2018年08月12日
いつ夏休みの宿題をやるかの問題
さっさと仕上げてしまえば良いのですが、
そうなってしまうと「そもそも夏休みの宿題って何?」という問題になります。
さっさと「やっつけ仕事」のように、こなす。
そうすれば、あとは自由に使える時間が。
「やっつけ仕事」の時点で、そこに意味は、ないも同然。
まあ誰かの意図が残り続けますが、
そこまでする?
そうまでする?
そもそも「夏休みの宿題」って、ないほうが良いですよね?
と言いたくなるのは、
いまだに「夏休みの宿題」に対して違和感と反感を持っているからなのでしょうか。
大人になったら、いろいろ自由に使える時間が増えます。
子供の頃は制限だらけです。
「やること」は子供の頃のほうが圧倒的に多かったです。
ただし、
大人になってみて、
「今の大人の私」が「子供のときの宿題」を仕上げてしまうのは、
造作もないことかもしれません。が、退屈でしょう。
もっとも、
「大人の自由研究」は、楽しくやれそうな気がします。
子供のときの「夏休みの自由研究」に、
自由があるかどうかは、保護者次第です。
認める親、認めない親。
「自由研究」だけれど「自由に研究してはいけないよ」という、
そういう方針の家庭も、あるには、ありますから。
もう遠い昔、
と言うほどでもないでしょうけれど、
「もう夏休みの宿題、しなくていいんだ」
という立場になっています。
でも、
ふとしたとき、
『うわ。やっべ。やってない宿題あった』
と目覚めます。
たいてい夏の、暑くて寝苦しい夜明け前です。
午前3時を過ぎて、まもなくの頃。
もう一度、寝るか。
このまま起きよっか。
夢の中から「夏休みの宿題」の残像がリアルに迫ってきます。
すぐ消えます。
いやな余韻。
もう一度、寝たい。寝て変な夢を見るのも、いや。じゃあ、
と、
起き上がって、
パソコンをつけて、
畑仕事に出かける前の、わずかな時間を、
「投資」に向けて使います。
タグ:夏休みの宿題
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