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2020年12月03日
出雲大社と因幡の素うさぎ 〜歴史は常に勝者によって編纂されていく〜
出雲大社と因幡の素うさぎ
〜歴史は常に勝者によって編纂されていく〜
教科書では縄文時代が終わってもっと進んだ弥生時代が始まった、という風に習った。しかし、当時すでにその論に疑問を投げかけていた友人がいた。
縄文時代の土器が弥生時代の土器より時代が古く劣っているなんてそもそも間違っている、縄文時代の土器の方が技術的にずっと優れている、と友人はそのとき言った。
そのときはあまりピンとこなかったが、どちらが優れているかどうかは別として、時代が変わったために土器が変わった訳ではなく、そもそもまったく別の人たちが作ったものが残っているから時代が変わったと看做されていたのだろうと思う。
縄文時代:狩猟採集社会(紀元前145世紀〜10世紀)
弥生時代:農耕社会(紀元前10世紀〜紀元後3世紀)
135世紀も継続した縄文時代は平和な時代でもあったのだろう。自然と一体化した精神性の高さはアイヌに名残を留めているように思われる。それから、東北のアテルイの時代も。
その太平の日本に、九州北部あたりに外から入ってきたのが稲作文化を持つ弥生人だ。フロー(流れる)文明にストック(資本蓄積)文明が入ってきた。ストック文明は土地がほしいので、弥生時代になると一転、争いの国土となっていく。
国譲り神話では、大国主神は、「私には何の異存もありません。ただひとつ、国を譲る代わりに私の住居として、大きく立派な御殿を建てていただきたい。自分の子供たちは、事代主神が率先して天つ神(あまつかみ)の子孫に仕えるのであれば、それに従わない者はいない」と、自ら退いたように語られている。
素ウサギ神話というのは。
オオナムジ(大国主命)は、スサノオ命の子のひとりで、80人もの兄弟神(八十神)がいた。兄弟神たちは、皆、稲羽の八上神を妻にしたいと考え、連れだって稲羽に向かった。オオナムジは袋を背負わされ、従者のようなかっこうでつき従っていった。
やがて一行が気多の前にさしかかると、そこに赤裸に皮をむかれたウサギが伏せていた。
赤裸にむかれて苦しむウサギに向かって、兄弟神たちはいった。
「おいウサギよ、海の塩水を浴びたあと、風にあたってみたまえ。高い山の尾なら、風もずいぶんふきさらしだろうから、そこに伏せているとよくなるだろう」
いわれたとおりにしたウサギは、一層ひどい痛みにもだえ苦しんだ。そこにオオナムジが通りかかり、わけを問うた。
「私は於岐の島のウサギでございます。かの島からこちらに渡りたいと思いましたが、方法がございません。そこでワニをだまして彼らをズラリと岸まで並べ、その背を跳びながらこの岸に渡ったのですが、そのときついた嘘がバレて赤裸に皮をむかれ、おまけに八十神の教えに従ったらこのざまです」
そこでオオナムジは、真水で身を洗い、蒲英をまき散らしてその上を転がると癒えることをウサギに教えた。いわれたとおりにしたウサギの体はもとどおりになり、稲羽のウサギ神となった。そのウサギ神の申すよう―。
「あなたの兄弟神は八上姫を得ることはできますまい。袋などかつがされているとはいえ、八上姫と結ばれるのは貴神です」
という物語である。
ウサギは月と結びついている。これは広く東アジアの伝説中に見ることができる。中国では月を「玉兎」という。また、ウサギを「名月の精」ともいう。中秋の名月を楽しむ風習は、もちろん日本だけのことではない。中国では「兎児爺(トルイエ)」という牡ウサギの土人形を月神に見立てて飾った。月の中に住むウサギはオスだ。このオスが月を定期的にはらませる。というのも、月は女性、あるいは無意識の普遍的象徴だからだ。
このことから、ウサギは無意識世界と意識世界を結ぶ動物だということがわかる。
さて、九州に上陸した外来の弥生人が、土着の縄文人を支配していく。そして支配がなった後に、それを正当づけるために編まれるのが歴史書(「古事記」(712年)や「日本書紀」(720年))だ。
記紀の中で、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)は、高天原(たかまがはら)を拠点とする天津神(天の神:弥生勢力?)によって平定されている。国津神(国の神:縄文勢力?)の最後の抵抗勢力は大国主(スサノオの子、出雲大社の祭神)だったようだ。記紀の中では、その大国主が国を譲って天津神は正当な統治者となる。これが権威の根源である。
縄文日本には津々浦々まで龍神が祭られていた。伊勢の地にも、ニギハヤヒ(別名:天照大神アマテルオオカミ:男神)と一対で祭られていた龍神(女神)がいた。それが瀬織津姫である。
持統天皇は、全国的に勢力を持つ瀬織津姫を封印しなければならなかった。それが縄文(国津神)の女神だったからだ。そこで、伊勢神宮の祭神を天照大神(アマテラスオオミカミ)の女神(一神)とし、記紀から瀬織津姫の名を省き、地域の各神社の祭神を瀬織津姫以外に変えるように命令した。
持統天皇は、「千と千尋の神隠し」で千尋の名を奪った湯婆婆のごとく、瀬織津姫の名を全国から奪っていった。抵抗する神社は迫害にあったり、殺されたりすることもあったようだから容赦はない。命まで奪っていく非常さの裏に、凄まじい孤独と不安の闇が見える気がする。
この、持統天皇は女帝でありその生い立ちは数奇なものだった。
大化の改新(645年)の中心人物である天智天皇(中大兄皇子)は、蘇我入鹿を打ち破ったときの同志である蘇我石川麻呂の娘遠智娘(おちのいらつめ)を嫁(の一人)としてもらう。が、右大臣となり勢力を増す石川麻呂に脅威を感じたのか、「裏切り」の濡れ衣を着せて攻め滅ぼす。夫に両親を殺された遠智娘は悲嘆のあまり亡くなり、2人の娘が残された。
その次女が13歳の時に天智天皇の弟大海人皇子に政略結婚させられた。その次女が後の持統天皇である。
夫(父の弟)に祖父母及び母の仇である父を討たせた持統天皇は、天武崩御後、実権を掌握。子に先立たれたが、孫のバックについて日本初の上皇(太上天皇)となって政治を支配し続けた。
このように見ると、家庭崩壊、一族滅亡、国家滅亡までも見せられてきた持統天皇は、何が何でも安定した強い国作りをしようとしたのではないだろうか、と家族カウンセリングを行うカウンセラーさんは見ている。法治国家を推進したのも(「大宝律令」を完成(701年))、中国に倣って日本で初めて都城制による城郭都市を建設(藤原京)したのも、不退転の決意と執念を感じさせる。
策略家と言われている持統天皇だが、内実は、怯えた女の子(外から見ればブラックホール)が完璧な安心を得るために、自分を守る城塞、人を罰する刑罰など、あれもこれも整備していったのかもしれない。
生まれてこの方、人の裏切りを見過ぎてきた持統天皇。壁を作り、罰則を作っても安心できない。問題は人の心の中にあるからだ。そこで、人々が決して自分に向かってこないように、自分の権力を絶対的なものにする必要があった。そして人々の心を権威に向かって統一する必要があった。悲しい人生である。
素ウサギは、出雲と深い関係があり、ウサギが無意識に関係するということは、魂の故郷にも通じているのではないかと思われます。
神話の世界を旅してみると、日本人のルーツにも思いを馳せることが出来ます。各地に残る伝承、文字を持たなかった地域の歴史を探ってみると思わぬ宝物が埋もれていることに気付くかも知れません。
〜歴史は常に勝者によって編纂されていく〜
教科書では縄文時代が終わってもっと進んだ弥生時代が始まった、という風に習った。しかし、当時すでにその論に疑問を投げかけていた友人がいた。
縄文時代の土器が弥生時代の土器より時代が古く劣っているなんてそもそも間違っている、縄文時代の土器の方が技術的にずっと優れている、と友人はそのとき言った。
そのときはあまりピンとこなかったが、どちらが優れているかどうかは別として、時代が変わったために土器が変わった訳ではなく、そもそもまったく別の人たちが作ったものが残っているから時代が変わったと看做されていたのだろうと思う。
縄文時代:狩猟採集社会(紀元前145世紀〜10世紀)
弥生時代:農耕社会(紀元前10世紀〜紀元後3世紀)
135世紀も継続した縄文時代は平和な時代でもあったのだろう。自然と一体化した精神性の高さはアイヌに名残を留めているように思われる。それから、東北のアテルイの時代も。
その太平の日本に、九州北部あたりに外から入ってきたのが稲作文化を持つ弥生人だ。フロー(流れる)文明にストック(資本蓄積)文明が入ってきた。ストック文明は土地がほしいので、弥生時代になると一転、争いの国土となっていく。
国譲り神話では、大国主神は、「私には何の異存もありません。ただひとつ、国を譲る代わりに私の住居として、大きく立派な御殿を建てていただきたい。自分の子供たちは、事代主神が率先して天つ神(あまつかみ)の子孫に仕えるのであれば、それに従わない者はいない」と、自ら退いたように語られている。
素ウサギ神話というのは。
オオナムジ(大国主命)は、スサノオ命の子のひとりで、80人もの兄弟神(八十神)がいた。兄弟神たちは、皆、稲羽の八上神を妻にしたいと考え、連れだって稲羽に向かった。オオナムジは袋を背負わされ、従者のようなかっこうでつき従っていった。
やがて一行が気多の前にさしかかると、そこに赤裸に皮をむかれたウサギが伏せていた。
赤裸にむかれて苦しむウサギに向かって、兄弟神たちはいった。
「おいウサギよ、海の塩水を浴びたあと、風にあたってみたまえ。高い山の尾なら、風もずいぶんふきさらしだろうから、そこに伏せているとよくなるだろう」
いわれたとおりにしたウサギは、一層ひどい痛みにもだえ苦しんだ。そこにオオナムジが通りかかり、わけを問うた。
「私は於岐の島のウサギでございます。かの島からこちらに渡りたいと思いましたが、方法がございません。そこでワニをだまして彼らをズラリと岸まで並べ、その背を跳びながらこの岸に渡ったのですが、そのときついた嘘がバレて赤裸に皮をむかれ、おまけに八十神の教えに従ったらこのざまです」
そこでオオナムジは、真水で身を洗い、蒲英をまき散らしてその上を転がると癒えることをウサギに教えた。いわれたとおりにしたウサギの体はもとどおりになり、稲羽のウサギ神となった。そのウサギ神の申すよう―。
「あなたの兄弟神は八上姫を得ることはできますまい。袋などかつがされているとはいえ、八上姫と結ばれるのは貴神です」
という物語である。
ウサギは月と結びついている。これは広く東アジアの伝説中に見ることができる。中国では月を「玉兎」という。また、ウサギを「名月の精」ともいう。中秋の名月を楽しむ風習は、もちろん日本だけのことではない。中国では「兎児爺(トルイエ)」という牡ウサギの土人形を月神に見立てて飾った。月の中に住むウサギはオスだ。このオスが月を定期的にはらませる。というのも、月は女性、あるいは無意識の普遍的象徴だからだ。
このことから、ウサギは無意識世界と意識世界を結ぶ動物だということがわかる。
さて、九州に上陸した外来の弥生人が、土着の縄文人を支配していく。そして支配がなった後に、それを正当づけるために編まれるのが歴史書(「古事記」(712年)や「日本書紀」(720年))だ。
記紀の中で、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)は、高天原(たかまがはら)を拠点とする天津神(天の神:弥生勢力?)によって平定されている。国津神(国の神:縄文勢力?)の最後の抵抗勢力は大国主(スサノオの子、出雲大社の祭神)だったようだ。記紀の中では、その大国主が国を譲って天津神は正当な統治者となる。これが権威の根源である。
縄文日本には津々浦々まで龍神が祭られていた。伊勢の地にも、ニギハヤヒ(別名:天照大神アマテルオオカミ:男神)と一対で祭られていた龍神(女神)がいた。それが瀬織津姫である。
持統天皇は、全国的に勢力を持つ瀬織津姫を封印しなければならなかった。それが縄文(国津神)の女神だったからだ。そこで、伊勢神宮の祭神を天照大神(アマテラスオオミカミ)の女神(一神)とし、記紀から瀬織津姫の名を省き、地域の各神社の祭神を瀬織津姫以外に変えるように命令した。
持統天皇は、「千と千尋の神隠し」で千尋の名を奪った湯婆婆のごとく、瀬織津姫の名を全国から奪っていった。抵抗する神社は迫害にあったり、殺されたりすることもあったようだから容赦はない。命まで奪っていく非常さの裏に、凄まじい孤独と不安の闇が見える気がする。
この、持統天皇は女帝でありその生い立ちは数奇なものだった。
大化の改新(645年)の中心人物である天智天皇(中大兄皇子)は、蘇我入鹿を打ち破ったときの同志である蘇我石川麻呂の娘遠智娘(おちのいらつめ)を嫁(の一人)としてもらう。が、右大臣となり勢力を増す石川麻呂に脅威を感じたのか、「裏切り」の濡れ衣を着せて攻め滅ぼす。夫に両親を殺された遠智娘は悲嘆のあまり亡くなり、2人の娘が残された。
その次女が13歳の時に天智天皇の弟大海人皇子に政略結婚させられた。その次女が後の持統天皇である。
夫(父の弟)に祖父母及び母の仇である父を討たせた持統天皇は、天武崩御後、実権を掌握。子に先立たれたが、孫のバックについて日本初の上皇(太上天皇)となって政治を支配し続けた。
このように見ると、家庭崩壊、一族滅亡、国家滅亡までも見せられてきた持統天皇は、何が何でも安定した強い国作りをしようとしたのではないだろうか、と家族カウンセリングを行うカウンセラーさんは見ている。法治国家を推進したのも(「大宝律令」を完成(701年))、中国に倣って日本で初めて都城制による城郭都市を建設(藤原京)したのも、不退転の決意と執念を感じさせる。
策略家と言われている持統天皇だが、内実は、怯えた女の子(外から見ればブラックホール)が完璧な安心を得るために、自分を守る城塞、人を罰する刑罰など、あれもこれも整備していったのかもしれない。
生まれてこの方、人の裏切りを見過ぎてきた持統天皇。壁を作り、罰則を作っても安心できない。問題は人の心の中にあるからだ。そこで、人々が決して自分に向かってこないように、自分の権力を絶対的なものにする必要があった。そして人々の心を権威に向かって統一する必要があった。悲しい人生である。
素ウサギは、出雲と深い関係があり、ウサギが無意識に関係するということは、魂の故郷にも通じているのではないかと思われます。
神話の世界を旅してみると、日本人のルーツにも思いを馳せることが出来ます。各地に残る伝承、文字を持たなかった地域の歴史を探ってみると思わぬ宝物が埋もれていることに気付くかも知れません。
2020年12月02日
精神科が原因の自殺。抗精神病薬の副作用という死。
精神科が原因の自殺。抗精神病薬の副作用という死。
2009年春、四国地方の児童養護施設。面会に行った精神科医は、2人のあまりの変わりように愕然とした、から始まる記述が〜『精神医療ダークサイド』佐藤光展 著 講談社現代新書〜にあり、読んでいるこちらも衝撃を受けた。
中学2年の兄はよだれを垂らし、小学6年の弟は失禁でズボンを濡らしていた。その子ども達の母親は精神疾患の悪化で入院していた。兄弟はほかに身寄りがなく、一時的に預けられたのがこの施設だった。母親が退院するまで、母親を長く診てきたクリニックの精神科医が、施設を定期的に訪問する役を引き受けていた。
「どんな薬を飲まされたんだ。色は。形は」
近くにいた職員に詳細を尋ねても「個人情報なので」の一点張り。その場で携帯電話を取り出し、この施設が提携する精神科病院に問い合わせたが、身分を明かしても担当医にはつながらなかった。
だが、副作用の出方で薬の見当はついた。「抗精神病薬。2人は鎮静させられたんだ」
抗精神病薬は、主に統合失調症の幻聴や妄想を抑える目的で使われる。適量の服用で効果を発揮するが、過剰に投与したり、この病気でない人が服用したりすると、過度の鎮静や筋肉の硬直、認知機能の低下など、重い副作用が現れやすい。健康な人が服用すると、少量でも動けなくなるほど鎮静作用が強い薬なんだそうだ。
こちらとしては、小説の悪役に登場していただくためには恰好のネタになるわ、って感じで読み進めた。精神医療は、薬物中毒と虐待に次ぐ社会のダークサイドだ。(ドラッグと精神薬って成分は同じだというしな)
精神科医でも、良心的な…というか、ここに登場する先生のようにヒトとしてマトモな医師もいる。それでも、精神疾患などない、という視点に立てば精神医療は根底から間違っていることになるのだが、カウンセラーや臨床心理士という方々がいらっしゃる限り、全面的には精神医療を否定はしない。鍼灸師にしても、経営を考えて施術していたとしても、予防医学の軸がブレない限りはマトモな部類だと信じている。
結局、何故、この養護施設で精神薬などが処方されるに至ったのかというと。
兄弟は、この施設に入って寝付きが悪くなった。母親と突然引き離され、見知らぬ施設に入ったのだから無理もないが、深夜も落ち着かず動き回り、職員を困らせた。年長の子どもからは露骨ないじめを受け、兄弟は理不尽な暴力に反撃し、その結果、精神科病院に連れて行かれ、そして薬が処方されたのだという。
人手不足が災いしているのか、愛情の欠落か、無知の成せる業なのか。これが、児童養護施設の実態。これが精神医療の実情なのかと唖然としてしまう。
もう一つ。
「精神科が原因の自殺がある。自覚すべきだ」
2013年5月、福岡市で開かれた第109回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで、北里大学病院救命救急センター医師の上條吉人さんが語気を強めた。福岡国際会場メインホールを埋めた精神科医たちは、厳しい指摘をどう受け止めたのだろうか。
相模原市で三次救急を担い、24時間体制で重篤な患者に対応する北里大学病院救命救急センターでは、運び込まれる人の10〜15%が自殺企図および自傷行為の患者で、このうち半数(全体の5〜7%)を処方薬の過量服薬者が占めている。救急医の奮闘を尻目に過量服薬者を次々と生み出し、処方内容などを問い合わせたくても夜間や土日には電話もつながらない精神科医たちに対し、救急医の怒りは治まらない。
上條さんは、このシンポジウムで二つの事例を取り上げた。1例目は、心臓に影響が出る恐れがある三環系抗うつ剤を大量に飲み、深刻な不整脈を起こした患者で、迅速な救命措置で命は助かったものの、瀬戸際だった。「この患者はうつ病の診断を受け、三環系抗うつ薬が30日分、3g処方されていた。この薬の致死量は体重の1kgあたり20mg。体重50kgだと1gで死ぬ量に達する。致死量をはるかに超える薬が1回の処方で出ていたことになる」と上條さんは指摘した。
2例目は20代の女性で、うつ病の診断で大量に処方されたバルビツール酸系の睡眠薬を56錠飲み、低酸素脳症で死亡した。バルビツール酸系は、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬が登場するまで盛んに用いられた薬で、依存性も副作用も強い。女性が飲んだ薬の致死量は40錠だった。
大量服薬する患者の多くは処方薬依存・乱用の状態で、複数の医療機関を回って薬を入手している。医療につながりすぎるほどつながっているのに、医師たちはだれも乱用に気付かず(あるいは指摘せず)、まるで乱用の手助けをするかのように依存性の高い薬を長期処方しているのだ。
さらにもう一つ。
医師に診断されたうつ病が鍼治療で消えた、という事実もある。
いやいやいや、本当にそう書かれてたんだって!
