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2021年02月26日
アスファルト、たいやを・・・。
音楽プロデューサーの小室哲哉(62才)とglobeのKEIKO(48才)の長きにわたる離婚問題がついに決着だ。2月26日に離婚が成立したことが、女性セブンの取材により分かった。
別居生活を続けていた夫婦は今週、約3年ぶりの“再会”を果たした。だが、そこはかつての愛の巣などではなく、法廷だった。
「おふたりは調停には出廷したようですが、会話をしていないだけでなく、顔すら合わせていません。KEIKOさんが小室さんと会うことを拒否したそうです」(KEIKOの知人)
ふたりの夫婦生活は、まるでジェットコースターのように浮き沈みが激しいものだった。
世間を驚かせた電撃婚は2002年。以後、公私を共にし、夫婦で日本の音楽シーンを彩ってきた。2011年にKEIKOがくも膜下出血で倒れると状況は一変。一命はとりとめたものの事実上の活動休止に。その間、夫の小室が献身的に妻を支える日々を送っている──と思われていた。
2018年1月、『週刊文春』が、小室が看護師のAさんと数年来にわたって不倫関係にあると報じた。小室はすぐに釈明会見を開き、KEIKOが「高次脳機能障害」であると語った上で音楽に関心を持たなくなったこと、「夫婦として、大人の女性としてのコミュニケーションが日に日にできなくなった」こと、「小学4年生の漢字ドリル」をやっていることなどを明かし、介護で心身ともに疲れ果てていると涙ながらに告白。Aさんとの男女関係は否定した上で、騒動の責任を取る形で、突然の引退を発表した。
この会見によって小室への同情論が巻き起こったが、不貞行為をした側が擁護されるという不思議な現象は長続きしなかった。
同年7月、今度はKEIKOの親族が『週刊文春』の取材に答えた。小室の会見は嘘ばかりで、KEIKOのプライバシーを悪し様に語ることで「論点をすり替えた」と主張したのだ。
「そこから、小室さんがKEIKOさんに生活費を渡していなかったことや、KEIKOさんの実家に多額の借金があったことなどまで明るみになり、その後、離婚調停に発展したのです。離婚成立まで長引いたのは、金銭関係の話し合いがこじれていたためでしょう。
結局、小室さんの涙の会見は何だったのか? 夫婦間のことは他人には分からないことも多いのでしょうが、小室さんがKEIKOさんに対し、誠意ある対応をしていなかったような印象を受けましたね」(芸能記者)
不倫報道から3年。これで夫婦は正式に別々の道を歩むこととなる。
離婚調停では、申立人と相手方は別々の待合室にいて、調停室には交互に入るので、顔を合わせないのは当たり前のことです。
不貞が事実であれば、夫はいわゆる「有責配偶者」となり、夫からの離婚請求は認められなくなるので、婚姻費用の未払いがあることからしても、相場よりも多額の解決金を積まねば離婚は難しいでしょう。
なにより病気の妻をダシにして同情をかいながら介護せず生活費も渡さないって呆れた。KEIKOさんにはお金をかけないってあまりにもセコくて問題だと思う。妻が闘病中に離婚を切り出すのは男として最低という気がする。今彼と付き合ってる看護師も何かのきっかけで次は自分の番になると思った方がいいと思う。KEIKOさんは離婚を機にこんな薄情な男と別れて第二の人生を頑張って欲しいと思う。
引退したけど、もう復帰もしてるよね。
この人、音楽的な才能があったのかもしれないけど曲調は似てるし、たまたまバブル期に当たっただけなんじゃない?
女癖も悪そうだし、あの言い訳だらけの記者会見で嫌いになりました。
もうテレビには出ないで欲しい。
KEIKOさん、体調は大丈夫でしょうか?
離婚という形ではあれ、一つ区切りがついたことは良かったと思います。
大変かと思いますが、一歩ずつでも前に進んでほしい。応援しています。
華原朋美さんの時も別れ方卑怯な感じでしたよね。判断がしっかりできない奥さん介護も生活費も渡さないって・・・自分は東京で愛人ちゃっかり作って叩かれたら引退でこそこそ活動して。もう時代遅れな音楽だし出てこなくて良い
わかってはいた事だけどね。
「夫婦として、大人の女性としてのコミュニケーションが日に日にできなくなった」こと、
夫婦になるって事は何が起きようが何があっても夫婦って事なんだけどね。
冷たいよね。自分にプラスにならなきゃ捨てる。
過去の女性達がみんなそうじゃない。
飽きれば目移りすれば新しい女性にケジメもつけず手をつける。
女性は自分の言いなりだからそうしてきちゃったのかもね。
でももうこの人についていく女性はいないとは思うけどね。
もう魅力もお金もないしね。
ホントの所は、2人のみにしかわかりませんが、今までの小室哲哉の行いを見ると、KEIKOに肩入れしたくなる。先入観もあるかもしれませんが、彼は音楽だけにずば抜けた才能があり、女性関係も含めた対人関係や金銭面は、中学生レベルなんだろうと思ってしまう。
小室さん何回結婚歴あったっけ?女性にだらしない人だよね。
前の結婚の時はKEIKOと不倫して子供いたのに結婚生活短かったし。
詐欺事件起こして養育費払えているのかな、子供には全く関係ないことだから、父親いない家庭にしてしまっただから、せめて養育費ちゃんと払ってほしいよね、前の奥さんにすれば。
不倫したのにまた不倫してまた離婚、本当女性にだらしなさすぎる。
小室哲哉は今となってはカネがないし
慰謝料などの支払い能力もないでしょうね
KEIKOさんは気の毒な気もしますけど
前の奥さんから奪ったともいえなくもないので
因果応報なのかもしれませんけど
そもそもこの男と付き合って幸せになれた女性っているんでしょうか?それなのにこの男と付き合いたがる女性がいるのがホント不思議。やはり目当ては金と思った方がいいんでしょうかね。
どんなに音楽界で功績があっても詐欺をした挙句、家族にも非人道的な扱いをしていれば、社会きらの批判や追放は仕方ないでしょう
https://news.yahoo.co.jp/articles/beb35fccb46809f28fc4d6851c99e0e7016ee89a/comments
別居生活を続けていた夫婦は今週、約3年ぶりの“再会”を果たした。だが、そこはかつての愛の巣などではなく、法廷だった。
「おふたりは調停には出廷したようですが、会話をしていないだけでなく、顔すら合わせていません。KEIKOさんが小室さんと会うことを拒否したそうです」(KEIKOの知人)
ふたりの夫婦生活は、まるでジェットコースターのように浮き沈みが激しいものだった。
世間を驚かせた電撃婚は2002年。以後、公私を共にし、夫婦で日本の音楽シーンを彩ってきた。2011年にKEIKOがくも膜下出血で倒れると状況は一変。一命はとりとめたものの事実上の活動休止に。その間、夫の小室が献身的に妻を支える日々を送っている──と思われていた。
2018年1月、『週刊文春』が、小室が看護師のAさんと数年来にわたって不倫関係にあると報じた。小室はすぐに釈明会見を開き、KEIKOが「高次脳機能障害」であると語った上で音楽に関心を持たなくなったこと、「夫婦として、大人の女性としてのコミュニケーションが日に日にできなくなった」こと、「小学4年生の漢字ドリル」をやっていることなどを明かし、介護で心身ともに疲れ果てていると涙ながらに告白。Aさんとの男女関係は否定した上で、騒動の責任を取る形で、突然の引退を発表した。
この会見によって小室への同情論が巻き起こったが、不貞行為をした側が擁護されるという不思議な現象は長続きしなかった。
同年7月、今度はKEIKOの親族が『週刊文春』の取材に答えた。小室の会見は嘘ばかりで、KEIKOのプライバシーを悪し様に語ることで「論点をすり替えた」と主張したのだ。
「そこから、小室さんがKEIKOさんに生活費を渡していなかったことや、KEIKOさんの実家に多額の借金があったことなどまで明るみになり、その後、離婚調停に発展したのです。離婚成立まで長引いたのは、金銭関係の話し合いがこじれていたためでしょう。
結局、小室さんの涙の会見は何だったのか? 夫婦間のことは他人には分からないことも多いのでしょうが、小室さんがKEIKOさんに対し、誠意ある対応をしていなかったような印象を受けましたね」(芸能記者)
不倫報道から3年。これで夫婦は正式に別々の道を歩むこととなる。
離婚調停では、申立人と相手方は別々の待合室にいて、調停室には交互に入るので、顔を合わせないのは当たり前のことです。
不貞が事実であれば、夫はいわゆる「有責配偶者」となり、夫からの離婚請求は認められなくなるので、婚姻費用の未払いがあることからしても、相場よりも多額の解決金を積まねば離婚は難しいでしょう。
なにより病気の妻をダシにして同情をかいながら介護せず生活費も渡さないって呆れた。KEIKOさんにはお金をかけないってあまりにもセコくて問題だと思う。妻が闘病中に離婚を切り出すのは男として最低という気がする。今彼と付き合ってる看護師も何かのきっかけで次は自分の番になると思った方がいいと思う。KEIKOさんは離婚を機にこんな薄情な男と別れて第二の人生を頑張って欲しいと思う。
引退したけど、もう復帰もしてるよね。
この人、音楽的な才能があったのかもしれないけど曲調は似てるし、たまたまバブル期に当たっただけなんじゃない?
女癖も悪そうだし、あの言い訳だらけの記者会見で嫌いになりました。
もうテレビには出ないで欲しい。
KEIKOさん、体調は大丈夫でしょうか?
離婚という形ではあれ、一つ区切りがついたことは良かったと思います。
大変かと思いますが、一歩ずつでも前に進んでほしい。応援しています。
華原朋美さんの時も別れ方卑怯な感じでしたよね。判断がしっかりできない奥さん介護も生活費も渡さないって・・・自分は東京で愛人ちゃっかり作って叩かれたら引退でこそこそ活動して。もう時代遅れな音楽だし出てこなくて良い
わかってはいた事だけどね。
「夫婦として、大人の女性としてのコミュニケーションが日に日にできなくなった」こと、
夫婦になるって事は何が起きようが何があっても夫婦って事なんだけどね。
冷たいよね。自分にプラスにならなきゃ捨てる。
過去の女性達がみんなそうじゃない。
飽きれば目移りすれば新しい女性にケジメもつけず手をつける。
女性は自分の言いなりだからそうしてきちゃったのかもね。
でももうこの人についていく女性はいないとは思うけどね。
もう魅力もお金もないしね。
ホントの所は、2人のみにしかわかりませんが、今までの小室哲哉の行いを見ると、KEIKOに肩入れしたくなる。先入観もあるかもしれませんが、彼は音楽だけにずば抜けた才能があり、女性関係も含めた対人関係や金銭面は、中学生レベルなんだろうと思ってしまう。
小室さん何回結婚歴あったっけ?女性にだらしない人だよね。
前の結婚の時はKEIKOと不倫して子供いたのに結婚生活短かったし。
詐欺事件起こして養育費払えているのかな、子供には全く関係ないことだから、父親いない家庭にしてしまっただから、せめて養育費ちゃんと払ってほしいよね、前の奥さんにすれば。
不倫したのにまた不倫してまた離婚、本当女性にだらしなさすぎる。
小室哲哉は今となってはカネがないし
慰謝料などの支払い能力もないでしょうね
KEIKOさんは気の毒な気もしますけど
前の奥さんから奪ったともいえなくもないので
因果応報なのかもしれませんけど
そもそもこの男と付き合って幸せになれた女性っているんでしょうか?それなのにこの男と付き合いたがる女性がいるのがホント不思議。やはり目当ては金と思った方がいいんでしょうかね。
どんなに音楽界で功績があっても詐欺をした挙句、家族にも非人道的な扱いをしていれば、社会きらの批判や追放は仕方ないでしょう
https://news.yahoo.co.jp/articles/beb35fccb46809f28fc4d6851c99e0e7016ee89a/comments
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2021年02月25日
いつか消力使うんやああああ!!
マンガやアニメには印象的なおじいさん・おばあさんキャラが登場することが多く、ときにはメインキャラクター以上に強烈な個性を放つ。特にバトル漫画では、そうした老人キャラが人気で、パワフルでムキムキで、悪者キャラをボコボコにやっつけてしまうというパターンも少なくない。そこで今回は「少年漫画に登場するおじいさん・おばあさんキャラで最強だと思う人は誰か?」というアンケートを実施。10代から40代の男女300名に回答してもらった。(アンケートサイト「ボイスノート」協力)
■【ランキング結果】少年漫画の「強キャラ老人」ランキング1位から10位の結果■
まず、第3位に選ばれたのは全体の9.7%の得票率を得た『ONE PIECE』のビッグ・マム。
本名「シャーロット・リンリン」というビッグ・マムは新世界で皇帝のように君臨している“四皇”の紅一点。ピンク色の髪に大きな口、赤い口紅がトレードマークの彼女は、880センチで一人称も「おれ」と、68歳ながら年齢を感じさせない豪快さと威圧感のあるキャラクターだ。なお、ビッグ・マムと呼ばれているのはその身体の大きさからではなく、129人家族の大所帯で46人の息子や39人の娘がいるためである。
彼女の恐ろしいところといえば、甘いものが大好きなゆえに、食べたいものが食べられない「食いわずらい状態」に入れば、なりふり構わず暴走してしまうところ。ときには自らの子どもすら手にかけてしまうという恐ろしさも持っている。
選んだ人からは「最恐の老人といえばビッグ・マム」(32歳・男性)、「見た目のインパクトがヤバすぎる」(25歳・男性)、「大きくて強いから」(30歳・女性)、「子どもが大変そう」(42歳・男性)という声が寄せられた。
■冨樫漫画の老人キャラが人気
続く第2位には、冨樫義博氏の漫画『幽☆遊☆白書』の幻海がランクイン(10.3%)。主人公の浦飯幽助の師匠であり、小柄ながら霊光波動拳の使い手でかなり強い。作中でも有名人としてその名をはせており、その年齢は70歳前後と言われている。
彼女が活躍する暗黒武術会編では、覆面をかぶって浦飯チームの一員として出場し霊波動によって若返った美少女状態の姿も披露。意外すぎる素顔のかわいらしさで読者を驚かせた。
選んだ人からは「クールでかっこいい」(39歳・男性)、「幽助をあそこまで強くしたから」(32歳・女性)、「美しい魔闘家鈴木をボコボコにする場面が最高」(45歳・男性)、「戸愚呂弟との過去も好き」(40歳・男性)、「小さいのに強すぎる」(38歳・女性)というコメントが寄せられた。
魔界編では過去のライバルキャラたちに修行をつけパワーアップさせるなど、自身が戦うだけでなくコーチとしても信頼できる力を見せた幻海。身近にいれば、かなり頼りになる仲間だと言えるだろう。
また老人キャラに定評のある冨樫漫画では『HUNTER×HUNTER』への投票も多く、ネテロ会長やゼノ=ゾルディックへの意見も寄せられた。
そして、2位以下に圧倒的な差をつけて、堂々の第1位に輝いたのは、『ドラゴンボール』の亀仙人(28.0%)。
孫悟空・クリリン・ヤムチャらの師で、その年齢は亀仙人という名前に恥じず、驚異の300歳超え。見た目はハゲ頭にサングラス、ときにはアロハシャツも着こなすお気楽さで、とにかくスケベな性格が特徴だ。
しかしその実力は確かなもので、別名「武天老師」と呼ばれる武術の達人で、本気時には体も数倍大きくなりムキムキに。悟空の必殺技であるかめはめ波は亀仙人が50年かけて編み出しており、月をも破壊する威力を持つ。
選んだ人からは「かつて世界で一番強いと言われていたから」(39歳・男性)、「亀仙人がいないと物語は始まらなかった」(47歳・男性)、「あれで筋肉ムキムキだから」(45歳・女性)、「ずっと見た目が変わらないから」(44歳・男性)、というコメントが集まった。亀仙人に関しては、実力もさることながら憎めないキャラクター性と強すぎる個性が今も多くの人に愛されてる理由だろう。
以上ベスト3には『週刊少年ジャンプ』のキャラがランクインした今回のアンケート。4位以下には『からくりサーカス』(小学館)のルシールや、『ベルセルク』(白泉社)のフローラといったキャラにも票が寄せられた。あまり長い連載じゃなかったがサイボーグ爺ちゃんGって漫画の爺ちゃんも強いと思う、一家4人を一晩でサイボーグに改造する能力も凄かったが・・・
爺さんキャラクターと言えばジョセフ・ジョースター。
3部での活躍もかっこいいけど、さらに老いて4部での透明赤ちゃん救出場面はさらにかっこいい!
