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2020年12月27日
化学肥料はステロイド剤と同じ。植物はなぜ病気になるのか。
化学肥料はステロイド剤と同じ。植物はなぜ病気になるのか。
植物が病気になる原理も、ニンゲンのそれと変わりはないらしい。作物を病害虫から守るために殺虫剤や除草剤を使用することに寄るのだと、ハワード(イギリス人農学者サー・アルバート・ハワード)は考え、実検し、堆肥化した腐植が作物の病虫害を防ぐとともに、土壌肥沃度を改善する鍵を握っていることを検証した。
英国のプランテーションでは農薬の使用量が増えれば増えるほど、作物の病気の流行は増加し、収穫が減ったという。薬害に寄り、病原体は増え、範囲を広げた。
ハワードは化学肥料を、長期的な土壌の肥沃さや植物の健康と引きかえに短期的な能力を高める農業のステロイド剤と表現した。そして、言う。化学肥料によって徐々に土壌が汚染されつつあることは、農業と人類にふりかかった最大の災害の一つである、と。
ミミズは「庭師の無償の下働き」であり、農業における炭鉱のカナリアだ。つまり、ミミズの数が増えていれば、土が健康であるしるしであり、減少は破滅の予兆なのだ。ミミズの糞には、表土全体の五倍の窒素、七倍の水溶性リン酸塩、十一倍のカリウムが含まれていた。これは、植物の成長に欠かせない三大栄養素である。
ミミズは腸内で土を有機物と混ぜて新しく作りかえ、植物養分を含ませて土壌に戻している。そんなミミズたちを殺す化学物質を農地にまき散らすことに、何の意味があるのか。
有益な微生物が土壌中の根の近くにいるとき、それは植物にメッセージを送って、全身誘導抵抗性という免疫のような反応を引き起こすことがわかっているという。
植物は根を「耳」として使い、土壌生物の声を聞く。この双方向コミュニケーションの結果、植物が害虫や病原体を避けるために利用している代謝経路が刺激される。そのとき植物は、攻撃をはねのける準備をしているということだ。
すべての植物にはマイクロバイオーム、根、葉、芽、果実、種子を覆う微生物の宇宙に似た集合体がある。植物はそれぞれ、ニンゲンの腸内と同じように、唯一無二の微生物群を住まわせているのだ。
土壌微生物は根のまわりで数が多いことにヒルトナー(ドイツ人科学者ローレンツ・ヒルトナー)は気付き、この非常ににぎわっている範囲に、「根圏」という特別な名前をつけた。彼は、植物の抵抗性に関する重要な発見をしている。根圏はクモの糸ほどの植物の根毛一本一本を取りまいている。根毛は一本の根から数百万本生え、それにより表面積が増えて、植物と土壌微生物の相互作用が大幅に活性化されるという。
根圏に集まる微生物の数は、最大で周囲の土壌の100倍になるそうだ。
根圏の微生物は植物のマイクロバイオームでも特ににぎやかな部分だ。さまざまな微生物種が独自の好みを持ち、取り込む根浸出液を選び、改変もする。それは植物の利益になるような改変もある。
たとえば、アミノ酸の分泌液であるトリプトファンは、根圏の細菌に捕えられると、植物成長ホルモン(インドール酢酸)に変えられる。これによって根は長く伸び、支根が生え、根毛の密度が高くなり、植物全体の健康が増進されるのだ。
植物が根浸出液の中に放出するフィトケミカルは、植物の防衛戦略だ。こうした化学物質は地上・地下の脅威に幅広く対抗する。フィトケミカルの中には根浸出液の中に普通に見られ、細菌の遺伝子の発現を刺激したり妨げたりして、有益な細菌を根に引き寄せ、根につく病原体を防ぐ。
ある種の植物では、発芽したばかりの苗が硫酸を含むフィトケミカルを出して、菌根や細菌の成長を促す。フィトケミカルが特定の細菌や菌類を根圏に招き入れる場合もある。植物は、近づいてくる微生物に「進入禁止」のメッセージを送るフィトケミカルを放出することもできる。厄介な微生物が警告を無視すれば、もっと強い「下がれ」という信号を発する。それでも無視されたら、侵入口をふさぐために化学防御が開始される。
植物は自ら抗菌物質を作って病原体を殺したり弱らせたりすることもできる。たとえばトウモロコシは、根のすぐまわりに多くの土壌微生物を抑制できる量の抗菌物質ベンゾキサジノイドを放出する。時には根圏の有益細菌が、病原性の菌類を食い止めるのに役立つ代謝物質を生産することもある。根圏細菌の主要なグループ―放線菌、フィルミクテス、バクテロイデス―の中で、放線菌は特に病原性の細菌、菌類、ウィルスを阻害するさまざまな物質を生産するのだ。
さらに、葉や枝などの厄介ごとに対処するために、植物は根圏に棲む細菌の力を借りるという興味深い例もある。葉の病原体が攻撃してきたとき、植物はそれを感知し、化学物質に寄る長距離通信を根の細胞に送る。
すると根の細胞が浸出液を放出し始める。たとえばリンゴ酸というきわめて特殊な浸出液が作用し放出される。すると枯草菌が駆け寄ってきて、数時間で根にぎっしりと集落を作り、さらに植物と化学コミュニケーションが始まる。細菌と植物の対話を引き金に、植物は葉の病原体に対抗する浸透性の防御物質を生産して循環させる。さらに驚くことに、枯草菌は植物に働きかけて、病原体が葉の内部への侵入路とする葉の表面の小さな開口部(気孔)を閉じさせる。
このようなことは、実はニンゲンの腸内細菌も行っているらしい。
つまり、根圏に棲息する細菌が病原体の存在を植物に知らせるのと似た活動が、大腸の中でも起きている形跡があるということ。粘膜層に棲む細菌は、内腔の病原体が粘膜層に定着しようとすると、化学的メッセージによって大腸細菌に警鐘を鳴らす。
さらに、腸内細菌のバランスの乱れがどれだけ恐ろしいのか、という例がある。
共生生物の中には有益なあまり、それなしでは人間が病気になるものがあるのだ。病原体が免疫反応の引き金を引くことは昔から知られているが、共生生物が免疫系と相互に作用することも今では明らかになっている。それどころか共生生物は免疫細胞に準備をさせ、訓練をする。共生生物は体内の炎症の全体的なレベルを調整する上で中心的な役割を果たしており、一方で炎症は人体のすべてが順調に動き続けるために必要であるのだ。
マイクロバイオームが混乱すれば、ちょっとした体調不良から深刻な病気、たとえば自己免疫疾患であるが、さまざまな影響が出ることになる。
この混乱を引き起こしているのは、まず抗生物質。それから化学物質である食品添加物や農薬、もっと深刻なものとして放射能の影響もあるだろう。
古典的な実験に、植物を二種類の土壌で栽培するというものがあるそうだ。一方の土は消毒して微生物をすべて殺し、もう一方は消毒せずにおく。それから既知の病原体をそれぞれ土に入れる。すると、消毒した土で栽培した植物は病原体にやられ、消毒しなかった方の植物は健康に育つ。つまり、微生物の活動により発病抑止がなされるのだということ。
土壌を消毒し、微生物を一掃してしまうと、病原体に対抗する力を失ってしまうということだ。
消毒した土に、わずかその体積の10分の1から1,000分の1の、微生物が豊富な土を混ぜると発病抑止の力が与えられ、土壌のバリアは回復するのだそうだ。
農薬を使用せず、自然に、栄養豊かに育つ野菜が、市場で流通する
マトモな世の中にするためには、まっとうな栽培をしている農家さんを
応援することが大切♪
植物が病気になる原理も、ニンゲンのそれと変わりはないらしい。作物を病害虫から守るために殺虫剤や除草剤を使用することに寄るのだと、ハワード(イギリス人農学者サー・アルバート・ハワード)は考え、実検し、堆肥化した腐植が作物の病虫害を防ぐとともに、土壌肥沃度を改善する鍵を握っていることを検証した。
英国のプランテーションでは農薬の使用量が増えれば増えるほど、作物の病気の流行は増加し、収穫が減ったという。薬害に寄り、病原体は増え、範囲を広げた。
ハワードは化学肥料を、長期的な土壌の肥沃さや植物の健康と引きかえに短期的な能力を高める農業のステロイド剤と表現した。そして、言う。化学肥料によって徐々に土壌が汚染されつつあることは、農業と人類にふりかかった最大の災害の一つである、と。
ミミズは「庭師の無償の下働き」であり、農業における炭鉱のカナリアだ。つまり、ミミズの数が増えていれば、土が健康であるしるしであり、減少は破滅の予兆なのだ。ミミズの糞には、表土全体の五倍の窒素、七倍の水溶性リン酸塩、十一倍のカリウムが含まれていた。これは、植物の成長に欠かせない三大栄養素である。
ミミズは腸内で土を有機物と混ぜて新しく作りかえ、植物養分を含ませて土壌に戻している。そんなミミズたちを殺す化学物質を農地にまき散らすことに、何の意味があるのか。
有益な微生物が土壌中の根の近くにいるとき、それは植物にメッセージを送って、全身誘導抵抗性という免疫のような反応を引き起こすことがわかっているという。
植物は根を「耳」として使い、土壌生物の声を聞く。この双方向コミュニケーションの結果、植物が害虫や病原体を避けるために利用している代謝経路が刺激される。そのとき植物は、攻撃をはねのける準備をしているということだ。
すべての植物にはマイクロバイオーム、根、葉、芽、果実、種子を覆う微生物の宇宙に似た集合体がある。植物はそれぞれ、ニンゲンの腸内と同じように、唯一無二の微生物群を住まわせているのだ。
土壌微生物は根のまわりで数が多いことにヒルトナー(ドイツ人科学者ローレンツ・ヒルトナー)は気付き、この非常ににぎわっている範囲に、「根圏」という特別な名前をつけた。彼は、植物の抵抗性に関する重要な発見をしている。根圏はクモの糸ほどの植物の根毛一本一本を取りまいている。根毛は一本の根から数百万本生え、それにより表面積が増えて、植物と土壌微生物の相互作用が大幅に活性化されるという。
根圏に集まる微生物の数は、最大で周囲の土壌の100倍になるそうだ。
根圏の微生物は植物のマイクロバイオームでも特ににぎやかな部分だ。さまざまな微生物種が独自の好みを持ち、取り込む根浸出液を選び、改変もする。それは植物の利益になるような改変もある。
たとえば、アミノ酸の分泌液であるトリプトファンは、根圏の細菌に捕えられると、植物成長ホルモン(インドール酢酸)に変えられる。これによって根は長く伸び、支根が生え、根毛の密度が高くなり、植物全体の健康が増進されるのだ。
植物が根浸出液の中に放出するフィトケミカルは、植物の防衛戦略だ。こうした化学物質は地上・地下の脅威に幅広く対抗する。フィトケミカルの中には根浸出液の中に普通に見られ、細菌の遺伝子の発現を刺激したり妨げたりして、有益な細菌を根に引き寄せ、根につく病原体を防ぐ。
ある種の植物では、発芽したばかりの苗が硫酸を含むフィトケミカルを出して、菌根や細菌の成長を促す。フィトケミカルが特定の細菌や菌類を根圏に招き入れる場合もある。植物は、近づいてくる微生物に「進入禁止」のメッセージを送るフィトケミカルを放出することもできる。厄介な微生物が警告を無視すれば、もっと強い「下がれ」という信号を発する。それでも無視されたら、侵入口をふさぐために化学防御が開始される。
植物は自ら抗菌物質を作って病原体を殺したり弱らせたりすることもできる。たとえばトウモロコシは、根のすぐまわりに多くの土壌微生物を抑制できる量の抗菌物質ベンゾキサジノイドを放出する。時には根圏の有益細菌が、病原性の菌類を食い止めるのに役立つ代謝物質を生産することもある。根圏細菌の主要なグループ―放線菌、フィルミクテス、バクテロイデス―の中で、放線菌は特に病原性の細菌、菌類、ウィルスを阻害するさまざまな物質を生産するのだ。
さらに、葉や枝などの厄介ごとに対処するために、植物は根圏に棲む細菌の力を借りるという興味深い例もある。葉の病原体が攻撃してきたとき、植物はそれを感知し、化学物質に寄る長距離通信を根の細胞に送る。
すると根の細胞が浸出液を放出し始める。たとえばリンゴ酸というきわめて特殊な浸出液が作用し放出される。すると枯草菌が駆け寄ってきて、数時間で根にぎっしりと集落を作り、さらに植物と化学コミュニケーションが始まる。細菌と植物の対話を引き金に、植物は葉の病原体に対抗する浸透性の防御物質を生産して循環させる。さらに驚くことに、枯草菌は植物に働きかけて、病原体が葉の内部への侵入路とする葉の表面の小さな開口部(気孔)を閉じさせる。
このようなことは、実はニンゲンの腸内細菌も行っているらしい。
つまり、根圏に棲息する細菌が病原体の存在を植物に知らせるのと似た活動が、大腸の中でも起きている形跡があるということ。粘膜層に棲む細菌は、内腔の病原体が粘膜層に定着しようとすると、化学的メッセージによって大腸細菌に警鐘を鳴らす。
さらに、腸内細菌のバランスの乱れがどれだけ恐ろしいのか、という例がある。
共生生物の中には有益なあまり、それなしでは人間が病気になるものがあるのだ。病原体が免疫反応の引き金を引くことは昔から知られているが、共生生物が免疫系と相互に作用することも今では明らかになっている。それどころか共生生物は免疫細胞に準備をさせ、訓練をする。共生生物は体内の炎症の全体的なレベルを調整する上で中心的な役割を果たしており、一方で炎症は人体のすべてが順調に動き続けるために必要であるのだ。
マイクロバイオームが混乱すれば、ちょっとした体調不良から深刻な病気、たとえば自己免疫疾患であるが、さまざまな影響が出ることになる。
この混乱を引き起こしているのは、まず抗生物質。それから化学物質である食品添加物や農薬、もっと深刻なものとして放射能の影響もあるだろう。
古典的な実験に、植物を二種類の土壌で栽培するというものがあるそうだ。一方の土は消毒して微生物をすべて殺し、もう一方は消毒せずにおく。それから既知の病原体をそれぞれ土に入れる。すると、消毒した土で栽培した植物は病原体にやられ、消毒しなかった方の植物は健康に育つ。つまり、微生物の活動により発病抑止がなされるのだということ。
土壌を消毒し、微生物を一掃してしまうと、病原体に対抗する力を失ってしまうということだ。
消毒した土に、わずかその体積の10分の1から1,000分の1の、微生物が豊富な土を混ぜると発病抑止の力が与えられ、土壌のバリアは回復するのだそうだ。
農薬を使用せず、自然に、栄養豊かに育つ野菜が、市場で流通する
マトモな世の中にするためには、まっとうな栽培をしている農家さんを
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2020年12月24日
魂のうずきを天職へ。有限な肉体で広大な精神を持つ葛藤や苦しみを抱えながら。
魂のうずきを天職へ。有限な肉体で広大な精神を持つ葛藤や苦しみを抱えながら。
自分の精神の広大さと肉体の有限さにどう向き合うのか。
自分の中にある崇高な想いを素直に受け入れ自分の有限さも認めた上でどのように行動していけるのか。
メキキの会会長、株式会社メキキ及びメキキ・クリエイツ株式会社代表取締役、多摩美術大学非常勤講師(知的財産論)出口光さんが語る至上の世界への扉。(2016年8月現在)
まず、21世紀は、人類存亡の危機と言われています。と出口さんはおっしゃいます。
フェイスブックが10年もたたずに世界10億人を擁するネット上のコミュニティになり、先進国では、携帯電話を一人ひとりが持つようになり、個人がSNSなどを通して世界中とつながることができます。
また、グローバル企業が現れ世界中に活動を広げています。世界はどんどん距離が近くなり、あたかも一つになろうとしているようにみえます。
出口さんは、おっしゃいます。「この原動力は市場至上主義にあると思います。」と。市場至上主義とは、すべてを市場の価値、つまりお金の価値で図り、市場価値を最大にしようというというもの。
このグローバリゼーションの波は、民族や宗教、文化や国を超えています。この波は、いずれ民族の伝統や文化、価値観をも否定することになるのではないでしょうか。更に、この市場至上主義は、環境の破壊をも作り出しています。大量生産、大量消費、大量投棄をもたらしているからです。
このグローバリズムは、人類の存在を危うくしているように思われます。
2014年の9月にフランスのテレビ局が日本文化のドキュメンタリー番組を創るために来て「人類を救う鍵が日本文化の中にある」と言ったそうです。
日本の文化には、私たちの先祖が自然と格闘し共生してきた体験が埋め込まれています。
それは二つの軸を持っているといいます。
一つは、森羅万象に命が宿るという思想、もっと言えば、「万物に神は宿り役割がある」。だから、私たち一人ひとりに、崇高な想いや輝きがあります。
もう一つは、「万物はつながり共生している」。だから全てを含んで和合をしていこうという和の精神です。
この二軸を文化と言語に組み込んだ日本は、独自の文明を持った稀有の国です。ここに一神教的な文明と一線を画する日本の尊い使命があると思います。
このままの人生で良いのだろうか。「本当はもっとできるのではないか。もっと他にやるべきことがあるのではないか。一生懸命生きてきたし、人生で山坂はあったけれども今はある程度、安定した生活をしている。でも何かやるせなさというか、虚しさを感じることがある」。
「本当はもっと何か世界に貢献したい。もっとできるはずだ。自分の心の奥底に崇高な想いがあることを薄々は感じていながらも、周りには、それを話す相手もいないように思える」。
「そんなことを想ったことはありませんか。」と、出口さんはおっしゃる。それは、自分の中にある魂のうずきであると。しかし、それに直面したとたんに、あなたの前には越えがたい壁が立ちはだかります。それは、今の仕事だったり、家族だったり、健康や経済のことだったりします。
そして、こう続ける。
良い世の中を創ろうという想いは、私たちが持つ共通の想いであり、DNAにプログラムされた「種の保存」の本能だと思います。大きな想いをもち、私たちの肉体は有限だからこそ、つながる必要があります。
私たちは大きな想いで既につながっているにも関わらず、あたかも互いに分離しているように生きています。
そのつながりとは「氣脈」であり、氣脈とは、人脈でも学脈でも血脈でもない、良い世の中を創ろうという想いで、有限な自分ができること(専門性)をやろうという志を持った人たちとのつながりです。
この気脈をつなぐことは、「人類の志を果たそう」という社会プロジェクトであり、古代日本の「やまとごころ」の発露です。
さて、その氣脈をどのようにつないでいくのか。
日本では古来から八柱を立てると考えがありました。古事記にも八柱の神を産むたびに、世界ができていきます。
八柱を立てるとは、自分の人生で大切な人を8人創る、という意味です。もし自分の人生で肝胆相照らす仲の人が8人いたらどうでしょうか?自分の志を知っていて、お互いに、応援しよう、支えようという人たちが8人いたらどうでしょうか?