2006年、東京に住む当時50代の女性会社員のタカコさん(仮名)は、精神科クリニックで「うつ病」と診断された。几帳面な性格が管理職になって強まり、部下の仕事に細かく口を挟んだ結果、職場で孤立して落ち込んだ。同世代の男性に負けまいと若い頃から仕事一筋でやってきたのに、人が変わったように何も手につかなくなった。
薬物治療を続けたが仕事への意欲は戻らず、抗うつ剤のほかに抗不安剤、抗精神病薬などが追加されていった。定年退職まで欠勤を繰り返した。
2008年のある朝、頭が前に傾いたまま上がらなくなった。整形外科で検査を受けたが骨や筋肉に異常はなく、整形外科医は、「精神科の薬の影響」と判断した。(これは、精神科の多剤大量投与された人が起こしている典型的な斜頚らしい。)
だが、その時点まで2年近く薬を飲み続けていたタカコさんは「薬を減らすとうつがもっとひどくなるのではないか」と不安で減薬に踏み切れなかった。悩みを知人に打ち明けると「首の筋肉を鍼灸でほぐしたら楽になるのでは」と勧められ、東京都杉並区の鍼灸院に行った。背中のツボに灸を施し、首などに浅く鍼を刺す治療を受けた。
数回通うと頭が上がるようになった。(他の症例では、斜頚は結局治っていない。やはり早い段階で鍼灸治療を受けると治るのだ!)以後も「ほかでは得られない心身の心地良さ」にひかれて定期的に通ううちに、自信や気力がよみがえってきた。周囲の勧めで適度な運動を始め、それで気分転換ができるようになると、薬に頼る気持ちが薄らいだ。少しずつ減薬を進めて新たな職を得た。以前よりも心に余裕ができたことで職場の同僚に気を配れるようになり、良好な職場環境で仕事が楽しくなった。(これがすべての答えだ。病は生き方を見直すためのもの)
タカコさんの「うつ病」は鍼灸で治ったのだろうか。元共同通信記者で鍼灸ジャーナリストの松田博公さんは「鍼灸には全身状態を整えて心身をリラックスさせる効果はありますが、精神疾患は治せない」と断言する。(おいおいおい! アメリカで臨床をしている松本岐子先生はちゃんとうつ病を治してるぞ!)だが、「最近は心の不調をすぐに病気にしてしまう安易な診断が増えたためか、鍼灸で改善する『うつ病』が目立っている」という。
抗うつ剤では改善しないのに、鍼灸で回復する「うつ病」は本当に病気なのだろうか。安易な診断と投薬が、落ち込んだ人に過剰な病者意識を植え付け、かえって不調や服薬を長引かせているのではないか。と結ばれている。
最後に。
2011年秋、東京の40代の男性がまるで高齢者のような言葉を口にしたのだ。
「最近また友達を失いました。心臓発作による突然死です。同世代の友人が4人、5人と亡くなっていく」
彼は20代で統合失調症を診断され、多剤大量投薬に苦しんだ経験がある。だが病院を変え、抗精神病薬を1種類にしてから症状が落ち着き、会社勤めができるまでに回復した。
亡くなった彼の友人たちは、死に至る病を抱えていたわけではない。統合失調症と診断され、治療を受けていただけだ。ただ、亡くなる直前まで大量の抗精神病薬を服用していたという共通点があった。
2009年春、四国地方の児童養護施設。面会に行った精神科医は、2人のあまりの変わりように愕然とした、から始まる記述が〜『精神医療ダークサイド』佐藤光展 著 講談社現代新書〜にあり、読んでいるこちらも衝撃を受けた。
中学2年の兄はよだれを垂らし、小学6年の弟は失禁でズボンを濡らしていた。その子ども達の母親は精神疾患の悪化で入院していた。兄弟はほかに身寄りがなく、一時的に預けられたのがこの施設だった。母親が退院するまで、母親を長く診てきたクリニックの精神科医が、施設を定期的に訪問する役を引き受けていた。
「どんな薬を飲まされたんだ。色は。形は」
近くにいた職員に詳細を尋ねても「個人情報なので」の一点張り。その場で携帯電話を取り出し、この施設が提携する精神科病院に問い合わせたが、身分を明かしても担当医にはつながらなかった。
だが、副作用の出方で薬の見当はついた。「抗精神病薬。2人は鎮静させられたんだ」
抗精神病薬は、主に統合失調症の幻聴や妄想を抑える目的で使われる。適量の服用で効果を発揮するが、過剰に投与したり、この病気でない人が服用したりすると、過度の鎮静や筋肉の硬直、認知機能の低下など、重い副作用が現れやすい。健康な人が服用すると、少量でも動けなくなるほど鎮静作用が強い薬なんだそうだ。
こちらとしては、小説の悪役に登場していただくためには恰好のネタになるわ、って感じで読み進めた。精神医療は、薬物中毒と虐待に次ぐ社会のダークサイドだ。(ドラッグと精神薬って成分は同じだというしな)
精神科医でも、良心的な…というか、ここに登場する先生のようにヒトとしてマトモな医師もいる。それでも、精神疾患などない、という視点に立てば精神医療は根底から間違っていることになるのだが、カウンセラーや臨床心理士という方々がいらっしゃる限り、全面的には精神医療を否定はしない。鍼灸師にしても、経営を考えて施術していたとしても、予防医学の軸がブレない限りはマトモな部類だと信じている。
結局、何故、この養護施設で精神薬などが処方されるに至ったのかというと。
兄弟は、この施設に入って寝付きが悪くなった。母親と突然引き離され、見知らぬ施設に入ったのだから無理もないが、深夜も落ち着かず動き回り、職員を困らせた。年長の子どもからは露骨ないじめを受け、兄弟は理不尽な暴力に反撃し、その結果、精神科病院に連れて行かれ、そして薬が処方されたのだという。
人手不足が災いしているのか、愛情の欠落か、無知の成せる業なのか。これが、児童養護施設の実態。これが精神医療の実情なのかと唖然としてしまう。
もう一つ。
「精神科が原因の自殺がある。自覚すべきだ」
2013年5月、福岡市で開かれた第109回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで、北里大学病院救命救急センター医師の上條吉人さんが語気を強めた。福岡国際会場メインホールを埋めた精神科医たちは、厳しい指摘をどう受け止めたのだろうか。
相模原市で三次救急を担い、24時間体制で重篤な患者に対応する北里大学病院救命救急センターでは、運び込まれる人の10〜15%が自殺企図および自傷行為の患者で、このうち半数(全体の5〜7%)を処方薬の過量服薬者が占めている。救急医の奮闘を尻目に過量服薬者を次々と生み出し、処方内容などを問い合わせたくても夜間や土日には電話もつながらない精神科医たちに対し、救急医の怒りは治まらない。
上條さんは、このシンポジウムで二つの事例を取り上げた。1例目は、心臓に影響が出る恐れがある三環系抗うつ剤を大量に飲み、深刻な不整脈を起こした患者で、迅速な救命措置で命は助かったものの、瀬戸際だった。「この患者はうつ病の診断を受け、三環系抗うつ薬が30日分、3g処方されていた。この薬の致死量は体重の1kgあたり20mg。体重50kgだと1gで死ぬ量に達する。致死量をはるかに超える薬が1回の処方で出ていたことになる」と上條さんは指摘した。
2例目は20代の女性で、うつ病の診断で大量に処方されたバルビツール酸系の睡眠薬を56錠飲み、低酸素脳症で死亡した。バルビツール酸系は、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬が登場するまで盛んに用いられた薬で、依存性も副作用も強い。女性が飲んだ薬の致死量は40錠だった。
大量服薬する患者の多くは処方薬依存・乱用の状態で、複数の医療機関を回って薬を入手している。医療につながりすぎるほどつながっているのに、医師たちはだれも乱用に気付かず(あるいは指摘せず)、まるで乱用の手助けをするかのように依存性の高い薬を長期処方しているのだ。
さらにもう一つ。
医師に診断されたうつ病が鍼治療で消えた、という事実もある。
いやいやいや、本当にそう書かれてたんだって!
2006年、東京に住む当時50代の女性会社員のタカコさん(仮名)は、精神科クリニックで「うつ病」と診断された。几帳面な性格が管理職になって強まり、部下の仕事に細かく口を挟んだ結果、職場で孤立して落ち込んだ。同世代の男性に負けまいと若い頃から仕事一筋でやってきたのに、人が変わったように何も手につかなくなった。
薬物治療を続けたが仕事への意欲は戻らず、抗うつ剤のほかに抗不安剤、抗精神病薬などが追加されていった。定年退職まで欠勤を繰り返した。
2008年のある朝、頭が前に傾いたまま上がらなくなった。整形外科で検査を受けたが骨や筋肉に異常はなく、整形外科医は、「精神科の薬の影響」と判断した。(これは、精神科の多剤大量投与された人が起こしている典型的な斜頚らしい。)
だが、その時点まで2年近く薬を飲み続けていたタカコさんは「薬を減らすとうつがもっとひどくなるのではないか」と不安で減薬に踏み切れなかった。悩みを知人に打ち明けると「首の筋肉を鍼灸でほぐしたら楽になるのでは」と勧められ、東京都杉並区の鍼灸院に行った。背中のツボに灸を施し、首などに浅く鍼を刺す治療を受けた。
数回通うと頭が上がるようになった。(他の症例では、斜頚は結局治っていない。やはり早い段階で鍼灸治療を受けると治るのだ!)以後も「ほかでは得られない心身の心地良さ」にひかれて定期的に通ううちに、自信や気力がよみがえってきた。周囲の勧めで適度な運動を始め、それで気分転換ができるようになると、薬に頼る気持ちが薄らいだ。少しずつ減薬を進めて新たな職を得た。以前よりも心に余裕ができたことで職場の同僚に気を配れるようになり、良好な職場環境で仕事が楽しくなった。(これがすべての答えだ。病は生き方を見直すためのもの)
タカコさんの「うつ病」は鍼灸で治ったのだろうか。元共同通信記者で鍼灸ジャーナリストの松田博公さんは「鍼灸には全身状態を整えて心身をリラックスさせる効果はありますが、精神疾患は治せない」と断言する。(おいおいおい! アメリカで臨床をしている松本岐子先生はちゃんとうつ病を治してるぞ!)だが、「最近は心の不調をすぐに病気にしてしまう安易な診断が増えたためか、鍼灸で改善する『うつ病』が目立っている」という。
抗うつ剤では改善しないのに、鍼灸で回復する「うつ病」は本当に病気なのだろうか。安易な診断と投薬が、落ち込んだ人に過剰な病者意識を植え付け、かえって不調や服薬を長引かせているのではないか。と結ばれている。
最後に。
2011年秋、東京の40代の男性がまるで高齢者のような言葉を口にしたのだ。
「最近また友達を失いました。心臓発作による突然死です。同世代の友人が4人、5人と亡くなっていく」
彼は20代で統合失調症を診断され、多剤大量投薬に苦しんだ経験がある。だが病院を変え、抗精神病薬を1種類にしてから症状が落ち着き、会社勤めができるまでに回復した。
亡くなった彼の友人たちは、死に至る病を抱えていたわけではない。統合失調症と診断され、治療を受けていただけだ。ただ、亡くなる直前まで大量の抗精神病薬を服用していたという共通点があった。
2020年12月01日
依存から始まる心の不調。発達障害という病名が生み出す本当の病。
依存から始まる心の不調。発達障害という病名が生み出す本当の病。
断薬後にずっと長く続く不調の原因は『心の病の延長』です。そもそも心の病というものは、『病気』ではありません。
と語るのは、家庭問題・心理・断薬カウンセラー工藤史惠さんです。
工藤さんがカウンセラーとして関わってらっしゃる相談は、『断薬のご相談』『断薬のアドバイス』ということになっているが、実は一番多い内容は、「断薬したい」という相談ではなく、『すでに断薬は果たしている。でもしばらく経っても体調がなかなか戻らない』という相談なのだとか。
つまり、精神病院に行くほどの心の病になってしまった問題の根本的解決ができていないので、そこから脱することができないということ。
誤解して欲しくないのは、その人に出ている症状を否定しているのではなく、症状とは出る必要があるから出ているものであり、病気だから出ているものではないという理解が必要。
自分が分かっている心理のもっともっと奥深く、深層心理の部分でその病気が必要で、自ら病人という立場を選んでいる。これが心の病のメカニズムです。
そして精神薬を断薬しても、元々精神科に通うようになるほど体調を崩してしまった原因、薬漬けになってしまった原因に気づかないと、今度は『後遺症』というものにしがみつき、いつまで経っても具合がよくならない、社会復帰ができないということになってしまう。
この根本的原因に気づけると、何年も苦しんだ人が3ヶ月〜半年で別人のようになってしまい、気づくと働きだしてしまっているという嬉しい驚きがある。
『依存』という言葉を辞書で引くと「他のものによりかかり、それによって成り立つこと」と書かれています。
依存自体は多かれ少なかれ、どんな人でも何かにしていると思います。
でも、心の病になってしまう人、薬漬けになってしまう人はみんな極度な依存体質です。
薬漬けになった人はたまたま病院や病気、薬に依存しただけ。
ギャンブル依存も買い物依存も、そして恋愛依存も、依存する対象が違っただけで、実は全てが同じです。
そういう『依存』というものを生み出すのはどうしてか?
その原因は『生まれ持った性格 + 育ってきた環境』これだけでしかありません。
育ってきた環境で満たされないものが大き過ぎた。それを大人になっても無意識のうちに埋めようとして埋められるものを探して歩く。
その、埋められるものが依存するものなのです。
しかし、ほんとうの意味で満たされることはないので、苦しみ続ける訳です。
さて、精神科につきましては、病名という落とし穴があると工藤さんはおっしゃいます。
たとえば、『精神科で診断される病気』『精神薬が必要な病気』と聞いて連想する病名とは?
うつ病・統合失調症・パニック障害・不安障害・摂食障害・不眠症(睡眠障害)・双極性障害・起立性障害・人格障害・発達障害……
等まぁ、色々なものがあります。
ここにいくつか並んだ病名を見て、もう、おかしいなと思いませんか?