亀仙人が天津飯に嘘をついて自分の命を投げ捨ててピッコロ大魔王に魔封波をしかけるシーンは何度見ても奮えます。普段はスケベでおちゃらけているが、いざというときは命をかえりみず闘う。めちゃくちゃカッコいいです。
男塾塾長、江田島平八かなぁ
(あまり老人という感じじゃないがたしか中曽根康弘元首相と同期生という設定あったし)
第3部のジョセフ。インディ・ジョーンズのような装いと、人型ではないイバラ状のスタンドが渋い。年の割にはお茶目でヤンチャなのも良い。後半はアヴドゥルと共にコメディを担当していたな。
亀仙人のじっちゃんは悟空を増長させないために、自分自身が変装して身を張って、壁になって悟空と対峙したのがいい。正体を最後まで明かさなかった。
自分のライバル弟子の天津飯を諌めて、堅物な天津飯が亀仙人を慕う関係も好き。
悟空やクリリンに勉強も教えてたし、天下一武道会の後、悟空に旅を勧めたのもじっちゃん。
じっちゃんいなかったら、野生児の悟空はピッコロ大魔王で確実にゲームオーバーやね。。
亀仙人のじっちゃんは、大幅に実力差を開いた悟空やクリリンにも、ずっと師匠として尊敬されてる。個人的には、悪の道へ進もうとする天津飯を更正する所と、弟子が驕るのを危惧し変装して武道会へ出場したら、驕るような愚か者じゃないと分かったのであっさり身を引く当たりが師匠らしくて好き。ピッコロ大魔王と対峙して、魔封波を放って絶命するシーンは衝撃だった。
理想の師匠ランキングでも個人的には1位。
ジョジョ第三部、承太郎のジジイだったジョセフも良かったな。若き日のヤンチャも消え失せていなかったけど、円熟し若い世代を思う気持ちは素敵だったな。
普段はスケベなだめ爺なのにここぞな時にはピシッと極めてくれる亀仙人。
特にピッコロ大魔王と対峙したときは最高にカッコよかった。
るろうに剣心の翁も同系統。アオシを止めるべくタイマン挑んだり志々雄配下のスパイが家に上がりこんだときの凄みはギャップありすぎ。
ちょっとマイナーかもしれないけど、「真島クンすっとばす」の望月土武郎が好きでした。
普段は冴えないけど、いざ、戦いとなったら無敵の強さを見せる。
そして、口ではムスッとしながらも、何よりも弟子思いな行動を見せるところは憧れますね。
GIGAバトルで自分が狙われているとわかっているのに、真島たちの前に天狗の格好で姿を見せシーンは感動的でした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/90670b8b67153e06a0b63b1287e16ce6eb13bee8/comments
■【ランキング結果】少年漫画の「強キャラ老人」ランキング1位から10位の結果■
まず、第3位に選ばれたのは全体の9.7%の得票率を得た『ONE PIECE』のビッグ・マム。
本名「シャーロット・リンリン」というビッグ・マムは新世界で皇帝のように君臨している“四皇”の紅一点。ピンク色の髪に大きな口、赤い口紅がトレードマークの彼女は、880センチで一人称も「おれ」と、68歳ながら年齢を感じさせない豪快さと威圧感のあるキャラクターだ。なお、ビッグ・マムと呼ばれているのはその身体の大きさからではなく、129人家族の大所帯で46人の息子や39人の娘がいるためである。
彼女の恐ろしいところといえば、甘いものが大好きなゆえに、食べたいものが食べられない「食いわずらい状態」に入れば、なりふり構わず暴走してしまうところ。ときには自らの子どもすら手にかけてしまうという恐ろしさも持っている。
選んだ人からは「最恐の老人といえばビッグ・マム」(32歳・男性)、「見た目のインパクトがヤバすぎる」(25歳・男性)、「大きくて強いから」(30歳・女性)、「子どもが大変そう」(42歳・男性)という声が寄せられた。
■冨樫漫画の老人キャラが人気
続く第2位には、冨樫義博氏の漫画『幽☆遊☆白書』の幻海がランクイン(10.3%)。主人公の浦飯幽助の師匠であり、小柄ながら霊光波動拳の使い手でかなり強い。作中でも有名人としてその名をはせており、その年齢は70歳前後と言われている。
彼女が活躍する暗黒武術会編では、覆面をかぶって浦飯チームの一員として出場し霊波動によって若返った美少女状態の姿も披露。意外すぎる素顔のかわいらしさで読者を驚かせた。
選んだ人からは「クールでかっこいい」(39歳・男性)、「幽助をあそこまで強くしたから」(32歳・女性)、「美しい魔闘家鈴木をボコボコにする場面が最高」(45歳・男性)、「戸愚呂弟との過去も好き」(40歳・男性)、「小さいのに強すぎる」(38歳・女性)というコメントが寄せられた。
魔界編では過去のライバルキャラたちに修行をつけパワーアップさせるなど、自身が戦うだけでなくコーチとしても信頼できる力を見せた幻海。身近にいれば、かなり頼りになる仲間だと言えるだろう。
また老人キャラに定評のある冨樫漫画では『HUNTER×HUNTER』への投票も多く、ネテロ会長やゼノ=ゾルディックへの意見も寄せられた。
そして、2位以下に圧倒的な差をつけて、堂々の第1位に輝いたのは、『ドラゴンボール』の亀仙人(28.0%)。
孫悟空・クリリン・ヤムチャらの師で、その年齢は亀仙人という名前に恥じず、驚異の300歳超え。見た目はハゲ頭にサングラス、ときにはアロハシャツも着こなすお気楽さで、とにかくスケベな性格が特徴だ。
しかしその実力は確かなもので、別名「武天老師」と呼ばれる武術の達人で、本気時には体も数倍大きくなりムキムキに。悟空の必殺技であるかめはめ波は亀仙人が50年かけて編み出しており、月をも破壊する威力を持つ。
選んだ人からは「かつて世界で一番強いと言われていたから」(39歳・男性)、「亀仙人がいないと物語は始まらなかった」(47歳・男性)、「あれで筋肉ムキムキだから」(45歳・女性)、「ずっと見た目が変わらないから」(44歳・男性)、というコメントが集まった。亀仙人に関しては、実力もさることながら憎めないキャラクター性と強すぎる個性が今も多くの人に愛されてる理由だろう。
以上ベスト3には『週刊少年ジャンプ』のキャラがランクインした今回のアンケート。4位以下には『からくりサーカス』(小学館)のルシールや、『ベルセルク』(白泉社)のフローラといったキャラにも票が寄せられた。あまり長い連載じゃなかったがサイボーグ爺ちゃんGって漫画の爺ちゃんも強いと思う、一家4人を一晩でサイボーグに改造する能力も凄かったが・・・
爺さんキャラクターと言えばジョセフ・ジョースター。
3部での活躍もかっこいいけど、さらに老いて4部での透明赤ちゃん救出場面はさらにかっこいい!
亀仙人が天津飯に嘘をついて自分の命を投げ捨ててピッコロ大魔王に魔封波をしかけるシーンは何度見ても奮えます。普段はスケベでおちゃらけているが、いざというときは命をかえりみず闘う。めちゃくちゃカッコいいです。
男塾塾長、江田島平八かなぁ
(あまり老人という感じじゃないがたしか中曽根康弘元首相と同期生という設定あったし)
第3部のジョセフ。インディ・ジョーンズのような装いと、人型ではないイバラ状のスタンドが渋い。年の割にはお茶目でヤンチャなのも良い。後半はアヴドゥルと共にコメディを担当していたな。
亀仙人のじっちゃんは悟空を増長させないために、自分自身が変装して身を張って、壁になって悟空と対峙したのがいい。正体を最後まで明かさなかった。
自分のライバル弟子の天津飯を諌めて、堅物な天津飯が亀仙人を慕う関係も好き。
悟空やクリリンに勉強も教えてたし、天下一武道会の後、悟空に旅を勧めたのもじっちゃん。
じっちゃんいなかったら、野生児の悟空はピッコロ大魔王で確実にゲームオーバーやね。。
亀仙人のじっちゃんは、大幅に実力差を開いた悟空やクリリンにも、ずっと師匠として尊敬されてる。個人的には、悪の道へ進もうとする天津飯を更正する所と、弟子が驕るのを危惧し変装して武道会へ出場したら、驕るような愚か者じゃないと分かったのであっさり身を引く当たりが師匠らしくて好き。ピッコロ大魔王と対峙して、魔封波を放って絶命するシーンは衝撃だった。
理想の師匠ランキングでも個人的には1位。
ジョジョ第三部、承太郎のジジイだったジョセフも良かったな。若き日のヤンチャも消え失せていなかったけど、円熟し若い世代を思う気持ちは素敵だったな。
普段はスケベなだめ爺なのにここぞな時にはピシッと極めてくれる亀仙人。
特にピッコロ大魔王と対峙したときは最高にカッコよかった。
るろうに剣心の翁も同系統。アオシを止めるべくタイマン挑んだり志々雄配下のスパイが家に上がりこんだときの凄みはギャップありすぎ。
ちょっとマイナーかもしれないけど、「真島クンすっとばす」の望月土武郎が好きでした。
普段は冴えないけど、いざ、戦いとなったら無敵の強さを見せる。
そして、口ではムスッとしながらも、何よりも弟子思いな行動を見せるところは憧れますね。
GIGAバトルで自分が狙われているとわかっているのに、真島たちの前に天狗の格好で姿を見せシーンは感動的でした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/90670b8b67153e06a0b63b1287e16ce6eb13bee8/comments
2021年02月24日
NHK・・・( ´∀` )
NHKが映らないテレビでも受信料は支払わなければならないのか――。NHKが映らないよう加工したテレビの契約義務が争われた訴訟の控訴審判決が24日、東京高裁(広谷章雄裁判長)であった。一審・東京地裁判決は契約義務を否定したが、高裁は電波の増幅器を付けるなどすれば映るようになる点を重視し、契約義務があると判断した。NHKの逆転勝訴となった。
判決によると、原告はNHKの受信料徴収に批判的で、NHKの放送信号を弱めるよう筑波大学の准教授が開発したフィルターが付いたテレビを購入した。増幅器を付けるなどすれば視聴できるようになるが、一審は「増幅器の出費をしなければ映らないようなテレビは、NHKを受信できる設備とはいえない」として契約義務を認めなかった。
一方、高裁は、放送法はNHKの番組を見ない人にも広く受信料の負担を求めていると指摘。「受信できなくする機器を取り外したり、機能を働かせなくさせたりできる場合は、その難易を問わずNHKの受信設備にあたる」と判断した。
放送法第64条の「ただし、(協会の)放送の受信を目的としない受信設備(中略)のみを設置した者については、この限りでない」の部分を無視した極めて悪意のある判決。裁判官は意図的に条文の一部分を読み飛ばしている。
そういう理屈だと、テレビのない世帯も「テレビを買えば視聴できるので契約義務がある」という話になってしまう。
TVそんなに必要ではないけど有ってもいいくらいの人、NHKの受信料を払いたくない為にTVを無くす人増える。結果TV業界の衰退につながる。
NHK無くなればいいのに!
いつまでNHKは国民の声を無視し続ける気かな?
総務省が骨抜きにされてるのか政治家と癒着してるのか知らないけど、時代遅れのNHKと放送法は変わるときが来てるんよ。
携帯持ってるから受信料払えとかはやめようぜ。
放送法自体に納得できない。
スクランブルをかけて見たい人にだけ見せればいいだろう。
メディアが多様化してNHKを見ない人や必要としない人も多数いる。
時代遅れの放送の押し売り制度は廃止して欲しい。
この手の判決が続き過ぎている。最高裁でもあるし。次の最高裁判所裁判官国民審査ではオールバツでいくつもり。誰が主権者か思い知らせてやらないと。
NHKをスクランブル放送にしない理由がわからない。B-CASカードの仕様上、(WOWOWやスターチャンネルと同じように)スクランブル化できるのに。
そもそも放送法自体がおかしいのに、それを容認する裁判官て考えられない。最近の裁判員裁判の判決の逆転や、危険運転の扱いも?だらけ。
司法大丈夫かなと思ってしまう。
ブースターや工具を使えばNHK放送の視聴が可能になるというのは技術的に可能であって視聴できない訳ではない。
家庭にある包丁を使って人の命を奪うことはできない訳ではないから銃刀法違反的な?
ごめん法律わからないから、的外れかもだけど
なんか納得できないよ
テレビがあるから契約しなければいけないのであれば、テレビ廃棄すれば良いと思いますけど。
テレビ廃棄してストリーミング生活していますが、全く問題ないどころかNHK受信料払うことを思えば映画などレンタルまで出来てしまいます。
災害時に備えてラジオだけは用意してありますけど、停電になったらラジオの方が役立つのですよね。
こういう強気な姿勢を、NHKにいつまでも取らせていいのだろうか。国内地上波で民業を圧迫する無理な競争を民放相手にさせる必要は、もうこれからのNHKにはないはずだ。
チャンネル数削減を柱とした、先に発表されている経営基本計画は、まだ甘いとはっきりわかる内容。本当に今NHKに必要なのは、教育放送部門を放送大学学園に統合移譲させるという形で分離し、残るもう一つの地上波である総合放送用のチャンネルも、他の民放とは異なる用途に徹するという条件をつけて分離民営化させ、一般商業広告を入れるようにすること。現NHKは、国内的にはBS専業の公益財団法人にして、再出発させる必要がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a66e38b4f6e4a19799db49d672a6bfa47bdb8d6
判決によると、原告はNHKの受信料徴収に批判的で、NHKの放送信号を弱めるよう筑波大学の准教授が開発したフィルターが付いたテレビを購入した。増幅器を付けるなどすれば視聴できるようになるが、一審は「増幅器の出費をしなければ映らないようなテレビは、NHKを受信できる設備とはいえない」として契約義務を認めなかった。
一方、高裁は、放送法はNHKの番組を見ない人にも広く受信料の負担を求めていると指摘。「受信できなくする機器を取り外したり、機能を働かせなくさせたりできる場合は、その難易を問わずNHKの受信設備にあたる」と判断した。
放送法第64条の「ただし、(協会の)放送の受信を目的としない受信設備(中略)のみを設置した者については、この限りでない」の部分を無視した極めて悪意のある判決。裁判官は意図的に条文の一部分を読み飛ばしている。
そういう理屈だと、テレビのない世帯も「テレビを買えば視聴できるので契約義務がある」という話になってしまう。
TVそんなに必要ではないけど有ってもいいくらいの人、NHKの受信料を払いたくない為にTVを無くす人増える。結果TV業界の衰退につながる。
NHK無くなればいいのに!
いつまでNHKは国民の声を無視し続ける気かな?
総務省が骨抜きにされてるのか政治家と癒着してるのか知らないけど、時代遅れのNHKと放送法は変わるときが来てるんよ。
携帯持ってるから受信料払えとかはやめようぜ。
放送法自体に納得できない。
スクランブルをかけて見たい人にだけ見せればいいだろう。
メディアが多様化してNHKを見ない人や必要としない人も多数いる。
時代遅れの放送の押し売り制度は廃止して欲しい。
この手の判決が続き過ぎている。最高裁でもあるし。次の最高裁判所裁判官国民審査ではオールバツでいくつもり。誰が主権者か思い知らせてやらないと。
NHKをスクランブル放送にしない理由がわからない。B-CASカードの仕様上、(WOWOWやスターチャンネルと同じように)スクランブル化できるのに。
そもそも放送法自体がおかしいのに、それを容認する裁判官て考えられない。最近の裁判員裁判の判決の逆転や、危険運転の扱いも?だらけ。
司法大丈夫かなと思ってしまう。
ブースターや工具を使えばNHK放送の視聴が可能になるというのは技術的に可能であって視聴できない訳ではない。
家庭にある包丁を使って人の命を奪うことはできない訳ではないから銃刀法違反的な?
ごめん法律わからないから、的外れかもだけど
なんか納得できないよ
テレビがあるから契約しなければいけないのであれば、テレビ廃棄すれば良いと思いますけど。
テレビ廃棄してストリーミング生活していますが、全く問題ないどころかNHK受信料払うことを思えば映画などレンタルまで出来てしまいます。
災害時に備えてラジオだけは用意してありますけど、停電になったらラジオの方が役立つのですよね。
こういう強気な姿勢を、NHKにいつまでも取らせていいのだろうか。国内地上波で民業を圧迫する無理な競争を民放相手にさせる必要は、もうこれからのNHKにはないはずだ。
チャンネル数削減を柱とした、先に発表されている経営基本計画は、まだ甘いとはっきりわかる内容。本当に今NHKに必要なのは、教育放送部門を放送大学学園に統合移譲させるという形で分離し、残るもう一つの地上波である総合放送用のチャンネルも、他の民放とは異なる用途に徹するという条件をつけて分離民営化させ、一般商業広告を入れるようにすること。現NHKは、国内的にはBS専業の公益財団法人にして、再出発させる必要がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a66e38b4f6e4a19799db49d672a6bfa47bdb8d6
2021年02月22日
これは中々のプロレスww
人気ユーチューバーのシバター(35)が格闘家・朝倉海(27)とコラボし、朝倉海を年末にKOした堀口恭司(30)に関するクイズ攻めで精神を痛めつけた。
シバターは21日「拘束した朝倉海を、堀口恭司クイズという名の拷問で精神崩壊させる」と題した動画をアップ。最初は別の企画を持ち掛けてダマし、朝倉海を手錠のようなもので拘束し「なんで堀口恭司に負けたかわかります? それは相手のことを研究できてなかったからですよ。だから、堀口のことを研究しましょう」と傷口≠えぐった。
敗戦をネタにされた朝倉は「マジでふざけんじゃねえ!」「やりたくねぇ」と反発。だが拘束を解くには、シバターが出題する堀口に関するクイズに正解しなければならない。
クイズではシバターから「堀口の得意技は?」と問われ、苦々しく「カーフキック」と答える場面もあった。しかし正解は「ストレート」。これには朝倉も「違うやん」と苦笑していた。
最後は鎖を自力で引きちぎった朝倉がシバターを追い掛け回す展開に。これにはシバターも「ごめん!」と土下座するしかなかった。
動画見てみた。
何が一番面白いかって、堀口恭司の無気力アンサー盛沢山が一番面白かった。
トーナメントに参加するのは
前進じゃない気がするし、
やはり海外でやってみてほしい。
海くんの吊り下げの仕返しは明らかに足がついてるし、アロンアルファでシバターの体重に耐えられるわけないからやらせだろうね、シバターの動画もやらせだろうね
東スポはシバター大好きだな
「迷惑系ユーチューバー」
「物申す系ユーチューバー」
「人気ユーチューバー」
その時々でなぜか呼び方を変える東スポ
海くんの仕返し動画のが面白かった!