私たちの人生は、豊かで実りあるものになると思いませんか。
そして、良い世の中を創ろうという想いを自分の天職を通して本気で表現したら、その仕事を通して多くの人たちに影響を与えるようになるでしょう。そのような想いを持った多くの人たちが氣脈でつながれば、日本は変わると思いませんか?
そして日本が変われば世界の器は変わると思いませんか。
出口さんは、このような想いを持った人たちが世界にたくさんいると考え、そのようなひとたちと緩やかにつながろうと、「メキキの会」というグループを同志と共に立ち上げられました。
私たち一人ひとりはほんの少しのできることしか、できません。だからつながる必要があるのです。
気脈は、なにも特殊な専門性が条件になるわけではありません。もしお母さんが、世界に役立つ子どもを育てるためにと、子どものお弁当を創るならどうでしょうか。個を活かすということは、そのとき、その人ができることを活かすことだと思います。それこそが専門性であり、それを磨いていけばよいのです。
つまり、世界に貢献するために、自分の可能性を見つけることになります。それが天職です。
現代の私たちは、環境的にも、経済的にも、精神的にも大きな転換期の中にいます。人間の環境負荷があまりに大きくなり、生物そのものが住めない環境になりつつあるという危機を迎えています。
だからこそ有限な個を活かすために、自覚的につながる必要があるのです。これが氣脈です。
さまざまな価値観、グループや組織を超えて、自立した個と個が氣脈でつながり、個性、民族の文化や伝統を大切にすることで、生まれる磁場は、具体的な「形」はないですが、「良い世の中だ」といえると思います。
そこから現れてくるのは、三つの行動の機会です。
1.天職を持って一隅を照らすこと。私たちは有限であって、できることしかできない。そのできることを天職にまで高める必要があります。
2.価値観の違いを受け入れて、文化や伝統を尊重し、良い世の中を創るという一点で志でつながること。
3.次世代にバトンを渡すべく、地球を生命として捉え、人を育て循環型の社会システムを残すこと。
「気脈をつなぐ」ことそのものが、良い世の中を創るための戦略であり、ヴィジョンでもあるのです。
星に名前をつけて大切な人に贈る【StarNamingGift】というちょっとユニークなギフト。
お子さんのお誕生を記念したり、大切なご友人の記念日などに。
オーストラリアのスプリングブルック天文台と弊社が独占契約。
一つの星には、一つしか命名できませんので、重複して何人もの名前がつくことはありません。
『星命名証明書』とお客様ご希望のメッセージをカードに印字し、セットでお届け。
飲んだことの無い、美味しい日本酒をご自宅へお届け。
日本酒の鑑定書を使いオススメのペアリングや温度がわかったり、味の表現方法も学べます。
本格一品おつまみでその場で美味しい日本酒が楽しめることがオススメです。
自分の精神の広大さと肉体の有限さにどう向き合うのか。
自分の中にある崇高な想いを素直に受け入れ自分の有限さも認めた上でどのように行動していけるのか。
メキキの会会長、株式会社メキキ及びメキキ・クリエイツ株式会社代表取締役、多摩美術大学非常勤講師(知的財産論)出口光さんが語る至上の世界への扉。(2016年8月現在)
まず、21世紀は、人類存亡の危機と言われています。と出口さんはおっしゃいます。
フェイスブックが10年もたたずに世界10億人を擁するネット上のコミュニティになり、先進国では、携帯電話を一人ひとりが持つようになり、個人がSNSなどを通して世界中とつながることができます。
また、グローバル企業が現れ世界中に活動を広げています。世界はどんどん距離が近くなり、あたかも一つになろうとしているようにみえます。
出口さんは、おっしゃいます。「この原動力は市場至上主義にあると思います。」と。市場至上主義とは、すべてを市場の価値、つまりお金の価値で図り、市場価値を最大にしようというというもの。
このグローバリゼーションの波は、民族や宗教、文化や国を超えています。この波は、いずれ民族の伝統や文化、価値観をも否定することになるのではないでしょうか。更に、この市場至上主義は、環境の破壊をも作り出しています。大量生産、大量消費、大量投棄をもたらしているからです。
このグローバリズムは、人類の存在を危うくしているように思われます。
2014年の9月にフランスのテレビ局が日本文化のドキュメンタリー番組を創るために来て「人類を救う鍵が日本文化の中にある」と言ったそうです。
日本の文化には、私たちの先祖が自然と格闘し共生してきた体験が埋め込まれています。
それは二つの軸を持っているといいます。
一つは、森羅万象に命が宿るという思想、もっと言えば、「万物に神は宿り役割がある」。だから、私たち一人ひとりに、崇高な想いや輝きがあります。
もう一つは、「万物はつながり共生している」。だから全てを含んで和合をしていこうという和の精神です。
この二軸を文化と言語に組み込んだ日本は、独自の文明を持った稀有の国です。ここに一神教的な文明と一線を画する日本の尊い使命があると思います。
このままの人生で良いのだろうか。「本当はもっとできるのではないか。もっと他にやるべきことがあるのではないか。一生懸命生きてきたし、人生で山坂はあったけれども今はある程度、安定した生活をしている。でも何かやるせなさというか、虚しさを感じることがある」。
「本当はもっと何か世界に貢献したい。もっとできるはずだ。自分の心の奥底に崇高な想いがあることを薄々は感じていながらも、周りには、それを話す相手もいないように思える」。
「そんなことを想ったことはありませんか。」と、出口さんはおっしゃる。それは、自分の中にある魂のうずきであると。しかし、それに直面したとたんに、あなたの前には越えがたい壁が立ちはだかります。それは、今の仕事だったり、家族だったり、健康や経済のことだったりします。
そして、こう続ける。
良い世の中を創ろうという想いは、私たちが持つ共通の想いであり、DNAにプログラムされた「種の保存」の本能だと思います。大きな想いをもち、私たちの肉体は有限だからこそ、つながる必要があります。
私たちは大きな想いで既につながっているにも関わらず、あたかも互いに分離しているように生きています。
そのつながりとは「氣脈」であり、氣脈とは、人脈でも学脈でも血脈でもない、良い世の中を創ろうという想いで、有限な自分ができること(専門性)をやろうという志を持った人たちとのつながりです。
この気脈をつなぐことは、「人類の志を果たそう」という社会プロジェクトであり、古代日本の「やまとごころ」の発露です。
さて、その氣脈をどのようにつないでいくのか。
日本では古来から八柱を立てると考えがありました。古事記にも八柱の神を産むたびに、世界ができていきます。
八柱を立てるとは、自分の人生で大切な人を8人創る、という意味です。もし自分の人生で肝胆相照らす仲の人が8人いたらどうでしょうか?自分の志を知っていて、お互いに、応援しよう、支えようという人たちが8人いたらどうでしょうか?
私たちの人生は、豊かで実りあるものになると思いませんか。
そして、良い世の中を創ろうという想いを自分の天職を通して本気で表現したら、その仕事を通して多くの人たちに影響を与えるようになるでしょう。そのような想いを持った多くの人たちが氣脈でつながれば、日本は変わると思いませんか?
そして日本が変われば世界の器は変わると思いませんか。
出口さんは、このような想いを持った人たちが世界にたくさんいると考え、そのようなひとたちと緩やかにつながろうと、「メキキの会」というグループを同志と共に立ち上げられました。
私たち一人ひとりはほんの少しのできることしか、できません。だからつながる必要があるのです。
気脈は、なにも特殊な専門性が条件になるわけではありません。もしお母さんが、世界に役立つ子どもを育てるためにと、子どものお弁当を創るならどうでしょうか。個を活かすということは、そのとき、その人ができることを活かすことだと思います。それこそが専門性であり、それを磨いていけばよいのです。
つまり、世界に貢献するために、自分の可能性を見つけることになります。それが天職です。
現代の私たちは、環境的にも、経済的にも、精神的にも大きな転換期の中にいます。人間の環境負荷があまりに大きくなり、生物そのものが住めない環境になりつつあるという危機を迎えています。
だからこそ有限な個を活かすために、自覚的につながる必要があるのです。これが氣脈です。
さまざまな価値観、グループや組織を超えて、自立した個と個が氣脈でつながり、個性、民族の文化や伝統を大切にすることで、生まれる磁場は、具体的な「形」はないですが、「良い世の中だ」といえると思います。
そこから現れてくるのは、三つの行動の機会です。
1.天職を持って一隅を照らすこと。私たちは有限であって、できることしかできない。そのできることを天職にまで高める必要があります。
2.価値観の違いを受け入れて、文化や伝統を尊重し、良い世の中を創るという一点で志でつながること。
3.次世代にバトンを渡すべく、地球を生命として捉え、人を育て循環型の社会システムを残すこと。
「気脈をつなぐ」ことそのものが、良い世の中を創るための戦略であり、ヴィジョンでもあるのです。
星に名前をつけて大切な人に贈る【StarNamingGift】というちょっとユニークなギフト。
お子さんのお誕生を記念したり、大切なご友人の記念日などに。
オーストラリアのスプリングブルック天文台と弊社が独占契約。
一つの星には、一つしか命名できませんので、重複して何人もの名前がつくことはありません。
『星命名証明書』とお客様ご希望のメッセージをカードに印字し、セットでお届け。
飲んだことの無い、美味しい日本酒をご自宅へお届け。
日本酒の鑑定書を使いオススメのペアリングや温度がわかったり、味の表現方法も学べます。
本格一品おつまみでその場で美味しい日本酒が楽しめることがオススメです。
2020年12月23日
発達障害というマーケティング。精神疾患は製薬会社と精神科医に寄って作り出された。
発達障害というマーケティング。精神疾患は製薬会社と精神科医に寄って作り出された。
市民の人権擁護の会日本支部 世話役 小倉謙氏が警鐘。
※米国ロサンゼルスに本部を置く非営利の精神保健監視団体である「市民の人権擁護の会の日本支部(CCHR Japan)の世話役。
ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)、アスペルガー、自閉症などを総称して発達障害といいます。発達障害者支援法という法律がありますが、その第2条で発達障害を以下のように定義しています。
第二条 この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。
法律では発達障害は「脳機能の障害」としています。そして多くの人々が発達障害のみならず、うつ病、統合失調症などの精神疾患全般は「脳機能の障害」によって起きていると思っています。精神医学界もそのように主張し、それを医学的に解決するためにという大宣伝をしています。
まさに、ここが大きな「ワナ」なのです。
そうおっしゃるのは小倉氏。
精神医学には普遍性、客観性というものがない。発達障害も名前だけが存在し、そのレッテルを貼ることができる特権を持っている精神科医たちが、自分たちの勝手な解釈と都合で診断をして、麻薬同等品である精神薬を処方し子どもたちをクスリ漬けにしているということです。
現在、症状と原因の関係についてはまだまだ多くの人が勘違いしています。
例えば「ストレス社会で精神疾患が増えたから、それに従って精神科が増えたのだ」。
しかし、正しくは
1.精神医療産業が偽りの需要を作り上げた(マッチポンプ)
2.デタラメ精神科医が増えたから患者が増えた(患者を治さない、健康な人を本物の病人にする)というのが実態でしょう。
たとえば、うつ病患者が増えたから抗うつ薬の売り上げが急増したのではありません。
1.新規の抗うつ薬の販売認可が下りたから、それに伴って患者を増やすマーケティングが行われた。
2.いつまでも患者を卒業させず、長期に大量の向精神薬を服用する優良顧客にしている。
大村市には大村共立病院という精神病院がありますが、ここを経営するカメリアグループの副理事長の宮田雄吾医師は、ここ10年くらい教師や教育委員会、カウンセラー、保健師、親などを対象に全国で講演を行っていました。彼の講演会の資料を拝見しますと、実に巧妙に 「精神科へ行くことに同意させるか…」 ということが述べられています。
宮田雄吾医師の最も大きな”功績“は『そら耳がきこえた日』という児童向けの絵本でしょう。
これは「こういう症状が現れたら、精神病かもしれないよ。もし、こうしたことが起きたら安心してすぐに精神科に行きましょうね。今では良いお薬があってちゃんと治るからね」というメッセージが込められています。
そしてキワメつけが「睡眠導入剤や抗精神病薬の多量服薬など、恐れるに足らず」。
是非、この言葉を救急救命の現場で懸命に働いている医者の目の前で同じセリフを述べて欲しいものです。
同じ話を佐藤光展氏の著書『精神医療ダークサイド』でも目にした。
「精神科が原因の自殺がある。自覚すべきだ」
2013年5月、福岡市で開かれた第109回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで、北里大学病院救命救急センター医師の上條吉人さんが壇上でおっしゃったそうだ。福岡国際会場メインホールを埋めた精神科医たちは、厳しい指摘をどう受け止めたのだろうか。
相模原市で三次救急を担い、24時間体制で重篤な患者に対応する北里大学病院救命救急センターでは、運び込まれる人の10〜15%が自殺企図および自傷行為の患者で、このうち半数(全体の5〜7%)を処方薬の過量服薬者が占めている。救急医の奮闘を尻目に過量服薬者を次々と生み出し、処方内容などを問い合わせたくても夜間や土日には電話もつながらない精神科医たちに対し、救急医の怒りは治まらない、という。
小倉氏も続けておっしゃる。宮田氏が「はるかに副作用も少なくなっている」とされている抗精神病薬ですが、最も最近承認された抗精神病薬「ゼプリオン」などは発売開始後から半年で32名が死亡していて、その後の3年で100名以上亡くなっています。そして、吐き捨てるようにこう続く。この精神科医にとっては、これしきのことは恐れるに足りないことのようです。そんな精神科医たちが学校を巡り「発達障害児狩り」を始めるのです。と。
うつ病キャンペーンは、20〜40代の働き盛りの人々を働けなくさせて障害者にしてきました。障害者作りと言っても過言ではありません。
重要なのは、発達障害と言われている子どもを、まずはありのままに理解しようとする姿勢です。
「うちの子、発達障害なんです〜」「私は子どもを理解しようと頑張っている」等という親。
「私のクラスには発達障害で手の付けられない子が3人も居て…」という教師。
結局、権威者や専門家(児童精神科医など)の基準に照らしてわが子を評価しているのです。
親も先生もそして社会も「発達障害という存在しない化け物」と向き合わされるようになっていき、どんどん消耗していきます。
そもそも、発達障害と言われる振る舞いに至る原因は様々です。
なのに、その原因を無視して、振る舞い(結果)だけをフラットしにしようとして、麻薬同然のクスリを投与しても決して問題は解決しません。
発達障害と呼ばれている振る舞いの原因となり得る要素を挙げておきます。
・ 先天的な問題(胎児期や出産時に於ける問題)
・ 栄養失調(栄養の偏重)・ 現在またはかつて摂取した薬品による影響
・ 農薬や添加物など有害な化学物質による影響・ 電磁波、放射能、有害な波長の音波などの影響
・ 両親の不仲・ 親や近しい人の悪事や失敗を知っているが言えない
・ 親や保護者からの愛情不足、放任、無視、虐待、過干渉など
・ 子どもからもたらされるヘルプが拒絶されている・ 「おとなしくテレビでも見てなさい」
・ 無視、いじめ、パワハラ、セクハラなどの脅威に感じる人間関係
