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2017年12月09日
まだ残っていた!北王子線の廃線跡
こんばんは。週末土曜日の夜、如何お過ごしでしょうか。
今日は午後からSNS・ブログ用の撮影の為、東京北区の王子周辺で撮影いたしました。王子から赤羽へウォーキングしながら移動いたしましたが、その時に通った踏切跡の左右に線路が敷かれており、気になったので調べてみたら、今から3年前の2014年7月1日に廃止された、JR貨物の北王子線の廃線跡でした。
北王子線は東京北区の、田端信号場駅〜北王子駅を結んだ、全長4.0kmの貨物線です。最近まで残っていた東京城北地区の貨物線ですので、読者の方々でさよなら貨物列車の写真を撮影された方々も、いらっしゃると思われます。ラストはDE10型ディーゼル機関車が、コンテナ貨物列車のコキを牽引し、ヘッドマークを掲げさようなら列車も運転されましたね。もし気になる方がいらっしゃいましたら、北王子線さようなら貨物列車で検索してみてください。
北王子線は1927年12月20日に開業し、前述の廃止日までの約86年間に渡り、貨物線として営業して来ました。晩年は宮城の石巻と北王子を結んだ、日本製紙のコンテナ貨車が運転されておりました。
その日本製紙も輸入パルプに押されたり、環境問題や不景気等で専用の貨物列車を運転するよりも、トラックで輸送した方がコスト的に安く、2014年3月14日の日本製紙専用線貨物取扱終了に伴い、貨物列車の発着が終了いたしました。
北王子駅の駅舎は現在解体され、マンションが跡地に建設されている処ですが、少子高齢化時代にマンションを建設しても、余剰になるのでは無いかと懸念しております。
北王子線の線路は王子駅の通過線や、東北・上越・北陸新幹線の高架下は、まだ線路状態も悪く無い様なので、入れ替えの機関車や保守用の車両が、走りそうな感じですが新幹線の高架下を抜けると、一気に廃線跡のイメージとなり、カルチャーショックが否めなくなります。
もし北王子線の貨物線が貨物列車が廃止され、線路と北王子駅の駅舎が残っていたならば、他の企業がその跡地を抑えて、製紙から物流倉庫用の雑貨輸送のコンテナ貨物列車でも、走らせていたのでしょうかね。まあ北王子線の他に付随する貨物線も有った様ですが、高度成長期時代の大幅な伸びで公害問題も深刻化した、1970年代になると都市部の工場の閉鎖や、海外への移転や価格の安さ等で移転し、その跡地に大規模なURの団地が建設される様になりましたからね。
それに伴って北王子線の貨物線も、日本製紙が1970年代に工場の移転が始まっていたならば、北王子線も早めに廃線になっていた可能性も高いですね。幸い21世紀に2014年7月1日までは残っておりましたので、都内の貨物専用線の鉄道マニアや鉄道オタクにとっては、1日数本だけ運転される北王子線の貨物列車を撮影するのは楽しみで、DE10がコンテナ貨車を牽引し通過する際は、かなりエキサイティングされたのでは無いかと思います。
私は残念ながら北王子線の貨物列車を撮影する機会が無く、その勇姿を収める事はできませんでしたが、京浜東北線の車内から時々、北王子線を運転するDE10牽引のコンテナ貨物列車を、何度か見たのは良き思い出です。
※写真は東京北区の北王子駅方から撮影した北王子線の廃線跡。踏切の場所は線路も舗装され、この路線が既に廃線になったのを窺い知る事ができる。後方には都内有数のマンションが立ち並ぶ。
冬季の東京のノスタルジーを感じさせるシーンだ。
撮影日2017年12月9日
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今日は午後からSNS・ブログ用の撮影の為、東京北区の王子周辺で撮影いたしました。王子から赤羽へウォーキングしながら移動いたしましたが、その時に通った踏切跡の左右に線路が敷かれており、気になったので調べてみたら、今から3年前の2014年7月1日に廃止された、JR貨物の北王子線の廃線跡でした。
北王子線は東京北区の、田端信号場駅〜北王子駅を結んだ、全長4.0kmの貨物線です。最近まで残っていた東京城北地区の貨物線ですので、読者の方々でさよなら貨物列車の写真を撮影された方々も、いらっしゃると思われます。ラストはDE10型ディーゼル機関車が、コンテナ貨物列車のコキを牽引し、ヘッドマークを掲げさようなら列車も運転されましたね。もし気になる方がいらっしゃいましたら、北王子線さようなら貨物列車で検索してみてください。
