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2020年11月22日
皮膚は人の体の中で最大の臓器、共生している肌の微生物たちとの連携プレーで水と脂のバランスを保つ。
皮膚は人の体の中で最大の臓器、共生している肌の微生物たちとの連携プレーで水と脂のバランスを保つ。
体の70%は水、この水分量が保たれているのは、皮膚があるからであり、私たちは干涸びることなく乾燥した陸上でも生活ができるということです。
皮膚は不要な分や必要に応じて慎重に体外に水を排出もしますが、水分を取り込むことはありません。
こうした『排泄』や『分泌』の作用では、汗をかいたり、皮脂を分泌させたり、吹き出物や皮膚の炎症症状によっては、滲出液といった液体のかたちで体外に出されます。この『排泄』と『分泌』も皮膚の重要な機能です。
このように肌のことについてお話ししてくださったのは、統合医療啓蒙家。NPO法人ホリスティック療法協会代表理事であり、NPO法人ホリスティックビューティ協会特別顧問のアレクサンダー陽子さん。
彼女がそもそも肌のことに興味を持ったきっかけは、4歳から仲の良かった幼なじみが皮膚のトラブルで病院通いをはじめ、10歳になっても、まだ完治していない“アトピー皮膚炎”と診断された皮膚疾患に疑問をもち、肌とは何か、薬とは何か、症状とは何かを追求しはじめたことに寄ります。
その10歳のときに知った、故祖父(医師、中医師)の患者さんへの片栗粉の処方(プラセボ)を知ったことが、症状の治癒に必要なもの、必要でないもの、また足を引っぱるものについて考えるきっかけだったとか。
同時に、経済やお金の循環のからくりや、会社と政府の癒着、世の中で起こるさまざまな出来事についての関係性を知り、幻滅しました。自分の体は自分にしか守れないのだと悟り、特別なことをするのではなく、ただ毎日を重ねる中で健康を維持し続けるのはどうしたらいいのかと、模索されたのだそうです。
さて『健やかな肌を保つにはどうしたらいいのか?』
肌はその健やかさを奪われるまでは、意外とそのお手入れ法に疑問もいだかないほど放置されてしまう臓器でもあります。そう、肌は臓器なのです。
それではまず初めによく耳にする角質について。この角質層は、皮膚の表皮細胞たちが死んでしまった屍集団で、だいたい10〜20層ほどの角質細胞が重なってできています。そして、この角質細胞たちが「細胞間脂質」をはさんで重なりあい、この細胞間脂質の存在が、肌を守るバリア機能がうまく働くために重要なのです。角質層が薄くなるということは、このバリア機能に大切な「細胞間脂質」も失われてしまうということも意味します。
さらに、肌の水分保持にはNMF (ナチュラルモイスチャリングファクター) という水溶性物質の天然保湿因子が関係しています。これは、「肌表面に存在する、水に馴染むことができる箱」とでもいいましょうか。
この水溶性物質は、 40%が遊離アミノ酸、そして、ピロリドンカルボン酸(PCA)、乳酸ナトリウム、尿素、ミネラル類、糖・有機酸などで構成されています。これらの成分は水分と結合して、結合水の形で吸着させ維持し、保湿性を発揮しているのです。つまり、これは肌の柔軟性にも関わっています。死んで機能していないケラチンの塊は、また水が結合すればクタッとしなっとなるのはイメージつくでしょうか?
皮膚の健やかさを語るときに大切なのは、その水と脂のバランスです。この角質層における、水だけを保持する力や、脂を分泌し水と脂を一緒に保持する力、またこの脂の種類がなんなのかに至るまで、繋げてお手入れに生かす必要があります。
角質層が適度な厚みに保たれているのも、理由があります。必要ではない分が自然にはがれるようになっているのです。脂やタンパク質を分解する酵素がそのときの必要量が分泌され、ビタミンA なども、この辺の角質層の剥離に必要なときに必要なだけが出されて使われ、死んだ角層は垢としてはがれていくのです。
肌の健康に必要な分の角質層は保たれるように仕組まれているのに、多くのひとは、水と脂のバランスをたもち防御する皮膚バリアを台なしにする、合成界面活性剤入りの化粧品やクリーム、軟膏などを利用して、皮膚の健康を保とうとします。
そしてもうひとつ。水と脂のバランスには、共生している肌の微生物たちとの連携プレーが大事です。
体が外界と接しているのは皮膚だけでなく、口のなかから、お尻の穴までの粘膜も同様。
ちくわで例えれば、外側のシワシワしたとこ(皮膚)と、内側のつるっとしたとこ(粘膜)の性質は、同じであるということ。
・ 皮膚も粘膜も溶かさない(穴をあけない、傷を付けない)
・ 外敵からまもるためにpH値を一定に保つ
・ 微生物の力も借りて、その場を強化し敵とも戦う
・ 必要なもの以外、通さない。
以前、『あなたの体は9割が最近〜微生物の生態系が崩れはじめた〜』矢野真千子 訳 河出書房新社を読んだときこんなことが書かれていた。
ヒトマイクロバイオータは指紋のように各人で少しずつ異なり、まったく同一の微生物を持つ人間は二人といないそうだ。とはいえ、もちろんそれは細かく見れば違うということに過ぎず、大ざっぱに見ればヒトに宿る微生物は似たようなものらしい。
例えば。
顔や背中では、毛穴から出る脂を餌にするプロピオニバクテリウム属の細菌が、ひじや前腕では、もう少し多様なグループの微生物が共生している。へそ、脇の下、股の下など湿気の多い場所は、高い湿度を好み、汗に含まれる窒素を餌とするコリネバクテリウム属とブドウ球菌属の細菌の棲みかとなっているとのこと。
そして重要なのは、微生物がつくる「第二の皮膚」は、本来の皮膚細胞に寄る防御を強化して、人体内部を二重に守っているという事実である。
(※注 微生物の集合を遺伝子の観点から表す場合をマイクロバイオーム、個体の観点から表す場合をマイクロバイオータという。)
肌に限らず、身体中に常在する微生物は身体にとってバリアであるのだが、それを化粧品で壊すことも、いちいち消毒薬で手を消毒することも、せっかくのバリア、つまり常在細菌叢を破壊し、むしろ他の病原菌を蔓延らせることに他ならない。
過度な石鹸による手洗いだって同じ。
「清潔」とは、ときに身体の細菌叢にとっては迷惑な概念、行動ではないだろうか。
体の70%は水、この水分量が保たれているのは、皮膚があるからであり、私たちは干涸びることなく乾燥した陸上でも生活ができるということです。
皮膚は不要な分や必要に応じて慎重に体外に水を排出もしますが、水分を取り込むことはありません。
こうした『排泄』や『分泌』の作用では、汗をかいたり、皮脂を分泌させたり、吹き出物や皮膚の炎症症状によっては、滲出液といった液体のかたちで体外に出されます。この『排泄』と『分泌』も皮膚の重要な機能です。
このように肌のことについてお話ししてくださったのは、統合医療啓蒙家。NPO法人ホリスティック療法協会代表理事であり、NPO法人ホリスティックビューティ協会特別顧問のアレクサンダー陽子さん。
彼女がそもそも肌のことに興味を持ったきっかけは、4歳から仲の良かった幼なじみが皮膚のトラブルで病院通いをはじめ、10歳になっても、まだ完治していない“アトピー皮膚炎”と診断された皮膚疾患に疑問をもち、肌とは何か、薬とは何か、症状とは何かを追求しはじめたことに寄ります。
その10歳のときに知った、故祖父(医師、中医師)の患者さんへの片栗粉の処方(プラセボ)を知ったことが、症状の治癒に必要なもの、必要でないもの、また足を引っぱるものについて考えるきっかけだったとか。
同時に、経済やお金の循環のからくりや、会社と政府の癒着、世の中で起こるさまざまな出来事についての関係性を知り、幻滅しました。自分の体は自分にしか守れないのだと悟り、特別なことをするのではなく、ただ毎日を重ねる中で健康を維持し続けるのはどうしたらいいのかと、模索されたのだそうです。
さて『健やかな肌を保つにはどうしたらいいのか?』
肌はその健やかさを奪われるまでは、意外とそのお手入れ法に疑問もいだかないほど放置されてしまう臓器でもあります。そう、肌は臓器なのです。
それではまず初めによく耳にする角質について。この角質層は、皮膚の表皮細胞たちが死んでしまった屍集団で、だいたい10〜20層ほどの角質細胞が重なってできています。そして、この角質細胞たちが「細胞間脂質」をはさんで重なりあい、この細胞間脂質の存在が、肌を守るバリア機能がうまく働くために重要なのです。角質層が薄くなるということは、このバリア機能に大切な「細胞間脂質」も失われてしまうということも意味します。
さらに、肌の水分保持にはNMF (ナチュラルモイスチャリングファクター) という水溶性物質の天然保湿因子が関係しています。これは、「肌表面に存在する、水に馴染むことができる箱」とでもいいましょうか。
この水溶性物質は、 40%が遊離アミノ酸、そして、ピロリドンカルボン酸(PCA)、乳酸ナトリウム、尿素、ミネラル類、糖・有機酸などで構成されています。これらの成分は水分と結合して、結合水の形で吸着させ維持し、保湿性を発揮しているのです。つまり、これは肌の柔軟性にも関わっています。死んで機能していないケラチンの塊は、また水が結合すればクタッとしなっとなるのはイメージつくでしょうか?
