2018年11月25日
そのとき、ぼくは、10才で
ずいぶんと昔の話になりますが、それでも「ついこのまえ」のように思い出すことができます。
塾に通い始めたときのこと。
そのとき、ぼくは、10才で。
小学校4年生。
塾は、歩いて10分くらいの距離にある、個人経営でした。
いま思い返せば、それが始まりだったんだろうなと感じています。
個人経営の塾では、学校の教科書に添った学習が行われていました。
「いま、授業でやってるところ、どのあたり?」
が、常に意識されていたように思います。
まさに「寄り添ってくれている」という感じがしていました。
通っている子供たちは、同じ小学校の学区内。学習内容が、ほぼ一致。せいぜい、クラスごとの微妙な「進み具合と内容の濃さ」の違いがある程度です。
小学校では、毎日のようにテストが行われていたわけではありません。たまにです。たまに。で、テストの結果で一喜一憂している感じ。
塾では、毎回必ずテストをします。というより問題の反復練習といった感じです。反復なので、人それぞれにペースが違います。その子のペースで、じっくり解いていいし、わからなければわかるように先生が説明してくれます。先生と、小学生。個人対個人です。
どんどん解ける子供は、何度も反復しているので、スピードが早くなっていて、さらに先へと進むこともあります。学校の授業で習う範囲内です。
学校でのテストは、基本的に一回です。マルバツがつけられて答案用紙が返されて、せいぜい「正解の再確認」が行われるかどうかです。おなし゛内容のテストを、もう一度お行うことはありませんでした。
塾では、「同じテスト」を何度も解きます。学校では不可能な「やり直し」が一日のうちに何度も行えるので、最初は「0点」でも帰宅するときは「100点」になっているのがフツウの状態です。むしろ、その日にわからないことこそが、「徹底的に学んで理解すべき項目」として先生も子供も共有できる状態になっていきます。
テストの点数が「うわ。最悪」のまま帰ることがありません。少なくとも、「半分は正解」など、たいてい「学校のテスト、クラスの平均点」を上回る得点で家に帰ります。
学校では「ののしられたり、笑われたりする点数」「大人に怒られるレベル」でも、塾に行って帰るときには「問題ない点数」になっています。
だからといって、学校での成績が飛躍的に向上するわけではありませんでしたが、「わからないことを、わからないまま」にしなくなっています。
学校では、わからなかったこと。
テストで間違えたこと。
同じ問題を解いて、「また間違えて」「でも、わかるようになって」「何回か繰り返して」「仮に間違えても、間違えた理由が自分でわかるようになり」「すんなり正解を導き出せる」と、いうようにループしていきます。
生徒それぞれのペースで、「自分」をわかって、高めていく感覚でした。
同じテストは学校では行われませんので、私たちの成績は「最初の点数」で記録されるだけです。
テストの後、わかったかどうか、わからないままなのか、学校では「誰もわからない」状態だったりします。
塾に通うことで、「今の自分がわかること」「やっぱりわからないこと」が、はっきりするようになりました。
塾に通い始めて一年近くのとき、私の母は「ぜんぜん学校の成績あがんないね」と言いました。私の父は「そうみたいだな。塾、変えるか」と答えました。結果として、小学校4年生の 2月ごろに、「もうあの塾に行かなくていいよ。やめるって伝えてきたから」と母に言い渡されることになります。そして「今度はね、商店街にある別の塾に行くのよ」と。
私は思うのですよ。最初の塾での学習効果は、たしかに小学校では「目に見える」ことがありませんでした。しかし、その後の私の「学習態度」を決定づけたものだったのではないか、と。
「商店街にある別の塾」は、予備校でした。中学受験を目指す子供たちが通う「進学塾」だったのです。
母は「すごく評判が良いんだから。今度こそ間違いないわ」と、とても興奮気味で上機嫌でした。
父は「まあ中学を受けろって話じゃないからな、気楽に頑張ってみろ」と、とても優しく寛大でした。
ぼくは、母の「上機嫌さ」と、父の「寛大さ」が嬉しかったので、反論などは一切していなかったと思います。