最初のうつ病、統合失調症を覗いて、その後ろにあるものすべて『○○障害』という名前がついています。
『○○病』ではなく『○○障害』です。
因みに、障害という言葉を辞書で引いてみると「正常な進行や活動の妨げとなるもの」と書いてあります。
つまり、妨げとなるものなだけであって、病気ではないですね?
たとえば、「発達障害」という病気があります。しかしそもそも、この発達障害って一体何なのでしょうか?
ここにも『障害』という言葉がついていますから、前述の理屈で言うと『発達の妨げになるもの』です。
それだったら発達障害って病気ですか? 薬で治るものですか?
工藤さんは2018年まで、カウンセリング業の傍ら、2年半の間、地元のソロバン塾の講師をしていたそうです。そのときに出会った子ども達の話。
そこに通って来ていた何人もの子が、学校から発達障害の疑いがあるからと病院に行くことを勧められていたとこのとでした。
確かに、学校側から勧められたその子たちは、個性が強いです。でも、55分もある授業中、ずっと座っていられるんです。学校から「病院に行って診てもらって」と言われている子たちは、どの子も私から見たら全く病気ではなかった、と工藤さんはおっしゃる。
だって、薬を飲んでいなくてももっと落ち着きのない子はたくさんいましたからね(笑)と。
お子さんが病人になるかならないかは親御さんの意識の差。
同じような症状でも、病院に行く子・行かない子、病気として扱われる子・扱われない子は、周囲の環境によって大きく異なってきます。
学校に言われても「ん〜。確かに落ち着きがないんですけれどね〜。でもこの子、生まれたときからそうだし、そういう子なんですよね〜」と笑って済ませてしまえるかどうか。
結局、子どもをどう育てたいか、親子でどう向き合っていくか。
つまり、病名がマーケティングであるということは、内海先生はもちろんのこと、有名な精神薬を作っている製薬会社の人や、有名な海外の医師なども口にしていたりするそうです。
たとえば、神経質な親御さんに対して「あなたの子どもは病気かもしれません。その病気のせいで他人にも迷惑を掛けてしまうのですよ。でも薬を飲ませれば、今困っている症状は抑えられ、他人に迷惑を掛けることもなくなります」そう言えば、迷わず病院に行かせることには成功するでしょう。
発達障害ビジネスとはそういうものです。
決して、子どもに「障害?」と思われるような症状がないと言っているわけではありません。どうしても集団に入れない子、異常に落ち着きのない子はいます。
でもそれは薬で治せるもですか?生まれつきのとても強い個性・特性なのに、薬で何ができますか?
最後に工藤さんは「精神薬」について、このようにおっしゃっています。
それでも、もし、親御さんが薬を飲ませると決めるのであれば、それすら全て受け入れる覚悟を持って飲ませる決断をして欲しいのです。断薬には強い覚悟が必要ですが、子どもに薬を飲ませることにも強い覚悟が必要だということを知って欲しいのです。
何も考えずに、学校が言ったから、医師が言ったから、と周囲のせいにすることだけはしないよう、もっと学んで、じっくり考えて、自分と相談して、覚悟を持って、子どもと家族の未来を考えて行って欲しいと願います。
断薬後にずっと長く続く不調の原因は『心の病の延長』です。そもそも心の病というものは、『病気』ではありません。
と語るのは、家庭問題・心理・断薬カウンセラー工藤史惠さんです。
工藤さんがカウンセラーとして関わってらっしゃる相談は、『断薬のご相談』『断薬のアドバイス』ということになっているが、実は一番多い内容は、「断薬したい」という相談ではなく、『すでに断薬は果たしている。でもしばらく経っても体調がなかなか戻らない』という相談なのだとか。
つまり、精神病院に行くほどの心の病になってしまった問題の根本的解決ができていないので、そこから脱することができないということ。
誤解して欲しくないのは、その人に出ている症状を否定しているのではなく、症状とは出る必要があるから出ているものであり、病気だから出ているものではないという理解が必要。
自分が分かっている心理のもっともっと奥深く、深層心理の部分でその病気が必要で、自ら病人という立場を選んでいる。これが心の病のメカニズムです。
そして精神薬を断薬しても、元々精神科に通うようになるほど体調を崩してしまった原因、薬漬けになってしまった原因に気づかないと、今度は『後遺症』というものにしがみつき、いつまで経っても具合がよくならない、社会復帰ができないということになってしまう。
この根本的原因に気づけると、何年も苦しんだ人が3ヶ月〜半年で別人のようになってしまい、気づくと働きだしてしまっているという嬉しい驚きがある。
『依存』という言葉を辞書で引くと「他のものによりかかり、それによって成り立つこと」と書かれています。
依存自体は多かれ少なかれ、どんな人でも何かにしていると思います。
でも、心の病になってしまう人、薬漬けになってしまう人はみんな極度な依存体質です。
薬漬けになった人はたまたま病院や病気、薬に依存しただけ。
ギャンブル依存も買い物依存も、そして恋愛依存も、依存する対象が違っただけで、実は全てが同じです。
そういう『依存』というものを生み出すのはどうしてか?
その原因は『生まれ持った性格 + 育ってきた環境』これだけでしかありません。
育ってきた環境で満たされないものが大き過ぎた。それを大人になっても無意識のうちに埋めようとして埋められるものを探して歩く。
その、埋められるものが依存するものなのです。
しかし、ほんとうの意味で満たされることはないので、苦しみ続ける訳です。
さて、精神科につきましては、病名という落とし穴があると工藤さんはおっしゃいます。
たとえば、『精神科で診断される病気』『精神薬が必要な病気』と聞いて連想する病名とは?
うつ病・統合失調症・パニック障害・不安障害・摂食障害・不眠症(睡眠障害)・双極性障害・起立性障害・人格障害・発達障害……
等まぁ、色々なものがあります。
ここにいくつか並んだ病名を見て、もう、おかしいなと思いませんか?
最初のうつ病、統合失調症を覗いて、その後ろにあるものすべて『○○障害』という名前がついています。
『○○病』ではなく『○○障害』です。
因みに、障害という言葉を辞書で引いてみると「正常な進行や活動の妨げとなるもの」と書いてあります。
つまり、妨げとなるものなだけであって、病気ではないですね?
たとえば、「発達障害」という病気があります。しかしそもそも、この発達障害って一体何なのでしょうか?
ここにも『障害』という言葉がついていますから、前述の理屈で言うと『発達の妨げになるもの』です。
それだったら発達障害って病気ですか? 薬で治るものですか?
工藤さんは2018年まで、カウンセリング業の傍ら、2年半の間、地元のソロバン塾の講師をしていたそうです。そのときに出会った子ども達の話。
そこに通って来ていた何人もの子が、学校から発達障害の疑いがあるからと病院に行くことを勧められていたとこのとでした。
確かに、学校側から勧められたその子たちは、個性が強いです。でも、55分もある授業中、ずっと座っていられるんです。学校から「病院に行って診てもらって」と言われている子たちは、どの子も私から見たら全く病気ではなかった、と工藤さんはおっしゃる。
だって、薬を飲んでいなくてももっと落ち着きのない子はたくさんいましたからね(笑)と。
お子さんが病人になるかならないかは親御さんの意識の差。
同じような症状でも、病院に行く子・行かない子、病気として扱われる子・扱われない子は、周囲の環境によって大きく異なってきます。
学校に言われても「ん〜。確かに落ち着きがないんですけれどね〜。でもこの子、生まれたときからそうだし、そういう子なんですよね〜」と笑って済ませてしまえるかどうか。
結局、子どもをどう育てたいか、親子でどう向き合っていくか。
つまり、病名がマーケティングであるということは、内海先生はもちろんのこと、有名な精神薬を作っている製薬会社の人や、有名な海外の医師なども口にしていたりするそうです。
たとえば、神経質な親御さんに対して「あなたの子どもは病気かもしれません。その病気のせいで他人にも迷惑を掛けてしまうのですよ。でも薬を飲ませれば、今困っている症状は抑えられ、他人に迷惑を掛けることもなくなります」そう言えば、迷わず病院に行かせることには成功するでしょう。
発達障害ビジネスとはそういうものです。
決して、子どもに「障害?」と思われるような症状がないと言っているわけではありません。どうしても集団に入れない子、異常に落ち着きのない子はいます。
でもそれは薬で治せるもですか?生まれつきのとても強い個性・特性なのに、薬で何ができますか?
最後に工藤さんは「精神薬」について、このようにおっしゃっています。
それでも、もし、親御さんが薬を飲ませると決めるのであれば、それすら全て受け入れる覚悟を持って飲ませる決断をして欲しいのです。断薬には強い覚悟が必要ですが、子どもに薬を飲ませることにも強い覚悟が必要だということを知って欲しいのです。
何も考えずに、学校が言ったから、医師が言ったから、と周囲のせいにすることだけはしないよう、もっと学んで、じっくり考えて、自分と相談して、覚悟を持って、子どもと家族の未来を考えて行って欲しいと願います。
2020年11月29日
「RAS」信じ込みの解消、鏡の法則とホメオパシー、ソウルスピーク。
「RAS」信じ込みの解消、鏡の法則とホメオパシー、ソウルスピーク。
RAS(ラス)とは、「Release & Awakening System」の頭文字をとったもの。
感情の痛みを伴って、無意識で深く信じてしまっている「信じ込み」を、手放して、苦しみを解消する手法。
一般社団法人RASインターナショナル代表松坂宏一氏は、信じ込んだことは現実化する、とおっしゃる。
つまり、外側で現実化したことの原因は、「必ず内側にある」ということです。
例えば、内側に、「責められた」という信じ込みがあったとします。すると、外側で「責められたと感じる出来事」・「責めてくる人」が、現実化・現れるそうです。
似たようなことを「鏡の法則」として聞いたことがあります。
私たちの人生の現実は、私たちの心を映し出す鏡である、と。そして、『現実に起きる出来事は一つの結果であり、その原因は心の中にある』
子どもが友人に苛められている、ということに悩んでいたお母さん、野球でエラーをした息子が周りからひどく責められている姿を目撃し、つらかった。それを心理学もくわしいという経営コンサルタントに相談した際、意外なことを言われたそうだ。
「もしかしたらあなたは、誰か身近な人を責めていませんか?」と。
「あなたが大事なお子さんを人から責められて悩んでいらっしゃるのは、あなたが、誰か感謝すべき人に感謝せずに、その人を責めているからではないかと思ったのです」
それは、元をただせば彼女の父親との関係が原因だった。
このお母さんは、言われたことを実行し、最終的に解決した。
しかし、大抵の人は責めてくる人のせいで内側がストレスを抱えている、外側つまり責めてくる人が悪いのだと思います。その責めてくる人をなんとかしようと努力します。
そして、何とか頑張って、外側の嫌な出来事(人)をどうにか出来たとします。
しかし、内側で同じ種を植えてしまったら、再び、似たような出来事が起こります。これが、人生で「繰り返し」起こる出来事の原因となっているのです。
さて、内側で「責められた」という信じ込みが解消され、その種を植えなくなると「責められたと感じる出来事」・「責めてくる人」が解消されます。
つまり自分が変われば、周りが変わるとよく言われる現象、それがその通りなのです。
見方を変えますと、「責められたと感じる出来事」・「責めてくる人」は、あなたの内側に「責められた」という信じ込みがありますよ!気づいてくださいね!という「内側へ」のシグナルを送って下さる存在。
大抵の人は、その有難い存在と戦っているのですが、これは、ホメオパシーで言うところの、「病原菌」「症状」と同じことです。
ホメオパシー療法家(ホメオパス)養成学校(College of Holistic Homoeopathy)学長の由井寅子先生がこんなことをおっしゃっております。
「感情が乱れる出来事、嫌な出来事、辛く苦しい出来事、それら出来事を辛く苦しいものにしているのは、自分自身の心(インナーチャイルド)であり、自分自身の心を映す鏡として感情が乱れる出来事が生じるのだということがわかりました。
人生(運命)そのものがホメオパシー治療(同種療法)だったのです。」
つまり、愛されず苦しんでいた(「愛されていない」という思い込み)私には、愛されない事件が続いたということです。と。
信じ込みは、気づくと解消されるということは、悩みの状態にいるということは、気づいていない状態ということ。
具体的なセッションはRASのファシリテーターの方の指導のもとに行うのですが。
『鏡の法則』野口嘉則著のような手法でも、ホメオパシーのインナーチャイルドの癒し、或いはトウリーディングに寄る「霊的自殺」をした過去の自分を救ってあげることも。
内側→外側、という構図は同じです。
身体に出る症状、現実に起こっている問題、それらはすべて内側からのサインなのです。
責めてくる人は、「責められた」という信じ込みがあると教えてくれる有り難い存在であり、感染症は「癒されていないインナーチャイルド」がいることを教えてくれるもの。
それから、リフレクソロジスト& SWIHA認定トウリーディングティチャーの真弓紗織さんがこんな風におっっしゃっております。
真ん中の目(3歳くらいまでは第三の目‘真ん中の目=真実を見る目’が開いている)を失っていると、身体は様々な方法で訴えてきます。
代表的な方法は「disease(病気)」です。
これは、「ease(心地よい状態)」から「dis(離れてしまった状態)」を意味します。
水虫菌やウィルスなど、見えないものを恐れている人は多いですが、それらはどこにでも存在していて、誰にでも感染する可能性があります。
それなのに、それを発症させる人としない人がいるのは何故なのでしょう?
それは、その人が心地いい状態から離れていることをお知らせするものでしかないのだと私は思っています。
病気に罪はありません。
ご主人様に「心地よい状態を思い出して欲しい」という想いでしかありません。
体内に出来るしこりは、自分の歴史に出来たしこりに相当していることも、よくあることです。内海聡医師もよくおっしゃっております。
たとえば肝臓の病気になるのは怒ってばかりとか、解毒臓器の肝臓に負担をかけているからということで、肉体だけでなく精神の毒をため込んでいるととらえます。
たとえば突発性難聴になるのも聞きたくないからです。不安により目ではなく耳をふさぐのです。
たとえば甲状腺機能亢進症になったのは頑張りすぎているととらえます。
すべての症状は必然的に自分が作っているという考え方(周波数の体現)ですから、すべての患者は意識的であれ無意識的であれ症状を自分で作っています、と。
私たちの頭が忘れたと思っていても、自分の中にある記憶は忠実に身体で表現し続けるのです。
だから、薬や手術に頼り、医療に任せて肉体だけを変えようとすることは本当はたいへん危険です。症状を抑えられると、その課題を別の方法で表してきます。どんどん表される病が重くなっていくこともあるということです。
どの記憶が今の自分を作り出しているのかをしっかり見つめ直すこと。そこがとても大事です。
病気は自分にとってのdiseaseを身体が代弁してくれているだけのもの。
感謝すべき存在であって、闘う相手ではありません、と。
関連記事
→ソウルコーチング 〜あなたは本来の道を歩んでいますか?〜
→ワクチン 〜予防接種の予防の原理。発達障害、自閉症の原因。非自己の認識。
→ワクチンの嘘と重大な害
RAS(ラス)とは、「Release & Awakening System」の頭文字をとったもの。
感情の痛みを伴って、無意識で深く信じてしまっている「信じ込み」を、手放して、苦しみを解消する手法。
一般社団法人RASインターナショナル代表松坂宏一氏は、信じ込んだことは現実化する、とおっしゃる。
つまり、外側で現実化したことの原因は、「必ず内側にある」ということです。
例えば、内側に、「責められた」という信じ込みがあったとします。すると、外側で「責められたと感じる出来事」・「責めてくる人」が、現実化・現れるそうです。
似たようなことを「鏡の法則」として聞いたことがあります。
私たちの人生の現実は、私たちの心を映し出す鏡である、と。そして、『現実に起きる出来事は一つの結果であり、その原因は心の中にある』
子どもが友人に苛められている、ということに悩んでいたお母さん、野球でエラーをした息子が周りからひどく責められている姿を目撃し、つらかった。それを心理学もくわしいという経営コンサルタントに相談した際、意外なことを言われたそうだ。
「もしかしたらあなたは、誰か身近な人を責めていませんか?」と。
「あなたが大事なお子さんを人から責められて悩んでいらっしゃるのは、あなたが、誰か感謝すべき人に感謝せずに、その人を責めているからではないかと思ったのです」
それは、元をただせば彼女の父親との関係が原因だった。
このお母さんは、言われたことを実行し、最終的に解決した。
しかし、大抵の人は責めてくる人のせいで内側がストレスを抱えている、外側つまり責めてくる人が悪いのだと思います。その責めてくる人をなんとかしようと努力します。
そして、何とか頑張って、外側の嫌な出来事(人)をどうにか出来たとします。
しかし、内側で同じ種を植えてしまったら、再び、似たような出来事が起こります。これが、人生で「繰り返し」起こる出来事の原因となっているのです。
さて、内側で「責められた」という信じ込みが解消され、その種を植えなくなると「責められたと感じる出来事」・「責めてくる人」が解消されます。
つまり自分が変われば、周りが変わるとよく言われる現象、それがその通りなのです。
見方を変えますと、「責められたと感じる出来事」・「責めてくる人」は、あなたの内側に「責められた」という信じ込みがありますよ!気づいてくださいね!という「内側へ」のシグナルを送って下さる存在。
大抵の人は、その有難い存在と戦っているのですが、これは、ホメオパシーで言うところの、「病原菌」「症状」と同じことです。
ホメオパシー療法家(ホメオパス)養成学校(College of Holistic Homoeopathy)学長の由井寅子先生がこんなことをおっしゃっております。
「感情が乱れる出来事、嫌な出来事、辛く苦しい出来事、それら出来事を辛く苦しいものにしているのは、自分自身の心(インナーチャイルド)であり、自分自身の心を映す鏡として感情が乱れる出来事が生じるのだということがわかりました。
人生(運命)そのものがホメオパシー治療(同種療法)だったのです。」
つまり、愛されず苦しんでいた(「愛されていない」という思い込み)私には、愛されない事件が続いたということです。と。
信じ込みは、気づくと解消されるということは、悩みの状態にいるということは、気づいていない状態ということ。
具体的なセッションはRASのファシリテーターの方の指導のもとに行うのですが。
『鏡の法則』野口嘉則著のような手法でも、ホメオパシーのインナーチャイルドの癒し、或いはトウリーディングに寄る「霊的自殺」をした過去の自分を救ってあげることも。
内側→外側、という構図は同じです。
身体に出る症状、現実に起こっている問題、それらはすべて内側からのサインなのです。
責めてくる人は、「責められた」という信じ込みがあると教えてくれる有り難い存在であり、感染症は「癒されていないインナーチャイルド」がいることを教えてくれるもの。
それから、リフレクソロジスト& SWIHA認定トウリーディングティチャーの真弓紗織さんがこんな風におっっしゃっております。
真ん中の目(3歳くらいまでは第三の目‘真ん中の目=真実を見る目’が開いている)を失っていると、身体は様々な方法で訴えてきます。
代表的な方法は「disease(病気)」です。
これは、「ease(心地よい状態)」から「dis(離れてしまった状態)」を意味します。
水虫菌やウィルスなど、見えないものを恐れている人は多いですが、それらはどこにでも存在していて、誰にでも感染する可能性があります。
それなのに、それを発症させる人としない人がいるのは何故なのでしょう?