皮膚の健やかさを語るときに大切なのは、その水と脂のバランスです。この角質層における、水だけを保持する力や、脂を分泌し水と脂を一緒に保持する力、またこの脂の種類がなんなのかに至るまで、繋げてお手入れに生かす必要があります。
角質層が適度な厚みに保たれているのも、理由があります。必要ではない分が自然にはがれるようになっているのです。脂やタンパク質を分解する酵素がそのときの必要量が分泌され、ビタミンA なども、この辺の角質層の剥離に必要なときに必要なだけが出されて使われ、死んだ角層は垢としてはがれていくのです。
肌の健康に必要な分の角質層は保たれるように仕組まれているのに、多くのひとは、水と脂のバランスをたもち防御する皮膚バリアを台なしにする、合成界面活性剤入りの化粧品やクリーム、軟膏などを利用して、皮膚の健康を保とうとします。
そしてもうひとつ。水と脂のバランスには、共生している肌の微生物たちとの連携プレーが大事です。
体が外界と接しているのは皮膚だけでなく、口のなかから、お尻の穴までの粘膜も同様。
ちくわで例えれば、外側のシワシワしたとこ(皮膚)と、内側のつるっとしたとこ(粘膜)の性質は、同じであるということ。
・ 皮膚も粘膜も溶かさない(穴をあけない、傷を付けない)
・ 外敵からまもるためにpH値を一定に保つ
・ 微生物の力も借りて、その場を強化し敵とも戦う
・ 必要なもの以外、通さない。
以前、『あなたの体は9割が最近〜微生物の生態系が崩れはじめた〜』矢野真千子 訳 河出書房新社を読んだときこんなことが書かれていた。
ヒトマイクロバイオータは指紋のように各人で少しずつ異なり、まったく同一の微生物を持つ人間は二人といないそうだ。とはいえ、もちろんそれは細かく見れば違うということに過ぎず、大ざっぱに見ればヒトに宿る微生物は似たようなものらしい。
例えば。
顔や背中では、毛穴から出る脂を餌にするプロピオニバクテリウム属の細菌が、ひじや前腕では、もう少し多様なグループの微生物が共生している。へそ、脇の下、股の下など湿気の多い場所は、高い湿度を好み、汗に含まれる窒素を餌とするコリネバクテリウム属とブドウ球菌属の細菌の棲みかとなっているとのこと。
そして重要なのは、微生物がつくる「第二の皮膚」は、本来の皮膚細胞に寄る防御を強化して、人体内部を二重に守っているという事実である。
(※注 微生物の集合を遺伝子の観点から表す場合をマイクロバイオーム、個体の観点から表す場合をマイクロバイオータという。)
肌に限らず、身体中に常在する微生物は身体にとってバリアであるのだが、それを化粧品で壊すことも、いちいち消毒薬で手を消毒することも、せっかくのバリア、つまり常在細菌叢を破壊し、むしろ他の病原菌を蔓延らせることに他ならない。
過度な石鹸による手洗いだって同じ。
「清潔」とは、ときに身体の細菌叢にとっては迷惑な概念、行動ではないだろうか。
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2020年11月21日
釜石の奇跡〜鵜住居小学校と釜石東小学校、あの日あのときの記録。
釜石の奇跡〜鵜住居小学校と釜石東小学校、あの日あのときの記録。
もう、あれから9年。(2019年1月現在)
今年の3月11日で9年目を迎えることとなった2011年の東北関東・東日本大震災。
『巨大地震 巨大津波―東日本大震災の検証―』平田直・佐竹健治・目黒公郎・畑村洋太郎 著にこんなことがかかれてあった。
岩手県釜石市:これが後に‘釜石の奇跡’と呼ばれるようになった事実である。
海岸から約1kmの位置にある鵜住居小学校(児童数361名)では、地震直後に児童は校舎の3階に集まろうとした。小学校の建物自体に被害が特に発生していなかったこと、また小学校の位置が明治と昭和の津波でいずれも被害がなかった場所で浸水想定区域外であったことによる。しかし、児童が3階に集まり始めた頃、隣接する釜石東中(生徒数222名)では生徒は校庭に駆け出していた。同中学と鵜住居小学校は日頃から訓練を合同で実施していたことから、中学生の行動を見た児童たちは自らの判断で校庭に駆け出した。児童・生徒ら約600人は、500m後方にある高台の指定避難所であったグループホームまで避難した。しかしここで裏側の崖が崩れるのを目撃する。危険を感じて児童・生徒はさらに500m先の高台にある介護福祉施設を目指した。背後から聞こえる轟音と防波堤にぶつかる白い波しぶきを見た児童・生徒は、介護福祉施設からさらに高台へ駆けた。津波は介護福祉施設の100m手前で止まった。小中学校はもちろん、グループホームも津波にのまれた。
児童・生徒は全員無事であった(当日欠席していた3名が犠牲となった)。
これを成し遂げたのは、≪群馬大学の片田敏孝教授の津波防災教育による成果≫だという。
避難3原則:@想定にとらわれない、A状況下において最善をつくす、B率先避難者になる
小学生が校舎3階から校庭に駆け出して高台に向かったこと、中学生が率先避難者になったことなどはすべて「避難3原則」にあてはまる。
実は最近、この‘釜石の奇跡’の、当時の中学生にお会いしてお話を聴く機会を得た。
先日、1月27日に岩手県の主催で「いわて三陸復興フォーラム」というものが開催された。今回は釜石市での開催だった。そのときの話である。
復興の現場見学で訪れた「うのすまい・トマス」の‘いのちをつなぐ未来館〜Tsunami Memorial Hall〜’で、語り部をしてくれた若い女の子が、釜石の奇跡の当事者だった。
その日、実は「運命」が彼女たち中学生を救った。
釜石市立釜石東中学校3年生だった彼女たちは、もうあと2日を残して卒業という日だった。あの時間、通常だったら皆帰宅していたはずの時間だったと彼女は言った。
「あの日、ミラクルで先生に怒られて30分学校にいた」と。
怒られてふてくされた感じで学校内に皆まだいた。そのとき、揺れが襲ってきた。ものすごい横揺れで、「絶対津波が来る!」と確信したと彼女は言った。揺れがすごくて彼女とその場にいた数人の生徒は動けなかった。他の子たちが点呼の場所に走って集まっていくのが見えた。最後にその場に辿り着いたとき、先生が叫んだ。
「点呼とってる場合じゃない。走れ!」
そのとき、まだ小学生たちは逃げていなかった。そこへ消防団の方がやって来て、逃げろ、と小学生を誘導してくれた。そして、最初に辿り着いた「ございしょの里」で小学生と中学生は合流した。そこから「やまざきデイサービス」へ向かって、中学生と小学生が手を繋いで一緒に逃げた。
彼女はそのとき思ったそうだ。手を繋いだ小学生の命への責任を。もし、今津波が襲ってきたら自分はこの手を放すべきなのかそれとも一緒に走って逃げるべきなのか、と。
ようやく標高15メートルの「やまざきデイサービス」に辿り着いて振り返ったとき、すでに波が迫っていた。海が山の高さと同じだった、と。そのとき恐怖でパニックになった子ども達。今来た道に引き返そうとする子がいたり、泣き叫ぶ子もいた、と。
それから標高44メートルの恋の峠まで逃げ切った彼女たち。
避難所で一夜を明かしたとき、1日目は「屋内にいられるだけでラッキー」だと思っていたそうだ。つまり、外はものすごく寒かったということだろう。しかし、そのとき彼らは情報から遮断されていた。「ここにいて安全なのか?」「移動した方が良いのか?」
2日目。3月12日。一夜明けて明るくなったらそこにいた皆それだけで元気になった。押し黙っていた人たちが一斉に話し始めたのだそうだ。知り合いの安否や物資は届くんだろうか、等。そして、周囲を見て、「これじゃ自衛隊も来られない」と残っていた重機を操作してガレキを避けたりと作業を始める人もいた。
3日目。3月12日。自衛隊が入り、物資も届き始めた。
奇跡というけれど、と最後に彼女は言った。先生が逃げろと言ってくれたから、小学生に消防団の方が避難を誘導してくれたから、そして、恋の峠からダンプカーの運転手さんが避難所まで乗せてくれたから、私たちは今もうやって生きている、と。だから地域の皆さんが助けてくれた命なのだ、と。
最後に彼女はこう言った。「地域の子とも達に声を掛けてあげて欲しい」と。
一生懸命説明してくれた彼女の真摯な表情と、綺麗な笑顔と、まっすぐで清らかな姿勢がいつまでも心に残り、あの「釜石の奇跡」の子どもの生の声を聞いて、心が震えた。
最後に、「あの、30分先生に怒られたって言ってましたよね?」と聞いたら。
なんでだったかな、確か、卒業式の後でお母さん達にありがとうをする企画のようなものがあって、合唱も練習してなくて、それを怒られていたと思います。合唱の練習もやったので、30分くらい掛かってしまって、と。
その30分がなければ帰ってたかも知れないんですね、と聞くと「帰ってました」と即答。そして、親が迎えに来て帰った子だけが亡くなったという現実を知っている。そのとき、すべての生徒を学校に残した奇跡がすでにそのとき起こっていたのだ。
偶然が、という表現をそのときしてしまったけど、急いでいて言葉を選ぶ暇がなかったからだったんだけど、違う。偶然なんかじゃない。運命だったのだ。
実は、胸がいっぱいになっていたことと、移動時間が迫っていたこととでしっかり言葉に出来なかったことがある。そう、彼女に対して。
「中学生であの震災を体験し、生き延びて、つらい思い出をたくさん抱えたままで毎日を生きて、あなたは今ここにいる。それでも、そうやって笑顔で接客をしながら、この施設を訪れるたくさんの人の相手をしながら、時間で癒されながらも、当時のことを繰り返し繰り返し話し続けることで、それを心に刻み続けている現実。その緩やかで残酷な時間の流れの中、あなたがこうやってにこにこと楽しそうに生きていることが、どんなに辛いことがあってもそれを思い出に変えながらしっかり仕事をしている姿を見られたことが本当に嬉しかった。ありがとう。心からありがとう。素敵な笑顔に出会えた奇跡に心から感謝します」。
最後に当時の資料を読み返して、感極まった記述があったので記して終わります。
平成23年4月21日『首都圏で、ゴールデンウィークの被災地での泥だしや、家屋の掃除などの力仕事のボランティアを200名募集したら、募集開始から10分で、600名の応募があり、早々に応募を締め切ったそうだ。』
もう、あれから9年。(2019年1月現在)
今年の3月11日で9年目を迎えることとなった2011年の東北関東・東日本大震災。
『巨大地震 巨大津波―東日本大震災の検証―』平田直・佐竹健治・目黒公郎・畑村洋太郎 著にこんなことがかかれてあった。
岩手県釜石市:これが後に‘釜石の奇跡’と呼ばれるようになった事実である。
海岸から約1kmの位置にある鵜住居小学校(児童数361名)では、地震直後に児童は校舎の3階に集まろうとした。小学校の建物自体に被害が特に発生していなかったこと、また小学校の位置が明治と昭和の津波でいずれも被害がなかった場所で浸水想定区域外であったことによる。しかし、児童が3階に集まり始めた頃、隣接する釜石東中(生徒数222名)では生徒は校庭に駆け出していた。同中学と鵜住居小学校は日頃から訓練を合同で実施していたことから、中学生の行動を見た児童たちは自らの判断で校庭に駆け出した。児童・生徒ら約600人は、500m後方にある高台の指定避難所であったグループホームまで避難した。しかしここで裏側の崖が崩れるのを目撃する。危険を感じて児童・生徒はさらに500m先の高台にある介護福祉施設を目指した。背後から聞こえる轟音と防波堤にぶつかる白い波しぶきを見た児童・生徒は、介護福祉施設からさらに高台へ駆けた。津波は介護福祉施設の100m手前で止まった。小中学校はもちろん、グループホームも津波にのまれた。
児童・生徒は全員無事であった(当日欠席していた3名が犠牲となった)。
これを成し遂げたのは、≪群馬大学の片田敏孝教授の津波防災教育による成果≫だという。
避難3原則:@想定にとらわれない、A状況下において最善をつくす、B率先避難者になる
小学生が校舎3階から校庭に駆け出して高台に向かったこと、中学生が率先避難者になったことなどはすべて「避難3原則」にあてはまる。
実は最近、この‘釜石の奇跡’の、当時の中学生にお会いしてお話を聴く機会を得た。
先日、1月27日に岩手県の主催で「いわて三陸復興フォーラム」というものが開催された。今回は釜石市での開催だった。そのときの話である。
復興の現場見学で訪れた「うのすまい・トマス」の‘いのちをつなぐ未来館〜Tsunami Memorial Hall〜’で、語り部をしてくれた若い女の子が、釜石の奇跡の当事者だった。
その日、実は「運命」が彼女たち中学生を救った。
釜石市立釜石東中学校3年生だった彼女たちは、もうあと2日を残して卒業という日だった。あの時間、通常だったら皆帰宅していたはずの時間だったと彼女は言った。
「あの日、ミラクルで先生に怒られて30分学校にいた」と。
怒られてふてくされた感じで学校内に皆まだいた。そのとき、揺れが襲ってきた。ものすごい横揺れで、「絶対津波が来る!」と確信したと彼女は言った。揺れがすごくて彼女とその場にいた数人の生徒は動けなかった。他の子たちが点呼の場所に走って集まっていくのが見えた。最後にその場に辿り着いたとき、先生が叫んだ。
「点呼とってる場合じゃない。走れ!」
そのとき、まだ小学生たちは逃げていなかった。そこへ消防団の方がやって来て、逃げろ、と小学生を誘導してくれた。そして、最初に辿り着いた「ございしょの里」で小学生と中学生は合流した。そこから「やまざきデイサービス」へ向かって、中学生と小学生が手を繋いで一緒に逃げた。
彼女はそのとき思ったそうだ。手を繋いだ小学生の命への責任を。もし、今津波が襲ってきたら自分はこの手を放すべきなのかそれとも一緒に走って逃げるべきなのか、と。
ようやく標高15メートルの「やまざきデイサービス」に辿り着いて振り返ったとき、すでに波が迫っていた。海が山の高さと同じだった、と。そのとき恐怖でパニックになった子ども達。今来た道に引き返そうとする子がいたり、泣き叫ぶ子もいた、と。
それから標高44メートルの恋の峠まで逃げ切った彼女たち。
避難所で一夜を明かしたとき、1日目は「屋内にいられるだけでラッキー」だと思っていたそうだ。つまり、外はものすごく寒かったということだろう。しかし、そのとき彼らは情報から遮断されていた。「ここにいて安全なのか?」「移動した方が良いのか?」
2日目。3月12日。一夜明けて明るくなったらそこにいた皆それだけで元気になった。押し黙っていた人たちが一斉に話し始めたのだそうだ。知り合いの安否や物資は届くんだろうか、等。そして、周囲を見て、「これじゃ自衛隊も来られない」と残っていた重機を操作してガレキを避けたりと作業を始める人もいた。
3日目。3月12日。自衛隊が入り、物資も届き始めた。
奇跡というけれど、と最後に彼女は言った。先生が逃げろと言ってくれたから、小学生に消防団の方が避難を誘導してくれたから、そして、恋の峠からダンプカーの運転手さんが避難所まで乗せてくれたから、私たちは今もうやって生きている、と。だから地域の皆さんが助けてくれた命なのだ、と。
最後に彼女はこう言った。「地域の子とも達に声を掛けてあげて欲しい」と。
