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2017年11月17日
ひたすら音楽へ真っ直ぐに、高みを目指して…[ VI's Live in SHIBUYA CYCLONE ]
Twitterで知り合ったバンドVI(ヴァイ)さんのLiveに、先日行って参りましたー♪ヽ(´▽`)/
VIさんはラウド系のバンドで、活動拠点は東京、渋谷なのかな☆
メンバー構成:
Kさん(Bass)
葉月さん(Vocal)
CRAYさん(Guitar) Drams絶賛募集中!!
そもそもの出会いは
投稿されていたMV『UNDER THE LAST RAIN』(曲の一部)をたまたま視聴した事だったのですが…
その歌声の艶やかさ、
そして美しさや激しさが持ち味の曲調(個人的にかなり好みです(//∇//))
というそれぞれの魅力、
そしてそれらが見事に融合した魅惑に、
私は一気に耳を持って行かれてしまったのでした(゜-゜)!!
現在は曲全体を聴く事が出来る公式のMVがアップされているので、ぜひぜひご紹介させて頂きます☆
↓ ↓
UNDER THE LAST RAIN -MV-
このMVは「RAIN」=“雨”なだけに、水の様々な表情が美しい映像の作品となっておりますが…
私にとってのその出会いは水の映像のMVではなく…そして今年の春、桜の季節だったので。桜の美しさに通じるものを連想してしまい、それに関するお話はこちらの記事「2017年04月16日
夕暮れや雨に濡れた桜、そして黒 『UNDER THE LAST RAIN』by VI」でしております(*´∇`*)
桜は桜でも晴れ渡った春爛漫な空気感の中ではなく、雨に濡れてしっとりした感じとか、夜桜の静かで深くて底知れないような美しさのイメージ。。
また、美しい歌声が一転して…低く地面を這うように??響いたり(゜ロ゜;ノ)ノ
激しいデスボイスに表情をガラリと変えたりもして(゜ロ゜;ノ)ノ (゜ロ゜;ノ)ノ
もう、ゾクゾクさせられっぱなしで最高!!
他称「声フェチ」だそうであるSAIは完全にフォーリン・ラブです(>_<)
先ほどご紹介した『UNDER THE LAST RAIN』の他に以下の『Black out』という曲も試聴できるのですが、この曲のフルでゾクゾクする葉月さんのデスボが楽しめます(^0^)/
↓ ↓
Black out
ちょっとダークさのある美しい曲調もクールでかっこ良くて最高!
それは何て言うのかな…足し算ばかりじゃなく引き算もされていて、際立たせたいものがすごく伝わってくる感じ?で(*´∀`)
こんなに素敵なバンドさん、ぜひ沢山の方々に知っていただきたい!
もっと詳しくご紹介したい!
と思ったからというのもあるけど…
何より自分がぜひライブで生の音を体感してみたいなぁ(*´-`)と思って
有休を取って渋谷にあるCyclone(サイクロン)というライブハウス様まで行ってしまいました♪
もう、本当に行って良かった! 上手い言葉が見つからないけど、あまりにも有りがちな言葉かもしれないけど…ドキドキワクワクして本当に楽しかったです♪♪♪
ライブは複数バンドの対バン形式で、VIさんはラストの出番でした。
ワンマンとかで、もっともっと沢山聴いていたかったなぁ☆
彼らの魅力、どこからお伝えしたら良いのだろう…(>_<)
私が個人的に感じた彼らの魅力は。。
硬派! 職人! 向上心! …サムライ!←?
そしてクールだけど熱い!
私はネット上で拝見していたビジュアルから、VIさんはクールなのかなというイメージを抱いていましたが…
ライブはクールだけど熱いのです!!
そしてVocalの葉月さんがフレンドリー?という言葉で合ってるかな??
ちゃんとオーディエンスとのコミュニケーションって言うか、お客さんとステージ上を繋ぎながらライブをされている感じで…
なので…SAIはライブであんまりノルのは得意な方じゃないんですけど(これまでライブに伺った沢山のバンド様すみません(T-T))
でも葉月さん達の佇まいに、心の中にあった小さな壁が取り払われて
ドキドキワクワクな心の時間を過ごせたのでした!
そして恐れ多くも、Vocalの葉月さんとはライブ後に間近でお会いしてお話までできてしまい……SAI感激ー!!!!!
って一人でテンション上がり過ぎてすみませんm(_ _)m
葉月さんはとても気さくで、心遣いが細やかで、向上心に溢れていて…容姿だけでなく中身の人柄も素敵な方でした(ToT)☆☆☆
私がライブに伺う事は葉月さんにお伝えしてあったのですが、こんな音楽素人の私などが観るというだけの事に緊張する程気合いを入れていて下さったみたいです◎
私の目には全然緊張しているように見えませんでしたが(^^)
ステージ上の動きとかデスボイスの思いきりの良さ?とか生き生きしてたし…
そう!葉月さんのお美しい生の歌声がお聴きできたのも感激でしたが! 彼女のデスボイスは本当に職人技だと思いました! !
デスボの高音と低音の使い分け?も鮮やかだし、、そもそも女性であの低いデスボ出せるってすごい気がします(°▽°)
目を瞑って聞いたら男性が出していると間違うんじゃないか、くらいの声で。。
男性ボーカルでも、ライブでテンションが上がりすぎてしまうとデスボがキンキンな感じで高くなってしまう事も珍しくないと思うので…葉月さんは本当に職人です!(あれ葉月さんのお声だったんだよな…??)
今回のライブは、VIさんとしてはベストと言えず課題が残ってしまったようですが
私には全力感が伝わってきて、熱くて一生懸命(一杯一杯の意味ではありません)で眩しかったです(*^^*)
そして葉月さんは「より良いライブ、より良い音源でもっと喜んでもらえるように次はもっと進化させます」とおっしゃっていました!
とても爽やかなスポーツマンみたいで素敵でした(^_^)◎
そして、初めて音源を聴いた時に惚れていたけど、ライブでも改めて惚れ直してしまいました(*´ー`*) ☆
惚れた惚れた言い過ぎたせいなのか?自分は男かと思われていたようでした…。
※同性愛とかの意味は無く、人としてカッコいいという感覚です。。自分はもしかして無性愛(アセクシャル)なのかなと思うこの頃(´-`)
メンバーさんも音楽と真摯に向き合い、向上心旺盛な方々のようで…
このようなバンドさん、放って置いてはいけないでしょう!!って思います(>_<)/
今VIさんの出されている音源はiTunesで購入できる2曲だけ…なのかな。(私はiTunesで購入しました◎)
と思っていたら……amazon様でも販売されてるーーー!!!
VIさんの音楽をMP3形式で購入できるのはこちらです☆
オフィシャルサイトの情報によりますと…
との事で、「UNDER THE LAST RAIN」は3番目のシングルなのですねー。
3rdシングル以前の音源も聴いてみたいよー(><)
そのような感じで、まだリリースされている曲は少ないようなVIさんですが…でも聞いて下さい!
現在なんとアルバムを制作中との事なのです☆
楽しみ過ぎるー!絶対買うー\(^^)/
今回のライブでもそのアルバムに収録される曲を演奏されていたようで。。
葉月さんにライブ後「良い曲ありましたか?」と聞かれて、私が良いなーと思った曲をお伝えしたら、その曲も収録されると教えていただけました!
しかもその曲は葉月さんもお気に入りだそうで、好みが合って勝手に嬉しかった私でした(*^^*)♪
VIさんはまだ知られていないだけで、音源を聞いて貰える機会さえ増えたら、一気にファンも増える魅力満載だと思います!
ライブハウスに来るお客さんも、もっともっと沢山になって、満員になるべきバンドです!
東京近辺の皆さま、そうでなくても、ぜひぜひ一度VIさんのライブに足を運んでみて下さい!
彼らの音楽へ対する真っ直ぐな姿に、爽やかな感動を貰える事間違いなしです(*^▽^*)☆
〇VIさんのVI OFFICIAL WEB SITEはこちら♪
〇VIさんの VI OFFICIAL CHANNNEL (You tube)はこちら♪
〇VIさんのVI OFFICIAL TWITTERはこちら♪
VIさんはラウド系のバンドで、活動拠点は東京、渋谷なのかな☆
メンバー構成:
Kさん(Bass)
葉月さん(Vocal)
CRAYさん(Guitar) Drams絶賛募集中!!
そもそもの出会いは
投稿されていたMV『UNDER THE LAST RAIN』(曲の一部)をたまたま視聴した事だったのですが…
その歌声の艶やかさ、
そして美しさや激しさが持ち味の曲調(個人的にかなり好みです(//∇//))
というそれぞれの魅力、
そしてそれらが見事に融合した魅惑に、
私は一気に耳を持って行かれてしまったのでした(゜-゜)!!
現在は曲全体を聴く事が出来る公式のMVがアップされているので、ぜひぜひご紹介させて頂きます☆
↓ ↓
UNDER THE LAST RAIN -MV-
このMVは「RAIN」=“雨”なだけに、水の様々な表情が美しい映像の作品となっておりますが…
私にとってのその出会いは水の映像のMVではなく…そして今年の春、桜の季節だったので。桜の美しさに通じるものを連想してしまい、それに関するお話はこちらの記事「2017年04月16日
夕暮れや雨に濡れた桜、そして黒 『UNDER THE LAST RAIN』by VI」でしております(*´∇`*)
桜は桜でも晴れ渡った春爛漫な空気感の中ではなく、雨に濡れてしっとりした感じとか、夜桜の静かで深くて底知れないような美しさのイメージ。。
また、美しい歌声が一転して…低く地面を這うように??響いたり(゜ロ゜;ノ)ノ
激しいデスボイスに表情をガラリと変えたりもして(゜ロ゜;ノ)ノ (゜ロ゜;ノ)ノ
もう、ゾクゾクさせられっぱなしで最高!!
他称「声フェチ」だそうであるSAIは完全にフォーリン・ラブです(>_<)
先ほどご紹介した『UNDER THE LAST RAIN』の他に以下の『Black out』という曲も試聴できるのですが、この曲のフルでゾクゾクする葉月さんのデスボが楽しめます(^0^)/
↓ ↓
Black out
ちょっとダークさのある美しい曲調もクールでかっこ良くて最高!
それは何て言うのかな…足し算ばかりじゃなく引き算もされていて、際立たせたいものがすごく伝わってくる感じ?で(*´∀`)
こんなに素敵なバンドさん、ぜひ沢山の方々に知っていただきたい!
もっと詳しくご紹介したい!
と思ったからというのもあるけど…
何より自分がぜひライブで生の音を体感してみたいなぁ(*´-`)と思って
有休を取って渋谷にあるCyclone(サイクロン)というライブハウス様まで行ってしまいました♪
もう、本当に行って良かった! 上手い言葉が見つからないけど、あまりにも有りがちな言葉かもしれないけど…ドキドキワクワクして本当に楽しかったです♪♪♪
ライブは複数バンドの対バン形式で、VIさんはラストの出番でした。
ワンマンとかで、もっともっと沢山聴いていたかったなぁ☆
彼らの魅力、どこからお伝えしたら良いのだろう…(>_<)
私が個人的に感じた彼らの魅力は。。
硬派! 職人! 向上心! …サムライ!←?
そしてクールだけど熱い!
私はネット上で拝見していたビジュアルから、VIさんはクールなのかなというイメージを抱いていましたが…
ライブはクールだけど熱いのです!!
そしてVocalの葉月さんがフレンドリー?という言葉で合ってるかな??
ちゃんとオーディエンスとのコミュニケーションって言うか、お客さんとステージ上を繋ぎながらライブをされている感じで…
なので…SAIはライブであんまりノルのは得意な方じゃないんですけど(これまでライブに伺った沢山のバンド様すみません(T-T))
でも葉月さん達の佇まいに、心の中にあった小さな壁が取り払われて
ドキドキワクワクな心の時間を過ごせたのでした!
そして恐れ多くも、Vocalの葉月さんとはライブ後に間近でお会いしてお話までできてしまい……SAI感激ー!!!!!
って一人でテンション上がり過ぎてすみませんm(_ _)m
葉月さんはとても気さくで、心遣いが細やかで、向上心に溢れていて…容姿だけでなく中身の人柄も素敵な方でした(ToT)☆☆☆
私がライブに伺う事は葉月さんにお伝えしてあったのですが、こんな音楽素人の私などが観るというだけの事に緊張する程気合いを入れていて下さったみたいです◎
私の目には全然緊張しているように見えませんでしたが(^^)
ステージ上の動きとかデスボイスの思いきりの良さ?とか生き生きしてたし…
そう!葉月さんのお美しい生の歌声がお聴きできたのも感激でしたが! 彼女のデスボイスは本当に職人技だと思いました! !
デスボの高音と低音の使い分け?も鮮やかだし、、そもそも女性であの低いデスボ出せるってすごい気がします(°▽°)
目を瞑って聞いたら男性が出していると間違うんじゃないか、くらいの声で。。
男性ボーカルでも、ライブでテンションが上がりすぎてしまうとデスボがキンキンな感じで高くなってしまう事も珍しくないと思うので…葉月さんは本当に職人です!(あれ葉月さんのお声だったんだよな…??)
今回のライブは、VIさんとしてはベストと言えず課題が残ってしまったようですが
私には全力感が伝わってきて、熱くて一生懸命(一杯一杯の意味ではありません)で眩しかったです(*^^*)
そして葉月さんは「より良いライブ、より良い音源でもっと喜んでもらえるように次はもっと進化させます」とおっしゃっていました!
とても爽やかなスポーツマンみたいで素敵でした(^_^)◎
そして、初めて音源を聴いた時に惚れていたけど、ライブでも改めて惚れ直してしまいました(*´ー`*) ☆
惚れた惚れた言い過ぎたせいなのか?自分は男かと思われていたようでした…。
※同性愛とかの意味は無く、人としてカッコいいという感覚です。。自分はもしかして無性愛(アセクシャル)なのかなと思うこの頃(´-`)
メンバーさんも音楽と真摯に向き合い、向上心旺盛な方々のようで…
このようなバンドさん、放って置いてはいけないでしょう!!って思います(>_<)/
今VIさんの出されている音源はiTunesで購入できる2曲だけ…なのかな。(私はiTunesで購入しました◎)
と思っていたら……amazon様でも販売されてるーーー!!!
VIさんの音楽をMP3形式で購入できるのはこちらです☆
オフィシャルサイトの情報によりますと…
2017年2月4日 3rd single「UNDER THE LAST RAIN」配信開始
iTunes Store,amazonMP3,beatport,junodownload,LINE MUSIC,more,music.jp,MySound,オリコンミュージックストア,OTOTOY,AWA,着信・うた、各ストアで配信。
との事で、「UNDER THE LAST RAIN」は3番目のシングルなのですねー。
3rdシングル以前の音源も聴いてみたいよー(><)
そのような感じで、まだリリースされている曲は少ないようなVIさんですが…でも聞いて下さい!
現在なんとアルバムを制作中との事なのです☆
楽しみ過ぎるー!絶対買うー\(^^)/
今回のライブでもそのアルバムに収録される曲を演奏されていたようで。。
葉月さんにライブ後「良い曲ありましたか?」と聞かれて、私が良いなーと思った曲をお伝えしたら、その曲も収録されると教えていただけました!
しかもその曲は葉月さんもお気に入りだそうで、好みが合って勝手に嬉しかった私でした(*^^*)♪
VIさんはまだ知られていないだけで、音源を聞いて貰える機会さえ増えたら、一気にファンも増える魅力満載だと思います!