それは、その人が心地いい状態から離れていることをお知らせするものでしかないのだと私は思っています。
病気に罪はありません。
ご主人様に「心地よい状態を思い出して欲しい」という想いでしかありません。
体内に出来るしこりは、自分の歴史に出来たしこりに相当していることも、よくあることです。内海聡医師もよくおっしゃっております。
たとえば肝臓の病気になるのは怒ってばかりとか、解毒臓器の肝臓に負担をかけているからということで、肉体だけでなく精神の毒をため込んでいるととらえます。
たとえば突発性難聴になるのも聞きたくないからです。不安により目ではなく耳をふさぐのです。
たとえば甲状腺機能亢進症になったのは頑張りすぎているととらえます。
すべての症状は必然的に自分が作っているという考え方(周波数の体現)ですから、すべての患者は意識的であれ無意識的であれ症状を自分で作っています、と。
私たちの頭が忘れたと思っていても、自分の中にある記憶は忠実に身体で表現し続けるのです。
だから、薬や手術に頼り、医療に任せて肉体だけを変えようとすることは本当はたいへん危険です。症状を抑えられると、その課題を別の方法で表してきます。どんどん表される病が重くなっていくこともあるということです。
どの記憶が今の自分を作り出しているのかをしっかり見つめ直すこと。そこがとても大事です。
病気は自分にとってのdiseaseを身体が代弁してくれているだけのもの。
感謝すべき存在であって、闘う相手ではありません、と。
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→ソウルコーチング 〜あなたは本来の道を歩んでいますか?〜
→ワクチン 〜予防接種の予防の原理。発達障害、自閉症の原因。非自己の認識。
→ワクチンの嘘と重大な害
2020年11月28日
ホメオパシーと新型インフルエンザ、嘘と真実。自ら調べ、自ら考える。水は化け物である。
ホメオパシーと新型インフルエンザ、嘘と真実。自ら調べ、自ら考える。水は化け物である。
以前、「水」の講演会に参加してもらった方より聞いたハナシ。(事情があって自分で参加出来なかったので)
「水は物質の情報を記憶、伝達する」
彼女の言葉そのままで。
なんか、オカルト的な言い回しがあったんだけど、その科学者達の研究結果なそうです。
水には3種類の水があるというのが今までの常識で、実は4番目の「水」があるそうです。
・液体の水
・氷
・水→氷、氷→水
その他、第四の水の相があるんだって。
その第四の水はエネルギーの変換装置みたいなもので、人間の体の水もこの第四の水の相が多ければ多いほど良いそうです。
DNAの情報は、電磁波信号として水に転写出来、そしてこのように水に転写された。
よく聞く話で水に「ありがとう」と言った瞬間に水が変わるという話。一番良い言葉は「愛・感謝」なそうです。だから、ペットボトルにマジックで書けば良いのかもね。
実験で、ハート型や、愛、感謝などの言葉を書いた紙をペットボトルに貼り、時間をおいて、その水を凍らせ顕微鏡で結晶を見た実験がスクリーンに映し出されたんだけど、当然、とても綺麗な結晶でした。
逆に「バカヤロー」と書いたペットボトルの水は、全く結晶の形になっていなかったんだよ。
他にも、象の絵の上にペットボトルを置いた後の結晶は、象の鼻の形が結晶の真ん中にあったり蝶々なども同様の結果でした。
ホメオパシー療法家の由井寅子さんもおっしゃっておりました。水は記憶する。水は化け物だと。
TQ技術も実は、そのような考えで開発されたものだと理解している。うろ覚えであるが、酵素というものは醗酵を途中で留めて製品にしているものである。その醗酵を途中で留めずに最後まで反応させてみたら、その痕跡、つまり情報が水に転写されて残っていた、と。
ホメオパシーの考え方だと、病原菌はもともと腸内細菌だったのではないか、となる。
根拠としては。
感染症は種を超えて感染しないから。ニンゲンが罹患するものは猫にはうつらない。よほど免疫力が弱っていれば別だが、種を超えないというのが基本であり、実際その通りであることは周知の事実。つまり病原菌はその種から発生しているのである。
それから、免疫について。
免疫というと、無条件にヒーロー扱いで正義の味方みたいに考えている方もいるかも知れんが、実はそんなことはない。免疫とは何かというと、「自己と非自己」の認識、ということだと思う。
自分か自分でないか。自分は許すが自分でないものは排除するという利己主義の塊のようなシステムに過ぎない。だから、病原菌を非自己とみなすことがまずは大事なのです。
では、病原菌とは何か?
由井氏は、病原体は、そもそも外敵ではなく「私たちが潜在意識に捨てて感じないようにしたもの、我慢した感情・未解決な感情(=インナーチャイルド)が、自分を映す鏡として実体化したもの」と表現されています。
たとえば、『自分は間もなく死ぬ』と思い込んでしまう魂の病は、恐怖の感情と関係している。その際に使うレメディーはトリカブトである。
理由もなく「私はもう明日死んでしまいます」と言う人にアコナイト(Acon.)という、トリカブトを希釈振盪したレメディーを与えると、間もなく死ぬに違いないという信念が緩み、恐怖の感情も消失するのだそうだ。
それからたとえば、『常に不愉快なことを体験しなければならない』という信念と密接に関係し、怒りの感情が根底にある場合は、水銀が効果を表すそうだ。
魂の中に「こうでなければならない」といった強いこだわりがあればそれは魂の病気となる。
つまり、健康になるためには体・心・魂、この3つから異物、非自己、老廃物を排出しなければいけない。それが排出できていないから、病気という状態になっているということだ。
排泄出来ないから病気になる。これは、ず〜っとむかし、下痢が続いて内科を受診したときに医者に言われた。検査の結果特に原因が特定出来なかったため、薬も処方されず、「便秘よりマシです」。
なるほど、と納得するしかなかったが、そして当時はどこか釈然としない思いも抱えた。しかし、その診断はものすごく正しかったのだと今しみじみ思う。
つまり、何故、排出が出来ないのか。何故、病気になっているのか。要らないもんは出せば良いじゃん、と思うのが当然で、身体だってそう思っている筈。
しかし、異物を異物と認識できていない。非自己を非自己と認識できないから、排出できないのである。
病の原因物質を認識させれば、免疫システムが働いて非自己を排出或いは無毒化させることが出来る。
そう、その免疫を稼働させるツールがレメディー、ホメオパシーなのである。
さて、ではレメディーとは?
たとえば、「体の中に農薬があることを認識させるには、認識させるだけの農薬がもう1回入らなければいけない。認識できるくらいに農薬をとれば、体は『これはいけない。体は農薬だらけだ』と気づいて、免疫力が働き始める」。
つまり、病気の原因となっている異物と同じもの、あるいは似たようなものを体に入れることによって、異物を異物として正しく認識することができる、ということ。認識できたら、あとは、自己治癒力が働いて、症状を出して排出するだけ。そう、症状を出すことが排出の合図だ。
このように、身体・心・魂の中にある異物、非自己と同じ、あるいは似たような異物、非自己をあえて入れることにより自己認識させ、治療する方法を、同種療法という。
そして、ここで使われる「毒」がレメディーなのです。
では、新型コロナウィルスはどのようなインナーチャイルドが実体化したものか由井さんの霊視に寄ると、
「負けたくないインチャ」
「勝って人を見下したいインチャ」が実体化したものだったと言います。
つまり、
「勝ち負けにこだわる人」
「勝って人を見下そうとする人」が新型コロナウィルスに感染しやすいと言えるようです。
今回の新型コロナウイルスは人工的に作られたウイルスの可能性があり、そうすると、そこには作った人の意志、意識が宿っていることになるとのこと。そして、もし人工的に作られたウイルスだとしたら、作った人や作ることを指示した人の意識の中に、勝ち負けにこだわる、勝って人を見下さそうとする意識が強かったということになる。そもそも、ウィルスを作ろうなんて考えること自体、勝ちたいからであり、負けそうだという危機感があったからであろう。大変、迷惑なハナシである。
要するに、生物というのは、必ず価値観と感情をもっている。同じような価値観と感情をもっていると、非自己にできないということ。そして、非自己にできないから、病原体が居心地良く増えてしまい、最終的に体を蝕むという構図。
病原体は自分を映す鏡として存在する。自分自身から目を逸らし続けるなら、病原体は増え続け、体は病気となってしまう。病原体は宿主を病気にするために存在するのではなく、救うために存在するのである。
関連記事
→ワクチン 〜予防接種の予防の原理。発達障害、自閉症の原因。非自己の認識。
以前、「水」の講演会に参加してもらった方より聞いたハナシ。(事情があって自分で参加出来なかったので)
「水は物質の情報を記憶、伝達する」
彼女の言葉そのままで。
なんか、オカルト的な言い回しがあったんだけど、その科学者達の研究結果なそうです。
水には3種類の水があるというのが今までの常識で、実は4番目の「水」があるそうです。
・液体の水
・氷
・水→氷、氷→水
その他、第四の水の相があるんだって。
その第四の水はエネルギーの変換装置みたいなもので、人間の体の水もこの第四の水の相が多ければ多いほど良いそうです。
DNAの情報は、電磁波信号として水に転写出来、そしてこのように水に転写された。
よく聞く話で水に「ありがとう」と言った瞬間に水が変わるという話。一番良い言葉は「愛・感謝」なそうです。だから、ペットボトルにマジックで書けば良いのかもね。
実験で、ハート型や、愛、感謝などの言葉を書いた紙をペットボトルに貼り、時間をおいて、その水を凍らせ顕微鏡で結晶を見た実験がスクリーンに映し出されたんだけど、当然、とても綺麗な結晶でした。
逆に「バカヤロー」と書いたペットボトルの水は、全く結晶の形になっていなかったんだよ。
他にも、象の絵の上にペットボトルを置いた後の結晶は、象の鼻の形が結晶の真ん中にあったり蝶々なども同様の結果でした。
ホメオパシー療法家の由井寅子さんもおっしゃっておりました。水は記憶する。水は化け物だと。
TQ技術も実は、そのような考えで開発されたものだと理解している。うろ覚えであるが、酵素というものは醗酵を途中で留めて製品にしているものである。その醗酵を途中で留めずに最後まで反応させてみたら、その痕跡、つまり情報が水に転写されて残っていた、と。
ホメオパシーの考え方だと、病原菌はもともと腸内細菌だったのではないか、となる。
根拠としては。
感染症は種を超えて感染しないから。ニンゲンが罹患するものは猫にはうつらない。よほど免疫力が弱っていれば別だが、種を超えないというのが基本であり、実際その通りであることは周知の事実。つまり病原菌はその種から発生しているのである。
それから、免疫について。
免疫というと、無条件にヒーロー扱いで正義の味方みたいに考えている方もいるかも知れんが、実はそんなことはない。免疫とは何かというと、「自己と非自己」の認識、ということだと思う。
自分か自分でないか。自分は許すが自分でないものは排除するという利己主義の塊のようなシステムに過ぎない。だから、病原菌を非自己とみなすことがまずは大事なのです。
では、病原菌とは何か?
由井氏は、病原体は、そもそも外敵ではなく「私たちが潜在意識に捨てて感じないようにしたもの、我慢した感情・未解決な感情(=インナーチャイルド)が、自分を映す鏡として実体化したもの」と表現されています。
たとえば、『自分は間もなく死ぬ』と思い込んでしまう魂の病は、恐怖の感情と関係している。その際に使うレメディーはトリカブトである。
理由もなく「私はもう明日死んでしまいます」と言う人にアコナイト(Acon.)という、トリカブトを希釈振盪したレメディーを与えると、間もなく死ぬに違いないという信念が緩み、恐怖の感情も消失するのだそうだ。
それからたとえば、『常に不愉快なことを体験しなければならない』という信念と密接に関係し、怒りの感情が根底にある場合は、水銀が効果を表すそうだ。
魂の中に「こうでなければならない」といった強いこだわりがあればそれは魂の病気となる。
つまり、健康になるためには体・心・魂、この3つから異物、非自己、老廃物を排出しなければいけない。それが排出できていないから、病気という状態になっているということだ。
排泄出来ないから病気になる。これは、ず〜っとむかし、下痢が続いて内科を受診したときに医者に言われた。検査の結果特に原因が特定出来なかったため、薬も処方されず、「便秘よりマシです」。
なるほど、と納得するしかなかったが、そして当時はどこか釈然としない思いも抱えた。しかし、その診断はものすごく正しかったのだと今しみじみ思う。
つまり、何故、排出が出来ないのか。何故、病気になっているのか。要らないもんは出せば良いじゃん、と思うのが当然で、身体だってそう思っている筈。
しかし、異物を異物と認識できていない。非自己を非自己と認識できないから、排出できないのである。
病の原因物質を認識させれば、免疫システムが働いて非自己を排出或いは無毒化させることが出来る。
そう、その免疫を稼働させるツールがレメディー、ホメオパシーなのである。
さて、ではレメディーとは?
