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2021年04月25日
イジメを撃退する念彼観音力 C 千億仏
通常の解釈
弘誓の深き事、海のごとし。 劫を歴とも思議せじ。
多千億の仏につかえて、大清浄の願を発せり。
観世音菩薩の広く生きとし生けるものを救おうと願ってたてた誓いは、海のように深く、
永遠の時を費やしても、その深く大きなところを思議することは出来ません。
観世音菩薩は幾千億の仏につかえて、大清浄の願をおこしたのです。
参考文献のリンク
イジメられっこのあなたへ
三回目の今回も、まだ序説のところで、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の活躍に至っていません。
そろそろイライラして来た頃かとは思いますがもう1日くらい我慢して下さい。
前回、イジメはあくまでもあなたとあなたをイジメる首謀者の問題であるが、その周りにいる黒塗りの背景について説明しました。
ここで重要なのは、このイジメの主犯ではなく、その他大勢の人々です。
@イジメの主犯に近い友人、或はその取り巻き。
A傍観者。所謂ギャラリー。ボールが池に落ちて溺れていても助けてはいけない人々。
B学校の先生、或はそれに相当する存在 (試合に乱入しない。審判としては優秀な人間)
Cあなたが、相談すればどう転ぶか分からない親、妻、ETC
D大体、通常なら関わる術もない、警察などの公務員。
ここでもうひとつEを忘れていました。Eはマスコミです。
それは、あなたが通常視聴者として関わるマスコミであります。あの、愛とか、元気をもらいました、とか言っている綺麗ごとの多いマスコミです。
これもまた、あなたを孤独に追い詰める大きな要素となります。
しかし、これについては、「見なきゃいいんです」でどうでしょうか?SNSとかマスコミとか、そういうのは見るのを辞めましょう。今は非常時だ。人の幸せを見ている時ではない。
学校におけるイジメは、イジメっ子の前述のような理由
@こいつになら何をしても大丈夫
Aこいつなら、イジメれば多分面白い。
B或は、こいつを懲らしめるという視聴者が納得する尤もな動機まである。
がほとんどだと思います。しかし、社会人はややこしい。
社会人がその人にイジメを受けた場合
@あなたをただただ嫌い、あなたみたいな人にイジメられたなど代理報復の可能性
A或はただ、あなたが仕事でミスが多くて使えない
Bほんのちょっとした誤解、行き違い。
という理由がある一方
Cあなたのためを思い、厳しくして育てようとしている。
という紛らわしい理由があります。ただ、これなら、自分をイジメる対象は一人だけであり見分けはつくと思います。
あなたがイジメに悩んでいるのは、それがために一人で悩み孤独になり、今までのように普通に生活が出来ないからに他なりません。あなたをイジメようとしている人間がいる一方で慰めてくれる人がいたり、あなたの肩を持ってくれる人がいれば、逆に言えばそれはあなたの人生は最高に幸せということになります。
しかし得てして彼らは、物言わぬ黒塗りの背景で、あなたがどれだけ苦しんでも関わろうとしません。
さて、この段の偈を見てください。
「観世音菩薩の広く生きとし生けるものを救おうと願ってたてた誓い」
これを大いなる慈悲心と言います。
あなたがイジメられている時、
「ねえ、○○君、可哀想だからやめなよう」
と言ってくれる人はいますか。それであればその人は観世音菩薩です。慈悲の心を持っているからです。しかし、イジメられている人の中には、こんな情けをかけられるのは恥ずかしい、迷惑だと考える人がいます。もしそうだとしたら、それは改めるべきです。もうさんざんイジメられ、
泣けばみっともない
逆切れすれば、いよいよイジメっ子の油に火を注ぎ、
学校に行かなければ、親や先生が理解の無いことを言ってあなたを傷つけ、
笑えば、気が狂ったと言われ、
話し合いで解決しようとすれば、あなたは平常な精神状態でないので、自分に不利な証言をして、ますますイジメっ子の侵略の動機を強固なものにします。
黙っていれば、生意気だと言われ云々。
その中で、慈悲の心をもったクラスメイトなり同僚がいるのであれば、それは観世音菩薩なのですがるべきなのです。しかし、どうもそんな人はいないような気がします。特にこの現代においては。
少なくとも40年前にはいませんでした。あの郵政民営化の前に居なかったのですから。
次回はまだ序章の段階で、観世音菩薩は登場しません。
しかし、今日を明日をと悩み、苦しんでいるイジメられっこのためにこの言葉を唱えるようにお願い致します。
「南無観世音菩薩」(なむかんぜおんぼさつ)
この観世音菩薩の称名を、苦しい時に唱えてください。人に聞かれたくなければ心の中で唱えてください。
何度も、何度も唱えてください。
あなたをイジメる相手を見ながら唱えてください。
あなたの声を観世音菩薩が聞き、必ずあなたを救ってくれるのです。
ヒーローの名前を呼べば、助けに来てくれる漫画が多いですね?