ライブハウスに来るお客さんも、もっともっと沢山になって、満員になるべきバンドです!
東京近辺の皆さま、そうでなくても、ぜひぜひ一度VIさんのライブに足を運んでみて下さい!
彼らの音楽へ対する真っ直ぐな姿に、爽やかな感動を貰える事間違いなしです(*^▽^*)☆
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2017年11月05日
「俺は癒されたいんだよ 感じたいんだよ 自分がいるべき場所にいるって」。“心の居場所”=Somewhere I Belong (by Linkin Park)
老人福祉施設に入所しているおばあちゃんへ、11月分1回目の手紙を書いた。
2、3年くらい前から書くようになり、この頃は月に2回手紙を書いている。
でも先月の10月は、初めて1回も書けなかった。
私の中でわだかまっている親との問題が再燃してしまい、又、おばあちゃんへ書いた手紙は両親も読んでいるので色々と想う事があって…。
今月になってやっと手紙を書けて、そして両親に読まれる事は分かっていても、おばあちゃんに想いをぶちまけるつもりで書いた。
そしてついに分かった。私がこれまでしんどいと思っていた「一番の原因」が。平和で平凡で幸せな家庭で育ったのにしんどかった理由が。
それは…家族や両親という「形としての居場所」は間違いなく、そしてきっとほぼ完璧な形として存在していたけど。でも私には「心の居場所」が無かったのだ、と。自分の想いをしっかりと受け止めてもらった経験が無くて、心から安心して身を委ねる、という事ができなかったんだ、と。
「多分これは言わない方が、自分だけの中に留めておいた方が平和に過ぎていくだろう」と思ったり。「言っても、また『屁理屈言うな』って言われて終わってしまうんだ。」と思ったり。
“親が許容できる世界”から一歩でも踏み出すような行動を少しでもしようとすると全否定。
私がなぜそうしたいのか、と話を聞いてくれもしない。分かろうと、歩み寄ろうとしてくれた事も一度も無い。自分達の考えだけを押し付けてくる。
ご飯は1日3回ちゃんと与えられて、高校にも大学にも“普通に”行かせてもらった。DVとかされたわけじゃない。愛情も沢山注いでもらったと思っている。
でもその“親が許容できる世界”っていうのがいつもやっかいで、そして私の心がしんどくなるのもそれのせい。
小学4年生くらいの頃、地元で夏祭りがあった時。平和で治安も良く、時がゆっくりと流れているような田舎の、海の近くにある実家。田舎だけどその頃は結構景気が良くて、近隣の漁師の人達の協力で小さな花火大会が海で毎年行われていた。
その時は初めて「友達と夜出かける」ことが許された。過保護で心配性で真面目な親。夕ご飯は必ず夜6時きっかりスタートで、それに対して姉は不満を持っていたようだった。友達と遊んでいても6時近くになると「『ご飯だよ、早く帰って来なっ』てすぐに呼び戻されるんだ。みんなはまだまだ遊んでいるのに。」ってよく言ってたみたい。私はそれに対しては「うちはそういうものなのかな」って受け入れて疑問は持たなかったけど。
でも学校でよくクラスメイトが一緒に出かけた話とか、友達の家にお泊りした話、そしてお祭りみたいに多少夜遅くなっても普通に楽しんでいたような話で盛り上がっているのを見たりしたのは、すごく羨ましかった。
だから初めて友達と一緒に出かけられる事になって、本当に嬉しかった。「私もついに友達とお祭り行けるんだ!!」って。でも親が心配性なのは分かっていたから、「心配かけないように、できるだけ早く帰るように気をつけよう」と思った。
そして当日…楽しめたかと言うと。「この時間なら、まだ大丈夫かな、でもそろそろ帰った方が良いかな」って事ばかりが気になってしまい、思いっきり楽しむ事はできなかった。
もっと友達と一緒に居たかったけど、「あんまり遅くなるなって言われてるから、ごめんね」と言って、家路を急いだ。
帰宅時間は花火終了の時間から考えても、そして小学生の夜遊びと考えても全然遅くない時間だった。
でも帰るなり「何時だと思ってるんだ!!?」っていきなり怒鳴られた。何か、私の中で色んなものが一瞬で凍りついた。
「こんなに、親に心配かけないように気を使って…急いで帰って来たのに。ずっと気をつけようって思っててあんまり楽しめなかったのに。」
そう思ったけど、凍りついた私は何も言葉にできなかった。
親に一生懸命気を使っていた事が悲しくなり、また私がそんな想いでいた事を知りもせずいきなり怒られた事に幻滅し、真面目に考えてた自分が馬鹿馬鹿しくなった。
子供の頃はけっこうオープンで、そして人の悪意を知らなかった自分は、近所の友達と遊ぶのも自分から誘いに行く方だった。
でも大抵遊ぶのは友達の家。自分の家に誘うのは母親に嫌がられた。大人目線で見て、家が散らかっていたり掃除が行き届いていないのを見られるのが嫌だったみたい。母親は専業主婦で真面目で家事はちゃんとやっていたから、そんなに家が汚いなんて事は無かったと思うけど「友達を連れて来たい」と言うと、いつも面倒くさがられた。
そして学校でクラスメイトが友達の家にお泊りした話とかも、私も友達と一緒に夜を語り明かす経験をしてみたいなーと思って言ってみたりしたけど、「そんなのダメだよ!」と言われて終わった。
自分が人間不信や対人恐怖症みたいになってからしばらくして、それを克服したいと思えるようになった頃。人と話す事に慣れる為に通っていた英会話教室で、短期留学プログラムに参加したいと思った。
海外へ行く…お金はアルバイトで貯めた資金があります。飛行機に乗ります。行く先の国の治安の問題があります。一人で行くのでしょうか?
大なり小なり、リスクがあるのは理解しています。飛行機に乗ったら落ちるかもしれません。いきなりテロに遭う可能性もゼロではありません。
でもそれを言い出したら、何も出来なくない?それに戦地や伝染病が流行っているような危険な場所へ行くって言っている訳じゃない。一人で行くのでもなく、ちゃんと詳しい人の付き添いがあります。何ヶ月も何年も行く訳じゃなくほんの10日間くらいの旅です。
でも学生だったから親の同意が必要で、、それを聞いた瞬間、私は「あー無理だ」と思った。「絶対『ダメだ!危ない!』って言われるんだろうなぁ」って。
でもスクールの受付をされていて、そして私を応援してくれていたお姉さんが「お父さんを説得するの、協力してあげますよ」って言って下さって、そして私がかけた電話を代わって話して下さった。
でも電話はほとんど一瞬で終わった。「外国は危ないんだ。ダメだ。」で終了。
なんか、本当に泣きそうになった。
危険がゼロじゃないのは分かっているよ。でもそれを言ったら、海外へ行ってる他の人たちは何なの?皆死んでる訳じゃないじゃん。
大学の同級生だって、何ヶ月も行ってる人だって居るのに。たった数日の事だよ。プロの付き添いが居るんだよ?
父親に電話する前から準備できていた反論が再び頭の中を駆け巡ったけど、やっぱり話も聞いてくれずに全否定された。そうなる事は分かっていたけどそれがかなりのショックで、また私は深い幻滅の中に沈んで何も言えなかった。
お父さんだって「コミュニケーション能力が無くてダメだ」「もっと友達を作らないとダメだ」って私に言ってたじゃない。だからそれを養うために挑戦したいんだよ。
それにそもそも友人関係を切り捨てたのは、勉強に力を集中させる為だったんだよ。良い成績取ったら喜んでくれるから、友達が減っていって居なくなっても、親が喜んでくれれば良いって頑張ったんだよ。高校受験も大学受験も、絶対、公立・国立じゃないとダメだ、浪人はダメだって言ってたから頑張ったんだよ。
私ってどれだけ親に理解されないんだろう。
ちゃんと言葉で上手く伝えられないのがいけないんだよね。でも言おうとすると『屁理屈言うな』で片付けるんでしょう?
できれば、もう少し歩み寄って欲しかったんだ。
親を喜ばせる事だけが自分の人生の目的みたいになっていて、でもそれでは自分の身がもたないってやっと気づいた。
そして大学3年〜4年の就職活動の時期になって初めて、「自分が何をしたいのか」という事と向き合うようになった。
もう親に相談しないで、自分の道へ強行突破する事にした。
自分が本当にやりたい事が見つかって、その専門学校も勝手に受験し、入学金も自分で支払った。それからは奨学金をもらって、自分でアルバイトしながらででも通おうと思った。
結局そのもくろみは、自分が隠し事出来ない性格のせいで途中でバレたけど…。
必死に自分と向き合ってやっと見つけた夢を伝えたら、「そんな事出来るわけが無い」と斬り捨てられた。
一次試験が受かって二次試験を控えている時の事で、
知らない土地のビジネスホテルで過ごした二次試験前夜の、不安と恐怖と孤独は本当にしんどかった。
でもこの時は私の意志の固さについに親が折れて、生活費の援助はしてくれる事になった。
その間ずーっと、良くは思われていなかったけど。
そして私は孤独な闘い。自分で決めた事だし、でも親が結局は援助してくれているのだから絶対に失敗もできない。必ず目的の会社に就職しないといけない。
好きな事を勉強できるのは幸せなはずだけど、一番身近な存在であるはずの親にも良く思われていない。不安を相談できるような友達も居ない。しんどさ9割の2年間だった。
必死な想いでやっと好きな事を仕事にできる会社へ就職できた。自分の実家はそれに関する自営業とかでもなく普通のサラリーマンなので、いわゆる「畑違い」な分野の仕事。私には予備知識も経験も無く大変な事ばかり。
でも好きな事がやれるってやっぱり幸せだし、頑張りたいと思っている。
一人暮らしを始めた大学の頃から長期連休の度、親に心配かけないようにいつも実家へ帰る事にしているけど、就職できた今も言われるのは「そんな仕事辞めて帰って来い」。
私がどれだけ必死な想いで専門学校へ行こうと決心したとか、就職活動も絶対に失敗するわけにいかないって不安だった事とか…。
「楽しめ」とか「頑張れ」なんて一度も言ってくれた事が無い。
一番信じていて欲しくて、応援して欲しい人に否定されるのは辛い。よく漫画とか物語である「他の誰かが何と言っても、お父さんとお母さんだけはずっと信じているからね」なんて言ってくれるのは夢かなぁ。
そんなに人間の出来た親なんて、そうそう居ないのかなぁ。
たとえ食べ物に少し困ったり学費が払えなくて行きたい学校に行けなかったとしても、そう言ってもらえる方が幸せな気がするのは、きっとかなりの贅沢な不満だろうな。
でも私に「心の居場所」が無かったのは確かで、音楽の中にそれを見つけたんだろうなって思った。
Linkin Parkの音楽に『Somewhere I Belong』という曲がある。
“belong”とは「(あるべき所に)ある、いる、あるべきである、ふさわしい」といった意味で、
その曲が収録されているアルバムの歌詞の公式訳には“somewhere I belong”=「自分のよりどころ」・「自分がいるべき場所」と書いてある。
Linkin Parkのチェスターさん(Vo.)は「形としての居場所」すら不安定な生い立ちで、数ヶ月前に自殺されてしまったのは「心の居場所」も見つけられなかったという事なのだろうか…?
Somewhere I Belong (Official Video) - Linkin Park
上の歌詞である“リアルなもの”というのは「形としての居場所」、そして“ずっと長いこと欲しいと思ってた何か”=“自分のよりどころ”というのはそれを含めた「心の居場所」でもあるのかな、と思ったりした。
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2003年03月26日
<トラックリスト>
1.Foreword (Intro) (0:13)
2.Don't Stay (3:07)
3.Somewhere I Belong (3:33)
アルバムからの1stシングルで、2003年3月17日にリリース。全米最高32位、イギリス最高10位、オーストラリア最高13位、ニュージーランド最高1位。
ミュージックビデオは2003 MTV Video Music AwardsのBest Rock Videoを受賞。監督はジョー・ハーン。
4.Lying From You (2:55)
5.Hit The Floor (2:44)
6.Easier To Run (3:24)
7.Faint (2:42)
8.Figure.09 (3:17)
9.Breaking The Habit (3:16)
10.From The Inside (2:53)
11.Nobody's Listening (2:57)
12.Session (2:23)
13.Numb (3:05)
両親の中に私が「心の居場所」を感じられなかった事を伝えるのは、二人をすごく傷つけるんだろうなって思う。
でも家族の行き違いも描かれている漫画「おはよう、いばら姫」(関連記事:優しさと、すれ違いと、和解と、成長、そして愛。『おはよう、いばら姫』)の最終巻である6巻をちょっと前に読んで、
その第23話『お父さんごっこ』の中で「ぶつかることを 怖がっていたら 家族になんかなれないわ」というセリフがあり…
やっぱり、言わない事には伝わらない想いがあるから。
それを伝える事が今の状況を直接解決する事にはならないかもしれないけど。
それで、おばあちゃんへの手紙に託してみた。
どうなっちゃうんだろうな。
でも、私の気持ちを察してくれる親じゃないし。私自身も、気持ちを伝える努力から逃げてたのも確かだし。
天涯孤独の父親がやっと持てた血の繋がりのある家族だから、私を失うのが怖いんだと思う。近くに居て欲しいのだと思う。すごく愛してくれてるんだと思う。
私とは比べ物にならないくらいの孤独を味わってきたであろう父親だから、その恐怖を手放すのは難しいのかもしれない。
それでいて、分かって欲しいとも思ってしまうのは傲慢だろうか。
何が一番良いのか、どんなのが一番の幸せなのか、まだ分からないや。
2、3年くらい前から書くようになり、この頃は月に2回手紙を書いている。
でも先月の10月は、初めて1回も書けなかった。
私の中でわだかまっている親との問題が再燃してしまい、又、おばあちゃんへ書いた手紙は両親も読んでいるので色々と想う事があって…。
今月になってやっと手紙を書けて、そして両親に読まれる事は分かっていても、おばあちゃんに想いをぶちまけるつもりで書いた。
そしてついに分かった。私がこれまでしんどいと思っていた「一番の原因」が。平和で平凡で幸せな家庭で育ったのにしんどかった理由が。
それは…家族や両親という「形としての居場所」は間違いなく、そしてきっとほぼ完璧な形として存在していたけど。でも私には「心の居場所」が無かったのだ、と。自分の想いをしっかりと受け止めてもらった経験が無くて、心から安心して身を委ねる、という事ができなかったんだ、と。
「多分これは言わない方が、自分だけの中に留めておいた方が平和に過ぎていくだろう」と思ったり。「言っても、また『屁理屈言うな』って言われて終わってしまうんだ。」と思ったり。
“親が許容できる世界”から一歩でも踏み出すような行動を少しでもしようとすると全否定。
私がなぜそうしたいのか、と話を聞いてくれもしない。分かろうと、歩み寄ろうとしてくれた事も一度も無い。自分達の考えだけを押し付けてくる。
ご飯は1日3回ちゃんと与えられて、高校にも大学にも“普通に”行かせてもらった。DVとかされたわけじゃない。愛情も沢山注いでもらったと思っている。
でもその“親が許容できる世界”っていうのがいつもやっかいで、そして私の心がしんどくなるのもそれのせい。
小学4年生くらいの頃、地元で夏祭りがあった時。平和で治安も良く、時がゆっくりと流れているような田舎の、海の近くにある実家。田舎だけどその頃は結構景気が良くて、近隣の漁師の人達の協力で小さな花火大会が海で毎年行われていた。
その時は初めて「友達と夜出かける」ことが許された。過保護で心配性で真面目な親。夕ご飯は必ず夜6時きっかりスタートで、それに対して姉は不満を持っていたようだった。友達と遊んでいても6時近くになると「『ご飯だよ、早く帰って来なっ』てすぐに呼び戻されるんだ。みんなはまだまだ遊んでいるのに。」ってよく言ってたみたい。私はそれに対しては「うちはそういうものなのかな」って受け入れて疑問は持たなかったけど。
でも学校でよくクラスメイトが一緒に出かけた話とか、友達の家にお泊りした話、そしてお祭りみたいに多少夜遅くなっても普通に楽しんでいたような話で盛り上がっているのを見たりしたのは、すごく羨ましかった。
だから初めて友達と一緒に出かけられる事になって、本当に嬉しかった。「私もついに友達とお祭り行けるんだ!!」って。でも親が心配性なのは分かっていたから、「心配かけないように、できるだけ早く帰るように気をつけよう」と思った。
そして当日…楽しめたかと言うと。「この時間なら、まだ大丈夫かな、でもそろそろ帰った方が良いかな」って事ばかりが気になってしまい、思いっきり楽しむ事はできなかった。
もっと友達と一緒に居たかったけど、「あんまり遅くなるなって言われてるから、ごめんね」と言って、家路を急いだ。
帰宅時間は花火終了の時間から考えても、そして小学生の夜遊びと考えても全然遅くない時間だった。
でも帰るなり「何時だと思ってるんだ!!?」っていきなり怒鳴られた。何か、私の中で色んなものが一瞬で凍りついた。
「こんなに、親に心配かけないように気を使って…急いで帰って来たのに。ずっと気をつけようって思っててあんまり楽しめなかったのに。」
そう思ったけど、凍りついた私は何も言葉にできなかった。
親に一生懸命気を使っていた事が悲しくなり、また私がそんな想いでいた事を知りもせずいきなり怒られた事に幻滅し、真面目に考えてた自分が馬鹿馬鹿しくなった。
子供の頃はけっこうオープンで、そして人の悪意を知らなかった自分は、近所の友達と遊ぶのも自分から誘いに行く方だった。
でも大抵遊ぶのは友達の家。自分の家に誘うのは母親に嫌がられた。大人目線で見て、家が散らかっていたり掃除が行き届いていないのを見られるのが嫌だったみたい。母親は専業主婦で真面目で家事はちゃんとやっていたから、そんなに家が汚いなんて事は無かったと思うけど「友達を連れて来たい」と言うと、いつも面倒くさがられた。
そして学校でクラスメイトが友達の家にお泊りした話とかも、私も友達と一緒に夜を語り明かす経験をしてみたいなーと思って言ってみたりしたけど、「そんなのダメだよ!」と言われて終わった。
自分が人間不信や対人恐怖症みたいになってからしばらくして、それを克服したいと思えるようになった頃。人と話す事に慣れる為に通っていた英会話教室で、短期留学プログラムに参加したいと思った。
海外へ行く…お金はアルバイトで貯めた資金があります。飛行機に乗ります。行く先の国の治安の問題があります。一人で行くのでしょうか?