北王子線は1927年12月20日に開業し、前述の廃止日までの約86年間に渡り、貨物線として営業して来ました。晩年は宮城の石巻と北王子を結んだ、日本製紙のコンテナ貨車が運転されておりました。
その日本製紙も輸入パルプに押されたり、環境問題や不景気等で専用の貨物列車を運転するよりも、トラックで輸送した方がコスト的に安く、2014年3月14日の日本製紙専用線貨物取扱終了に伴い、貨物列車の発着が終了いたしました。
北王子駅の駅舎は現在解体され、マンションが跡地に建設されている処ですが、少子高齢化時代にマンションを建設しても、余剰になるのでは無いかと懸念しております。
北王子線の線路は王子駅の通過線や、東北・上越・北陸新幹線の高架下は、まだ線路状態も悪く無い様なので、入れ替えの機関車や保守用の車両が、走りそうな感じですが新幹線の高架下を抜けると、一気に廃線跡のイメージとなり、カルチャーショックが否めなくなります。
もし北王子線の貨物線が貨物列車が廃止され、線路と北王子駅の駅舎が残っていたならば、他の企業がその跡地を抑えて、製紙から物流倉庫用の雑貨輸送のコンテナ貨物列車でも、走らせていたのでしょうかね。まあ北王子線の他に付随する貨物線も有った様ですが、高度成長期時代の大幅な伸びで公害問題も深刻化した、1970年代になると都市部の工場の閉鎖や、海外への移転や価格の安さ等で移転し、その跡地に大規模なURの団地が建設される様になりましたからね。
それに伴って北王子線の貨物線も、日本製紙が1970年代に工場の移転が始まっていたならば、北王子線も早めに廃線になっていた可能性も高いですね。幸い21世紀に2014年7月1日までは残っておりましたので、都内の貨物専用線の鉄道マニアや鉄道オタクにとっては、1日数本だけ運転される北王子線の貨物列車を撮影するのは楽しみで、DE10がコンテナ貨車を牽引し通過する際は、かなりエキサイティングされたのでは無いかと思います。
私は残念ながら北王子線の貨物列車を撮影する機会が無く、その勇姿を収める事はできませんでしたが、京浜東北線の車内から時々、北王子線を運転するDE10牽引のコンテナ貨物列車を、何度か見たのは良き思い出です。
※写真は東京北区の北王子駅方から撮影した北王子線の廃線跡。踏切の場所は線路も舗装され、この路線が既に廃線になったのを窺い知る事ができる。後方には都内有数のマンションが立ち並ぶ。
冬季の東京のノスタルジーを感じさせるシーンだ。
撮影日2017年12月9日
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鉄道ファンには人気だったが現場では嫌われた小田急9000形電車
おはようございます。週末土曜日如何お過ごしでしょうか。
昨日は元プロ野球選手の野村克也さんの奥さんの、野村沙知代さんが、85歳でお亡くなりになられたニュースを聞き、女優の浅香光代さんとの論争を、思い出した方も多かったのでは無いでしょうか。心からお悔やみ申し上げます。
さて最近、鉄道ブログの更新ペースが1日1回になってしまい、申し訳ございません。今週は多忙な日が続き、最低1回の更新になってしまいましたが、来週から2回更新をして行きたいと思っております。
今日の鉄道ブログは、1972年から1977年に掛けて、90両が製造された小田急9000形電車の写真を、公開いたします。
小田急9000形電車は小田急電鉄の一般通勤型電車で唯一、ローレル賞を受賞した車両で1973年にデザイン性や、営団地下鉄(現 東京メトロ)千代田線との乗り入れを考慮し、従来に無い性能を有した車両と言う事で、鉄道友の会から受賞されました。
千代田線との乗り入れを前提に、設計された車両の為、他の小田急一般通勤車とは異なり、かなりの重装備になった9000形電車は、メンテナンスを受け持つ現場や乗務員から不評を得ておりました。当時としての技術的な要素は未だ、試作段階だったのも重装備になった一因でしたので、運転履歴としては他の通勤車と異なり寿命も短かったのは、残念でならない点だと思います。
しかしながら小田急を愛する鉄道ファンにとっては、前面デザインの面を含めて従来の小田急一般通勤車に比べ、好評を得ていた様でしたのでその辺りは9000形も、恵まれた点だったのでは無いかと思います。