たとえば、「体の中に農薬があることを認識させるには、認識させるだけの農薬がもう1回入らなければいけない。認識できるくらいに農薬をとれば、体は『これはいけない。体は農薬だらけだ』と気づいて、免疫力が働き始める」。
つまり、病気の原因となっている異物と同じもの、あるいは似たようなものを体に入れることによって、異物を異物として正しく認識することができる、ということ。認識できたら、あとは、自己治癒力が働いて、症状を出して排出するだけ。そう、症状を出すことが排出の合図だ。
このように、身体・心・魂の中にある異物、非自己と同じ、あるいは似たような異物、非自己をあえて入れることにより自己認識させ、治療する方法を、同種療法という。
そして、ここで使われる「毒」がレメディーなのです。
では、新型コロナウィルスはどのようなインナーチャイルドが実体化したものか由井さんの霊視に寄ると、
「負けたくないインチャ」
「勝って人を見下したいインチャ」が実体化したものだったと言います。
つまり、
「勝ち負けにこだわる人」
「勝って人を見下そうとする人」が新型コロナウィルスに感染しやすいと言えるようです。
今回の新型コロナウイルスは人工的に作られたウイルスの可能性があり、そうすると、そこには作った人の意志、意識が宿っていることになるとのこと。そして、もし人工的に作られたウイルスだとしたら、作った人や作ることを指示した人の意識の中に、勝ち負けにこだわる、勝って人を見下さそうとする意識が強かったということになる。そもそも、ウィルスを作ろうなんて考えること自体、勝ちたいからであり、負けそうだという危機感があったからであろう。大変、迷惑なハナシである。
要するに、生物というのは、必ず価値観と感情をもっている。同じような価値観と感情をもっていると、非自己にできないということ。そして、非自己にできないから、病原体が居心地良く増えてしまい、最終的に体を蝕むという構図。
病原体は自分を映す鏡として存在する。自分自身から目を逸らし続けるなら、病原体は増え続け、体は病気となってしまう。病原体は宿主を病気にするために存在するのではなく、救うために存在するのである。
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→ワクチン 〜予防接種の予防の原理。発達障害、自閉症の原因。非自己の認識。
2020年11月27日
陸奥蝦夷の首領・阿弖流為と征夷大将軍坂上田村麻呂、古代日本人と自然との関わり
陸奥蝦夷の首領・阿弖流為と征夷大将軍坂上田村麻呂、古代日本人と自然との関わり
阿弖流為を語る際には、その最期を招いた人物として坂上田村麻呂を抜きには出来ない。東北には、この坂上田村麻呂が創建した神社が数多くある。
坂上田村麻呂は758年に坂上苅田麻呂の次男または三男として誕生。(※坂上田村麻呂の具体的な誕生日は不明です)
801年、坂上田村麻呂は4万の軍勢と5人の軍艦、32人の軍曹を率いて平安京から蝦夷(えぞ)最大の根拠地、胆沢(岩手県)に出征します。ちなみに蝦夷(えぞ)とは日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称。
(※蝦夷の読み方は「えぞ」以外にも次の2つで呼ばれることがあります。「えみし」「えびす」)
そして坂上田村麻呂は胆沢攻略に成功し、従三位・近衛中将に任じられる。
802年には胆沢に胆沢城を築き鎮守府をここに移したとされる。それと同時に坂上田村麻呂が降伏した蝦夷の首領2人を都に連れていく。蝦夷の首領二人とは、阿弖流為と盤具公母礼だよなぁ、と。
坂上田村麻呂は蝦夷の首領2人を処刑することを最後まで反対し、嘆願したと言われているが、これに懐疑的な意見も実はある。結局、蝦夷の首領2人は処刑される。そして、「怨霊」ないし「御霊」と化して祟りをなした悪路王が誕生することになる。朝廷側は祟り鎮めのために、リアルな頭形つまり生首の木像がつくらせ、これを祀ったという。
祟ったということは、大和の側がよほど汚い手を使ったか、あるいは奸計にはめて殺害した可能性をうかがわせるだろう。そもそも、うしろめたいから鎮魂するのである。
『アテルイ〜はるかなる母神の大地に生きた男(ひと)〜』愚安亭遊佐・又重勝彦著 自然食通信社に寄れば、文字を必要としなかったアテルイ達エミシの残した記録はない。しかし、記録されなかったアテルイ達の生きた残照は、現代にも見ることができる。盆や正月に帰ってくる先祖の霊魂の話は、仏教では説明がつかない。正月のしめ縄も、現代の神道では説明がつかない。お供えもそうだという。
文字を持たなかった我々の先祖は、記録がないために、その後好き勝手な伝説を語られている。この「悪路王」も、「むかし、陸奥一帯を支配し、大和朝廷の東北支配に対抗した「蝦夷」の大王のことである。悪路という用字にも明らかなように、そうとう手強い大王だったようで、朝廷が派遣した軍隊と互角以上にわたりあった。いや、しばしば朝廷軍に強烈なパンチを食らわせた。そこで坂上田村麻呂が悪路王を退治し、蝦夷たちを大和に帰順させたという話になる。」と、あらまたひろし(作家)さんは語る。
先祖の霊魂の話は、仏教より、アイヌ民族の死生観で説明したほうがしっくりくるという。
お供えはとぐろを巻いた蛇、しめ縄は、交合する蛇。蛇の姿に神を見た信仰がなくては、説明がつかない。他の生き物をきちんと観察することで、人間を超える力の存在を見つけられた人々だけが持ちえた信仰。世界共通と思えるほど、蛇に対する信仰が広がっていた時代があった。その後、蛇は殺されていく。その時期が、文明の始まりに重なっている。蛇の脱皮は、死と再生に見えた。
また、諏訪の御柱、青森のねぶた祭、岩手の鬼剣舞、鹿踊り、等々、何を持ち出して説明すればよいのだろう。
「アテルイ」という芝居のシナリオに、蝦夷の暮らしと叫びが見事に再現されていると思う。
『あたしたちは、ここに、あたしの母の母の母の、さらに遥かな母のときから、幾百幾千の夏の季節と冬の季節を経巡り、ここで暮らしてきた。
ここはあたしたちの大地。ヒタカミ。
いや、あたしたちだけじゃない。天地の狭間に生きる、すべての生き物の命を尊び、敬い、木の恵み、大地の恵みに、感謝と祈りを忘れないものにとっては、誰のものでもある大地。』
『それが、あたしの母の母の母の母の母のある日、あの人たちがここへやってきた。
そして、いきなり宣言した。
「ここは肥えて広くて、金も取れれば鉄も取れる。たいした、いいとこだから、ここを、おれたちによこせ」
だから、戸惑いながら答えた。
「あんたたちもここに住みたいでしょう? ヤマトから来たんでしょ。いままでも、ヤマトから来た人で、ここに住んでる人がいるよ。あたしたちは、住みたいって言うのに駄目とは言えないでしょう。ここは誰のものでもないのだから」
次に、あの人たちが来た時、手に斧と、鍬と、鋤を持ってきた。しかも、大勢で。
そして、みんなで木を切り出した。大地を掘り返し始めた。
それを見て、あたしの母の母の母の母の母の人たちは青ざめ、必死になって叫んだ。
「あんたたち、なにするの。そういうことしちゃ、だめなんだよ、木に許しをもらった? 大地がいいって言った? 祈りは済んだ?」
そしたら、あの人たちは、斧や鎌や鋤を振りかざした。
後ずさりしながら、あたしの母の母の母の母の母の人たちは叫んだ。
「木が痛いと叫び声をあげてるのが、あんたたちに聞こえないの。大地が嫌だと言ってるのが、あんたたちに聞こえないの」
「だめだよ、木、切れば、だめだ。祈りも、感謝もなく、ただ、切るなんて、だめだ。そういうことすれば、生き物たち、生きていけなくなる。生き物たち、生きていけなくなれば、人間も生きていけなくなる。そんな罰当たりのこと、しちゃあ、だめ。やめてください、お願いします。やめてけろ、やめてけろって、やめてけろ、やめてけろ、やめろ、やめてけろ」
みんな必死になって叫んだ。』
征夷とか討伐とかっていうのは、中央政府側からの言葉であって、こちら側からすると侵略だ。
狩猟採集民(縄文人)と、農耕民(弥生人)はそもそもまったく別のヒトビトだ。狩猟採集民は農耕民に比べて心優しい人たちだったとも言われる。何故なら、彼らは土地に拘泥しないから、土地を確保するために攻めに行く必要もない。だから阿弖流為たちの戦いは、そもそも専守防衛だけの戦いだったのだと。
アイヌに魂送りの祭のイヨマンテが残っているように、あらゆる生きている命を奪って生きているがために、命への感謝の祭を忘れなかった人たちが東北の縄文人だったと思う。
『岩手県市町村地域史シリーズ24 紫波町の歴史』岩手県文化財愛護協会編 川村迪雄著に寄ると、
『奈良時代末期から平安時代初期の志波地方は、胆沢地方とならんで、北上川中流域の蝦夷社会の中心をなしていた。そして大墓公阿弖流為(おおはかのきみあてるい)とか磐具公母礼(いわぐのきみもれ)、あるいは胆沢公志波阿奴志己(いさわのきみしわのあぬしこ)などの指導者を中心に、連合体としての強大な勢力が組織化されるようになっていた。
『続日本記』によれば、宝亀(ほうき)五年(774)以降たびたび征夷作戦が展開されている。宝亀七年(776)の志波村の蝦夷の反乱では、出羽の国府軍が敗北し、翌八年十二月にも志波村の蝦夷が出羽に出撃して、国府軍を破った。
このころの記録には、“志波村”の記事がたびたび出ていて、志波地方の蝦夷の勢力は組織的に強化されていて、優秀な指導者がいたことがうかがわれる。』
阿弖流為を語る際には、その最期を招いた人物として坂上田村麻呂を抜きには出来ない。東北には、この坂上田村麻呂が創建した神社が数多くある。
坂上田村麻呂は758年に坂上苅田麻呂の次男または三男として誕生。(※坂上田村麻呂の具体的な誕生日は不明です)
801年、坂上田村麻呂は4万の軍勢と5人の軍艦、32人の軍曹を率いて平安京から蝦夷(えぞ)最大の根拠地、胆沢(岩手県)に出征します。ちなみに蝦夷(えぞ)とは日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称。
(※蝦夷の読み方は「えぞ」以外にも次の2つで呼ばれることがあります。「えみし」「えびす」)
そして坂上田村麻呂は胆沢攻略に成功し、従三位・近衛中将に任じられる。
802年には胆沢に胆沢城を築き鎮守府をここに移したとされる。それと同時に坂上田村麻呂が降伏した蝦夷の首領2人を都に連れていく。蝦夷の首領二人とは、阿弖流為と盤具公母礼だよなぁ、と。
坂上田村麻呂は蝦夷の首領2人を処刑することを最後まで反対し、嘆願したと言われているが、これに懐疑的な意見も実はある。結局、蝦夷の首領2人は処刑される。そして、「怨霊」ないし「御霊」と化して祟りをなした悪路王が誕生することになる。朝廷側は祟り鎮めのために、リアルな頭形つまり生首の木像がつくらせ、これを祀ったという。
祟ったということは、大和の側がよほど汚い手を使ったか、あるいは奸計にはめて殺害した可能性をうかがわせるだろう。そもそも、うしろめたいから鎮魂するのである。
『アテルイ〜はるかなる母神の大地に生きた男(ひと)〜』愚安亭遊佐・又重勝彦著 自然食通信社に寄れば、文字を必要としなかったアテルイ達エミシの残した記録はない。しかし、記録されなかったアテルイ達の生きた残照は、現代にも見ることができる。盆や正月に帰ってくる先祖の霊魂の話は、仏教では説明がつかない。正月のしめ縄も、現代の神道では説明がつかない。お供えもそうだという。
文字を持たなかった我々の先祖は、記録がないために、その後好き勝手な伝説を語られている。この「悪路王」も、「むかし、陸奥一帯を支配し、大和朝廷の東北支配に対抗した「蝦夷」の大王のことである。悪路という用字にも明らかなように、そうとう手強い大王だったようで、朝廷が派遣した軍隊と互角以上にわたりあった。いや、しばしば朝廷軍に強烈なパンチを食らわせた。そこで坂上田村麻呂が悪路王を退治し、蝦夷たちを大和に帰順させたという話になる。」と、あらまたひろし(作家)さんは語る。
先祖の霊魂の話は、仏教より、アイヌ民族の死生観で説明したほうがしっくりくるという。
お供えはとぐろを巻いた蛇、しめ縄は、交合する蛇。蛇の姿に神を見た信仰がなくては、説明がつかない。他の生き物をきちんと観察することで、人間を超える力の存在を見つけられた人々だけが持ちえた信仰。世界共通と思えるほど、蛇に対する信仰が広がっていた時代があった。その後、蛇は殺されていく。その時期が、文明の始まりに重なっている。蛇の脱皮は、死と再生に見えた。
また、諏訪の御柱、青森のねぶた祭、岩手の鬼剣舞、鹿踊り、等々、何を持ち出して説明すればよいのだろう。
「アテルイ」という芝居のシナリオに、蝦夷の暮らしと叫びが見事に再現されていると思う。
『あたしたちは、ここに、あたしの母の母の母の、さらに遥かな母のときから、幾百幾千の夏の季節と冬の季節を経巡り、ここで暮らしてきた。
ここはあたしたちの大地。ヒタカミ。
いや、あたしたちだけじゃない。天地の狭間に生きる、すべての生き物の命を尊び、敬い、木の恵み、大地の恵みに、感謝と祈りを忘れないものにとっては、誰のものでもある大地。』
『それが、あたしの母の母の母の母の母のある日、あの人たちがここへやってきた。
そして、いきなり宣言した。
「ここは肥えて広くて、金も取れれば鉄も取れる。たいした、いいとこだから、ここを、おれたちによこせ」
だから、戸惑いながら答えた。
「あんたたちもここに住みたいでしょう? ヤマトから来たんでしょ。いままでも、ヤマトから来た人で、ここに住んでる人がいるよ。あたしたちは、住みたいって言うのに駄目とは言えないでしょう。ここは誰のものでもないのだから」
次に、あの人たちが来た時、手に斧と、鍬と、鋤を持ってきた。しかも、大勢で。
そして、みんなで木を切り出した。大地を掘り返し始めた。
それを見て、あたしの母の母の母の母の母の人たちは青ざめ、必死になって叫んだ。
「あんたたち、なにするの。そういうことしちゃ、だめなんだよ、木に許しをもらった? 大地がいいって言った? 祈りは済んだ?」
そしたら、あの人たちは、斧や鎌や鋤を振りかざした。
後ずさりしながら、あたしの母の母の母の母の母の人たちは叫んだ。
「木が痛いと叫び声をあげてるのが、あんたたちに聞こえないの。大地が嫌だと言ってるのが、あんたたちに聞こえないの」
「だめだよ、木、切れば、だめだ。祈りも、感謝もなく、ただ、切るなんて、だめだ。そういうことすれば、生き物たち、生きていけなくなる。生き物たち、生きていけなくなれば、人間も生きていけなくなる。そんな罰当たりのこと、しちゃあ、だめ。やめてください、お願いします。やめてけろ、やめてけろって、やめてけろ、やめてけろ、やめろ、やめてけろ」
みんな必死になって叫んだ。』
征夷とか討伐とかっていうのは、中央政府側からの言葉であって、こちら側からすると侵略だ。
狩猟採集民(縄文人)と、農耕民(弥生人)はそもそもまったく別のヒトビトだ。狩猟採集民は農耕民に比べて心優しい人たちだったとも言われる。何故なら、彼らは土地に拘泥しないから、土地を確保するために攻めに行く必要もない。だから阿弖流為たちの戦いは、そもそも専守防衛だけの戦いだったのだと。
アイヌに魂送りの祭のイヨマンテが残っているように、あらゆる生きている命を奪って生きているがために、命への感謝の祭を忘れなかった人たちが東北の縄文人だったと思う。
『岩手県市町村地域史シリーズ24 紫波町の歴史』岩手県文化財愛護協会編 川村迪雄著に寄ると、
『奈良時代末期から平安時代初期の志波地方は、胆沢地方とならんで、北上川中流域の蝦夷社会の中心をなしていた。そして大墓公阿弖流為(おおはかのきみあてるい)とか磐具公母礼(いわぐのきみもれ)、あるいは胆沢公志波阿奴志己(いさわのきみしわのあぬしこ)などの指導者を中心に、連合体としての強大な勢力が組織化されるようになっていた。
『続日本記』によれば、宝亀(ほうき)五年(774)以降たびたび征夷作戦が展開されている。宝亀七年(776)の志波村の蝦夷の反乱では、出羽の国府軍が敗北し、翌八年十二月にも志波村の蝦夷が出羽に出撃して、国府軍を破った。
このころの記録には、“志波村”の記事がたびたび出ていて、志波地方の蝦夷の勢力は組織的に強化されていて、優秀な指導者がいたことがうかがわれる。』
2020年11月26日
食品添加物の危険性、種類と原材料。厚労省も食品会社も自らの利益(お金)のために「健康」を犠牲にする!
食品添加物の危険性、種類と原材料。厚労省も食品会社も自らの利益のために「健康」を犠牲にする!