大なり小なり、リスクがあるのは理解しています。飛行機に乗ったら落ちるかもしれません。いきなりテロに遭う可能性もゼロではありません。
でもそれを言い出したら、何も出来なくない?それに戦地や伝染病が流行っているような危険な場所へ行くって言っている訳じゃない。一人で行くのでもなく、ちゃんと詳しい人の付き添いがあります。何ヶ月も何年も行く訳じゃなくほんの10日間くらいの旅です。
でも学生だったから親の同意が必要で、、それを聞いた瞬間、私は「あー無理だ」と思った。「絶対『ダメだ!危ない!』って言われるんだろうなぁ」って。
でもスクールの受付をされていて、そして私を応援してくれていたお姉さんが「お父さんを説得するの、協力してあげますよ」って言って下さって、そして私がかけた電話を代わって話して下さった。
でも電話はほとんど一瞬で終わった。「外国は危ないんだ。ダメだ。」で終了。
なんか、本当に泣きそうになった。
危険がゼロじゃないのは分かっているよ。でもそれを言ったら、海外へ行ってる他の人たちは何なの?皆死んでる訳じゃないじゃん。
大学の同級生だって、何ヶ月も行ってる人だって居るのに。たった数日の事だよ。プロの付き添いが居るんだよ?
父親に電話する前から準備できていた反論が再び頭の中を駆け巡ったけど、やっぱり話も聞いてくれずに全否定された。そうなる事は分かっていたけどそれがかなりのショックで、また私は深い幻滅の中に沈んで何も言えなかった。
お父さんだって「コミュニケーション能力が無くてダメだ」「もっと友達を作らないとダメだ」って私に言ってたじゃない。だからそれを養うために挑戦したいんだよ。
それにそもそも友人関係を切り捨てたのは、勉強に力を集中させる為だったんだよ。良い成績取ったら喜んでくれるから、友達が減っていって居なくなっても、親が喜んでくれれば良いって頑張ったんだよ。高校受験も大学受験も、絶対、公立・国立じゃないとダメだ、浪人はダメだって言ってたから頑張ったんだよ。
私ってどれだけ親に理解されないんだろう。
ちゃんと言葉で上手く伝えられないのがいけないんだよね。でも言おうとすると『屁理屈言うな』で片付けるんでしょう?
できれば、もう少し歩み寄って欲しかったんだ。
親を喜ばせる事だけが自分の人生の目的みたいになっていて、でもそれでは自分の身がもたないってやっと気づいた。
そして大学3年〜4年の就職活動の時期になって初めて、「自分が何をしたいのか」という事と向き合うようになった。
もう親に相談しないで、自分の道へ強行突破する事にした。
自分が本当にやりたい事が見つかって、その専門学校も勝手に受験し、入学金も自分で支払った。それからは奨学金をもらって、自分でアルバイトしながらででも通おうと思った。
結局そのもくろみは、自分が隠し事出来ない性格のせいで途中でバレたけど…。
必死に自分と向き合ってやっと見つけた夢を伝えたら、「そんな事出来るわけが無い」と斬り捨てられた。
一次試験が受かって二次試験を控えている時の事で、
知らない土地のビジネスホテルで過ごした二次試験前夜の、不安と恐怖と孤独は本当にしんどかった。
でもこの時は私の意志の固さについに親が折れて、生活費の援助はしてくれる事になった。
その間ずーっと、良くは思われていなかったけど。
そして私は孤独な闘い。自分で決めた事だし、でも親が結局は援助してくれているのだから絶対に失敗もできない。必ず目的の会社に就職しないといけない。
好きな事を勉強できるのは幸せなはずだけど、一番身近な存在であるはずの親にも良く思われていない。不安を相談できるような友達も居ない。しんどさ9割の2年間だった。
必死な想いでやっと好きな事を仕事にできる会社へ就職できた。自分の実家はそれに関する自営業とかでもなく普通のサラリーマンなので、いわゆる「畑違い」な分野の仕事。私には予備知識も経験も無く大変な事ばかり。
でも好きな事がやれるってやっぱり幸せだし、頑張りたいと思っている。
一人暮らしを始めた大学の頃から長期連休の度、親に心配かけないようにいつも実家へ帰る事にしているけど、就職できた今も言われるのは「そんな仕事辞めて帰って来い」。
私がどれだけ必死な想いで専門学校へ行こうと決心したとか、就職活動も絶対に失敗するわけにいかないって不安だった事とか…。
「楽しめ」とか「頑張れ」なんて一度も言ってくれた事が無い。
一番信じていて欲しくて、応援して欲しい人に否定されるのは辛い。よく漫画とか物語である「他の誰かが何と言っても、お父さんとお母さんだけはずっと信じているからね」なんて言ってくれるのは夢かなぁ。
そんなに人間の出来た親なんて、そうそう居ないのかなぁ。
たとえ食べ物に少し困ったり学費が払えなくて行きたい学校に行けなかったとしても、そう言ってもらえる方が幸せな気がするのは、きっとかなりの贅沢な不満だろうな。
でも私に「心の居場所」が無かったのは確かで、音楽の中にそれを見つけたんだろうなって思った。
Linkin Parkの音楽に『Somewhere I Belong』という曲がある。
“belong”とは「(あるべき所に)ある、いる、あるべきである、ふさわしい」といった意味で、
その曲が収録されているアルバムの歌詞の公式訳には“somewhere I belong”=「自分のよりどころ」・「自分がいるべき場所」と書いてある。
Linkin Parkのチェスターさん(Vo.)は「形としての居場所」すら不安定な生い立ちで、数ヶ月前に自殺されてしまったのは「心の居場所」も見つけられなかったという事なのだろうか…?
Somewhere I Belong (Official Video) - Linkin Park
ずっと長い間俺が抱え込んできた痛みをどっかへやっちまいたい
感じたいんだよ 自分が何かリアルなものに近づいてることを
ずっと長いこと欲しいと思ってた何かを手に入れたいんだ
自分のよりどころを手に入れたいんだ
(『Somewhere I Belong』の歌詞の公式和訳より一部を引用)
上の歌詞である“リアルなもの”というのは「形としての居場所」、そして“ずっと長いこと欲しいと思ってた何か”=“自分のよりどころ”というのはそれを含めた「心の居場所」でもあるのかな、と思ったりした。
新品価格 |
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2003年03月26日
<トラックリスト>
1.Foreword (Intro) (0:13)
2.Don't Stay (3:07)
3.Somewhere I Belong (3:33)
アルバムからの1stシングルで、2003年3月17日にリリース。全米最高32位、イギリス最高10位、オーストラリア最高13位、ニュージーランド最高1位。
ミュージックビデオは2003 MTV Video Music AwardsのBest Rock Videoを受賞。監督はジョー・ハーン。
4.Lying From You (2:55)
5.Hit The Floor (2:44)
6.Easier To Run (3:24)
7.Faint (2:42)
8.Figure.09 (3:17)
9.Breaking The Habit (3:16)
10.From The Inside (2:53)
11.Nobody's Listening (2:57)
12.Session (2:23)
13.Numb (3:05)
両親の中に私が「心の居場所」を感じられなかった事を伝えるのは、二人をすごく傷つけるんだろうなって思う。
でも家族の行き違いも描かれている漫画「おはよう、いばら姫」(関連記事:優しさと、すれ違いと、和解と、成長、そして愛。『おはよう、いばら姫』)の最終巻である6巻をちょっと前に読んで、
その第23話『お父さんごっこ』の中で「ぶつかることを 怖がっていたら 家族になんかなれないわ」というセリフがあり…
やっぱり、言わない事には伝わらない想いがあるから。
それを伝える事が今の状況を直接解決する事にはならないかもしれないけど。
それで、おばあちゃんへの手紙に託してみた。
どうなっちゃうんだろうな。
でも、私の気持ちを察してくれる親じゃないし。私自身も、気持ちを伝える努力から逃げてたのも確かだし。
天涯孤独の父親がやっと持てた血の繋がりのある家族だから、私を失うのが怖いんだと思う。近くに居て欲しいのだと思う。すごく愛してくれてるんだと思う。
私とは比べ物にならないくらいの孤独を味わってきたであろう父親だから、その恐怖を手放すのは難しいのかもしれない。
それでいて、分かって欲しいとも思ってしまうのは傲慢だろうか。
何が一番良いのか、どんなのが一番の幸せなのか、まだ分からないや。
2017年10月28日
ハロウィンにあやかって…巳月(ミツキ by BORUTO)のコスプレ★☆♪【雑記帳】
【雑記帳】
本日は…突然ですが!
SAIのコスプレ活動のお話ー (^o^)/
SAIは熱心なコスプレイヤーとかではありません。世間の漫画やアニメも全く詳しく無く、少し漫画を読むようになったのもこの数年の事です。
でもコスプレしてみたい!という友達に誘われて、30歳も過ぎて(;゜∇゜)
初めてコスプレデビューしちゃいました☆
最近はコスプレが流行ってたり人気なのは知ってたし、
クオリティの高いのとか「すごいな!」「どんだけ好きなんだろう(゜゜;)」とは思ったけど、自分がやるとは全く思いもしませんでした(汗)
でもやってみて、、
すごーく自分の世界が広がって楽しいです♪♪♪
素敵な漫画にも出会えたし、メイクや美容の勉強にもなったし、「自分じゃない誰か」になれる!表現できる!ってこんなに楽しいのかーと(*^▽^*)☆
そんな訳で、そして今はハロウィンの時期で更にコスプレが盛り上っているのにもあやかって、コスプレのお話です(^_^)
以下は、コスプレイヤーさんやカメラマンさんが集うとあるSNS?にて、SAIが投稿した記事になります。
漫画「BORUTO」をご存じ無かったり詳しく無い方には意味が分からないかも(;_;)
そして多少のネタバレも含みます事、よろしくお願いいたします_(._.)_
==================
ハロウィンで「コスプレ」が流行っているようです。
「コスプレ」というキーワードしか接点が無いけど(゜゜;)
BORUTOの巳月(ミツキ)のコスプレです☆
合わせの友達が
人生の為に色々頑張っている最中なので、今は一人で練習中!
コスプレも漫画もBORUTOも詳しく無くて、至らないところばっかり。沢山迷惑もかけてしまうけど、自分にできる努力はして…
友達が帰って来た時に、もっと楽しめるように頑張ります(*´∀`)♪
【写真1】
“白の彼岸花”と巳月。
たまたま花言葉が「想うはあなた一人」だと知って、巳月にピッタリ過ぎ!と思って小道具に使ってみました(^^)
自分だけで輝く事はできないけど、ボルトが太陽になってくれたら、巳月も暗闇を照らす満月のようになれる。
彼自身、自分は実験の為に造り出された人造人間だと自覚しているけど。
そのような「生命体」が現代や未来の社会においてどう解釈されていくのか…
現実世界が抱える倫理観の問題としても、巳月は興味深い存在だなぁと思います。
【写真2】
“白狐のお面”と巳月。
このお面はBORUTOの前作であるNARUTOの登場人物、はたけカカシ先生が暗部時代に着けていたものにそっくり!
なので、カカシ先生のコスプレで使う方が正しいのかもしれないですが…(((((((・・;)
でも白狐のお面の「いわれ」を調べてみると、巳月のイメージを表すものとしてもO.K.なんじゃないかなぁ!と思いました( ・∇・)〇
白狐は「神様の使い」だそうで、写真1のお話とも被りますが、人間が生命の理(ことわり)に踏み込む事が、新時代に希望をもたらすのか、それとも何かを狂わせていく原因になってしまうのか?
人間にはコントロール出来ず、良くも悪くも触れて良いのか分からない。イマイチ捉えどころが無いような、不思議な存在の巳月は未来からの神様の使者だったりして??なんて妄想してしまうのです(*´-`)
【写真3】
“そんなこと、どうでもいいよね。”
巳月の口ぐせ?決まり文句です(^_^)
『NARUTO―ナルト― 外伝 〜満ちた月が照らす道〜』で今の巳月(薬で記憶を5回消され6度めの正直!)が、とりあえず「第一関門は成功」と大蛇丸に認められたのは…
与えられた2つの選択肢のどちらかを選ぶのではなく、自分自身で生きる道は決めるんだ!と、ついに人造人間の枠や限界を超えられる望みが見えたから?