あの原型は、観世音菩薩なのです。
ただ、あのように派手に表れないことを覚えておいてください。それが仏教のご利益です。
日本も長いこと、仏教に救われてきたのです。それは、ああ後であれは観世音菩薩のお蔭か?という形で認識されるものなのです。
それが、仏教の観世音菩薩です。
皆、あまりにも仏教信仰をお葬式くらいの関りですましているので、この観世音菩薩の大いなる慈悲の心と救済を忘れているのです。私もその一人でした。かつて仏教を軽視した後の日本の受けた仏罰は、今日まで続いているのです。
さあさあ
明日、会社に、学校に行くときは、この言葉を思い出してください。
南無観世音菩薩
南無観世音菩薩
南無観世音菩薩
いじめられっ子的な解釈
観世音菩薩の広く生きとし生けるものを救おうと願ってたてた誓いは、海のように広く、深く、
世界の片隅にいて思い悩むあなたもまた、その救いを受けることができるのです。
観世音菩薩は、幾千億の仏様に仕えたため、苦しみを救う方法も多彩です。
あなたのクラスメイトや、同僚の中に、観世音菩薩がいることもまた、ありうることなのです。
またあなたをイジメている人に観世音菩薩が宿ることもまたありうることなのです。
人を見なさい。自分をイジメる人も、それを見ているだけの人も。そして心の中で念彼観音力を信じるのです。
合掌
2021年04月24日
イジメを撃退する念彼観音力 B 観音行
通常の解釈
妙相を具足したまえる尊、偈をもって無尽意に答えたまわく。
「汝観音の行を聴け。善く諸々の方所に応ずる。」
高く旗を掲げる者である世尊(お釈迦様)はこのように語りました。
「よく聞きなさい。あなたは観世音菩薩の行が、多くの所に応じて為されたことを告げます。」
イジメられっこのあなたへ
ここもまだ、序文のところなので、深い内容はありませんので、一体今あなたや、私が遭っているイジメという行為そのものを考えてみます。
あなたについて言えば、何も考えず、普通に学校なり会社なりにいって過ごしていて、ある日突然イジメにあったとします。
イジメをする側にして見れば、何の理由もなくイジメるわけがないのです。またイジメのプロなどいないと思うので、あなたをイジメる強い動機がある筈です。何らかの事件をきっかけにしているのなら、当然それはその因果でイジメられるわけですが、大概のいじめられっ子は「何でこういう事をされるのか分からない」と思っていじめられているのではないでしょうか?或は、因果が分かっていても「何でそこまでされるのかわからない」となります。
こいつをイジメるという明確な動機を得るために、イジメっこはあなたを観察(リサーチ)する筈です。そして
@こいつになら何をしても大丈夫
Aこいつなら、イジメれば多分面白い。
B或は、こいつを懲らしめるという視聴者が納得する尤もな動機まである。
という結論からあなたをイジメ始めるわけです。
ここで重要なのは、このイジメの主犯ではなく、その他大勢の人々です。
@イジメの主犯に近い友人、或はその取り巻き。
A傍観者。所謂ギャラリー。ボールが池に落ちて溺れていても助けてはいけない人々。
B学校の先生、或はそれに相当する存在 (試合に乱入しない。審判としては優秀な人間)
Cあなたが、相談すればどう転ぶか分からない親、妻、ETC
D大体、通常なら関わる術もない、警察などの公務員。
これらは、イジメられているあなたにとって、イジメの首謀者は実は一人で、その人とあなたの問題にも関わらず、上記@-Cまでは誰一人として、あなたの味方をする可能性は低く、あなたがどこまでも孤独でいじめられっ子であるための黒塗りの背景です。
勿論、あなたが相談できる人間が仮にいたとしましょう。でもその人は、いじめっ子も認識していて、すでに調査済みで、あなたをイジメても何をしても大丈夫と言う調査が終わっている相手なので、話をしてもせいぜい、愚痴を聞いてくれる存在でしかありません。