・ 個人の目標や目的を無視した教育(?)の押し付け
・ 本人がやってはいけないことをしてしまった・ 本人がやるべきことをやらなかった
・ アレルギー・ その他の身体的疾患(貧血、低血糖症、甲状腺障害など)
・ 歯並びが悪い・ 筋肉や骨格の発育不良
・ 不安に思う(安堵感を奪われる)出来事に遭遇した
つまり、精神科医の出番などありません。
内海聡医師もこのようにおっしゃっております。
「心療内科や精神科にかかっている患者の病名や、病気であるということそのものがウソっぱちです。たとえば不安や強迫の普遍性について。これらの反応というのはむしろ人間として自然なことです。予想不能な出来事が起きればパニックを起こして当たり前ですし、不安を感じるのも当たり前です。
うつはあってもうつ病は存在しない―この意味をあなたがどこまで理解できるかで、あなたのうつがよくなるかどうかが分かれてくる、という皮肉が成立するのです。」
市民の人権擁護の会日本支部 世話役 小倉謙氏が警鐘。
※米国ロサンゼルスに本部を置く非営利の精神保健監視団体である「市民の人権擁護の会の日本支部(CCHR Japan)の世話役。
ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)、アスペルガー、自閉症などを総称して発達障害といいます。発達障害者支援法という法律がありますが、その第2条で発達障害を以下のように定義しています。
第二条 この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。
法律では発達障害は「脳機能の障害」としています。そして多くの人々が発達障害のみならず、うつ病、統合失調症などの精神疾患全般は「脳機能の障害」によって起きていると思っています。精神医学界もそのように主張し、それを医学的に解決するためにという大宣伝をしています。
まさに、ここが大きな「ワナ」なのです。
そうおっしゃるのは小倉氏。
精神医学には普遍性、客観性というものがない。発達障害も名前だけが存在し、そのレッテルを貼ることができる特権を持っている精神科医たちが、自分たちの勝手な解釈と都合で診断をして、麻薬同等品である精神薬を処方し子どもたちをクスリ漬けにしているということです。
現在、症状と原因の関係についてはまだまだ多くの人が勘違いしています。
例えば「ストレス社会で精神疾患が増えたから、それに従って精神科が増えたのだ」。
しかし、正しくは
1.精神医療産業が偽りの需要を作り上げた(マッチポンプ)
2.デタラメ精神科医が増えたから患者が増えた(患者を治さない、健康な人を本物の病人にする)というのが実態でしょう。
たとえば、うつ病患者が増えたから抗うつ薬の売り上げが急増したのではありません。
1.新規の抗うつ薬の販売認可が下りたから、それに伴って患者を増やすマーケティングが行われた。
2.いつまでも患者を卒業させず、長期に大量の向精神薬を服用する優良顧客にしている。
大村市には大村共立病院という精神病院がありますが、ここを経営するカメリアグループの副理事長の宮田雄吾医師は、ここ10年くらい教師や教育委員会、カウンセラー、保健師、親などを対象に全国で講演を行っていました。彼の講演会の資料を拝見しますと、実に巧妙に 「精神科へ行くことに同意させるか…」 ということが述べられています。
宮田雄吾医師の最も大きな”功績“は『そら耳がきこえた日』という児童向けの絵本でしょう。
これは「こういう症状が現れたら、精神病かもしれないよ。もし、こうしたことが起きたら安心してすぐに精神科に行きましょうね。今では良いお薬があってちゃんと治るからね」というメッセージが込められています。
そしてキワメつけが「睡眠導入剤や抗精神病薬の多量服薬など、恐れるに足らず」。
是非、この言葉を救急救命の現場で懸命に働いている医者の目の前で同じセリフを述べて欲しいものです。
同じ話を佐藤光展氏の著書『精神医療ダークサイド』でも目にした。
「精神科が原因の自殺がある。自覚すべきだ」
2013年5月、福岡市で開かれた第109回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで、北里大学病院救命救急センター医師の上條吉人さんが壇上でおっしゃったそうだ。福岡国際会場メインホールを埋めた精神科医たちは、厳しい指摘をどう受け止めたのだろうか。
相模原市で三次救急を担い、24時間体制で重篤な患者に対応する北里大学病院救命救急センターでは、運び込まれる人の10〜15%が自殺企図および自傷行為の患者で、このうち半数(全体の5〜7%)を処方薬の過量服薬者が占めている。救急医の奮闘を尻目に過量服薬者を次々と生み出し、処方内容などを問い合わせたくても夜間や土日には電話もつながらない精神科医たちに対し、救急医の怒りは治まらない、という。
小倉氏も続けておっしゃる。宮田氏が「はるかに副作用も少なくなっている」とされている抗精神病薬ですが、最も最近承認された抗精神病薬「ゼプリオン」などは発売開始後から半年で32名が死亡していて、その後の3年で100名以上亡くなっています。そして、吐き捨てるようにこう続く。この精神科医にとっては、これしきのことは恐れるに足りないことのようです。そんな精神科医たちが学校を巡り「発達障害児狩り」を始めるのです。と。
うつ病キャンペーンは、20〜40代の働き盛りの人々を働けなくさせて障害者にしてきました。障害者作りと言っても過言ではありません。
重要なのは、発達障害と言われている子どもを、まずはありのままに理解しようとする姿勢です。
「うちの子、発達障害なんです〜」「私は子どもを理解しようと頑張っている」等という親。
「私のクラスには発達障害で手の付けられない子が3人も居て…」という教師。
結局、権威者や専門家(児童精神科医など)の基準に照らしてわが子を評価しているのです。
親も先生もそして社会も「発達障害という存在しない化け物」と向き合わされるようになっていき、どんどん消耗していきます。
そもそも、発達障害と言われる振る舞いに至る原因は様々です。
なのに、その原因を無視して、振る舞い(結果)だけをフラットしにしようとして、麻薬同然のクスリを投与しても決して問題は解決しません。
発達障害と呼ばれている振る舞いの原因となり得る要素を挙げておきます。
・ 先天的な問題(胎児期や出産時に於ける問題)
・ 栄養失調(栄養の偏重)・ 現在またはかつて摂取した薬品による影響
・ 農薬や添加物など有害な化学物質による影響・ 電磁波、放射能、有害な波長の音波などの影響
・ 両親の不仲・ 親や近しい人の悪事や失敗を知っているが言えない
・ 親や保護者からの愛情不足、放任、無視、虐待、過干渉など
・ 子どもからもたらされるヘルプが拒絶されている・ 「おとなしくテレビでも見てなさい」
・ 無視、いじめ、パワハラ、セクハラなどの脅威に感じる人間関係
・ 個人の目標や目的を無視した教育(?)の押し付け
・ 本人がやってはいけないことをしてしまった・ 本人がやるべきことをやらなかった
・ アレルギー・ その他の身体的疾患(貧血、低血糖症、甲状腺障害など)
・ 歯並びが悪い・ 筋肉や骨格の発育不良
・ 不安に思う(安堵感を奪われる)出来事に遭遇した
つまり、精神科医の出番などありません。
内海聡医師もこのようにおっしゃっております。
「心療内科や精神科にかかっている患者の病名や、病気であるということそのものがウソっぱちです。たとえば不安や強迫の普遍性について。これらの反応というのはむしろ人間として自然なことです。予想不能な出来事が起きればパニックを起こして当たり前ですし、不安を感じるのも当たり前です。
うつはあってもうつ病は存在しない―この意味をあなたがどこまで理解できるかで、あなたのうつがよくなるかどうかが分かれてくる、という皮肉が成立するのです。」
2020年12月22日
健康とは。病とは。この世に生きる意味を考える。
健康とは。病とは。この世に生きる意味を考える。
そもそも「病」とは何か。
一般的には健康ではない状態のことを指すことが多いと思うが、では「健康」とは何か。
WHOの示す「健康」の定義はこうなっている。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
出ました!‘すべてが満たされた状態’。 そもそも、そんな状態がこの世の中で存在し得るのだろうか。
もし、すべてが満たされてしまったら、ニンゲンは何のために生きるのだろうか。
臨床心理士、河合隼雄氏がこんなことをおっしゃっていた。つまり、衣食住が満たされて、最低限の生きていくことに不安がなくなったために今は‘自分探し’という病が発生し、生きる意味を求める人々がどんどん病み始めていると。
それでは、改めて「病」について。
上馬塲和夫氏は「病気とは、浄化された本来の自分に戻る為の自己回帰的な過程である」と表現されている。
石塚左玄氏。「真理は、大宇宙の法則の中にあり、病を治すのではなく病気をしない人になる。人間は化学的食養で、健康的で智恵と才気を備えた身体と精神の人物に進化する必要あり」
真弓沙織さん(薬を出さない小児科医、故真弓定夫先生の娘さんであり、トゥリーダー・ティーチャー)はおっしゃる。
私たちが苦しむのは、どちらかの目だけで世界を見て、真ん中の目(真実を見る目)を失っているからです。
そして、真ん中の目を失っていると、身体は様々な方法で訴えくるのです。その代表的な方法が「disease(病気)」。これは、「ease(心地よい状態)」から「dis(離れてしまった状態)」を意味するということ。
ここで注意して欲しいのは、病気だから心地良い状態から離れてしまったのではなく、心地良い状態から離れているから病気になるのだ、ということです。
水虫菌やウィルスなど、見えないものを恐れている人は多いですが、それらはどこにでも存在していて、誰にでも感染する可能性があります。
それなのに、それを発症させる人としない人がいるのは何故なのでしょう?
これは、今回のコロナの騒動にも相当すること。
真弓さんはおっしゃいます。
感染症は、その人が現在、「心地いい状態から離れている」ことをお知らせするものでしかないのだと。
だから。「病気に罪はありません」と。ご主人様に「心地よい状態を思い出して欲しい」という想いでしかありません。これをどう捉えるかで自分の位置が決まってきます。
それをもっと具体的に説明を試みるために、ホメオパシー療法家の由井寅子さんがの言葉をお借りする。
病原体は、そもそも外敵ではなく「私たちが潜在意識に捨てて感じないようにしたもの、我慢した感情・未解決な感情(=インナーチャイルド)が、自分を映す鏡として実体化したもの」と表現されています。
この表現ではちょっと意味が分からないのですが、基本的には人間に感染する病原体は人間の腸で誕生するのではないかという考えであり、停滞した感情をエネルギー源として病原体が自分の中で増殖するということ。つまり、感染症というのは、自然が為す同種療法ではないかと。
同じ病原体にさらされていても、発症する人しない人、罹る人罹らない人がいます。今回の新型コロナウィルスに限らなくてもです。
免疫力や体力などに左右されるのはもちろんのこと、もっと深い部分に原因・理由があるのだろうな、とは薄々感じます。
その、免疫とは、身体の防衛機能として働きを持っていますが、そもそも彼らが行っているのは「自己」か「非自己」かの判断をして非自己を攻撃しているというだけです。
生物というのは、必ず価値観と感情をもっている。同じような価値観と感情をもっていると、非自己にできないということ。そして、非自己にできないから、病原体が増えてしまい、最終的に体を蝕むという構図。
病原体は自分を映す鏡として存在する。自分自身から目を逸らし続けるなら、病原体は増え続け、体は病気となってしまう。病原体は宿主を病気にするために存在するのではなく、救うために存在する。
それを、もしも敵と見なして臨戦態勢に入ってしまうと。例えば違う種類の毒(薬剤)を投与するとか、ウィルスの生存に必要なある機能を不活性化させるような薬剤を開発して投与するなどをすれば、相手も反撃に転じる訳です。
合気道では、こちらが力を抜けば相手の筋肉も緩み、その隙に相手を倒せるといったような戦術があった気がする。謝ったもん勝ちみたいな戦力も、日本では通用する。相手が腰が低ければ、こちらも必要以上の攻撃は出来ない。
相手が波動を持った生物であり、その波動がもしも「感情」に相当するのなら、先に愛を与えれば、相手も愛を返してくれるということなのだろう。
それを具体的にどうするか、といえば。韓国ドラマ「チャングムの誓い」にあったように思う。恐ろしい感染症患者を診たチャングムが、どうやって患者たちを回復に導いたのか。
「病むだけ病ませてみたのです」と彼女は言った。詳しく覚えていないが、最低限の水分と栄養の補給のみで治療行為を一切せずに様子をみた。そこで、免疫力や生命力の弱かった人は生き残れなかったかも知れないが、それ以外の人たちは自分で回復していったのだ。
病は、魂に与えられた「時間」であり、「機会」である。
言うまでもなく、生き方を見直し、考え方を見つめ、自分が生まれてきた意味を静かに問い直し、ほんとうに望んでいたものを手に入れる過程としての。
最後に、安保徹氏の言葉。
健康診断でお年寄りが高血圧と診断され、ほかの自覚症状がないときには、降圧剤投与の治療を受けるのは、かえって危険。
一つは、降圧剤が投与されたとき、私たちのからだが、元気な生き方に必要なために血圧を高めているのが高血圧症の原因なので、からだは降圧剤に負けまいとして、さらに交感神経緊張を起こし、血圧下降に抵抗する生体反応を起こす。脈が速くなったり、筋肉の緊張が増したり、興奮して不眠症などの病気が加わってゆくことになる。まぁ、それは当然の反応ということが出来る。
二つめは、降圧剤のほうが打ち勝って、血圧が下がりはじめた場合。このとき、もし生き方や考え方が変わっていなかったら、その生き方に必要な血圧が得られなくなるので、抹消の循環不全が起きて、血行が悪くなります。ふらふらしたり、元気が出なくなったりしはじめる。
そして、結果、認知症に至るのです。
そもそも「病」とは何か。
一般的には健康ではない状態のことを指すことが多いと思うが、では「健康」とは何か。
WHOの示す「健康」の定義はこうなっている。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
出ました!‘すべてが満たされた状態’。 そもそも、そんな状態がこの世の中で存在し得るのだろうか。
もし、すべてが満たされてしまったら、ニンゲンは何のために生きるのだろうか。
臨床心理士、河合隼雄氏がこんなことをおっしゃっていた。つまり、衣食住が満たされて、最低限の生きていくことに不安がなくなったために今は‘自分探し’という病が発生し、生きる意味を求める人々がどんどん病み始めていると。
それでは、改めて「病」について。
上馬塲和夫氏は「病気とは、浄化された本来の自分に戻る為の自己回帰的な過程である」と表現されている。
石塚左玄氏。「真理は、大宇宙の法則の中にあり、病を治すのではなく病気をしない人になる。人間は化学的食養で、健康的で智恵と才気を備えた身体と精神の人物に進化する必要あり」
真弓沙織さん(薬を出さない小児科医、故真弓定夫先生の娘さんであり、トゥリーダー・ティーチャー)はおっしゃる。
私たちが苦しむのは、どちらかの目だけで世界を見て、真ん中の目(真実を見る目)を失っているからです。
そして、真ん中の目を失っていると、身体は様々な方法で訴えくるのです。その代表的な方法が「disease(病気)」。これは、「ease(心地よい状態)」から「dis(離れてしまった状態)」を意味するということ。
ここで注意して欲しいのは、病気だから心地良い状態から離れてしまったのではなく、心地良い状態から離れているから病気になるのだ、ということです。
水虫菌やウィルスなど、見えないものを恐れている人は多いですが、それらはどこにでも存在していて、誰にでも感染する可能性があります。
それなのに、それを発症させる人としない人がいるのは何故なのでしょう?
