2017年11月05日
「俺は癒されたいんだよ 感じたいんだよ 自分がいるべき場所にいるって」。“心の居場所”=Somewhere I Belong (by Linkin Park)
老人福祉施設に入所しているおばあちゃんへ、11月分1回目の手紙を書いた。
2、3年くらい前から書くようになり、この頃は月に2回手紙を書いている。
でも先月の10月は、初めて1回も書けなかった。
私の中でわだかまっている親との問題が再燃してしまい、又、おばあちゃんへ書いた手紙は両親も読んでいるので色々と想う事があって…。
今月になってやっと手紙を書けて、そして両親に読まれる事は分かっていても、おばあちゃんに想いをぶちまけるつもりで書いた。
そしてついに分かった。私がこれまでしんどいと思っていた「一番の原因」が。平和で平凡で幸せな家庭で育ったのにしんどかった理由が。
それは…家族や両親という「形としての居場所」は間違いなく、そしてきっとほぼ完璧な形として存在していたけど。でも私には「心の居場所」が無かったのだ、と。自分の想いをしっかりと受け止めてもらった経験が無くて、心から安心して身を委ねる、という事ができなかったんだ、と。
「多分これは言わない方が、自分だけの中に留めておいた方が平和に過ぎていくだろう」と思ったり。「言っても、また『屁理屈言うな』って言われて終わってしまうんだ。」と思ったり。
“親が許容できる世界”から一歩でも踏み出すような行動を少しでもしようとすると全否定。
私がなぜそうしたいのか、と話を聞いてくれもしない。分かろうと、歩み寄ろうとしてくれた事も一度も無い。自分達の考えだけを押し付けてくる。
ご飯は1日3回ちゃんと与えられて、高校にも大学にも“普通に”行かせてもらった。DVとかされたわけじゃない。愛情も沢山注いでもらったと思っている。
でもその“親が許容できる世界”っていうのがいつもやっかいで、そして私の心がしんどくなるのもそれのせい。
小学4年生くらいの頃、地元で夏祭りがあった時。平和で治安も良く、時がゆっくりと流れているような田舎の、海の近くにある実家。田舎だけどその頃は結構景気が良くて、近隣の漁師の人達の協力で小さな花火大会が海で毎年行われていた。
その時は初めて「友達と夜出かける」ことが許された。過保護で心配性で真面目な親。夕ご飯は必ず夜6時きっかりスタートで、それに対して姉は不満を持っていたようだった。友達と遊んでいても6時近くになると「『ご飯だよ、早く帰って来なっ』てすぐに呼び戻されるんだ。みんなはまだまだ遊んでいるのに。」ってよく言ってたみたい。私はそれに対しては「うちはそういうものなのかな」って受け入れて疑問は持たなかったけど。
でも学校でよくクラスメイトが一緒に出かけた話とか、友達の家にお泊りした話、そしてお祭りみたいに多少夜遅くなっても普通に楽しんでいたような話で盛り上がっているのを見たりしたのは、すごく羨ましかった。
だから初めて友達と一緒に出かけられる事になって、本当に嬉しかった。「私もついに友達とお祭り行けるんだ!!」って。でも親が心配性なのは分かっていたから、「心配かけないように、できるだけ早く帰るように気をつけよう」と思った。
そして当日…楽しめたかと言うと。「この時間なら、まだ大丈夫かな、でもそろそろ帰った方が良いかな」って事ばかりが気になってしまい、思いっきり楽しむ事はできなかった。
もっと友達と一緒に居たかったけど、「あんまり遅くなるなって言われてるから、ごめんね」と言って、家路を急いだ。
帰宅時間は花火終了の時間から考えても、そして小学生の夜遊びと考えても全然遅くない時間だった。
でも帰るなり「何時だと思ってるんだ!!?」っていきなり怒鳴られた。何か、私の中で色んなものが一瞬で凍りついた。
