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2021年02月14日

よもやよもや

映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は、2020年10月の公開から約4カ月で興行収入370億を突破した。映画のキーパーソンである炎柱・煉獄杏寿郎の名セリフ「心を燃やせ!」はSNSでもトレンド入りし、彼の生き様は多くの人を魅了した。今なお根強い人気を誇る、若き「炎柱」の生き方を改めて考えてみる。(以下の内容には、映画の内容、および既刊のコミックスのネタバレが含まれます)

 漫画『鬼滅の刃』は、主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、鬼にされてしまった妹の禰豆子(ねずこ)を「人間に戻す」ために、鬼たちと戦う物語である。

 しかし、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」では、後半の場面で、鬼討伐部隊「鬼殺隊」のリーダー、炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)と、「上弦の参」と呼ばれる鬼・猗窩座(あかざ)との戦闘シーンがメインで描かれている。

 しかも、この映画のエンドロールに使用されているイラストは、すべて煉獄杏寿郎である。彼が愛した煉獄家の家族、いつも戦いを見届けていた杏寿郎の鎹鴉(かすがいがらす※伝令役として剣士のそばにつき従うカラス)、彼の日輪刀など、計5枚のショットがスクリーンに映し出される。驚くべきことに、その他のキャラクターは登場しない。これらをふまえると、この映画の主人公は、間違いなく煉獄杏寿郎であるといえよう。

 煉獄杏寿郎の原作初登場は、6巻・第45話「鬼殺隊柱合裁判」のシーンである。杏寿郎は、炭治郎に隊律違反を指摘し、「鬼もろとも斬首する!」と一方的に断罪する。鬼殺隊を率いる産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)の命により、炭治郎たちへの処罰を思いとどまった杏寿郎であったが、炭治郎たちとの再会時には冒頭から「うまい!うまい!」と叫びながら、大量の弁当を食べ続け、周りを驚かせる。

 その後も会話は続くが、杏寿郎は炭治郎の問いかけに、素早く親切に返答はするものの、その目は何を見ているのかよく分からない。答え方も極めて“せっかち”だ。驚きのあまり炭治郎は「えっ!?ちょっともう少し…」「待ってください そしてどこみてるんですか」と、思わず杏寿郎に詰め寄ってしまう。当の杏寿郎は、そんなことをまったく意に介さない。杏寿郎はいったい何を見ていたのだろうか。時折、射抜くような目で相手を見つめはするものの、彼は自分のペースで話し、戦い、いろいろなことを素早く処理していく。
物語が進むと、「鬼が出る」無限列車の中で、鬼・魘夢(えんむ)が本格的に攻撃を始める。魘夢によって乗客は強制的に眠らされてしまうが、炭治郎だけが攻撃に気づき、目覚め、単独で戦闘を開始する。しかし、「状況がわからない…」「連携がとれない」と、炭治郎は焦りに焦る。

 そんな炭治郎のもとへ、目覚めたばかりの杏寿郎が近寄り、炭治郎に状況説明と、戦闘の連携方法を素早く指示して立ち去る。なんと、8両編成の列車のうち、たった1人で後方5両の乗客を守ると言い残して。そして、杏寿郎はその言葉通りに、無限列車の乗客200人の命を守り切ることに成功するのだった。

 無限列車にあらわれた鬼の魘夢は、「夢を見ながら死ねるなんて幸せだよね」と言いながら、炭治郎たちに「幸福な夢」を見せて撹乱させる。「夢から目覚めたくない」と思わせることによって、戦闘意欲を削ぐためだ。

 炭治郎には「母と弟妹が生きているころの夢」を見せた。善逸には「禰豆子とふたりきりで出かける夢」を、伊之助には「みんなのリーダーとして慕われる夢」を。では、杏寿郎が見た「夢」はいったいどんなものだったのか。

 鬼・魘夢の血鬼術(けっきじゅつ※鬼による幻惑の術、戦闘のために使用する術)は、敵に夢を見せている間に、相手の「精神の核」破壊するというものだ。

<ねんねんころり こんころり 息も忘れて こんころり 鬼が来ようと こんころり 腹の中でも こんころり 楽しそうだね 幸せな夢を見始めたな>(魘夢/7巻・第55話「無限夢列車」)