これは、今回のコロナの騒動にも相当すること。
真弓さんはおっしゃいます。
感染症は、その人が現在、「心地いい状態から離れている」ことをお知らせするものでしかないのだと。
だから。「病気に罪はありません」と。ご主人様に「心地よい状態を思い出して欲しい」という想いでしかありません。これをどう捉えるかで自分の位置が決まってきます。
それをもっと具体的に説明を試みるために、ホメオパシー療法家の由井寅子さんがの言葉をお借りする。
病原体は、そもそも外敵ではなく「私たちが潜在意識に捨てて感じないようにしたもの、我慢した感情・未解決な感情(=インナーチャイルド)が、自分を映す鏡として実体化したもの」と表現されています。
この表現ではちょっと意味が分からないのですが、基本的には人間に感染する病原体は人間の腸で誕生するのではないかという考えであり、停滞した感情をエネルギー源として病原体が自分の中で増殖するということ。つまり、感染症というのは、自然が為す同種療法ではないかと。
同じ病原体にさらされていても、発症する人しない人、罹る人罹らない人がいます。今回の新型コロナウィルスに限らなくてもです。
免疫力や体力などに左右されるのはもちろんのこと、もっと深い部分に原因・理由があるのだろうな、とは薄々感じます。
その、免疫とは、身体の防衛機能として働きを持っていますが、そもそも彼らが行っているのは「自己」か「非自己」かの判断をして非自己を攻撃しているというだけです。
生物というのは、必ず価値観と感情をもっている。同じような価値観と感情をもっていると、非自己にできないということ。そして、非自己にできないから、病原体が増えてしまい、最終的に体を蝕むという構図。
病原体は自分を映す鏡として存在する。自分自身から目を逸らし続けるなら、病原体は増え続け、体は病気となってしまう。病原体は宿主を病気にするために存在するのではなく、救うために存在する。
それを、もしも敵と見なして臨戦態勢に入ってしまうと。例えば違う種類の毒(薬剤)を投与するとか、ウィルスの生存に必要なある機能を不活性化させるような薬剤を開発して投与するなどをすれば、相手も反撃に転じる訳です。
合気道では、こちらが力を抜けば相手の筋肉も緩み、その隙に相手を倒せるといったような戦術があった気がする。謝ったもん勝ちみたいな戦力も、日本では通用する。相手が腰が低ければ、こちらも必要以上の攻撃は出来ない。
相手が波動を持った生物であり、その波動がもしも「感情」に相当するのなら、先に愛を与えれば、相手も愛を返してくれるということなのだろう。
それを具体的にどうするか、といえば。韓国ドラマ「チャングムの誓い」にあったように思う。恐ろしい感染症患者を診たチャングムが、どうやって患者たちを回復に導いたのか。
「病むだけ病ませてみたのです」と彼女は言った。詳しく覚えていないが、最低限の水分と栄養の補給のみで治療行為を一切せずに様子をみた。そこで、免疫力や生命力の弱かった人は生き残れなかったかも知れないが、それ以外の人たちは自分で回復していったのだ。
病は、魂に与えられた「時間」であり、「機会」である。
言うまでもなく、生き方を見直し、考え方を見つめ、自分が生まれてきた意味を静かに問い直し、ほんとうに望んでいたものを手に入れる過程としての。
最後に、安保徹氏の言葉。
健康診断でお年寄りが高血圧と診断され、ほかの自覚症状がないときには、降圧剤投与の治療を受けるのは、かえって危険。
一つは、降圧剤が投与されたとき、私たちのからだが、元気な生き方に必要なために血圧を高めているのが高血圧症の原因なので、からだは降圧剤に負けまいとして、さらに交感神経緊張を起こし、血圧下降に抵抗する生体反応を起こす。脈が速くなったり、筋肉の緊張が増したり、興奮して不眠症などの病気が加わってゆくことになる。まぁ、それは当然の反応ということが出来る。
二つめは、降圧剤のほうが打ち勝って、血圧が下がりはじめた場合。このとき、もし生き方や考え方が変わっていなかったら、その生き方に必要な血圧が得られなくなるので、抹消の循環不全が起きて、血行が悪くなります。ふらふらしたり、元気が出なくなったりしはじめる。
そして、結果、認知症に至るのです。
2020年12月21日
妊活。不妊治療と、その背景。子どもを望むときに気をつけること。
妊活。不妊治療と、その背景。子どもを望むときに気をつけること。
池川クリニック院長。産婦人科医池川明先生からのメッセージ。
見てて思うのは、赤ちゃん出来ない人の多くは心に傷を持っているというか「毒」を溜めている。「毒」っていうのは、食べ物もだけど、心の「毒」をけっこう溜めている。
親子関係、夫婦関係、あと子どもがいる方で第2子不妊とかだと子どもとの関係だとか、すごく出来にくい方向に行くみたいだ、と。
ヒト・ゲノム計画でヒトの遺伝子が全部解明出来たらいろんなものが分かると言われていたけど、結局分からない訳ですよね。人間のホルモン10万種類ある中で遺伝子の既定だと2万ちょっとくらいしかなくて、残りは環境に寄ってつくられるという、エピジェネティクス的な考え方がある。
親のストレスとかそういったもので子どもの行動異常、神経発達に影響するとも言われている。
「親」のストレスを妊娠する前、もしくは出産する前に取っておかないと次の世代、その次の世代に影響する。つまり、孫の世代まで影響を受けるということ。
子どもだけじゃなくて、孫に影響するということを知っておいた方が良い。
どういう風にしたら良いのかという生き方の問題について、そこに「問題点」があることを気づいてもらいたい。問題があることを認識しないと、解決しようという方向へ行かない。まずは、そこ!
羊水が汚れていると赤ちゃんが臭い、のだそうだ。
大学で帝王切開したとき、ドブみたいな匂いがしたことがある。当時、経皮毒というのを知らなかったため、まずは嫌気性感染を疑ったと池川先生はおっしゃる。しかし、検査をすると無菌だった。お母さんのストレスも原因だったと今は思う。
何故なら。
「妊婦がストレスを感じると、細胞内に活性酸素やフリーラジカルを発生して赤ちゃんの遺伝子を傷つける可能性が高くなります。放射能もガンマー線が細胞内を通過すると活性酸素をつくり、その活性酸素が遺伝子を傷つけることが心配されています。つまり、妊娠中のお母さんがストレスを感じることは、放射能を浴びている状態と同じと、いえなくもないのです。」
そして「胎内記憶」。
「お母さんのおなかの中にいたときのことを覚えている子どもがいます。
最先端の研究から、どうやらお母さんの胎内にいるときから、その時の記憶があるらしいことが、わかってきました。最も早く詳細に調べられたのは聴覚で、お腹の中で聞いていた音は、確実に覚えているという証拠が、人だけでなくチンパンジーの研究でも示されるようになってきました。」
「胎内記憶」が妊活とどう関わるのかというと。
生まれてくる子どもが、実は両親を選んで生まれてきている、ということだからです。
神様と一緒に雲の上にいる赤ちゃんたちは、生まれる家庭、生まれるお母さんを自ら選んでいる。そして赤ちゃんたちに一番人気の両親、お母さんは「優しそう」なんだとか。まぁ、これは分かりますよね。赤ちゃんでなくたって家族に迎えられるなら優しい人々の元が良いに決まっている。
だけど、笑い話にしては申し訳ないけど、雲の上で「優しそう」だと選んだ両親が、生まれてみたら「そうでもなかった」「勘違いだった」ということもあるとか。
だけどそれよりももっと切ないのは。2番人気のお母さんが、何故か「寂しそう」「悲しそう」なお母さんだという理由。それは、その赤ちゃんが、そのお母さんの元に生まれてそのお母さんを元気にしてあげよう、寂しくないように、幸せにしてあげようという使命感からだと言うわけです。
妊活カウンセリングをなさっている子宝先生こと、野崎利晃先生もおっしゃっているが、
「どうして赤ちゃんが欲しいの?」
この問いをしっかりと自らの‘こころ’に向かい、深い場所から導き出されたその答えを自分自身で確認し、そして、空の上から見ている赤ちゃんが自分だったら、この両親のもとに生まれたいだろうか、とちょっと空想してみるのも良いかも知れません。
それから、妊娠前デトックスラボの松田あやこさん。
※妊娠前デトックスラボはこれからお母さんになる方の不安を「デトックス」で解消するサポートをする専門施設です。
今、世の中で起きている問題として
・不妊の増加
・流産、死産の増加
・アトピー、アレルギーの増加
・発達障害、自閉症などの増加があります。これらの原因の一つに「有害重金属」があります。
有害重金属とは、水銀、鉛、カドミウムが主たるもので、公害病の原因になったものです。空気、水、食べ物、皮膚などから体内に入ります。特に女性は香料の多い食品やお化粧品からも多く体内に侵入すると言われています。それから、水銀やアルミニウムなどはワクチンの保存料として使われています。
有害重金属の影響として、
・細胞やDNAの損傷、免疫や代謝を低下される
・無排卵、月経困難症、子宮内膜症の原因
・慢性疲労、眠れない、イライラなどの原因
・良いミネラルである「亜鉛」「マグネシウム」の消耗
※妊娠6ヶ月前からの亜鉛やマグネシウムの不足はダウン症や奇形のリスクを高めると言われています。
赤ちゃんへの影響として、母親の体内に有害重金属が多く蓄積していると、
・胎児の骨の発達に影響
・胎児の脳や神経機能に影響
・アトピーやアレルギーの誘発
これらの原因となる可能性があります。妊娠6ヶ月前から有害重金属をデトックスし、良いミネラルで満たすことが大切になります。
そもそもどんなに素晴らしい妊活をしていてもそれだけでは絶対妊娠に至ることはありません。夫婦の愛があってこそなのです。妊活をやめたら妊娠した、他に夢を見つけたら妊娠したということもよくあります。
妊活をしているとどうしても冷え対策用に大きなパンツを履き、鼠蹊部やおへそ周り、仙骨周りを締め付けてしまいます。
妊娠したければ「妊活」をやめてパンツを脱ぎましょう!!と松田さんはおっしゃいます。
池川クリニック院長。産婦人科医池川明先生からのメッセージ。
見てて思うのは、赤ちゃん出来ない人の多くは心に傷を持っているというか「毒」を溜めている。「毒」っていうのは、食べ物もだけど、心の「毒」をけっこう溜めている。
親子関係、夫婦関係、あと子どもがいる方で第2子不妊とかだと子どもとの関係だとか、すごく出来にくい方向に行くみたいだ、と。
ヒト・ゲノム計画でヒトの遺伝子が全部解明出来たらいろんなものが分かると言われていたけど、結局分からない訳ですよね。人間のホルモン10万種類ある中で遺伝子の既定だと2万ちょっとくらいしかなくて、残りは環境に寄ってつくられるという、エピジェネティクス的な考え方がある。
親のストレスとかそういったもので子どもの行動異常、神経発達に影響するとも言われている。
「親」のストレスを妊娠する前、もしくは出産する前に取っておかないと次の世代、その次の世代に影響する。つまり、孫の世代まで影響を受けるということ。
子どもだけじゃなくて、孫に影響するということを知っておいた方が良い。
どういう風にしたら良いのかという生き方の問題について、そこに「問題点」があることを気づいてもらいたい。問題があることを認識しないと、解決しようという方向へ行かない。まずは、そこ!
羊水が汚れていると赤ちゃんが臭い、のだそうだ。
大学で帝王切開したとき、ドブみたいな匂いがしたことがある。当時、経皮毒というのを知らなかったため、まずは嫌気性感染を疑ったと池川先生はおっしゃる。しかし、検査をすると無菌だった。お母さんのストレスも原因だったと今は思う。
何故なら。
「妊婦がストレスを感じると、細胞内に活性酸素やフリーラジカルを発生して赤ちゃんの遺伝子を傷つける可能性が高くなります。放射能もガンマー線が細胞内を通過すると活性酸素をつくり、その活性酸素が遺伝子を傷つけることが心配されています。つまり、妊娠中のお母さんがストレスを感じることは、放射能を浴びている状態と同じと、いえなくもないのです。」
そして「胎内記憶」。
「お母さんのおなかの中にいたときのことを覚えている子どもがいます。
最先端の研究から、どうやらお母さんの胎内にいるときから、その時の記憶があるらしいことが、わかってきました。最も早く詳細に調べられたのは聴覚で、お腹の中で聞いていた音は、確実に覚えているという証拠が、人だけでなくチンパンジーの研究でも示されるようになってきました。」
「胎内記憶」が妊活とどう関わるのかというと。
生まれてくる子どもが、実は両親を選んで生まれてきている、ということだからです。
神様と一緒に雲の上にいる赤ちゃんたちは、生まれる家庭、生まれるお母さんを自ら選んでいる。そして赤ちゃんたちに一番人気の両親、お母さんは「優しそう」なんだとか。まぁ、これは分かりますよね。赤ちゃんでなくたって家族に迎えられるなら優しい人々の元が良いに決まっている。
だけど、笑い話にしては申し訳ないけど、雲の上で「優しそう」だと選んだ両親が、生まれてみたら「そうでもなかった」「勘違いだった」ということもあるとか。
だけどそれよりももっと切ないのは。2番人気のお母さんが、何故か「寂しそう」「悲しそう」なお母さんだという理由。それは、その赤ちゃんが、そのお母さんの元に生まれてそのお母さんを元気にしてあげよう、寂しくないように、幸せにしてあげようという使命感からだと言うわけです。
妊活カウンセリングをなさっている子宝先生こと、野崎利晃先生もおっしゃっているが、
「どうして赤ちゃんが欲しいの?」
この問いをしっかりと自らの‘こころ’に向かい、深い場所から導き出されたその答えを自分自身で確認し、そして、空の上から見ている赤ちゃんが自分だったら、この両親のもとに生まれたいだろうか、とちょっと空想してみるのも良いかも知れません。
それから、妊娠前デトックスラボの松田あやこさん。
※妊娠前デトックスラボはこれからお母さんになる方の不安を「デトックス」で解消するサポートをする専門施設です。
今、世の中で起きている問題として
・不妊の増加
・流産、死産の増加
・アトピー、アレルギーの増加
・発達障害、自閉症などの増加があります。これらの原因の一つに「有害重金属」があります。
有害重金属とは、水銀、鉛、カドミウムが主たるもので、公害病の原因になったものです。空気、水、食べ物、皮膚などから体内に入ります。特に女性は香料の多い食品やお化粧品からも多く体内に侵入すると言われています。それから、水銀やアルミニウムなどはワクチンの保存料として使われています。
有害重金属の影響として、
・細胞やDNAの損傷、免疫や代謝を低下される
・無排卵、月経困難症、子宮内膜症の原因
・慢性疲労、眠れない、イライラなどの原因
・良いミネラルである「亜鉛」「マグネシウム」の消耗
※妊娠6ヶ月前からの亜鉛やマグネシウムの不足はダウン症や奇形のリスクを高めると言われています。
赤ちゃんへの影響として、母親の体内に有害重金属が多く蓄積していると、
・胎児の骨の発達に影響
・胎児の脳や神経機能に影響
・アトピーやアレルギーの誘発
これらの原因となる可能性があります。妊娠6ヶ月前から有害重金属をデトックスし、良いミネラルで満たすことが大切になります。
そもそもどんなに素晴らしい妊活をしていてもそれだけでは絶対妊娠に至ることはありません。夫婦の愛があってこそなのです。妊活をやめたら妊娠した、他に夢を見つけたら妊娠したということもよくあります。
妊活をしているとどうしても冷え対策用に大きなパンツを履き、鼠蹊部やおへそ周り、仙骨周りを締め付けてしまいます。
妊娠したければ「妊活」をやめてパンツを脱ぎましょう!!と松田さんはおっしゃいます。
2020年12月20日
「がん」は血液の汚れの浄化装置。がんが怖いのではない。がん治療が恐ろしいのだ。
「がん」は血液の汚れの浄化装置。がんが怖いのではない。がん治療が恐ろしいのだ。
医者になって40年、数万人のがん患者を診てきました。毎朝6時前に研究室に入り、合計10万時間、世界の医学論文やデータも読み、文章で発表してきました、と著書で語るのは近藤誠氏。
著書に『医者に殺されない47の心得』(アスコム)『「余命3カ月」のウソ』(kkベストセラーズ)『がん放置療法のすすめ』(文藝春秋)『がん治療で殺されない七つの秘訣』(文藝春秋)等。
「がん有明病院」のデータでは、スキルス胃がんの手術をした患者ほぼ全員、数カ月から3年以内に亡くなっている。一方、スキルス胃がんを放置した近藤氏の患者はほぼ全員、ふつうに暮らして、3年から10年近く生きているそうです。
近藤氏はこのようにおっしゃいます。「がんは原理的に「早めに治療すれば進行を止められる」病気ではないし、手術や抗がん剤で治るわけでもありません。」
そして、「治療死」が、がんが原因で死んだことになる現実。
がん患者の9割は、治療の後遺症や、抗がん剤の副作用で早死にしている。
たとえば、ニュースキャスターの逸見政孝さんは20年前、スキルス胃がんの手術で臓器を3キロも切り取られて衰弱死。また歌舞伎俳優の中村勘三郎さんは2012年、食道がんの手術で食道を失ったため、体液が肺に入って肺水腫で亡くなりました。
どちらも「がん治療死」です。
近藤氏が日本のがん治療に疑問を持ったきっかけは、胃がんだったそうです。
臨床では、「早期胃がんは、なかなか大きくならない」ことに気づいていました。そして、日本人15人の早期胃がんをしばらく放置・観察して、成長スピードを計算している研究データを見つけました。
結果は、がん細胞の数が倍になるまでに555日から3076日。
これは直径1センチの胃がんが命を奪う10センチに育つまで、5550日(15年)から3万760日(80年)という、超のんびりペースだったとのこと。
それから、がんは「痛みにのたうち回って死ななければならない」と思われていますが、それは「がん治療」のせいなのです。手術で神経を傷つけられたり、傷が癒着したり、抗がん剤を繰り返し打たれた副作用によって、痛みや苦痛が引き起こされるのです。
もし痛みがあるがんの場合でも、モルヒネなどでしっかりコントロールして、安らかに人生の時間を過ごすことが出来るのです。
抗がん剤が「効いた」と医者が言うのは、一種のトリック。「しこりがいったん縮んだ」「がんが消えたように見える」だけで、必ずリバウンドします。その間に、抗がん剤の毒性が強く出て急死することもある。治るとか、寿命が延びるわけではないのです。
日本人の9割以上を占める固形がんを治す力は、抗がん剤にはありません、と近藤氏は言い切る。
それから免疫学者の安保徹氏もがんの三大治療の無意味さを語られます。
そもそも、何故、がんになるのか。それをしっかり考えなければなりません。安保氏は、がんの発症は、無理な生き方による再生細胞の過剰刺激と免疫抑制によって起こる、と言います。
つまり、からだを消耗させる抗がん剤治療はむしろマイナスであり、からだに楽な生き方を選ぶことで、病気から脱却できるとのこと。
安保氏のがんに対する四カ条
1. 生活パターンを見直す―働きすぎを避け、心の悩みを除く
2. ガンの恐怖から逃れる―免疫力が高まればガンは治ると信じ、気楽につきあう
3. からだが消耗する治療は受けない―間違った三大療法(大手術、抗ガン剤、放射線治療)は避ける
4. 副交感神経を刺激して免疫力を高める―鍼灸、爪もみ、玄米菜食、適度な運動、入浴、笑いなど