「こんなに、親に心配かけないように気を使って…急いで帰って来たのに。ずっと気をつけようって思っててあんまり楽しめなかったのに。」
そう思ったけど、凍りついた私は何も言葉にできなかった。
親に一生懸命気を使っていた事が悲しくなり、また私がそんな想いでいた事を知りもせずいきなり怒られた事に幻滅し、真面目に考えてた自分が馬鹿馬鹿しくなった。
子供の頃はけっこうオープンで、そして人の悪意を知らなかった自分は、近所の友達と遊ぶのも自分から誘いに行く方だった。
でも大抵遊ぶのは友達の家。自分の家に誘うのは母親に嫌がられた。大人目線で見て、家が散らかっていたり掃除が行き届いていないのを見られるのが嫌だったみたい。母親は専業主婦で真面目で家事はちゃんとやっていたから、そんなに家が汚いなんて事は無かったと思うけど「友達を連れて来たい」と言うと、いつも面倒くさがられた。
そして学校でクラスメイトが友達の家にお泊りした話とかも、私も友達と一緒に夜を語り明かす経験をしてみたいなーと思って言ってみたりしたけど、「そんなのダメだよ!」と言われて終わった。
自分が人間不信や対人恐怖症みたいになってからしばらくして、それを克服したいと思えるようになった頃。人と話す事に慣れる為に通っていた英会話教室で、短期留学プログラムに参加したいと思った。
海外へ行く…お金はアルバイトで貯めた資金があります。飛行機に乗ります。行く先の国の治安の問題があります。一人で行くのでしょうか?
大なり小なり、リスクがあるのは理解しています。飛行機に乗ったら落ちるかもしれません。いきなりテロに遭う可能性もゼロではありません。
でもそれを言い出したら、何も出来なくない?それに戦地や伝染病が流行っているような危険な場所へ行くって言っている訳じゃない。一人で行くのでもなく、ちゃんと詳しい人の付き添いがあります。何ヶ月も何年も行く訳じゃなくほんの10日間くらいの旅です。
でも学生だったから親の同意が必要で、、それを聞いた瞬間、私は「あー無理だ」と思った。「絶対『ダメだ!危ない!』って言われるんだろうなぁ」って。
でもスクールの受付をされていて、そして私を応援してくれていたお姉さんが「お父さんを説得するの、協力してあげますよ」って言って下さって、そして私がかけた電話を代わって話して下さった。
でも電話はほとんど一瞬で終わった。「外国は危ないんだ。ダメだ。」で終了。
なんか、本当に泣きそうになった。
危険がゼロじゃないのは分かっているよ。でもそれを言ったら、海外へ行ってる他の人たちは何なの?皆死んでる訳じゃないじゃん。
大学の同級生だって、何ヶ月も行ってる人だって居るのに。たった数日の事だよ。プロの付き添いが居るんだよ?
父親に電話する前から準備できていた反論が再び頭の中を駆け巡ったけど、やっぱり話も聞いてくれずに全否定された。そうなる事は分かっていたけどそれがかなりのショックで、また私は深い幻滅の中に沈んで何も言えなかった。
お父さんだって「コミュニケーション能力が無くてダメだ」「もっと友達を作らないとダメだ」って私に言ってたじゃない。だからそれを養うために挑戦したいんだよ。
それにそもそも友人関係を切り捨てたのは、勉強に力を集中させる為だったんだよ。良い成績取ったら喜んでくれるから、友達が減っていって居なくなっても、親が喜んでくれれば良いって頑張ったんだよ。高校受験も大学受験も、絶対、公立・国立じゃないとダメだ、浪人はダメだって言ってたから頑張ったんだよ。
私ってどれだけ親に理解されないんだろう。
ちゃんと言葉で上手く伝えられないのがいけないんだよね。でも言おうとすると『屁理屈言うな』で片付けるんでしょう?