 しかし、煉獄杏寿郎は、乗客の中でただひとり「幸せな夢」を見ない。まだ眠りが浅い間に、仲間を守る短い夢を見たものの、その後、杏寿郎が見たのは、「幸せ」とはかけ離れた「現実的」な夢だった。
 

 杏寿郎は幼少期に母親を亡くしている。「生まれついて 人よりも多くの才に恵まれた者は その力を 世のため人のために 使わねばなりません」。母親が説いてくれた「人としての強さ」は、杏寿郎に大きな影響を与えた。だが、杏寿郎は「もし母親が生きていたら」と夢想することはできない。彼にとって母親の死は厳然とした事実で、それが決してくつがえらないことを知っているからだ。では、亡き母が生きていたころの夢を見る炭治郎とは、何が違うのか。
炭治郎は、母と弟妹が殺害された時の自分の行動を悔いている。過去の出来事を、まるで昨日のことのように、毎日毎日後悔している。なぜ、自分は、あの日、ひとりだけ鬼の来ない場所にいたのだろうかと。ごめんな、ごめんな、と心の中で謝り続けている。一方で、炭治郎の「幸せな夢」の中に、父親が元気な姿で登場することはない。なぜか?炭治郎にとって、父親は「病死」という自然の摂理で亡くなっているからだ。どんな人間でも、人を「寿命」から守ることはできない。

 杏寿郎の母の死因も、病によるものだった。最愛の母の、若すぎる死だが、それでも杏寿郎は「人間の生のルール」を破ろうとは思わない。それは、杏寿郎が「人間として生きること」の真理を十分に理解し、すべての「人間の生」に起こりうる不幸を、受け止める準備ができているからだ。これは彼の母親の教えでもある。

<老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ>(煉獄杏寿郎/8巻・第63話「猗窩座」)

 では、杏寿郎の「父親」に関する夢はどんな夢だろうか。実は、これも「幸せな夢」ではない。父・煉獄槇寿郎(れんごく・しんじゅろう)は妻を亡くした後、酒に溺れ、鬼殺隊「炎柱」であることの誇りを見失ってしまった。杏寿郎は「自分が柱になれば、元のような父に戻ってくれるのではないか?」と淡い期待を抱いていたが、実際に杏寿郎が「炎柱」に就任した際にも、父はひどい言葉を投げつけるだけだった。


 杏寿郎は「寂しさ」の中で戦っていた。母と約束した「自分の責務」を果たすために。そのため、杏寿郎は決して、うその、「幸せな夢」を見ることができなかった。

 戦闘の後、そんな杏寿郎のもとに亡き母があらわれる。「立派にできましたよ。」と母は優しくほほ笑みかけた。死んだ人間との邂逅は、非現実的な夢物語だと思われることが多いが、『鬼滅の刃』においては、死んだ人間との再会はまぎれもない「現実」で、自分の務めを果たしきった杏寿郎の心を、真の意味でねぎらい癒やした。

 彼は、眼前の敵を見すえ、戦況を打開する方法を模索するために「今」を見つめていた。煉獄杏寿郎の目にうつるのは、悲しくて厳しい現実世界であったが、幸せだったころの思い出は、彼の心の中に「真実」として、ずっとあり続けたのだった。
あんなに熾烈な戦いをする煉獄さんが「母上、俺はちゃんとやれただろうかやるべきこと 果たすべきことを全うできましたか?」
と亡き母親に問いかけ、「立派に出来ましたよ」という言葉を聞いて、まるで幼い子供の様な柔らかな笑顔になり、思い遺す事は無いと言う様に静かに目を閉じるシーンは今だに胸に残っています。

炭治郎が煉獄さんと絡んだのは実質列車の中と猗窩座とのバトルを見守ったところだけ。ほとんどが眠りに堕ちて、目を覚ましてからは伊之助と頸を切りに行っていたから、数時間しか一緒にいないはず。
なのにあそこまでその後の炭治郎に影響力を及ぼす煉獄さんはスゲーなと思う。