一生懸命説明してくれた彼女の真摯な表情と、綺麗な笑顔と、まっすぐで清らかな姿勢がいつまでも心に残り、あの「釜石の奇跡」の子どもの生の声を聞いて、心が震えた。
最後に、「あの、30分先生に怒られたって言ってましたよね?」と聞いたら。
なんでだったかな、確か、卒業式の後でお母さん達にありがとうをする企画のようなものがあって、合唱も練習してなくて、それを怒られていたと思います。合唱の練習もやったので、30分くらい掛かってしまって、と。
その30分がなければ帰ってたかも知れないんですね、と聞くと「帰ってました」と即答。そして、親が迎えに来て帰った子だけが亡くなったという現実を知っている。そのとき、すべての生徒を学校に残した奇跡がすでにそのとき起こっていたのだ。
偶然が、という表現をそのときしてしまったけど、急いでいて言葉を選ぶ暇がなかったからだったんだけど、違う。偶然なんかじゃない。運命だったのだ。
実は、胸がいっぱいになっていたことと、移動時間が迫っていたこととでしっかり言葉に出来なかったことがある。そう、彼女に対して。
「中学生であの震災を体験し、生き延びて、つらい思い出をたくさん抱えたままで毎日を生きて、あなたは今ここにいる。それでも、そうやって笑顔で接客をしながら、この施設を訪れるたくさんの人の相手をしながら、時間で癒されながらも、当時のことを繰り返し繰り返し話し続けることで、それを心に刻み続けている現実。その緩やかで残酷な時間の流れの中、あなたがこうやってにこにこと楽しそうに生きていることが、どんなに辛いことがあってもそれを思い出に変えながらしっかり仕事をしている姿を見られたことが本当に嬉しかった。ありがとう。心からありがとう。素敵な笑顔に出会えた奇跡に心から感謝します」。
最後に当時の資料を読み返して、感極まった記述があったので記して終わります。
平成23年4月21日『首都圏で、ゴールデンウィークの被災地での泥だしや、家屋の掃除などの力仕事のボランティアを200名募集したら、募集開始から10分で、600名の応募があり、早々に応募を締め切ったそうだ。』
2020年11月20日
日本の未来を担う児童を取り巻く問題。虐待、児童相談所、拉致、精神薬。
日本の未来を担う児童を取り巻く問題。虐待、児童相談所、拉致、精神薬。
胎内記憶を持つ子ども達は、皆、お母さんを幸せにしたいから、地球を救いたいから、愛が溢れる家庭だから、選んで生まれてきたのだと言います。
ただ、これは記憶を持って生まれた子ども達の証言なので、胎内記憶のない子ども達が、そもそも何故記憶を失って生まれてきているのかは分かりません。この地球上に生まれたくなかったのに、何かどうしてもそこへ行かなければなからなかった辛い理由があった子もいたのかも知れません。誰か(ご先祖さまや前世の自分)に寄ってその人生を選択せざるを得なかった子もいたのかも知れません。
それでも、どんな子も、誰でもみな、神仏の赦しを得て今ここに生きている。持ってきた課題を成し遂げるために。
そんな愛しき子ども達。
未来を生きる子ども達。
内海聡医師の著書「児童相談所の怖い話〜あなたの子供を狩りにくる」にありますが、今、子ども達を取り巻く行政がおかしなことになっているようです。
何故か。
お金の問題です。
「児童虐待の防止等に関する法律(児虐法)」はまったく法律としてはめちゃくちゃであり、一番は児童相談所の予算が出来高払いのため、予算確保が必要だから。
一時保護で1人約35〜40万円の予算が出るそうだ。
つまり、児童相談所は保護児童がいなければ予算を確保出来ない。そこにまずびっくり仰天した。
内海氏は語ります。
児童相談所があるからこそ本当の虐待死も防げない仕組みになっています。
この原因としてはいくつかあります。
簡単に列挙しますと
1.児童相談所の行う「虐待判定」というもののしっかりとした根拠が示されない。
2.判定を行うに当たって、子どもを密室の中に連れていき、密室の中で行われる。
3.児童相談所の権限が強いため、この法律に書かれた手順やシステムを無視している。
4.虐待事実がなかったことが判明しても、引き離した児童相談所の責任は一切問われないシステムになっている。
隠蔽、書類の改竄、脅迫は当たり前になっている。
そして特に問題なのが3.であり、子どもを親から守るという建前で、完全に親と子供を引き離し一切連絡を取ることが出来ないようにします。これを一時保護といいますが我々は児童拉致と呼んでいます。そしてどんな親も逆らうことが出来ないのです。
なかなかピンとこないかも知れませんし、子育て世代ではない方、しっかり子育てをしていると思っておられ、実際にちゃんとした子育てをなさっている親御さん達には「関係ない」ことだとお考えかと思われます。
しかし、内海氏はおっしゃいます。「私の講演を聞いていろんな問題意識を持った人の家族こそが、やられやすくなっているのです。一生懸命子育てすればするほど虐待になるのです。」
何故なら。
1.歯医者に連れて行ってフッ素を塗らないと言ったら虐待で拉致されます。
2.母親が子どもにワクチンを打たないと言ったら虐待で拉致されます。
3.母乳育児で頑張り牛乳を飲ませなかったら虐待で拉致されます。
4.子どもが癌になり抗ガン剤を使わないで代替療法を選んだら虐待で拉致されます。
5.親が離婚して子育てが苦手で服が汚かったら虐待で拉致されます。
6.手をつないで歩いていて転んで骨が折れていたら虐待で拉致されます。
7.離婚した片方の親が児童相談所に捏造告げ口しただけで虐待で拉致されます。
8.ジジババが母親と折り合いの悪い時に捏造告げ口したら虐待で拉致されます。
9.脳出血の病気があったら赤ちゃんは親が脳障害を与えたとして虐待で拉致されます。
10.子どもの体が小さい=栄養を与えてないとして虐待で拉致されます。
11.赤ちゃんが入院して院内感染を指摘したら逆に虐待で拉致されます。
12. 3.11以降、骨の病気になってきたら栄養を与えてないからと虐待で拉致されます(ストロンチウムのせいでしょうが)。
13.風邪薬を与えないのは子どもを苦しめているとして虐待で拉致されます。
14.なにかカルトといわれるものに手を出していたら虐待で拉致されます。(子どもはなにも嫌がってないし実被害もないのに)
15.児童相談所経由で児童養護施設で精神薬の薬漬けになっている子がたくさんいるが、もちろんすべてこの薬物投与は虐待ではありません(親の同意は不要です)。もちろん薬のせいで暴れたりするが養護施設で殴られたり押さえつけられても、もちろんすべて虐待ではありません。
ようやく恐ろしさが現実感を持って迫ってきます。
子どもに精神薬を与えることをそもそも疑問に思います。しかし、佐藤光展医師の著書『精神医療ダークサイド』にも、入所して不安な子どもに、大人しくさせるために精神薬を与えて事実が書かれておりました。
日本では現在虐待が増えているといわれていますが、これは数字のトリックを使った大嘘だと内海氏はおっしゃいます。実際に増えているのは通報件数でありその通報には妥当性や根拠などほとんど含まれていないのだと。
かわりに横ばいとなっているのは児童虐待による死亡者数ですが、これは児童虐待の広がりを示す信頼できる客観的な数字の一つです。それが、増えてもいないし減ってもいないのは、児童相談所が有効な手立てを何も打っておらず、真に虐待するような親たちを防げていない証である、と。
(どこか、今の状況に似てますね。マスクをしてもPCR検査陽性者数がどんどん増えているという現状と。)
同じ札束40万円、虐待でもないまじめな親たちを虐待扱いしたほうが楽でよいのです。
本当に虐待しているような親たちはチーマーやヤクザまがいのようなもの、相手するだけで面倒でありど素人の児童相談所職員が相手できるはずもありません。
乱暴ですが、なるほど、と思えます。その通りです。もしも、一時保護の予算が欲しいのであれば、そして、働いているのがサラリーマン気分の公務員であれば、頷けなくもありません。
子どもが大好きで、ほんとうに子どものことを思って働いている職員さんも全国にはいらっしゃることと思います。しかし、子どもの拉致、精神薬漬けが一件でも事実であるなら、それは決して許されることではありません。
胎内記憶を持つ子ども達は、皆、お母さんを幸せにしたいから、地球を救いたいから、愛が溢れる家庭だから、選んで生まれてきたのだと言います。
ただ、これは記憶を持って生まれた子ども達の証言なので、胎内記憶のない子ども達が、そもそも何故記憶を失って生まれてきているのかは分かりません。この地球上に生まれたくなかったのに、何かどうしてもそこへ行かなければなからなかった辛い理由があった子もいたのかも知れません。誰か(ご先祖さまや前世の自分)に寄ってその人生を選択せざるを得なかった子もいたのかも知れません。
それでも、どんな子も、誰でもみな、神仏の赦しを得て今ここに生きている。持ってきた課題を成し遂げるために。
そんな愛しき子ども達。
未来を生きる子ども達。
内海聡医師の著書「児童相談所の怖い話〜あなたの子供を狩りにくる」にありますが、今、子ども達を取り巻く行政がおかしなことになっているようです。
何故か。
お金の問題です。
「児童虐待の防止等に関する法律(児虐法)」はまったく法律としてはめちゃくちゃであり、一番は児童相談所の予算が出来高払いのため、予算確保が必要だから。
一時保護で1人約35〜40万円の予算が出るそうだ。
つまり、児童相談所は保護児童がいなければ予算を確保出来ない。そこにまずびっくり仰天した。
内海氏は語ります。
児童相談所があるからこそ本当の虐待死も防げない仕組みになっています。
この原因としてはいくつかあります。
簡単に列挙しますと
1.児童相談所の行う「虐待判定」というもののしっかりとした根拠が示されない。
2.判定を行うに当たって、子どもを密室の中に連れていき、密室の中で行われる。
3.児童相談所の権限が強いため、この法律に書かれた手順やシステムを無視している。
4.虐待事実がなかったことが判明しても、引き離した児童相談所の責任は一切問われないシステムになっている。
隠蔽、書類の改竄、脅迫は当たり前になっている。
そして特に問題なのが3.であり、子どもを親から守るという建前で、完全に親と子供を引き離し一切連絡を取ることが出来ないようにします。これを一時保護といいますが我々は児童拉致と呼んでいます。そしてどんな親も逆らうことが出来ないのです。
なかなかピンとこないかも知れませんし、子育て世代ではない方、しっかり子育てをしていると思っておられ、実際にちゃんとした子育てをなさっている親御さん達には「関係ない」ことだとお考えかと思われます。
しかし、内海氏はおっしゃいます。「私の講演を聞いていろんな問題意識を持った人の家族こそが、やられやすくなっているのです。一生懸命子育てすればするほど虐待になるのです。」
何故なら。
1.歯医者に連れて行ってフッ素を塗らないと言ったら虐待で拉致されます。
2.母親が子どもにワクチンを打たないと言ったら虐待で拉致されます。
3.母乳育児で頑張り牛乳を飲ませなかったら虐待で拉致されます。
4.子どもが癌になり抗ガン剤を使わないで代替療法を選んだら虐待で拉致されます。
5.親が離婚して子育てが苦手で服が汚かったら虐待で拉致されます。
6.手をつないで歩いていて転んで骨が折れていたら虐待で拉致されます。
7.離婚した片方の親が児童相談所に捏造告げ口しただけで虐待で拉致されます。
8.ジジババが母親と折り合いの悪い時に捏造告げ口したら虐待で拉致されます。
9.脳出血の病気があったら赤ちゃんは親が脳障害を与えたとして虐待で拉致されます。
10.子どもの体が小さい=栄養を与えてないとして虐待で拉致されます。
11.赤ちゃんが入院して院内感染を指摘したら逆に虐待で拉致されます。
12. 3.11以降、骨の病気になってきたら栄養を与えてないからと虐待で拉致されます(ストロンチウムのせいでしょうが)。
13.風邪薬を与えないのは子どもを苦しめているとして虐待で拉致されます。
14.なにかカルトといわれるものに手を出していたら虐待で拉致されます。(子どもはなにも嫌がってないし実被害もないのに)
15.児童相談所経由で児童養護施設で精神薬の薬漬けになっている子がたくさんいるが、もちろんすべてこの薬物投与は虐待ではありません(親の同意は不要です)。もちろん薬のせいで暴れたりするが養護施設で殴られたり押さえつけられても、もちろんすべて虐待ではありません。
ようやく恐ろしさが現実感を持って迫ってきます。
子どもに精神薬を与えることをそもそも疑問に思います。しかし、佐藤光展医師の著書『精神医療ダークサイド』にも、入所して不安な子どもに、大人しくさせるために精神薬を与えて事実が書かれておりました。
日本では現在虐待が増えているといわれていますが、これは数字のトリックを使った大嘘だと内海氏はおっしゃいます。実際に増えているのは通報件数でありその通報には妥当性や根拠などほとんど含まれていないのだと。
かわりに横ばいとなっているのは児童虐待による死亡者数ですが、これは児童虐待の広がりを示す信頼できる客観的な数字の一つです。それが、増えてもいないし減ってもいないのは、児童相談所が有効な手立てを何も打っておらず、真に虐待するような親たちを防げていない証である、と。
(どこか、今の状況に似てますね。マスクをしてもPCR検査陽性者数がどんどん増えているという現状と。)
同じ札束40万円、虐待でもないまじめな親たちを虐待扱いしたほうが楽でよいのです。
本当に虐待しているような親たちはチーマーやヤクザまがいのようなもの、相手するだけで面倒でありど素人の児童相談所職員が相手できるはずもありません。
乱暴ですが、なるほど、と思えます。その通りです。もしも、一時保護の予算が欲しいのであれば、そして、働いているのがサラリーマン気分の公務員であれば、頷けなくもありません。
子どもが大好きで、ほんとうに子どものことを思って働いている職員さんも全国にはいらっしゃることと思います。しかし、子どもの拉致、精神薬漬けが一件でも事実であるなら、それは決して許されることではありません。
2020年11月19日
ソウルコーチング 〜あなたは本来の道を歩んでいますか?〜
ソウルコーチング 〜あなたは本来の道を歩んでいますか?〜
トウリーディングとは、足指が示す人生の歴史、無意識下に閉じ込められて無かったことにされた記憶に光をあて、その闇を解放・浄化して本来の自分を取り戻し、この世に生まれてきた使命を心地良く果たしていくための手法である。
これは、ある意味「個人の感想です」に過ぎない内容になるが、現段階で学んだこと、受け取ったことをお伝えしてみたいと思う。
病気という言葉は英語ではdiseaseとなる。これは、「dis=離れる」と「ease=心地良い状態」という二つに分けられます。つまり、病は「心地良い状態から離れてますよ」という意味であり、症状は身体本体へのメッセージです。
病気になったから心地良い状態から離れたのではなく、心地良い状態から離れているから病気になったということです。
マザー・テレサの言葉と言われている「愛の反対語は無関心」というものは、自分に対しても同じです。
今、病気に侵されている自分、それは「生かされているから大丈夫」。では、いったい誰を救ってあげれば良いのか?