できれば、もう少し歩み寄って欲しかったんだ。
親を喜ばせる事だけが自分の人生の目的みたいになっていて、でもそれでは自分の身がもたないってやっと気づいた。
そして大学3年〜4年の就職活動の時期になって初めて、「自分が何をしたいのか」という事と向き合うようになった。
もう親に相談しないで、自分の道へ強行突破する事にした。
自分が本当にやりたい事が見つかって、その専門学校も勝手に受験し、入学金も自分で支払った。それからは奨学金をもらって、自分でアルバイトしながらででも通おうと思った。
結局そのもくろみは、自分が隠し事出来ない性格のせいで途中でバレたけど…。
必死に自分と向き合ってやっと見つけた夢を伝えたら、「そんな事出来るわけが無い」と斬り捨てられた。
一次試験が受かって二次試験を控えている時の事で、
知らない土地のビジネスホテルで過ごした二次試験前夜の、不安と恐怖と孤独は本当にしんどかった。
でもこの時は私の意志の固さについに親が折れて、生活費の援助はしてくれる事になった。
その間ずーっと、良くは思われていなかったけど。
そして私は孤独な闘い。自分で決めた事だし、でも親が結局は援助してくれているのだから絶対に失敗もできない。必ず目的の会社に就職しないといけない。
好きな事を勉強できるのは幸せなはずだけど、一番身近な存在であるはずの親にも良く思われていない。不安を相談できるような友達も居ない。しんどさ9割の2年間だった。
必死な想いでやっと好きな事を仕事にできる会社へ就職できた。自分の実家はそれに関する自営業とかでもなく普通のサラリーマンなので、いわゆる「畑違い」な分野の仕事。私には予備知識も経験も無く大変な事ばかり。
でも好きな事がやれるってやっぱり幸せだし、頑張りたいと思っている。
一人暮らしを始めた大学の頃から長期連休の度、親に心配かけないようにいつも実家へ帰る事にしているけど、就職できた今も言われるのは「そんな仕事辞めて帰って来い」。
私がどれだけ必死な想いで専門学校へ行こうと決心したとか、就職活動も絶対に失敗するわけにいかないって不安だった事とか…。
「楽しめ」とか「頑張れ」なんて一度も言ってくれた事が無い。
一番信じていて欲しくて、応援して欲しい人に否定されるのは辛い。よく漫画とか物語である「他の誰かが何と言っても、お父さんとお母さんだけはずっと信じているからね」なんて言ってくれるのは夢かなぁ。
そんなに人間の出来た親なんて、そうそう居ないのかなぁ。
たとえ食べ物に少し困ったり学費が払えなくて行きたい学校に行けなかったとしても、そう言ってもらえる方が幸せな気がするのは、きっとかなりの贅沢な不満だろうな。
でも私に「心の居場所」が無かったのは確かで、音楽の中にそれを見つけたんだろうなって思った。
Linkin Parkの音楽に『Somewhere I Belong』という曲がある。
“belong”とは「(あるべき所に)ある、いる、あるべきである、ふさわしい」といった意味で、
その曲が収録されているアルバムの歌詞の公式訳には“somewhere I belong”=「自分のよりどころ」・「自分がいるべき場所」と書いてある。
Linkin Parkのチェスターさん(Vo.)は「形としての居場所」すら不安定な生い立ちで、数ヶ月前に自殺されてしまったのは「心の居場所」も見つけられなかったという事なのだろうか…?