『非常識の医学書』安保徹×石原結實×福田稔 著 実業之日本社にこんなことが書かれております。
がんになるまでに、何らかの体調の変化を感じる人も多いはずです。がん患者さんに共通しているのは、がんになる前には極度の肉体的疲労や精神的な悩みを抱えている点で、がん細胞増殖への引き金になるようです。
診断機器の技術が進歩し無症状であっても検査によって簡単に発見されるがんが増えています。見つけ過ぎて行った間違った治療によって死亡率が上がってしまいます。
がん細胞は、冷えが大好きで最も分裂増殖をするのは体温が35度のときで、大嫌いなのは熱で39.3度以上の体温では死滅をしてしまいます。
東洋医学ではがんは血液の汚れを一手に引き受ける究極の浄化装置といわれています。がんを無理にとっても根本の解決にはならないのです。
体内の汚れた血液の一部を体外に除去(瀉血)して血液をキレイに保とうとして、あらゆるがんが「出血」という症状を呈するわけです。血痰、吐血、血尿、下血、不正出血、これは腫瘍から瘀血を排泄するためです。
がんを手術で切除しても放射線で消去したり、抗がん剤で消滅しても原因を取り除いているのではありません。抗がん剤ほど発がん性の強い薬はないともいわれています。
血液が汚れて、病気の進行するプロセス
第1段階 発疹 皮膚には汗腺から汗、皮脂腺からは皮脂などの老廃物を体外に排出する機能がある。血液が汚れるとまずこの皮膚の排泄機能を使って、体外に老廃物を出そうとする。このとき起こる肌のトラブルが発疹。
第2段階 炎症 血液の汚れを体外に排出できない場合は、体外で肺炎、気管支炎、膀胱炎、胆のう炎などの炎症を起こし、血液中の老廃物を燃焼しようとする。炎症に伴って発熱と食欲不振などが起こる。
第3段階 動脈硬化 発疹や炎症でも血液の汚れを体外に排出できない場合は、血管内壁に汚れを沈着させて血液を浄化しようとする、これが動脈硬化。動脈硬化が進むと高血圧にあり、それでも浄化できないと血液の汚れを固めて血栓をつくる。
第4段階 がん 血液の汚れがいつまでたっても改善されないと、血液の最終的な浄化法として、汚れを体の一ヶ所にまとめて腫瘍をつくり、腫瘍から出血させて汚れた血液を体外に排出しようとする。最終的な血液浄化装置ががん。
千島学説ではこのように言われています。
「ガン細胞は赤血球が変化してできたものです。血液が汚れからだが病的状態のとき、悪化した赤血球が集まり溶け合ってガン細胞に変わっていくのです。また病気の多くは炎症を伴いますが、炎症も、赤血球がからだのその部分に集まって変化して発症したものです。肉腫や他の腫瘍も同じです。」
最後に内海聡氏は、感謝に着目しております。
「ありがとう」という感謝の言葉で、ガンが治るという奇跡的な生理現象は、世界の医学界でも認知されています。心身一如という言葉は有名ですが、厳密にいえば意識は肉体の上位層にあります。ロンドン大学名誉教授のアイゼンク博士の研究では、「性格によってガン死亡率に77倍も大差が生じる」、「性格を変えたら、ガンは10分の1以下になる」とまで述べています。
がんに限らず、「病」「症状」とは、生き方を見直すための身体からのメッセージということでしょうか。
医者になって40年、数万人のがん患者を診てきました。毎朝6時前に研究室に入り、合計10万時間、世界の医学論文やデータも読み、文章で発表してきました、と著書で語るのは近藤誠氏。
著書に『医者に殺されない47の心得』(アスコム)『「余命3カ月」のウソ』(kkベストセラーズ)『がん放置療法のすすめ』(文藝春秋)『がん治療で殺されない七つの秘訣』(文藝春秋)等。
「がん有明病院」のデータでは、スキルス胃がんの手術をした患者ほぼ全員、数カ月から3年以内に亡くなっている。一方、スキルス胃がんを放置した近藤氏の患者はほぼ全員、ふつうに暮らして、3年から10年近く生きているそうです。
近藤氏はこのようにおっしゃいます。「がんは原理的に「早めに治療すれば進行を止められる」病気ではないし、手術や抗がん剤で治るわけでもありません。」
そして、「治療死」が、がんが原因で死んだことになる現実。
がん患者の9割は、治療の後遺症や、抗がん剤の副作用で早死にしている。
たとえば、ニュースキャスターの逸見政孝さんは20年前、スキルス胃がんの手術で臓器を3キロも切り取られて衰弱死。また歌舞伎俳優の中村勘三郎さんは2012年、食道がんの手術で食道を失ったため、体液が肺に入って肺水腫で亡くなりました。
どちらも「がん治療死」です。
近藤氏が日本のがん治療に疑問を持ったきっかけは、胃がんだったそうです。
臨床では、「早期胃がんは、なかなか大きくならない」ことに気づいていました。そして、日本人15人の早期胃がんをしばらく放置・観察して、成長スピードを計算している研究データを見つけました。
結果は、がん細胞の数が倍になるまでに555日から3076日。
これは直径1センチの胃がんが命を奪う10センチに育つまで、5550日(15年)から3万760日(80年)という、超のんびりペースだったとのこと。
それから、がんは「痛みにのたうち回って死ななければならない」と思われていますが、それは「がん治療」のせいなのです。手術で神経を傷つけられたり、傷が癒着したり、抗がん剤を繰り返し打たれた副作用によって、痛みや苦痛が引き起こされるのです。
もし痛みがあるがんの場合でも、モルヒネなどでしっかりコントロールして、安らかに人生の時間を過ごすことが出来るのです。
抗がん剤が「効いた」と医者が言うのは、一種のトリック。「しこりがいったん縮んだ」「がんが消えたように見える」だけで、必ずリバウンドします。その間に、抗がん剤の毒性が強く出て急死することもある。治るとか、寿命が延びるわけではないのです。
日本人の9割以上を占める固形がんを治す力は、抗がん剤にはありません、と近藤氏は言い切る。
それから免疫学者の安保徹氏もがんの三大治療の無意味さを語られます。
そもそも、何故、がんになるのか。それをしっかり考えなければなりません。安保氏は、がんの発症は、無理な生き方による再生細胞の過剰刺激と免疫抑制によって起こる、と言います。
つまり、からだを消耗させる抗がん剤治療はむしろマイナスであり、からだに楽な生き方を選ぶことで、病気から脱却できるとのこと。
安保氏のがんに対する四カ条
1. 生活パターンを見直す―働きすぎを避け、心の悩みを除く
2. ガンの恐怖から逃れる―免疫力が高まればガンは治ると信じ、気楽につきあう
3. からだが消耗する治療は受けない―間違った三大療法(大手術、抗ガン剤、放射線治療)は避ける
4. 副交感神経を刺激して免疫力を高める―鍼灸、爪もみ、玄米菜食、適度な運動、入浴、笑いなど
『非常識の医学書』安保徹×石原結實×福田稔 著 実業之日本社にこんなことが書かれております。
がんになるまでに、何らかの体調の変化を感じる人も多いはずです。がん患者さんに共通しているのは、がんになる前には極度の肉体的疲労や精神的な悩みを抱えている点で、がん細胞増殖への引き金になるようです。
診断機器の技術が進歩し無症状であっても検査によって簡単に発見されるがんが増えています。見つけ過ぎて行った間違った治療によって死亡率が上がってしまいます。
がん細胞は、冷えが大好きで最も分裂増殖をするのは体温が35度のときで、大嫌いなのは熱で39.3度以上の体温では死滅をしてしまいます。
東洋医学ではがんは血液の汚れを一手に引き受ける究極の浄化装置といわれています。がんを無理にとっても根本の解決にはならないのです。
体内の汚れた血液の一部を体外に除去(瀉血)して血液をキレイに保とうとして、あらゆるがんが「出血」という症状を呈するわけです。血痰、吐血、血尿、下血、不正出血、これは腫瘍から瘀血を排泄するためです。
がんを手術で切除しても放射線で消去したり、抗がん剤で消滅しても原因を取り除いているのではありません。抗がん剤ほど発がん性の強い薬はないともいわれています。
血液が汚れて、病気の進行するプロセス
第1段階 発疹 皮膚には汗腺から汗、皮脂腺からは皮脂などの老廃物を体外に排出する機能がある。血液が汚れるとまずこの皮膚の排泄機能を使って、体外に老廃物を出そうとする。このとき起こる肌のトラブルが発疹。
第2段階 炎症 血液の汚れを体外に排出できない場合は、体外で肺炎、気管支炎、膀胱炎、胆のう炎などの炎症を起こし、血液中の老廃物を燃焼しようとする。炎症に伴って発熱と食欲不振などが起こる。
第3段階 動脈硬化 発疹や炎症でも血液の汚れを体外に排出できない場合は、血管内壁に汚れを沈着させて血液を浄化しようとする、これが動脈硬化。動脈硬化が進むと高血圧にあり、それでも浄化できないと血液の汚れを固めて血栓をつくる。
第4段階 がん 血液の汚れがいつまでたっても改善されないと、血液の最終的な浄化法として、汚れを体の一ヶ所にまとめて腫瘍をつくり、腫瘍から出血させて汚れた血液を体外に排出しようとする。最終的な血液浄化装置ががん。
千島学説ではこのように言われています。
「ガン細胞は赤血球が変化してできたものです。血液が汚れからだが病的状態のとき、悪化した赤血球が集まり溶け合ってガン細胞に変わっていくのです。また病気の多くは炎症を伴いますが、炎症も、赤血球がからだのその部分に集まって変化して発症したものです。肉腫や他の腫瘍も同じです。」
最後に内海聡氏は、感謝に着目しております。
「ありがとう」という感謝の言葉で、ガンが治るという奇跡的な生理現象は、世界の医学界でも認知されています。心身一如という言葉は有名ですが、厳密にいえば意識は肉体の上位層にあります。ロンドン大学名誉教授のアイゼンク博士の研究では、「性格によってガン死亡率に77倍も大差が生じる」、「性格を変えたら、ガンは10分の1以下になる」とまで述べています。
がんに限らず、「病」「症状」とは、生き方を見直すための身体からのメッセージということでしょうか。
タグ:がん
2020年12月19日
イチロー元プロ野球選手‘勝利と結果を引き寄せた「感謝」の心’
イチロー元プロ野球選手‘勝利と結果を引き寄せた「感謝」の心’
イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉
1973年10月22日 2人兄弟の次男として生まれる。
愛知県西春日井郡豊山町出身のプロ野球選手(外野手)。
マイアミ・マーリンズ所属。他表現では「Ichiro」「Ichiro Suzuki」「イチロー・スズキ」など。
NPB・MLBの双方で活躍。MLBのシーズン最多安打記録や10年連続200安打などの多数の記録を保持している。
2019年3月21日、開幕シリーズとなる東京ドー厶でおこなわれたアスレチック戦2試合に出場後、現役引退を発表。
イチローさんの魅力はいっぱいあるけど、特に注目したいのは「感謝」という「形」。
どう表現、説明したら良いのだろか。フォームというのか、その佇まいと言えば良いのか、或いは[姿勢]とか「すがた」というのか。
元プロテニスプレイヤー松岡修造氏が、スポーツ選手に直接インタビューして得られた沢山の印象や選手たちの言葉を、あちこちで(その著書を含めて)語っているのを聞いて、イチローさんは、「イチロー」さんという決して崩れない形を持っている方なんだな、と思えた。
たとえば、「儀式」という言葉を使っているこんな行動。
いちばんわかりやすいのは、イチロー選手が打席に入る前にバットを正面に立てる動作でしょう。これについて彼は、「集中するための儀式です。自分のかたちをつくり、まず自分を落ち着かせ、自分のペースにもっていくのです」と松岡氏に語ったことがあるそうです。
まず注目すべきは、野球用具というバットを使って「儀式」を行っていること。
イチローさんがバットやグラブに明確な好みやこだわりを持ち、バット職人さんが「イチロー選手ほどバットを変えない選手は他にいない」と言うほど、強い愛着を持って共に戦い続けてきたことは有名な話だとか。
こんなエピソードもある。
イチローさんは自分に打席がまわる早いタイミングでバットに触るため、 マリナーズ時代の本拠地セーフコフィールドのホームベンチには、 イチローがすぐにバットに触れるようにと、彼がよく座るポジションにイチローのバットの大きさに合わせた穴が空けられていた、のだとか。
更に修造氏が語っている。
イチロー選手は、バットやグローブを自分のからだの一部のように大切にしていて、打った直後もバットを静かに置いています。バットを放り投げたのは一度だけで、そのときはバット職人にお詫びの電話を入れたという心の入れ方です。
身体の一部のように。
これは、カルー氏の「あなたはバットを操るアーティスト。その技術で放つヒットを見るのはいつも楽しい」とのコメントによく表れていると思いました。
「もの」に対する尊敬と感謝。イチローさんは、言葉でも感謝を率直に述べる姿を見るけれど、それは、普段の実践でより鮮明に感じられる形であろうと思う。
イチローさんがバットやグローブを身体の一部のように感じているのであれば、バットやグローブも、イチローさんと共にあることをしっかりとその波動で返し、その信頼に応えているのだろう。
「感謝」という思いは非常に強く、光り輝いていて、言葉としても大変に強い力を持っている。
『水からの伝言』江本勝 著 ヒカルランド には、水のボトルに絵を貼り付けたり、文字を見せたりして、その水がどんな結晶をつくるかを研究した写真集です。
「愛・感謝」の結晶写真は最高の芸術作品となっています。他にも、ハートを貼り付けた水はハートの形の結晶をつくります。これは、「水」は情報を転写する物質であるということです。
そして、「現象」はある意味、思考とイコールだから、よく、想像し得ることは実現可能である、と言われるように、「信じたことは叶う」し、祈りも呪いも届くということになります。
思いや祈りが使っている道具に届くのは当たり前のことであり、人間の思考に相当するのではないかと思われる「波動」が「共鳴」するとき、使っている人間の能力を超えた力を発揮することだってあるだろう。
ちなみに、思いや祈りなどの思考の粒子・波動といったものは、テレパシーとして細胞には伝わってしまうもの。それを、感覚の鋭い人は「空気」や「気」と表現する。
だから起こる「気が合う」「気が合わない」。
ということは、当然、「物」と「人」とも相性があるのだ。波動が合う、合わない。その素材や形や作った人の思いや、製作者・使用者双方の背景などに寄って。
イチローさん語録にこんなものがあった。
「僕は仰木監督によって生き返らせてもらったと思っています。監督はたとえ数試合安打が出なくても、根気よく使ってくれました。その監督に感謝するためにも、いい成績を残したかった」
「汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残りません。
手入れをしたグラブで練習をしたことは、体に必ず残ります。
記憶が体に残ってゆきます。」
「グラブはもちろん身体の一部だと考えています。外野手だから長いグラブを使っているのですが、指先まで神経が通らないと、感覚が麻痺してボールが捕れない。グラブの先まで感じられるグラブでないとイヤです」
「バットの木は 自然が何十年も掛けて育てています。僕のバットはこの自然の木から手作りで作られています。グローブも手作りの製品です。一度バットを投げた時、 非常に嫌な気持ちになりました。自然を大切にし、 作ってくれた人の気持ちを考えて 僕はバットを投げることも地面に叩きつけることもしません。プロとして道具を大事に扱うのは当然のことです」
誰かに対する「感謝」のこころも、野球そのものに対する熱く揺るぎないこころも、そして、応援してくれた人、受け入れてくれた国、迎えてくれた仲間、導いてくれた周囲、自らの一部として共に闘うバットとグラブへの限りない信頼と感謝。
イチローは「感謝の人」なのだ。
☆彡 消臭、電磁波対策に。
湿度調整などもしてくれます。
☆彡 日本の文化。国産の竹炭を使用。
☆彡 竹炭は森林を侵食する竹を伐採し焼いて作られているので自然保護の観点でもお勧めです。
☆彡 ソウ・エクスペリエンスの体験ギフトは、その名の通り体験を贈ることができるギフトです。
贈られた方は、収録されたコースの中から好きなコースを1つ選んで実際に体験できます。
二人で体験!ギフトや、オーダーシリーズ:オーダーメイドで服や靴、ネクタイなどが作れるチケットのシリーズ等♪も。
イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉
1973年10月22日 2人兄弟の次男として生まれる。
愛知県西春日井郡豊山町出身のプロ野球選手(外野手)。
マイアミ・マーリンズ所属。他表現では「Ichiro」「Ichiro Suzuki」「イチロー・スズキ」など。
NPB・MLBの双方で活躍。MLBのシーズン最多安打記録や10年連続200安打などの多数の記録を保持している。
2019年3月21日、開幕シリーズとなる東京ドー厶でおこなわれたアスレチック戦2試合に出場後、現役引退を発表。
イチローさんの魅力はいっぱいあるけど、特に注目したいのは「感謝」という「形」。
どう表現、説明したら良いのだろか。フォームというのか、その佇まいと言えば良いのか、或いは[姿勢]とか「すがた」というのか。
元プロテニスプレイヤー松岡修造氏が、スポーツ選手に直接インタビューして得られた沢山の印象や選手たちの言葉を、あちこちで(その著書を含めて)語っているのを聞いて、イチローさんは、「イチロー」さんという決して崩れない形を持っている方なんだな、と思えた。
たとえば、「儀式」という言葉を使っているこんな行動。
いちばんわかりやすいのは、イチロー選手が打席に入る前にバットを正面に立てる動作でしょう。これについて彼は、「集中するための儀式です。自分のかたちをつくり、まず自分を落ち着かせ、自分のペースにもっていくのです」と松岡氏に語ったことがあるそうです。
まず注目すべきは、野球用具というバットを使って「儀式」を行っていること。
イチローさんがバットやグラブに明確な好みやこだわりを持ち、バット職人さんが「イチロー選手ほどバットを変えない選手は他にいない」と言うほど、強い愛着を持って共に戦い続けてきたことは有名な話だとか。
こんなエピソードもある。
イチローさんは自分に打席がまわる早いタイミングでバットに触るため、 マリナーズ時代の本拠地セーフコフィールドのホームベンチには、 イチローがすぐにバットに触れるようにと、彼がよく座るポジションにイチローのバットの大きさに合わせた穴が空けられていた、のだとか。
更に修造氏が語っている。
イチロー選手は、バットやグローブを自分のからだの一部のように大切にしていて、打った直後もバットを静かに置いています。バットを放り投げたのは一度だけで、そのときはバット職人にお詫びの電話を入れたという心の入れ方です。
身体の一部のように。
これは、カルー氏の「あなたはバットを操るアーティスト。その技術で放つヒットを見るのはいつも楽しい」とのコメントによく表れていると思いました。
「もの」に対する尊敬と感謝。イチローさんは、言葉でも感謝を率直に述べる姿を見るけれど、それは、普段の実践でより鮮明に感じられる形であろうと思う。