心の中では、『でも、いったい、今までの塾の、なにがいけなかったんだろう?』と疑問です。とても大きな疑問です。なぜなら、私は「学校の授業内容は、塾に通うことで、ほぼ完全にマスターできている」と実感していたからです。
小学校4年生で、3学期で、春休み前。
学校から渡された成績通知表は、とてもかんばしくない数字が並んでいて、かんたんに言うと「クラスでもびりに近いほう」とイメージさせる成績が記載されていました。
でも私の実感は、「この一年間の勉強内容は、かんぺきだぜ」というものでした。
この一年間で勉強してきたこと。それは「かんぺきだよ」と、両親に話したことがあります。すると、
「だったらなんでテストで悪い点取るんだ。あ? わからないから点数が悪い。かんぺきなわけないだろ」と、父は笑いました。機嫌良さげな笑いです。
ちなみに、父は私がテストの結果かが悪いからといって怒鳴ることのない人でした。ときどき親戚の集まりなどで言っていたのが「まあバカな子ほど可愛いって言うしな。続けていれば、いつか成績が上がることもあるだろうさ」というもの。
しかし、母は「なにが、かんぺきだって? ふざけんじゃないわよ。あんたが、いっつも、みっともない点数ばっかり取って来るから、お母さんが笑われちゃうの。恥ずかしいったら、ありゃしない」と、声を荒げていました。
そのとき、ぼくは、10才で。これから、どんなふうになっていくのかなんて、想像できなくて。
両親の顔色をうかがいながら、いつもビクビクしていたように思います。優しくても、厳しくても、親の態度と言葉は絶対だったからです。それは、うちだけではなかったかもしれませんが、ただもう親の反応をチラリとうかがって、
『今日は上機嫌だ』
『今夜は怒鳴られる』
『怒られると思ったけど、怒られずに済んだ』
『ほめられると思ったのに、否定された』
というように続いていきます。
基本的に、父と母が私を「ほめる」ことは、ありませんでした。
「できなくても、怒らない」のが父。
「できないのは、おかしい」と疑うのが母。
できるようになったよ、と私が言うと「そんなはずない。できるわけない。テスト見せてごらん。ほら!」と、母はキリキリとイライラするようになっていきました。
商店街の塾は、中学受験のための予備校で、ある程度の成績が優秀な子供たちが通っている進学塾でした。
「4月から 5年生になる」私は、「出遅れてるんだよ」と、とある講師に一喝されます。
「だいたいなあ。いま、いつだと思ってんだ。ああん? なめてんのかよ、てめえら。
最初に言っとく。中学受験は、5年生からじゃ遅い。
うえの教室のやつらはな、みんな 4年生のときから頑張ってんだよ。
てめえらが遊んでいたこの一年間ずっと勉強頑張ってたやつらなんだよ。
それがなんだ、てめえらは。ああん? なめていのんのかよ。とくにほれ、そこの、おまえ!」
私は怒鳴り散らす元気のいい講師の話を聞きながら、少しムッとしていたのを今でも覚えています。
春期講習の初日、最初の授業、最初の講師。あいさつです。
『中学受験するわけじゃないし。この一年間ここじゃないだけで、ちゃんと勉強してきたし』
と思っていたのも事実です。
見透かされたように「そこの、おまえ!」と指さされたときは仰天です。『え、なにごと?』と。
「おいそこの、おまえ。なにしらばっくれた顔してんだよ。 ああん?おまえだよ、おまえ」
返事などできません。すると、
「名乗ってみろ」といわれたので、
「ナナセジローです」
「ほう」と講師は声のトーンを少し低くして「それではジローくん? 先生に教えてくださ〜い。きみわぁ、どこを目指しているのかな?」
どこを目指しているのか。今なら『志望校はどこ?』という意味だとわかりますが、そのとき、ぼくは、わけがわからなくて絶句。答えられないまま、チクタクな感じで時が過ぎます。すごい静寂。
「ん。 聞こえませんでしたか〜ジローくん? ど・こ・を? 目指しているのかな」
「え」ぼくは答えます「どこ」しどろもどろに「と、言うと?」質問の意味がわからないのです「どこでしょう。か?」
「おう! それはすごいですねえ」と講師は両手を広げて大声で「ああん? きみ、天才だ!」と。
天才? ぼく、ほめられたのか。と、なぜか嬉しくなってしまった瞬間。
「質問に応えることもできないなんて、みたことのない天才!
