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2010年06月11日

新撰組

GW二日目は京都市内を観光。

おもに新撰組ゆかりの地を訪ねてみました。


新選組(しんせんぐみ)は、江戸時代後期の幕末期に、主として京都において、
反幕府勢力弾圧・警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を
戦った軍事組織です。



八木邸
新撰組発祥の地です。

幕末の文久3年(1863年)春、14代将軍家茂上洛にあたりその警護の為に上洛した
浪士達 芹澤鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、新見錦、原田佐之助、
藤堂平助、野口健司、井上源三郎、平山五郎、平間重助、永倉新八の13名は、ここで
新撰組を結成しました。

芹沢鴨の暗殺もここでありました。芹沢鴨がつまづいた机、刀傷が今も残ってます。
ガイド、屯所餅・お抹茶付きで大人:1,000円です。



前川邸
前川邸も新撰組の屯所となった場所です。

ここでは、暗殺された芹沢鴨の葬儀を行なった場所、芹沢派の生き残り・野口健司が切腹した場所、
総長・山南敬助が恋人・明里と格子戸越しに最期の別れを交わした後、切腹した場所、池田屋事件の
端緒となった古高俊太郎への拷問が行なわれた土蔵などが有名です。



壬生寺 近藤勇像

境内東方にある池の中の島は、壬生塚と呼ばれ、幕末の新選組隊士の墓などがあります。
新選組局長・近藤 勇の胸像と遺髪塔、 新選組屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨と平山五郎
の墓、勘定方・河合耆三郎の墓の他、隊士7名の合祀墓がある。その合祀墓には池田屋騒動
で亡くなった隊士・ 奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門らも葬られています。  



池田屋騒動之址

新撰組が長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃した事件。
新撰組が一躍脚光を浴びた舞台ですね。

計画は尊皇攘夷派が、祇園祭の前の風の強い日を狙って京都御所に火を放ちその混乱に乗じて
中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜(徳川慶喜)・会津の松平容保らを暗殺し孝明天皇を長州へ
連れ去るというものでした。

探索に於いて、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊皇派が古高逮捕をうけて襲撃計画の実行・中止について
協議する会合が池田屋か四国屋に於いて行われる事を突き止め、近藤隊と土方隊の二手に分け捜索を
開始する。捜索の末に近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘過激派志士を発見した。近藤隊は数名で斬り込み、
真夜中の戦闘となる。御所焼き討ちの計画を未然に防ぐ事に成功した新選組の名は天下に轟いた。
と言う事件ですね。

今では、居酒屋「池田屋 はなの舞」になってましたけど。時代の流れを感じます。



西本願寺 太鼓楼
慶応元年 壬生屯所が手狭になった新撰組は、西本願寺に屯所を
移転。伊東甲子太郎ら新入隊士五十二名を加え充実を計りました。


他、坂本竜馬遭難の地「近江屋址」、長州屋敷址、桂小五郎像、京都御所蛤御門他もまわりました。
かなり充実した一日でした。


posted by テト at 23:23| 日記
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