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2015年09月30日

義父の暗すぎる話

シルバーウィークも旦那と二人で義父を訪問したばかりだが、今日は私一人で会いに行った。
義父から階段を一段踏み外し、怪我をしたと電話がかかってきたからだった。
結果は骨折もなく、怪我もほんの軽い擦り傷で打ち身も大したことはなく、まずは安心した。

持参したパンを一緒にお昼に食べたが、そこから義父の話が始まった。
今日はとびきり暗い話だった。生い立ちから現在までの不幸を激しく話した。
「話す」というより、「吐き出す」ように。

聞いているしかなかった。最後には長生きしすぎた、早く死を迎えたいとまで。
確かに義父は今一人暮らしで、強い偏頭痛が辛く楽しいことは無いかもしれない。
無類の子供好きだが、私達夫婦には子供が無く見せてやれない。
せめて孫がいれば楽しみもできただろうが。それは残念ながらもう叶えてやれない。

義父は私達子供には世話にならず、一人で頑張って生活をしている。
悪い性格ではない。しかしものすごく頑固だ。一度言い出したら絶対引かない。
携帯もパソコンも絶対やらない。耳が遠くなり電話の会話が怪しくなったので、対策としてファックスを置きたいと提案してみたが、絶対イヤだときかない。

帰る前に義父は私に暗い話ばかりでごめんと謝った。
義父の家から最寄り駅までの帰り道にスーパー、商店街があり、晩ご飯の食材を買おうかとも思ったが、今日はとにかく早く義父の住む街を離れたかった。
私は義父の生い立ちを知ることで、義父をさらに理解することができた。義父も理解してくれればそれだけでいいと言っていた。義父の生い立ちが不幸極まりなかったことは同情するが、成人してからの人生は義父が自分で選んだものだ。同情の余地はない。話を聞きながら「あなたが選んだ人生でしょうに。」と心の中で何度もつぶやいていた。

義父は赤ちゃんの時に死んだら良かったと言っていた。しかしそれは生きてるから言えることだろう。
生きたくても生きれない赤ちゃんや子供は、いくらでもいる。
「お父さんが死んでしまっていたら、私は〇〇さん(旦那)に会えなかったですよ」と言い返したが、返事はなかった。

義父という人間を理解する上で、今日の話は有益ではあったが、義父は義父、私は私である。
私は義父を見習いたくはない。どんな結果になろうとも、自分が選んだ人生、一日でも長く生きたいと言っていたい。
posted by 小町 at 19:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い

2015年09月25日

母との月1回のデート

今日は母の病院通いの日。
いつものように朝から介護タクシーで病院まで連れて行ってもらった。
病院の中では私が母の車椅子を押して移動する。
病院の待ち時間というのは、一人だと長いものだ。
けれど母も娘の私がいれば話し相手になる。私も同じ。
実家には週に1〜2回は帰っているけれど、父がいるし母と二人きりで話す機会というのは、この通院の時ぐらいだ。
なので、この月1回の通院日はたっぷりと話ができる機会でもある。
父もいないので父の話も遠慮なくできる。

今日も母と最近のお互いの近況や親戚の話、テレビの話題まで色々な話をした。
待合室では通院に来られて隣に座られたご夫婦とも長い間話しをした。
現在母は腰を痛めて車椅子であるが、隣のご夫婦の奥様も腰を痛めておられて車椅子だった。
心臓系の病院なので心臓以外に、足腰を痛めていることがお互いに共通点となり、話に花が咲いた。
その中で、隣のご夫婦の奥様が「娘さんがおられるのが羨ましい」と言われた。
ご夫婦のお子さんは息子さんばかりらしい。息子さんのお嫁さんがおられるが、実の娘のように遠慮が要らない間柄ではないらしい。娘は料理や家事手伝いをしてくれるが、息子は全くしてくれず、家に来てもお客さんのようだとぼやいておられた。
確かに母の細かい世話は、娘のほうが役立つことが多いのだろう。
細かい家事や用事、女同士でわかりあえることも多い。
隣のご夫妻のお蔭で楽しい待ち時間を過ごせた。

