっており、私が通院時に付き添いをしている。
父はようやく月1回の「母の通院の付き添いの仕事」から解放され、自家用車の任務も無くなった。

父は若い頃は旅行や釣りに車でよく連れて行ってくれた。しかし70を超えてからは次第に出不精になり、今では旅行も行きたくないようだ。なのに運転したい気持ちは、未だに残っている。免許を返して1年も経っているのにだ。免許を持っていれば良かった、車に乗りたいと、よく母に愚痴るようだ。
父にとって車とは、若い時は仕事道具であり、釣りや旅行へ行く時の遊び道具でもあった。
現在の父にとっては、自分の好きな時だけ近所を動き回ることができる便利な遊び道具、快適空間だ。それが無くなったのが、残念なのだろう。

父の気持ちはよくわかるが、ならばいつまで運転するのだろうか。
車が移動手段となる田舎に住んでいるわけではない。父には快適空間かもしれないが、それで仮に人身事故を起こせばどうなるのだろうか。被害者の人生だけでなく、加害者側の父本人の人生をも不幸なものに一変してしまうのではないか。

自分ではまだまだ運転は大丈夫と思っているかもしれないが、反射神経は鈍り、ブレーキや発進も遅い。咄嗟の時に、適格な判断が取れるのだろうか。ここ1〜2年で耳もかなり遠くなった。小さな音は聞こえないのだ。それで責任ある運転ができるのだろうか。

今現在の父は電動自転車に乗り、母の代わりに掃除、洗濯をやっている。
どう見ても車を運転していた2〜3年前よりも、体は元気に健康になっているのだ。
車の快適空間は無くなったかもしれないが、健康を手に入れたんじゃないか?と私がいくら言っても父は聞いていないようだが。

最近高齢ドライバーの事故のニュースをよく見る。それらを見る度に、父は免許を返して良かったと母も私も思う。父は未だに自分は運転はまだできると言い張る。高齢ドライバー本人と家族の思いは、いつまで経っても一致しないものなのだろうか。
posted by 小町 at 09:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い
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