Somewhere I Belong (Official Video) - Linkin Park
上の歌詞である“リアルなもの”というのは「形としての居場所」、そして“ずっと長いこと欲しいと思ってた何か”=“自分のよりどころ”というのはそれを含めた「心の居場所」でもあるのかな、と思ったりした。
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2003年03月26日
<トラックリスト>
1.Foreword (Intro) (0:13)
2.Don't Stay (3:07)
3.Somewhere I Belong (3:33)
アルバムからの1stシングルで、2003年3月17日にリリース。全米最高32位、イギリス最高10位、オーストラリア最高13位、ニュージーランド最高1位。
ミュージックビデオは2003 MTV Video Music AwardsのBest Rock Videoを受賞。監督はジョー・ハーン。
4.Lying From You (2:55)
5.Hit The Floor (2:44)
6.Easier To Run (3:24)
7.Faint (2:42)
8.Figure.09 (3:17)
9.Breaking The Habit (3:16)
10.From The Inside (2:53)
11.Nobody's Listening (2:57)
12.Session (2:23)
13.Numb (3:05)
両親の中に私が「心の居場所」を感じられなかった事を伝えるのは、二人をすごく傷つけるんだろうなって思う。
でも家族の行き違いも描かれている漫画「おはよう、いばら姫」(関連記事:優しさと、すれ違いと、和解と、成長、そして愛。『おはよう、いばら姫』)の最終巻である6巻をちょっと前に読んで、
その第23話『お父さんごっこ』の中で「ぶつかることを 怖がっていたら 家族になんかなれないわ」というセリフがあり…
やっぱり、言わない事には伝わらない想いがあるから。
それを伝える事が今の状況を直接解決する事にはならないかもしれないけど。
それで、おばあちゃんへの手紙に託してみた。
どうなっちゃうんだろうな。
でも、私の気持ちを察してくれる親じゃないし。私自身も、気持ちを伝える努力から逃げてたのも確かだし。
天涯孤独の父親がやっと持てた血の繋がりのある家族だから、私を失うのが怖いんだと思う。近くに居て欲しいのだと思う。すごく愛してくれてるんだと思う。
私とは比べ物にならないくらいの孤独を味わってきたであろう父親だから、その恐怖を手放すのは難しいのかもしれない。
それでいて、分かって欲しいとも思ってしまうのは傲慢だろうか。
何が一番良いのか、どんなのが一番の幸せなのか、まだ分からないや。
2、3年くらい前から書くようになり、この頃は月に2回手紙を書いている。
でも先月の10月は、初めて1回も書けなかった。
私の中でわだかまっている親との問題が再燃してしまい、又、おばあちゃんへ書いた手紙は両親も読んでいるので色々と想う事があって…。
今月になってやっと手紙を書けて、そして両親に読まれる事は分かっていても、おばあちゃんに想いをぶちまけるつもりで書いた。
そしてついに分かった。私がこれまでしんどいと思っていた「一番の原因」が。平和で平凡で幸せな家庭で育ったのにしんどかった理由が。
それは…家族や両親という「形としての居場所」は間違いなく、そしてきっとほぼ完璧な形として存在していたけど。でも私には「心の居場所」が無かったのだ、と。自分の想いをしっかりと受け止めてもらった経験が無くて、心から安心して身を委ねる、という事ができなかったんだ、と。
「多分これは言わない方が、自分だけの中に留めておいた方が平和に過ぎていくだろう」と思ったり。「言っても、また『屁理屈言うな』って言われて終わってしまうんだ。」と思ったり。
“親が許容できる世界”から一歩でも踏み出すような行動を少しでもしようとすると全否定。
私がなぜそうしたいのか、と話を聞いてくれもしない。分かろうと、歩み寄ろうとしてくれた事も一度も無い。自分達の考えだけを押し付けてくる。
ご飯は1日3回ちゃんと与えられて、高校にも大学にも“普通に”行かせてもらった。DVとかされたわけじゃない。愛情も沢山注いでもらったと思っている。
でもその“親が許容できる世界”っていうのがいつもやっかいで、そして私の心がしんどくなるのもそれのせい。
