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2018年05月21日

全廃も近い東武鉄道350系電車

こんばんは。今夜は今日の鉄道ブログで更新した、東武1800系関連の記事に引き続き、東武350系に関するブログで更新いたします。



昨日でラストランを迎え、通算49年に渡って東武鉄道で運転されて来た、派手目の赤塗装の1800系が営業運転から退きました。



但し1800系から改造された350系4両編成3本合計12両は、今も特急しもつけ号と臨時列車の特急きりふり号の他に、団体列車で運転されております。



1800系から改造された350系は、日光線・鬼怒川線・野岩鉄道・会津鉄道での運転を考慮して、主電動機の比率の変更、発電ブレーキ・抑速ブレーキの追加、前面愛称表示器の自動幕取り付け、外観塗装の変更等の改造工事を行い、1991年7月にデビューいたしました。



種車となった1800系は、1813編成6両と1816編成6両の2編成ですが、1813編成は日本車両で製造され、1816編成はナニワ工機(後のアルナ工機)で、ぞれぞれ1969年9月11日に落成した編成です。当初は4両固定編成で製造された1800系も、6両化により2号車・3号車に2両分の増結編成が製造され、増結編成の中間車は何れも、アルナ工機で1979年3月30日に落成いたしました。



改造で4両化された際に、352編成だけは1979年に製造されたアルナ工機製の車両で、前述の改造の他に1号車と4号車の部分に運転台取り付け改造の、大掛かりな工事が行われた車両でございます。



外観の塗装と前面の愛称方向幕、ヘッドライトの部分の形状変更工事を除いて、赤塗装にすれば1800系とあまり変わらない姿の、350系らしい姿かと思います。



350系の車内は1800系時代とほとんど大差無く、定期特急列車のしもつけで乗車すると、何処と無く昭和時代にタイムスリップした感じの車内設備でございます。



例えばシートはリクライニングシート機能の無い、回転クロスシートでトイレは狭い和式トイレと、小さくて使い勝手の悪い手洗い装置、車内のエアコンもまた年代物の機械で、塗装も爽やかなイメージとは裏腹に、車内の陳腐化は否めない点もございます。



350系も351編成は今年4月に全般検査を受けたばかりですが、もしかしたら今回の全般検査が、最後になる可能性も高いと思います。



500系リバティが昨年デビューし従来の6050系や300系で運転されて来た、快速列車や特急列車も老朽化によって500系に置き換えられました。



300系も1800系からの改造車ですが、500系リバティのデビューにより廃車解体されましたので、350系も今後の500系増備によっては廃車になる可能性も、高くなって来ていると思います。



2020年には東京オリンピック開催で、外国人観光客も多く訪日して来ますので、東武鉄道としても製造されてから50年近く立ち、改造されてから25年以上経った350系を、何時までも運転させるとは思えませんので、今後は東武鉄道のイメージアップと効率化、合理化を兼ねて350系の500系への置き換えを、進めて行くと思います。



なお特急しもつけ号に関しては、東武宇都宮線のホーム有効長の関係で、4両が限界ですので500系リバティ3両になって1両減少する分は、新栃木まで特急リバティきぬ号等で、併結して運転されるのでは無いかと思います。



特急しもつけ号利用者や特急きりふき号利用者も、新しい500系リバティの方が、車内で電源コンセントも使用でき、トイレも多目的トイレの洋式トイレや男子トイレもございますので、最新型の車両設備を待ち望んでいると思います。



昭和の高度成長期時代に誕生した1800系の面影を残す、350系3編成の終焉は迫って来ておりますので、もし撮影や未乗車の方々は、今から実施いたします事をお薦めいたします。



※写真は東武スカイツリーラインの武里〜一ノ割を走る、臨時特急列車のきりふり号浅草行き。
350系は1800系からの改造だが、下回りや車内設備に関しては1800系時代と変わらない姿で、現在も運転されている。
今後、東武鉄道も350系の老朽化やメンテナンス部品の払底により、500系リバティへの置き換えが進められるものと思われる。



撮影日2018年5月20日(埼玉)