おおまかに言えば、
右足は「男性性」「未来」「外面」「他者」「この世的な懸念」
左足は「女性性」「過去」「内面」「自己」「スピリット・神」
そして、親指から小指に至るまで、それぞれに人生の年齢や身体の臓器、チャクラと関連があり、それを言葉を通して、救ってあげるべき過去の記憶に光を当てていく。周囲の言動で傷ついた小さい子、周りの諍いを治めるために犠牲になった健気な子、家族の都合で振り回されて行き場のなかった迷い子、自分が悪いと思い込んでいたpureな子、その子たちが必死に訴えていることが足指に表れている、ということ。
○○、だから△△
ではなく、
○○、そして△△
つまり、過去にこんな酷いことがあった、こんなに悲しいことがあった、だから今がこうなっている、ではなく。過去に起こったことは変えられない。だけど、それを踏まえて、そして、「過去をどのように書き換えますか?(あなたは、どうしたかったの?)」「これから、どのように未来を生きていきたいですか?」
しかし、その最初の○○を探りだすことがそもそも困難で、幾重にも封印して押しこめている記憶はなかなか白日のもとに姿を現わさない。
それを丁寧に聞いていく。
悟り=enlightenmentは、en=当てる。lightは光。誰かに言われて闇にしてしまっていた部分に光=言葉を当てることにより、その閉じ込められていた思いを解放し、浄化して天に放つ。解放出来ない限り、その子はいつまでも訴えてくる。ここにいるよ、見ない振りしないで、無かったことにしないで、と。
個人的なハナシ(個人の感想です)になるが、実は、今回受講したこのコース(2020年6月7月)のことが、その日にあったことすら忘れてしまうような現象が起こっていた。そのときの旅は深くて、周りが闇で、ほんとうに別世界に落ちていたのかも知れない。後日、少しずつ思い出して、今ではほぼ明確に思い出せるが、もしかしてその記憶は捏造かも知れない、などとちょっと思っている。
傷ついたあのときの小さい自分、自分を責めることで存在の許可を得ていた自分、自分の中心がしっかりしていないから、他人の腹時計(太陽)をお腹に置いて、つまり相手の立場に立とうとして空回りしていた自分、それはアイデンティティがしっかりしてなくて、右に左に振れて地に足がついてない、腹の据わっていない、不安定な状態だったことを暗示している。
埋もれていた過去の記憶を掘り起こしたとき、掛けてもらった言葉にハッとする。
あ、そういうことか。なんだ、そうだったのか。
するするする…っと、こんがらかっていた糸がほどけていき、複雑に絡み合っていた視界がどんどんクリアになっていった。
それでも、今回も帰りの夜行バスであまり眠れなくてヘロヘロになって駅に降り立ったときに起こったこと。
回顧と嫌悪、そして後悔。
いつも、どんな集まりであろうが、それが終わって家に帰る途中、帰ったあと、必ず後悔が襲ってくる。振り返ってみると、その場での自分の言動のすべてがイヤになり、過去をすべて消し去りたいと思ってしまう。
しかし、今回はそれに襲われたとき、「あ、いかんいかん」とその根底にある感情や何に対してそんなに嫌悪を抱くのかを掘り下げてみた。そしたら、「ああ、そうか」というものが浮かんで来た。
振り返って消してしまいたい記憶というのは、そのときの言動が「自分がしっかりと中心に」いないときに、勝手に誰かのためを思って動いてしまった上っ面の言葉であり、行為だったからだと思う。
相手じゃない。周囲じゃない。自分がそこにいないとダメなのだ。そりゃ、ほんとうに相手の気持ちなんて分からないし、例えシンクロしていたとしても相手にとっては有難迷惑だったり、本人の学びのために放っておくべきことだったという場合もある。
地に足が付いていない、というのがどういうことなのか、今までまったく分からなかった。
今まで地に足がついていなかったことが、今、ほんとうに分かった。
心の癖は怖いな、と改めて実感。
そして、思ったのです。
この闇を掘り起こす作業が個人レベルでどんどん進み、次第に周囲の人を巻き込み始めると、いつかシンクロニシティが起こり、一気に人類という闇に光が当たる日が来るかも知れない。そしたら、きっと地球は進化のステージをひとつ進めるのではないかと。
壮大だけど、始まりはやはり一歩からである。
革命を達成する人の原動力は私怨だったりする。
世界平和を漠然と願うより、目の前の泣いている子どもに手を差し伸べる。その繰り返しが大きな進化の潮流へと注がれるのではないだろうか。
「今までの自分はこうでした。そして、これからは、こうしていきたいと思います。」
「今までの世界はこうでした。そして、これからは、こんな世界にしていきたいと思います。」
トウリーディングとは、足指が示す人生の歴史、無意識下に閉じ込められて無かったことにされた記憶に光をあて、その闇を解放・浄化して本来の自分を取り戻し、この世に生まれてきた使命を心地良く果たしていくための手法である。
これは、ある意味「個人の感想です」に過ぎない内容になるが、現段階で学んだこと、受け取ったことをお伝えしてみたいと思う。
病気という言葉は英語ではdiseaseとなる。これは、「dis=離れる」と「ease=心地良い状態」という二つに分けられます。つまり、病は「心地良い状態から離れてますよ」という意味であり、症状は身体本体へのメッセージです。
病気になったから心地良い状態から離れたのではなく、心地良い状態から離れているから病気になったということです。
マザー・テレサの言葉と言われている「愛の反対語は無関心」というものは、自分に対しても同じです。
今、病気に侵されている自分、それは「生かされているから大丈夫」。では、いったい誰を救ってあげれば良いのか?
おおまかに言えば、
右足は「男性性」「未来」「外面」「他者」「この世的な懸念」
左足は「女性性」「過去」「内面」「自己」「スピリット・神」
そして、親指から小指に至るまで、それぞれに人生の年齢や身体の臓器、チャクラと関連があり、それを言葉を通して、救ってあげるべき過去の記憶に光を当てていく。周囲の言動で傷ついた小さい子、周りの諍いを治めるために犠牲になった健気な子、家族の都合で振り回されて行き場のなかった迷い子、自分が悪いと思い込んでいたpureな子、その子たちが必死に訴えていることが足指に表れている、ということ。
○○、だから△△
ではなく、
○○、そして△△
つまり、過去にこんな酷いことがあった、こんなに悲しいことがあった、だから今がこうなっている、ではなく。過去に起こったことは変えられない。だけど、それを踏まえて、そして、「過去をどのように書き換えますか?(あなたは、どうしたかったの?)」「これから、どのように未来を生きていきたいですか?」
しかし、その最初の○○を探りだすことがそもそも困難で、幾重にも封印して押しこめている記憶はなかなか白日のもとに姿を現わさない。
それを丁寧に聞いていく。
悟り=enlightenmentは、en=当てる。lightは光。誰かに言われて闇にしてしまっていた部分に光=言葉を当てることにより、その閉じ込められていた思いを解放し、浄化して天に放つ。解放出来ない限り、その子はいつまでも訴えてくる。ここにいるよ、見ない振りしないで、無かったことにしないで、と。
個人的なハナシ(個人の感想です)になるが、実は、今回受講したこのコース(2020年6月7月)のことが、その日にあったことすら忘れてしまうような現象が起こっていた。そのときの旅は深くて、周りが闇で、ほんとうに別世界に落ちていたのかも知れない。後日、少しずつ思い出して、今ではほぼ明確に思い出せるが、もしかしてその記憶は捏造かも知れない、などとちょっと思っている。
傷ついたあのときの小さい自分、自分を責めることで存在の許可を得ていた自分、自分の中心がしっかりしていないから、他人の腹時計(太陽)をお腹に置いて、つまり相手の立場に立とうとして空回りしていた自分、それはアイデンティティがしっかりしてなくて、右に左に振れて地に足がついてない、腹の据わっていない、不安定な状態だったことを暗示している。
埋もれていた過去の記憶を掘り起こしたとき、掛けてもらった言葉にハッとする。
あ、そういうことか。なんだ、そうだったのか。
するするする…っと、こんがらかっていた糸がほどけていき、複雑に絡み合っていた視界がどんどんクリアになっていった。
それでも、今回も帰りの夜行バスであまり眠れなくてヘロヘロになって駅に降り立ったときに起こったこと。
回顧と嫌悪、そして後悔。
いつも、どんな集まりであろうが、それが終わって家に帰る途中、帰ったあと、必ず後悔が襲ってくる。振り返ってみると、その場での自分の言動のすべてがイヤになり、過去をすべて消し去りたいと思ってしまう。
しかし、今回はそれに襲われたとき、「あ、いかんいかん」とその根底にある感情や何に対してそんなに嫌悪を抱くのかを掘り下げてみた。そしたら、「ああ、そうか」というものが浮かんで来た。
振り返って消してしまいたい記憶というのは、そのときの言動が「自分がしっかりと中心に」いないときに、勝手に誰かのためを思って動いてしまった上っ面の言葉であり、行為だったからだと思う。
相手じゃない。周囲じゃない。自分がそこにいないとダメなのだ。そりゃ、ほんとうに相手の気持ちなんて分からないし、例えシンクロしていたとしても相手にとっては有難迷惑だったり、本人の学びのために放っておくべきことだったという場合もある。
地に足が付いていない、というのがどういうことなのか、今までまったく分からなかった。
今まで地に足がついていなかったことが、今、ほんとうに分かった。
心の癖は怖いな、と改めて実感。
そして、思ったのです。
この闇を掘り起こす作業が個人レベルでどんどん進み、次第に周囲の人を巻き込み始めると、いつかシンクロニシティが起こり、一気に人類という闇に光が当たる日が来るかも知れない。そしたら、きっと地球は進化のステージをひとつ進めるのではないかと。
壮大だけど、始まりはやはり一歩からである。
革命を達成する人の原動力は私怨だったりする。
世界平和を漠然と願うより、目の前の泣いている子どもに手を差し伸べる。その繰り返しが大きな進化の潮流へと注がれるのではないだろうか。
「今までの自分はこうでした。そして、これからは、こうしていきたいと思います。」
「今までの世界はこうでした。そして、これからは、こんな世界にしていきたいと思います。」
posted by 朱鷺(shuro) at 10:19| 健康・美容・予防医学
2020年11月18日
百匹目の猿現象 〜Hundredth Monkey Effect, Hundredth Monkey Phenomenon
百匹目の猿現象
〜Hundredth Monkey Effect, Hundredth Monkey Phenomenon
「100匹目の猿現象」は、イギリスの生物学者であるライアル・ワトソンの創作ではあるが、科学的な事実である。
このように断言された論文を発見した。似たようなことを考えて科学的根拠を探していたので、この論文は興味深かった。
この著者は「100匹目の猿現象」と類似の現象が実際に発生しうるのかどうかを検証するため、シェルドレイクの仮説を紹介し、実例を挙げている。
シェルドレイクの仮説とは。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シェルドレイクの仮説とは、イギリスの元ケンブリッジ大学フェロー、生物学者、超心理学者のルパート・シェルドレイクが唱えた仮説である。形態形成場仮説、モルフォジェネティク・フィールド仮説とも言う。
この仮説は以下のような内容からなる。
1、あらゆるシステムの形態は、過去に存在した同じような形態の影響を受けて、過去と同じような形態を継承する(時間的相関関係)。
2、離れた場所に起こった一方の出来事が、他方の出来事に影響する(空間的相関関係)。
3、形態のみならず、行動パターンも共鳴する。
4、これらは「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるプロセスによって起こる。
簡単に言えば、「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」とする仮説である。この仮説について、シェルドレイクは、記憶や 経験は、脳ではなく、天空というか宇宙のどこかにサーバのようなもの保存されており、 脳は単なる受信機に過ぎずない、と説明している。