いやあ先生ね、いままでたくさんの生徒を見てきたけれど。
ここに来て、どこを目指しているのかって訊いて、
ドコデスカッて聞き返されたの初めてだわな。だわさ。
なんだいこれ。
ねえ、なにこれ。
ちょっと、ちょっと、そこのきみ、これどういうことなのわかる?」
講師は最前列の女の子に話しかけました。「え。どうって」と女の子の声が小さく聞こえました。
「ねえ。そうだよね。どうって、え? どうって、なに。だよね?
ここ、どこだかわかってる?
ひょっとしてジローくん迷子。
ちゃんと看板見ましたかぁ! 中学受験予備校。なの。
書いてありますよねえ、外。入り口にも」
「はい」ぼくは答えます。
「じゃあ、どこを受けたいのかってことでしょうに。
ひっょとして恥ずかしい? 言うのが。
それとも緊張してる?」
「いえ」
「まあさ。
志望校どこですかって訊かれて、
はい、どこどこですって、
すんなり答えられるほどには、自信がないってことだよな。
違う?
それでいい。それでいいのよ。それくらいの謙虚さって大事だから。
ジローくんは、天才!
天才なのを、ひけらかしたりしない、実に実に、おくゆかしい優等生だ。ね?
だから最初に言っとくよ、ちゃんと言いなさい、言えるようになりなさい、
ぼくは私は、どこどこに行きたい受かりたい通いたいって、きっぱりと!
そういう強さ、これから大事。ほんとうに大事。
謙虚さも大事、それは別のことに使おう。
中学受験に関しては、強気で行きなさい。
自分の希望を語る。志望校を宣言する。で、がんばる。
ね? がんばりましょう。
努力ですよ」
「はい」
「はいしか言えねえのな、おまえ」
「え」
「志望校だよ」
「あの」 実を言うと、学校の名前とか。ぜんぜん知りませんでした。
「じゃあさ、なんで来たの。ここに。どうして。教えて。親御さんは、なんて言ってましたか?」
「あ。はい。教え方がうまいと評判で成績あがる子が多いと」
「教え方がうまい。確かに。そりゃっ、そうだ。ここに来る先生たちは、みんな一生懸命。
みんなが志望校に受かるように、日々いつもがんばってます。当然」
「はい」
「
塾に通い始めたときのこと。
そのとき、ぼくは、10才で。
小学校4年生。
塾は、歩いて10分くらいの距離にある、個人経営でした。
いま思い返せば、それが始まりだったんだろうなと感じています。
個人経営の塾では、学校の教科書に添った学習が行われていました。
「いま、授業でやってるところ、どのあたり?」
が、常に意識されていたように思います。
まさに「寄り添ってくれている」という感じがしていました。
通っている子供たちは、同じ小学校の学区内。学習内容が、ほぼ一致。せいぜい、クラスごとの微妙な「進み具合と内容の濃さ」の違いがある程度です。
小学校では、毎日のようにテストが行われていたわけではありません。たまにです。たまに。で、テストの結果で一喜一憂している感じ。
塾では、毎回必ずテストをします。というより問題の反復練習といった感じです。反復なので、人それぞれにペースが違います。その子のペースで、じっくり解いていいし、わからなければわかるように先生が説明してくれます。先生と、小学生。個人対個人です。
どんどん解ける子供は、何度も反復しているので、スピードが早くなっていて、さらに先へと進むこともあります。学校の授業で習う範囲内です。
学校でのテストは、基本的に一回です。マルバツがつけられて答案用紙が返されて、せいぜい「正解の再確認」が行われるかどうかです。おなし゛内容のテストを、もう一度お行うことはありませんでした。
塾では、「同じテスト」を何度も解きます。学校では不可能な「やり直し」が一日のうちに何度も行えるので、最初は「0点」でも帰宅するときは「100点」になっているのがフツウの状態です。むしろ、その日にわからないことこそが、「徹底的に学んで理解すべき項目」として先生も子供も共有できる状態になっていきます。
テストの点数が「うわ。最悪」のまま帰ることがありません。少なくとも、「半分は正解」など、たいてい「学校のテスト、クラスの平均点」を上回る得点で家に帰ります。
学校では「ののしられたり、笑われたりする点数」「大人に怒られるレベル」でも、塾に行って帰るときには「問題ない点数」になっています。