帰りはまた介護タクシーで送ってもらったが、高速の乗り場を間違われて思いのほか時間がかかってしまった。
母は腰を痛めているので少し可愛そうであったが、ヘルパーさんが悪いのではない。介護タクシーにナビが無いのが悪いと思う。
母の心臓の調子は悪くなく現状維持であったが、それが何よりだった。
今回も母と沢山話せた。
母は心臓や腰やその他体の悪い箇所は沢山あるが、頭はとても元気で冴えている。
母はずっと変わらず、私の母である。
それが何よりも嬉しい。
posted by 小町 at 20:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い

2015年09月23日

まずはひと安心?

義父に会ってきた。
私は、義父に待ち合わせで会えず、義母のお墓参りに行けなかったことを謝った。
義父は電話での聞き間違いはお互い様だと私を責めることはなかった。
今後は絶対外で待ち合わせはしない、私が必ず家まで伺うことを伝えた。

義父は電話では難聴のせいで話が通じなかったが、実際に会うと正常だった。
話していて、また表情やしぐさを見ていて呆けの疑いは全く無かった。
・・・良かった。心からほっとした。

義父は若い時に交通事故に遭い、それ以来偏頭痛が酷く、あらゆる病院を回ったが改善しなかった。ここ数年その頭痛が酷くなってきている。酷い頭痛のせいでお昼から夕方まではほぼ床に入る生活だ。
今日お昼に訪問した時もまだベッドに横たわっていた。
去年までは一緒に美術館やお墓参りに行ったりもしていたぐらい元気だった。
しかし今年に入ってからはそんな元気はない。義母の命日のお墓参りでさえ、頭痛で行けない月が増えてきた。

義父は気丈な人だ。弱音は吐かない。一人でできるだけ生活をすると決めている。
携帯も絶対に持たない。本当に良い意味でも悪い意味でも頑固だ。
できるだけ義父の意見は尊重したいが、毎日の生活はものすごく寂しいはずだ。
辛い時は甘えたり、頼ってほしいとも感じる。
義父は今日も体調は良くなかったが、それでも旦那と私の訪問を喜んでくれていたようだ。
これからは近くまで来ているからと、抜き打ちでも訪問しよう。

義母の仏壇にお団子を供え、心の中で「お父さんとお墓参りに行けなくてごめんなさい」と謝った。
今度はきっと義父と一緒にお墓参りに行きますね。
posted by 小町 at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い

待ち合わせ場所にいない父

一昨日はお彼岸で義父と墓参りをするはずだったが、約束の場所に義父がいない。
義父は最近耳が遠くなり、私達との待ち合わせの駅を勘違いしたようだ。
義父は私達を2時間もある駅で待ち、旦那と私は最寄りの駅周辺を探し回り義父の家まで行ったが留守だった。
結局会えずじまいでお互いに疲れて帰るという始末。
義父は待ち疲れて墓参りをせずに帰宅したという。
義母の命日だったので、義母にも義父にもとても悪いことをした。
私と約束しなければ、義父は一人で義母のお墓参りをできただろうに。

今日旦那と二人で義父を訪ねる予定。
どんな理由であれ、一昨日義父はお墓参りをできず疲れ果てたのだから、まずは私が謝る。
これからは絶対外で待ち合わせはせず、必ず家まで迎えに行く形にしようと伝える。
あとは義父の言い分を聞いて、義父が大丈夫なのか旦那と確認をする。
これが一番の目的。

仮に義父は耳が遠くなっただけであれば話はまだ軽い。
けど時間が経つに従い、前回は大丈夫でも今回はダメなことが今後起こるだろう。
これからは色んな問題が起こってくるのだろうが、お互いに気持ち良く過ごせるように工夫していきたいと思う。

では、行ってきます。


posted by 小町 at 08:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親の老い
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