2018-0521-TOBU350.JPG


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posted by soloonly at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道

東武1800系ラストランを撮影いたしました

おはようございます。週明け月曜日、如何お過ごしですか。



昨日は東武スカイツリーラインの撮影地、埼玉春日部の武里〜一ノ割間にて、最初で最後の1800系電車1819編成を、沿線撮りいたしました。



1800系電車を撮影するのは、今回が初めてで私も特急りょうもう号になってからの200系電車には、かなり乗車して来ましたが1800系に関しては、日光線・鬼怒川線向けに改造された、300系や350系しか乗車した経験が無い為、乗車できないまま終了してしまったのは、残念に思います。



東武1800系に乗車する機会が無かったのは、最盛期に運転されていた時代は、学生時代の頃で有り金銭面の問題や、都内に在住している場所も、全く離れていて乗車する機会が無かったのも理由の1つです。



今でこそ鉄道で移動する場合に、同じ路線・区間を2度乗車する往復での移動は、ほぼ無くなり本格的な社会人になった1991年頃には、200系電車での運転ばかりで1800系に乗車できる機会は無いまま、昨日のラストランまで過ごしてしまいました。



1800系1819系の臨時列車や団体列車として乗車する機会も無いまま、せめて走行シーンの撮影だけでもしたいと思い、昨日は東武スカイツリーライン沿線の撮影地を探しましたが、東武スカイツリーラインの始発駅浅草は、三社祭開催中である事や、隣駅の東京スカイツリーも観光客で混雑と、1800系を満足に撮影できる場所があまり無い為、電車で移動しながらロケーションいたしました。



やはり都内の東武スカイツリーラインの主な撮影地は、沿線での撮り鉄が多く高いフェンスも張られた場所も有り、脚立必須で無ければ撮影できない場所ばかりでしたので、やむ負えず埼玉方面へ足を伸ばしました。



そして高架化区間の駅撮り勢が駅端で、多く撮影している中、私は埼玉春日部のベッドタウン、武里〜一ノ割間で撮影する事に決め、その時に沿線の線路際から撮影した写真が、下記の写真でございます。



住宅地の中の沿線撮りとなってしまいましたが、その他にこの区間で撮影されている撮り鉄も皆無でしたので、最初で最後の1800系を撮影する事ができました。



真っ赤な塗装で派手目の1800系は、この現代の時代からすると、100系スペーシア・200系りょうもう・500系リバティに比べ、昭和時代の派手目のファッションに身を包んだ、モデルの様な感じに見えました。



当鉄道ブログで初めて取り上げた、東武1800系も1819編成の引退で、真っ赤な派手目な塗装も沿線から見られなくなるのは、一抹の寂しさを感じます。



ただ1819編成も1987年12月に、兵庫尼崎に有ったアルナ工機で製造され、東海道本線〜武蔵野線〜東北本線(現 宇都宮線)を経由して、EF65PFに牽引された甲種回送のシーンを、当時の鉄道雑誌で閲覧いたしましたが、あれからもう30年以上も経ったのかと思うと、時の流れを早く感じしてしまいます。



ただ急行りょうもうから特急りょうもうでの活躍は短く、特急りょうもうが全て200系に置き換えられてからは、出番はあまり無かったのも残念な結果となりました。



東武鉄道の1800系の処遇が今後、どの様に対応して行くのか気になりますが、再改造をしてスカイツリートレインの様な車両に生まれ変わるのか、或いは群馬館林の廃車解体場へ向け、そのまま全編成を解体するのかが、気になる処でございます。



今後の1819編成の処遇がどうなるのか、見守りたいと思います。



※写真は東武スカイツリーラインの武里〜一ノ割間を走る、1800系ラストラン団体列車。
最終運転日の5月20日は、天気にも恵まれ晴れ模様の空の元、1800系のラストランに相応しい運転日となった。
なお運転区間は南栗橋(回送)東武動物公園〜伊勢崎〜浅草(回送)南栗橋で走りました。



撮影日2018年5月20日




2018-0521-TOBU1800.JPG



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posted by soloonly at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道
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