だからといって、学校での成績が飛躍的に向上するわけではありませんでしたが、「わからないことを、わからないまま」にしなくなっています。
学校では、わからなかったこと。
テストで間違えたこと。
同じ問題を解いて、「また間違えて」「でも、わかるようになって」「何回か繰り返して」「仮に間違えても、間違えた理由が自分でわかるようになり」「すんなり正解を導き出せる」と、いうようにループしていきます。
生徒それぞれのペースで、「自分」をわかって、高めていく感覚でした。
同じテストは学校では行われませんので、私たちの成績は「最初の点数」で記録されるだけです。
テストの後、わかったかどうか、わからないままなのか、学校では「誰もわからない」状態だったりします。
塾に通うことで、「今の自分がわかること」「やっぱりわからないこと」が、はっきりするようになりました。
塾に通い始めて一年近くのとき、私の母は「ぜんぜん学校の成績あがんないね」と言いました。私の父は「そうみたいだな。塾、変えるか」と答えました。結果として、小学校4年生の 2月ごろに、「もうあの塾に行かなくていいよ。やめるって伝えてきたから」と母に言い渡されることになります。そして「今度はね、商店街にある別の塾に行くのよ」と。
私は思うのですよ。最初の塾での学習効果は、たしかに小学校では「目に見える」ことがありませんでした。しかし、その後の私の「学習態度」を決定づけたものだったのではないか、と。
「商店街にある別の塾」は、予備校でした。中学受験を目指す子供たちが通う「進学塾」だったのです。
母は「すごく評判が良いんだから。今度こそ間違いないわ」と、とても興奮気味で上機嫌でした。
父は「まあ中学を受けろって話じゃないからな、気楽に頑張ってみろ」と、とても優しく寛大でした。
ぼくは、母の「上機嫌さ」と、父の「寛大さ」が嬉しかったので、反論などは一切していなかったと思います。
心の中では、『でも、いったい、今までの塾の、なにがいけなかったんだろう?』と疑問です。とても大きな疑問です。なぜなら、私は「学校の授業内容は、塾に通うことで、ほぼ完全にマスターできている」と実感していたからです。
小学校4年生で、3学期で、春休み前。
学校から渡された成績通知表は、とてもかんばしくない数字が並んでいて、かんたんに言うと「クラスでもびりに近いほう」とイメージさせる成績が記載されていました。
でも私の実感は、「この一年間の勉強内容は、かんぺきだぜ」というものでした。
この一年間で勉強してきたこと。それは「かんぺきだよ」と、両親に話したことがあります。すると、
「だったらなんでテストで悪い点取るんだ。あ? わからないから点数が悪い。かんぺきなわけないだろ」と、父は笑いました。機嫌良さげな笑いです。
ちなみに、父は私がテストの結果かが悪いからといって怒鳴ることのない人でした。ときどき親戚の集まりなどで言っていたのが「まあバカな子ほど可愛いって言うしな。続けていれば、いつか成績が上がることもあるだろうさ」というもの。
しかし、母は「なにが、かんぺきだって? ふざけんじゃないわよ。あんたが、いっつも、みっともない点数ばっかり取って来るから、お母さんが笑われちゃうの。恥ずかしいったら、ありゃしない」と、声を荒げていました。
そのとき、ぼくは、10才で。これから、どんなふうになっていくのかなんて、想像できなくて。
両親の顔色をうかがいながら、いつもビクビクしていたように思います。優しくても、厳しくても、親の態度と言葉は絶対だったからです。それは、うちだけではなかったかもしれませんが、ただもう親の反応をチラリとうかがって、
『今日は上機嫌だ』
『今夜は怒鳴られる』
『怒られると思ったけど、怒られずに済んだ』
『ほめられると思ったのに、否定された』
というように続いていきます。
基本的に、父と母が私を「ほめる」ことは、ありませんでした。
「できなくても、怒らない」のが父。
「できないのは、おかしい」と疑うのが母。
できるようになったよ、と私が言うと「そんなはずない。できるわけない。テスト見せてごらん。ほら!」と、母はキリキリとイライラするようになっていきました。
商店街の塾は、中学受験のための予備校で、ある程度の成績が優秀な子供たちが通っている進学塾でした。