イチローさんがバットやグローブを身体の一部のように感じているのであれば、バットやグローブも、イチローさんと共にあることをしっかりとその波動で返し、その信頼に応えているのだろう。
「感謝」という思いは非常に強く、光り輝いていて、言葉としても大変に強い力を持っている。
『水からの伝言』江本勝 著 ヒカルランド には、水のボトルに絵を貼り付けたり、文字を見せたりして、その水がどんな結晶をつくるかを研究した写真集です。
「愛・感謝」の結晶写真は最高の芸術作品となっています。他にも、ハートを貼り付けた水はハートの形の結晶をつくります。これは、「水」は情報を転写する物質であるということです。
そして、「現象」はある意味、思考とイコールだから、よく、想像し得ることは実現可能である、と言われるように、「信じたことは叶う」し、祈りも呪いも届くということになります。
思いや祈りが使っている道具に届くのは当たり前のことであり、人間の思考に相当するのではないかと思われる「波動」が「共鳴」するとき、使っている人間の能力を超えた力を発揮することだってあるだろう。
ちなみに、思いや祈りなどの思考の粒子・波動といったものは、テレパシーとして細胞には伝わってしまうもの。それを、感覚の鋭い人は「空気」や「気」と表現する。
だから起こる「気が合う」「気が合わない」。
ということは、当然、「物」と「人」とも相性があるのだ。波動が合う、合わない。その素材や形や作った人の思いや、製作者・使用者双方の背景などに寄って。
イチローさん語録にこんなものがあった。
「僕は仰木監督によって生き返らせてもらったと思っています。監督はたとえ数試合安打が出なくても、根気よく使ってくれました。その監督に感謝するためにも、いい成績を残したかった」
「汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残りません。
手入れをしたグラブで練習をしたことは、体に必ず残ります。
記憶が体に残ってゆきます。」
「グラブはもちろん身体の一部だと考えています。外野手だから長いグラブを使っているのですが、指先まで神経が通らないと、感覚が麻痺してボールが捕れない。グラブの先まで感じられるグラブでないとイヤです」
「バットの木は 自然が何十年も掛けて育てています。僕のバットはこの自然の木から手作りで作られています。グローブも手作りの製品です。一度バットを投げた時、 非常に嫌な気持ちになりました。自然を大切にし、 作ってくれた人の気持ちを考えて 僕はバットを投げることも地面に叩きつけることもしません。プロとして道具を大事に扱うのは当然のことです」
誰かに対する「感謝」のこころも、野球そのものに対する熱く揺るぎないこころも、そして、応援してくれた人、受け入れてくれた国、迎えてくれた仲間、導いてくれた周囲、自らの一部として共に闘うバットとグラブへの限りない信頼と感謝。
イチローは「感謝の人」なのだ。
☆彡 消臭、電磁波対策に。
湿度調整などもしてくれます。
☆彡 日本の文化。国産の竹炭を使用。
☆彡 竹炭は森林を侵食する竹を伐採し焼いて作られているので自然保護の観点でもお勧めです。
☆彡 ソウ・エクスペリエンスの体験ギフトは、その名の通り体験を贈ることができるギフトです。
贈られた方は、収録されたコースの中から好きなコースを1つ選んで実際に体験できます。
二人で体験!ギフトや、オーダーシリーズ:オーダーメイドで服や靴、ネクタイなどが作れるチケットのシリーズ等♪も。
タグ:イチロー
2020年12月18日
中央では古墳時代、東北・北海道では続縄文から擦文文化へ。防御性集落と律令制度。北との交流。そして、「日本の神聖なる使命」
中央では古墳時代、東北・北海道では続縄文から擦文文化へ。防御性集落と律令制度。北との交流。そして、「日本の神聖なる使命」
日本の歴史では、縄文時代の後に弥生時代をあてている。この弥生時代は、稲作による水田経営によって人々は土地と深く結び付き、やがて広い土地を有し、収穫の多い人が支配するような社会構造を生ずるに至った。
古代の王権担当者は、国家権力というおのれの支配下に、どれだけの民人がいるかを、簡単に掌握する方法として、水田農耕を国の大本と定めたにすぎない。
戸口に編入して定住させる。居住地からの離脱、つまり亡命逃散は、これを罪と見なし処罰する。これによって権力者は、否応なく農民からの年貢を徴収することができた。
最終的に、それぞれ耕地を割り振って、人々を泥田にはい回らせる。コメが取れようが取れまいがである。それを「政治」と考えたらしい古代王権の支配が及ばなかった東北・北海道は縄文時代後期末にコメの存在は知っても、長く狩猟・漁撈・採集を主たる生業として平和に暮らしていたようだ。
本州に稲作文化が普及した後も、東北では北海道を代表する土器が各地で造られ、使われていた。
青森県下全域、総計二十カ所以上の遺跡から発見され、南下ルートとしては、函館の東の汐首岬あたりから下北半島大間アあるいは尻屋アに入り、八戸をへて岩手県へ下るコース。または渡島半島白崎岬あたりから竜飛アに入り、岩木川をさかのぼって秋田北部へ下って行くコースなどが考えられている。
古墳時代にほぼ併行する時代になると、北の続縄文文化の後北式に代わって北大式と呼ばれる土器が広く使われるようになり、宮城県北部まで分布が見られる。
十世紀頃には、「防御性集落」というものが見られるようになる。これは、集落を環濠や土塁で囲むことを最大の特徴としており、おおよそ三つのタイプがあるという。
第一のタイプは、十世紀半ばに成立したとされているもので、その集落の支配者(首長層)たちの竪穴式住居のみを空堀などで囲み、集落の主体部はその外側に広がるものである。だいたい40~50メートルあたりの丘陵(ないし急な崖)の先端部に空堀をめぐらして囲郭したりするものがある。
第二のタイプは、やや遅れて十世紀後半に成立したとされ、集落全体を環濠や土塁などで囲郭するようになり、環濠自体もかなり立派なものとなる。土塁が堀の外側に設けられているところに特徴があり、これは弥生時代の環濠集落を共通するつくり方であって、実践本意ないし軍事優先の場合の典型的な集落のつくり方であるという。
第三のタイプは、おもに岩手県域にみられるもので、海抜400メートルをこえ、麓との比高差でも200メートルをこえるような高い山頂か尾根筋につくられた、典型的な高地性集落ともいうべきものである。堀や土塁はあまり発達しておらず、集落というよりは戦時の避難場所ないし逃げ城的性格をもっている。
東北北部から北海道南部までの「北緯40度以北」の地域にかけて100近く確認されているが、北海道には今のところ、渡島半島南部の原口館遺跡(松前町)・ワシリ遺跡(上ノ国町)・小茂内遺跡(乙部町)の三ヶ所しか発見されていない。
これは北方産品をもたらす擦文人との交易関係を確立し、その権益を守ろうとする津軽蝦夷が、そこに介入する国衛・城柵・王臣諸家各勢力に対して防御のために造営したものと推定することができる。つまり、擦文人と津軽蝦夷の主たる交易の場とはならなかった道南地方には、本格的な防御性集落をつくる必要はなかったのだろう。
阿倍比羅夫の「北征」で都に知られた粛慎(あしはせ)は、何者だろうか。
推測されるのは、大陸東北部から樺太・北海道北部に渡ってきたツングース系部族。彼らは鳥の羽を木にかけて旗印としたり、滅亡に際してみずからの妻子を殺すといった風俗を持っているという。
五世紀から十三世紀にかけて、サハリン南部・北海道のオホーツク海側・千島列島に展開したオホーツク文化の担い手であり、食料の多くを海に依存した海洋民族ではないか。
道北を拠点にした粛慎は、日本海を還流するリマン海流・対馬海流にのって航海したらしく、『日本書紀』欽明天皇五年条には、佐渡に粛慎が現れて、その異様な風体から、彼らを「鬼魅」とよんでおそれたとみえる。この一族は、中国や朝鮮・日本が鉄器文化の時代に入っても、なお石鏃を使う習慣を保持しており、その石鏃をつけた楛矢という強力な武器を持っていた。
北海道には、続縄文文化の時代にオホーツク文化をもつ粛慎が渡来していたようだ。
阿倍比羅夫の三度目の「北征」の際、一行は渡嶋蝦夷の拠点・岩木川あたりに到着した。すると対岸の海辺に渡嶋蝦夷1000人余りが軍営を構えて「粛慎の水軍がたくさんやってきて、我等を殺そうとするので、川を渡ってそちらの軍の配下に入れてほしい」と大声で叫んだ。そこで比羅夫が船を対岸に出して、粛慎の居場所とその船の数を聞きだし、使者を粛慎のところにやってよびだしたのであるが、出て来なかった。
その後「沈黙交易」は失敗し、戦闘に至るのだが、比羅夫軍は粛慎を打ち破り、粛慎は柵にいた妻子をみずから殺して滅亡したという。
渡嶋蝦夷の視点からは、北から南下する「粛慎」に対して、北上してくるヤマト王権の軍事力を利用して対抗するという図式が成り立っていた。
これ以降、渡嶋蝦夷は古代国家の強い影響を受けながら独自の社会を形成する途を模索することになる。
これと同じように、「日本」の歴史として残っているものとは別の「地方」の歴史は数限りなく存在していることと思う。
九州の熊襲、沖縄王国、他にも名を知られていない独自の物語がひっそりと伝承やおとぎ話、習慣や習わしなどとして受け継がれてきたことだろう。独自の文化や慣習が大事に守られていた時代には守護となっていた神々が大化の改新やGHQの政策に寄って、抹殺され、貶められてきた。
日本の自然崇拝による信仰が薄くなってしまい、信仰と崇敬に寄って力を得ていた神々の力も弱くなっている。つまり、日本の守りはどんどん薄くなってしまっているということだ。
戦争を語れる世代も少なくなってきた今、日本固有の数々の歴史を掘り起こすことはもはや不可能に近い。
それでも、日本国土固有の血を受け継いできた我々日本人は、その血が示す通り、内側にある聖なる祈りの文化を、自ら学んで継承していくことは出来る。禅や瞑想に代表される「氣」の文化や、仏教の経典、神社の祝詞など神社・仏閣の教えの真髄を学ぶことは出来るだろう。
『国家の品格』を著した藤原 正彦氏の言葉に、「ああ、その通りだ!」と感銘を受けた文章がある。
「人間中心主義というのは欧米の思想です。欧米で育まれた論理や合理は確かに大事です。しかし、その裏側には拭いがたく「人間の傲慢」が張り付いています。
欧米人の精神構造は「対立」に基づいています。彼らにとって自然は人間の幸福のために制服すべき対象であり、他の宗教や異質な価値観は排除すべきものです。これに反して、日本人にとって自然は神であり、人間はその一部として一体化しています。この自然観の違いが、欧米人と日本人の間に本質的差違を作っています。
日本人は自然に調和して生きてきましたから、異質の価値観や宗教を、禁教令のあった時期を除き、頑なに排除するということはしませんでした。それをいったん受け入れたうえで、日本的なものに変えて調和させてきました。
精神に「対立」が宿る限り、戦争をはじめとする争いは絶え間なく続きます。日本人の美しい情緒の源にある「自然との調和」も戦争廃絶という人類の悲願への鍵となるものです。
日本人はこれらを世界に発信しなければなりません。欧米をはじめとした、未だ啓かれていない人々に、本質とは何かを教えなければなりません。それこそが、「日本の神聖なる使命」なのです。」
★ちょっと変わったユニークなギフト。
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一つの星には、一つしか命名できないので重複して何人もの名前がつくことはありません。
☆彡『星命名証明書』とお客様ご希望のメッセージをカードに印字し、セットでお届けになるそうです。
日本の歴史では、縄文時代の後に弥生時代をあてている。この弥生時代は、稲作による水田経営によって人々は土地と深く結び付き、やがて広い土地を有し、収穫の多い人が支配するような社会構造を生ずるに至った。
古代の王権担当者は、国家権力というおのれの支配下に、どれだけの民人がいるかを、簡単に掌握する方法として、水田農耕を国の大本と定めたにすぎない。
戸口に編入して定住させる。居住地からの離脱、つまり亡命逃散は、これを罪と見なし処罰する。これによって権力者は、否応なく農民からの年貢を徴収することができた。
最終的に、それぞれ耕地を割り振って、人々を泥田にはい回らせる。コメが取れようが取れまいがである。それを「政治」と考えたらしい古代王権の支配が及ばなかった東北・北海道は縄文時代後期末にコメの存在は知っても、長く狩猟・漁撈・採集を主たる生業として平和に暮らしていたようだ。
本州に稲作文化が普及した後も、東北では北海道を代表する土器が各地で造られ、使われていた。
青森県下全域、総計二十カ所以上の遺跡から発見され、南下ルートとしては、函館の東の汐首岬あたりから下北半島大間アあるいは尻屋アに入り、八戸をへて岩手県へ下るコース。または渡島半島白崎岬あたりから竜飛アに入り、岩木川をさかのぼって秋田北部へ下って行くコースなどが考えられている。
古墳時代にほぼ併行する時代になると、北の続縄文文化の後北式に代わって北大式と呼ばれる土器が広く使われるようになり、宮城県北部まで分布が見られる。
十世紀頃には、「防御性集落」というものが見られるようになる。これは、集落を環濠や土塁で囲むことを最大の特徴としており、おおよそ三つのタイプがあるという。
第一のタイプは、十世紀半ばに成立したとされているもので、その集落の支配者(首長層)たちの竪穴式住居のみを空堀などで囲み、集落の主体部はその外側に広がるものである。だいたい40~50メートルあたりの丘陵(ないし急な崖)の先端部に空堀をめぐらして囲郭したりするものがある。
第二のタイプは、やや遅れて十世紀後半に成立したとされ、集落全体を環濠や土塁などで囲郭するようになり、環濠自体もかなり立派なものとなる。土塁が堀の外側に設けられているところに特徴があり、これは弥生時代の環濠集落を共通するつくり方であって、実践本意ないし軍事優先の場合の典型的な集落のつくり方であるという。
第三のタイプは、おもに岩手県域にみられるもので、海抜400メートルをこえ、麓との比高差でも200メートルをこえるような高い山頂か尾根筋につくられた、典型的な高地性集落ともいうべきものである。堀や土塁はあまり発達しておらず、集落というよりは戦時の避難場所ないし逃げ城的性格をもっている。
東北北部から北海道南部までの「北緯40度以北」の地域にかけて100近く確認されているが、北海道には今のところ、渡島半島南部の原口館遺跡(松前町)・ワシリ遺跡(上ノ国町)・小茂内遺跡(乙部町)の三ヶ所しか発見されていない。
これは北方産品をもたらす擦文人との交易関係を確立し、その権益を守ろうとする津軽蝦夷が、そこに介入する国衛・城柵・王臣諸家各勢力に対して防御のために造営したものと推定することができる。つまり、擦文人と津軽蝦夷の主たる交易の場とはならなかった道南地方には、本格的な防御性集落をつくる必要はなかったのだろう。
阿倍比羅夫の「北征」で都に知られた粛慎(あしはせ)は、何者だろうか。
推測されるのは、大陸東北部から樺太・北海道北部に渡ってきたツングース系部族。彼らは鳥の羽を木にかけて旗印としたり、滅亡に際してみずからの妻子を殺すといった風俗を持っているという。
五世紀から十三世紀にかけて、サハリン南部・北海道のオホーツク海側・千島列島に展開したオホーツク文化の担い手であり、食料の多くを海に依存した海洋民族ではないか。
道北を拠点にした粛慎は、日本海を還流するリマン海流・対馬海流にのって航海したらしく、『日本書紀』欽明天皇五年条には、佐渡に粛慎が現れて、その異様な風体から、彼らを「鬼魅」とよんでおそれたとみえる。この一族は、中国や朝鮮・日本が鉄器文化の時代に入っても、なお石鏃を使う習慣を保持しており、その石鏃をつけた楛矢という強力な武器を持っていた。
北海道には、続縄文文化の時代にオホーツク文化をもつ粛慎が渡来していたようだ。
阿倍比羅夫の三度目の「北征」の際、一行は渡嶋蝦夷の拠点・岩木川あたりに到着した。すると対岸の海辺に渡嶋蝦夷1000人余りが軍営を構えて「粛慎の水軍がたくさんやってきて、我等を殺そうとするので、川を渡ってそちらの軍の配下に入れてほしい」と大声で叫んだ。そこで比羅夫が船を対岸に出して、粛慎の居場所とその船の数を聞きだし、使者を粛慎のところにやってよびだしたのであるが、出て来なかった。
その後「沈黙交易」は失敗し、戦闘に至るのだが、比羅夫軍は粛慎を打ち破り、粛慎は柵にいた妻子をみずから殺して滅亡したという。
渡嶋蝦夷の視点からは、北から南下する「粛慎」に対して、北上してくるヤマト王権の軍事力を利用して対抗するという図式が成り立っていた。
これ以降、渡嶋蝦夷は古代国家の強い影響を受けながら独自の社会を形成する途を模索することになる。
これと同じように、「日本」の歴史として残っているものとは別の「地方」の歴史は数限りなく存在していることと思う。
九州の熊襲、沖縄王国、他にも名を知られていない独自の物語がひっそりと伝承やおとぎ話、習慣や習わしなどとして受け継がれてきたことだろう。独自の文化や慣習が大事に守られていた時代には守護となっていた神々が大化の改新やGHQの政策に寄って、抹殺され、貶められてきた。
日本の自然崇拝による信仰が薄くなってしまい、信仰と崇敬に寄って力を得ていた神々の力も弱くなっている。つまり、日本の守りはどんどん薄くなってしまっているということだ。
戦争を語れる世代も少なくなってきた今、日本固有の数々の歴史を掘り起こすことはもはや不可能に近い。
それでも、日本国土固有の血を受け継いできた我々日本人は、その血が示す通り、内側にある聖なる祈りの文化を、自ら学んで継承していくことは出来る。禅や瞑想に代表される「氣」の文化や、仏教の経典、神社の祝詞など神社・仏閣の教えの真髄を学ぶことは出来るだろう。
『国家の品格』を著した藤原 正彦氏の言葉に、「ああ、その通りだ!」と感銘を受けた文章がある。
「人間中心主義というのは欧米の思想です。欧米で育まれた論理や合理は確かに大事です。しかし、その裏側には拭いがたく「人間の傲慢」が張り付いています。
欧米人の精神構造は「対立」に基づいています。彼らにとって自然は人間の幸福のために制服すべき対象であり、他の宗教や異質な価値観は排除すべきものです。これに反して、日本人にとって自然は神であり、人間はその一部として一体化しています。この自然観の違いが、欧米人と日本人の間に本質的差違を作っています。
日本人は自然に調和して生きてきましたから、異質の価値観や宗教を、禁教令のあった時期を除き、頑なに排除するということはしませんでした。それをいったん受け入れたうえで、日本的なものに変えて調和させてきました。
精神に「対立」が宿る限り、戦争をはじめとする争いは絶え間なく続きます。日本人の美しい情緒の源にある「自然との調和」も戦争廃絶という人類の悲願への鍵となるものです。
日本人はこれらを世界に発信しなければなりません。欧米をはじめとした、未だ啓かれていない人々に、本質とは何かを教えなければなりません。それこそが、「日本の神聖なる使命」なのです。」
★ちょっと変わったユニークなギフト。
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2020年12月17日
免疫力アップ、デトックス、肌荒れを防ぎ、身体をあたためる‘よもぎ蒸し’の効果!