それに巳月が(人造人間ではあるにしても)親の影響を背負ってしまうようでは、世界へ放たれても生きる道が「茨の道」になるのは想像がつきます(>_<)
いつか「自分の身内はお前の親のせいで…!」って言われる時も来るだろうし。。
咎人の子という世間の眼差しを
“そんなこと、どうでもいいよね。”って言えるくらいじゃないと…。ツラい(/_;)
ただ、少年漫画なのでそこまで深い描写はしないようなお話を岸本先生はされていたようです。
巳月は、普段コンタクトした事も無かった自分には初めてのカラーコンタクト挑戦でした!
そして白塗りメイクもすごく難しくて、まだ上手く出来ません(ToT)
ポイントとなるアイメイクも、どうしたら原作の巳月っぽくできるのか、または少し違ってもかっこ良い巳月にできるのか…写真映えも意識してみたり。
先輩レイヤー様方のお写真を拝見して、
すごいなーと思ったり、勉強もさせていただいております(☆▽☆)
また研究を深めて、良い感じの写真ができたらアップしたいです(*´∇`*)♪
==================
上のお話で「合わせ」と言うのは、漫画のストーリの中で接点のあるキャラクター同士が一緒に撮影をする事のようです(^_^)
それにしても「誰やねんっ!」な写真ですねー(;゜∇゜) メイクの力ってすごい &加工の力もすごいー!
そして私がやっている巳月というキャラクターは、大人気漫画NARUTOの続編的お話BORUTOの登場人物で…
BORUTOはNARUTOの登場人物達が大人になり、その息子や娘世代のお話です〇
よく、活躍した親をもつ子は苦労すると言われたりするけど、
主人公のボルトも、世間から英雄と称えられる父親をもつ事で葛藤を抱えています。
また同様に、
その近い存在である「うちはサラダ」という女の子も親の影響を受けて葛藤しています。
巳月は人造人間で、その実験の主、大蛇丸を親としているようです。大蛇丸はNARUTOの時代の様々な事件を起こした問題人物だったようで、巳月はそういう親をもつという事と、また倫理的な問題と…すごく大変な状況に居るはずなのですが。。
「そんなこと、どうでもいいよね。」と言えてしまう「強さ」…とはちょっと違うかな(>_<)
彼はまだ感情がちゃんと発達していないらしく、だからこそ苦しまなくて済んでいるのかな。。
感情や人情?豊かなボルトと接していくうちに、巳月も感情が育まれていきそうだけど。
そうすると「楽しい」とか「嬉しい」が理解できるようになるかもしれないけど、
人々の悲しみや苦しみ、憎しみも理解できるようになった時、巳月はどれだけ苦しむ事になるのだろう…と心配(ノ_<。)
でも監修の岸本先生は少年漫画だからそこまで立ち入る話にはしないような事を言われてたみたいなので、
巳月についてはライトな感じで描写していくのかもしれませんね。。
いずれにしても?『自分の生い立ちに打ち勝って、自分らしい道を歩む事』というのはBORUTOの大きなテーマなのかなぁと思います(^-^)
本日の話題!漫画「BORUTO」はこちらからチェックできます☆↓↓
BORUTO―ボルト― 1 ―NARUTO NEXT GENERATIONS― (ジャンプコミックス)
発売元:集英社
発売日:2016年08月04日
巳月がなぜ巳月なのか、彼がそれを選ぶ前は「巳杯(ミツキ)」だったお話など、彼についての核心的お話は1巻で読めます!
ぜひぜひ、要チェックです(*^ー^)ノ♪
BORUTO―ボルト― 2 ―NARUTO NEXT GENERATIONS― (ジャンプコミックス)
発売元:集英社
発売日:2016年12月02日
BORUTO―ボルト― 3 ―NARUTO NEXT GENERATIONS― (ジャンプコミックス)
発売元:集英社
発売日:2017年05月02日
2、3巻もチェックしてみて下さい!
巳月がどんな風に変わって行くのか、見守って行きましょー(^o^)/
本日は…突然ですが!
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でもコスプレしてみたい!という友達に誘われて、30歳も過ぎて(;゜∇゜)
初めてコスプレデビューしちゃいました☆
最近はコスプレが流行ってたり人気なのは知ってたし、
クオリティの高いのとか「すごいな!」「どんだけ好きなんだろう(゜゜;)」とは思ったけど、自分がやるとは全く思いもしませんでした(汗)
でもやってみて、、
すごーく自分の世界が広がって楽しいです♪♪♪
素敵な漫画にも出会えたし、メイクや美容の勉強にもなったし、「自分じゃない誰か」になれる!表現できる!ってこんなに楽しいのかーと(*^▽^*)☆
そんな訳で、そして今はハロウィンの時期で更にコスプレが盛り上っているのにもあやかって、コスプレのお話です(^_^)
以下は、コスプレイヤーさんやカメラマンさんが集うとあるSNS?にて、SAIが投稿した記事になります。
漫画「BORUTO」をご存じ無かったり詳しく無い方には意味が分からないかも(;_;)
そして多少のネタバレも含みます事、よろしくお願いいたします_(._.)_
==================
ハロウィンで「コスプレ」が流行っているようです。
「コスプレ」というキーワードしか接点が無いけど(゜゜;)
BORUTOの巳月(ミツキ)のコスプレです☆
合わせの友達が
人生の為に色々頑張っている最中なので、今は一人で練習中!
コスプレも漫画もBORUTOも詳しく無くて、至らないところばっかり。沢山迷惑もかけてしまうけど、自分にできる努力はして…
友達が帰って来た時に、もっと楽しめるように頑張ります(*´∀`)♪
【写真1】
“白の彼岸花”と巳月。
たまたま花言葉が「想うはあなた一人」だと知って、巳月にピッタリ過ぎ!と思って小道具に使ってみました(^^)
自分だけで輝く事はできないけど、ボルトが太陽になってくれたら、巳月も暗闇を照らす満月のようになれる。
彼自身、自分は実験の為に造り出された人造人間だと自覚しているけど。
そのような「生命体」が現代や未来の社会においてどう解釈されていくのか…
現実世界が抱える倫理観の問題としても、巳月は興味深い存在だなぁと思います。
【写真2】
“白狐のお面”と巳月。
このお面はBORUTOの前作であるNARUTOの登場人物、はたけカカシ先生が暗部時代に着けていたものにそっくり!
なので、カカシ先生のコスプレで使う方が正しいのかもしれないですが…(((((((・・;)
でも白狐のお面の「いわれ」を調べてみると、巳月のイメージを表すものとしてもO.K.なんじゃないかなぁ!と思いました( ・∇・)〇
白狐は「神様の使い」だそうで、写真1のお話とも被りますが、人間が生命の理(ことわり)に踏み込む事が、新時代に希望をもたらすのか、それとも何かを狂わせていく原因になってしまうのか?
人間にはコントロール出来ず、良くも悪くも触れて良いのか分からない。イマイチ捉えどころが無いような、不思議な存在の巳月は未来からの神様の使者だったりして??なんて妄想してしまうのです(*´-`)
【写真3】
“そんなこと、どうでもいいよね。”
巳月の口ぐせ?決まり文句です(^_^)
『NARUTO―ナルト― 外伝 〜満ちた月が照らす道〜』で今の巳月(薬で記憶を5回消され6度めの正直!)が、とりあえず「第一関門は成功」と大蛇丸に認められたのは…
「子供の…ボクにとって……
そんなの…どっちでもいい事なんだよ
アンタ達 大人の言ってる事なんてね」
「ボクの事はボク自身が決める!」
(漫画「BORUTO ―ボルト― ―NARUTO NEXT GENERATIONS―」1巻 より引用)
与えられた2つの選択肢のどちらかを選ぶのではなく、自分自身で生きる道は決めるんだ!と、ついに人造人間の枠や限界を超えられる望みが見えたから?
それに巳月が(人造人間ではあるにしても)親の影響を背負ってしまうようでは、世界へ放たれても生きる道が「茨の道」になるのは想像がつきます(>_<)
いつか「自分の身内はお前の親のせいで…!」って言われる時も来るだろうし。。
咎人の子という世間の眼差しを
“そんなこと、どうでもいいよね。”って言えるくらいじゃないと…。ツラい(/_;)
ただ、少年漫画なのでそこまで深い描写はしないようなお話を岸本先生はされていたようです。
巳月は、普段コンタクトした事も無かった自分には初めてのカラーコンタクト挑戦でした!
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先輩レイヤー様方のお写真を拝見して、
すごいなーと思ったり、勉強もさせていただいております(☆▽☆)
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それにしても「誰やねんっ!」な写真ですねー(;゜∇゜) メイクの力ってすごい &加工の力もすごいー!
そして私がやっている巳月というキャラクターは、大人気漫画NARUTOの続編的お話BORUTOの登場人物で…
BORUTOはNARUTOの登場人物達が大人になり、その息子や娘世代のお話です〇
よく、活躍した親をもつ子は苦労すると言われたりするけど、
主人公のボルトも、世間から英雄と称えられる父親をもつ事で葛藤を抱えています。
また同様に、
その近い存在である「うちはサラダ」という女の子も親の影響を受けて葛藤しています。
巳月は人造人間で、その実験の主、大蛇丸を親としているようです。大蛇丸はNARUTOの時代の様々な事件を起こした問題人物だったようで、巳月はそういう親をもつという事と、また倫理的な問題と…すごく大変な状況に居るはずなのですが。。
「そんなこと、どうでもいいよね。」と言えてしまう「強さ」…とはちょっと違うかな(>_<)
彼はまだ感情がちゃんと発達していないらしく、だからこそ苦しまなくて済んでいるのかな。。
感情や人情?豊かなボルトと接していくうちに、巳月も感情が育まれていきそうだけど。
そうすると「楽しい」とか「嬉しい」が理解できるようになるかもしれないけど、
人々の悲しみや苦しみ、憎しみも理解できるようになった時、巳月はどれだけ苦しむ事になるのだろう…と心配(ノ_<。)
でも監修の岸本先生は少年漫画だからそこまで立ち入る話にはしないような事を言われてたみたいなので、
巳月についてはライトな感じで描写していくのかもしれませんね。。
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2、3巻もチェックしてみて下さい!
巳月がどんな風に変わって行くのか、見守って行きましょー(^o^)/
2017年09月18日
ネガティヴな人がより良い人生を生きる方法☆【雑記帳】
どうもー!
昨日はお目汚しな記事をご覧に入れてしまい、申し訳ありませんでしたー(^^;)
でもSAIはこの数ヶ月だったり、子供の頃から溜め込んでいた行き場の無い感情を初めて出す事ができて、なんだか元気が出てきました◎
……SAIばっかり元気になって、皆様に不快感を与えていたらすみませんm(_ _)m
実はこの数年、私は人生がどうやったら上手く行きやすくなるかというのが段々分かってきて、普段もそれを心がけていて。それである人に「聖者ですかっ?!」って言われた事があります。
でも、もちろん!皆様も前回の記事でご存知の通り(汗)SAIは全く聖者なんかじゃありません。できるだけ良い人間になりたいとは思っていますが(><)
それで、自分の良い面ばっかりをお見せするのは騙しているみたいで嫌だなぁと思って、ありのままの私を語らせていただきました…。
怖かったですかー? ドン引きしちゃいましたかー(T_T)?
…っそ、、そうですよね。 怖がらせてしまってすみません。。
今回そうやって改めて振り返ってみて、更に理解する事ができました―自分がいかに平凡で平和な恵まれた子供時代を過ごしてきたのか。
子供の頃にもそれなりに自分が恵まれた環境に居るという事は分かっていたし、それこそアフリカの貧困で苦しむ子供たちとか、色んな事情で大変な環境にいらっしゃる方々が存在するという事は分かっていました。
でも臆病で消極的で人の輪の中に自ら入っていくことができなかった私は、やっぱりコミュニケーションが上手な同世代の子達よりもかなりの世間知らずで。(←いっ今もまだ克服しきれてません(TT))
それで自分の苦しい世界しか見えなくなってしまって、どんどん精神を病んでいきました。
でも自分と向き合って克服する努力を色々してきた今なら、昔の自分が恵まれた環境に居ながらもなぜあまり幸せを感じながら生きられなかったのかが良く分かります。
仏教の教えには「因果応報(いんがおうほう)」という言葉があるようで、「原因があるから結果がある」とか「結果には原因がある」といった意味のようです。
分かりやすくイメージするなら、これを悪い意味で解釈した場合は、世間で良く聞く「自業自得(じごうじとく)」と近い意味になると思います。
「業(ごう)」とは「行い(おこない、行動)」の意味なので「自業(じごう)」は「自分の行動」のこと。
「自得(じとく)」とは「自分が結果、運命を得る」という意味で、よって「自業自得」とは「自分の行為が自分の運命を生み出す」という意味になるそうです。
だから「因果応報」と「自業自得」がどんな感じかと例示させていただくと…↓
例:[原因]悪い行いをした ⇒ [結果]不幸になった みたいな感じです。
両方とも一般には悪い意味で使われる事が多いですが、良い意味合いで使うのも間違っていないようなので…↓
例:[原因]良い行いをした ⇒ [結果]幸せになった というのも有りみたいです。
SAIは昔からずっと、「口下手」な事が悩みの一つでした。自分の思いを上手く言葉にできない。テンポ良く会話のキャッチボールができない。(←今もだ…(冷や汗))
小学生か中学生の頃だったかなぁ…先生に「言葉を知った方が良い」って言われました。正に、その通りだと思いました。
自分から人に嫌がらせするような事は絶対にしたくなかったし、傷つけたくなかったけど。でも言葉を知らない私は、結局は人を傷つけた。しかも、多分けっこう深いところを突いたりえぐってしまうような。
例えば拳で殴られると、その時はすっごく痛い。でも時間が経てば傷は癒える。
でも「言葉で受けた傷」は治りにくい。個人差はあるかもしれないけど…でも物理的な傷よりも性質が悪い。
それで昔に、「自分が孤立したという結果」があったのも、「自分が人を言葉で傷つけたという原因」があったのだと分かりました。たとえ「傷つけたくない」って思ってたって、言われた相手はそんなの分かるわけないし、きっとすごく苦しかったろうな…。そんな因果応報・自業自得(>_<)
あの…ちょっと脱線のプチ情報ですが…(汗)
この「因果応報」とか“仏様の教え”をカジュアルな感じで学べる、とっても素敵な漫画があります!
SAIが中学生くらいの時に週刊少年ジャンプで連載されていた『仏ゾーン(ぶつぞーん)』という漫画で、仏様とかが動いて闘って、人間みたいに感情を持っていて…とにかくそのアイディアというか着想が新鮮過ぎる「唯一無二の仏像漫画」な感じです。むしろ、仏像をテーマに漫画を書こうという点からして唯一無二?!
また違う機会に、しっかりご紹介したいです(*>_<*)
いきなり仏教入門とかはとっつきにくいかもしれないけど、この漫画は本当にお勧めです!!!