「4月から 5年生になる」私は、「出遅れてるんだよ」と、とある講師に一喝されます。
「だいたいなあ。いま、いつだと思ってんだ。ああん? なめてんのかよ、てめえら。
最初に言っとく。中学受験は、5年生からじゃ遅い。
うえの教室のやつらはな、みんな 4年生のときから頑張ってんだよ。
てめえらが遊んでいたこの一年間ずっと勉強頑張ってたやつらなんだよ。
それがなんだ、てめえらは。ああん? なめていのんのかよ。とくにほれ、そこの、おまえ!」
私は怒鳴り散らす元気のいい講師の話を聞きながら、少しムッとしていたのを今でも覚えています。
春期講習の初日、最初の授業、最初の講師。あいさつです。
『中学受験するわけじゃないし。この一年間ここじゃないだけで、ちゃんと勉強してきたし』
と思っていたのも事実です。
見透かされたように「そこの、おまえ!」と指さされたときは仰天です。『え、なにごと?』と。
「おいそこの、おまえ。なにしらばっくれた顔してんだよ。 ああん?おまえだよ、おまえ」
返事などできません。すると、
「名乗ってみろ」といわれたので、
「ナナセジローです」
「ほう」と講師は声のトーンを少し低くして「それではジローくん? 先生に教えてくださ〜い。きみわぁ、どこを目指しているのかな?」
どこを目指しているのか。今なら『志望校はどこ?』という意味だとわかりますが、そのとき、ぼくは、わけがわからなくて絶句。答えられないまま、チクタクな感じで時が過ぎます。すごい静寂。
「ん。 聞こえませんでしたか〜ジローくん? ど・こ・を? 目指しているのかな」
「え」ぼくは答えます「どこ」しどろもどろに「と、言うと?」質問の意味がわからないのです「どこでしょう。か?」
「おう! それはすごいですねえ」と講師は両手を広げて大声で「ああん? きみ、天才だ!」と。
天才? ぼく、ほめられたのか。と、なぜか嬉しくなってしまった瞬間。
「質問に応えることもできないなんて、みたことのない天才!
いやあ先生ね、いままでたくさんの生徒を見てきたけれど。
ここに来て、どこを目指しているのかって訊いて、
ドコデスカッて聞き返されたの初めてだわな。だわさ。
なんだいこれ。
ねえ、なにこれ。
ちょっと、ちょっと、そこのきみ、これどういうことなのわかる?」
講師は最前列の女の子に話しかけました。「え。どうって」と女の子の声が小さく聞こえました。
「ねえ。そうだよね。どうって、え? どうって、なに。だよね?
ここ、どこだかわかってる?
ひょっとしてジローくん迷子。
ちゃんと看板見ましたかぁ! 中学受験予備校。なの。
書いてありますよねえ、外。入り口にも」
「はい」ぼくは答えます。
「じゃあ、どこを受けたいのかってことでしょうに。
ひっょとして恥ずかしい? 言うのが。
それとも緊張してる?」
「いえ」
「まあさ。
志望校どこですかって訊かれて、
はい、どこどこですって、
すんなり答えられるほどには、自信がないってことだよな。
違う?
それでいい。それでいいのよ。それくらいの謙虚さって大事だから。
ジローくんは、天才!
天才なのを、ひけらかしたりしない、実に実に、おくゆかしい優等生だ。ね?
だから最初に言っとくよ、ちゃんと言いなさい、言えるようになりなさい、
ぼくは私は、どこどこに行きたい受かりたい通いたいって、きっぱりと!
そういう強さ、これから大事。ほんとうに大事。
謙虚さも大事、それは別のことに使おう。
中学受験に関しては、強気で行きなさい。
自分の希望を語る。志望校を宣言する。で、がんばる。
ね? がんばりましょう。
努力ですよ」
「はい」
「はいしか言えねえのな、おまえ」
「え」
「志望校だよ」
「あの」 実を言うと、学校の名前とか。ぜんぜん知りませんでした。
「じゃあさ、なんで来たの。ここに。どうして。教えて。親御さんは、なんて言ってましたか?」
「あ。はい。教え方がうまいと評判で成績あがる子が多いと」
「教え方がうまい。確かに。そりゃっ、そうだ。ここに来る先生たちは、みんな一生懸命。
みんなが志望校に受かるように、日々いつもがんばってます。当然」
「はい」
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