また、これらの人々は、日本の社会の中で平等な関係という幻想を共有していますので、こうなると、あなたにはドラえもんもいないし、魔太郎もいないし、エコエコアザラクもないという事になります。(ちょっと年代が古いですが。)
あなたは、誰も助ける人のいない、そして無知で低能で、汚くて、臭いいじめられっ子です。
いじめっ子があなたをこう定義したからには、これを徹底的に周りの烏合の衆に植え付けます。
学校の先生など惚けて「最近お前様子おかしいな?どうかしたのか?」と真顔で聞いてきます。
この絶望的な世界は、いじめっ子が意図的に作ったもので、あなたはそれにまんまと閉じ込められている状態です。
学校では絶対に習わないので、私も苦労しましたが、こういう時のために神様、仏様がいるのです。
そして仏教は大いなる大慈悲の心を大切にし、その中でも菩薩、特に観世音菩薩はどんな状況にあっても、観世音菩薩の名前を呼べば、姿は見えませんが、あなたを、救済するということです。
人間同士でどうしようもない問題、そのために宗教があり、インドで起こった仏教が今日までこうして信仰されてきた理由です。(この辺は次回にまた説明します。)
知っているのと知らないのでは大違い、ということです。
今回はひとまず、ここまでにしましょう。
いじめられっ子的な解釈
無尽意よ、さあ私が今から観音行を詩で説明するからな。よーく聞くんだよ。あの観世音菩薩がどんな活躍をしているか、聞けば驚くに違いない。
合掌
2021年04月23日
イジメを撃退する念彼観音力 A 世尊
通常の解釈
世尊は妙相具わりたまえり。我今重ねて彼を問いたてまつる。
荘厳なお姿の釈迦如来様、重ねて、また私はあの人のことをお聞きします。仏子、何の因縁があって
観世音と言う名で呼ぶのですか?
イジメられっこのあなたへ
まず、ここでは、いじめっ子でもいじめられっ子でも、(未成年がこのページを見れることを祈ります。)
いじめられっ大人でも、恥じることはありません。仏様の前で、観音様の前では皆平等な仏子です。
そうして、イジメられていることは、ただ苦しいのです。苦しいので仏様にすがります。まず、ここを抑えましょう。
ですから、これから先、私が「イジメられっこ」とあなたを呼んでも怒らないでください。私は今、世界最悪のイジメられ親父なのです。あんなにひどいイジメを受けている奴の話を聞いてやるか?くらいでお願いします。
このあなたの気持ちをケアするような生ぬるい文章は、今後度々挟みますが、これが本題ではありません。
いじめられっ子的な解釈
まず、ここの「世尊」から数編(一遍を5文字かける4行と考えてください)はいじめられっ子的解釈は出来ないのですが、まずは世尊=ブッダ、お釈迦様、釈迦如来が現れ、そこに、無尽意というやや、しつこい周りの空気を読まない感じの、しかし熱心な菩薩、(ボサツとは、これから悟りを得て如来になる前の段階の仏様です。)が、観世音菩薩のことに興味を持ち、熱心に色々と聞いているのです。
この流れで、この観世音菩薩普門品偈が登場し、ここから偈(げ)という歌と言うか、詩と言うかそれが始まるのです。
この部分は、実は聞いたことがあるかもしれませんが、妙法蓮華経というお経の25番目のところで、観世音菩薩(観音様と言った方が、聞いたことがあるのでは?観自在菩薩とも言います)について語っている部分で、これを独立して観音経と読んでいます。その中の偈の部分をこれから、読んでいきます。
ここで彼とは常に観世音菩薩のこととなります。
「偉大なるお釈迦様、お願いします。彼は、観世音菩薩は、一体何故、観世音菩薩と呼ぶのですか〜?」
次回、お釈迦様が回答します。今回はここまで
合掌
2021年04月22日
イジメを撃退する念彼観音力 @ はじめの一歩
毎日、家に引きこもり、真言を唱え、やや活性した脳で色々と考えてみました。
30年の間、司法による判決も知らぬまま、国家規模でのイジメに遭い、社会から疎外され、人格を徹底的に貶められ、熟年いじめられっ子となり、明るい未来の無い刹那、この私に何が出来るか?