まず、この論文では帰趨本能では説明できない「ロッキー山脈を越えて主人を探し当てた猫」という不思議な話をあげている。カリフォルニアからオクラホマへ引っ越してしまった飼い主を追って猫のシュガーはロッキー山脈を超え、2400キロの旅の末、元の飼い主を捜しあてたというのだ。
それから、入院中の飼い主の病室にやってきた鳩の話がある。
この著者は言う。
『飼い主の宇宙的な霊魂が発する波動と シュガーが発する波動はとも共振を起こすので,共振波動がやってくる方向に向かって進んで行けば良いのである。
「波動の共振」には強弱があるので、弱い場合は人間はそれを受信することはできない。しかし、猫や鳩は独特の進化を遂げており、弱い波動でも受信できる独特の能力を持っている。猫や鳩は人間の「願い」や「祈り」を理解することができる。』
また、ブラシーボ効果では説明のつかない医学的事実として「祈り」を挙げている。
村上和雄の著書「人は何のために<祈る>のか」(2010年12月,詳伝社)に『最近、アメリカの病院で,大変興味ある実験が行われました。新病患者393人による実験で,他人に祈られた患者はそうでない患者よりも人工呼吸器,抗生物質,透析の 使用率が少ないということがわかりました。しかも、西海岸にあるこの病院に近いグルー プからの祈りも,遠く離れた東海岸側からの祈りも,同様に効果がありました。そして、これらの患者は祈られていることすら知らなかったのです。距離を超えて,他の人のため に祈ることが有効だとすると,この祈りは単なるブラシーボ効果では説明がつきませ ん。』ということが書かれている。
「祈ることでストレスが解消されている」という事実は確かにあると思う。そもそも日本人は古来より周囲に八百万の神がいて、祈ることが日常の中に普通に組み込まれてきたと思うのだ。朝、太陽に手を合わせ、水の神様、山の神様に感謝をする。漁の無事を祈り、豊作を祈る。
瞑想と祈りのメカニズムは同じだという。
なるほど、と納得した。
信仰のある人が穏やかに生きられるのは、「祈り」の効果もあるのかも知れない。
それから「シンクロニシティ」について。これは単に昔から好きな言葉だったのだが、ウィキペディア(Wikipedia)に寄ると、シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」「同時性」「同時発生」と訳されるそうだ。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つことであり、ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ。
産土神社鑑定士の真壁辰郎氏がこんなことをおっしゃっていました。
『龍は私たちが暮らす次元と神界を行き来できる存在です。
私たちの暮らす次元に現れたとき龍には磁気のようなものがありますからそれに引き寄せられるように雲が感応することになります。
それが形となって私たちが目にすることができるのが龍雲です。』
その他、雲はいろいろなものを表しているという。それで雲を眺めたとき、ふと考えたことがある。
地球は「生命体」であろう、と。
そして、更に考えた。
「生命体」としての範囲はどこまでであろうか、と。つまり、どこまでというのは、地表面までなのか、大気圏までなのか、ということだ。
そして、「地球」という「生命体」の範囲に、他の生き物も入っているのだろうか、という疑問を抱いた。
草木やそこに生きる動物たち、そして人間も地球という生命体の一部なのだろうか。そして、切り離せない大気はどうだろう。地球にとって住んでいる動物たちは、そうか! 人間にとっては、肌に住む微生物や胃腸に棲息している細菌叢と同じなんだ、と突然思った。
人間は、見た目や病原菌への恐怖などを理由に、共生している細菌が喜ばない生活をしている。過度な清潔志向に寄って細菌叢が乱れても気付くことはあんまりない。それと同じ。地球が特に浄化を意識しなくても太陽系の他の惑星との関係やそれに寄って引き起こされる嵐や地震や気象の変動など、そういう地球に住んでいる生命にとって迷惑で深刻な被害も、地球にとっては単なる日常生活に過ぎないのではないか。
人間と共存している細菌叢を大事にするように、地球に我々寄生生物を大事にしてもらいたいのなら。
この共時性、シンクロニシティ、百匹目の猿現象を使い、今からでも日本を良い方向へ導いていくことは不可能ではないのでは? と思い至った。
これが正解だというマニュアルもなく前例もない今、方法は分からないが、それはその人それぞれで良いのではないだろうか。地球も世界も日本も、そして個人個人が心地良いと思える方向へ進めることが出来るのならば。
そういえば、シェルドレイクの仮説に関しては、テレビで行った公開実験などの記録もあるそうだ。
日本テレビで放映されたシェルドレイクの仮説の実験(2000年11月11日)。
飼い主とペットの双方をカメラで追跡。仕事の関係で帰宅時間が不規則であるが、飼い主が帰宅を開始すると、ペットが玄関に移動して出迎えるなどの様子を放映した、というものだという。
〜Hundredth Monkey Effect, Hundredth Monkey Phenomenon
「100匹目の猿現象」は、イギリスの生物学者であるライアル・ワトソンの創作ではあるが、科学的な事実である。
このように断言された論文を発見した。似たようなことを考えて科学的根拠を探していたので、この論文は興味深かった。
この著者は「100匹目の猿現象」と類似の現象が実際に発生しうるのかどうかを検証するため、シェルドレイクの仮説を紹介し、実例を挙げている。
シェルドレイクの仮説とは。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シェルドレイクの仮説とは、イギリスの元ケンブリッジ大学フェロー、生物学者、超心理学者のルパート・シェルドレイクが唱えた仮説である。形態形成場仮説、モルフォジェネティク・フィールド仮説とも言う。
この仮説は以下のような内容からなる。
1、あらゆるシステムの形態は、過去に存在した同じような形態の影響を受けて、過去と同じような形態を継承する(時間的相関関係)。
2、離れた場所に起こった一方の出来事が、他方の出来事に影響する(空間的相関関係)。
3、形態のみならず、行動パターンも共鳴する。
4、これらは「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるプロセスによって起こる。
簡単に言えば、「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」とする仮説である。この仮説について、シェルドレイクは、記憶や 経験は、脳ではなく、天空というか宇宙のどこかにサーバのようなもの保存されており、 脳は単なる受信機に過ぎずない、と説明している。
まず、この論文では帰趨本能では説明できない「ロッキー山脈を越えて主人を探し当てた猫」という不思議な話をあげている。カリフォルニアからオクラホマへ引っ越してしまった飼い主を追って猫のシュガーはロッキー山脈を超え、2400キロの旅の末、元の飼い主を捜しあてたというのだ。
それから、入院中の飼い主の病室にやってきた鳩の話がある。
この著者は言う。
『飼い主の宇宙的な霊魂が発する波動と シュガーが発する波動はとも共振を起こすので,共振波動がやってくる方向に向かって進んで行けば良いのである。
「波動の共振」には強弱があるので、弱い場合は人間はそれを受信することはできない。しかし、猫や鳩は独特の進化を遂げており、弱い波動でも受信できる独特の能力を持っている。猫や鳩は人間の「願い」や「祈り」を理解することができる。』
また、ブラシーボ効果では説明のつかない医学的事実として「祈り」を挙げている。
村上和雄の著書「人は何のために<祈る>のか」(2010年12月,詳伝社)に『最近、アメリカの病院で,大変興味ある実験が行われました。新病患者393人による実験で,他人に祈られた患者はそうでない患者よりも人工呼吸器,抗生物質,透析の 使用率が少ないということがわかりました。しかも、西海岸にあるこの病院に近いグルー プからの祈りも,遠く離れた東海岸側からの祈りも,同様に効果がありました。そして、これらの患者は祈られていることすら知らなかったのです。距離を超えて,他の人のため に祈ることが有効だとすると,この祈りは単なるブラシーボ効果では説明がつきませ ん。』ということが書かれている。
「祈ることでストレスが解消されている」という事実は確かにあると思う。そもそも日本人は古来より周囲に八百万の神がいて、祈ることが日常の中に普通に組み込まれてきたと思うのだ。朝、太陽に手を合わせ、水の神様、山の神様に感謝をする。漁の無事を祈り、豊作を祈る。
瞑想と祈りのメカニズムは同じだという。
なるほど、と納得した。
信仰のある人が穏やかに生きられるのは、「祈り」の効果もあるのかも知れない。
それから「シンクロニシティ」について。これは単に昔から好きな言葉だったのだが、ウィキペディア(Wikipedia)に寄ると、シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」「同時性」「同時発生」と訳されるそうだ。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つことであり、ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ。
産土神社鑑定士の真壁辰郎氏がこんなことをおっしゃっていました。
『龍は私たちが暮らす次元と神界を行き来できる存在です。
私たちの暮らす次元に現れたとき龍には磁気のようなものがありますからそれに引き寄せられるように雲が感応することになります。
それが形となって私たちが目にすることができるのが龍雲です。』
その他、雲はいろいろなものを表しているという。それで雲を眺めたとき、ふと考えたことがある。
地球は「生命体」であろう、と。
そして、更に考えた。
「生命体」としての範囲はどこまでであろうか、と。つまり、どこまでというのは、地表面までなのか、大気圏までなのか、ということだ。
そして、「地球」という「生命体」の範囲に、他の生き物も入っているのだろうか、という疑問を抱いた。
草木やそこに生きる動物たち、そして人間も地球という生命体の一部なのだろうか。そして、切り離せない大気はどうだろう。地球にとって住んでいる動物たちは、そうか! 人間にとっては、肌に住む微生物や胃腸に棲息している細菌叢と同じなんだ、と突然思った。
人間は、見た目や病原菌への恐怖などを理由に、共生している細菌が喜ばない生活をしている。過度な清潔志向に寄って細菌叢が乱れても気付くことはあんまりない。それと同じ。地球が特に浄化を意識しなくても太陽系の他の惑星との関係やそれに寄って引き起こされる嵐や地震や気象の変動など、そういう地球に住んでいる生命にとって迷惑で深刻な被害も、地球にとっては単なる日常生活に過ぎないのではないか。
人間と共存している細菌叢を大事にするように、地球に我々寄生生物を大事にしてもらいたいのなら。
この共時性、シンクロニシティ、百匹目の猿現象を使い、今からでも日本を良い方向へ導いていくことは不可能ではないのでは? と思い至った。
これが正解だというマニュアルもなく前例もない今、方法は分からないが、それはその人それぞれで良いのではないだろうか。地球も世界も日本も、そして個人個人が心地良いと思える方向へ進めることが出来るのならば。
そういえば、シェルドレイクの仮説に関しては、テレビで行った公開実験などの記録もあるそうだ。
日本テレビで放映されたシェルドレイクの仮説の実験(2000年11月11日)。
飼い主とペットの双方をカメラで追跡。仕事の関係で帰宅時間が不規則であるが、飼い主が帰宅を開始すると、ペットが玄関に移動して出迎えるなどの様子を放映した、というものだという。
2020年11月17日
パーキンソン病の原因 〜腸内細菌の協奏曲〜
パーキンソン病の原因 〜腸内細菌の協奏曲〜
(いえ、この画像は腸内細菌ではありません。ただのクラゲです。念のため)