得意技がストレートは一番堪えたと思う
老若男女年齢問わず格闘技界が盛り上がっていくのはうれしいけど、こういう感じでニュースになるのは少し不満というか・・・う〜ん。って思ってしまいます。
選手としてはみんな大好きなので純粋に熱い試合で興奮したい!!
朝倉兄弟とシバター、ほんま仲ええなあ。
見出しとyoutubeのリンクだけでいいじゃん。
これを記事にしなきゃならない。。。暇なのか、TVの衰退なのか、、
シバターは21日「拘束した朝倉海を、堀口恭司クイズという名の拷問で精神崩壊させる」と題した動画をアップ。最初は別の企画を持ち掛けてダマし、朝倉海を手錠のようなもので拘束し「なんで堀口恭司に負けたかわかります? それは相手のことを研究できてなかったからですよ。だから、堀口のことを研究しましょう」と傷口≠えぐった。
敗戦をネタにされた朝倉は「マジでふざけんじゃねえ!」「やりたくねぇ」と反発。だが拘束を解くには、シバターが出題する堀口に関するクイズに正解しなければならない。
クイズではシバターから「堀口の得意技は?」と問われ、苦々しく「カーフキック」と答える場面もあった。しかし正解は「ストレート」。これには朝倉も「違うやん」と苦笑していた。
最後は鎖を自力で引きちぎった朝倉がシバターを追い掛け回す展開に。これにはシバターも「ごめん!」と土下座するしかなかった。
動画見てみた。
何が一番面白いかって、堀口恭司の無気力アンサー盛沢山が一番面白かった。
トーナメントに参加するのは
前進じゃない気がするし、
やはり海外でやってみてほしい。
海くんの吊り下げの仕返しは明らかに足がついてるし、アロンアルファでシバターの体重に耐えられるわけないからやらせだろうね、シバターの動画もやらせだろうね
東スポはシバター大好きだな
「迷惑系ユーチューバー」
「物申す系ユーチューバー」
「人気ユーチューバー」
その時々でなぜか呼び方を変える東スポ
海くんの仕返し動画のが面白かった!
得意技がストレートは一番堪えたと思う
老若男女年齢問わず格闘技界が盛り上がっていくのはうれしいけど、こういう感じでニュースになるのは少し不満というか・・・う〜ん。って思ってしまいます。
選手としてはみんな大好きなので純粋に熱い試合で興奮したい!!
朝倉兄弟とシバター、ほんま仲ええなあ。
見出しとyoutubeのリンクだけでいいじゃん。
これを記事にしなきゃならない。。。暇なのか、TVの衰退なのか、、
2021年02月21日
まだ現役なん??
プロフィギュアスケーターでタレントの村上佳菜子(26)が21日までに自身のインスタグラムを更新し、きれいな腹筋がのぞくトレーニング姿を公開した。
村上は「ほっそい訳じゃないけど」と記して、セパレートのトレーニングウエアを着て、鍛えられた腹筋が見える自撮り写真をアップ。
ハッシュタグをつけて「ちょいむちっとボディでも好きと言ってくれますでしょうか? ジャイロトニック ピラティス」とつづった。
この投稿には、「憧れの体型」「引締まっててかっこいい」「やっぱりアスリート」「理想」「バランスのとれた魅力的なボディ」などのコメントが寄せられた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7739f23022c851aadfececa58e2cc52dafd7fc32
元々が太りやすい体質であり、
体重維持に苦労されていたのが分かりました。
腹筋をトレードマークに頑張って下さい。
「憧れの体型」とか「やっぱりアスリート」とか、現役時代に言われたいセリフだったね。
ジュニア世界戦で羽生選手と男女ダブル優勝したのにね。プレッシャーに弱いのかそこから思ったほどは伸びなくて残念。
一時期別人のようにすごく太ったけど痩せてきたのかな。おめでとうございます。
また三流スポーツ紙が写真もリンクも無い記事書いてる。写真を載せれないなら記事出すなよ。客寄せパンダ的なタイトル付けやがって。
何を見て憧れの体型とか言ってるのか、美意識と思考回路を疑う。
村主といい 村上といい 元オリスケート選手 どー見てほしいんだ?
え? 普通だと思いますが・・・美ボディ?
どんな腹筋かと期待して見てみたら・・・
普通にジムに来ている人達と変わらないよ。。。
きっと現役の頃は凄かったんだろうなぁ。
かっこいいカラダだわ。90年代初期のエイベックスのイベントで見られたダンサーのお姉様によくいたタイプの腹筋ね。絞り切ってカットを出したシックスパックではなく、うっすら適度に脂肪を残しつつも、しっかり真ん中の縦線のカットがある健康的なタイプね。カットを求め過ぎると逆に健康面に良くない面があるし、このくらいがフィットネスとして最適ね。さすが世界で戦ったアスリートだわ。
スケーターとしてもいいが、バラエティでの運動神経がすごい。
お笑い番組では、スケートのときのようなプレッシャーへの弱さが全然ない。
おおお。
佳菜ちゃん、かっこいい体だ。
もっとポッチャリしていると思っていたので、よもやよもやだ。
さすがアスリートだね。
村上は「ほっそい訳じゃないけど」と記して、セパレートのトレーニングウエアを着て、鍛えられた腹筋が見える自撮り写真をアップ。
ハッシュタグをつけて「ちょいむちっとボディでも好きと言ってくれますでしょうか? ジャイロトニック ピラティス」とつづった。
この投稿には、「憧れの体型」「引締まっててかっこいい」「やっぱりアスリート」「理想」「バランスのとれた魅力的なボディ」などのコメントが寄せられた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7739f23022c851aadfececa58e2cc52dafd7fc32
元々が太りやすい体質であり、
体重維持に苦労されていたのが分かりました。
腹筋をトレードマークに頑張って下さい。
「憧れの体型」とか「やっぱりアスリート」とか、現役時代に言われたいセリフだったね。
ジュニア世界戦で羽生選手と男女ダブル優勝したのにね。プレッシャーに弱いのかそこから思ったほどは伸びなくて残念。
一時期別人のようにすごく太ったけど痩せてきたのかな。おめでとうございます。
また三流スポーツ紙が写真もリンクも無い記事書いてる。写真を載せれないなら記事出すなよ。客寄せパンダ的なタイトル付けやがって。
何を見て憧れの体型とか言ってるのか、美意識と思考回路を疑う。
村主といい 村上といい 元オリスケート選手 どー見てほしいんだ?
え? 普通だと思いますが・・・美ボディ?
どんな腹筋かと期待して見てみたら・・・
普通にジムに来ている人達と変わらないよ。。。
きっと現役の頃は凄かったんだろうなぁ。
かっこいいカラダだわ。90年代初期のエイベックスのイベントで見られたダンサーのお姉様によくいたタイプの腹筋ね。絞り切ってカットを出したシックスパックではなく、うっすら適度に脂肪を残しつつも、しっかり真ん中の縦線のカットがある健康的なタイプね。カットを求め過ぎると逆に健康面に良くない面があるし、このくらいがフィットネスとして最適ね。さすが世界で戦ったアスリートだわ。
スケーターとしてもいいが、バラエティでの運動神経がすごい。
お笑い番組では、スケートのときのようなプレッシャーへの弱さが全然ない。
おおお。
佳菜ちゃん、かっこいい体だ。
もっとポッチャリしていると思っていたので、よもやよもやだ。
さすがアスリートだね。
2021年02月19日
おまんらゆるさんぜよ!!
今年でデビュー35周年を迎える斉藤由貴。21日には、1stシングル「卒業」から10thシングル「さよなら」まで全10曲をリアレンジで収録したセルフカバーアルバム『水響曲』をリリースする。セーラー服とポニーテールが似合う清純派アイドルとしてデビュー年にたちまちブレイク、その後も歌手、女優、執筆など幅広く活動し続けてきた。同期アイドルの多くが結婚を機に芸能界を引退していく中、「実生活では周囲に馴染めなかった」と振り返る彼女が芸能界で生き続けてきた理由とは。
【貴重ショット】当時18歳! 斉藤由貴『ミスマガジン』グランプリ時の初々しい姿
──35年前のご自身の曲を改めてレコーディングしてみていかがでしたか?
【斉藤由貴】本作のプロデューサーである武部聡志さんは「由貴ちゃんのボーカルは究極の不安定だよね」とおっしゃっていますが、歌手を自称するのもおこがましいほど、私には歌の技量がないんです。それは当時も今も変わらず。武部さんはデビューから11作連続でシングルの編曲を手がけてくださったのですが、おそらく「僕がきちんと形にしないと」という気持ちに駆られたところもあったと思うんですね。本作も「僕がやらなければ誰がやる」と、武部さんの素晴らしいリアレンジに守られて歌うことができました。
――それぞれの曲がリズムから声色、曲調まで、デビュー時とはまた違った印象でした。
【斉藤由貴】『スケバン刑事』の主題歌「白い炎」も、今の私を投影した今の「白い炎」にアレンジしていただきました。終盤に収録されている「MAY」と「さよなら」は、涙ぐんで歌えなくなってしまうほど、いろんな思いが溢れてきました。最初から最後まで聞いていただくと、どんどん感情移入していくのがわかっていただけるかもしれません。
──浮遊感のある心地よい歌声は当時のままです。歌手デビューした85年にはシングル4枚、アルバム1枚というハイペースなリリースをされていましたよね。
【斉藤由貴】デビュー当時のことはあまり憶えていないんです。何しろほんの少し前まで普通の高校生でしたから、自分が置かれた状況もわからず。周りはものすごい勢いで回っているけれど、その真ん中の台風の目の中にいた私は、どこかぼんやりと冷静なところがありましたね。
──それでも多忙さは感じていたのでは?
【斉藤由貴】辛いと思ったことはなかったんです。投げ込まれるボールを打ち返すのに無我夢中で。ただ、家に帰って1人になると涙が溢れてきましたね。自分でもなぜ泣いているのか、よくわからなかったんですけれど。
──80年代のアイドルは「イメージを作って売る」ところがありましたが、斉藤さんはどうだったのでしょうか?
【斉藤由貴】私は周りの方々に恵まれていて、何かしらの偶像に押し込められることはなかったんですね。むしろ私という人間を見極めて、閉鎖的な側面をディレクターさんやマネージャーさんが早いうちから感じて、その世界観を表現していくという発想ありきで作品を用意してくださっていたので、その点では“やらされている”という違和感や息苦しさを感じたことはありませんでした。
──これはやりたくない、と思った仕事はなかったですか?
【斉藤由貴】始まってみて「これは私じゃない」と思った仕事はありました。たとえば『スケバン刑事』とか(笑)。それまで教室の隅っこで1人で本を読んでいるような子で、スケバン言葉でヨーヨーを振り回して悪者をやっつけるなんて要素は、私には1つもありませんでしたから。だけど今となっては生涯の宝物ですね。あの作品が、その先の演じる仕事の架け橋になってくれました。自分の“向いてない”とか”嫌い”とかいう感情と、生涯支えになる仕事は必ずしも一致しないと、『スケバン刑事』に学びました。
──デビュー10年目、女優として脂が乗り切っていた頃に結婚を決められたことも驚かされました。
【斉藤由貴】あの頃はいろいろとやんちゃをしていまして(苦笑)。たぶんマネージャーさんも「由貴ちゃんはそろそろ結婚してもいいんじゃないか」と思っていたんじゃないでしょうか。「今は大事なときだから結婚はダメ」と言われたこともなかったですし、「あなたの人生を尊重する」というスタンスの事務所だから35年ずっといられたんだと思います。
──35年の芸能活動の中で、恩人のような方はいますか?
【斉藤由貴】NHK朝ドラの『はね駒』(1986年)で母親役を演じられた樹木希林さんからは、女優である以上に人間としての生き方を学びました。ある日のリハーサルで、彼女がアンティークのジャケットをお召しになってたんですね。その背中に大きなシミが。それを見て私が「希林さん、シミがあります」と言ったら、「そうなのよ。カッコいいでしょ」とおっしゃられて。そうか、シミは汚れではなくて世界にたった1つの希林さんだけのものなんだって、ハッとしたんです。
──世間の常識に縛られないものの見方や考え方をされる方なんですね。
【斉藤由貴】そうなんです。当時の彼女は40歳そこそこだったと思うんですが、そうした揺るぎない価値観や世界観をお持ちで。なんて素敵なんだろう、私もこんな人間になりたいと、以来ずっと憧れ続けています。
──80年代の女性アイドルの多くは結婚を機に芸能界を引退しましたが、斉藤さんはやめようと思ったことはなかったですか?
【斉藤由貴】この仕事が合ってるとか合ってない以前に、ほかに行き場が思い付かなかったんです。もともと私は子どもの頃からクラスでも浮いている存在で、周囲とうまく馴染めない自分というものをいつも感じていたんですね。だから、自分の意見や感情を発することを臆することが多かったので、表現することが純粋にすごく楽しかったんです。ずっといじめられっ子だったからこそ、自分が認めてもらえる場があることがうれしくて、どんなに忙しくても続けられたのかもしれないですね。でも本来は、アイドルという明るくきらびやか肩書きからは最も程遠いような人間なので、認めてもらえる喜びと注目されたくない思いとのせめぎ合いはずっとあったような気がします。
──そんな引っ込み思案だった女の子が、芸能界という世間の目にさらされる世界に馴染めたのはなぜだったのでしょうか。
【斉藤由貴】私にとって役を演じるという作業は、息を吸って吐くのと同じくらい生きていく上で必要なものなんです。役を演じることで、ようやくぼんやりしていた自分の輪郭がくっきりするような感覚があるんです。しばらくお芝居をしていない時期が続くと、自分の実体がなくなりそうで困るんです。だから、たぶん私は死ぬまでお芝居を続けるんだろうなと思います。数回にわたる不倫事件
にもかかわらずいまも第一線で活躍してる
そのことが奇跡でしょ
デビューのきっかけは弟が知らないうちに、コンテストに応募してただの言ってたけど、
実際のところいろんなコンテストに応募しまくってたことがばれて、恥をかいてた。
グランプリに沢口靖子さんが選ばれた時も、自身が選ばれずにすごい顔した話も有名。
清純派で売ってたくせに、何度も不倫騒動だったし。
いじめられっこ説も話半分に聞いといたほうがいい。
不倫相手をご主人がいないときに自分の家に引き込んで、男がパンツかぶって
いる写真のインパクトありすぎた。
その後はドラマなどで出演しているシーンを見ても良い気分はしない。
パンツ先生、ものすごいダメージ受けてたよ。
(近所なので知ってるし、クリニックも利用してた)
あんな画像が出回ってるのに
斉藤さん本人は何の痛痒もなく生きていられるって、
何もなかったように扱われるって、
違和感ありすぎて好きではないです。
ノープロブレム。
今も十分やんちゃですよ?
朝ドラの主役をやっていた頃、あるテレビ局でスタジオフロントのアルバイトしてました。楽屋のカギを返却するとき、他の俳優さんたちは、「ありがとう」、「お疲れさま」の一言添えてくれましたが、彼女はポンと投げ捨てて帰る、そんなじゃじゃ馬でした。彼女の後を歩くマネージャーさんがいつも「すみません」って恐縮してました。こんなに長続きする女優になるとは。いまではいい思い出です。
不倫のイメージが強すぎて今はあまり好きではないけど、同年代なのでデビュー当時から知ってるが当時は本当に可愛かった。
不倫してても対してバッシング受けなかったよなぁ。個人的には不倫は周りが過剰に叩くのはおかしいと思うけど…
やっぱ素直に認めて謝った方が後々良いのかな
叩かれたり消えたりするのが本当に嫌ならそもそも最初から芸能界になんか入らない。小学校の頃、アカデミーに入ってドラマでも子役として少し出た時期があったけど、緊張するとすぐ胃腸に来るから中学入る前にやめた。芸能界は神経が図太くてメンタルと自尊心が強くて目立ちたがり屋じゃないとやって行けないと、子供心に痛感した。
この人の神経の図太さマスメディアに対する対応日本一というか最強
この人のおかげでどれだけの人が苦労したか。魔性の女です
尾崎豊さん川崎麻世さんその他医師の方 全てこの方の魔力に惑わされました。
相手方は多くの代償を支払っているのに、この方は何故か無傷です。
すぐ復帰して何事もなかったかのように終わってしまう。
何とも言えない不思議な魔力を持っているのが斉藤由貴さんです。
あと名前は似ているのですが日ハムの斎藤佑樹投手も同じような魔力があります。
普通なら戦力外になるはずなのに、毎年のように期待をされる。
ファンが見限っても球団は永久にサポートする不思議な選手です。
ある意味二人共持っている物が違うのでしょうか。
斉藤由貴さんはドラマや歌でも活躍しているので一概には言えませんが。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e0811819142d34747204b5d0383d3cc239262cc/comments
【貴重ショット】当時18歳! 斉藤由貴『ミスマガジン』グランプリ時の初々しい姿
──35年前のご自身の曲を改めてレコーディングしてみていかがでしたか?