(※原材料に品質の良いものを使えばすべて解決するとは厚労省も味の素も決して言わない。)
食品添加物について。厚労省のサイトより。
『食品添加物は、保存料、甘味料、着色料、香料など、食品の製造過程または食品の加工・保存の目的で使用されるものです。
厚生労働省は、食品添加物の安全性について食品安全委員会による評価を受け、人の健康を損なうおそれのない場合に限って、成分の規格や、使用の基準を定めたうえで、使用を認めています。
また、使用が認められた食品添加物についても、国民一人当たりの摂取量を調査するなど、安全の確保に努めています。』
それから、味の素の商品情報サイトでは、こんな風に紹介されています。
『食生活を豊かにする食品添加物
食品添加物には、さまざまな役割があります。たとえば、女性や子供たちが大好きなゼリーやプリンなどのデザートにも、おいしさを演出するために食品添加物が欠かせません。香りをつける香料やぷるんとした食感をつくるゲル化剤、滑らかな舌触りをつくる安定剤など、色、香り、食感を加える大切な役割を食品添加物が果たしています。
さらに、食品を長持ちさせる働きも、私たちの生活をより便利に、より豊かにするには欠かせない食品添加物の役割のひとつです。肉や魚などの生鮮食品は日持ちがしません。このため、保存料や殺菌剤などの食品添加物によって食品を長持ちさせ、おいしくムダなく食べることができます。たとえば、練り製品の原材料となる魚は、水揚げされたその場で食品添加物を加えて、すり身に加工します。すり身は冷凍保存することで、遠方にある工場まで運ばれ、かまぼこやちくわ、はんぺんなどにさらに加工することができます。肉の場合は、ハムやソーセージに加工されるときに、おいしい色を保ち、腐らないようにするために食品添加物が働いています。
では、食品添加物がなかったら私たちの生活はどうなるでしょうか。家庭やレストランなどと違って、加工食品の場合、日持ちや製造適性、コストなど多くの要素を実現しなければなりません。このため、食品添加物を上手に使用しないと、ハムやソーセージ、すり身などは、すぐに腐ってしまい食中毒の危険性が高まります。ゼリーやプリンも独特の食感もなく舌触りもざらっとしてしまい、パンやクッキーはふくらまずにパサパサ、かまぼこなどの練り製品はグチャッとして歯ごたえが低いものになります。食の安全が保てなくなってしまうだけでなく、毎日の食生活が味けなくなってしまいます。』
内科医・精神科医、断薬を主軸としたTokyo DD Clinic院長、NPO法人薬害研究センター理事長内海聡医師は、日本は世界一の添加物認可数を誇り、その数は各国と比にならないほどです。理想論でいえば添加物などすべて使うのをやめるのが一番です、と語る。
少なくともヨーロッパの基準くらいは満たしていないと話にもなりません。特に日本では各国がリスクが高いとして使用中止にするような添加物を平気で使っています。BHA/BHT(酸化防止剤)や着色料などはその代表格だ、とおっしゃる。
『買ってはいけない』『味の素はもういらない』の著者、環境問題を専門とするジャーナリスト船瀬俊介氏は、食品添加物は、動物を使った科学的な試験により毒性、発がん性などの有無を食品安全委員会が調べ、安全なもののみが厚生労働省によって使用を認められている。しかし、安全とされていたものが、後に使用禁止となるケースもある、と語る。
更に、食品ジャーナリストの郡司和夫さんはこう語る。
「有名な話では、清涼飲料水に含まれていた『安息香酸ナトリウム』と、酸化防止剤として使われる合成の『ビタミンC』が化学変化を起こし、排気ガスに含まれる『ベンゼン』と同様の発がん性物質が発生することが2006年にわかりました。以降、その2つを一緒に使うことは世界的に自粛されていますが、その2つの添加物から発がん性物質が発生するとは誰も想像していませんでした」
加工食品診断士協定代表理事の安部司さんも続ける。
「中華麺などの防カビ剤として今も使われている『プロピレングリコール』という物質は、ある日、突然、使用基準量が設定されました。それくらい、食品添加物の安全性は曖昧なのです」
さらに、いくら原材料表示をチェックしても、どんな添加物を使っているのか見抜けないケースも数多い。
「『ソルビン酸』などの保存料を嫌がる消費者への“隠れ蓑”として、短期間の保存を目的とした『pH調整剤』などの日持向上剤があります。しかし、メーカーが独自に複数の添加物を調合して作っているため、その内訳はわかりません」(郡司さん)
具体的にどんな添加物がどういうものなのかの例をご紹介。
・リン酸塩はカルシウムや鉄分の吸収が悪くなり骨を弱くします。
・着色料は欧米などではほとんど禁止されています。コチニール色素(着色料)、カルミン酸は、カイガラムシ科エンジムシ。紅麹色素はカニカマなど紅色の食品の着色。紅麹カビ。カビです。この紅麹カビにはシトリンというカビ毒の問題もあります。言わずと知れた合成着色料、赤3号、黄4号などは、コールタール、石油です。
・亜硝酸ナトリウムは発がん性物質で急性毒性は青酸カリに近い。
・ソルビン酸カリウムも変異原生があることがわかっています。
・安息香酸ナトリウムはベンゼンを生成するだけでなくミトコンドリアを傷つけることがわかっています。
・カラギーナンは体重1kg当たり5g食べると動物の半分が死にます。
・イーストフードは化学物質の塊で塩化アンモニウムやリン酸塩などが入っているとよく言われます。
・pH調整剤はクエン酸、炭酸ナトリウム、リン酸などを一括表示でき法律上一括表示が認められています。
・銅クロロフィル、山菜やガムの着色。原料は蚕のフン。虫の糞です。
・チョコレートのつや、ガムの原料となる光沢剤、ガムベースはラックカイガラムシのメスの分泌物。
・たれのとろみやアイスクリームの粘りを出すカルボキシメチルセルロースNa(CMC)は、おがくず・パルブ。
・ドレッシングやスープのとろみのために使うキサンタガムはバクテリアの抽出物。
・さて、問題となるグルタミン酸Na、調味料(アミノ酸等)と表示されるものですが、廃糖蜜+遺伝子組み換えバクテリア。
・合成甘味料のスクラロースは砂糖と塩素ガス。
最後に実際の事例を少し。
『食品の裏側2実態編』安部司 東洋経済新報社より抜粋
『天然着色料としてよく使われる「コチニール色素」(カルミン酸)があります。ハムのピンク色、ミニドリンクのオレンジ色、お菓子、サプリメント等に広く使われています。
ところが、この色素によって呼吸困難等の急性アレルギー症状の発症例が報告されたとして、2012年5月、消費者庁と厚生労働省が注意を呼びかけました。』
『ちなみに、「天然着色料なら安全」と思い込まれている方は多いですが、実際にはまったくそんなことはありません。アカネから抽出した天然着色料「アカネ色素」は、発がん性があるとして2004年に禁止になりました。』
(※原材料に品質の良いものを使えばすべて解決するとは厚労省も味の素も決して言わない。)
食品添加物について。厚労省のサイトより。
『食品添加物は、保存料、甘味料、着色料、香料など、食品の製造過程または食品の加工・保存の目的で使用されるものです。
厚生労働省は、食品添加物の安全性について食品安全委員会による評価を受け、人の健康を損なうおそれのない場合に限って、成分の規格や、使用の基準を定めたうえで、使用を認めています。
また、使用が認められた食品添加物についても、国民一人当たりの摂取量を調査するなど、安全の確保に努めています。』
それから、味の素の商品情報サイトでは、こんな風に紹介されています。
『食生活を豊かにする食品添加物
食品添加物には、さまざまな役割があります。たとえば、女性や子供たちが大好きなゼリーやプリンなどのデザートにも、おいしさを演出するために食品添加物が欠かせません。香りをつける香料やぷるんとした食感をつくるゲル化剤、滑らかな舌触りをつくる安定剤など、色、香り、食感を加える大切な役割を食品添加物が果たしています。
さらに、食品を長持ちさせる働きも、私たちの生活をより便利に、より豊かにするには欠かせない食品添加物の役割のひとつです。肉や魚などの生鮮食品は日持ちがしません。このため、保存料や殺菌剤などの食品添加物によって食品を長持ちさせ、おいしくムダなく食べることができます。たとえば、練り製品の原材料となる魚は、水揚げされたその場で食品添加物を加えて、すり身に加工します。すり身は冷凍保存することで、遠方にある工場まで運ばれ、かまぼこやちくわ、はんぺんなどにさらに加工することができます。肉の場合は、ハムやソーセージに加工されるときに、おいしい色を保ち、腐らないようにするために食品添加物が働いています。
では、食品添加物がなかったら私たちの生活はどうなるでしょうか。家庭やレストランなどと違って、加工食品の場合、日持ちや製造適性、コストなど多くの要素を実現しなければなりません。このため、食品添加物を上手に使用しないと、ハムやソーセージ、すり身などは、すぐに腐ってしまい食中毒の危険性が高まります。ゼリーやプリンも独特の食感もなく舌触りもざらっとしてしまい、パンやクッキーはふくらまずにパサパサ、かまぼこなどの練り製品はグチャッとして歯ごたえが低いものになります。食の安全が保てなくなってしまうだけでなく、毎日の食生活が味けなくなってしまいます。』
内科医・精神科医、断薬を主軸としたTokyo DD Clinic院長、NPO法人薬害研究センター理事長内海聡医師は、日本は世界一の添加物認可数を誇り、その数は各国と比にならないほどです。理想論でいえば添加物などすべて使うのをやめるのが一番です、と語る。
少なくともヨーロッパの基準くらいは満たしていないと話にもなりません。特に日本では各国がリスクが高いとして使用中止にするような添加物を平気で使っています。BHA/BHT(酸化防止剤)や着色料などはその代表格だ、とおっしゃる。
『買ってはいけない』『味の素はもういらない』の著者、環境問題を専門とするジャーナリスト船瀬俊介氏は、食品添加物は、動物を使った科学的な試験により毒性、発がん性などの有無を食品安全委員会が調べ、安全なもののみが厚生労働省によって使用を認められている。しかし、安全とされていたものが、後に使用禁止となるケースもある、と語る。
更に、食品ジャーナリストの郡司和夫さんはこう語る。
「有名な話では、清涼飲料水に含まれていた『安息香酸ナトリウム』と、酸化防止剤として使われる合成の『ビタミンC』が化学変化を起こし、排気ガスに含まれる『ベンゼン』と同様の発がん性物質が発生することが2006年にわかりました。以降、その2つを一緒に使うことは世界的に自粛されていますが、その2つの添加物から発がん性物質が発生するとは誰も想像していませんでした」
加工食品診断士協定代表理事の安部司さんも続ける。
「中華麺などの防カビ剤として今も使われている『プロピレングリコール』という物質は、ある日、突然、使用基準量が設定されました。それくらい、食品添加物の安全性は曖昧なのです」
さらに、いくら原材料表示をチェックしても、どんな添加物を使っているのか見抜けないケースも数多い。
「『ソルビン酸』などの保存料を嫌がる消費者への“隠れ蓑”として、短期間の保存を目的とした『pH調整剤』などの日持向上剤があります。しかし、メーカーが独自に複数の添加物を調合して作っているため、その内訳はわかりません」(郡司さん)
具体的にどんな添加物がどういうものなのかの例をご紹介。
・リン酸塩はカルシウムや鉄分の吸収が悪くなり骨を弱くします。
・着色料は欧米などではほとんど禁止されています。コチニール色素(着色料)、カルミン酸は、カイガラムシ科エンジムシ。紅麹色素はカニカマなど紅色の食品の着色。紅麹カビ。カビです。この紅麹カビにはシトリンというカビ毒の問題もあります。言わずと知れた合成着色料、赤3号、黄4号などは、コールタール、石油です。
・亜硝酸ナトリウムは発がん性物質で急性毒性は青酸カリに近い。
・ソルビン酸カリウムも変異原生があることがわかっています。
・安息香酸ナトリウムはベンゼンを生成するだけでなくミトコンドリアを傷つけることがわかっています。
・カラギーナンは体重1kg当たり5g食べると動物の半分が死にます。
・イーストフードは化学物質の塊で塩化アンモニウムやリン酸塩などが入っているとよく言われます。
・pH調整剤はクエン酸、炭酸ナトリウム、リン酸などを一括表示でき法律上一括表示が認められています。
・銅クロロフィル、山菜やガムの着色。原料は蚕のフン。虫の糞です。
・チョコレートのつや、ガムの原料となる光沢剤、ガムベースはラックカイガラムシのメスの分泌物。
・たれのとろみやアイスクリームの粘りを出すカルボキシメチルセルロースNa(CMC)は、おがくず・パルブ。
・ドレッシングやスープのとろみのために使うキサンタガムはバクテリアの抽出物。
・さて、問題となるグルタミン酸Na、調味料(アミノ酸等)と表示されるものですが、廃糖蜜+遺伝子組み換えバクテリア。
・合成甘味料のスクラロースは砂糖と塩素ガス。
最後に実際の事例を少し。
『食品の裏側2実態編』安部司 東洋経済新報社より抜粋
『天然着色料としてよく使われる「コチニール色素」(カルミン酸)があります。ハムのピンク色、ミニドリンクのオレンジ色、お菓子、サプリメント等に広く使われています。
ところが、この色素によって呼吸困難等の急性アレルギー症状の発症例が報告されたとして、2012年5月、消費者庁と厚生労働省が注意を呼びかけました。』
『ちなみに、「天然着色料なら安全」と思い込まれている方は多いですが、実際にはまったくそんなことはありません。アカネから抽出した天然着色料「アカネ色素」は、発がん性があるとして2004年に禁止になりました。』
2020年11月25日
グレタ・トゥンベリ・スウェーデンの若き環境活動家、生い立ちと活動、目的に突き進む健気な姿
グレタ・トゥンベリ・スウェーデンの若き環境活動家、生い立ちと活動、目的に突き進む健気な姿
トゥンベリさんは、2003年1月3日生まれで、母はオペラ歌手のマレーナ・エルンマン、父は俳優のスヴァンテ・トゥーンベリ。祖父は俳優で監督のオロフ・トゥーンベリという芸術性の高い有名人の家庭で生まれ育っている。
2018年11月、アスペルガー症候群、注意欠陥・多動性障害、強迫性障害、場面緘黙症と診断されたという。そもそも、彼女が環境活動家になったきっかけは、彼女が8歳の時、気候変動の存在に気づき、各チャンネルのニュースで世界大戦並に報じてくれないことに疑問を抱いたからだと2018年11月24日、TEDxStockholmでの講演で語っている。
子どもの目がいかに純粋なのか、と感嘆する。小学生の頃の感性が一番その人を表しているのかも知れない。実感をこめてそう言える。
また、トゥンベリさんは気象学者になりたくて学校に行ってるわけではなく、科学には否定や無知、不作為だけが残っているためだとも。そして将来、まだ時間が残されていた2018年になぜ行動を起こさなかったかと自身の子供や孫に問われてしまう。「我々はルールに従っていては世界を変えられない。なぜならルールを変えなければ行けないからだ」。そう語ったそうだ。
トゥンベリさんは2019年9月23日に開かれた国連気候行動サミットに参加するため、温暖化ガスの排出量を抑えたヨットで英国をたち、15日間の航海を経て28日にニューヨークに到着。
1年前に、学校を休んで議会に積極的な気候変動対策を求める「学校ストライキ」を始め、そのストライキは、気候変動に対する関心の高い若者から賛同を受け世界中に拡大していた。
彼女の呼びかけはシンプルだ。
「地球温暖化が私たちの生存を脅かす重大な問題ならば、どうして私たちは行動しないのでしょう」
BBCによると、始まりはスウェーデンで総選挙が迫っていた2018年8月。グレタさんは、「気候のためのスクールストライキ」というプラカードを掲げて、ストックホルムの国会議事堂の前で座り込んだ。ストライキは総選挙までの2週間、毎日続いた。その後も、毎週金曜日には学校を休んで、座り込みを続けている。彼女の行動はまたたく間に世界中に広がり、地球温暖化対策を求める大規模な抗議運動へと発展した。
「#FridayForFuture 」というハッシュタグと共に、欧米を中心に多くの若者が運動に参加し、その様子をSNSで発信している。グレタさんは12月には、ポーランドで開かれた会議COP24(通称:国連気候会議)、2019年1月にはダボス会議(世界経済フォーラムの年次総会)で演説した。
トゥンベリさんは、これまで温暖化ガスの排出量が多い飛行機の利用を避け、欧州内を中心に活動。
それまでの地球温暖化対策を訴える行動が評価され、2018年3月にはノーベル平和賞にノミネートもされた。
グレタさんは、アスペルガー症候群と強迫性障害、選択的無言症であることを公表し、Twitterのプロフィールは「16歳のアスペルガーの環境活動家」だ。アスペルガー症候群とは、知的障害を伴わない自閉症のことと言われている。
しかし、グレタさんは言う。「アスペルガーは病気ではなく、1つの才能。アスペルガーでなかったら、こうして立ち上がることはなかったでしょう」。
私のようなアスペルガーの人間にとっては、ほとんど全てのことが白黒どちらかなのです。私たちは嘘をつくのがあまり上手ではありません。私にとってこれ(地球温暖化)は白か黒かの問題です。生き残りの問題となればグレーな部分はありません。
国連総会で、わたしはここにいるべきではない。海の向こうの学校へ行くべきなのに、から始まったスピーチ。
エコシステム全体が崩壊しています。大量絶滅の始まりです。
なのに、あなたが話しているのはお金と永遠の経済成長のおとぎ話だけです。
必要な政治や解決策がまだどこにも見えていないのに、あなたは十分にやっていると言って、目をそらし続けています。
こういう批判は、若者に与えられた特権であるし、一般市民が政治に対して行うべき必要最低限のものでもあると思う。加えて彼女が素晴らしいと思うのは、具体的な数値をしっかり勉強しているということ。それが、誰に与えられた情報であれ、どこで得た数値であれ、そして、科学的根拠がどうの、或いは、もしかして、温暖化の真の原因はそこにないのだとしても、それに寄って明確な危機感を抱くに値する証拠である。
10年で排出量を半分に削減するという一般的な考え方では、1.5度未満にとどまる確率は50%であり、人間の制御を超えた不可逆的な連鎖反応を引き起こすリスクがあります。
50%は許容範囲です。
しかし、これらの数値には、ほとんどのフィードバックループ、有毒な大気汚染によって隠された追加の温暖化、平等と気候正義の側面が含まれていません。