小学4年生くらいの頃、地元で夏祭りがあった時。平和で治安も良く、時がゆっくりと流れているような田舎の、海の近くにある実家。田舎だけどその頃は結構景気が良くて、近隣の漁師の人達の協力で小さな花火大会が海で毎年行われていた。
その時は初めて「友達と夜出かける」ことが許された。過保護で心配性で真面目な親。夕ご飯は必ず夜6時きっかりスタートで、それに対して姉は不満を持っていたようだった。友達と遊んでいても6時近くになると「『ご飯だよ、早く帰って来なっ』てすぐに呼び戻されるんだ。みんなはまだまだ遊んでいるのに。」ってよく言ってたみたい。私はそれに対しては「うちはそういうものなのかな」って受け入れて疑問は持たなかったけど。
でも学校でよくクラスメイトが一緒に出かけた話とか、友達の家にお泊りした話、そしてお祭りみたいに多少夜遅くなっても普通に楽しんでいたような話で盛り上がっているのを見たりしたのは、すごく羨ましかった。
だから初めて友達と一緒に出かけられる事になって、本当に嬉しかった。「私もついに友達とお祭り行けるんだ!!」って。でも親が心配性なのは分かっていたから、「心配かけないように、できるだけ早く帰るように気をつけよう」と思った。
そして当日…楽しめたかと言うと。「この時間なら、まだ大丈夫かな、でもそろそろ帰った方が良いかな」って事ばかりが気になってしまい、思いっきり楽しむ事はできなかった。
もっと友達と一緒に居たかったけど、「あんまり遅くなるなって言われてるから、ごめんね」と言って、家路を急いだ。
帰宅時間は花火終了の時間から考えても、そして小学生の夜遊びと考えても全然遅くない時間だった。
でも帰るなり「何時だと思ってるんだ!!?」っていきなり怒鳴られた。何か、私の中で色んなものが一瞬で凍りついた。
「こんなに、親に心配かけないように気を使って…急いで帰って来たのに。ずっと気をつけようって思っててあんまり楽しめなかったのに。」
そう思ったけど、凍りついた私は何も言葉にできなかった。
親に一生懸命気を使っていた事が悲しくなり、また私がそんな想いでいた事を知りもせずいきなり怒られた事に幻滅し、真面目に考えてた自分が馬鹿馬鹿しくなった。
子供の頃はけっこうオープンで、そして人の悪意を知らなかった自分は、近所の友達と遊ぶのも自分から誘いに行く方だった。
でも大抵遊ぶのは友達の家。自分の家に誘うのは母親に嫌がられた。大人目線で見て、家が散らかっていたり掃除が行き届いていないのを見られるのが嫌だったみたい。母親は専業主婦で真面目で家事はちゃんとやっていたから、そんなに家が汚いなんて事は無かったと思うけど「友達を連れて来たい」と言うと、いつも面倒くさがられた。
そして学校でクラスメイトが友達の家にお泊りした話とかも、私も友達と一緒に夜を語り明かす経験をしてみたいなーと思って言ってみたりしたけど、「そんなのダメだよ!」と言われて終わった。
自分が人間不信や対人恐怖症みたいになってからしばらくして、それを克服したいと思えるようになった頃。人と話す事に慣れる為に通っていた英会話教室で、短期留学プログラムに参加したいと思った。
海外へ行く…お金はアルバイトで貯めた資金があります。飛行機に乗ります。行く先の国の治安の問題があります。一人で行くのでしょうか?
大なり小なり、リスクがあるのは理解しています。飛行機に乗ったら落ちるかもしれません。いきなりテロに遭う可能性もゼロではありません。
でもそれを言い出したら、何も出来なくない?それに戦地や伝染病が流行っているような危険な場所へ行くって言っている訳じゃない。一人で行くのでもなく、ちゃんと詳しい人の付き添いがあります。何ヶ月も何年も行く訳じゃなくほんの10日間くらいの旅です。
でも学生だったから親の同意が必要で、、それを聞いた瞬間、私は「あー無理だ」と思った。「絶対『ダメだ!危ない!』って言われるんだろうなぁ」って。
でもスクールの受付をされていて、そして私を応援してくれていたお姉さんが「お父さんを説得するの、協力してあげますよ」って言って下さって、そして私がかけた電話を代わって話して下さった。
でも電話はほとんど一瞬で終わった。「外国は危ないんだ。ダメだ。」で終了。
なんか、本当に泣きそうになった。
危険がゼロじゃないのは分かっているよ。でもそれを言ったら、海外へ行ってる他の人たちは何なの?皆死んでる訳じゃないじゃん。
大学の同級生だって、何ヶ月も行ってる人だって居るのに。たった数日の事だよ。プロの付き添いが居るんだよ?