先日、パーキンソン病の原因が分かったという記事を見かけた。
というより、むしろ「今まで原因が分かってなかったのか?」という衝撃を受けた。
その世界では常識のことが、その世界に身を置かない人々にとっては「えっ、そうなの?」ということが実はすごく多い。
それは医学界に限らず、政界でも芸能界でも芸術の世界でも個々にものすごくある「その世界だけの常識」が存在する。
ということはさておき。
医学界、或いは科学の世界では「仮説」で成り立っていることがものすごく多いのだ。
さて、そのパーキンソン病について、実は最近読んだ本にもその発表と同じ「仮説」が書かれていて、これが今後の「常識」へ向かっているのだと知った。
今のところ、最新情報の類に入るのではないかと思ったので、ぜひ、共有させていただこうと思う。
ネットで見掛けたその記事内容は、抗生物質の乱用に寄る腸内細菌のバランスが崩れたことが要因である、というものだったと記憶しているが、それは間違ってはいないのだが、実際はどうもそんな単純なことではないようだ。
『腸と脳』エムラン・メイヤー著 高橋洋訳 紀伊國屋書店に寄ると、まずはヒトの身体に住みついている細菌についての概念を新たにする記述から始まっていた。
腸内フローラはすでに有名だが、微生物は腸内だけでなく、人体の内部や表面(皮膚、顔面、鼻腔、口腔、唇、まぶた、歯の間等)に共生しているものすべてを指すということ。
例えば。
顔や背中では、毛穴から出る脂を餌にするプロピオニバクテリウム属の細菌が、ひじや前腕では、もう少し多様なグループの微生物が共生している。へそ、脇の下、股の下など湿気の多い場所は、高い湿度を好み、汗に含まれる窒素を餌とするコリネバクテリウム属とブドウ球菌属の細菌の棲みかとなっているとのこと。
そして重要なのは、微生物がつくる「第二の皮膚」は、本来の皮膚細胞に寄る防御を強化して、人体内部を二重に守っているという事実である。想像するに、バリアのような役割であろうか。
以前、こんなテレビ番組を観たことがある。
蚊に刺され易い人の足の細菌叢は種類が少ない。という事実である。それを確か当時中学生くらいの男の子が発見していた。彼の妹が人一倍蚊に刺され易く、それは何故なのかという研究から始まったものだった。
マイクロバイオータ(腸内細菌叢)は、腸自体が処理出来ない食物成分の消化、有害な化学物質の解毒、免疫系の訓練や統制、病原菌の侵入や増殖の防止などを行っている。その一方で、マイクロバイオーム(腸内細菌の遺伝情報)の異変や撹乱は、炎症性腸疾患、自己免疫疾患やアレルギー、喘息などのさまざまな疾病を招き、自閉症スペクトラム障害、さらにはパーキンソン病などの神経変性疾患にも結び付く可能性があるということらしい。
事実、先進諸国では神経変性疾患件数が増え続けている。60歳以上の高齢者の100人に1人がパーキンソン病にかかっている。アメリカでは現在、少なくとも50万人がパーキンソン病を抱え、毎年およそ5万人が新たにその診断を下されているという。
最近の研究では、パーキンソン病に典型的に見られる症状が発現するはるか以前から、患者の腸管神経系にパーキンソン病特有の神経変性が生じていること、およびこの疾病には腸内微生物の構成の変化が伴うことが報告されているそうだ。
腸は、専門用語で腸管神経系(ENS)と呼ばれる独自の神経系を備え、「第二の脳」と呼ばれることもある。この第二の脳は5000万から一億の神経細胞で構成される。
そして、私たちの消化器系、腸は、そこに宿る微生物との密接な相互作用を通して、基本的な情動、痛覚感受性、社会的な言動に影響を及ぼし、意思決定さえ導くと言われる。
意思決定?! と、意外に思ったのだが、そういえば、とゾッとする世界を思い出しました。
たとえば、冬虫夏草。
『10%HUMAN』『あなたの体は9割が最近〜微生物の生態系が崩れはじめた〜』by Alanna Collen矢野真千子 訳 河出書房新社に、こんな記述がある。
アリは冬虫夏草にとりつかれるとゾンビになる。
その表現の意味は、冬虫夏草に寄生されたアリは、突然職務を放棄し、ほうけたように木に登る。そして150センチほど登ったところで、木の幹の北側にある葉脈を見つけ、そこに深く食いつき自身の身体を固定させるのだそうだ。数日後、冬虫夏草は芽を出し、柄を伸ばし、胞子を放出する。その胞子はまた次のアリに寄生する。
『腸と脳』の方に記述されていたのは、トキソプラズマだったが、やってることは同じ。そして中間宿主を経て最終宿主に至る過程がもっとエグイ。
トキソプラズマは、繁殖に関しては感染したネコの消化管内でのみ可能なのだが、血液脳関門をかいくぐって、人間を含むあらゆる哺乳類の脳に侵入出来る。それだけで、もうイヤな感じだ。
感染したネコは、排便に寄ってこの微生物を体内から除去する。ネコが排出した寄生虫をげっ歯類が摂取する。すると寄生虫は、げっ歯類の身体内部、とりわけ脳に丸い嚢胞を形成する。トキソプラズマに感染したラット等は、ネコに対する本能的な恐れを失う。そればかりか、ネコの尿の臭いに惹きつけられるようになる。
トキソプラズマは、ラットの脳のオペレーティング・システムを乗っ取り、ネコの匂いに対する性的な関心を喚起させることに寄って、ラットの持つ恐れの反応を圧倒し、自らネコに捕食されるように仕向ける。
宿主の行動を操作する方法を発達させた微生物は他にも数多く存在する。狂犬病ウイスルは、怒りや攻撃性に関与する神経回路に侵入することで、イヌ、キツネ、コウモリなどの宿主を攻撃的にする。それによって、感染個体が他の動物個体(や人間)を頻繁に攻撃し、咬むようになる。唾液に含まれるウイルスは、咬まれた個体に移る機会を得る。
つまり?
腸内細菌を始めとするヒトの身体に共生する微生物のバランスが崩れることで、あらゆる疾患、肥満を始め生活習慣病、さらには精神疾患や発達障害と呼ばれている症状の原因(少なくとも一因)ではないかという最新の研究があるということだ。
何故、共生微生物のバランスが崩れ始めたのか?
抗生物質も然り。
しかし、それだけではないらしいということも分かってきた。
これが原因、というものは恐らく一つではないと思われる。
社会毒も然り。
急激なダイエットなども一因ではないかと言われている。
すでに崩れ始めている微生物たちの世界をどのように救っていくのか、それらを救うことは何より私たちのためでもある。
ヒトの身体に棲む微生物と良い関係を築くこと。彼らの協奏曲に耳を傾けること。そういうことが必要ではないかと、ある年の年末から正月にかけて(食い過ぎで)体調を崩して実感した次第です。
(いえ、この画像は腸内細菌ではありません。ただのクラゲです。念のため)
先日、パーキンソン病の原因が分かったという記事を見かけた。
というより、むしろ「今まで原因が分かってなかったのか?」という衝撃を受けた。
その世界では常識のことが、その世界に身を置かない人々にとっては「えっ、そうなの?」ということが実はすごく多い。
それは医学界に限らず、政界でも芸能界でも芸術の世界でも個々にものすごくある「その世界だけの常識」が存在する。
ということはさておき。
医学界、或いは科学の世界では「仮説」で成り立っていることがものすごく多いのだ。
さて、そのパーキンソン病について、実は最近読んだ本にもその発表と同じ「仮説」が書かれていて、これが今後の「常識」へ向かっているのだと知った。
今のところ、最新情報の類に入るのではないかと思ったので、ぜひ、共有させていただこうと思う。
ネットで見掛けたその記事内容は、抗生物質の乱用に寄る腸内細菌のバランスが崩れたことが要因である、というものだったと記憶しているが、それは間違ってはいないのだが、実際はどうもそんな単純なことではないようだ。
『腸と脳』エムラン・メイヤー著 高橋洋訳 紀伊國屋書店に寄ると、まずはヒトの身体に住みついている細菌についての概念を新たにする記述から始まっていた。
腸内フローラはすでに有名だが、微生物は腸内だけでなく、人体の内部や表面(皮膚、顔面、鼻腔、口腔、唇、まぶた、歯の間等)に共生しているものすべてを指すということ。
例えば。
顔や背中では、毛穴から出る脂を餌にするプロピオニバクテリウム属の細菌が、ひじや前腕では、もう少し多様なグループの微生物が共生している。へそ、脇の下、股の下など湿気の多い場所は、高い湿度を好み、汗に含まれる窒素を餌とするコリネバクテリウム属とブドウ球菌属の細菌の棲みかとなっているとのこと。
そして重要なのは、微生物がつくる「第二の皮膚」は、本来の皮膚細胞に寄る防御を強化して、人体内部を二重に守っているという事実である。想像するに、バリアのような役割であろうか。
以前、こんなテレビ番組を観たことがある。
蚊に刺され易い人の足の細菌叢は種類が少ない。という事実である。それを確か当時中学生くらいの男の子が発見していた。彼の妹が人一倍蚊に刺され易く、それは何故なのかという研究から始まったものだった。
マイクロバイオータ(腸内細菌叢)は、腸自体が処理出来ない食物成分の消化、有害な化学物質の解毒、免疫系の訓練や統制、病原菌の侵入や増殖の防止などを行っている。その一方で、マイクロバイオーム(腸内細菌の遺伝情報)の異変や撹乱は、炎症性腸疾患、自己免疫疾患やアレルギー、喘息などのさまざまな疾病を招き、自閉症スペクトラム障害、さらにはパーキンソン病などの神経変性疾患にも結び付く可能性があるということらしい。
事実、先進諸国では神経変性疾患件数が増え続けている。60歳以上の高齢者の100人に1人がパーキンソン病にかかっている。アメリカでは現在、少なくとも50万人がパーキンソン病を抱え、毎年およそ5万人が新たにその診断を下されているという。
最近の研究では、パーキンソン病に典型的に見られる症状が発現するはるか以前から、患者の腸管神経系にパーキンソン病特有の神経変性が生じていること、およびこの疾病には腸内微生物の構成の変化が伴うことが報告されているそうだ。
腸は、専門用語で腸管神経系(ENS)と呼ばれる独自の神経系を備え、「第二の脳」と呼ばれることもある。この第二の脳は5000万から一億の神経細胞で構成される。
そして、私たちの消化器系、腸は、そこに宿る微生物との密接な相互作用を通して、基本的な情動、痛覚感受性、社会的な言動に影響を及ぼし、意思決定さえ導くと言われる。
意思決定?! と、意外に思ったのだが、そういえば、とゾッとする世界を思い出しました。
たとえば、冬虫夏草。
『10%HUMAN』『あなたの体は9割が最近〜微生物の生態系が崩れはじめた〜』by Alanna Collen矢野真千子 訳 河出書房新社に、こんな記述がある。
アリは冬虫夏草にとりつかれるとゾンビになる。
その表現の意味は、冬虫夏草に寄生されたアリは、突然職務を放棄し、ほうけたように木に登る。そして150センチほど登ったところで、木の幹の北側にある葉脈を見つけ、そこに深く食いつき自身の身体を固定させるのだそうだ。数日後、冬虫夏草は芽を出し、柄を伸ばし、胞子を放出する。その胞子はまた次のアリに寄生する。
『腸と脳』の方に記述されていたのは、トキソプラズマだったが、やってることは同じ。そして中間宿主を経て最終宿主に至る過程がもっとエグイ。
トキソプラズマは、繁殖に関しては感染したネコの消化管内でのみ可能なのだが、血液脳関門をかいくぐって、人間を含むあらゆる哺乳類の脳に侵入出来る。それだけで、もうイヤな感じだ。
感染したネコは、排便に寄ってこの微生物を体内から除去する。ネコが排出した寄生虫をげっ歯類が摂取する。すると寄生虫は、げっ歯類の身体内部、とりわけ脳に丸い嚢胞を形成する。トキソプラズマに感染したラット等は、ネコに対する本能的な恐れを失う。そればかりか、ネコの尿の臭いに惹きつけられるようになる。
トキソプラズマは、ラットの脳のオペレーティング・システムを乗っ取り、ネコの匂いに対する性的な関心を喚起させることに寄って、ラットの持つ恐れの反応を圧倒し、自らネコに捕食されるように仕向ける。
宿主の行動を操作する方法を発達させた微生物は他にも数多く存在する。狂犬病ウイスルは、怒りや攻撃性に関与する神経回路に侵入することで、イヌ、キツネ、コウモリなどの宿主を攻撃的にする。それによって、感染個体が他の動物個体(や人間)を頻繁に攻撃し、咬むようになる。唾液に含まれるウイルスは、咬まれた個体に移る機会を得る。
つまり?