免疫力アップ、デトックス、肌荒れを防ぎ、身体をあたためる‘よもぎ蒸し’の効果!
まず、そもそもよもぎ蒸しとは。
ハーブの女王と言われるよもぎを煎じ、下半身(膣などのデリケートゾーン)から体を温める温熱療法です。煎じた薬草の成分を粘膜吸収させることで自然治癒力を高め、代謝が促進され、汗とともに老廃物を排出させます。
特に女性の膣や子宮回りをダイレクトに温めるので、女性特有の悩みに効果があり、男性も腰痛や痔、ダイエットなどにお勧めの施術です。
一般社団法人 よもぎ温熱セラピー協会 代表理事 谷真由美さんが、【よもぎ蒸しの代表的な効果】について、このようにおっしゃっております。
・体を芯から温める事で、新陳代謝を上げ、冷えを取ります。
・体を温め汗をかくことで体に溜まった化学物質や老廃物の排出を促します。
・よもぎの持つ殺菌作用・消炎鎮痛作用により、皮膚疾患に効果が期待できます。
・膣回りを直接温めることで、生理痛、生理不順 更年期 妊活 産後ケアに効果があります。
・昔からよもぎ風呂にして腰痛・腹痛・痔の痛みに用いられています。
・よもぎの蒸気で喉や肺を潤すことで風邪のひき始めに効果が期待できます。
・よもぎのアロマ効果で眼精疲労やドライアイが軽減します。
谷さんが、よもぎ蒸しに注目するきっかけとなったのは、若い頃に診断された原因不明の皮膚疾患(アトピー)だったそうです。特に目の周りに炎症が起こり、当時は皮膚科で処方されたステロイドを何の疑いも持たずに素直に塗り、薬をやめてはまた症状が出るのを繰り返していたとのこと。
その魔法のような薬は、塗って直ぐに治るので(そのように勘違いしていた)便利な薬だと7,8年使い続けた。しかし良くなることはなく、むしろ薬に頼るようになってきた頃、「この薬は私を治していないのではないか」と疑問を抱かれた。そして、一般的に言われる自然療法に興味を持ち色々と調べ始めたそうです。
その結果、化粧品に含まれる合成界面活性剤等が肌トラブルの原因であることに気づき、それらを使わないようにしたことで、肌が改善されていきました。
きれいになる為に使う化粧品が肌を荒らす原因になるなんて考えたこともなかった谷さんは、「この体験から、まだ知らない方たちへ伝えたい! 私のような肌トラブルで悩んでいる方も通えるサロンを作ろう!」と思ったのが、体質改善を目的としたエステサロン(PureHealing彩)を開業したきっかけだったそうです。
谷さんのこだわりはよもぎ蒸しに使われる椅子から始まりました。
合板を材料とし、ニス等が塗られている椅子では、その椅子が温まると、体に良くない化学物質が気化するのではないかと不安を感じ、接着材を使わず、無垢のヒノキの1枚板を原料にして、釘を使わない自然素材の椅子。
しかし、谷さんがあれこれ注文し、しかも販売実績もないために、なるべく小ロットで製造して欲しいなどのお願いごとが多すぎて、それを叶えて作ってくれる職人さんはそう簡単にはみつからなかったと言います。
当時はオーガニック的思想や考え方を理解してもらうことが大変で、時には、次の製造時に以前の金額の倍の値段を提示され、更に幾度となく断られ続けました。
そして、よもぎそのものへのこだわり、ガウンへのこだわりなど次々と難関に苦労されながら、谷さんを支えたのは、サロンの多くのお客様がよもぎ蒸しによってどんどん健康でキレイになっていく姿だったのです。
よもぎの美容効果としては。
(1)抗酸化作用・・・体が錆びるとよく言われますが、体内で生じる活性酸素が細胞を傷つけていることはよく知られています。よもぎの抽出液(よもぎ茶)はブロッコリーの100倍の抗酸化作用があるそうです。
(2)抗糖化作用・・・体が焦げると表現されるのが糖化です。体内で不要な糖とタンパク質が結びついて「AGEs 糖化最終生成物」という老化物質を生成してしまう作用です。これは体内では分解されにくく、血管に溜まれば動脈硬化の原因に、肌に溜まれば、しわ、たるみの原因に、骨に溜まれば骨粗鬆症の原因となります。
(3)ダイエット効果・・・よもぎの香り成分、シネオールなどには、新陳代謝をよくする働きがあり、脂肪の燃焼を助けてくれます。よもぎを煎じた蒸気に含まれている成分ですので、よもぎ蒸しはダイエットにもよいと言えます。また、韓国ではよもぎ茶のことを別名 痩せるお茶と呼ぶそうです。
(4)ホルモンバランス調整・・・よもぎ蒸しは女性特有の不調を改善することで知られていますが、それはよもぎの香り成分の中に、女性ホルモンを整える効果があるからです。
(5)肌荒れ、炎症を抑える効果・・・よもぎの抗アレルギー作用、抗炎症作用はよく知られている効果の一つです。よもぎ蒸しで背中のニキビや、花粉症、喘息などが軽減されるのを沢山見てきましたが、体のデトックス効果と、炎症を抑えるよもぎのアロマ成分が効果を高めていると考えられます。
最後に、一般的に「体を温める健康効果」として、血行促進、新陳代謝アップ、デトックス、免疫アップ、酵素活性など体に良いことは沢山ありますが、ここではHSP(ヒートショックプロテイン)を増やす効果についてご説明いただきました。
まず、HSP(ヒートショックプロテイン)とは、ストレスにより細胞の中で増え、構造が変性したタンパク質を修復して元気にしてくれるたんぱく質のこと。HSPが増えるストレスとは精神的なストレスだけでなく病原菌、紫外線、熱ストレスなど心と体に受けるあらゆるストレスのことを言います。
私たちの体は水分を除くとほとんどがタンパク質でできています。そのタンパク質が健康な状態であることが健康を支えていますので、傷ついたたんぱく質を修復するHSPを増やすことは、自己回復力を向上させて、病気の予防や健康、そして美肌へと繋ぐことが出来るということです。
このHSPはもともと細胞内に備わっていますが、加齢とともに減少します。
またお肌の弾力に関わるコラーゲンもタンパク質です。
顔のたるみやしわはこのコラーゲンの変性から起こるので、HSPの修復力が高ければいつまでも若々しい肌を保つことができるということになります。
更に、細胞が癌化することもたんぱく質の変性です。
HSPは様々な免疫細胞の活動にも影響を与えるので、HSPを増やすことが病気の予防にもなります。
ではどのようにすれば、簡単にHSPを増やすことができるか。
運動でも増えることが分かっています。
また、ファスティング(断食)でもHSPは増えます。(3日以上のファスティングが良いとされています)
寒中水泳なども、HSPを増やすことで、冬場に風邪をひかないようにする為に行われてきた行事だと考えられます。
簡単にHSPを気持ちよく増やす方法として、名前の由来でもある体を温める方法があります。HSPは体温が38度以上になると2日後に1.5倍に増え、1週間後に元に戻ることが研究で分かっているとこのと。
谷さんはおっしゃいます。
「よもぎ」は古くから、日本全国で薬草として用いられてきました。山で怪我をしたときは、よもぎの葉を傷口に貼る、胃の調子が悪いときはよもぎ茶として飲む、アイヌの方は風邪の時によもぎの蒸気を吸い込むと早く治ると伝えられており、沖縄ではよもぎの天ぷらを食べるそうです。
よもぎのクロロフィルも免疫アップには良いと言われており、その食物繊維はとても細かい為、小腸絨毛についた有害物質を便として排出するため、デットクスの野菜とも言われています。
「身土不二」の考え方においても、体と環境は切り離せないので、私は西洋のハーブを使うより自分たちが生活している環境で育った薬草がその土地の人を癒してくれると考えています。よもぎはその考え方から見ても、日本人にはピッタリのハーブではないでしょうか。
まず、そもそもよもぎ蒸しとは。
ハーブの女王と言われるよもぎを煎じ、下半身(膣などのデリケートゾーン)から体を温める温熱療法です。煎じた薬草の成分を粘膜吸収させることで自然治癒力を高め、代謝が促進され、汗とともに老廃物を排出させます。
特に女性の膣や子宮回りをダイレクトに温めるので、女性特有の悩みに効果があり、男性も腰痛や痔、ダイエットなどにお勧めの施術です。
一般社団法人 よもぎ温熱セラピー協会 代表理事 谷真由美さんが、【よもぎ蒸しの代表的な効果】について、このようにおっしゃっております。
・体を芯から温める事で、新陳代謝を上げ、冷えを取ります。
・体を温め汗をかくことで体に溜まった化学物質や老廃物の排出を促します。
・よもぎの持つ殺菌作用・消炎鎮痛作用により、皮膚疾患に効果が期待できます。
・膣回りを直接温めることで、生理痛、生理不順 更年期 妊活 産後ケアに効果があります。
・昔からよもぎ風呂にして腰痛・腹痛・痔の痛みに用いられています。
・よもぎの蒸気で喉や肺を潤すことで風邪のひき始めに効果が期待できます。
・よもぎのアロマ効果で眼精疲労やドライアイが軽減します。
谷さんが、よもぎ蒸しに注目するきっかけとなったのは、若い頃に診断された原因不明の皮膚疾患(アトピー)だったそうです。特に目の周りに炎症が起こり、当時は皮膚科で処方されたステロイドを何の疑いも持たずに素直に塗り、薬をやめてはまた症状が出るのを繰り返していたとのこと。
その魔法のような薬は、塗って直ぐに治るので(そのように勘違いしていた)便利な薬だと7,8年使い続けた。しかし良くなることはなく、むしろ薬に頼るようになってきた頃、「この薬は私を治していないのではないか」と疑問を抱かれた。そして、一般的に言われる自然療法に興味を持ち色々と調べ始めたそうです。
その結果、化粧品に含まれる合成界面活性剤等が肌トラブルの原因であることに気づき、それらを使わないようにしたことで、肌が改善されていきました。
きれいになる為に使う化粧品が肌を荒らす原因になるなんて考えたこともなかった谷さんは、「この体験から、まだ知らない方たちへ伝えたい! 私のような肌トラブルで悩んでいる方も通えるサロンを作ろう!」と思ったのが、体質改善を目的としたエステサロン(PureHealing彩)を開業したきっかけだったそうです。
谷さんのこだわりはよもぎ蒸しに使われる椅子から始まりました。
合板を材料とし、ニス等が塗られている椅子では、その椅子が温まると、体に良くない化学物質が気化するのではないかと不安を感じ、接着材を使わず、無垢のヒノキの1枚板を原料にして、釘を使わない自然素材の椅子。
しかし、谷さんがあれこれ注文し、しかも販売実績もないために、なるべく小ロットで製造して欲しいなどのお願いごとが多すぎて、それを叶えて作ってくれる職人さんはそう簡単にはみつからなかったと言います。
当時はオーガニック的思想や考え方を理解してもらうことが大変で、時には、次の製造時に以前の金額の倍の値段を提示され、更に幾度となく断られ続けました。
そして、よもぎそのものへのこだわり、ガウンへのこだわりなど次々と難関に苦労されながら、谷さんを支えたのは、サロンの多くのお客様がよもぎ蒸しによってどんどん健康でキレイになっていく姿だったのです。
よもぎの美容効果としては。
(1)抗酸化作用・・・体が錆びるとよく言われますが、体内で生じる活性酸素が細胞を傷つけていることはよく知られています。よもぎの抽出液(よもぎ茶)はブロッコリーの100倍の抗酸化作用があるそうです。
(2)抗糖化作用・・・体が焦げると表現されるのが糖化です。体内で不要な糖とタンパク質が結びついて「AGEs 糖化最終生成物」という老化物質を生成してしまう作用です。これは体内では分解されにくく、血管に溜まれば動脈硬化の原因に、肌に溜まれば、しわ、たるみの原因に、骨に溜まれば骨粗鬆症の原因となります。
(3)ダイエット効果・・・よもぎの香り成分、シネオールなどには、新陳代謝をよくする働きがあり、脂肪の燃焼を助けてくれます。よもぎを煎じた蒸気に含まれている成分ですので、よもぎ蒸しはダイエットにもよいと言えます。また、韓国ではよもぎ茶のことを別名 痩せるお茶と呼ぶそうです。
(4)ホルモンバランス調整・・・よもぎ蒸しは女性特有の不調を改善することで知られていますが、それはよもぎの香り成分の中に、女性ホルモンを整える効果があるからです。
(5)肌荒れ、炎症を抑える効果・・・よもぎの抗アレルギー作用、抗炎症作用はよく知られている効果の一つです。よもぎ蒸しで背中のニキビや、花粉症、喘息などが軽減されるのを沢山見てきましたが、体のデトックス効果と、炎症を抑えるよもぎのアロマ成分が効果を高めていると考えられます。
最後に、一般的に「体を温める健康効果」として、血行促進、新陳代謝アップ、デトックス、免疫アップ、酵素活性など体に良いことは沢山ありますが、ここではHSP(ヒートショックプロテイン)を増やす効果についてご説明いただきました。
まず、HSP(ヒートショックプロテイン)とは、ストレスにより細胞の中で増え、構造が変性したタンパク質を修復して元気にしてくれるたんぱく質のこと。HSPが増えるストレスとは精神的なストレスだけでなく病原菌、紫外線、熱ストレスなど心と体に受けるあらゆるストレスのことを言います。
私たちの体は水分を除くとほとんどがタンパク質でできています。そのタンパク質が健康な状態であることが健康を支えていますので、傷ついたたんぱく質を修復するHSPを増やすことは、自己回復力を向上させて、病気の予防や健康、そして美肌へと繋ぐことが出来るということです。
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更に、細胞が癌化することもたんぱく質の変性です。
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ではどのようにすれば、簡単にHSPを増やすことができるか。
運動でも増えることが分かっています。
また、ファスティング(断食)でもHSPは増えます。(3日以上のファスティングが良いとされています)
寒中水泳なども、HSPを増やすことで、冬場に風邪をひかないようにする為に行われてきた行事だと考えられます。
簡単にHSPを気持ちよく増やす方法として、名前の由来でもある体を温める方法があります。HSPは体温が38度以上になると2日後に1.5倍に増え、1週間後に元に戻ることが研究で分かっているとこのと。
谷さんはおっしゃいます。
「よもぎ」は古くから、日本全国で薬草として用いられてきました。山で怪我をしたときは、よもぎの葉を傷口に貼る、胃の調子が悪いときはよもぎ茶として飲む、アイヌの方は風邪の時によもぎの蒸気を吸い込むと早く治ると伝えられており、沖縄ではよもぎの天ぷらを食べるそうです。
よもぎのクロロフィルも免疫アップには良いと言われており、その食物繊維はとても細かい為、小腸絨毛についた有害物質を便として排出するため、デットクスの野菜とも言われています。
「身土不二」の考え方においても、体と環境は切り離せないので、私は西洋のハーブを使うより自分たちが生活している環境で育った薬草がその土地の人を癒してくれると考えています。よもぎはその考え方から見ても、日本人にはピッタリのハーブではないでしょうか。