父親に電話する前から準備できていた反論が再び頭の中を駆け巡ったけど、やっぱり話も聞いてくれずに全否定された。そうなる事は分かっていたけどそれがかなりのショックで、また私は深い幻滅の中に沈んで何も言えなかった。
お父さんだって「コミュニケーション能力が無くてダメだ」「もっと友達を作らないとダメだ」って私に言ってたじゃない。だからそれを養うために挑戦したいんだよ。
それにそもそも友人関係を切り捨てたのは、勉強に力を集中させる為だったんだよ。良い成績取ったら喜んでくれるから、友達が減っていって居なくなっても、親が喜んでくれれば良いって頑張ったんだよ。高校受験も大学受験も、絶対、公立・国立じゃないとダメだ、浪人はダメだって言ってたから頑張ったんだよ。
私ってどれだけ親に理解されないんだろう。
ちゃんと言葉で上手く伝えられないのがいけないんだよね。でも言おうとすると『屁理屈言うな』で片付けるんでしょう?
できれば、もう少し歩み寄って欲しかったんだ。
親を喜ばせる事だけが自分の人生の目的みたいになっていて、でもそれでは自分の身がもたないってやっと気づいた。
そして大学3年〜4年の就職活動の時期になって初めて、「自分が何をしたいのか」という事と向き合うようになった。
もう親に相談しないで、自分の道へ強行突破する事にした。
自分が本当にやりたい事が見つかって、その専門学校も勝手に受験し、入学金も自分で支払った。それからは奨学金をもらって、自分でアルバイトしながらででも通おうと思った。
結局そのもくろみは、自分が隠し事出来ない性格のせいで途中でバレたけど…。
必死に自分と向き合ってやっと見つけた夢を伝えたら、「そんな事出来るわけが無い」と斬り捨てられた。
一次試験が受かって二次試験を控えている時の事で、
知らない土地のビジネスホテルで過ごした二次試験前夜の、不安と恐怖と孤独は本当にしんどかった。
でもこの時は私の意志の固さについに親が折れて、生活費の援助はしてくれる事になった。
その間ずーっと、良くは思われていなかったけど。
そして私は孤独な闘い。自分で決めた事だし、でも親が結局は援助してくれているのだから絶対に失敗もできない。必ず目的の会社に就職しないといけない。
好きな事を勉強できるのは幸せなはずだけど、一番身近な存在であるはずの親にも良く思われていない。不安を相談できるような友達も居ない。しんどさ9割の2年間だった。
必死な想いでやっと好きな事を仕事にできる会社へ就職できた。自分の実家はそれに関する自営業とかでもなく普通のサラリーマンなので、いわゆる「畑違い」な分野の仕事。私には予備知識も経験も無く大変な事ばかり。
でも好きな事がやれるってやっぱり幸せだし、頑張りたいと思っている。
一人暮らしを始めた大学の頃から長期連休の度、親に心配かけないようにいつも実家へ帰る事にしているけど、就職できた今も言われるのは「そんな仕事辞めて帰って来い」。
私がどれだけ必死な想いで専門学校へ行こうと決心したとか、就職活動も絶対に失敗するわけにいかないって不安だった事とか…。
「楽しめ」とか「頑張れ」なんて一度も言ってくれた事が無い。
一番信じていて欲しくて、応援して欲しい人に否定されるのは辛い。よく漫画とか物語である「他の誰かが何と言っても、お父さんとお母さんだけはずっと信じているからね」なんて言ってくれるのは夢かなぁ。
そんなに人間の出来た親なんて、そうそう居ないのかなぁ。
たとえ食べ物に少し困ったり学費が払えなくて行きたい学校に行けなかったとしても、そう言ってもらえる方が幸せな気がするのは、きっとかなりの贅沢な不満だろうな。
でも私に「心の居場所」が無かったのは確かで、音楽の中にそれを見つけたんだろうなって思った。
Linkin Parkの音楽に『Somewhere I Belong』という曲がある。
“belong”とは「(あるべき所に)ある、いる、あるべきである、ふさわしい」といった意味で、
その曲が収録されているアルバムの歌詞の公式訳には“somewhere I belong”=「自分のよりどころ」・「自分がいるべき場所」と書いてある。
Linkin Parkのチェスターさん(Vo.)は「形としての居場所」すら不安定な生い立ちで、数ヶ月前に自殺されてしまったのは「心の居場所」も見つけられなかったという事なのだろうか…?