(こんなに素晴らしい漫画が打ち切りになったのは、いまだに納得できません(TT))
ぜひぜひチェックしてみて下さい☆
↓ ↓ ↓
お話戻ります…(^^)
「言葉」は目に見えないし形があるわけでもないけど、でも「言霊(ことだま)」という言葉があるように実はすごいエネルギーを持っている。「たかが言葉」なんて思ってはいけない。そういう事に気づきました。
自分がそれに気づいてみると、色々上手くやれてないような方はやっぱり“ネガティブ・ワード”が多いのにも気づきます…。
もしチームワークとかで何かをやっていくなら、メンバーにかける言葉というのは大切にした方が良いと思います。特に“ネガティブ・ワード”のもつ負の力・破壊力は想像以上のものなので、相手とこれからも一緒に頑張っていきたいと思うのなら、ネガティヴな内容を伝えなければいけない時は本当に気を使った方が良いかと…。言った相手だけじゃなく、聞こえたメンバーみんなの士気が一気に下がってしまうような事もあり得ると思います。
まあ熱血スポーツ漫画みたいに、サバサバした男の人同士が真っ向からぶつかり合う!!みたいな関係なら大丈夫かもしれませんが…(^^;) そうじゃなかったり、信頼関係もまだ充分に築けていない時は、気を使いすぎるという事は無いと思います。。
SAIはまだ口下手だけど、昔の自分の何がいけなかったかに気づけたからそこに注意して、できるだけ良い言葉を使えるよう努力したいです(^^)◎
えーそれでは…かなり前置き?のお話が長くなってしまったのですが(^^;)
本日の本題!
「ネガティヴな人がより良い人生を生きる方法」☆
いやいや、SAIいきなり何言っちゃってんの?? みたいなタイトルですみません(汗)
これは、巷の本で売られているような素晴らしい内容とは全然違くて…(汗)(汗)
SAIが自分と向き合い、より良く生きたいと思って色々考えて、、つまり“SAIの思いつき”です!!
「えーーー(怒)」←一気にブーイングの嵐(T_T)
ごっごめんなさい…
はい、なので、すっごくお時間が有り余ってヒマ過ぎるから付き合ってやるよ。しょうがないなー。
という方だけ、以下にお付き合い下さい…m(_ _)m
はい、気を取り直しまして!
↑ 何だか急に哲学的ー(^^;)
人それぞれ、色んな答えがあると思います◎
SAIの思う答えは…
「どう考えるか」そして「どう行動するか」。これによってつくられていくのだと思います!
そしてSAIを始めとする…
本日のタイトル「ネガティヴな人がより良い人生を生きる方法」に反応していらっしゃった「ネガティヴな」皆様…(^^;) にまたご質問です!!
―そりゃあ「私はダメ人間だ」って思う事でしょ?
―うん、あと「これできない」とか「僕には無理」って思ったり…
―「今月の給料これしか無いのかー」みたいな…(涙)←切実(TT)
はい! 色んなお答えがありそうですね!
全て正解!だと思います(^^)◎
そして1つ付け足しさせていただくならば…上のご回答は「考え方のネガティヴ」。
と言う事は…ご察しの良い皆様ならお気づき!もう1つは「行動のネガティヴ」というものもあると、SAIは思うのです!
それで先ほどのQ1とQ2のご説明ですが…
現在:人が頭で色んな事を考える ⇒ 人が何かしらの行動をする / または行動しない ⇒ 未来
分かりにくいかもですが。。こんなイメージ(>_<;)
それで種類?としては
@ 「考え方のポジティヴ」 × 「行動のポジティヴ」
A 「考え方のポジティヴ」 × 「行動のネガティヴ」
B 「考え方のネガティヴ」 × 「行動のポジティヴ」
C 「考え方のネガティヴ」 × 「行動のネガティヴ」
の4つがあります☆
どんな意味か例示すると…
@「できる」と思って ⇒ 「向上する為の行動をする」
A「できる」と思って ⇒ 「行動しないor後退・減退の行動をする」
B「できない」と思って ⇒ 「向上する為の行動をする」
C「できない」と思って ⇒ 「行動しないor後退・減退の行動をする」
もっと分かりやすい具体例としては…例えばダイエット?
@「痩せられる!ダイエットは成功する!」と思って ⇒ 「食事コントロールや運動をしっかりやる」
A「痩せられる!ダイエットは成功する!」と思って ⇒ 「いつか始めればよいと思って始めない。or なぜか余計にお菓子を食べてしまう。」
B「痩せられないかも…ダイエットできないかも…」と思って ⇒ 「食事コントロールや運動をしっかりやる」
C「痩せられないかも…ダイエットできないかも…」と思って ⇒ 「いつか始めればよいと思って始めない。or なぜか余計にお菓子を食べてしまう。」
こんな感じだと分かりやすいでしょうか(^^)?
恐らく、素晴らしい結果が出せるのは@タイプの人ですよね◎
「やれる!」と思って、結果を出すための行動もしっかりやる! オリンピックでも結果を出せるようなアスリートとか、欧米人の方に多いタイプでしょうか? 理想ですね!
他の3つ、A・B・Cのタイプの人はどうでしょう?
Cは恐らく、結果を出すのが最も難しいタイプ(><)?
そして興味深いのがAとBの比較!
世の中には、「ポジティヴだけど結果が伴わない人」と「ネガティヴだけどそれなりに結果を出せる人」って居ませんか?
これって実は
「ポジティヴだけど結果が伴わない人」=A「できる」と思って⇒「行動しないor後退・減退の行動をする」
「ネガティヴだけど結果を出せる人」=B「できない」と思って⇒「向上する為の行動をする」
だと思うのです(^^;)
結果だけ見るとBの方が良いですよね。
つまり良い結果を出す、良い未来をつくるには「考え方がポジティヴかどうか」よりも、「行動がポジティヴかどうか」の方が大事!という事なのだと思うのです。。
(もちろん、考え方がポジティヴに越したことはありませんが)
Aタイプの人は、実は「考え方がポジティヴ」と言うより「現実を直視しないで逃避している」という可能性もあるのかな…(汗)
分かりにくかったら申し訳ないですが、
ここで本日お集まりの「ネガティヴな皆様」(=考え方がネガティヴ)が狙うべきは! Bタイプだと思うのです(^^)
やっぱり「ポジティヴになりたい」ってどう思っても、頑張っても、気持ちや心ってそう簡単に変えられるものではない。
だからもう「できないかも、無理かも」って考えてしまう自分は許して、でも「自分が出したい結果やつくりたい未来を実現させるためにできる行動はする!」そこを大事にしてみましょう!
という事なのです(^0^)/
未来をつくる上で一番大事なのは、「どう行動するか」!
資格試験受かりたい!という未来がある。
難しいし、受からないかも… と思ってしまう自分は許す◎
受かりたいから、とにかくやれるだけ勉強頑張る!という行動をする! 実現させる為の行動が大事!!
それで受かったら「意外と自分やれるじゃん」みたいに思えて、自信がついて、今度は「考え方もポジティブ」になれるかもしれない!
そしたら世界レベルに通用するアスリートみたいな?@タイプも夢じゃない(^0^)☆
はい! そんな感じの“SAIの思いつき”でしたー。
皆様のご参考になる事があったら幸いです。
お付き合いいただきありがとうございました(*^_^*)
昨日はお目汚しな記事をご覧に入れてしまい、申し訳ありませんでしたー(^^;)
でもSAIはこの数ヶ月だったり、子供の頃から溜め込んでいた行き場の無い感情を初めて出す事ができて、なんだか元気が出てきました◎
……SAIばっかり元気になって、皆様に不快感を与えていたらすみませんm(_ _)m
実はこの数年、私は人生がどうやったら上手く行きやすくなるかというのが段々分かってきて、普段もそれを心がけていて。それである人に「聖者ですかっ?!」って言われた事があります。
でも、もちろん!皆様も前回の記事でご存知の通り(汗)SAIは全く聖者なんかじゃありません。できるだけ良い人間になりたいとは思っていますが(><)
それで、自分の良い面ばっかりをお見せするのは騙しているみたいで嫌だなぁと思って、ありのままの私を語らせていただきました…。
怖かったですかー? ドン引きしちゃいましたかー(T_T)?
…っそ、、そうですよね。 怖がらせてしまってすみません。。
今回そうやって改めて振り返ってみて、更に理解する事ができました―自分がいかに平凡で平和な恵まれた子供時代を過ごしてきたのか。
子供の頃にもそれなりに自分が恵まれた環境に居るという事は分かっていたし、それこそアフリカの貧困で苦しむ子供たちとか、色んな事情で大変な環境にいらっしゃる方々が存在するという事は分かっていました。
でも臆病で消極的で人の輪の中に自ら入っていくことができなかった私は、やっぱりコミュニケーションが上手な同世代の子達よりもかなりの世間知らずで。(←いっ今もまだ克服しきれてません(TT))
それで自分の苦しい世界しか見えなくなってしまって、どんどん精神を病んでいきました。
でも自分と向き合って克服する努力を色々してきた今なら、昔の自分が恵まれた環境に居ながらもなぜあまり幸せを感じながら生きられなかったのかが良く分かります。
仏教の教えには「因果応報(いんがおうほう)」という言葉があるようで、「原因があるから結果がある」とか「結果には原因がある」といった意味のようです。
分かりやすくイメージするなら、これを悪い意味で解釈した場合は、世間で良く聞く「自業自得(じごうじとく)」と近い意味になると思います。
「業(ごう)」とは「行い(おこない、行動)」の意味なので「自業(じごう)」は「自分の行動」のこと。
「自得(じとく)」とは「自分が結果、運命を得る」という意味で、よって「自業自得」とは「自分の行為が自分の運命を生み出す」という意味になるそうです。
だから「因果応報」と「自業自得」がどんな感じかと例示させていただくと…↓
例:[原因]悪い行いをした ⇒ [結果]不幸になった みたいな感じです。
両方とも一般には悪い意味で使われる事が多いですが、良い意味合いで使うのも間違っていないようなので…↓
例:[原因]良い行いをした ⇒ [結果]幸せになった というのも有りみたいです。
SAIは昔からずっと、「口下手」な事が悩みの一つでした。自分の思いを上手く言葉にできない。テンポ良く会話のキャッチボールができない。(←今もだ…(冷や汗))
小学生か中学生の頃だったかなぁ…先生に「言葉を知った方が良い」って言われました。正に、その通りだと思いました。
自分から人に嫌がらせするような事は絶対にしたくなかったし、傷つけたくなかったけど。でも言葉を知らない私は、結局は人を傷つけた。しかも、多分けっこう深いところを突いたりえぐってしまうような。
例えば拳で殴られると、その時はすっごく痛い。でも時間が経てば傷は癒える。
でも「言葉で受けた傷」は治りにくい。個人差はあるかもしれないけど…でも物理的な傷よりも性質が悪い。
それで昔に、「自分が孤立したという結果」があったのも、「自分が人を言葉で傷つけたという原因」があったのだと分かりました。たとえ「傷つけたくない」って思ってたって、言われた相手はそんなの分かるわけないし、きっとすごく苦しかったろうな…。そんな因果応報・自業自得(>_<)
あの…ちょっと脱線のプチ情報ですが…(汗)
この「因果応報」とか“仏様の教え”をカジュアルな感じで学べる、とっても素敵な漫画があります!
SAIが中学生くらいの時に週刊少年ジャンプで連載されていた『仏ゾーン(ぶつぞーん)』という漫画で、仏様とかが動いて闘って、人間みたいに感情を持っていて…とにかくそのアイディアというか着想が新鮮過ぎる「唯一無二の仏像漫画」な感じです。むしろ、仏像をテーマに漫画を書こうという点からして唯一無二?!
また違う機会に、しっかりご紹介したいです(*>_<*)
いきなり仏教入門とかはとっつきにくいかもしれないけど、この漫画は本当にお勧めです!!!
(こんなに素晴らしい漫画が打ち切りになったのは、いまだに納得できません(TT))
ぜひぜひチェックしてみて下さい☆
↓ ↓ ↓
....『仏ゾーン』....................................................
千本の手で全ての衆生をもれなく救う仏、“千手観音”のセンジュくんが、未来の救世主である弥勒菩薩の生まれ変わり、さっちゃんを悟りへ導く物語。
=集英社文庫―コミック版(全2巻)=
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=ジャンプ・コミックス(全3巻)=
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お話戻ります…(^^)
「言葉」は目に見えないし形があるわけでもないけど、でも「言霊(ことだま)」という言葉があるように実はすごいエネルギーを持っている。「たかが言葉」なんて思ってはいけない。そういう事に気づきました。
自分がそれに気づいてみると、色々上手くやれてないような方はやっぱり“ネガティブ・ワード”が多いのにも気づきます…。
もしチームワークとかで何かをやっていくなら、メンバーにかける言葉というのは大切にした方が良いと思います。特に“ネガティブ・ワード”のもつ負の力・破壊力は想像以上のものなので、相手とこれからも一緒に頑張っていきたいと思うのなら、ネガティヴな内容を伝えなければいけない時は本当に気を使った方が良いかと…。言った相手だけじゃなく、聞こえたメンバーみんなの士気が一気に下がってしまうような事もあり得ると思います。
まあ熱血スポーツ漫画みたいに、サバサバした男の人同士が真っ向からぶつかり合う!!みたいな関係なら大丈夫かもしれませんが…(^^;) そうじゃなかったり、信頼関係もまだ充分に築けていない時は、気を使いすぎるという事は無いと思います。。
SAIはまだ口下手だけど、昔の自分の何がいけなかったかに気づけたからそこに注意して、できるだけ良い言葉を使えるよう努力したいです(^^)◎
えーそれでは…かなり前置き?のお話が長くなってしまったのですが(^^;)
本日の本題!
「ネガティヴな人がより良い人生を生きる方法」☆
いやいや、SAIいきなり何言っちゃってんの?? みたいなタイトルですみません(汗)
これは、巷の本で売られているような素晴らしい内容とは全然違くて…(汗)(汗)
SAIが自分と向き合い、より良く生きたいと思って色々考えて、、つまり“SAIの思いつき”です!!
「えーーー(怒)」←一気にブーイングの嵐(T_T)
ごっごめんなさい…
はい、なので、すっごくお時間が有り余ってヒマ過ぎるから付き合ってやるよ。しょうがないなー。
という方だけ、以下にお付き合い下さい…m(_ _)m
はい、気を取り直しまして!
Q1. 皆様は、「未来」ってどうやってつくられていくと思いますか?
↑ 何だか急に哲学的ー(^^;)
人それぞれ、色んな答えがあると思います◎
SAIの思う答えは…
「どう考えるか」そして「どう行動するか」。これによってつくられていくのだと思います!
そしてSAIを始めとする…
本日のタイトル「ネガティヴな人がより良い人生を生きる方法」に反応していらっしゃった「ネガティヴな」皆様…(^^;) にまたご質問です!!
Q2. 「ネガティヴって、そもそもどういう事?」
―そりゃあ「私はダメ人間だ」って思う事でしょ?
―うん、あと「これできない」とか「僕には無理」って思ったり…
―「今月の給料これしか無いのかー」みたいな…(涙)←切実(TT)
はい! 色んなお答えがありそうですね!
全て正解!だと思います(^^)◎
そして1つ付け足しさせていただくならば…上のご回答は「考え方のネガティヴ」。
と言う事は…ご察しの良い皆様ならお気づき!もう1つは「行動のネガティヴ」というものもあると、SAIは思うのです!