【斉藤由貴】本作のプロデューサーである武部聡志さんは「由貴ちゃんのボーカルは究極の不安定だよね」とおっしゃっていますが、歌手を自称するのもおこがましいほど、私には歌の技量がないんです。それは当時も今も変わらず。武部さんはデビューから11作連続でシングルの編曲を手がけてくださったのですが、おそらく「僕がきちんと形にしないと」という気持ちに駆られたところもあったと思うんですね。本作も「僕がやらなければ誰がやる」と、武部さんの素晴らしいリアレンジに守られて歌うことができました。
――それぞれの曲がリズムから声色、曲調まで、デビュー時とはまた違った印象でした。
【斉藤由貴】『スケバン刑事』の主題歌「白い炎」も、今の私を投影した今の「白い炎」にアレンジしていただきました。終盤に収録されている「MAY」と「さよなら」は、涙ぐんで歌えなくなってしまうほど、いろんな思いが溢れてきました。最初から最後まで聞いていただくと、どんどん感情移入していくのがわかっていただけるかもしれません。
──浮遊感のある心地よい歌声は当時のままです。歌手デビューした85年にはシングル4枚、アルバム1枚というハイペースなリリースをされていましたよね。
【斉藤由貴】デビュー当時のことはあまり憶えていないんです。何しろほんの少し前まで普通の高校生でしたから、自分が置かれた状況もわからず。周りはものすごい勢いで回っているけれど、その真ん中の台風の目の中にいた私は、どこかぼんやりと冷静なところがありましたね。
──それでも多忙さは感じていたのでは?
【斉藤由貴】辛いと思ったことはなかったんです。投げ込まれるボールを打ち返すのに無我夢中で。ただ、家に帰って1人になると涙が溢れてきましたね。自分でもなぜ泣いているのか、よくわからなかったんですけれど。
──80年代のアイドルは「イメージを作って売る」ところがありましたが、斉藤さんはどうだったのでしょうか?
【斉藤由貴】私は周りの方々に恵まれていて、何かしらの偶像に押し込められることはなかったんですね。むしろ私という人間を見極めて、閉鎖的な側面をディレクターさんやマネージャーさんが早いうちから感じて、その世界観を表現していくという発想ありきで作品を用意してくださっていたので、その点では“やらされている”という違和感や息苦しさを感じたことはありませんでした。
──これはやりたくない、と思った仕事はなかったですか?
【斉藤由貴】始まってみて「これは私じゃない」と思った仕事はありました。たとえば『スケバン刑事』とか(笑)。それまで教室の隅っこで1人で本を読んでいるような子で、スケバン言葉でヨーヨーを振り回して悪者をやっつけるなんて要素は、私には1つもありませんでしたから。だけど今となっては生涯の宝物ですね。あの作品が、その先の演じる仕事の架け橋になってくれました。自分の“向いてない”とか”嫌い”とかいう感情と、生涯支えになる仕事は必ずしも一致しないと、『スケバン刑事』に学びました。
──デビュー10年目、女優として脂が乗り切っていた頃に結婚を決められたことも驚かされました。
【斉藤由貴】あの頃はいろいろとやんちゃをしていまして(苦笑)。たぶんマネージャーさんも「由貴ちゃんはそろそろ結婚してもいいんじゃないか」と思っていたんじゃないでしょうか。「今は大事なときだから結婚はダメ」と言われたこともなかったですし、「あなたの人生を尊重する」というスタンスの事務所だから35年ずっといられたんだと思います。
──35年の芸能活動の中で、恩人のような方はいますか?
【斉藤由貴】NHK朝ドラの『はね駒』(1986年)で母親役を演じられた樹木希林さんからは、女優である以上に人間としての生き方を学びました。ある日のリハーサルで、彼女がアンティークのジャケットをお召しになってたんですね。その背中に大きなシミが。それを見て私が「希林さん、シミがあります」と言ったら、「そうなのよ。カッコいいでしょ」とおっしゃられて。そうか、シミは汚れではなくて世界にたった1つの希林さんだけのものなんだって、ハッとしたんです。
──世間の常識に縛られないものの見方や考え方をされる方なんですね。
【斉藤由貴】そうなんです。当時の彼女は40歳そこそこだったと思うんですが、そうした揺るぎない価値観や世界観をお持ちで。なんて素敵なんだろう、私もこんな人間になりたいと、以来ずっと憧れ続けています。
──80年代の女性アイドルの多くは結婚を機に芸能界を引退しましたが、斉藤さんはやめようと思ったことはなかったですか?
【斉藤由貴】この仕事が合ってるとか合ってない以前に、ほかに行き場が思い付かなかったんです。もともと私は子どもの頃からクラスでも浮いている存在で、周囲とうまく馴染めない自分というものをいつも感じていたんですね。だから、自分の意見や感情を発することを臆することが多かったので、表現することが純粋にすごく楽しかったんです。ずっといじめられっ子だったからこそ、自分が認めてもらえる場があることがうれしくて、どんなに忙しくても続けられたのかもしれないですね。でも本来は、アイドルという明るくきらびやか肩書きからは最も程遠いような人間なので、認めてもらえる喜びと注目されたくない思いとのせめぎ合いはずっとあったような気がします。
──そんな引っ込み思案だった女の子が、芸能界という世間の目にさらされる世界に馴染めたのはなぜだったのでしょうか。
【斉藤由貴】私にとって役を演じるという作業は、息を吸って吐くのと同じくらい生きていく上で必要なものなんです。役を演じることで、ようやくぼんやりしていた自分の輪郭がくっきりするような感覚があるんです。しばらくお芝居をしていない時期が続くと、自分の実体がなくなりそうで困るんです。だから、たぶん私は死ぬまでお芝居を続けるんだろうなと思います。数回にわたる不倫事件
にもかかわらずいまも第一線で活躍してる
そのことが奇跡でしょ
デビューのきっかけは弟が知らないうちに、コンテストに応募してただの言ってたけど、
実際のところいろんなコンテストに応募しまくってたことがばれて、恥をかいてた。
グランプリに沢口靖子さんが選ばれた時も、自身が選ばれずにすごい顔した話も有名。
清純派で売ってたくせに、何度も不倫騒動だったし。
いじめられっこ説も話半分に聞いといたほうがいい。
不倫相手をご主人がいないときに自分の家に引き込んで、男がパンツかぶって
いる写真のインパクトありすぎた。
その後はドラマなどで出演しているシーンを見ても良い気分はしない。
パンツ先生、ものすごいダメージ受けてたよ。
(近所なので知ってるし、クリニックも利用してた)
あんな画像が出回ってるのに
斉藤さん本人は何の痛痒もなく生きていられるって、
何もなかったように扱われるって、
違和感ありすぎて好きではないです。
ノープロブレム。
今も十分やんちゃですよ?
朝ドラの主役をやっていた頃、あるテレビ局でスタジオフロントのアルバイトしてました。楽屋のカギを返却するとき、他の俳優さんたちは、「ありがとう」、「お疲れさま」の一言添えてくれましたが、彼女はポンと投げ捨てて帰る、そんなじゃじゃ馬でした。彼女の後を歩くマネージャーさんがいつも「すみません」って恐縮してました。こんなに長続きする女優になるとは。いまではいい思い出です。
不倫のイメージが強すぎて今はあまり好きではないけど、同年代なのでデビュー当時から知ってるが当時は本当に可愛かった。
不倫してても対してバッシング受けなかったよなぁ。個人的には不倫は周りが過剰に叩くのはおかしいと思うけど…
やっぱ素直に認めて謝った方が後々良いのかな
叩かれたり消えたりするのが本当に嫌ならそもそも最初から芸能界になんか入らない。小学校の頃、アカデミーに入ってドラマでも子役として少し出た時期があったけど、緊張するとすぐ胃腸に来るから中学入る前にやめた。芸能界は神経が図太くてメンタルと自尊心が強くて目立ちたがり屋じゃないとやって行けないと、子供心に痛感した。
この人の神経の図太さマスメディアに対する対応日本一というか最強
この人のおかげでどれだけの人が苦労したか。魔性の女です
尾崎豊さん川崎麻世さんその他医師の方 全てこの方の魔力に惑わされました。
相手方は多くの代償を支払っているのに、この方は何故か無傷です。
すぐ復帰して何事もなかったかのように終わってしまう。
何とも言えない不思議な魔力を持っているのが斉藤由貴さんです。
あと名前は似ているのですが日ハムの斎藤佑樹投手も同じような魔力があります。
普通なら戦力外になるはずなのに、毎年のように期待をされる。
ファンが見限っても球団は永久にサポートする不思議な選手です。
ある意味二人共持っている物が違うのでしょうか。
斉藤由貴さんはドラマや歌でも活躍しているので一概には言えませんが。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e0811819142d34747204b5d0383d3cc239262cc/comments
2021年02月17日
きれいな人ねぇ。。
現在発売中の『婦人公論』2月24日号の表紙は女優の中谷美紀さんです。10代から女優として活躍するなかで、人間関係に縛られない人生を望み、実践。ヴィオラ奏者のティロ・フェヒナーさんと国際結婚したことにより、その考えが変化したと語る中谷さん。それはどんな変化だったのでしょうか――。発売中の『婦人公論』からインタビューを掲載します。(構成=篠藤ゆり)
4年ほど前から、日本とオーストリアを行き来しながら暮らしています。縁あって夫となったドイツ人ヴィオラ奏者のティロ・フェヒナーは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に所属しており、そのため私も楽団の本拠地であるウィーンか、自宅のあるザルツブルクの山中で1年の半分ほどを過ごすようになったのです。
けれど2020年は、新型コロナウイルスの感染が拡大し、欧州諸国同様、オーストリアもロックダウンを余儀なくされました。夫は予定されていたツアーが次々中止となり、失業状態。私もしばらく日本に戻れません。思いがけず、ザルツブルクの家に長期間籠もって生活することになりました。
時間はたっぷりあります。そこで、夫と二人で取り組んだのが庭造りです。家の前の傾斜地には、以前の所有者が植えた花がそのままになっており、いずれ自分たちの手で植栽し直そうと考えていたのです。
夫も私も、きれいに刈り込まれた芝生や、色とりどりの花が咲き乱れる人工的な庭はあまり好みではなく、草原のような庭に憧れていました。素人ながら、私がデザインを担い、夫が庭師となって土を掘り起こし、木の根や石を除去していきます。
作業に熱中するあまり、夫が右腕を痛めてしまうなど、アクシデントもいろいろありましたが、夢中になれる時間は貴重でしたし、自然と触れ合うことで心が満たされていくのを感じました。
もちろん、田舎暮らしには苦労もつきものです。近くには牧場があるのですが、日本の家屋のように網戸が取り付けられていないので、窓を開けると当然ハエや蚊が入ってきます。時には牛の糞から作る堆肥の香りも……。(笑)
夏の間、日々の出来事からその日食べたものなど他愛のないことまでを日記に記していました。毎日1時間ほどのつもりで書き始めるのですが、没頭してしまい、気づくと日が暮れていた、なんてことも。
楽しいことばかりでなく、不快や憤りを感じた出来事も綴りました。けれど、書くという行為を通して自分の体験を俯瞰してみると、あまりつらく感じなくなるのは不思議です。また、思考が整理されるので、自分がいかに愚かだったかにも気づかされました。(笑)
日本で暮らしていた頃は、仕事のために生きていたようなものだった──。生活を犠牲にし、大事なことを忘れていたのかもしれません。日々の営みのなかで感じたことを書き続けるうちに、そう思うようになりました。
◆人生にほとほと疲れてもいた
夫と出会ったのは2016年。おつきあいが始まってからも、結婚などは考えていませんでした。自分の人生において、結婚という選択肢がすべてだとは思っていませんでしたし、ヨーロッパでは婚姻関係を結ばずに家族として生きる人がとても多いですから。
ところが私が外国人であるがゆえに、ビザの問題などが煩雑で、結婚という形を取らないと生活に多大な不便が生じることがわかり──決してロマンチックな理由からではなく、自分たちが望む生活をするためには結婚しか方法がなかったというのが正直なところです。
それでも、結婚したことで、私の生活は大きく変わりました。もっというと、「生き方」に対する考え方の転機が訪れたのです。
それまでは、仕事のために生活を犠牲にしてきました。そうでもしないとなかなかできない職業だと思い込んでいたのです。
理想とする作品の基準に近づくために、苦しみを伴う難役を演じる際には自らの喜びを封印し、寝ずに台本を読み、食べずに撮影に集中して自分を追い込むこともありました。白洲正子さんを演じた際は、準備のために1年間お能のお稽古だけにいそしみ、他の仕事を一切しませんでした。
一方で、そんな人生にほとほと疲れてもいたのです。このまま役者を続けられるのだろうか。そんな疑問を抱いていた頃に夫と出会った。そして、人生は楽しむためにあるのだと教えてくれたのが、彼の「Life is too short(人生はあまりに短い)」という言葉でした。
夫は世界で最も多忙だと言われるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に所属してほぼ毎日演奏し、合間には自分の練習やレコーディングもしています。その一方で寸暇を惜しんでロードバイクやマウンテンバイク、登山やスキーを楽しみ、旅公演に行けば現地の美術館巡りやローカルの食事に喜びを見出してもいます。
また、仕事仲間でもある演奏家たちと、温かくていい距離感の友情も育んでいる。クオリティの高い仕事をしながらこんな生き方もできるのかと、私は驚いたものです。
◆まさか自分が結婚という形を選ぶとは
私はどちらかというと、同じ仕事の仲間と集うよりは、作品ごとに人間関係を清算するように生きてきました。一緒に作品に携わっている間は、もちろん皆さんに気持ち良く仕事をしていただきたいと思いますし、円滑なコミュニケーションが大切だと思っています。
その一方で、仕事を終えてまで過度に親密になることは控えてきました。仕事で一番いいパフォーマンスを発揮するには、あえてプライベートでは接触しないほうがいいと考えています。
移り気な性質のため、あまり親しくなりすぎると、共演した際に新鮮味を感じなくなってしまうんですね。バックグラウンドが見えすぎると、シリアスな場面でも笑ってしまって演技にならなくなりますし。
仕事を越えて通じるものがあり、わずかながら交流を続けている方もいますが、その一方で、まったく異なる立場の方と親しくなることが多いです。どなたかが書かれた物語を伝える媒介のような仕事をしており、虚構の世界にいることが常だからこそ、現実の世界で地に足をつけて生きている方との接点を失いたくないと思います。
あるいは自らの手を用いて美しいものを作り出す、器の作家さんやアーティストたちのお話に耳を傾けることが好きです。
いずれにせよ、どこかのコミュニティーに縛られることなく、お互いに自立した自由な関係を好んできました。
もちろん困った時には手を差し伸べるけれど、各々を尊重し合うからこそ、依存とは無縁の関係が育まれています。
10代の頃、確か村上龍さんの小説の登場人物がどこにも属さず誰にも縛られない生き方を旨としているのを読み、それに少々感化されたのかもしれません。
そんな私が結婚という形を選び、新たな家族を築くことになるとは、自分でもまったく予想外の展開でした。
◆個人の尊重とコミュニケーションを重んじること
オーストリアで暮らすようになって感じたのは、他人との距離感の、日本との違いです。一般的に「ヨーロッパは個人主義」というイメージがあると思います。それは事実ですが、そのうえで皆さんとてもフレンドリーにコミュニケーションを取ります。
たとえば町で偶然目が合ったら、知らない人でも「ハロー!」と挨拶するのが当たり前。スーパーで買い物をする時も、レジ係の方と一切会話をしないと、変な人だと思われてしまいます。皆さんレジ台の前で、何かしら会話するのが普通。
一方で、保守的なお国柄ゆえ人種差別や、移民や難民に対する排外主義が皆無かといえばそういうわけでもなく──いろいろ難しい問題もはらんでいますが、私の場合は外国の方と家族になったことで、文化や所属する国、言語が違うからこそ許せることがたくさんあり、かえって気が楽な面もあると気づきました。
同じ日本人同士だと、つい「言わなくてもわかってほしい」と期待したり、「わかってくれているはず」と勝手に思い込んでしまったりしがちです。きちんと言葉にしてコミュニケーションをしなければ、他人の気持ちはわからないはずなのに。
私自身、過去には人様に過剰な期待をし、それが叶えられなかったことで落胆してしまった経験もあります。その点、言語も文化も異なると、最初から「違って当然」「ときにすれ違うのも仕方がない」と思えるのです。夫とは、当初英語でコミュニケーションを取っていました。でもやはり彼の母国語で、オーストリアの公用語でもあるドイツ語を覚えなくてはいけないと思い、勉強を始めたのには、2つ理由があります。
まず、周囲の人に気を遣わせているのが心苦しくなってきたのです。私と話すために、無理して英語を使ってくださる方もいるようでした。
そして何より大きな理由が、彼の娘Jの存在です。Jは、夫が私と出会う数年前にお別れしたパートナーとの間に生まれた一人娘で、彼女に初めて会った時はまだ4歳でした。ボキャブラリーもそう多くはなく、ドイツ語の単語を羅列するとなんとかコミュニケーションを取ることができました。でも大きくなるにしたがい、彼女が私に伝えたいことを理解してあげられないせいで、もどかしい思いをさせていると感じたのです。
Jがわが家で過ごすのは、週に1回か2回。夫と私が英語で話していると彼女は疎外感を抱くようでしたから、彼女の気持ちを理解し、コミュニケーションを円滑にするためには、ドイツ語を学ばなければ始まらないと思いました。
彼女はお母さんと一緒に暮らしており、私たちが迎えに行く時もあれば、Jのお母さんやおばあさんがこちらに連れてきてくださる場合もあります。ときにはお母さんが焼いたケーキをもってきてくれたり、2つの家族が一緒に食事をすることも。Jのお母さんにも新しいパートナーがおり、お相手にはJと同い年の娘がいるそうです。
そんなふうに、別れた男女がお互いの新しいパートナーとの暮らしを尊重しながらも、協力して子育てを行うことは、ヨーロッパではごく当たり前のこと。まるで布を縫い合わせるようにつながっていく「パッチワークファミリー」は特別なものではありません。
◆家族4世代で集まって
8歳になったJが、私を理解するためにとても努力してくれていることを、ひしひしと感じています。しかし出会った当初は、齟齬がなかったといえば嘘になります。Jは私が作った料理を食べてくれないことも多々あり──すると私は、自分自身が否定されたような気がして落ち込んでいたのです。