つまり、50%は受け入れられません。
世界の気温が1.5度以下にとどまる可能性を67%確保するために、IPCCによって与えられた最高の確率は、2018年1月1日に世界が420GtのCO2を排出する余地があったことです。 今日、その数字はすでに350Gt未満にまで下がっています。
今日、これらの数値に沿った解決策や計画はありません。
これらの数字はあまりにも不快であり、あなたはそれがそうであるようにそれを伝えるのにまだ十分に成熟していないからです。
あなたは、わたし達を失望させています。若者たちはあなたの裏切りを理解し始めています。未来の子ども達の目はあなたを見ています。
そして、もしあなたがわたし達を失望させる道を選ぶなら、わたし達は決してあなたを許しません。
もはやこの問題から逃げることは出来ません。
まさに今、ここがスタート地点です。
世界は目覚めました。
好むと好まざるとに関わらず変化はやってきます。
声が綺麗に透き通っていて、ときに感極まって声を震わせていたが、終始、冷静に周囲を見渡し、訴えかけるように身を乗り出して彼女は演説を続けていた。
拍手や声援に支えられ、彼女は用意した言葉、メッセージを伝えきったように見えた。
若い故にまっすぐで、公言している彼女の特徴として「会話で、冗談や比喩・皮肉が分からない」ため、「親しい友人関係を築けない」ゆえに「学校や職場、そしていじめとの終わりなき闘いです」とfacebookで語っているそうだ。
「発達障害なんてこの世に存在しません」と内海聡医師がおっしゃっている。
「そもそも「発達障害」なんて病名は、精神科医が思いつきで作ったものです。賢い、知能を蓄積している最中の子どもの頭におクスリ放り込んで台無しにするために。科学的根拠のない、いいかげんな、だれでもあてはまるADHDや発達障害のチェックリストによって大人たちに「診断」され「病名」をつけられた子どもたちは、どれほど傷ついているのでしょう。そして、お決まりのパターンですが薬によって、本物の「精神障害者」ができあがるのです。」
トゥンベリさんは、2003年1月3日生まれで、母はオペラ歌手のマレーナ・エルンマン、父は俳優のスヴァンテ・トゥーンベリ。祖父は俳優で監督のオロフ・トゥーンベリという芸術性の高い有名人の家庭で生まれ育っている。
2018年11月、アスペルガー症候群、注意欠陥・多動性障害、強迫性障害、場面緘黙症と診断されたという。そもそも、彼女が環境活動家になったきっかけは、彼女が8歳の時、気候変動の存在に気づき、各チャンネルのニュースで世界大戦並に報じてくれないことに疑問を抱いたからだと2018年11月24日、TEDxStockholmでの講演で語っている。
子どもの目がいかに純粋なのか、と感嘆する。小学生の頃の感性が一番その人を表しているのかも知れない。実感をこめてそう言える。
また、トゥンベリさんは気象学者になりたくて学校に行ってるわけではなく、科学には否定や無知、不作為だけが残っているためだとも。そして将来、まだ時間が残されていた2018年になぜ行動を起こさなかったかと自身の子供や孫に問われてしまう。「我々はルールに従っていては世界を変えられない。なぜならルールを変えなければ行けないからだ」。そう語ったそうだ。
トゥンベリさんは2019年9月23日に開かれた国連気候行動サミットに参加するため、温暖化ガスの排出量を抑えたヨットで英国をたち、15日間の航海を経て28日にニューヨークに到着。
1年前に、学校を休んで議会に積極的な気候変動対策を求める「学校ストライキ」を始め、そのストライキは、気候変動に対する関心の高い若者から賛同を受け世界中に拡大していた。
彼女の呼びかけはシンプルだ。
「地球温暖化が私たちの生存を脅かす重大な問題ならば、どうして私たちは行動しないのでしょう」
BBCによると、始まりはスウェーデンで総選挙が迫っていた2018年8月。グレタさんは、「気候のためのスクールストライキ」というプラカードを掲げて、ストックホルムの国会議事堂の前で座り込んだ。ストライキは総選挙までの2週間、毎日続いた。その後も、毎週金曜日には学校を休んで、座り込みを続けている。彼女の行動はまたたく間に世界中に広がり、地球温暖化対策を求める大規模な抗議運動へと発展した。
「#FridayForFuture 」というハッシュタグと共に、欧米を中心に多くの若者が運動に参加し、その様子をSNSで発信している。グレタさんは12月には、ポーランドで開かれた会議COP24(通称:国連気候会議)、2019年1月にはダボス会議(世界経済フォーラムの年次総会)で演説した。
トゥンベリさんは、これまで温暖化ガスの排出量が多い飛行機の利用を避け、欧州内を中心に活動。
それまでの地球温暖化対策を訴える行動が評価され、2018年3月にはノーベル平和賞にノミネートもされた。
グレタさんは、アスペルガー症候群と強迫性障害、選択的無言症であることを公表し、Twitterのプロフィールは「16歳のアスペルガーの環境活動家」だ。アスペルガー症候群とは、知的障害を伴わない自閉症のことと言われている。
しかし、グレタさんは言う。「アスペルガーは病気ではなく、1つの才能。アスペルガーでなかったら、こうして立ち上がることはなかったでしょう」。
私のようなアスペルガーの人間にとっては、ほとんど全てのことが白黒どちらかなのです。私たちは嘘をつくのがあまり上手ではありません。私にとってこれ(地球温暖化)は白か黒かの問題です。生き残りの問題となればグレーな部分はありません。
国連総会で、わたしはここにいるべきではない。海の向こうの学校へ行くべきなのに、から始まったスピーチ。
エコシステム全体が崩壊しています。大量絶滅の始まりです。
なのに、あなたが話しているのはお金と永遠の経済成長のおとぎ話だけです。
必要な政治や解決策がまだどこにも見えていないのに、あなたは十分にやっていると言って、目をそらし続けています。
こういう批判は、若者に与えられた特権であるし、一般市民が政治に対して行うべき必要最低限のものでもあると思う。加えて彼女が素晴らしいと思うのは、具体的な数値をしっかり勉強しているということ。それが、誰に与えられた情報であれ、どこで得た数値であれ、そして、科学的根拠がどうの、或いは、もしかして、温暖化の真の原因はそこにないのだとしても、それに寄って明確な危機感を抱くに値する証拠である。
10年で排出量を半分に削減するという一般的な考え方では、1.5度未満にとどまる確率は50%であり、人間の制御を超えた不可逆的な連鎖反応を引き起こすリスクがあります。
50%は許容範囲です。
しかし、これらの数値には、ほとんどのフィードバックループ、有毒な大気汚染によって隠された追加の温暖化、平等と気候正義の側面が含まれていません。
つまり、50%は受け入れられません。
世界の気温が1.5度以下にとどまる可能性を67%確保するために、IPCCによって与えられた最高の確率は、2018年1月1日に世界が420GtのCO2を排出する余地があったことです。 今日、その数字はすでに350Gt未満にまで下がっています。
今日、これらの数値に沿った解決策や計画はありません。
これらの数字はあまりにも不快であり、あなたはそれがそうであるようにそれを伝えるのにまだ十分に成熟していないからです。
あなたは、わたし達を失望させています。若者たちはあなたの裏切りを理解し始めています。未来の子ども達の目はあなたを見ています。
そして、もしあなたがわたし達を失望させる道を選ぶなら、わたし達は決してあなたを許しません。
もはやこの問題から逃げることは出来ません。
まさに今、ここがスタート地点です。
世界は目覚めました。
好むと好まざるとに関わらず変化はやってきます。
声が綺麗に透き通っていて、ときに感極まって声を震わせていたが、終始、冷静に周囲を見渡し、訴えかけるように身を乗り出して彼女は演説を続けていた。
拍手や声援に支えられ、彼女は用意した言葉、メッセージを伝えきったように見えた。
若い故にまっすぐで、公言している彼女の特徴として「会話で、冗談や比喩・皮肉が分からない」ため、「親しい友人関係を築けない」ゆえに「学校や職場、そしていじめとの終わりなき闘いです」とfacebookで語っているそうだ。
「発達障害なんてこの世に存在しません」と内海聡医師がおっしゃっている。
「そもそも「発達障害」なんて病名は、精神科医が思いつきで作ったものです。賢い、知能を蓄積している最中の子どもの頭におクスリ放り込んで台無しにするために。科学的根拠のない、いいかげんな、だれでもあてはまるADHDや発達障害のチェックリストによって大人たちに「診断」され「病名」をつけられた子どもたちは、どれほど傷ついているのでしょう。そして、お決まりのパターンですが薬によって、本物の「精神障害者」ができあがるのです。」
2020年11月24日
運動による発熱で健康を維持。がん細胞は体温39度以上で死滅し、35度未満で増殖する。
運動による発熱で健康を維持。がん細胞は体温39度以上で死滅し、35度未満で増殖する。
低体温が何故問題なのか。ひとつは、免疫を低下させるからです。
人間は元々、基礎代謝といった内臓や呼吸筋などから、36度程度の体温は維持できるような恒常性が備わっています。ですが、例えばストレスで交感神経が異常緊張し、血管が収縮することで血流量が落ち、体温が低くなることで、免疫が落ちることは多々みられます。
と語ってくださるのは、武道家・代替療法家の神田真澄さん。
神田さんは、日本古来から伝わる大宇宙・大自然の摂理である古神道、そして伝統医療の考えから、それぞれの核を集大成して創案した、古に在った最も古くて、そして現代に新ためて再興する、氣の武道・明光武道を伝えていらっしゃいます。
さて、そういう免疫低下状態を避けるためにも、普段から運動で筋肉量を増やし、発熱を増やすことで体温を上げる状態を予備しておくことが重要なのだそうです。
免疫細胞が活発に活動するためには、高い体温(温度)が必要であり、これは恒温動物の高度な仕組みを働かせて健康を保つ大事な要因なのです。
最適な体温は深部体温(体内・内臓温度)が37度以上(最適37.2度)。
いわゆる表皮体温(体温計など)で言うと36〜37(36.5)度が理想とされている。
ちなみにがん細胞は39度以上で死滅しますし、逆に35度未満で増殖します。
これは、癌細胞が低体温が好きだからということではなく、免疫細胞の活性化とも関係あるものと思われます。
しかし、運動がいいからと、また体温が高いのならと勘違いして、過度な運動し過ぎると、これは逆に身体を害します。
一つは活性酸素の過剰発生です。ご存知の通りこれは自らの身体を老化させることになります。
もう一つが、体温が高くなり過ぎる(41度以上)と、エネルギーを作る細胞小器官”ミトコンドリア”が活動できなくなって、呼吸酵素であるチトクロームという物質を細胞質へ放出してしまい、その細胞を死滅させてしまうからです。
そこでご紹介くださったのが。
ミトコンドリアの多い赤筋、ピンク筋を中心に鍛えることができる効率の高い運動法スクワットです。
この運動は、人の身体の中で一番大きい筋肉群である下半身、特に大腿筋「太もも」を鍛えることでトコンドリアは圧倒的に増やすことが出来ます。
さらには、この大腿筋を使う運動は脳に影響が大きい(筑波大の征矢教授の研究から)ともされ、しかも裸足で実践することにより、末端の指等使用することで脳を刺激することから抹消の血流も促進する相乗効果もあるとされているとか。
それでは、運動法をご紹介いただきます。
◎武道式スクワット
(1)基本姿勢:足を肩幅くらいに開き、仙骨を立てる。手の甲を上にして脇にボール一個分ほどのスペースを空けて掌底を下にして、臍下丹田の高さに据える。
(2)足は全て地面につけたまま、踵重心でゆっくりと曲げていく。そのままま進めて、曲げ切らない箇所で
(3)足を地面につけたまま、爪先重心に移動させて、ゆっくりと今度は持ち上げる。持ち上げて、足が伸び切らない状態で
(4)また同じ位置(踵重心)に戻して、スクワットを繰り返す。
最初は15回ほどを目処に実践。慣れてきたら、回数を増やして50回を目標に行う。ほんの数分で畳一畳あればできる筋運動です。(拙著に写真掲載されてますので、興味ある方はご覧ください。セミナーや講習会では実践します。)
◎メカニズム
(1)上のように、スクワットを開始して、屈伸しても曲げ切らず、伸ばしても真っ直ぐ立たないことで、血流を抑制する状態を作り出します。
(2)それが継続状態となると、下半身(太もも)の筋肉群は、血液から酸素をもらえずに酸欠状態になり、筋肉が疲労状態となります。
(3)そのことで、筋肉から乳酸が放出されてそれが血液に溶け流れ、脳へ達します。
(4)脳は、その乳酸に反応して、下半身の筋肉が重労働のため疲労していると思い込み、それを援助するためにホルモンを分泌させます。
(5)そのホルモンが「成長ホルモン」です。このホルモンは
・筋肉のエサとなる中性脂肪を分解させます。(脂肪分解)
・筋肉群を増強させる。(ミトコンドリアの多い筋肉群を強化)
・細胞を再蘇生させる。(お肌がツルツルに!)
などの働きをします。この働きこそが、”若返りホルモン”とも言われる所以です。
(6)第二の心臓とも言われる大腿筋(太もも)を中心とした筋肉群を刺激し続けることで、心臓を援助する(つまりW心臓)ことになり全身に血流が十分に行き渡すことができます。
巷では体幹運動等(ピラティスなど)の流行りをよく耳にしますが、西洋的に筋肉を部分的に鍛えるのではなく、全身の筋肉の繋がりを持たせて、一つの身体として行うことに意義があります。
つまり全身のバランスです。
部分的な筋力の強化は、あくまでもリハビリ的な要素であり、健康な身体を創る上では、全身を繋げてバランスよく筋肉を鍛えることが重要なのです。
これには、感覚的に「なるほど」と思う前に「当たり前だよな」と感じます。腹筋だけを鍛えるとか、自分の気になっている部分だけを鍛えることの奇妙さ。筋肉は身体全体で相互作用があります。鍼灸で言えば、全身に経絡が通っております。その一部のみを鍛えたら、氣の流れ、血流にも変化が生じ、いずれ何らかの弊害が表れるだろうな、ということは「なんとなく」分かります。
感覚的に「変だな」と感じることは大抵合ってます。生きている間に普通に食事していたら食べる筈のない量の栄養素を日常的にサプリメントとして身体に入れることも然りです。
低体温が何故問題なのか。ひとつは、免疫を低下させるからです。
人間は元々、基礎代謝といった内臓や呼吸筋などから、36度程度の体温は維持できるような恒常性が備わっています。ですが、例えばストレスで交感神経が異常緊張し、血管が収縮することで血流量が落ち、体温が低くなることで、免疫が落ちることは多々みられます。
と語ってくださるのは、武道家・代替療法家の神田真澄さん。
神田さんは、日本古来から伝わる大宇宙・大自然の摂理である古神道、そして伝統医療の考えから、それぞれの核を集大成して創案した、古に在った最も古くて、そして現代に新ためて再興する、氣の武道・明光武道を伝えていらっしゃいます。
さて、そういう免疫低下状態を避けるためにも、普段から運動で筋肉量を増やし、発熱を増やすことで体温を上げる状態を予備しておくことが重要なのだそうです。
免疫細胞が活発に活動するためには、高い体温(温度)が必要であり、これは恒温動物の高度な仕組みを働かせて健康を保つ大事な要因なのです。
最適な体温は深部体温(体内・内臓温度)が37度以上(最適37.2度)。
いわゆる表皮体温(体温計など)で言うと36〜37(36.5)度が理想とされている。
ちなみにがん細胞は39度以上で死滅しますし、逆に35度未満で増殖します。
これは、癌細胞が低体温が好きだからということではなく、免疫細胞の活性化とも関係あるものと思われます。
しかし、運動がいいからと、また体温が高いのならと勘違いして、過度な運動し過ぎると、これは逆に身体を害します。
一つは活性酸素の過剰発生です。ご存知の通りこれは自らの身体を老化させることになります。
もう一つが、体温が高くなり過ぎる(41度以上)と、エネルギーを作る細胞小器官”ミトコンドリア”が活動できなくなって、呼吸酵素であるチトクロームという物質を細胞質へ放出してしまい、その細胞を死滅させてしまうからです。
そこでご紹介くださったのが。
ミトコンドリアの多い赤筋、ピンク筋を中心に鍛えることができる効率の高い運動法スクワットです。
この運動は、人の身体の中で一番大きい筋肉群である下半身、特に大腿筋「太もも」を鍛えることでトコンドリアは圧倒的に増やすことが出来ます。
さらには、この大腿筋を使う運動は脳に影響が大きい(筑波大の征矢教授の研究から)ともされ、しかも裸足で実践することにより、末端の指等使用することで脳を刺激することから抹消の血流も促進する相乗効果もあるとされているとか。
それでは、運動法をご紹介いただきます。
◎武道式スクワット
(1)基本姿勢:足を肩幅くらいに開き、仙骨を立てる。手の甲を上にして脇にボール一個分ほどのスペースを空けて掌底を下にして、臍下丹田の高さに据える。
(2)足は全て地面につけたまま、踵重心でゆっくりと曲げていく。そのままま進めて、曲げ切らない箇所で
(3)足を地面につけたまま、爪先重心に移動させて、ゆっくりと今度は持ち上げる。持ち上げて、足が伸び切らない状態で
(4)また同じ位置(踵重心)に戻して、スクワットを繰り返す。
最初は15回ほどを目処に実践。慣れてきたら、回数を増やして50回を目標に行う。ほんの数分で畳一畳あればできる筋運動です。(拙著に写真掲載されてますので、興味ある方はご覧ください。セミナーや講習会では実践します。)
◎メカニズム
(1)上のように、スクワットを開始して、屈伸しても曲げ切らず、伸ばしても真っ直ぐ立たないことで、血流を抑制する状態を作り出します。
(2)それが継続状態となると、下半身(太もも)の筋肉群は、血液から酸素をもらえずに酸欠状態になり、筋肉が疲労状態となります。
(3)そのことで、筋肉から乳酸が放出されてそれが血液に溶け流れ、脳へ達します。
(4)脳は、その乳酸に反応して、下半身の筋肉が重労働のため疲労していると思い込み、それを援助するためにホルモンを分泌させます。
(5)そのホルモンが「成長ホルモン」です。このホルモンは
・筋肉のエサとなる中性脂肪を分解させます。(脂肪分解)
・筋肉群を増強させる。(ミトコンドリアの多い筋肉群を強化)
・細胞を再蘇生させる。(お肌がツルツルに!)