それで先ほどのQ1とQ2のご説明ですが…
現在:人が頭で色んな事を考える ⇒ 人が何かしらの行動をする / または行動しない ⇒ 未来
分かりにくいかもですが。。こんなイメージ(>_<;)
それで種類?としては
@ 「考え方のポジティヴ」 × 「行動のポジティヴ」
A 「考え方のポジティヴ」 × 「行動のネガティヴ」
B 「考え方のネガティヴ」 × 「行動のポジティヴ」
C 「考え方のネガティヴ」 × 「行動のネガティヴ」
の4つがあります☆
どんな意味か例示すると…
@「できる」と思って ⇒ 「向上する為の行動をする」
A「できる」と思って ⇒ 「行動しないor後退・減退の行動をする」
B「できない」と思って ⇒ 「向上する為の行動をする」
C「できない」と思って ⇒ 「行動しないor後退・減退の行動をする」
もっと分かりやすい具体例としては…例えばダイエット?
@「痩せられる!ダイエットは成功する!」と思って ⇒ 「食事コントロールや運動をしっかりやる」
A「痩せられる!ダイエットは成功する!」と思って ⇒ 「いつか始めればよいと思って始めない。or なぜか余計にお菓子を食べてしまう。」
B「痩せられないかも…ダイエットできないかも…」と思って ⇒ 「食事コントロールや運動をしっかりやる」
C「痩せられないかも…ダイエットできないかも…」と思って ⇒ 「いつか始めればよいと思って始めない。or なぜか余計にお菓子を食べてしまう。」
こんな感じだと分かりやすいでしょうか(^^)?
恐らく、素晴らしい結果が出せるのは@タイプの人ですよね◎
「やれる!」と思って、結果を出すための行動もしっかりやる! オリンピックでも結果を出せるようなアスリートとか、欧米人の方に多いタイプでしょうか? 理想ですね!
他の3つ、A・B・Cのタイプの人はどうでしょう?
Cは恐らく、結果を出すのが最も難しいタイプ(><)?
そして興味深いのがAとBの比較!
世の中には、「ポジティヴだけど結果が伴わない人」と「ネガティヴだけどそれなりに結果を出せる人」って居ませんか?
これって実は
「ポジティヴだけど結果が伴わない人」=A「できる」と思って⇒「行動しないor後退・減退の行動をする」
「ネガティヴだけど結果を出せる人」=B「できない」と思って⇒「向上する為の行動をする」
だと思うのです(^^;)
結果だけ見るとBの方が良いですよね。
つまり良い結果を出す、良い未来をつくるには「考え方がポジティヴかどうか」よりも、「行動がポジティヴかどうか」の方が大事!という事なのだと思うのです。。
(もちろん、考え方がポジティヴに越したことはありませんが)
Aタイプの人は、実は「考え方がポジティヴ」と言うより「現実を直視しないで逃避している」という可能性もあるのかな…(汗)
分かりにくかったら申し訳ないですが、
ここで本日お集まりの「ネガティヴな皆様」(=考え方がネガティヴ)が狙うべきは! Bタイプだと思うのです(^^)
やっぱり「ポジティヴになりたい」ってどう思っても、頑張っても、気持ちや心ってそう簡単に変えられるものではない。
だからもう「できないかも、無理かも」って考えてしまう自分は許して、でも「自分が出したい結果やつくりたい未来を実現させるためにできる行動はする!」そこを大事にしてみましょう!
という事なのです(^0^)/
未来をつくる上で一番大事なのは、「どう行動するか」!
資格試験受かりたい!という未来がある。
難しいし、受からないかも… と思ってしまう自分は許す◎
受かりたいから、とにかくやれるだけ勉強頑張る!という行動をする! 実現させる為の行動が大事!!
それで受かったら「意外と自分やれるじゃん」みたいに思えて、自信がついて、今度は「考え方もポジティブ」になれるかもしれない!
そしたら世界レベルに通用するアスリートみたいな?@タイプも夢じゃない(^0^)☆
はい! そんな感じの“SAIの思いつき”でしたー。
皆様のご参考になる事があったら幸いです。
お付き合いいただきありがとうございました(*^_^*)
2017年09月17日
「ちっぽけなこの僕にできること 少しずつでも伝えてみたいんだ」―回復期あるある(夏目友人帳第3期オープニングテーマ HOW MERRY MARRYの『僕にできること』より)
今日はダーク・サイド(暗黒期) of SAIなお話。
重過ぎたら、途中退室をお勧めいたします。。。
最近のヘビロテ曲は、今年の自分への誕生日プレゼントに買ったCDの一枚、「夏目友人帳 主題歌集」に収録されている『僕にできること』。
夏目友人帳のアニメ第3期のオープニングテーマだった曲。
↓ ↓ ↓
HOW MERRY MARRYの『僕にできること』
柔らかな心地よい光に照らされるような曲だ…。
サウンドの爽やかで優しいところと歌詞が、とにかく心に染み入る。歌声が素朴で優しい感じなところも癒される。
それは苦くない身体に良い植物性の薬をゆっくりと飲んで、それがじんわりと全身に巡って楽になっていくような感覚。
『夏目友人帳』に出会って、大好きになって、アニメの主題歌も素敵な曲ばかりで。
人と繋がるツールとして音楽をやりたいと思い歌に挑戦している私は、夏目友人帳の歌も歌いたいと思った。
アニメ第1期のオープニングテーマ『一斉の声(いっせいのせい)』が出会いの曲だからやっぱり一番めに好きになって、カラオケと弾き語りで練習している。
アニソンシンガーの喜多修平さんが歌う素晴らしい歌『一斉の声』の試聴↓
YouTubeで自分が歌った『一斉の声』の動画を「歌ってみた」でアップしたら、好意的コメントやサムアップをして下さる人達がいらっしゃった。夏目友人帳好きな人達はなんて優しいんだろう。
そしていただいたコメントの中に(夏目友人帳アニメ第4期オープニングテーマの)「『今、このとき。』も歌声に合いそう」と書いて下さっているものがあり、改めて夏目友人帳の他の主題歌もちゃんと聴いてみたくなって…自分への誕生日プレゼントに「夏目友人帳 主題歌集」のCDを買ってしまった。
買って本当に大正解だった。人間関係で引きずってしまっている事がある今の自分だから、よけい優しく響くのかな。上の『僕にできること』と『一斉の声』の2曲だけでなく、他の収録曲も全てが優しい光に包まれているみたいに感じる。ソフトカラーからペールカラーくらいのトーンの曲たち。あ、でも『あの日タイムマシン』だけはもうちょっと鮮やかで、ブライトカラーな感じかな。
そして例の『今、このとき。』もしっかり聴いてみて。サウンド的には爽やかで素敵な曲だったけど…歌詞がけっこう心に“ずしっ”ときた。今の自分には。
ひいらぎ 『今、このとき。』の試聴↓
自分は「うつ」っぽい気質もかなり改善してきたと思うし、マインドを出来るだけポジティブに持って行ける方法も分かってきた。人間社会の暗黙の了解みたいなのものも少しずつ理解してきて、昔よりは生きるのが楽になってきた。「辛い」という言葉を言えるようになった、というのはすごく大きいし、このブログで思いを伝える事もできるようになった。
でも『今、このとき。』は、「そうなれる前の自分の時、たまに出会えた思いやりのある人々がそんな感じの言葉をかけて下さったな」って思い出すような歌詞の内容。周りの人達の優しさや思いやり。それには気づけてたし、嬉しくてありがたかったけど、受け入れて身を委ねる事ができなかった。それは何かが怖かったから。
色んな物事をすごく好きになれそうな時もあるけど100%それに身を委ねるのは怖い。その不安なのか自制心は間違ってなかったのだろうか?それとも信じた相手が八方美人だったせい?いずれにせよ自分のタガを外して人を100%信じて委ねてみようと頑張った結果、関係がこじれて人間不信になった…。自分が人付き合い下手なのに無茶したのが良く無かったのかな……。でも一線を越えてみたいという努力ではあったんだ。
今の自分より、子供の頃の自分の方が冷めていたかもしれない。温かくなれそうな時もあった私の根底には、何か冷めたものも常に流れていた―おそらく“厭世観”。「楽しくて嬉しくて幸せに思える事があっても、それはきっと一瞬で終わってしまって、“結局”世の中なんて嫌な事の方がずーっと多いんだよ。」そんな風にどこかで「“結局”は…」という想いがいつもあった。大人の嘘、人の汚さ、そういうものをちょっと見ただけで美しかった記憶も汚い色に塗りつぶされた。
子供の頃から学生時代の私は、神経質、潔癖症、完璧主義、馬鹿正直、口下手・口が足りない、融通が利かない、消極的、不器用、両極端・二面性がある、何を考えているのか分からない、暗い、コミュニケーション能力不足、…そんな感じの事を言われてた。
たまに褒めてもらえた時もあったとは思うけど、ネガティヴな自分は「偶然今はそう言ってもらえただけだ」と思って受け止められなかった。そして批判的評価ばかりを真正面から全部受け止めて、そういうのばっかり覚えていて、自分は全然ダメだ、良くならなくちゃっていつも自己嫌悪していた。
中学生の時には、クラスメイトのある優しい女の子が「休み時間も無駄にしないで勉強してる〇〇ちゃん(←SAIのこと)素敵!」と言ってくれた事があった。でもそれは休み時間を一緒に過ごせる友達が居なかっただけで、「友達が居ない人」とか「一人で居る」って思われるのが嫌で、何かをしてる風にしてたかっただけ。
でも「あんなに勉強してどうするわけ?」って聞えるように言われたり、「公務員」とか「ガリ勉」とか嫌な意味であだ名をつけてくる女の子たちも居た。
高校生〜大学生の頃は、家に帰宅しても、休みの日も朝から晩まで常に勉強をしていないと不安で机から離れられなくなり、夜もベッドで寝られなかった。いつも勉強していて、気づいたら机で寝ている。それが習慣みたいになってしまい、止められなくなり出口の見えない毎日。
しかも実際は机に居るだけで集中力も無く、体力も落ちてきて思考も鈍って勉強がなかなかはかどらない。そこでまた焦って、よけい机から離れられなくなるという悪循環。
つい最近気づいたのは、これってアルコール依存症とか拒食症の人と病理は近い種類のものなんじゃないか、という事。
不安とかのストレスから逃れたい為に、何かに依存してしまう。アルコール依存症は「お酒」に、拒食症の人は「食べないで誰よりも痩せている」事に、そして私は「勉強」に。その点については3つとも同じ。でもその依存が“自己証明”や“存在証明”の性質を持つという点ではアルコール依存症は違って、拒食症と私の勉強依存の方が重なるかも…。それで、私は“勉強依存症”だったんだって気づいた。
それから、“存在証明”という言葉は日々自分と向き合う中で出会ったバンドONE OK ROCKの『存在証明』という曲が出会い…というか、気づきをもらった。
ONE OK ROCK の『存在証明』↓
この『存在証明』はアルバム「感情エフェクト」に収録↓
発売元:A-Sketch
発売日:2008年11月12日
<トラックリスト>
1. 恋ノアイボウ心ノクピド
2. どっぺるゲンガー
3. 皆無
4. 20 years old
5. Living Dolls
6. Break My Strings
7. 存在証明
8. CONVINCING
9. My sweet baby
10. Reflection
11. Viva Violent Fellow ~美しきモッシュピット~
12. JUST
直接的には関連の無い歌詞なのかもしれないけど、昔自分が抜け出せなくなっていたのは、どこかで「自分の存在価値を示したい」、それが出来なくても、せめて「自分で自分の価値を感じたい」という想いがあったからなのかもしれない。そう気づいた。
「食べないこと」に固執して拒食症になってしまう人は、誰かに否定されたとか、もしくは自分がコンプレックスを持っている事が原因で「自己否定」から逃れられなくなっているのだと思う。
他人・自分による否定の内容は必ずしも「太っている」事ではない。キッカケや最後の引き金ではあるかもしれないけど、それ以前に色々と否定されてきた事や、自分の中での自己否定の蓄積が下地にあると思う。
そして拒食症の人は、「食べずに誰よりも痩せている」事が“自己証明”や“存在証明”の方法になっている。それは自分を否定してきた人への無言で間接的な抵抗。もしくは嫌いな自分を少しでも認めてあげる為の方法。減量を自分でコントロールできると、自分に対して「ちゃんと結果を出せたね、良く頑張ったね」と言ってあげられる。自分で自分を認めてあげられる。安心できる。
私にはそういう拒食症の人の気持ちがすごく分かる気がする。私もすごく似た種類の気持ちを抱いていたから。
友達のつくり方が分からなくて「神経質だからいけないんだ。暗いからいけないんだ。」って自分を責め続けていた毎日。そして友達が作れない自分は人間としての価値も、存在価値も無い。クラスの女の子たちに「公務員」とか「ガリ勉」って言われるのも自分が悪いんだと思っていた。
そんな私ができる抵抗は、存在証明は、勉強を頑張って良い成績をとる事。
あんまり絡んでくるようなら言い返すのも時には必要だけど、結局は終わりに結びつかない。それに私は良くも悪くも真理を突き過ぎてしまうみたいで、言い返す時は相手に致命傷を与えるくらいの言葉を気づかずに言ってしまう事もあるみたいだと分かってきた。「普段は大人しいのに、口を開くとキツイ事を言う」みたいに思われて、何を考えているか分からない、怖いって思われて、人を遠ざけてしまう。また自分が嫌いになる。こんな自分、しゃべらない方が良いなって思った。
誰も傷つけずに自己証明できる方法は、彼女達がやれない事、彼女達より良い成績をとる事。それにより無言で間接的な抵抗をする。
人間として価値の無い自分が少しでも価値ある人間になれる方法は、頭が良くなって将来社会の役に立てるようになる事。
勉強を頑張って良い成績をとる事なら、自分一人の努力で何とかなる。テスト勉強を頑張って良い点数が取れた時は「良かった」って安心して、「私頑張れた」って思えて、「これで私も少しは存在価値があるだろうか」って思えた。
友達が居なくても、何かを発明したり良いアイディアを社会に提案できる人間にはなれる。そういう役の立ち方ならできるかもしれない。人と関わらなくても、存在証明できる方法はあるんだ。そんな風に、ひたすら世界を狭めて自分を頑なに研ぎ澄ましていく方向へ進んでいた。
親には「もっと朗らかに」とか言われていた。それでもっと自分にも他人にも優しくなろうと頑張ってきて…
今はかなり自分に優しくなったし、ユルくなった。←単に「甘くなった」「堕落した」の間違いかも??
だから最近の知り合いの人には、昔の私がそんな風だったとは分からないみたい。精神や心の病というのは外から見えにくいしな。それに外から気づかれないという事は、かなり自分を改善できているという事なのかな?