腸内細菌を始めとするヒトの身体に共生する微生物のバランスが崩れることで、あらゆる疾患、肥満を始め生活習慣病、さらには精神疾患や発達障害と呼ばれている症状の原因(少なくとも一因)ではないかという最新の研究があるということだ。
何故、共生微生物のバランスが崩れ始めたのか?
抗生物質も然り。
しかし、それだけではないらしいということも分かってきた。
これが原因、というものは恐らく一つではないと思われる。
社会毒も然り。
急激なダイエットなども一因ではないかと言われている。
すでに崩れ始めている微生物たちの世界をどのように救っていくのか、それらを救うことは何より私たちのためでもある。
ヒトの身体に棲む微生物と良い関係を築くこと。彼らの協奏曲に耳を傾けること。そういうことが必要ではないかと、ある年の年末から正月にかけて(食い過ぎで)体調を崩して実感した次第です。
2020年11月16日
「黄泉がえり」梶尾真治の原作と草なぎ剛主演映画それぞれの感動!
「黄泉がえり」梶尾真治の原作と草なぎ剛主演映画それぞれの感動!
梶尾真治の小説『黄泉がえり』(新潮文庫)を原作とする映画「黄泉がえり」(東宝)が公開されたのは2003年。最初は3週間の公開予定が、感動が口コミで広がって実に3ヶ月のロングラン大ヒットとなったそうだ。
この映画は、朱鷺(shuro)も観た。もう細部まで覚えていないが、ものすごく印象に残ったことだけは覚えている。切ないラヴ・ストーリィであり、美しい余韻を残してすべてが去って行った、という気がする。
物語の筋としては、原作本の紹介より抜粋すると。
「熊本で起きた不思議な現象。老いも若きも、子どもも大人も、死んだ当時そのままの姿で生き返る。間違いなく本人なのだが、しかしどこか微妙に違和感が。喜びながらも戸惑う家族、友人。混乱する行政。そして“黄泉がえった”当の本人もまた新たな悩みを抱え…」
泣けるリアルホラーと紹介されている。
ホラーだったのか、これ?
しかし、映画ではむしろファンタジー的な優しい空気で満たされたまま物語は進み、そして、切ない思いを抱いて終わるラストだった。と、記憶している。
「黄泉がえり」。
このキーワードというか、この概念が、ずっとずっとこころに残ったまま、時間の経過と共に記憶の細部が薄れ、存在そのものも小さくなりながらも、決して消えることがなかった訳を、最近、知った。
朱鷺(shuro)にも、「黄泉がえり」を望む存在があるからだ。生まれ変わってまた会いたいとか、その相手が生きていた過去に帰りたいとか、そういうことではない。そうじゃない、そうじゃない。ただ、もう一度会いたい。そのままの存在を取り戻したい。吐くようにそれを思った日々が、「黄泉がえり」をファンタジーとしてでも深いところに留めて、拠り所にしてきたんだと。
だから、映画の物語がどうとか、原作ではこうだったとか、正直、大きな問題ではないのだけれど。
映画から入ったから、映画版の物語はとても好きで、大好きで、でも悲しくて何度も繰り返して観ることはしないけど、好き。
ふと最近、原作を読んだ。
そして、原作を今とても愛している。映画は映画として、原作は原作として。よくあることだけど、[原作]と[映画]はけっこうstoryの流れ方は違うし、登場人物の光の当て方やどちらかにしか存在しないキーパーソンがいたりする。だから、もしかして、設定は同じだけど全然別の物語ってこともありだと思う。
これは、そこまで違っているか? と言われると、亡くなった方々が黄泉がえってくること、そして、ラストの迎え方は大筋で同じ。ただ、登場人物がちょっと違って、映画は大きな流れをつくって、中心人物が物語を引っ張っていくのだけど、原作はたくさんの「黄泉がえり」が並行して進み、それぞれが絡み合ったり影響し合ったりしつつも独自の物語を進んでいく感じ。
だから、映画はひとつの物語が完結して余韻を残すのに対し、原作は、たくさんの物語がそれぞれのラストを迎えるという点がものすごく大きな違いだと朱鷺(shuro)は感じている。
「黄泉がえり」を引き起こした存在が明確になっているのが「原作」で、朱鷺(shuro)はしまいに、その「彼」が大好きになっていた。
これは、「彼」の成長物語でもあるのではないかと後で思った。成長というとちょっと語弊があるというか、感触的にちょっと違う。
仏教用語で「成仏」とは人間になることだとどこかで聞いたが、もしかして、「彼」が成仏する物語だったとでも言うのか。
イジメに寄る自殺で他界し、黄泉がえってきた男の子の台詞にこんなのがあった。
「ぼくは、一度、死にました。でも、自殺したことで家族やまわりの人たちを苦しませてしまったことを知りました。今度、黄泉がえり、これから皆さんの迷惑にならないよう、そして一所懸命に生きるように、もう一度やり直そうと誓いました。」
そして、イジメていた子が「俺のことは許さんだろう!」と声を荒げて彼を睨んだとき。
「許すよ。ぼくが死んだことで倉中くんにもつらい思いをさせたってことがわかる。」
そして、右手を差し出して言ったのだ。
「許すよ。倉中くんも許してくれ。」
こういうこと、すべてを「彼」が目論んだわけでは、もちろん、ない。だけど、「彼」が成し遂げたことは、最終的にこれ以上の崇高なことだった。
「彼」に思いが通じることは永遠にないのだから、これも片思いなんだろうな、としょんぼりするほど大好きで、「え、そこ?」と第三者だったら突っ込みたくなること間違いない!
考えさせられることとして、「思い残すこと」というキーワードがある。黄泉がえった少年が、自分の死が引き起こした波紋を知ったとき、それをどのように償えるのか。黄泉がえるとは要するに生き直すことであり、それに寄って「何が起こるのか?」。
切なくも深いテーマが根底に流れ続け、激しいオーケストラの旋律を聴きながら「ある結果」へと怒涛のように、まさに為す術もなくというのだろうか、吸い込まれていく。大きな渦に巻き込まれて、だけど流されているというより、その波に果敢に挑みながら清らかに生きる黄泉がえり者たちの姿が今でも目に浮かびます。
さて、ここから先は本筋とはまったく関係ない個人的なことなので読まなくて大丈夫です。
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梶尾真治の小説『黄泉がえり』(新潮文庫)を原作とする映画「黄泉がえり」(東宝)が公開されたのは2003年。最初は3週間の公開予定が、感動が口コミで広がって実に3ヶ月のロングラン大ヒットとなったそうだ。
この映画は、朱鷺(shuro)も観た。もう細部まで覚えていないが、ものすごく印象に残ったことだけは覚えている。切ないラヴ・ストーリィであり、美しい余韻を残してすべてが去って行った、という気がする。
物語の筋としては、原作本の紹介より抜粋すると。
「熊本で起きた不思議な現象。老いも若きも、子どもも大人も、死んだ当時そのままの姿で生き返る。間違いなく本人なのだが、しかしどこか微妙に違和感が。喜びながらも戸惑う家族、友人。混乱する行政。そして“黄泉がえった”当の本人もまた新たな悩みを抱え…」
泣けるリアルホラーと紹介されている。
ホラーだったのか、これ?
しかし、映画ではむしろファンタジー的な優しい空気で満たされたまま物語は進み、そして、切ない思いを抱いて終わるラストだった。と、記憶している。
「黄泉がえり」。
このキーワードというか、この概念が、ずっとずっとこころに残ったまま、時間の経過と共に記憶の細部が薄れ、存在そのものも小さくなりながらも、決して消えることがなかった訳を、最近、知った。
朱鷺(shuro)にも、「黄泉がえり」を望む存在があるからだ。生まれ変わってまた会いたいとか、その相手が生きていた過去に帰りたいとか、そういうことではない。そうじゃない、そうじゃない。ただ、もう一度会いたい。そのままの存在を取り戻したい。吐くようにそれを思った日々が、「黄泉がえり」をファンタジーとしてでも深いところに留めて、拠り所にしてきたんだと。
だから、映画の物語がどうとか、原作ではこうだったとか、正直、大きな問題ではないのだけれど。
映画から入ったから、映画版の物語はとても好きで、大好きで、でも悲しくて何度も繰り返して観ることはしないけど、好き。
ふと最近、原作を読んだ。
そして、原作を今とても愛している。映画は映画として、原作は原作として。よくあることだけど、[原作]と[映画]はけっこうstoryの流れ方は違うし、登場人物の光の当て方やどちらかにしか存在しないキーパーソンがいたりする。だから、もしかして、設定は同じだけど全然別の物語ってこともありだと思う。
これは、そこまで違っているか? と言われると、亡くなった方々が黄泉がえってくること、そして、ラストの迎え方は大筋で同じ。ただ、登場人物がちょっと違って、映画は大きな流れをつくって、中心人物が物語を引っ張っていくのだけど、原作はたくさんの「黄泉がえり」が並行して進み、それぞれが絡み合ったり影響し合ったりしつつも独自の物語を進んでいく感じ。
だから、映画はひとつの物語が完結して余韻を残すのに対し、原作は、たくさんの物語がそれぞれのラストを迎えるという点がものすごく大きな違いだと朱鷺(shuro)は感じている。
「黄泉がえり」を引き起こした存在が明確になっているのが「原作」で、朱鷺(shuro)はしまいに、その「彼」が大好きになっていた。
これは、「彼」の成長物語でもあるのではないかと後で思った。成長というとちょっと語弊があるというか、感触的にちょっと違う。
仏教用語で「成仏」とは人間になることだとどこかで聞いたが、もしかして、「彼」が成仏する物語だったとでも言うのか。
イジメに寄る自殺で他界し、黄泉がえってきた男の子の台詞にこんなのがあった。
「ぼくは、一度、死にました。でも、自殺したことで家族やまわりの人たちを苦しませてしまったことを知りました。今度、黄泉がえり、これから皆さんの迷惑にならないよう、そして一所懸命に生きるように、もう一度やり直そうと誓いました。」
そして、イジメていた子が「俺のことは許さんだろう!」と声を荒げて彼を睨んだとき。
「許すよ。ぼくが死んだことで倉中くんにもつらい思いをさせたってことがわかる。」
そして、右手を差し出して言ったのだ。
「許すよ。倉中くんも許してくれ。」
こういうこと、すべてを「彼」が目論んだわけでは、もちろん、ない。だけど、「彼」が成し遂げたことは、最終的にこれ以上の崇高なことだった。
「彼」に思いが通じることは永遠にないのだから、これも片思いなんだろうな、としょんぼりするほど大好きで、「え、そこ?」と第三者だったら突っ込みたくなること間違いない!
考えさせられることとして、「思い残すこと」というキーワードがある。黄泉がえった少年が、自分の死が引き起こした波紋を知ったとき、それをどのように償えるのか。黄泉がえるとは要するに生き直すことであり、それに寄って「何が起こるのか?」。
切なくも深いテーマが根底に流れ続け、激しいオーケストラの旋律を聴きながら「ある結果」へと怒涛のように、まさに為す術もなくというのだろうか、吸い込まれていく。大きな渦に巻き込まれて、だけど流されているというより、その波に果敢に挑みながら清らかに生きる黄泉がえり者たちの姿が今でも目に浮かびます。
さて、ここから先は本筋とはまったく関係ない個人的なことなので読まなくて大丈夫です。
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タグ:黄泉がえり
2020年11月15日
血液浄化、酸化還元、生きる力の源を取り戻す!ファスティング(断食)とオートファジー(大掃除)の効果!
血液浄化、酸化還元、生きる力の源を取り戻す!ファスティング(断食)とオートファジー(大掃除)の効果!