タグ:よもぎ蒸し
2020年12月16日
十三湊、その興亡。蝦夷、奥州藤原氏、源義経北紀行との関わり。
十三湊、その興亡。蝦夷、奥州藤原氏、源義経北紀行との関わり。
〜参考文献、高橋克彦氏、山崎純醒氏、伊藤孝博氏、沢史生氏の著書より
享保年間(1317〜19)に書かれた『十三湊新城記』に十三湊の繁栄振りが書かれている。
「福島城は八十余町(九キロ)四方の規模を持ち、周囲に濠や土塀をめぐらし、築地を設け、その中に数千の家臣の家と数万の領民が甍を並べて住んでいた。白棟五七〇、出城一二、水軍船七〇隻、堂宇宿坊百社、異国の教会とインド人、中国人の館が建ち並び、十万の人々で繁栄していた。城外の草原には。数千頭の馬が放牧され、湊には、出船入船が賑やかに、水夫たちの唄声や囃し声をひびかせ、アイヌ・朝鮮・京からの船が群れをなして舳先を並べている」
昭和三十(1955)年、東京大学の江上波夫教授(当時)らの福島城柵発掘調査が行われた。
その際、城址は六十五万五千平方メートルの規模だったことが明らかになったほか、出土した磁器などから土三湊が博多港並の国際貿易港だったことも分かったという。
平成三(1991)年から平成五(1993)年にかけて、富山大学と青森県教育委員会・市浦村教育委員会・中央大学などが行った発掘調査では、十三湊の全貌が明らかになっている。
それに寄ると中央部を幅四〜六メートルの直線道路が町屋の中央部の道路と交差し、砂嘴の北端から南八百メートルほどのところに、高さ一・五メートルの土塁が造られ、南側に武家屋敷や短冊形の町屋敷が整然と並んでいたことが分かった。
十三湊の山王坊の僧、弘智法印(1363没)が貞治二(1363)年に著した『十三往来』によると、十三湊は、インドの王舎城、中国の長安、我が国の平安京に匹敵する大都市であったという。
十三湊にはサセラン人もいたといわれており、湊の遺構から中国の白磁、青磁、サセラン文様の陶器が多数出土している他、越前焼、珠洲焼、古瀬戸焼、唐津焼なども出土していて、国内中とも交易していたことが窺える。中国鴨緑江河口近くには、安東王国の分庁舎(大使館)とされる安東城が建っていたと中国の歴史書にも記されているそうだ。安東水軍の蓄えた富は、奥州藤原氏の富をはるかに凌ぐものだったと『安東水軍抄』(寛文二年著)に記されている。
さて、津軽の民が古代から信仰していた神にアラハバキがある。御神体は黒光りする鉄の塊という謎めいた神で、未だに正体は解明されていない。
ヒッタイトでは鉄製品をハパルキと呼んでいた。アラジャ・ホユックのハパルキが転じて、アラハバキになったのではないかという考えもあり、土器の類似性から、相当古い時代に龍を崇める民が日本に渡って津軽辺りに住みつき、縄文時代を作り上げた可能性があるのではないかと考えられる。
そして津軽を中心に東北のアラハバキ神社を調べていくと、御神体はほとんどが鉄鉱石である。岩木山の麓にある岩木山神社もアラハバキを祀っているが、御神体は黒い鉄のような石だ。十三湊に近い荒磯崎神社も鉄鉱石を御神体にしている。
それからこんな神々からの視点での物語もある。
神武帝の時代、大和で神武帝の軍勢に徹底抗戦したナガスネの兄をアビといい、神武帝が東征に出て安芸の経営に七年の歳月を要したのは、このアビの軍勢に苦戦を強いられたからという『東日流(つがる)外三郡誌』の伝承がある。
武運つたなく、東北の津軽地方に落ちのびたナガスネ(記紀ではナガスネは大和で誅殺されており、アビは登場しない)は、「たとえ、わが身は敗るるとも、日向族へのこの恨みをば、子々孫々に伝え伝えて撃ちてしやまむ」とうたい、大和奪還を誓い合ったという。のちの朝廷が、都から東北(うしとら)に当たるみちのくの津軽を、鬼門と定めたのはこれに寄ってではないかと言われている。
『備後国風土記逸文』には、昔、北の海にいた武塔の神が、南海の神の女子(むすめ)のところへ婚(よばい)に行き、蘇民将来の家に泊まった。このとき武塔の神が「おれはスサノオである」と名乗ったことが記されている。
この武塔の神が泊地としたのは疫隈(夷住の意か)の国社で、広島県郡山市から芦田川をさかのぼった同県芦品郡新市町江熊の疫隈神社だという。疫宮(えのみや)(疫病神の神社)である。そこにはアビがいた。
そのアビのところには、武塔の神ことスサノオが婚にきている。恐らくスサノオはアビの地を奪いにきて、和議が成り、アビの妹を妻としたのだろう。ここにスサノオはアビの義弟となり、アビの地を安堵したうえ、おのれの前線司令官に任じた。このはなしが『東日流(つがる)外三郡誌』のいうアビとナガスネの兄弟説なのではないかと考えられる。つまりスサノオとナガスネは同一神だったということである。
スサノオの武塔天王は、「タケアララ神」とも呼ばれる。一方のナガスネには「アラキ神」、「タケアラキ神」、「アラハバキ神」の名がある。
王権が未開野蛮の地としたみちのく津軽には、十三湊という日本海随一の良港がはやくから開かれていた。しかも徐福伝承まで残されているように、朝鮮や中国との古代の往来は、中央での想像以上ににぎわっていたと考えられる。
学識者による従来の対蝦夷観は、「みちのくには個々の部族首長がいて、それぞれ独立戦を行っていた」といいうものだった。しかし、北倭・津軽の十三湊に、彼らの本拠があったと考えるべきではないか。そして伊治公砦麻呂にしても、大墓公阿弖流為にしても、彼らは北倭前線の防衛司令官として、王権の侵略を阻止する任に当たっていたのではないだろうか。
按察使・紀広純を殺害したあと生死不明となった砦麻呂や、胆沢を脱出して十カ月も姿をくらましていたアテルイが、実は津軽に立ち寄って、ナガスネヒコ以来のアラハバキ王・安東丸と、事後の方策を協議していたと見れば、脱出以後の彼らの空白に納得がいくのではなかろうか。
中尊寺のある平泉町西南に達谷窟(たっこくのいわや)がある。坂上田村麻呂の討伐を受けた蝦夷の首領・悪路王の本拠があった場所といわれ、悪路王をアテルイに擬する史家もいる。その達谷窟は、洞窟の奥が津軽・外ヶ浜に通じていたという。外ヶ浜は津軽半島の陸奥湾沿岸の海岸である。十三湊を(北倭の)執政府と考えなければ、この地名は誕生しなかったであろう。
その道は洞穴の通路ではなく間道だったと思われる。達谷窟からの抜け道は、多くの間道の一筋であり、すべての間道は十三湊に通じていた。砦麻呂やアテルイは、こうした間道伝いに十三湊に到達したのではなかったのだろうか。
しかし、その十三湊は、南朝年号の興国二年、暦応四(1341)年十月十一日に二十メートルをはるかに超える未曾有の大津波に襲われ、都市全体が泥に埋まり、一夜にして滅んだと言われている。
安東官僚代官の調書によると、人命十二万余、牛馬五千頭、船舶二百七十艘、黄金三十万貫、米六万俵、水田六百町歩、家屋三千二百十七戸、出雲大社並みの宏壮ぶりを誇っていた浜の明神をはじめ、神社仏閣二百七十棟がことごとく狂涛にさらわれ、消失している。そして大津波以降の十三湊は、アラハバキ王国の富と力を昔日に挽回させるべくもなく、一地方豪族として衰退の一途を辿って行ったのだ。
最後に、奥州藤原氏の時代。藤原泰衡は、源義経を殺していない。亡き父秀衡の遺命どおり義経を逃がし、十三湊へ向かわせたのではないか、という源義経北紀行伝説がある。義経一行は、最終的に十三湊の福島城で、安東(藤)秀栄(ひでひさ)・秀元父子の出迎えを受けたのだと。
負けた側の歴史は抹殺される運命にある。
文字を持たなかったアイヌや蝦夷の東北の歴史は残っていない。
〜参考文献、高橋克彦氏、山崎純醒氏、伊藤孝博氏、沢史生氏の著書より
享保年間(1317〜19)に書かれた『十三湊新城記』に十三湊の繁栄振りが書かれている。
「福島城は八十余町(九キロ)四方の規模を持ち、周囲に濠や土塀をめぐらし、築地を設け、その中に数千の家臣の家と数万の領民が甍を並べて住んでいた。白棟五七〇、出城一二、水軍船七〇隻、堂宇宿坊百社、異国の教会とインド人、中国人の館が建ち並び、十万の人々で繁栄していた。城外の草原には。数千頭の馬が放牧され、湊には、出船入船が賑やかに、水夫たちの唄声や囃し声をひびかせ、アイヌ・朝鮮・京からの船が群れをなして舳先を並べている」
昭和三十(1955)年、東京大学の江上波夫教授(当時)らの福島城柵発掘調査が行われた。
その際、城址は六十五万五千平方メートルの規模だったことが明らかになったほか、出土した磁器などから土三湊が博多港並の国際貿易港だったことも分かったという。
平成三(1991)年から平成五(1993)年にかけて、富山大学と青森県教育委員会・市浦村教育委員会・中央大学などが行った発掘調査では、十三湊の全貌が明らかになっている。
それに寄ると中央部を幅四〜六メートルの直線道路が町屋の中央部の道路と交差し、砂嘴の北端から南八百メートルほどのところに、高さ一・五メートルの土塁が造られ、南側に武家屋敷や短冊形の町屋敷が整然と並んでいたことが分かった。
十三湊の山王坊の僧、弘智法印(1363没)が貞治二(1363)年に著した『十三往来』によると、十三湊は、インドの王舎城、中国の長安、我が国の平安京に匹敵する大都市であったという。
十三湊にはサセラン人もいたといわれており、湊の遺構から中国の白磁、青磁、サセラン文様の陶器が多数出土している他、越前焼、珠洲焼、古瀬戸焼、唐津焼なども出土していて、国内中とも交易していたことが窺える。中国鴨緑江河口近くには、安東王国の分庁舎(大使館)とされる安東城が建っていたと中国の歴史書にも記されているそうだ。安東水軍の蓄えた富は、奥州藤原氏の富をはるかに凌ぐものだったと『安東水軍抄』(寛文二年著)に記されている。
さて、津軽の民が古代から信仰していた神にアラハバキがある。御神体は黒光りする鉄の塊という謎めいた神で、未だに正体は解明されていない。
ヒッタイトでは鉄製品をハパルキと呼んでいた。アラジャ・ホユックのハパルキが転じて、アラハバキになったのではないかという考えもあり、土器の類似性から、相当古い時代に龍を崇める民が日本に渡って津軽辺りに住みつき、縄文時代を作り上げた可能性があるのではないかと考えられる。
そして津軽を中心に東北のアラハバキ神社を調べていくと、御神体はほとんどが鉄鉱石である。岩木山の麓にある岩木山神社もアラハバキを祀っているが、御神体は黒い鉄のような石だ。十三湊に近い荒磯崎神社も鉄鉱石を御神体にしている。
それからこんな神々からの視点での物語もある。
神武帝の時代、大和で神武帝の軍勢に徹底抗戦したナガスネの兄をアビといい、神武帝が東征に出て安芸の経営に七年の歳月を要したのは、このアビの軍勢に苦戦を強いられたからという『東日流(つがる)外三郡誌』の伝承がある。
武運つたなく、東北の津軽地方に落ちのびたナガスネ(記紀ではナガスネは大和で誅殺されており、アビは登場しない)は、「たとえ、わが身は敗るるとも、日向族へのこの恨みをば、子々孫々に伝え伝えて撃ちてしやまむ」とうたい、大和奪還を誓い合ったという。のちの朝廷が、都から東北(うしとら)に当たるみちのくの津軽を、鬼門と定めたのはこれに寄ってではないかと言われている。
『備後国風土記逸文』には、昔、北の海にいた武塔の神が、南海の神の女子(むすめ)のところへ婚(よばい)に行き、蘇民将来の家に泊まった。このとき武塔の神が「おれはスサノオである」と名乗ったことが記されている。
この武塔の神が泊地としたのは疫隈(夷住の意か)の国社で、広島県郡山市から芦田川をさかのぼった同県芦品郡新市町江熊の疫隈神社だという。疫宮(えのみや)(疫病神の神社)である。そこにはアビがいた。
そのアビのところには、武塔の神ことスサノオが婚にきている。恐らくスサノオはアビの地を奪いにきて、和議が成り、アビの妹を妻としたのだろう。ここにスサノオはアビの義弟となり、アビの地を安堵したうえ、おのれの前線司令官に任じた。このはなしが『東日流(つがる)外三郡誌』のいうアビとナガスネの兄弟説なのではないかと考えられる。つまりスサノオとナガスネは同一神だったということである。
スサノオの武塔天王は、「タケアララ神」とも呼ばれる。一方のナガスネには「アラキ神」、「タケアラキ神」、「アラハバキ神」の名がある。
王権が未開野蛮の地としたみちのく津軽には、十三湊という日本海随一の良港がはやくから開かれていた。しかも徐福伝承まで残されているように、朝鮮や中国との古代の往来は、中央での想像以上ににぎわっていたと考えられる。
学識者による従来の対蝦夷観は、「みちのくには個々の部族首長がいて、それぞれ独立戦を行っていた」といいうものだった。しかし、北倭・津軽の十三湊に、彼らの本拠があったと考えるべきではないか。そして伊治公砦麻呂にしても、大墓公阿弖流為にしても、彼らは北倭前線の防衛司令官として、王権の侵略を阻止する任に当たっていたのではないだろうか。
按察使・紀広純を殺害したあと生死不明となった砦麻呂や、胆沢を脱出して十カ月も姿をくらましていたアテルイが、実は津軽に立ち寄って、ナガスネヒコ以来のアラハバキ王・安東丸と、事後の方策を協議していたと見れば、脱出以後の彼らの空白に納得がいくのではなかろうか。
中尊寺のある平泉町西南に達谷窟(たっこくのいわや)がある。坂上田村麻呂の討伐を受けた蝦夷の首領・悪路王の本拠があった場所といわれ、悪路王をアテルイに擬する史家もいる。その達谷窟は、洞窟の奥が津軽・外ヶ浜に通じていたという。外ヶ浜は津軽半島の陸奥湾沿岸の海岸である。十三湊を(北倭の)執政府と考えなければ、この地名は誕生しなかったであろう。
その道は洞穴の通路ではなく間道だったと思われる。達谷窟からの抜け道は、多くの間道の一筋であり、すべての間道は十三湊に通じていた。砦麻呂やアテルイは、こうした間道伝いに十三湊に到達したのではなかったのだろうか。
しかし、その十三湊は、南朝年号の興国二年、暦応四(1341)年十月十一日に二十メートルをはるかに超える未曾有の大津波に襲われ、都市全体が泥に埋まり、一夜にして滅んだと言われている。
安東官僚代官の調書によると、人命十二万余、牛馬五千頭、船舶二百七十艘、黄金三十万貫、米六万俵、水田六百町歩、家屋三千二百十七戸、出雲大社並みの宏壮ぶりを誇っていた浜の明神をはじめ、神社仏閣二百七十棟がことごとく狂涛にさらわれ、消失している。そして大津波以降の十三湊は、アラハバキ王国の富と力を昔日に挽回させるべくもなく、一地方豪族として衰退の一途を辿って行ったのだ。
最後に、奥州藤原氏の時代。藤原泰衡は、源義経を殺していない。亡き父秀衡の遺命どおり義経を逃がし、十三湊へ向かわせたのではないか、という源義経北紀行伝説がある。義経一行は、最終的に十三湊の福島城で、安東(藤)秀栄(ひでひさ)・秀元父子の出迎えを受けたのだと。
負けた側の歴史は抹殺される運命にある。
文字を持たなかったアイヌや蝦夷の東北の歴史は残っていない。