昔はそこまで深くない知り合いに「いきなり倒れた事無いかい?」とか、頑張って参加した大学の飲み会で「震えてるけど大丈夫?」って言われて、自分ではそんな風に周りから見えてたなんて気づかない事だからびっくりしたけど。
それに比べて最近は、辛かった話とか人にできるようになってきたし。一番辛かった時期は、まず自分が「うつ」っぽいという事にすら気づいていなかった。何で辛いのかも分からなかった。完全に自分を見失ってめちゃくちゃな心理状態だった。 人に話せないって言うか、見失っているからどう表現して良いのか言葉も見つからなかった。
自分がうつっぽい気質だと気づいたのは、そんな風に実は結構最近。
そういうタイプの人間だと夢にも思わなかった。そもそも思考にも浮かばなかった。
冷静に考えたら、子供の頃、一番くらいに身近な存在である母親がうつ病で脳神経外科に通院してたっけ。それに気付いた、思い出したのも最近。
ため息が多くてネガティブな言葉が多く、時間ができると体調が悪いわけではなくてもすぐ寝込んでいた母親。私はそういう母親が良く分からなかったけど、なんか元気無さそうだし、気をまぎらわしたりポジティブにしてあげたいなって思った。それは母親の為というか、その方が家も明るくなってみんなにも良いんじゃないかなーって思った。
家には父方のおばあちゃんも同居していていて、嫁姑問題もあった。でも多分そんなにひどいわけじゃなく、どこの家庭でもあるようなくらいのもの。でも神経質だった私はそういう空気が苦手で、二人が険悪になりそうな時は私がバカやってピエロやって空気を壊そうとしていた。
そして愚痴があるなら私がそれぞれの言い分を聞くよ、それで二人の気分が少しでも収まるなら良いよねと思って、二人の間を行き来して話を聞いていた。
板挟みのお父さんも可哀想だから、ちょっとなついてあげようって思ったり。
でも家がそれでもけっこう明るく保たれていたのは、私の努力って言うよりも父親のポジティヴさが大きいと思う。
私が27歳になるまで知らされていなかったけど、父親は実は天涯孤独だった。…けーっこうびっくりした。
どうも私は人を疑うっていう頭が無いらしく、そんな事ほんとに夢にも思わなかった。
「詐欺に騙されそう」ってたまに言われるけど、なぜかそこは第六感が働くのかセーフ…。まず相手を疑うっていう人もいらっしゃるらしいけど、最近の私は昔みたいに思い込みで信じる事は無くなったけど、疑うというより「今はそういう気持ちなのかもしれない。でも、未来は変わるかもしれないね。」って思う。あと、「本当に思っている事を上手く言葉にできていない人も居るな」って思う。自分がそうだし。だから相手が伝えたい思いについては、昔より広く想像しておくことにした。言葉・字面通りに受け止めるんじゃなく、もうちょっと幅を持たせて受け取る、という感じ??
それで…「おばあちゃん子」で育ってきた自分だけど、実はおばあちゃんも全然血が繋がってなくて“他人”だった、という事実もその時初めて知った。(父親が養子だった。)
…多分、小学生くらいの時にその事を聞いたら、結構ショック受けたかもしれないな。でも27歳までにテレビの色んなドキュメンタリーを見てきて、「血が繋がっていなくても素晴らしい家族や、素晴らしい人と人との繋がりはある」って思ってたから。だから「いやービックリした。そっかー、ずっと一緒に過ごしてきたおばあちゃんって他人だったのかぁ。でも、おばあちゃんはおばあちゃんだよな。楽しかった思い出も、温かかった時間も何も変わらないや。」って思った。
父親の話に戻ると…。
子供ながら「お父さんって本当に満面の笑みで笑うよなぁ。悔しいけど、ちょっと気分悪い事あっても、お父さんが笑うとつられて笑ってしまうよ。」って思っていた。
父親が実の親を知らない事、妹さんも養子で血が繋がっていない兄妹である事、子供の頃から体が弱かったけど毎日勉強を頑張って北大を卒業して、大きい企業に就職して、おばあちゃんに親孝行している今。そんな、父親の人生を知った。
なんかあの満面の笑みの裏側には、そういう強さっていうか、苦労があってのゆるぎないものだったんだって理解した。
休みの日も家事を率先してやって、10時と15時は自分からお茶とお菓子を用意して家族団らんの時間を作る。
父親は、語弊を恐れずに言うなら「4人とも他人同士の家族(父・母・自分・妹)」で過ごしてきて、本当の両親や家族を知らないからこそ、自分で作った家族は大事にしたかったのかな。それを作れた事が嬉しくてあんな笑顔だったのかなって思った。
そんな幸せな家庭でも、私は勝手に精神的に病んだ。何だろうな、誰も別に期待してないのに、変に頑張ってしまうって言うか。おばあちゃんと母親の間を取り持つ為に頑張って、でもネガティヴ・ワードを聞くのはけっこう体力が消耗する。精神的にも疲弊する。
私が「おばあちゃん子」だったのは、できるだけ二人の間で公平で居たかったけど、対立していない時の二人で一緒に居て心地良かったのはおばあちゃんだったから。おばあちゃんは、普段はすごく陽気で面白かった。それに口下手な私の気持ちを、私自身よりも分かってくれた。でもあんまり偏ると母親だって気分が良くないだろうし、母親だって毎日真面目に頑張ってると思うし、もっと対立するとおばあちゃんも家に居づらくなるかもしれないって思って、できるだけ中立で居るよう頑張ってはいた。
でも両方の言い分を聞いてると「調子が良い」って言われたり、ピエロしてると「子供は気楽で良いね」って言われたり…。
いやー、けっこう頑張ってるんですけどね。「親の心子知らず」って言うけど「子の心親知らず」とも誰か言ってくれないかなーみたいな。。そんな心にチクチクくる想いをどこにも吐き出せず、近所の公園へたそがれに行ったり、静かに流れる川辺を散歩したり…。
それで、学校では孤立して、家でも疲れていた。帰宅しても学校でちょっと言われた言葉に思い悩み、また、どうしたら家庭平和が守られるんだ?って事ばかりが気になり、中学とか高校の進路決定の時期にも、自分自身の気持ちとゆっくり向き合う余裕が無かった。
もう近場の進学校適当に行っておけば良いんじゃね?みたいになってきて。それで親も満足みたいだし、で「自分自身の意思」はほとんど無かった。
ある時おばあちゃんに「そんなに友達の事ばっかり考えて、そしたら、その子が『死ね』って言ったら死ぬのかい?」って言われた事があった。
つまり昔の自分は周りの目や人にどう思われているかばかり考えて、全然、自分の意思が持てていなかったのだと思う。
よく「獅子座は他のどの星座よりも『自分らしくある事』を大切にする星座です」って書いてあったりするけど…私ぜんぜん獅子座らしくないじゃん。(SAIは獅子座です。)
でも親との対立を経て、今、自分を追い求めるようになったのは、獅子座らしくなってきたのかな?
今日長々と自分自身の葛藤の歴史?を語ってきたのは…。
ご紹介したい曲『僕にできること』を聴いて、
この曲で歌われている内容が、今の自分の気持ちをすごく代弁してくれているように感じて、ある事を思ったから。
『僕にできること』の歌詞にある言葉↓
私自身が思い悩んだ、どうしようも無い事かもしれないけど。
でもこういう悩みってそんなに特別なものじゃなくて。「うつ病」って現代病って言われるし、実は多くの人が身近にあるものだと思う。
「参考」とかにはならないかもしれないけど、でも「語ること」・「伝えること」も無意味では無いかもしれないと思えた。
私は病院へ行って「あなたはうつ病です」と診断されたわけではない。だからプロフでも「うつ病です」と自称していない。
登校拒否になったわけでもない。学校行くのはすごく苦痛だったけど、登校拒否したら世間体を気にする親が居ずらくなっちゃうだろうから、そういう迷惑はかけないように私は頑張ろう。
そんな歪んだ気遣いで耐えていた。それで小学校も中学校も皆勤賞に近い登校率だった。
でも学校ちゃんと通ってたけど、やっぱり辛かったのは辛かった。自分がなぜ辛いのか知りたくて、色々調べてやっと「うつ病」というモノに出会った。そこに書かれている事が“私の説明書”みたいだった。
家庭崩壊してたわけでもない。
でも、辛いものは辛かった。
辛かった時の自分を知らない人に、「それくらいじゃうつ病って言わないよ」って言われるのは回復期あるあるだろうな。「私はうつ病だったんだ」って話したわけではないけど。他の、症状が外には見えにくい病気も同じだろうな。
でも昔の話を熱弁したってしょうがない。
ただ、すごく悲しかった。
登校拒否しました! リストカットしました! …そういう「実績」が無いと、辛いって言っちゃダメなのかな?
昔の自分だったら、そんな想いをまた一人で抱えなくちゃいけなかったけど。今はこのブログで、どんなお方が来て下さっているかは分からないけど、こんなに長々と語ることができる。
書いているうちに、胸のつかえも少し取れてきた。
「井戸に差し込んだ光」にご訪問いただいている皆様、本当にありがとうございます。
本当は素敵な音楽を沢山お伝えして、バンドの応援や、リスナーの皆様への情報提供をしたかったけど。
何だか自分の思いを吐き出す場所みたいになってしまってすみません。
でももし同じようにうつ病みたいな状態で苦しんでる方がいらっしゃるなら、こう言う風に書き出す事はご自身のセラピーにもなるので、ぜひやって見て下さい。
そして悩みや痛みの原因をまず知って、それから、どうしたら良くしていけるのか考えましょう。
SAIの一人語りが長くなってしまったので…もう一度、すっごく素敵な音楽!HOW MERRY MARRYの『僕にできること』を最後に載せさせていただきます。
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HOW MERRY MARRYの『僕にできること』
この素敵な曲、HOW MERRY MARRYの『僕にできること』と、上でご紹介させていただいた『一斉の声』、『今、このとき。』の3曲は「夏目友人帳 主題歌集」に収録されています。
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発売元:アニプレックス
発売日:2012年06月27日
<トラックリスト>
1. 一斉の声
2. 夏夕空
3. あの日タイムマシン
4. 愛してる
5. 僕にできること
6. 君ノカケラ feat 宮本笑里
7. 今、このとき。
8. たからもの
9. 夏を見ていた [bonus track]
音楽が心を癒すこともある。それを本当に体感して実感できるような素晴らしい音楽たち。
ちょっと疲れてしまっている方、頑張り過ぎてしまう方には、特に優しく響くと思います。
重過ぎたら、途中退室をお勧めいたします。。。
最近のヘビロテ曲は、今年の自分への誕生日プレゼントに買ったCDの一枚、「夏目友人帳 主題歌集」に収録されている『僕にできること』。
夏目友人帳のアニメ第3期のオープニングテーマだった曲。
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HOW MERRY MARRYの『僕にできること』
柔らかな心地よい光に照らされるような曲だ…。
サウンドの爽やかで優しいところと歌詞が、とにかく心に染み入る。歌声が素朴で優しい感じなところも癒される。
それは苦くない身体に良い植物性の薬をゆっくりと飲んで、それがじんわりと全身に巡って楽になっていくような感覚。
『夏目友人帳』に出会って、大好きになって、アニメの主題歌も素敵な曲ばかりで。
人と繋がるツールとして音楽をやりたいと思い歌に挑戦している私は、夏目友人帳の歌も歌いたいと思った。
アニメ第1期のオープニングテーマ『一斉の声(いっせいのせい)』が出会いの曲だからやっぱり一番めに好きになって、カラオケと弾き語りで練習している。
アニソンシンガーの喜多修平さんが歌う素晴らしい歌『一斉の声』の試聴↓
YouTubeで自分が歌った『一斉の声』の動画を「歌ってみた」でアップしたら、好意的コメントやサムアップをして下さる人達がいらっしゃった。夏目友人帳好きな人達はなんて優しいんだろう。
そしていただいたコメントの中に(夏目友人帳アニメ第4期オープニングテーマの)「『今、このとき。』も歌声に合いそう」と書いて下さっているものがあり、改めて夏目友人帳の他の主題歌もちゃんと聴いてみたくなって…自分への誕生日プレゼントに「夏目友人帳 主題歌集」のCDを買ってしまった。
買って本当に大正解だった。人間関係で引きずってしまっている事がある今の自分だから、よけい優しく響くのかな。上の『僕にできること』と『一斉の声』の2曲だけでなく、他の収録曲も全てが優しい光に包まれているみたいに感じる。ソフトカラーからペールカラーくらいのトーンの曲たち。あ、でも『あの日タイムマシン』だけはもうちょっと鮮やかで、ブライトカラーな感じかな。
そして例の『今、このとき。』もしっかり聴いてみて。サウンド的には爽やかで素敵な曲だったけど…歌詞がけっこう心に“ずしっ”ときた。今の自分には。
ひいらぎ 『今、このとき。』の試聴↓
自分は「うつ」っぽい気質もかなり改善してきたと思うし、マインドを出来るだけポジティブに持って行ける方法も分かってきた。人間社会の暗黙の了解みたいなのものも少しずつ理解してきて、昔よりは生きるのが楽になってきた。「辛い」という言葉を言えるようになった、というのはすごく大きいし、このブログで思いを伝える事もできるようになった。
でも『今、このとき。』は、「そうなれる前の自分の時、たまに出会えた思いやりのある人々がそんな感じの言葉をかけて下さったな」って思い出すような歌詞の内容。周りの人達の優しさや思いやり。それには気づけてたし、嬉しくてありがたかったけど、受け入れて身を委ねる事ができなかった。それは何かが怖かったから。
色んな物事をすごく好きになれそうな時もあるけど100%それに身を委ねるのは怖い。その不安なのか自制心は間違ってなかったのだろうか?それとも信じた相手が八方美人だったせい?いずれにせよ自分のタガを外して人を100%信じて委ねてみようと頑張った結果、関係がこじれて人間不信になった…。自分が人付き合い下手なのに無茶したのが良く無かったのかな……。でも一線を越えてみたいという努力ではあったんだ。
今の自分より、子供の頃の自分の方が冷めていたかもしれない。温かくなれそうな時もあった私の根底には、何か冷めたものも常に流れていた―おそらく“厭世観”。「楽しくて嬉しくて幸せに思える事があっても、それはきっと一瞬で終わってしまって、“結局”世の中なんて嫌な事の方がずーっと多いんだよ。」そんな風にどこかで「“結局”は…」という想いがいつもあった。大人の嘘、人の汚さ、そういうものをちょっと見ただけで美しかった記憶も汚い色に塗りつぶされた。
子供の頃から学生時代の私は、神経質、潔癖症、完璧主義、馬鹿正直、口下手・口が足りない、融通が利かない、消極的、不器用、両極端・二面性がある、何を考えているのか分からない、暗い、コミュニケーション能力不足、…そんな感じの事を言われてた。
たまに褒めてもらえた時もあったとは思うけど、ネガティヴな自分は「偶然今はそう言ってもらえただけだ」と思って受け止められなかった。そして批判的評価ばかりを真正面から全部受け止めて、そういうのばっかり覚えていて、自分は全然ダメだ、良くならなくちゃっていつも自己嫌悪していた。
中学生の時には、クラスメイトのある優しい女の子が「休み時間も無駄にしないで勉強してる〇〇ちゃん(←SAIのこと)素敵!」と言ってくれた事があった。でもそれは休み時間を一緒に過ごせる友達が居なかっただけで、「友達が居ない人」とか「一人で居る」って思われるのが嫌で、何かをしてる風にしてたかっただけ。
でも「あんなに勉強してどうするわけ?」って聞えるように言われたり、「公務員」とか「ガリ勉」とか嫌な意味であだ名をつけてくる女の子たちも居た。
高校生〜大学生の頃は、家に帰宅しても、休みの日も朝から晩まで常に勉強をしていないと不安で机から離れられなくなり、夜もベッドで寝られなかった。いつも勉強していて、気づいたら机で寝ている。それが習慣みたいになってしまい、止められなくなり出口の見えない毎日。
しかも実際は机に居るだけで集中力も無く、体力も落ちてきて思考も鈍って勉強がなかなかはかどらない。そこでまた焦って、よけい机から離れられなくなるという悪循環。
つい最近気づいたのは、これってアルコール依存症とか拒食症の人と病理は近い種類のものなんじゃないか、という事。
不安とかのストレスから逃れたい為に、何かに依存してしまう。アルコール依存症は「お酒」に、拒食症の人は「食べないで誰よりも痩せている」事に、そして私は「勉強」に。その点については3つとも同じ。でもその依存が“自己証明”や“存在証明”の性質を持つという点ではアルコール依存症は違って、拒食症と私の勉強依存の方が重なるかも…。それで、私は“勉強依存症”だったんだって気づいた。
それから、“存在証明”という言葉は日々自分と向き合う中で出会ったバンドONE OK ROCKの『存在証明』という曲が出会い…というか、気づきをもらった。
ONE OK ROCK の『存在証明』↓
この『存在証明』はアルバム「感情エフェクト」に収録↓
新品価格 |
発売元:A-Sketch
発売日:2008年11月12日
<トラックリスト>
1. 恋ノアイボウ心ノクピド
2. どっぺるゲンガー
3. 皆無
4. 20 years old
5. Living Dolls
6. Break My Strings
7. 存在証明
8. CONVINCING
9. My sweet baby
10. Reflection
11. Viva Violent Fellow ~美しきモッシュピット~
12. JUST
直接的には関連の無い歌詞なのかもしれないけど、昔自分が抜け出せなくなっていたのは、どこかで「自分の存在価値を示したい」、それが出来なくても、せめて「自分で自分の価値を感じたい」という想いがあったからなのかもしれない。そう気づいた。
「食べないこと」に固執して拒食症になってしまう人は、誰かに否定されたとか、もしくは自分がコンプレックスを持っている事が原因で「自己否定」から逃れられなくなっているのだと思う。
他人・自分による否定の内容は必ずしも「太っている」事ではない。キッカケや最後の引き金ではあるかもしれないけど、それ以前に色々と否定されてきた事や、自分の中での自己否定の蓄積が下地にあると思う。
そして拒食症の人は、「食べずに誰よりも痩せている」事が“自己証明”や“存在証明”の方法になっている。それは自分を否定してきた人への無言で間接的な抵抗。もしくは嫌いな自分を少しでも認めてあげる為の方法。減量を自分でコントロールできると、自分に対して「ちゃんと結果を出せたね、良く頑張ったね」と言ってあげられる。自分で自分を認めてあげられる。安心できる。
私にはそういう拒食症の人の気持ちがすごく分かる気がする。私もすごく似た種類の気持ちを抱いていたから。
友達のつくり方が分からなくて「神経質だからいけないんだ。暗いからいけないんだ。」って自分を責め続けていた毎日。そして友達が作れない自分は人間としての価値も、存在価値も無い。クラスの女の子たちに「公務員」とか「ガリ勉」って言われるのも自分が悪いんだと思っていた。
そんな私ができる抵抗は、存在証明は、勉強を頑張って良い成績をとる事。
あんまり絡んでくるようなら言い返すのも時には必要だけど、結局は終わりに結びつかない。それに私は良くも悪くも真理を突き過ぎてしまうみたいで、言い返す時は相手に致命傷を与えるくらいの言葉を気づかずに言ってしまう事もあるみたいだと分かってきた。「普段は大人しいのに、口を開くとキツイ事を言う」みたいに思われて、何を考えているか分からない、怖いって思われて、人を遠ざけてしまう。また自分が嫌いになる。こんな自分、しゃべらない方が良いなって思った。
誰も傷つけずに自己証明できる方法は、彼女達がやれない事、彼女達より良い成績をとる事。それにより無言で間接的な抵抗をする。
人間として価値の無い自分が少しでも価値ある人間になれる方法は、頭が良くなって将来社会の役に立てるようになる事。
勉強を頑張って良い成績をとる事なら、自分一人の努力で何とかなる。テスト勉強を頑張って良い点数が取れた時は「良かった」って安心して、「私頑張れた」って思えて、「これで私も少しは存在価値があるだろうか」って思えた。
友達が居なくても、何かを発明したり良いアイディアを社会に提案できる人間にはなれる。そういう役の立ち方ならできるかもしれない。人と関わらなくても、存在証明できる方法はあるんだ。そんな風に、ひたすら世界を狭めて自分を頑なに研ぎ澄ましていく方向へ進んでいた。
親には「もっと朗らかに」とか言われていた。それでもっと自分にも他人にも優しくなろうと頑張ってきて…
今はかなり自分に優しくなったし、ユルくなった。←単に「甘くなった」「堕落した」の間違いかも??