千代田線への乗り入れは1991年3月で終了し、それ以降は千代田線乗り入れ車両として、1000形電車が運行に就き9000形電車は小田急線の地上運用のみとなりました。ただ加速性能が優れていた点も有り、普通列車の運用に就く機会が多かったですが、それでも急行・準急運用にも定期的に入っておりましたので、9000形の急行が新宿から小田原・箱根湯本・藤沢・片瀬江ノ島又はその逆の運用を含めて、乗り得な面も有ったと思います。
9000形電車は2005年から2006年に掛けて、次世代の新型車両に置き換えられ、2006年3月にさようなら運転を実施した後は、9001の先頭車を除いて廃車解体されました。
小田急の一般通勤車も将来的にはステンレス製に統一して、コスト低減と効率化の計画は進行しております。以前、当鉄道ブログで8000形電車に関する記事も書き込みいたしましたが、唯一の鋼鉄車体の一般通勤車も、引退は刻々と迫っております。
9000形電車は小田急のコスト低減と効率化で、犠牲になった面も否めませんが最盛期の頃の9000形は、小田急線全線と千代田線運用で、輝いていた車両だったと思います。
※写真は小田急小田原線の栢山〜開成間を走る、小田急9000形電車の新宿行き。新宿〜小田原間の普通列車もこの頃は今に比べ、かなり多い本数で有った。
撮影日1999年7月撮影
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昨日は元プロ野球選手の野村克也さんの奥さんの、野村沙知代さんが、85歳でお亡くなりになられたニュースを聞き、女優の浅香光代さんとの論争を、思い出した方も多かったのでは無いでしょうか。心からお悔やみ申し上げます。
さて最近、鉄道ブログの更新ペースが1日1回になってしまい、申し訳ございません。今週は多忙な日が続き、最低1回の更新になってしまいましたが、来週から2回更新をして行きたいと思っております。
今日の鉄道ブログは、1972年から1977年に掛けて、90両が製造された小田急9000形電車の写真を、公開いたします。
小田急9000形電車は小田急電鉄の一般通勤型電車で唯一、ローレル賞を受賞した車両で1973年にデザイン性や、営団地下鉄(現 東京メトロ)千代田線との乗り入れを考慮し、従来に無い性能を有した車両と言う事で、鉄道友の会から受賞されました。
千代田線との乗り入れを前提に、設計された車両の為、他の小田急一般通勤車とは異なり、かなりの重装備になった9000形電車は、メンテナンスを受け持つ現場や乗務員から不評を得ておりました。当時としての技術的な要素は未だ、試作段階だったのも重装備になった一因でしたので、運転履歴としては他の通勤車と異なり寿命も短かったのは、残念でならない点だと思います。
しかしながら小田急を愛する鉄道ファンにとっては、前面デザインの面を含めて従来の小田急一般通勤車に比べ、好評を得ていた様でしたのでその辺りは9000形も、恵まれた点だったのでは無いかと思います。
千代田線への乗り入れは1991年3月で終了し、それ以降は千代田線乗り入れ車両として、1000形電車が運行に就き9000形電車は小田急線の地上運用のみとなりました。ただ加速性能が優れていた点も有り、普通列車の運用に就く機会が多かったですが、それでも急行・準急運用にも定期的に入っておりましたので、9000形の急行が新宿から小田原・箱根湯本・藤沢・片瀬江ノ島又はその逆の運用を含めて、乗り得な面も有ったと思います。
9000形電車は2005年から2006年に掛けて、次世代の新型車両に置き換えられ、2006年3月にさようなら運転を実施した後は、9001の先頭車を除いて廃車解体されました。
小田急の一般通勤車も将来的にはステンレス製に統一して、コスト低減と効率化の計画は進行しております。以前、当鉄道ブログで8000形電車に関する記事も書き込みいたしましたが、唯一の鋼鉄車体の一般通勤車も、引退は刻々と迫っております。
9000形電車は小田急のコスト低減と効率化で、犠牲になった面も否めませんが最盛期の頃の9000形は、小田急線全線と千代田線運用で、輝いていた車両だったと思います。
※写真は小田急小田原線の栢山〜開成間を走る、小田急9000形電車の新宿行き。新宿〜小田原間の普通列車もこの頃は今に比べ、かなり多い本数で有った。
撮影日1999年7月撮影
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