でもそのうち、彼女は決して私を否定しているのではなく、単に好き嫌いが多いのだとわかってきました。たとえば朝の卵は、エッグスタンドに立ててスプーンで食べるのが好み。固ゆではダメで、半熟が大好き。かといって白身がゆるすぎると、食べてくれません。
日本ではそういった子どもの好みはワガママとされ、好き嫌いせず食べるよう叱るかもしれません。しかしヨーロッパでは、それを個性と捉えるようです。今では彼女の希望を聞き入れつつ、彼女が出会ったことのない料理もなんとか食べてもらえるよう工夫しています。メンチカツや春巻きを、食べず嫌いせずに平らげてくれた時は、本当に嬉しかったですね。
夫の両親はベルリンで暮らしているので、そう頻繁に会いには行けませんが、たまに訪れると心から歓迎してくれます。義父はオーケストラ所属のヴァイオリニストとして世界各国を訪れ、来日もしていますから、もともと外国人に慣れているのでしょう。異文化に対してとてもオープンなファミリーなので、恵まれているなと感じています。
義母は、家族に台所仕事を手伝ってほしいなどとは露ほども思っていないようです。私も、手伝うとかえって義母に気を遣わせると思うので、お客さんに徹しています。
夫の姉には3人の子どもと孫までいるので、4世代で集まって食事をすることも。どこにも属さない根無し草のような私にこんな日が来るなんて、想像もしていませんでした。
夫とは、1年のうち約半年間は離れて生活しています。彼も私も、それを寂しいとは思っていません。彼もアーティストとして一人の時間が必要ですし、私もそう。常に一緒にいなくても、お互いに自立したうえでよい関係を築きたいというのが、私たち2人に共通した考えです。その点で一致していなければ、たぶん結婚していなかったでしょう。
それまで私が犠牲にしてきた「生活」というものが人生に入ってきたことで、かえってオンとオフの切り替えが楽にできるようになったと思います。私は先天性臼蓋骨形成不全という股関節の問題を抱えており、痛みで歩行が困難になることも。
そのような肉体的なハンデがあるがゆえに、常に身体のメンテナンスを必要とするのですが、コロナ禍でそれもままならなくなりました。そのうえ庭仕事で無理をしたため、ついには身体が悲鳴をあげてしまい……。オーストリアの理学療法士に、身体は鍛えると同時に緩めることもとても大事だと指導されました。
体も心も緩めるときは緩めよう。そして、何でもない日常をこそ誰はばかることなく存分に楽しもう──そう思えたことで、私の人生は大きく変わったと思います。日記の中にも、こう記しています。「たかが知れた演技のために人生をなおざりにして来た愚か者だったのだ」と。(笑)
仕事場でのストイックさ、これまでの言動、佇まいに、「中谷美紀さんは完璧な女性だ」との印象を持つ人もいると思います。
撮影現場で中谷さんの姿勢に刺激を受け、カメラの外でのアドバイスに前を向けたと話していた後輩女優さんや、中谷さんが憧れだという若手女優さんの話を聞くこともありますし、取材時にも、開始前にちょっとした雑談で場を和ませてくださったり、終了後には記者をエレベーター前まで見送って挨拶されるなど、実際、ほころびを感じさせません。
結婚するしないは人それぞれですが、そんな中谷さんだからこそ、「人生は楽しむためにあるのだ」と知り、「体も心も緩めるときは緩めよう」と思えるようになった、この人生の転機はとても大きなことでしょうし、より一層美しくしなやかに歩まれていくことでしょう。今年秋公開予定の、中谷さんが史上初の女性総理を演じる、田中圭さんとのW主演映画『総理の夫』も非常に楽しみです。
中谷さんは不思議な空気を纏っている、とても素敵な女性です。品のある美しい方。
文章にも現れていますね。
いつまでも自分らしくお幸せに。
何年経っても美人のままの女性っているんだな。
デビュー時から知ってるがむしろ益々綺麗になっていく。
結婚されて幸せそう、ら
あの変な男と別れて本当によかった。
この方は世界的な奏者で一流の方。
レベルが違いますね。
幸せであってください。
うーん。
綺麗だ。
JINを久々にレンタルしたけど、
存在感とか演技力とか、レベルが違うのは、
このストイックさのおかげだったんですね。
本人がその追い込みをストレスに感じて、
もっと気楽に生きたいと感じるようになってしまったのは、
女優 中谷美紀 を期待している人からすると勿体無い気もする。
だって、中谷美紀レベルの美貌で、
中谷美紀レベルの演技が出来る人がなかなか見つからないからね・・・
とても素晴らしい記事です。
こころなしか以前より余裕の感じられる表情の写真ですね。
前はもっと険のある表情だったと思います。
どちらも美しいには違いないですが。
こんなにプライベートなことをお話しされるイメージが全くなかったのですが、お幸せそうで何よりです。
頑なでストイックなところはイメージそのままかな?でも今はより柔和になられたのですね。
中谷さんには今の環境やパートナーが合っているとの事で良かったです。日本のマスゴミに追い回されて事あるごとに過去のゴシップを蒸し返されたりする事のない、今の静かな環境の方がご自身やご家族、お仕事にも良いのでしょう。今は女優なのかタレントなのか歌手なのか線引きがない時代ですが、そんな中でも素晴らしい演技力と雰囲気、独特な空気感を待ち合わせた、稀代の女優の1人だと思います。
≫夫とは、1年のうち約半年間は離れて生活しています。彼も私も、それを寂しいとは思っていません。
このようにお互いに理解した上での夫婦生活でしたら、全く問題はないでしょう。
中谷さんが今後も益々活躍されるように、旦那さんも中谷さんと遠距離でも常にコミュニケーションをとって、中谷さんをこれまで通り元気付けて欲しいですね。
書かれているように、そうやって常に全力で取り組んで来られたから今の幸せがあるんだと思います。
生活や人間関係を犠牲にして仕事に励むことが良いか悪いかは人それぞれなので正解は分かりませんが、常に真面目に全力で仕事に打ち込んでいる人を見ると私もまだまだ努力が足りないなと我が身を振り返ります。
中谷さんの他の女優さんには無い独特の雰囲気は常に全力で努力してこられた証だと思います。
素晴らしい女優さんですね。https://news.yahoo.co.jp/articles/cb9511a5cddfa15a813773eaad1493626a9e588e/comments
4年ほど前から、日本とオーストリアを行き来しながら暮らしています。縁あって夫となったドイツ人ヴィオラ奏者のティロ・フェヒナーは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に所属しており、そのため私も楽団の本拠地であるウィーンか、自宅のあるザルツブルクの山中で1年の半分ほどを過ごすようになったのです。
けれど2020年は、新型コロナウイルスの感染が拡大し、欧州諸国同様、オーストリアもロックダウンを余儀なくされました。夫は予定されていたツアーが次々中止となり、失業状態。私もしばらく日本に戻れません。思いがけず、ザルツブルクの家に長期間籠もって生活することになりました。
時間はたっぷりあります。そこで、夫と二人で取り組んだのが庭造りです。家の前の傾斜地には、以前の所有者が植えた花がそのままになっており、いずれ自分たちの手で植栽し直そうと考えていたのです。
夫も私も、きれいに刈り込まれた芝生や、色とりどりの花が咲き乱れる人工的な庭はあまり好みではなく、草原のような庭に憧れていました。素人ながら、私がデザインを担い、夫が庭師となって土を掘り起こし、木の根や石を除去していきます。
作業に熱中するあまり、夫が右腕を痛めてしまうなど、アクシデントもいろいろありましたが、夢中になれる時間は貴重でしたし、自然と触れ合うことで心が満たされていくのを感じました。
もちろん、田舎暮らしには苦労もつきものです。近くには牧場があるのですが、日本の家屋のように網戸が取り付けられていないので、窓を開けると当然ハエや蚊が入ってきます。時には牛の糞から作る堆肥の香りも……。(笑)
夏の間、日々の出来事からその日食べたものなど他愛のないことまでを日記に記していました。毎日1時間ほどのつもりで書き始めるのですが、没頭してしまい、気づくと日が暮れていた、なんてことも。
楽しいことばかりでなく、不快や憤りを感じた出来事も綴りました。けれど、書くという行為を通して自分の体験を俯瞰してみると、あまりつらく感じなくなるのは不思議です。また、思考が整理されるので、自分がいかに愚かだったかにも気づかされました。(笑)
日本で暮らしていた頃は、仕事のために生きていたようなものだった──。生活を犠牲にし、大事なことを忘れていたのかもしれません。日々の営みのなかで感じたことを書き続けるうちに、そう思うようになりました。
◆人生にほとほと疲れてもいた
夫と出会ったのは2016年。おつきあいが始まってからも、結婚などは考えていませんでした。自分の人生において、結婚という選択肢がすべてだとは思っていませんでしたし、ヨーロッパでは婚姻関係を結ばずに家族として生きる人がとても多いですから。
ところが私が外国人であるがゆえに、ビザの問題などが煩雑で、結婚という形を取らないと生活に多大な不便が生じることがわかり──決してロマンチックな理由からではなく、自分たちが望む生活をするためには結婚しか方法がなかったというのが正直なところです。
それでも、結婚したことで、私の生活は大きく変わりました。もっというと、「生き方」に対する考え方の転機が訪れたのです。
それまでは、仕事のために生活を犠牲にしてきました。そうでもしないとなかなかできない職業だと思い込んでいたのです。
理想とする作品の基準に近づくために、苦しみを伴う難役を演じる際には自らの喜びを封印し、寝ずに台本を読み、食べずに撮影に集中して自分を追い込むこともありました。白洲正子さんを演じた際は、準備のために1年間お能のお稽古だけにいそしみ、他の仕事を一切しませんでした。
一方で、そんな人生にほとほと疲れてもいたのです。このまま役者を続けられるのだろうか。そんな疑問を抱いていた頃に夫と出会った。そして、人生は楽しむためにあるのだと教えてくれたのが、彼の「Life is too short(人生はあまりに短い)」という言葉でした。
夫は世界で最も多忙だと言われるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に所属してほぼ毎日演奏し、合間には自分の練習やレコーディングもしています。その一方で寸暇を惜しんでロードバイクやマウンテンバイク、登山やスキーを楽しみ、旅公演に行けば現地の美術館巡りやローカルの食事に喜びを見出してもいます。
また、仕事仲間でもある演奏家たちと、温かくていい距離感の友情も育んでいる。クオリティの高い仕事をしながらこんな生き方もできるのかと、私は驚いたものです。
◆まさか自分が結婚という形を選ぶとは
私はどちらかというと、同じ仕事の仲間と集うよりは、作品ごとに人間関係を清算するように生きてきました。一緒に作品に携わっている間は、もちろん皆さんに気持ち良く仕事をしていただきたいと思いますし、円滑なコミュニケーションが大切だと思っています。
その一方で、仕事を終えてまで過度に親密になることは控えてきました。仕事で一番いいパフォーマンスを発揮するには、あえてプライベートでは接触しないほうがいいと考えています。
移り気な性質のため、あまり親しくなりすぎると、共演した際に新鮮味を感じなくなってしまうんですね。バックグラウンドが見えすぎると、シリアスな場面でも笑ってしまって演技にならなくなりますし。
仕事を越えて通じるものがあり、わずかながら交流を続けている方もいますが、その一方で、まったく異なる立場の方と親しくなることが多いです。どなたかが書かれた物語を伝える媒介のような仕事をしており、虚構の世界にいることが常だからこそ、現実の世界で地に足をつけて生きている方との接点を失いたくないと思います。
あるいは自らの手を用いて美しいものを作り出す、器の作家さんやアーティストたちのお話に耳を傾けることが好きです。
いずれにせよ、どこかのコミュニティーに縛られることなく、お互いに自立した自由な関係を好んできました。
もちろん困った時には手を差し伸べるけれど、各々を尊重し合うからこそ、依存とは無縁の関係が育まれています。
10代の頃、確か村上龍さんの小説の登場人物がどこにも属さず誰にも縛られない生き方を旨としているのを読み、それに少々感化されたのかもしれません。
そんな私が結婚という形を選び、新たな家族を築くことになるとは、自分でもまったく予想外の展開でした。
◆個人の尊重とコミュニケーションを重んじること
オーストリアで暮らすようになって感じたのは、他人との距離感の、日本との違いです。一般的に「ヨーロッパは個人主義」というイメージがあると思います。それは事実ですが、そのうえで皆さんとてもフレンドリーにコミュニケーションを取ります。
たとえば町で偶然目が合ったら、知らない人でも「ハロー!」と挨拶するのが当たり前。スーパーで買い物をする時も、レジ係の方と一切会話をしないと、変な人だと思われてしまいます。皆さんレジ台の前で、何かしら会話するのが普通。
一方で、保守的なお国柄ゆえ人種差別や、移民や難民に対する排外主義が皆無かといえばそういうわけでもなく──いろいろ難しい問題もはらんでいますが、私の場合は外国の方と家族になったことで、文化や所属する国、言語が違うからこそ許せることがたくさんあり、かえって気が楽な面もあると気づきました。
同じ日本人同士だと、つい「言わなくてもわかってほしい」と期待したり、「わかってくれているはず」と勝手に思い込んでしまったりしがちです。きちんと言葉にしてコミュニケーションをしなければ、他人の気持ちはわからないはずなのに。
私自身、過去には人様に過剰な期待をし、それが叶えられなかったことで落胆してしまった経験もあります。その点、言語も文化も異なると、最初から「違って当然」「ときにすれ違うのも仕方がない」と思えるのです。夫とは、当初英語でコミュニケーションを取っていました。でもやはり彼の母国語で、オーストリアの公用語でもあるドイツ語を覚えなくてはいけないと思い、勉強を始めたのには、2つ理由があります。
まず、周囲の人に気を遣わせているのが心苦しくなってきたのです。私と話すために、無理して英語を使ってくださる方もいるようでした。
そして何より大きな理由が、彼の娘Jの存在です。Jは、夫が私と出会う数年前にお別れしたパートナーとの間に生まれた一人娘で、彼女に初めて会った時はまだ4歳でした。ボキャブラリーもそう多くはなく、ドイツ語の単語を羅列するとなんとかコミュニケーションを取ることができました。でも大きくなるにしたがい、彼女が私に伝えたいことを理解してあげられないせいで、もどかしい思いをさせていると感じたのです。
Jがわが家で過ごすのは、週に1回か2回。夫と私が英語で話していると彼女は疎外感を抱くようでしたから、彼女の気持ちを理解し、コミュニケーションを円滑にするためには、ドイツ語を学ばなければ始まらないと思いました。
彼女はお母さんと一緒に暮らしており、私たちが迎えに行く時もあれば、Jのお母さんやおばあさんがこちらに連れてきてくださる場合もあります。ときにはお母さんが焼いたケーキをもってきてくれたり、2つの家族が一緒に食事をすることも。Jのお母さんにも新しいパートナーがおり、お相手にはJと同い年の娘がいるそうです。
そんなふうに、別れた男女がお互いの新しいパートナーとの暮らしを尊重しながらも、協力して子育てを行うことは、ヨーロッパではごく当たり前のこと。まるで布を縫い合わせるようにつながっていく「パッチワークファミリー」は特別なものではありません。
◆家族4世代で集まって
8歳になったJが、私を理解するためにとても努力してくれていることを、ひしひしと感じています。しかし出会った当初は、齟齬がなかったといえば嘘になります。Jは私が作った料理を食べてくれないことも多々あり──すると私は、自分自身が否定されたような気がして落ち込んでいたのです。
でもそのうち、彼女は決して私を否定しているのではなく、単に好き嫌いが多いのだとわかってきました。たとえば朝の卵は、エッグスタンドに立ててスプーンで食べるのが好み。固ゆではダメで、半熟が大好き。かといって白身がゆるすぎると、食べてくれません。
日本ではそういった子どもの好みはワガママとされ、好き嫌いせず食べるよう叱るかもしれません。しかしヨーロッパでは、それを個性と捉えるようです。今では彼女の希望を聞き入れつつ、彼女が出会ったことのない料理もなんとか食べてもらえるよう工夫しています。メンチカツや春巻きを、食べず嫌いせずに平らげてくれた時は、本当に嬉しかったですね。
夫の両親はベルリンで暮らしているので、そう頻繁に会いには行けませんが、たまに訪れると心から歓迎してくれます。義父はオーケストラ所属のヴァイオリニストとして世界各国を訪れ、来日もしていますから、もともと外国人に慣れているのでしょう。異文化に対してとてもオープンなファミリーなので、恵まれているなと感じています。
義母は、家族に台所仕事を手伝ってほしいなどとは露ほども思っていないようです。私も、手伝うとかえって義母に気を遣わせると思うので、お客さんに徹しています。
夫の姉には3人の子どもと孫までいるので、4世代で集まって食事をすることも。どこにも属さない根無し草のような私にこんな日が来るなんて、想像もしていませんでした。
夫とは、1年のうち約半年間は離れて生活しています。彼も私も、それを寂しいとは思っていません。彼もアーティストとして一人の時間が必要ですし、私もそう。常に一緒にいなくても、お互いに自立したうえでよい関係を築きたいというのが、私たち2人に共通した考えです。その点で一致していなければ、たぶん結婚していなかったでしょう。
それまで私が犠牲にしてきた「生活」というものが人生に入ってきたことで、かえってオンとオフの切り替えが楽にできるようになったと思います。私は先天性臼蓋骨形成不全という股関節の問題を抱えており、痛みで歩行が困難になることも。
そのような肉体的なハンデがあるがゆえに、常に身体のメンテナンスを必要とするのですが、コロナ禍でそれもままならなくなりました。そのうえ庭仕事で無理をしたため、ついには身体が悲鳴をあげてしまい……。オーストリアの理学療法士に、身体は鍛えると同時に緩めることもとても大事だと指導されました。
体も心も緩めるときは緩めよう。そして、何でもない日常をこそ誰はばかることなく存分に楽しもう──そう思えたことで、私の人生は大きく変わったと思います。日記の中にも、こう記しています。「たかが知れた演技のために人生をなおざりにして来た愚か者だったのだ」と。(笑)