Somewhere I Belong (Official Video) - Linkin Park
ずっと長い間俺が抱え込んできた痛みをどっかへやっちまいたい
感じたいんだよ 自分が何かリアルなものに近づいてることを
ずっと長いこと欲しいと思ってた何かを手に入れたいんだ
自分のよりどころを手に入れたいんだ
(『Somewhere I Belong』の歌詞の公式和訳より一部を引用)
上の歌詞である“リアルなもの”というのは「形としての居場所」、そして“ずっと長いこと欲しいと思ってた何か”=“自分のよりどころ”というのはそれを含めた「心の居場所」でもあるのかな、と思ったりした。
新品価格 |
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2003年03月26日
<トラックリスト>
1.Foreword (Intro) (0:13)
2.Don't Stay (3:07)
3.Somewhere I Belong (3:33)
アルバムからの1stシングルで、2003年3月17日にリリース。全米最高32位、イギリス最高10位、オーストラリア最高13位、ニュージーランド最高1位。
ミュージックビデオは2003 MTV Video Music AwardsのBest Rock Videoを受賞。監督はジョー・ハーン。
4.Lying From You (2:55)
5.Hit The Floor (2:44)
6.Easier To Run (3:24)
7.Faint (2:42)
8.Figure.09 (3:17)
9.Breaking The Habit (3:16)
10.From The Inside (2:53)
11.Nobody's Listening (2:57)
12.Session (2:23)
13.Numb (3:05)
両親の中に私が「心の居場所」を感じられなかった事を伝えるのは、二人をすごく傷つけるんだろうなって思う。
でも家族の行き違いも描かれている漫画「おはよう、いばら姫」(関連記事:優しさと、すれ違いと、和解と、成長、そして愛。『おはよう、いばら姫』)の最終巻である6巻をちょっと前に読んで、
その第23話『お父さんごっこ』の中で「ぶつかることを 怖がっていたら 家族になんかなれないわ」というセリフがあり…
やっぱり、言わない事には伝わらない想いがあるから。
それを伝える事が今の状況を直接解決する事にはならないかもしれないけど。
それで、おばあちゃんへの手紙に託してみた。
どうなっちゃうんだろうな。
でも、私の気持ちを察してくれる親じゃないし。私自身も、気持ちを伝える努力から逃げてたのも確かだし。
天涯孤独の父親がやっと持てた血の繋がりのある家族だから、私を失うのが怖いんだと思う。近くに居て欲しいのだと思う。すごく愛してくれてるんだと思う。
私とは比べ物にならないくらいの孤独を味わってきたであろう父親だから、その恐怖を手放すのは難しいのかもしれない。
それでいて、分かって欲しいとも思ってしまうのは傲慢だろうか。
何が一番良いのか、どんなのが一番の幸せなのか、まだ分からないや。
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