「立派にできましたよ。」
そう声をかけられた時の煉獄さんの顔が忘れられない泣

学校の友人がファンで、子供とアニメを見始めましたが1話目でやめました。その後、映画が評判となり、ニュースで小さな子もファンになっているのを知り、もう一度子供とアニメを見てみました。1話の家族の残酷シーンを乗り越えたら、後は子供も見ることができました。描写は小学生に見せるべきか悩むところではありましたが、努力すること、諦めないこと、他人のために頑張ること、家族を守ることなど考えることが多く、人気のある理由がわかりました。映画も良かったです。
コミックもいいけど、やはり迫力があるのでアニメと映画で続きを観たいです。実写化は希望なし。

やはり、最後に母親からの暖かい言葉に、子供のような笑顔になったことを考えると、この記事の推察はすごく納得してしまった。

その直前まで、自分の死は確実だと認識しながらも、自分のことよりも炭治郎たちの事を、「柱」として優しく後輩を守ろうとする。それだけ母親の教えを徹底しただけに、煉獄さんの生き様と強さに。

そして最後の幸せな笑顔に改めて本当に心打たれました。

「生まれついて 人よりも多くの才に恵まれた者は その力を 世のため人のために 使わねばなりません」

ノブリス・オブリージュ。凡人は、ついつい人より秀でていると傲慢になったり、ひけらかしてしまったり。でも真の強さは、謙虚さでありしなやかさであり、内面から溢れ出てくるものなのかなと思います。

親目線では、特に最近お金はあるけど人としての成熟度はどうかなぁと感じるYouTuberの方が、一つの成功例の様に安易に捉えられる様になっている風潮がありますが、これほど影響力のあるアニメの中で、この様な大切な教えを語ってくれることに非常に意義を感じました。

煉獄さんの父がああなった原因は、炎の呼吸を究めるうちにオリジナルである日の呼吸以外では無惨を倒せず、際限なく産み出される鬼達を潰す果てしない対症療法に過ぎない事を知って無力感に駆られた事が大きい。煉獄さんは、自分の最期を看取った日の呼吸の継承者が反発の末、父に元柱としての誇りを取り戻させる姿を天国から見ていた事だろう。鬼滅の魅力である絡み合う運命の輪の1つだね。

『精神の核』を厭夢に操られる少女に破壊されかかった瞬間に、自らの危険を察知して無意識に首を掴む反撃に出た瞬間のシーンが自分は最初に鳥肌が立ちました。
杏寿郎にとって任務と成すべき事が残されてる中で、簡単には死ねないという執念の様なものが滲み出てたと思います。

親父さんと弟と3人で素振り稽古をしているカットこそが煉獄さんの見ていた夢だと思っていたけど、この解説を読むとなるほどと思った。
記憶もあやふやになっているのでまた観に行こうかな。

徹頭徹尾、現実派なんだなぁ〜とは思った。
甘えたいって気持ちがミジンコもない。
ネタバレするが、善逸が煉獄さんを心を叩きに叩いて立ち上がった人、そんな音の人って評するが、全くもってその通りだわぁとホロリと来たのだなぁ。して、煉獄零話でもそうだった。闘い散った同僚たちに向けた言葉は死を嘆くのではなく、責を果たした結果として受け入れ自分もかくありたいとした。
煉獄さんってキャラを作った作者さん、ど偉いよ??て絶句しましたよ。
その煉獄さんが最期に母親にやれただろうか?と問い甘えたんだなぁと思ったらもう涙が止まりませんよ。立派に果たしたと優しく言ってもらえ、浮かべた満面の笑み。子どもっぽくて無邪気そのものでさ。全てに前向き全力疾走を貫いた。こんな真っ直ぐキャラもあんまりないのかなぁと思いますわ。



https://news.yahoo.co.jp/articles/e624d7d4dd59ce14b38f729e6666c3b927d8355a/comments
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