仕事場でのストイックさ、これまでの言動、佇まいに、「中谷美紀さんは完璧な女性だ」との印象を持つ人もいると思います。
撮影現場で中谷さんの姿勢に刺激を受け、カメラの外でのアドバイスに前を向けたと話していた後輩女優さんや、中谷さんが憧れだという若手女優さんの話を聞くこともありますし、取材時にも、開始前にちょっとした雑談で場を和ませてくださったり、終了後には記者をエレベーター前まで見送って挨拶されるなど、実際、ほころびを感じさせません。
結婚するしないは人それぞれですが、そんな中谷さんだからこそ、「人生は楽しむためにあるのだ」と知り、「体も心も緩めるときは緩めよう」と思えるようになった、この人生の転機はとても大きなことでしょうし、より一層美しくしなやかに歩まれていくことでしょう。今年秋公開予定の、中谷さんが史上初の女性総理を演じる、田中圭さんとのW主演映画『総理の夫』も非常に楽しみです。
中谷さんは不思議な空気を纏っている、とても素敵な女性です。品のある美しい方。
文章にも現れていますね。
いつまでも自分らしくお幸せに。
何年経っても美人のままの女性っているんだな。
デビュー時から知ってるがむしろ益々綺麗になっていく。
結婚されて幸せそう、ら
あの変な男と別れて本当によかった。
この方は世界的な奏者で一流の方。
レベルが違いますね。
幸せであってください。
うーん。
綺麗だ。
JINを久々にレンタルしたけど、
存在感とか演技力とか、レベルが違うのは、
このストイックさのおかげだったんですね。
本人がその追い込みをストレスに感じて、
もっと気楽に生きたいと感じるようになってしまったのは、
女優 中谷美紀 を期待している人からすると勿体無い気もする。
だって、中谷美紀レベルの美貌で、
中谷美紀レベルの演技が出来る人がなかなか見つからないからね・・・
とても素晴らしい記事です。
こころなしか以前より余裕の感じられる表情の写真ですね。
前はもっと険のある表情だったと思います。
どちらも美しいには違いないですが。
こんなにプライベートなことをお話しされるイメージが全くなかったのですが、お幸せそうで何よりです。
頑なでストイックなところはイメージそのままかな?でも今はより柔和になられたのですね。
中谷さんには今の環境やパートナーが合っているとの事で良かったです。日本のマスゴミに追い回されて事あるごとに過去のゴシップを蒸し返されたりする事のない、今の静かな環境の方がご自身やご家族、お仕事にも良いのでしょう。今は女優なのかタレントなのか歌手なのか線引きがない時代ですが、そんな中でも素晴らしい演技力と雰囲気、独特な空気感を待ち合わせた、稀代の女優の1人だと思います。
≫夫とは、1年のうち約半年間は離れて生活しています。彼も私も、それを寂しいとは思っていません。
このようにお互いに理解した上での夫婦生活でしたら、全く問題はないでしょう。
中谷さんが今後も益々活躍されるように、旦那さんも中谷さんと遠距離でも常にコミュニケーションをとって、中谷さんをこれまで通り元気付けて欲しいですね。
書かれているように、そうやって常に全力で取り組んで来られたから今の幸せがあるんだと思います。
生活や人間関係を犠牲にして仕事に励むことが良いか悪いかは人それぞれなので正解は分かりませんが、常に真面目に全力で仕事に打ち込んでいる人を見ると私もまだまだ努力が足りないなと我が身を振り返ります。
中谷さんの他の女優さんには無い独特の雰囲気は常に全力で努力してこられた証だと思います。
素晴らしい女優さんですね。https://news.yahoo.co.jp/articles/cb9511a5cddfa15a813773eaad1493626a9e588e/comments
2021年02月16日
意外と正確悪いらしいね。。。
青木さやかさんの好評連載「47歳、おんな、今日のところは『……』として」ーー。青木さんが、47歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、ギャンブル依存の頃を赤裸々に告白した「パチンコがやめられない。借金がかさんだ日々」が話題になりました。第12回は「自分を愛せないわたしは、娘を大切にするのが難しい」です。
◆冬休みっていつまでだっけ?
「冬休みって、いつまでかわかりますか?」
12月のある日、出演中の舞台、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターの楽屋で、娘の同級生のママのみほちゃんに電話した。
「始業式、知らない人いたんだ!」
「あ、みほちゃん知ってた?」
「ちょっと〜」
ママ友は笑って、冬休みがいつからいつまでで、ついでに宿題はこんな感じで、ついでにコロナ対策として学校はこうなっているから、ということまで教えてくれた。
「さすが、みほちゃん」
「はは。褒めてくれてありがとう」
「すごいねえ」
「ほとんどの人、知ってるから!」
「あ、そうでしたか」
わたしのだらしなさは、ママ友たちはわかっていて、時に注意を挟みながらも惜しみなく情報を教えてくれる。
「いま、パブリックシアターだよね?」
「すごい、わたしの仕事まで。いよいよすごいわ」
「聞いたよ!『ママ、舞台やる』って。この前バス停で会ったとき」
娘は、わたしの仕事を友だちのママに自慢するみたいだ。わたしには言わないけれど。
「バス停で会ったとき思ったけど背、伸びたよね〜」
「うん」
「もうさ、女子だね。男の子は子どもっぽいよ」
「可愛いじゃない」
「ママを守る隊だって言ってるし」
「わぁ、最高。彼女できたら大変だ」
「厳しく見るよ、私は! 彼女を!」
「わぁ、もしうちの子が彼女になったら、わたし、みほちゃんに口聞いてもらえないわ!」
そうかもよ〜なんて笑って電話を切った。
◆選んでいない人間関係
娘が幼稚園に入る時には、すでにうちは娘と2人暮らしだった。娘のパパや、パパ方の親戚、わたしの実家など、頼るところはあるが、今日明日を助けてくれるのは、やはりママ友たちだった。
たまたま同じ時期に母になり、たまたま同じ地域に住み、たまたま同じ学校で出会った。娘を中心に知り合っている人たちなので、突き詰めれば、わたしの意志ではない部分で知り合っている人たちでもある。
メディアから流れてくる「ママ友」というものは、わたしに、あまりいい印象を与えなかった。おそろしい世界が広がっているのかもしれない、と思った。
もちろん育ってきた環境も仕事も年齢も違う。わたしが選んだ友人ではない。だから、一つの問題が起きたときの捉え方や対処の仕方はそれぞれで、度肝を抜かれることもあった。わたしとは違うな、と思うこともあった。
だけど、子どもを育てていく過程で、わたしは学んだ。
「個性」「自己肯定」「共生」
幼稚園や学校で、そして娘の同級生と接することで実感した。わたし自身、みんな違ってみんないい、ということを学び、生き直しているような貴重な時間だった。
親になって気づいたことがある。自分を大切にしていないわたしには、自分の一番大切な娘を、大切にすることがとても難しいのだ。
わたしは、わたしを、いつも傷つける。
娘を愛して受け入れるには、まずは自分自身を愛して受け入れるのが先だと気づいた。そこに気づけたのは、そして、それにチャレンジしようと思えたのは、ママ友という存在が大きい。悩みを吐露する相手というよりは、同志のように、自分と子どもと心と、いろんなものと向き合っている姿をみせてくれた。
たまたま知り合ったママ友たちは、誰だって初めての経験をしている母親として、もがいて笑って泣いて立ち上がる姿をみせてくれた。3人目の子のママともなると、「猛者」のようで、腹が据わっている風格さえ漂った。まわりにさまざまな同志がいることは、勇気になった。
みんな、色々、あるわけで。多分。
多くを語ってきたわけではない。だから想像に過ぎないけど。
娘に「みんなそれぞれだからね」と伝えていきたいわたしが、誰かを否定する生き方は、もうしたくないなと思う。たとえ自分と考え方が違っても。たとえ、自分を否定されたとしても。
◆みんな違ってみんないい
「ママ、冬休みの日にちわかった?」
「みほちゃんに聞きました」
「みほちゃんは間違いないから、大丈夫だね」
この10歳は、何様なんだろう。
「ママ、今週スケートいくから」
「決定ですか?」
「決定」
「ちょっと待ってよ」
「決めてきたから、学校で」
「ちょっと待ってよ、ママ忙しいから、わからない、予定、いま」
「舞台終わったら、どっか連れてくって言ってた」
「言ってたね」
「おつかれさまでした」
「はい、ありがとうございます」
「舞台よかった!」
「嬉しい、どこが?」
「瀬戸康史くんが、かっこよすぎた!」
「そうだよね」
「スケートね」
「ママの感想は?」
「スケート行ったとき教える」
こうしてくれたら、こうしてあげる。
この良くない癖は、わたしの口癖だったかもなぁ、と反省。
「スケートいつにするかってLINEして。ママ、すぐ忘れるから」
友だちのママにLINEをしろと急かされる。
「いつもありがとうって言うんだよ、ママ」
「なに、わかってるよ」
「私たちをいつも助けてくれるんだから」
「知っていますから」
「しっかりしてね」
何様だろう。
確かにわたしに何かの情報を聞いてくるママ友は、1人もいない。
「みんな違ってみんないい」
いやいや。だらしないわたしに付き合ってくれるママ友に、足を向けて眠れません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fac321c290ae853bb0aacb6f24e25d543f284f2d?page=3
わからないけど、娘を大切にするのが難しいって感じている時点で結構大切にできているんじゃないかなぁと想像します。
よく知らないけど、大丈夫じゃないかな。
親がだらしないくらいの方が子供はしっかりするし、実際しっかりしてるし。
もうあんまり親や自分を責めなくてもいいんじゃないかなあ。
親の足りない部分を子供が
カバーしてくれる。
2人家族だからこそだね。
みんな違ってみんないい。
ほんとその通り!
そして子供はよく見てる!
青木さんの「だらしなさ」をご自身もママ友たちも理解してサポートしてくれるのですから、恵まれてると思いますよ。
子育ての悩みや大変さや楽しさを、1人で抱え込んでしまわないことが大切だと思います。
私も毒親育ちだったので反面教師にして育児しています。
親に否定された記憶ばかりで褒められた記憶がないので、自分をほんの少しも好きになれないまま育ちましたね。
だけど子どもはお腹にいた頃から自然と愛せました。自分を好きでいてくれる子どものお陰で少しずつ自信がつけれていっています。
これからも子どもへ恩返ししながら大切に育てていきます。
時々この方の記事に出会い、いつも文章の上手さに引き込まれ、不器用だけどなんか人間らしい思いに感動する。
今回も最後まで読んだらなんでかなー、泣きそうになりました。私にも子供はいるけど、きっと考え方や今までの生き方も違う。でもなんか感動する。
さやかさんは、アダルトチルドレンだったわけですよね。家庭内でお母さんに甘える事無く、自己肯定感が低く育ってしまわれた。でもご自分で自覚がお有りで、この時点で回復に向かわれお子さんに対しても、健全に接しようと努力しておられる。今の世の中、この様な親御さんは非常に多い。かくいう私もアダルトチルドレンで、臨床心理士のカウンセラーを受けました。その先生が仰るには、子どもというものは、生まれて普通に育つだけで、親孝行を完結させているそうです。子供は親の所有物では無い、
子育てとは、子供だけでは無く、親も育てていくものだとつくづく思いました。
自分でそう思ってたり
自覚があるから大丈夫だと思う。
自分はちゃんと出来てる
娘が大事で可愛くてずっと一緒!とか過剰な感じよりお互いよさそうだし
娘さんともママ友ともいい関係築けてそうだし。
周りの人がカバーしてくれるってことは
青木さんだらしない以外はちゃんとした人なんじゃないかなと
そうじゃなきゃ、面倒みようとも思わないもんね。
そのお宅のその人たちの良い関係でいいんじゃないかな。
あまりにも完璧なママよりは、ぬけているママの方がきっとみんな付き合いやすいと思いますよ。人生全般にそうですか、子育てしてる時も楽しい時も嫌になる時も誰だってあります。子供がかわいくてたまらない時も憎たらしくてたまらない時もあります。みんなそうだから。しとかりとした娘さんに育っていて素晴らしいと思います!
これ読んでて、
青木さんとわたしってにてるなって思いました。すごくよくわかるから。
でも、決定的に違ってるのは、
青木さんにはママ友がいること。
友達がいるなら大丈夫です。
私は仲良しのママ友なんていないから、
学校で何が起きてるのかも、全く知りません。
ママ友付き合いは大変なので、いないことを寂しいとは思わないけど、
学校で何かが起きてるのに知らないというのは、ちょっとマイナスかなと思います。
もちろん、重要なことは学校から連絡ありますが、そこまでじゃないけど、他のみんなは当然知ってるようなことです。
子供もにたようなタイプなので、子供からの情報も入りません。
ま、なんとかなってるからいいけど。
この文章の主旨からは外れてますね、、
◆冬休みっていつまでだっけ?
「冬休みって、いつまでかわかりますか?」
12月のある日、出演中の舞台、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターの楽屋で、娘の同級生のママのみほちゃんに電話した。
「始業式、知らない人いたんだ!」
「あ、みほちゃん知ってた?」
「ちょっと〜」
ママ友は笑って、冬休みがいつからいつまでで、ついでに宿題はこんな感じで、ついでにコロナ対策として学校はこうなっているから、ということまで教えてくれた。
「さすが、みほちゃん」
「はは。褒めてくれてありがとう」
「すごいねえ」
「ほとんどの人、知ってるから!」
「あ、そうでしたか」
わたしのだらしなさは、ママ友たちはわかっていて、時に注意を挟みながらも惜しみなく情報を教えてくれる。
「いま、パブリックシアターだよね?」
「すごい、わたしの仕事まで。いよいよすごいわ」
「聞いたよ!『ママ、舞台やる』って。この前バス停で会ったとき」
娘は、わたしの仕事を友だちのママに自慢するみたいだ。わたしには言わないけれど。
「バス停で会ったとき思ったけど背、伸びたよね〜」
「うん」
「もうさ、女子だね。男の子は子どもっぽいよ」
「可愛いじゃない」
「ママを守る隊だって言ってるし」
「わぁ、最高。彼女できたら大変だ」
「厳しく見るよ、私は! 彼女を!」
「わぁ、もしうちの子が彼女になったら、わたし、みほちゃんに口聞いてもらえないわ!」
そうかもよ〜なんて笑って電話を切った。
◆選んでいない人間関係
娘が幼稚園に入る時には、すでにうちは娘と2人暮らしだった。娘のパパや、パパ方の親戚、わたしの実家など、頼るところはあるが、今日明日を助けてくれるのは、やはりママ友たちだった。
たまたま同じ時期に母になり、たまたま同じ地域に住み、たまたま同じ学校で出会った。娘を中心に知り合っている人たちなので、突き詰めれば、わたしの意志ではない部分で知り合っている人たちでもある。
メディアから流れてくる「ママ友」というものは、わたしに、あまりいい印象を与えなかった。おそろしい世界が広がっているのかもしれない、と思った。
もちろん育ってきた環境も仕事も年齢も違う。わたしが選んだ友人ではない。だから、一つの問題が起きたときの捉え方や対処の仕方はそれぞれで、度肝を抜かれることもあった。わたしとは違うな、と思うこともあった。
だけど、子どもを育てていく過程で、わたしは学んだ。
「個性」「自己肯定」「共生」
幼稚園や学校で、そして娘の同級生と接することで実感した。わたし自身、みんな違ってみんないい、ということを学び、生き直しているような貴重な時間だった。
親になって気づいたことがある。自分を大切にしていないわたしには、自分の一番大切な娘を、大切にすることがとても難しいのだ。
わたしは、わたしを、いつも傷つける。
娘を愛して受け入れるには、まずは自分自身を愛して受け入れるのが先だと気づいた。そこに気づけたのは、そして、それにチャレンジしようと思えたのは、ママ友という存在が大きい。悩みを吐露する相手というよりは、同志のように、自分と子どもと心と、いろんなものと向き合っている姿をみせてくれた。
たまたま知り合ったママ友たちは、誰だって初めての経験をしている母親として、もがいて笑って泣いて立ち上がる姿をみせてくれた。3人目の子のママともなると、「猛者」のようで、腹が据わっている風格さえ漂った。まわりにさまざまな同志がいることは、勇気になった。
みんな、色々、あるわけで。多分。
多くを語ってきたわけではない。だから想像に過ぎないけど。
娘に「みんなそれぞれだからね」と伝えていきたいわたしが、誰かを否定する生き方は、もうしたくないなと思う。たとえ自分と考え方が違っても。たとえ、自分を否定されたとしても。
◆みんな違ってみんないい
「ママ、冬休みの日にちわかった?」
「みほちゃんに聞きました」
「みほちゃんは間違いないから、大丈夫だね」
この10歳は、何様なんだろう。
「ママ、今週スケートいくから」
「決定ですか?」
「決定」
「ちょっと待ってよ」
「決めてきたから、学校で」
「ちょっと待ってよ、ママ忙しいから、わからない、予定、いま」
「舞台終わったら、どっか連れてくって言ってた」
「言ってたね」
「おつかれさまでした」
「はい、ありがとうございます」
「舞台よかった!」
「嬉しい、どこが?」
「瀬戸康史くんが、かっこよすぎた!」
「そうだよね」
「スケートね」
「ママの感想は?」
「スケート行ったとき教える」
こうしてくれたら、こうしてあげる。
この良くない癖は、わたしの口癖だったかもなぁ、と反省。
「スケートいつにするかってLINEして。ママ、すぐ忘れるから」
友だちのママにLINEをしろと急かされる。
「いつもありがとうって言うんだよ、ママ」
「なに、わかってるよ」
「私たちをいつも助けてくれるんだから」
「知っていますから」
「しっかりしてね」
何様だろう。
確かにわたしに何かの情報を聞いてくるママ友は、1人もいない。
「みんな違ってみんないい」
いやいや。だらしないわたしに付き合ってくれるママ友に、足を向けて眠れません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fac321c290ae853bb0aacb6f24e25d543f284f2d?page=3
わからないけど、娘を大切にするのが難しいって感じている時点で結構大切にできているんじゃないかなぁと想像します。
よく知らないけど、大丈夫じゃないかな。
親がだらしないくらいの方が子供はしっかりするし、実際しっかりしてるし。
もうあんまり親や自分を責めなくてもいいんじゃないかなあ。
親の足りない部分を子供が
カバーしてくれる。
2人家族だからこそだね。
みんな違ってみんないい。
ほんとその通り!