などの働きをします。この働きこそが、”若返りホルモン”とも言われる所以です。
(6)第二の心臓とも言われる大腿筋(太もも)を中心とした筋肉群を刺激し続けることで、心臓を援助する(つまりW心臓)ことになり全身に血流が十分に行き渡すことができます。
巷では体幹運動等(ピラティスなど)の流行りをよく耳にしますが、西洋的に筋肉を部分的に鍛えるのではなく、全身の筋肉の繋がりを持たせて、一つの身体として行うことに意義があります。
つまり全身のバランスです。
部分的な筋力の強化は、あくまでもリハビリ的な要素であり、健康な身体を創る上では、全身を繋げてバランスよく筋肉を鍛えることが重要なのです。
これには、感覚的に「なるほど」と思う前に「当たり前だよな」と感じます。腹筋だけを鍛えるとか、自分の気になっている部分だけを鍛えることの奇妙さ。筋肉は身体全体で相互作用があります。鍼灸で言えば、全身に経絡が通っております。その一部のみを鍛えたら、氣の流れ、血流にも変化が生じ、いずれ何らかの弊害が表れるだろうな、ということは「なんとなく」分かります。
感覚的に「変だな」と感じることは大抵合ってます。生きている間に普通に食事していたら食べる筈のない量の栄養素を日常的にサプリメントとして身体に入れることも然りです。
posted by 朱鷺(shuro) at 10:17| 健康・美容・予防医学
2020年11月23日
ワクチン 〜予防接種の予防の原理。発達障害、自閉症の原因。非自己の認識。
ワクチン 〜予防接種の予防の原理。発達障害、自閉症の原因。非自己の認識。
「病原体は自分を映す鏡として、存在するのです。自分自身から目を逸らし続けるなら、病原体は増え続け、体は病気となってしまうのです。病原体はあなたを病気にするために存在するのではなく、あなたを救うために存在するのです。」
こう語るのは、ホメオパシー療法家(ホメオパス)由井寅子先生。
そこへ行きつくために、まずは、ワクチンの説明から始めます。予防接種の予防の原理とはどういうものか。
ワクチンの中には、弱毒化された病原体が入っており、それを直接、皮下注射で体内に入れます。本来ならば、この病原体が私たちの口や鼻や耳から入って、粘膜にくっついて、気管支に落ちて腸液とか膵液に混ぜられて、腸から吸収されたほんの少しの病原体しか血中には入らないはずなのです。
ところが、予防接種ではそのような自然免疫を迂回して、直接皮下注射で、一気に体内の深部に入っちゃうわけです。
これだと、本来働かなければいけないマクロファージ、好中球、ナチュラルキラー細胞など、白血球型の免疫が働けない。そして、病原体を排出できなくなってしまいます。体は仕方がないので「とりあえず印をつけよう」とIgG抗体という旗をくっつけるのです。するとこの病原体はとりあえず不活性化します。
でもこのIgG抗体があまりにも多いと、自分が自分をアタックする難病中の難病、自己免疫疾患の膠原病とか癌などになりやすくなります。
そして本来健康であるならばIgG抗体が結合した病原体を、あとでマクロファージが食べにきます。でも、自然免疫を迂回しいきなり体の深部に大量に侵入されるので、免疫が混乱して、IgG抗体が結合した病原体は、体内に長い間留まってしまいます。
そして、はしかの予防接種をした後に、外から、はしかウイルスが入ったとします。すると、すでにIgG抗体がたくさんあるので、はしかウイルスが入ってきても、すぐにIgG抗体が結合し、ウイルスを不活性化させてしまいます。だから発症しない。
わかりますか?
すでに感染症の慢性状態だから、あとから病原体が入ってきたところで、感染症の急性症状はでないということなのです。
これが予防接種の予防メカニズムです。
簡単に言うと、既にかかって慢性病になっているから、新たに感染しても発症しないということなんですよ。
弱毒化した病原体を直接体内に注入する。
→ 免疫がうまく働かず、病原体を排出できない。
→ IgG抗体を作り、とりあえず病原体を不活性化
→ 免疫の低下も大きく、病原体を排出できない。
→ IgG抗体が存在し続けるので、病原体が感染しても、IgG抗体が結合して、病原体を不活性化し、発症しない。
要するに、はしかの慢性病なんです。わざわざ病原体を埋め込み、感染症の慢性状態にすることを予防と言うでしょうか? よーく考えてみてください。これは予防しているのではなく、その逆で、一気に感染症の慢性状態にして、かかっていても急性症状を発症する力をなくしているだけです。
しかし、ワクチンが多くの子どもの命を救うこともあります。予防接種というのは、一気に感染症の慢性病にしてしまうもので、急性症状が出ません。急性症状が出ないということは、体力を使わずに済むということです。栄養状態が悪い、衛生状態が悪い国の子ども達が、排出する力がないときに病気にかかっちゃうと死んでしまいますので、こういった、栄養状態が悪いとか衛生状態が悪いところでは、ワクチンが必要な場合もあります。
さて、由井先生は多くの患者さんと接することに寄って、分かったことがあります。それは、自閉、多動、ADHD、注意力欠損とか、こういった症状は、予防接種からくる医原病であるということ。
なぜなら、その子たちはワクチンを希釈震盪したレメディーを与えるとよくなるのです。話をし始めるのです。落ち着いていられるようになるのです。
もし予防接種が原因で自閉症になっていないのであれば、ワクチンのレメディーをとっても通り過ぎるだけで、この子は、ものも言わないままだし、そのままの状態な筈です。
しかし、レメディーをとると皆一様に熱を出したり、耳から出血したり、口内炎ができたり、排出症状(好転反応)が始まり、改善していくのです。「お母さん」ってしゃべり始めるのです。
由井先生は190名ぐらいの発達障害の子どもたちを診ました。ワクチン病だな、と思ったらワクチン解毒用のレメディーと共に、祝詞と般若心経のレメディーも一緒にとることを進めます。
で、ちょっと先生の興味で聞いたそうです。お宅は神社に行くかとか、お墓参りに行くかとか、お宅は信仰心が篤いかとか、神棚や仏壇があるかとか、毎日水を替えているかとか。すると、ワクチン病になった子どもたちの親は、信仰心の薄い人が多かったそうです。
由井先生はおっしゃる。「子どものかかる病気なんて、元気で健康な子どもならみんな乗り切れるから、別に恐れる必要はないと私は思っています。」
感染症とは自然が為す同種療法であり、インナーチャイルドの存在を知らせるための症状です。
しかし、子どもは、自分でインナーチャイルドを癒すことはできません。5歳といってもすでに山ほどのインナーチャイルドを抱えています。だからといって、5歳の子に、2歳の頃のことを思い出して、あのときほら、悲しかったねとやってごらんと言っても、そんなのできません。
では、どうやってそのインチャを癒すんだろうといったら、はしかや水疱瘡、百日咳、そういう子どものかかる病気にかかって、その感染症を克服することによって、自分のインナーチャイルドだけでなく、前世のインナーチャイルド、親や先祖のインナーチャイルドも解放しているのだと思います。
親や、先祖のインナーチャイルドを、子どもが! びっくり仰天と共に、shuroはなんとなく分かる気がしました。
(※インナーチャイルドは、魂(この世的価値観)と心(感情)をもった自分から切り離されたひとつの存在。
そのインナーチャイルドが腸内微生物として実体化したものが病原体ではないか、という由井先生のお考え)
子どものかかる病気にかかり、発熱、発疹、粘液を出すこと。そうして親や先祖、遺伝的な価値観や未解決な感情、その精神的なくびきから解き放され、こうしてはじめて、自分本来の人生を生きられるのではないでしょうかね。だから子どものかかる病気って、とても大切だと思いますね。
先生は感染症予防の究極の方法をこのように語ります。
この世的価値観によって生じた感情を、泣いてはいけないと抑圧する、泣きたいのに我慢する。そういうのをずっと繰り返していくと、あなたの腸の中である微生物が自然発生していきます。そして、病原体となって、感染症を発症する。
もし感染症にかかりたくなかったら、病気にかかりたくなかったら、インナーチャイルドをどんどん癒すべきです。病原体に共鳴するインナーチャイルドを抱えていなければ、基本的に感染することはないはずだから。
もちろん、免疫がとても弱っている場合は、この限りではありませんよ。免疫がとても弱っている原因として、予防接種を含む医原病や食原病があるということです。
「病原体は自分を映す鏡として、存在するのです。自分自身から目を逸らし続けるなら、病原体は増え続け、体は病気となってしまうのです。病原体はあなたを病気にするために存在するのではなく、あなたを救うために存在するのです。」
こう語るのは、ホメオパシー療法家(ホメオパス)由井寅子先生。
そこへ行きつくために、まずは、ワクチンの説明から始めます。予防接種の予防の原理とはどういうものか。
ワクチンの中には、弱毒化された病原体が入っており、それを直接、皮下注射で体内に入れます。本来ならば、この病原体が私たちの口や鼻や耳から入って、粘膜にくっついて、気管支に落ちて腸液とか膵液に混ぜられて、腸から吸収されたほんの少しの病原体しか血中には入らないはずなのです。
ところが、予防接種ではそのような自然免疫を迂回して、直接皮下注射で、一気に体内の深部に入っちゃうわけです。
これだと、本来働かなければいけないマクロファージ、好中球、ナチュラルキラー細胞など、白血球型の免疫が働けない。そして、病原体を排出できなくなってしまいます。体は仕方がないので「とりあえず印をつけよう」とIgG抗体という旗をくっつけるのです。するとこの病原体はとりあえず不活性化します。
でもこのIgG抗体があまりにも多いと、自分が自分をアタックする難病中の難病、自己免疫疾患の膠原病とか癌などになりやすくなります。
そして本来健康であるならばIgG抗体が結合した病原体を、あとでマクロファージが食べにきます。でも、自然免疫を迂回しいきなり体の深部に大量に侵入されるので、免疫が混乱して、IgG抗体が結合した病原体は、体内に長い間留まってしまいます。
そして、はしかの予防接種をした後に、外から、はしかウイルスが入ったとします。すると、すでにIgG抗体がたくさんあるので、はしかウイルスが入ってきても、すぐにIgG抗体が結合し、ウイルスを不活性化させてしまいます。だから発症しない。
わかりますか?
すでに感染症の慢性状態だから、あとから病原体が入ってきたところで、感染症の急性症状はでないということなのです。
これが予防接種の予防メカニズムです。
簡単に言うと、既にかかって慢性病になっているから、新たに感染しても発症しないということなんですよ。
弱毒化した病原体を直接体内に注入する。
→ 免疫がうまく働かず、病原体を排出できない。
→ IgG抗体を作り、とりあえず病原体を不活性化
→ 免疫の低下も大きく、病原体を排出できない。
→ IgG抗体が存在し続けるので、病原体が感染しても、IgG抗体が結合して、病原体を不活性化し、発症しない。
要するに、はしかの慢性病なんです。わざわざ病原体を埋め込み、感染症の慢性状態にすることを予防と言うでしょうか? よーく考えてみてください。これは予防しているのではなく、その逆で、一気に感染症の慢性状態にして、かかっていても急性症状を発症する力をなくしているだけです。
しかし、ワクチンが多くの子どもの命を救うこともあります。予防接種というのは、一気に感染症の慢性病にしてしまうもので、急性症状が出ません。急性症状が出ないということは、体力を使わずに済むということです。栄養状態が悪い、衛生状態が悪い国の子ども達が、排出する力がないときに病気にかかっちゃうと死んでしまいますので、こういった、栄養状態が悪いとか衛生状態が悪いところでは、ワクチンが必要な場合もあります。
さて、由井先生は多くの患者さんと接することに寄って、分かったことがあります。それは、自閉、多動、ADHD、注意力欠損とか、こういった症状は、予防接種からくる医原病であるということ。
なぜなら、その子たちはワクチンを希釈震盪したレメディーを与えるとよくなるのです。話をし始めるのです。落ち着いていられるようになるのです。
もし予防接種が原因で自閉症になっていないのであれば、ワクチンのレメディーをとっても通り過ぎるだけで、この子は、ものも言わないままだし、そのままの状態な筈です。
しかし、レメディーをとると皆一様に熱を出したり、耳から出血したり、口内炎ができたり、排出症状(好転反応)が始まり、改善していくのです。「お母さん」ってしゃべり始めるのです。
由井先生は190名ぐらいの発達障害の子どもたちを診ました。ワクチン病だな、と思ったらワクチン解毒用のレメディーと共に、祝詞と般若心経のレメディーも一緒にとることを進めます。
で、ちょっと先生の興味で聞いたそうです。お宅は神社に行くかとか、お墓参りに行くかとか、お宅は信仰心が篤いかとか、神棚や仏壇があるかとか、毎日水を替えているかとか。すると、ワクチン病になった子どもたちの親は、信仰心の薄い人が多かったそうです。
由井先生はおっしゃる。「子どものかかる病気なんて、元気で健康な子どもならみんな乗り切れるから、別に恐れる必要はないと私は思っています。」
感染症とは自然が為す同種療法であり、インナーチャイルドの存在を知らせるための症状です。
しかし、子どもは、自分でインナーチャイルドを癒すことはできません。5歳といってもすでに山ほどのインナーチャイルドを抱えています。だからといって、5歳の子に、2歳の頃のことを思い出して、あのときほら、悲しかったねとやってごらんと言っても、そんなのできません。
では、どうやってそのインチャを癒すんだろうといったら、はしかや水疱瘡、百日咳、そういう子どものかかる病気にかかって、その感染症を克服することによって、自分のインナーチャイルドだけでなく、前世のインナーチャイルド、親や先祖のインナーチャイルドも解放しているのだと思います。
親や、先祖のインナーチャイルドを、子どもが! びっくり仰天と共に、shuroはなんとなく分かる気がしました。
(※インナーチャイルドは、魂(この世的価値観)と心(感情)をもった自分から切り離されたひとつの存在。
そのインナーチャイルドが腸内微生物として実体化したものが病原体ではないか、という由井先生のお考え)
子どものかかる病気にかかり、発熱、発疹、粘液を出すこと。そうして親や先祖、遺伝的な価値観や未解決な感情、その精神的なくびきから解き放され、こうしてはじめて、自分本来の人生を生きられるのではないでしょうかね。だから子どものかかる病気って、とても大切だと思いますね。
先生は感染症予防の究極の方法をこのように語ります。
この世的価値観によって生じた感情を、泣いてはいけないと抑圧する、泣きたいのに我慢する。そういうのをずっと繰り返していくと、あなたの腸の中である微生物が自然発生していきます。そして、病原体となって、感染症を発症する。
もし感染症にかかりたくなかったら、病気にかかりたくなかったら、インナーチャイルドをどんどん癒すべきです。病原体に共鳴するインナーチャイルドを抱えていなければ、基本的に感染することはないはずだから。
もちろん、免疫がとても弱っている場合は、この限りではありませんよ。免疫がとても弱っている原因として、予防接種を含む医原病や食原病があるということです。