それは、イジメによって、毎日苦痛の日々を誰にも相談できず、一人で悶々と苦しむ衆生の救済を祈ることです。
イジメられている子供に、「毎日学校に行け」と言うのは、「毎日地獄に行け」と言っているに等しく、
「もっと明るく生きろ」と言うのは、「頭に火を灯しても、明るくしろ」と言っているのに等しい。
イジメをした人は、さっさとそれを卒業し、何食わぬ顔して社会にを悠々と歩いていくのでしょう。しかしいじめられた人は、その時点で時間が止まり、何も乗り越えることが出来ず、ただただ、自己の劣性を洗い清めることも出来ずに人生を過ごさなくてはなりません。傷だらけの心を丸出しに、生きているのです。
或は、その過去を押し隠して生きる人もいるでしょう?
誰の名前を呼んでも助けてくれません。自分を愛する筈の両親も、学校の先生も、助けを求めても微妙にその焦点を外し、(そのつもりがなくても、皆、ことを荒立てたくないのです。)本人が死を選ぶまで何も気が付きません。そうして、イジメにより死を選ぶ子供は年間300人もいるのです。映画やドラマは、愛や熱愛を叫ぶ前に、慈悲の心こそ叫ぶべきなのです。
昔、学校でお葬式ごっこをされて自殺した子供がいました。
慈悲の心がないだけでなく、神仏も恐れぬことを学校の先生が主導でやっていたのです。
一方で正義のお葬式ごっこをして富と名声を得る者もいます。
宗教軽視、仏教軽視ここに極まれりです。
私は、今まで人にひどいこともしました。動物にひどいこともしました。そしてその因果でイジメに今回あいました。人がどれだけの悪魔になることが出来るのかよくわかりました。そして、それを救うことが出来るのは、宗教であり、仏教の大いなる慈悲心であることを悟りました。
イジメは仏教の十善戒から考えれば、
人の未来と幸せを奪う、偸盗
その人が死ねばそれが自殺であっても殺生
いじめる過程で、妄語、綺語、悪口、両舌を駆使し、
それを快楽と感じ、何度でもイジメれば、それは慳貪の罪です。
そして、そのことでどのような因果の結果が起こるかを信じぬ邪見の持ち主であるから、
自殺するまでその人をイジメてしまうのです。
もうひとつ無関心という罪もあるかもしれませんが、それは仏教では何か答えを持っているのでしょう。
悪魔になったものも、悪魔に虐げられたものも、仏様の前では平等に救済されるのです。悪魔になってその時は涼しい顔をしていても、いつかその因果が帰ってきます。
長くなりましたが、この新しい投稿では、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈を一節ずつ、紹介し、学研の「法華経大全」を参考にしながら意味を理解し、それを現代のイジメにあてはめなおし、今日、今正にイジメを受けている人に「念彼観音力」(ねんぴーかんのんりき)を思い出してもらい、その状況から釈念得解脱してもらおうという企画です。
普門品偈は本当に不思議なお経です。どんなにひどい状況にあっても、観音様を拝むことで救われるというお経です。大乗仏教のスーパースターは観音経にも般若心経にも登場し、小乗仏教の国でも崇拝されています。
どうか次回からよろしくお願いいたします。
合掌