そして子供はよく見てる!
青木さんの「だらしなさ」をご自身もママ友たちも理解してサポートしてくれるのですから、恵まれてると思いますよ。
子育ての悩みや大変さや楽しさを、1人で抱え込んでしまわないことが大切だと思います。
私も毒親育ちだったので反面教師にして育児しています。
親に否定された記憶ばかりで褒められた記憶がないので、自分をほんの少しも好きになれないまま育ちましたね。
だけど子どもはお腹にいた頃から自然と愛せました。自分を好きでいてくれる子どものお陰で少しずつ自信がつけれていっています。
これからも子どもへ恩返ししながら大切に育てていきます。
時々この方の記事に出会い、いつも文章の上手さに引き込まれ、不器用だけどなんか人間らしい思いに感動する。
今回も最後まで読んだらなんでかなー、泣きそうになりました。私にも子供はいるけど、きっと考え方や今までの生き方も違う。でもなんか感動する。
さやかさんは、アダルトチルドレンだったわけですよね。家庭内でお母さんに甘える事無く、自己肯定感が低く育ってしまわれた。でもご自分で自覚がお有りで、この時点で回復に向かわれお子さんに対しても、健全に接しようと努力しておられる。今の世の中、この様な親御さんは非常に多い。かくいう私もアダルトチルドレンで、臨床心理士のカウンセラーを受けました。その先生が仰るには、子どもというものは、生まれて普通に育つだけで、親孝行を完結させているそうです。子供は親の所有物では無い、
子育てとは、子供だけでは無く、親も育てていくものだとつくづく思いました。
自分でそう思ってたり
自覚があるから大丈夫だと思う。
自分はちゃんと出来てる
娘が大事で可愛くてずっと一緒!とか過剰な感じよりお互いよさそうだし
娘さんともママ友ともいい関係築けてそうだし。
周りの人がカバーしてくれるってことは
青木さんだらしない以外はちゃんとした人なんじゃないかなと
そうじゃなきゃ、面倒みようとも思わないもんね。
そのお宅のその人たちの良い関係でいいんじゃないかな。
あまりにも完璧なママよりは、ぬけているママの方がきっとみんな付き合いやすいと思いますよ。人生全般にそうですか、子育てしてる時も楽しい時も嫌になる時も誰だってあります。子供がかわいくてたまらない時も憎たらしくてたまらない時もあります。みんなそうだから。しとかりとした娘さんに育っていて素晴らしいと思います!
これ読んでて、
青木さんとわたしってにてるなって思いました。すごくよくわかるから。
でも、決定的に違ってるのは、
青木さんにはママ友がいること。
友達がいるなら大丈夫です。
私は仲良しのママ友なんていないから、
学校で何が起きてるのかも、全く知りません。
ママ友付き合いは大変なので、いないことを寂しいとは思わないけど、
学校で何かが起きてるのに知らないというのは、ちょっとマイナスかなと思います。
もちろん、重要なことは学校から連絡ありますが、そこまでじゃないけど、他のみんなは当然知ってるようなことです。
子供もにたようなタイプなので、子供からの情報も入りません。
ま、なんとかなってるからいいけど。
この文章の主旨からは外れてますね、、
2021年02月15日
まあ仕方ないよね・・・。銃社会だし。
アメリカで2月8日、YouTube用の動画を撮影するためにいたずらで強盗を行った男が、誤って射殺される痛ましい事件が発生した。
テネシー州ナッシュビルの公園でティモシー・ウィルクス(20歳)は、友人とともに肉屋用の包丁を手に持ち、あるグループに近づいた。すると、その輪の中にいたデヴィッド・スターンズ・ジュニア(23歳)は、冗談だと気づかずに銃を発砲。その後、ウィルクスの死亡が確認された。現地のメトロ・ナッシュビル警察に対してスターンズは、正当防衛のため、撃ったことを認めている。『WIS News 10』は動画も交えて報じている(参考:https://www.wistv.com/2021/02/08/police-man-shot-killed-after-prank-robbery-youtube-video/)。
現地の警察は捜査を続けているが、逮捕者は出ていない模様だ。事件現場となったトランポリンがあるその公園に居合わたエミリー・イェーガーさんは「当時、小さな子供連れがたくさんいました。そのアイデアは、賢明ではないです」と語る(参考:https://globalnews.ca/news/7625038/youtube-prank-video-shooting-1-dead/)。
YouTubeでは、コミュニティガイドラインで禁止事項を設けている。その中には「暴力的または危険なコンテンツ」も含まれる。いたずら強盗は、これに該当する可能性がある。その他にも「デリケートなコンテンツ」「スパムと欺瞞行為」「規制対象の商品」といったものが禁止されている。違反すると動画が削除され警告が発せられる・違反を繰り返すと、やがてチャンネル停止の処置が取られる。
このことを理解していれば、無駄な努力だと分かり、今回の奇行には及ばなかったかもしれない。結果として若者の尊い命が失われてしまった。
以前にもアメリカで同様の事件があった。TikTokのフォロワーが2500万人を超え、YouTubeのチャンネル登録者が400万人を超える双子の兄弟アラン・ストロークスとアレックス・ストロークスは2019年10月、カリフォルニア州アーバインで2件のフェイク銀行強盗を行ったと『The Hill』は伝えている(参考:https://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/news/537840-tennessee-man-wielding-knife-for-prank-robbery-youtube-video)。
二人は真っ黒な服を着てスキーマスクを被り、あたかも現金がいっぱい詰まったかのようなダッフルバッグを持って、Uberで車を拾おうとした。しかし運転手は、カージャック犯と確信して乗車を拒否し、警察に通報した。その4時間後にはカリフォルニア大学アーバイン校のキャンパスで同様のいたずらを行い、やはり通報された。
二人は2020年8月、起訴された。トッド・スピッツァー地方検事は「911番に通報があり、命を守るために急行した。そこで見つけたのは、不必要に一般市民や警察官を危険に晒すことで、インターネット上で人気を得ようとする捻くれた行為だった。これらは、いたずらではない。誰かが重傷を負ったり、殺されたりする可能性のある犯罪だ」と主張。二人には最長で禁錮4年の判決が下った。
YouTubeは、誰もが動画を楽しめるプラットフォームを提供し、人気はうなぎ登りだ。しかし、新たな社会問題の温床にもなっているようだ。
https://affilife.org/category/syosinsya-muke/kiso-chisiki/page/2/
テネシー州ナッシュビルの公園でティモシー・ウィルクス(20歳)は、友人とともに肉屋用の包丁を手に持ち、あるグループに近づいた。すると、その輪の中にいたデヴィッド・スターンズ・ジュニア(23歳)は、冗談だと気づかずに銃を発砲。その後、ウィルクスの死亡が確認された。現地のメトロ・ナッシュビル警察に対してスターンズは、正当防衛のため、撃ったことを認めている。『WIS News 10』は動画も交えて報じている(参考:https://www.wistv.com/2021/02/08/police-man-shot-killed-after-prank-robbery-youtube-video/)。
現地の警察は捜査を続けているが、逮捕者は出ていない模様だ。事件現場となったトランポリンがあるその公園に居合わたエミリー・イェーガーさんは「当時、小さな子供連れがたくさんいました。そのアイデアは、賢明ではないです」と語る(参考:https://globalnews.ca/news/7625038/youtube-prank-video-shooting-1-dead/)。
YouTubeでは、コミュニティガイドラインで禁止事項を設けている。その中には「暴力的または危険なコンテンツ」も含まれる。いたずら強盗は、これに該当する可能性がある。その他にも「デリケートなコンテンツ」「スパムと欺瞞行為」「規制対象の商品」といったものが禁止されている。違反すると動画が削除され警告が発せられる・違反を繰り返すと、やがてチャンネル停止の処置が取られる。
このことを理解していれば、無駄な努力だと分かり、今回の奇行には及ばなかったかもしれない。結果として若者の尊い命が失われてしまった。
以前にもアメリカで同様の事件があった。TikTokのフォロワーが2500万人を超え、YouTubeのチャンネル登録者が400万人を超える双子の兄弟アラン・ストロークスとアレックス・ストロークスは2019年10月、カリフォルニア州アーバインで2件のフェイク銀行強盗を行ったと『The Hill』は伝えている(参考:https://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/news/537840-tennessee-man-wielding-knife-for-prank-robbery-youtube-video)。
二人は真っ黒な服を着てスキーマスクを被り、あたかも現金がいっぱい詰まったかのようなダッフルバッグを持って、Uberで車を拾おうとした。しかし運転手は、カージャック犯と確信して乗車を拒否し、警察に通報した。その4時間後にはカリフォルニア大学アーバイン校のキャンパスで同様のいたずらを行い、やはり通報された。
二人は2020年8月、起訴された。トッド・スピッツァー地方検事は「911番に通報があり、命を守るために急行した。そこで見つけたのは、不必要に一般市民や警察官を危険に晒すことで、インターネット上で人気を得ようとする捻くれた行為だった。これらは、いたずらではない。誰かが重傷を負ったり、殺されたりする可能性のある犯罪だ」と主張。二人には最長で禁錮4年の判決が下った。
YouTubeは、誰もが動画を楽しめるプラットフォームを提供し、人気はうなぎ登りだ。しかし、新たな社会問題の温床にもなっているようだ。
https://affilife.org/category/syosinsya-muke/kiso-chisiki/page/2/
2021年02月14日
よもやよもや
映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は、2020年10月の公開から約4カ月で興行収入370億を突破した。映画のキーパーソンである炎柱・煉獄杏寿郎の名セリフ「心を燃やせ!」はSNSでもトレンド入りし、彼の生き様は多くの人を魅了した。今なお根強い人気を誇る、若き「炎柱」の生き方を改めて考えてみる。(以下の内容には、映画の内容、および既刊のコミックスのネタバレが含まれます)
漫画『鬼滅の刃』は、主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、鬼にされてしまった妹の禰豆子(ねずこ)を「人間に戻す」ために、鬼たちと戦う物語である。
しかし、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」では、後半の場面で、鬼討伐部隊「鬼殺隊」のリーダー、炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)と、「上弦の参」と呼ばれる鬼・猗窩座(あかざ)との戦闘シーンがメインで描かれている。
しかも、この映画のエンドロールに使用されているイラストは、すべて煉獄杏寿郎である。彼が愛した煉獄家の家族、いつも戦いを見届けていた杏寿郎の鎹鴉(かすがいがらす※伝令役として剣士のそばにつき従うカラス)、彼の日輪刀など、計5枚のショットがスクリーンに映し出される。驚くべきことに、その他のキャラクターは登場しない。これらをふまえると、この映画の主人公は、間違いなく煉獄杏寿郎であるといえよう。
煉獄杏寿郎の原作初登場は、6巻・第45話「鬼殺隊柱合裁判」のシーンである。杏寿郎は、炭治郎に隊律違反を指摘し、「鬼もろとも斬首する!」と一方的に断罪する。鬼殺隊を率いる産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)の命により、炭治郎たちへの処罰を思いとどまった杏寿郎であったが、炭治郎たちとの再会時には冒頭から「うまい!うまい!」と叫びながら、大量の弁当を食べ続け、周りを驚かせる。
その後も会話は続くが、杏寿郎は炭治郎の問いかけに、素早く親切に返答はするものの、その目は何を見ているのかよく分からない。答え方も極めて“せっかち”だ。驚きのあまり炭治郎は「えっ!?ちょっともう少し…」「待ってください そしてどこみてるんですか」と、思わず杏寿郎に詰め寄ってしまう。当の杏寿郎は、そんなことをまったく意に介さない。杏寿郎はいったい何を見ていたのだろうか。時折、射抜くような目で相手を見つめはするものの、彼は自分のペースで話し、戦い、いろいろなことを素早く処理していく。
物語が進むと、「鬼が出る」無限列車の中で、鬼・魘夢(えんむ)が本格的に攻撃を始める。魘夢によって乗客は強制的に眠らされてしまうが、炭治郎だけが攻撃に気づき、目覚め、単独で戦闘を開始する。しかし、「状況がわからない…」「連携がとれない」と、炭治郎は焦りに焦る。
そんな炭治郎のもとへ、目覚めたばかりの杏寿郎が近寄り、炭治郎に状況説明と、戦闘の連携方法を素早く指示して立ち去る。なんと、8両編成の列車のうち、たった1人で後方5両の乗客を守ると言い残して。そして、杏寿郎はその言葉通りに、無限列車の乗客200人の命を守り切ることに成功するのだった。
無限列車にあらわれた鬼の魘夢は、「夢を見ながら死ねるなんて幸せだよね」と言いながら、炭治郎たちに「幸福な夢」を見せて撹乱させる。「夢から目覚めたくない」と思わせることによって、戦闘意欲を削ぐためだ。
炭治郎には「母と弟妹が生きているころの夢」を見せた。善逸には「禰豆子とふたりきりで出かける夢」を、伊之助には「みんなのリーダーとして慕われる夢」を。では、杏寿郎が見た「夢」はいったいどんなものだったのか。
鬼・魘夢の血鬼術(けっきじゅつ※鬼による幻惑の術、戦闘のために使用する術)は、敵に夢を見せている間に、相手の「精神の核」破壊するというものだ。
<ねんねんころり こんころり 息も忘れて こんころり 鬼が来ようと こんころり 腹の中でも こんころり 楽しそうだね 幸せな夢を見始めたな>(魘夢/7巻・第55話「無限夢列車」)
しかし、煉獄杏寿郎は、乗客の中でただひとり「幸せな夢」を見ない。まだ眠りが浅い間に、仲間を守る短い夢を見たものの、その後、杏寿郎が見たのは、「幸せ」とはかけ離れた「現実的」な夢だった。
杏寿郎は幼少期に母親を亡くしている。「生まれついて 人よりも多くの才に恵まれた者は その力を 世のため人のために 使わねばなりません」。母親が説いてくれた「人としての強さ」は、杏寿郎に大きな影響を与えた。だが、杏寿郎は「もし母親が生きていたら」と夢想することはできない。彼にとって母親の死は厳然とした事実で、それが決してくつがえらないことを知っているからだ。では、亡き母が生きていたころの夢を見る炭治郎とは、何が違うのか。
炭治郎は、母と弟妹が殺害された時の自分の行動を悔いている。過去の出来事を、まるで昨日のことのように、毎日毎日後悔している。なぜ、自分は、あの日、ひとりだけ鬼の来ない場所にいたのだろうかと。ごめんな、ごめんな、と心の中で謝り続けている。一方で、炭治郎の「幸せな夢」の中に、父親が元気な姿で登場することはない。なぜか?炭治郎にとって、父親は「病死」という自然の摂理で亡くなっているからだ。どんな人間でも、人を「寿命」から守ることはできない。
杏寿郎の母の死因も、病によるものだった。最愛の母の、若すぎる死だが、それでも杏寿郎は「人間の生のルール」を破ろうとは思わない。それは、杏寿郎が「人間として生きること」の真理を十分に理解し、すべての「人間の生」に起こりうる不幸を、受け止める準備ができているからだ。これは彼の母親の教えでもある。
<老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ>(煉獄杏寿郎/8巻・第63話「猗窩座」)