だから最近の知り合いの人には、昔の私がそんな風だったとは分からないみたい。精神や心の病というのは外から見えにくいしな。それに外から気づかれないという事は、かなり自分を改善できているという事なのかな?
昔はそこまで深くない知り合いに「いきなり倒れた事無いかい?」とか、頑張って参加した大学の飲み会で「震えてるけど大丈夫?」って言われて、自分ではそんな風に周りから見えてたなんて気づかない事だからびっくりしたけど。
それに比べて最近は、辛かった話とか人にできるようになってきたし。一番辛かった時期は、まず自分が「うつ」っぽいという事にすら気づいていなかった。何で辛いのかも分からなかった。完全に自分を見失ってめちゃくちゃな心理状態だった。 人に話せないって言うか、見失っているからどう表現して良いのか言葉も見つからなかった。
自分がうつっぽい気質だと気づいたのは、そんな風に実は結構最近。
そういうタイプの人間だと夢にも思わなかった。そもそも思考にも浮かばなかった。
冷静に考えたら、子供の頃、一番くらいに身近な存在である母親がうつ病で脳神経外科に通院してたっけ。それに気付いた、思い出したのも最近。
ため息が多くてネガティブな言葉が多く、時間ができると体調が悪いわけではなくてもすぐ寝込んでいた母親。私はそういう母親が良く分からなかったけど、なんか元気無さそうだし、気をまぎらわしたりポジティブにしてあげたいなって思った。それは母親の為というか、その方が家も明るくなってみんなにも良いんじゃないかなーって思った。
家には父方のおばあちゃんも同居していていて、嫁姑問題もあった。でも多分そんなにひどいわけじゃなく、どこの家庭でもあるようなくらいのもの。でも神経質だった私はそういう空気が苦手で、二人が険悪になりそうな時は私がバカやってピエロやって空気を壊そうとしていた。
そして愚痴があるなら私がそれぞれの言い分を聞くよ、それで二人の気分が少しでも収まるなら良いよねと思って、二人の間を行き来して話を聞いていた。
板挟みのお父さんも可哀想だから、ちょっとなついてあげようって思ったり。
でも家がそれでもけっこう明るく保たれていたのは、私の努力って言うよりも父親のポジティヴさが大きいと思う。
私が27歳になるまで知らされていなかったけど、父親は実は天涯孤独だった。…けーっこうびっくりした。
どうも私は人を疑うっていう頭が無いらしく、そんな事ほんとに夢にも思わなかった。
「詐欺に騙されそう」ってたまに言われるけど、なぜかそこは第六感が働くのかセーフ…。まず相手を疑うっていう人もいらっしゃるらしいけど、最近の私は昔みたいに思い込みで信じる事は無くなったけど、疑うというより「今はそういう気持ちなのかもしれない。でも、未来は変わるかもしれないね。」って思う。あと、「本当に思っている事を上手く言葉にできていない人も居るな」って思う。自分がそうだし。だから相手が伝えたい思いについては、昔より広く想像しておくことにした。言葉・字面通りに受け止めるんじゃなく、もうちょっと幅を持たせて受け取る、という感じ??
それで…「おばあちゃん子」で育ってきた自分だけど、実はおばあちゃんも全然血が繋がってなくて“他人”だった、という事実もその時初めて知った。(父親が養子だった。)
…多分、小学生くらいの時にその事を聞いたら、結構ショック受けたかもしれないな。でも27歳までにテレビの色んなドキュメンタリーを見てきて、「血が繋がっていなくても素晴らしい家族や、素晴らしい人と人との繋がりはある」って思ってたから。だから「いやービックリした。そっかー、ずっと一緒に過ごしてきたおばあちゃんって他人だったのかぁ。でも、おばあちゃんはおばあちゃんだよな。楽しかった思い出も、温かかった時間も何も変わらないや。」って思った。
父親の話に戻ると…。
子供ながら「お父さんって本当に満面の笑みで笑うよなぁ。悔しいけど、ちょっと気分悪い事あっても、お父さんが笑うとつられて笑ってしまうよ。」って思っていた。
父親が実の親を知らない事、妹さんも養子で血が繋がっていない兄妹である事、子供の頃から体が弱かったけど毎日勉強を頑張って北大を卒業して、大きい企業に就職して、おばあちゃんに親孝行している今。そんな、父親の人生を知った。
なんかあの満面の笑みの裏側には、そういう強さっていうか、苦労があってのゆるぎないものだったんだって理解した。
休みの日も家事を率先してやって、10時と15時は自分からお茶とお菓子を用意して家族団らんの時間を作る。
父親は、語弊を恐れずに言うなら「4人とも他人同士の家族(父・母・自分・妹)」で過ごしてきて、本当の両親や家族を知らないからこそ、自分で作った家族は大事にしたかったのかな。それを作れた事が嬉しくてあんな笑顔だったのかなって思った。
そんな幸せな家庭でも、私は勝手に精神的に病んだ。何だろうな、誰も別に期待してないのに、変に頑張ってしまうって言うか。おばあちゃんと母親の間を取り持つ為に頑張って、でもネガティヴ・ワードを聞くのはけっこう体力が消耗する。精神的にも疲弊する。
私が「おばあちゃん子」だったのは、できるだけ二人の間で公平で居たかったけど、対立していない時の二人で一緒に居て心地良かったのはおばあちゃんだったから。おばあちゃんは、普段はすごく陽気で面白かった。それに口下手な私の気持ちを、私自身よりも分かってくれた。でもあんまり偏ると母親だって気分が良くないだろうし、母親だって毎日真面目に頑張ってると思うし、もっと対立するとおばあちゃんも家に居づらくなるかもしれないって思って、できるだけ中立で居るよう頑張ってはいた。
でも両方の言い分を聞いてると「調子が良い」って言われたり、ピエロしてると「子供は気楽で良いね」って言われたり…。
いやー、けっこう頑張ってるんですけどね。「親の心子知らず」って言うけど「子の心親知らず」とも誰か言ってくれないかなーみたいな。。そんな心にチクチクくる想いをどこにも吐き出せず、近所の公園へたそがれに行ったり、静かに流れる川辺を散歩したり…。
それで、学校では孤立して、家でも疲れていた。帰宅しても学校でちょっと言われた言葉に思い悩み、また、どうしたら家庭平和が守られるんだ?って事ばかりが気になり、中学とか高校の進路決定の時期にも、自分自身の気持ちとゆっくり向き合う余裕が無かった。
もう近場の進学校適当に行っておけば良いんじゃね?みたいになってきて。それで親も満足みたいだし、で「自分自身の意思」はほとんど無かった。
ある時おばあちゃんに「そんなに友達の事ばっかり考えて、そしたら、その子が『死ね』って言ったら死ぬのかい?」って言われた事があった。
つまり昔の自分は周りの目や人にどう思われているかばかり考えて、全然、自分の意思が持てていなかったのだと思う。
よく「獅子座は他のどの星座よりも『自分らしくある事』を大切にする星座です」って書いてあったりするけど…私ぜんぜん獅子座らしくないじゃん。(SAIは獅子座です。)
でも親との対立を経て、今、自分を追い求めるようになったのは、獅子座らしくなってきたのかな?
今日長々と自分自身の葛藤の歴史?を語ってきたのは…。
ご紹介したい曲『僕にできること』を聴いて、
この曲で歌われている内容が、今の自分の気持ちをすごく代弁してくれているように感じて、ある事を思ったから。
『僕にできること』の歌詞にある言葉↓
ちっぽけなこの僕にできること
少しずつでも伝えてみたいんだ
(『僕にできること』の歌詞より引用)
伝えられずにいた想いは時を経て 蛹になって
羽広げやがて飛び立つ
(『僕にできること』の歌詞より引用)
私自身が思い悩んだ、どうしようも無い事かもしれないけど。
でもこういう悩みってそんなに特別なものじゃなくて。「うつ病」って現代病って言われるし、実は多くの人が身近にあるものだと思う。
「参考」とかにはならないかもしれないけど、でも「語ること」・「伝えること」も無意味では無いかもしれないと思えた。
私は病院へ行って「あなたはうつ病です」と診断されたわけではない。だからプロフでも「うつ病です」と自称していない。
登校拒否になったわけでもない。学校行くのはすごく苦痛だったけど、登校拒否したら世間体を気にする親が居ずらくなっちゃうだろうから、そういう迷惑はかけないように私は頑張ろう。
そんな歪んだ気遣いで耐えていた。それで小学校も中学校も皆勤賞に近い登校率だった。
でも学校ちゃんと通ってたけど、やっぱり辛かったのは辛かった。自分がなぜ辛いのか知りたくて、色々調べてやっと「うつ病」というモノに出会った。そこに書かれている事が“私の説明書”みたいだった。
家庭崩壊してたわけでもない。
でも、辛いものは辛かった。
辛かった時の自分を知らない人に、「それくらいじゃうつ病って言わないよ」って言われるのは回復期あるあるだろうな。「私はうつ病だったんだ」って話したわけではないけど。他の、症状が外には見えにくい病気も同じだろうな。
でも昔の話を熱弁したってしょうがない。
ただ、すごく悲しかった。
登校拒否しました! リストカットしました! …そういう「実績」が無いと、辛いって言っちゃダメなのかな?
昔の自分だったら、そんな想いをまた一人で抱えなくちゃいけなかったけど。今はこのブログで、どんなお方が来て下さっているかは分からないけど、こんなに長々と語ることができる。
書いているうちに、胸のつかえも少し取れてきた。
「井戸に差し込んだ光」にご訪問いただいている皆様、本当にありがとうございます。
本当は素敵な音楽を沢山お伝えして、バンドの応援や、リスナーの皆様への情報提供をしたかったけど。
何だか自分の思いを吐き出す場所みたいになってしまってすみません。
でももし同じようにうつ病みたいな状態で苦しんでる方がいらっしゃるなら、こう言う風に書き出す事はご自身のセラピーにもなるので、ぜひやって見て下さい。
そして悩みや痛みの原因をまず知って、それから、どうしたら良くしていけるのか考えましょう。
SAIの一人語りが長くなってしまったので…もう一度、すっごく素敵な音楽!HOW MERRY MARRYの『僕にできること』を最後に載せさせていただきます。
↓ ↓ ↓
HOW MERRY MARRYの『僕にできること』
この素敵な曲、HOW MERRY MARRYの『僕にできること』と、上でご紹介させていただいた『一斉の声』、『今、このとき。』の3曲は「夏目友人帳 主題歌集」に収録されています。
↓ ↓
新品価格 |
発売元:アニプレックス
発売日:2012年06月27日
「人気アニメーション『夏目友人帳』の1~4期のオープニング&エンディング・テーマに加え、ボーナス・トラックとして『蛍火の杜へ』のエンディング・テーマ「夏を見ていた」(おおたか静流)を収録した、コンピレーション・アルバム。」
(商品の説明の引用)
<トラックリスト>
1. 一斉の声
2. 夏夕空
3. あの日タイムマシン
4. 愛してる
5. 僕にできること
6. 君ノカケラ feat 宮本笑里
7. 今、このとき。
8. たからもの
9. 夏を見ていた [bonus track]
音楽が心を癒すこともある。それを本当に体感して実感できるような素晴らしい音楽たち。
ちょっと疲れてしまっている方、頑張り過ぎてしまう方には、特に優しく響くと思います。