では、杏寿郎の「父親」に関する夢はどんな夢だろうか。実は、これも「幸せな夢」ではない。父・煉獄槇寿郎(れんごく・しんじゅろう)は妻を亡くした後、酒に溺れ、鬼殺隊「炎柱」であることの誇りを見失ってしまった。杏寿郎は「自分が柱になれば、元のような父に戻ってくれるのではないか?」と淡い期待を抱いていたが、実際に杏寿郎が「炎柱」に就任した際にも、父はひどい言葉を投げつけるだけだった。
杏寿郎は「寂しさ」の中で戦っていた。母と約束した「自分の責務」を果たすために。そのため、杏寿郎は決して、うその、「幸せな夢」を見ることができなかった。
戦闘の後、そんな杏寿郎のもとに亡き母があらわれる。「立派にできましたよ。」と母は優しくほほ笑みかけた。死んだ人間との邂逅は、非現実的な夢物語だと思われることが多いが、『鬼滅の刃』においては、死んだ人間との再会はまぎれもない「現実」で、自分の務めを果たしきった杏寿郎の心を、真の意味でねぎらい癒やした。
彼は、眼前の敵を見すえ、戦況を打開する方法を模索するために「今」を見つめていた。煉獄杏寿郎の目にうつるのは、悲しくて厳しい現実世界であったが、幸せだったころの思い出は、彼の心の中に「真実」として、ずっとあり続けたのだった。
あんなに熾烈な戦いをする煉獄さんが「母上、俺はちゃんとやれただろうかやるべきこと 果たすべきことを全うできましたか?」
と亡き母親に問いかけ、「立派に出来ましたよ」という言葉を聞いて、まるで幼い子供の様な柔らかな笑顔になり、思い遺す事は無いと言う様に静かに目を閉じるシーンは今だに胸に残っています。
炭治郎が煉獄さんと絡んだのは実質列車の中と猗窩座とのバトルを見守ったところだけ。ほとんどが眠りに堕ちて、目を覚ましてからは伊之助と頸を切りに行っていたから、数時間しか一緒にいないはず。
なのにあそこまでその後の炭治郎に影響力を及ぼす煉獄さんはスゲーなと思う。
「立派にできましたよ。」
そう声をかけられた時の煉獄さんの顔が忘れられない泣
学校の友人がファンで、子供とアニメを見始めましたが1話目でやめました。その後、映画が評判となり、ニュースで小さな子もファンになっているのを知り、もう一度子供とアニメを見てみました。1話の家族の残酷シーンを乗り越えたら、後は子供も見ることができました。描写は小学生に見せるべきか悩むところではありましたが、努力すること、諦めないこと、他人のために頑張ること、家族を守ることなど考えることが多く、人気のある理由がわかりました。映画も良かったです。
コミックもいいけど、やはり迫力があるのでアニメと映画で続きを観たいです。実写化は希望なし。
やはり、最後に母親からの暖かい言葉に、子供のような笑顔になったことを考えると、この記事の推察はすごく納得してしまった。
その直前まで、自分の死は確実だと認識しながらも、自分のことよりも炭治郎たちの事を、「柱」として優しく後輩を守ろうとする。それだけ母親の教えを徹底しただけに、煉獄さんの生き様と強さに。
そして最後の幸せな笑顔に改めて本当に心打たれました。
「生まれついて 人よりも多くの才に恵まれた者は その力を 世のため人のために 使わねばなりません」
ノブリス・オブリージュ。凡人は、ついつい人より秀でていると傲慢になったり、ひけらかしてしまったり。でも真の強さは、謙虚さでありしなやかさであり、内面から溢れ出てくるものなのかなと思います。
親目線では、特に最近お金はあるけど人としての成熟度はどうかなぁと感じるYouTuberの方が、一つの成功例の様に安易に捉えられる様になっている風潮がありますが、これほど影響力のあるアニメの中で、この様な大切な教えを語ってくれることに非常に意義を感じました。
煉獄さんの父がああなった原因は、炎の呼吸を究めるうちにオリジナルである日の呼吸以外では無惨を倒せず、際限なく産み出される鬼達を潰す果てしない対症療法に過ぎない事を知って無力感に駆られた事が大きい。煉獄さんは、自分の最期を看取った日の呼吸の継承者が反発の末、父に元柱としての誇りを取り戻させる姿を天国から見ていた事だろう。鬼滅の魅力である絡み合う運命の輪の1つだね。
『精神の核』を厭夢に操られる少女に破壊されかかった瞬間に、自らの危険を察知して無意識に首を掴む反撃に出た瞬間のシーンが自分は最初に鳥肌が立ちました。
杏寿郎にとって任務と成すべき事が残されてる中で、簡単には死ねないという執念の様なものが滲み出てたと思います。
親父さんと弟と3人で素振り稽古をしているカットこそが煉獄さんの見ていた夢だと思っていたけど、この解説を読むとなるほどと思った。
記憶もあやふやになっているのでまた観に行こうかな。
徹頭徹尾、現実派なんだなぁ〜とは思った。
甘えたいって気持ちがミジンコもない。
ネタバレするが、善逸が煉獄さんを心を叩きに叩いて立ち上がった人、そんな音の人って評するが、全くもってその通りだわぁとホロリと来たのだなぁ。して、煉獄零話でもそうだった。闘い散った同僚たちに向けた言葉は死を嘆くのではなく、責を果たした結果として受け入れ自分もかくありたいとした。
煉獄さんってキャラを作った作者さん、ど偉いよ??て絶句しましたよ。
その煉獄さんが最期に母親にやれただろうか?と問い甘えたんだなぁと思ったらもう涙が止まりませんよ。立派に果たしたと優しく言ってもらえ、浮かべた満面の笑み。子どもっぽくて無邪気そのものでさ。全てに前向き全力疾走を貫いた。こんな真っ直ぐキャラもあんまりないのかなぁと思いますわ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e624d7d4dd59ce14b38f729e6666c3b927d8355a/comments
漫画『鬼滅の刃』は、主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、鬼にされてしまった妹の禰豆子(ねずこ)を「人間に戻す」ために、鬼たちと戦う物語である。
しかし、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」では、後半の場面で、鬼討伐部隊「鬼殺隊」のリーダー、炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)と、「上弦の参」と呼ばれる鬼・猗窩座(あかざ)との戦闘シーンがメインで描かれている。
しかも、この映画のエンドロールに使用されているイラストは、すべて煉獄杏寿郎である。彼が愛した煉獄家の家族、いつも戦いを見届けていた杏寿郎の鎹鴉(かすがいがらす※伝令役として剣士のそばにつき従うカラス)、彼の日輪刀など、計5枚のショットがスクリーンに映し出される。驚くべきことに、その他のキャラクターは登場しない。これらをふまえると、この映画の主人公は、間違いなく煉獄杏寿郎であるといえよう。
煉獄杏寿郎の原作初登場は、6巻・第45話「鬼殺隊柱合裁判」のシーンである。杏寿郎は、炭治郎に隊律違反を指摘し、「鬼もろとも斬首する!」と一方的に断罪する。鬼殺隊を率いる産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)の命により、炭治郎たちへの処罰を思いとどまった杏寿郎であったが、炭治郎たちとの再会時には冒頭から「うまい!うまい!」と叫びながら、大量の弁当を食べ続け、周りを驚かせる。
その後も会話は続くが、杏寿郎は炭治郎の問いかけに、素早く親切に返答はするものの、その目は何を見ているのかよく分からない。答え方も極めて“せっかち”だ。驚きのあまり炭治郎は「えっ!?ちょっともう少し…」「待ってください そしてどこみてるんですか」と、思わず杏寿郎に詰め寄ってしまう。当の杏寿郎は、そんなことをまったく意に介さない。杏寿郎はいったい何を見ていたのだろうか。時折、射抜くような目で相手を見つめはするものの、彼は自分のペースで話し、戦い、いろいろなことを素早く処理していく。
物語が進むと、「鬼が出る」無限列車の中で、鬼・魘夢(えんむ)が本格的に攻撃を始める。魘夢によって乗客は強制的に眠らされてしまうが、炭治郎だけが攻撃に気づき、目覚め、単独で戦闘を開始する。しかし、「状況がわからない…」「連携がとれない」と、炭治郎は焦りに焦る。
そんな炭治郎のもとへ、目覚めたばかりの杏寿郎が近寄り、炭治郎に状況説明と、戦闘の連携方法を素早く指示して立ち去る。なんと、8両編成の列車のうち、たった1人で後方5両の乗客を守ると言い残して。そして、杏寿郎はその言葉通りに、無限列車の乗客200人の命を守り切ることに成功するのだった。
無限列車にあらわれた鬼の魘夢は、「夢を見ながら死ねるなんて幸せだよね」と言いながら、炭治郎たちに「幸福な夢」を見せて撹乱させる。「夢から目覚めたくない」と思わせることによって、戦闘意欲を削ぐためだ。
炭治郎には「母と弟妹が生きているころの夢」を見せた。善逸には「禰豆子とふたりきりで出かける夢」を、伊之助には「みんなのリーダーとして慕われる夢」を。では、杏寿郎が見た「夢」はいったいどんなものだったのか。
鬼・魘夢の血鬼術(けっきじゅつ※鬼による幻惑の術、戦闘のために使用する術)は、敵に夢を見せている間に、相手の「精神の核」破壊するというものだ。
<ねんねんころり こんころり 息も忘れて こんころり 鬼が来ようと こんころり 腹の中でも こんころり 楽しそうだね 幸せな夢を見始めたな>(魘夢/7巻・第55話「無限夢列車」)
しかし、煉獄杏寿郎は、乗客の中でただひとり「幸せな夢」を見ない。まだ眠りが浅い間に、仲間を守る短い夢を見たものの、その後、杏寿郎が見たのは、「幸せ」とはかけ離れた「現実的」な夢だった。
杏寿郎は幼少期に母親を亡くしている。「生まれついて 人よりも多くの才に恵まれた者は その力を 世のため人のために 使わねばなりません」。母親が説いてくれた「人としての強さ」は、杏寿郎に大きな影響を与えた。だが、杏寿郎は「もし母親が生きていたら」と夢想することはできない。彼にとって母親の死は厳然とした事実で、それが決してくつがえらないことを知っているからだ。では、亡き母が生きていたころの夢を見る炭治郎とは、何が違うのか。
炭治郎は、母と弟妹が殺害された時の自分の行動を悔いている。過去の出来事を、まるで昨日のことのように、毎日毎日後悔している。なぜ、自分は、あの日、ひとりだけ鬼の来ない場所にいたのだろうかと。ごめんな、ごめんな、と心の中で謝り続けている。一方で、炭治郎の「幸せな夢」の中に、父親が元気な姿で登場することはない。なぜか?炭治郎にとって、父親は「病死」という自然の摂理で亡くなっているからだ。どんな人間でも、人を「寿命」から守ることはできない。
杏寿郎の母の死因も、病によるものだった。最愛の母の、若すぎる死だが、それでも杏寿郎は「人間の生のルール」を破ろうとは思わない。それは、杏寿郎が「人間として生きること」の真理を十分に理解し、すべての「人間の生」に起こりうる不幸を、受け止める準備ができているからだ。これは彼の母親の教えでもある。
<老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ>(煉獄杏寿郎/8巻・第63話「猗窩座」)
では、杏寿郎の「父親」に関する夢はどんな夢だろうか。実は、これも「幸せな夢」ではない。父・煉獄槇寿郎(れんごく・しんじゅろう)は妻を亡くした後、酒に溺れ、鬼殺隊「炎柱」であることの誇りを見失ってしまった。杏寿郎は「自分が柱になれば、元のような父に戻ってくれるのではないか?」と淡い期待を抱いていたが、実際に杏寿郎が「炎柱」に就任した際にも、父はひどい言葉を投げつけるだけだった。
杏寿郎は「寂しさ」の中で戦っていた。母と約束した「自分の責務」を果たすために。そのため、杏寿郎は決して、うその、「幸せな夢」を見ることができなかった。
戦闘の後、そんな杏寿郎のもとに亡き母があらわれる。「立派にできましたよ。」と母は優しくほほ笑みかけた。死んだ人間との邂逅は、非現実的な夢物語だと思われることが多いが、『鬼滅の刃』においては、死んだ人間との再会はまぎれもない「現実」で、自分の務めを果たしきった杏寿郎の心を、真の意味でねぎらい癒やした。
彼は、眼前の敵を見すえ、戦況を打開する方法を模索するために「今」を見つめていた。煉獄杏寿郎の目にうつるのは、悲しくて厳しい現実世界であったが、幸せだったころの思い出は、彼の心の中に「真実」として、ずっとあり続けたのだった。
あんなに熾烈な戦いをする煉獄さんが「母上、俺はちゃんとやれただろうかやるべきこと 果たすべきことを全うできましたか?」
と亡き母親に問いかけ、「立派に出来ましたよ」という言葉を聞いて、まるで幼い子供の様な柔らかな笑顔になり、思い遺す事は無いと言う様に静かに目を閉じるシーンは今だに胸に残っています。
炭治郎が煉獄さんと絡んだのは実質列車の中と猗窩座とのバトルを見守ったところだけ。ほとんどが眠りに堕ちて、目を覚ましてからは伊之助と頸を切りに行っていたから、数時間しか一緒にいないはず。
なのにあそこまでその後の炭治郎に影響力を及ぼす煉獄さんはスゲーなと思う。
「立派にできましたよ。」
そう声をかけられた時の煉獄さんの顔が忘れられない泣
学校の友人がファンで、子供とアニメを見始めましたが1話目でやめました。その後、映画が評判となり、ニュースで小さな子もファンになっているのを知り、もう一度子供とアニメを見てみました。1話の家族の残酷シーンを乗り越えたら、後は子供も見ることができました。描写は小学生に見せるべきか悩むところではありましたが、努力すること、諦めないこと、他人のために頑張ること、家族を守ることなど考えることが多く、人気のある理由がわかりました。映画も良かったです。
コミックもいいけど、やはり迫力があるのでアニメと映画で続きを観たいです。実写化は希望なし。
やはり、最後に母親からの暖かい言葉に、子供のような笑顔になったことを考えると、この記事の推察はすごく納得してしまった。
その直前まで、自分の死は確実だと認識しながらも、自分のことよりも炭治郎たちの事を、「柱」として優しく後輩を守ろうとする。それだけ母親の教えを徹底しただけに、煉獄さんの生き様と強さに。
そして最後の幸せな笑顔に改めて本当に心打たれました。
「生まれついて 人よりも多くの才に恵まれた者は その力を 世のため人のために 使わねばなりません」
ノブリス・オブリージュ。凡人は、ついつい人より秀でていると傲慢になったり、ひけらかしてしまったり。でも真の強さは、謙虚さでありしなやかさであり、内面から溢れ出てくるものなのかなと思います。
親目線では、特に最近お金はあるけど人としての成熟度はどうかなぁと感じるYouTuberの方が、一つの成功例の様に安易に捉えられる様になっている風潮がありますが、これほど影響力のあるアニメの中で、この様な大切な教えを語ってくれることに非常に意義を感じました。
煉獄さんの父がああなった原因は、炎の呼吸を究めるうちにオリジナルである日の呼吸以外では無惨を倒せず、際限なく産み出される鬼達を潰す果てしない対症療法に過ぎない事を知って無力感に駆られた事が大きい。煉獄さんは、自分の最期を看取った日の呼吸の継承者が反発の末、父に元柱としての誇りを取り戻させる姿を天国から見ていた事だろう。鬼滅の魅力である絡み合う運命の輪の1つだね。
『精神の核』を厭夢に操られる少女に破壊されかかった瞬間に、自らの危険を察知して無意識に首を掴む反撃に出た瞬間のシーンが自分は最初に鳥肌が立ちました。
杏寿郎にとって任務と成すべき事が残されてる中で、簡単には死ねないという執念の様なものが滲み出てたと思います。
親父さんと弟と3人で素振り稽古をしているカットこそが煉獄さんの見ていた夢だと思っていたけど、この解説を読むとなるほどと思った。
記憶もあやふやになっているのでまた観に行こうかな。
徹頭徹尾、現実派なんだなぁ〜とは思った。
甘えたいって気持ちがミジンコもない。
ネタバレするが、善逸が煉獄さんを心を叩きに叩いて立ち上がった人、そんな音の人って評するが、全くもってその通りだわぁとホロリと来たのだなぁ。して、煉獄零話でもそうだった。闘い散った同僚たちに向けた言葉は死を嘆くのではなく、責を果たした結果として受け入れ自分もかくありたいとした。
煉獄さんってキャラを作った作者さん、ど偉いよ??て絶句しましたよ。
その煉獄さんが最期に母親にやれただろうか?と問い甘えたんだなぁと思ったらもう涙が止まりませんよ。立派に果たしたと優しく言ってもらえ、浮かべた満面の笑み。子どもっぽくて無邪気そのものでさ。全てに前向き全力疾走を貫いた。こんな真っ直ぐキャラもあんまりないのかなぁと思いますわ。
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