現代は「マイナス」で健康になる時代。どういうことかというと、「何か身体に良い物を取る」のではなく、「毒を取り除く」「毒を取るのを止める」つまり、足し算するのではなく、引き算することを考えるということです。
ファスティング専門家の田中裕規氏は「食事やサプリで健康になろう!」から「胃腸を休ませて体をクリーンにしよう!」への移行とおっしゃっております。
その断食、田中式ファスティングは、水だけで行う苦しいものではなく、野菜ジュースや、甘酒、発酵エキスいわゆる酵素ドリンクなどを使った方法であり、具体的には『ラクトクレンズ』という酵素ドリンクと、デトックスを促進する『マグマソルト』という特殊な岩塩を使いながら行います。
断食そのものも歴史は古く、医学の父と呼ばれる古代ギリシャのヒポクラテスはこのような格言を残していると言われています。
「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」
「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」
「人間は誰でも体の中に100人の名医を持っている」
「病人に食べさせると、病気を養うことになる、一方、食事を与えなければ、病気は早く治る」
東洋医学でいうところのまさに医食同源!!
田中氏はおっしゃいます。ファスティングは正しいやり方で行うと人が持つ本来の自然治癒力が最大限に高まり、思いがけない健康効果を得ることができるものであると。
ファスティングで得られる効果は。
・血液の浄化
・細胞の大掃除
・ミトコンドリアの活性化
・自律神経の調整
・胃腸の休息
・ダイエット
・美容、アンチエイジング
・抗炎症、抗酸化効果
・病気、ケガの治癒
・女性特有の悩みの改善
・睡眠の質の改善
・アレルギーの改善
・生活習慣病の改善
などがあります。
この中で、ミトコンドリアは、shuroの大好きな映画、瀬名秀明原作の「パラサイト・イヴ」にあったように、独自のDNAを持っていて、人間の細胞の中で共生している別の生命体と言えるものです。
さて、そのエネルギー発電所であるミトコンドリアが活性化することでエネルギー発電量が増え、代謝も上がりエネルギッシュになります。逆にミトコンドリアが不調だとエネルギー発電量が減り、代謝が下がります。代謝にはミトコンドリアが発電するエネルギーが必要となるのです。
ミトコンドリアの働きを低下させる大きな原因として重金属の影響があります。
重金属とは主に水銀、鉛、カドミウム、ヒ素、アルミニウムなどがあり、特に水銀はミトコンドリアの働きを阻害する重金属なので、普段から疲労が溜まりやすい方は定期的に水銀をデトックスすることを心がけましょう。
ここで、思い出しませんか? この重金属がどこから身体に入って来るのか。
はい、ワクチンです。ワクチンの成分の中にありました。
→ワクチンの嘘と重大な害
・水銀
・アルミニウム
これだけでも、ワクチンの害が分かるというもの。
ファスティングは重金属や毒素の解毒力を高め、ミトコンドリアを新しく生まれ変わらせる働きがあるのでファスティングを行うと身体の中から元気になります。
血液が汚れていたり、赤血球の状態が悪いと病気に繋がります。これを東洋医学では瘀血(オケツ)、滞りと表現します。
血液が汚れる大きな原因は食べ過ぎと毒(食品添加物、農薬、放射能、トランス脂肪酸etc)の入れすぎです。食事を摂ることは栄養を摂ることであり、大切なことですが、食べ過ぎは血液を汚し不健康になります。
血液は主に腎臓と肝臓で浄化されますが、腎臓が機能しない病気である腎不全になると血液が浄化できなくなり、解毒が出来ずに毒素が脂肪に溜まっていきます。最終的には毒は脳に溜まります。
肝腎要という言葉があるように、肝臓と腎臓に余計な負担を掛けないようにすること、血液を綺麗に保つことは健康を維持するうえでとても大切です。千島学説でも示される通り、血液がすべての源です。食べた物が消化管から血中に至り、身体の各組織が新設されていくのですから。
ファスティングを行うもう一つの大きなメリットがオートファジーという細胞の大掃除機能の促進です。
オートファジーとは細胞の中にあるゴミのタンパク質、毒物、病原菌、ウィルス、古くなったミトコンドリアなど細胞の機能を低下させる原因をごっそり大掃除する働きで、これにより細胞を健康に保つことができます。
このオートファジーはファスティングを行うと1.5倍〜2倍ほどになると言います。
ファスティングの効果でもう一つ大きな働きがケトン体の分泌による抗炎症効果です。
ケトン体とは体内に貯蓄している糖質が枯渇したときに、脂肪を大量に分解してつくられるエネルギー物質であり、炎症を抑える効果があり、胃や腸の炎症、アトピー、アレルギーによる炎症、社会毒によって引き起こされる炎症などあらゆる炎症を抑え、体の火事を鎮める効果があります。
ファスティングでアトピーが良くなる方やアレルギー、花粉症が良くなる方は炎症が治まっている間に修復が進むことで改善されていくと考えられるのです。
田中氏より:
◆もっとファスティングについて知りたい方はYouTubeでも配信しています。
https://www.youtube.com/user/ukicks
現代は「マイナス」で健康になる時代。どういうことかというと、「何か身体に良い物を取る」のではなく、「毒を取り除く」「毒を取るのを止める」つまり、足し算するのではなく、引き算することを考えるということです。
ファスティング専門家の田中裕規氏は「食事やサプリで健康になろう!」から「胃腸を休ませて体をクリーンにしよう!」への移行とおっしゃっております。
その断食、田中式ファスティングは、水だけで行う苦しいものではなく、野菜ジュースや、甘酒、発酵エキスいわゆる酵素ドリンクなどを使った方法であり、具体的には『ラクトクレンズ』という酵素ドリンクと、デトックスを促進する『マグマソルト』という特殊な岩塩を使いながら行います。
断食そのものも歴史は古く、医学の父と呼ばれる古代ギリシャのヒポクラテスはこのような格言を残していると言われています。
「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」
「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」
「人間は誰でも体の中に100人の名医を持っている」
「病人に食べさせると、病気を養うことになる、一方、食事を与えなければ、病気は早く治る」
東洋医学でいうところのまさに医食同源!!
田中氏はおっしゃいます。ファスティングは正しいやり方で行うと人が持つ本来の自然治癒力が最大限に高まり、思いがけない健康効果を得ることができるものであると。
ファスティングで得られる効果は。
・血液の浄化
・細胞の大掃除
・ミトコンドリアの活性化
・自律神経の調整
・胃腸の休息
・ダイエット
・美容、アンチエイジング
・抗炎症、抗酸化効果
・病気、ケガの治癒
・女性特有の悩みの改善
・睡眠の質の改善
・アレルギーの改善
・生活習慣病の改善
などがあります。
この中で、ミトコンドリアは、shuroの大好きな映画、瀬名秀明原作の「パラサイト・イヴ」にあったように、独自のDNAを持っていて、人間の細胞の中で共生している別の生命体と言えるものです。
さて、そのエネルギー発電所であるミトコンドリアが活性化することでエネルギー発電量が増え、代謝も上がりエネルギッシュになります。逆にミトコンドリアが不調だとエネルギー発電量が減り、代謝が下がります。代謝にはミトコンドリアが発電するエネルギーが必要となるのです。
ミトコンドリアの働きを低下させる大きな原因として重金属の影響があります。
重金属とは主に水銀、鉛、カドミウム、ヒ素、アルミニウムなどがあり、特に水銀はミトコンドリアの働きを阻害する重金属なので、普段から疲労が溜まりやすい方は定期的に水銀をデトックスすることを心がけましょう。
ここで、思い出しませんか? この重金属がどこから身体に入って来るのか。
はい、ワクチンです。ワクチンの成分の中にありました。
→ワクチンの嘘と重大な害
・水銀
・アルミニウム
これだけでも、ワクチンの害が分かるというもの。
ファスティングは重金属や毒素の解毒力を高め、ミトコンドリアを新しく生まれ変わらせる働きがあるのでファスティングを行うと身体の中から元気になります。
血液が汚れていたり、赤血球の状態が悪いと病気に繋がります。これを東洋医学では瘀血(オケツ)、滞りと表現します。
血液が汚れる大きな原因は食べ過ぎと毒(食品添加物、農薬、放射能、トランス脂肪酸etc)の入れすぎです。食事を摂ることは栄養を摂ることであり、大切なことですが、食べ過ぎは血液を汚し不健康になります。
血液は主に腎臓と肝臓で浄化されますが、腎臓が機能しない病気である腎不全になると血液が浄化できなくなり、解毒が出来ずに毒素が脂肪に溜まっていきます。最終的には毒は脳に溜まります。
肝腎要という言葉があるように、肝臓と腎臓に余計な負担を掛けないようにすること、血液を綺麗に保つことは健康を維持するうえでとても大切です。千島学説でも示される通り、血液がすべての源です。食べた物が消化管から血中に至り、身体の各組織が新設されていくのですから。
ファスティングを行うもう一つの大きなメリットがオートファジーという細胞の大掃除機能の促進です。
オートファジーとは細胞の中にあるゴミのタンパク質、毒物、病原菌、ウィルス、古くなったミトコンドリアなど細胞の機能を低下させる原因をごっそり大掃除する働きで、これにより細胞を健康に保つことができます。
このオートファジーはファスティングを行うと1.5倍〜2倍ほどになると言います。
ファスティングの効果でもう一つ大きな働きがケトン体の分泌による抗炎症効果です。
ケトン体とは体内に貯蓄している糖質が枯渇したときに、脂肪を大量に分解してつくられるエネルギー物質であり、炎症を抑える効果があり、胃や腸の炎症、アトピー、アレルギーによる炎症、社会毒によって引き起こされる炎症などあらゆる炎症を抑え、体の火事を鎮める効果があります。
ファスティングでアトピーが良くなる方やアレルギー、花粉症が良くなる方は炎症が治まっている間に修復が進むことで改善されていくと考えられるのです。
田中氏より:
◆もっとファスティングについて知りたい方はYouTubeでも配信しています。
https://www.youtube.com/user/ukicks
タグ:ファスティング
2020年11月14日
ワクチンの嘘と重大な害
ワクチンの嘘と重大な害
まず、ワクチンは以下のような成分でできています。それは公式文書(添付文書といいます)にも記載されています。
・水銀
・アルミニウム
・グルタミン酸ナトリウム(MSG)
・ホルムアルデヒド(防腐液)
・ポリソルベート80、ツイーン20など
・猿、犬の腎臓、鶏、牛、人間の胎児細胞や遺伝子、それから作った豚や牛のゼラチンなど
・ワクチンの材料である動物細胞の培養で生じた細菌や野生のウィルス
・添加物や抗生物質など
一番接種数が多いと評判のアメリカでは、数十回の接種で100種類以上の有毒物質を取り込むことが分かっています。
ワクチンはいわゆる劇薬ですが重大副作用として以下のようなものが、添付文書には記載されています。
1.ショックなど:「ショック(血圧・脈拍低下、死ぬ場合も)、アナフィラキシー様症状(急性薬物アレルギー、死亡リスク)、じんましん、呼吸困難、血管浮腫など……」
2.脳脊髄炎:急性散在性脳脊髄炎(ADEM)があらわれる(当然、死の危険もある)。
3.ギランバレー症候群:「頻度不明」
4.けいれん:これも「頻度不明」(以下5〜11も同様)。けいれん、熱性けいれん(発熱をともなう)があらわれることがある。
5.肝機能障害:肝機能障害、黄疸、GOTなど肝機能値の上昇などが起こる。
6.ぜんそく:ぜんそく発作を誘発することがある。
7.血小板減少:血小板減少(血小板は出血を止める作用がある。減少すると内出血が起こる)、続いて血小板減少性紫斑病、紫斑(紫色の皮下出血)、鼻出血、口腔粘膜出血……など。
8.血管炎:アレルギー性紫斑病、白血球破砕性血管炎、血管炎……これらは激しいアレルギー反応で発症する。
9.間質性肺炎:間質性肺炎があらわれることがある。発熱、咳、呼吸困難など臨床症状に注意する。
10.脳炎・脳症:脊髄炎、脳炎、脳症があらわれることがある。
11.皮膚がズルズル:皮膚粘膜眼症候群があらわれることがある。皮膚や粘膜が水ぶくれからドロドロに溶けていく症状のこと。
また他の副作用として、
・アレルギーとアトピー性皮膚炎
・関節炎
・ぜんそく
・自閉症
・乳幼児にプロトンポンプ阻害薬の投与が必要となる胃酸の逆流
・ガン
・糖尿病(乳幼児、児童)
・腎臓の病気
・流産
・さまざまな神経疾患と自己免疫疾患
・乳幼児突然死症候群(SIDS)
「ワクチンが歴史的に感染症を防いできた」という事実はありません。というショッキングなお話をするのは、内海聡内科医。
そもそも感染症やワクチンの領域で有名なジェンナーは、「牛痘で天然痘が予防できることを証明した」としましたが、これがそもそもの嘘なのです。
英国では種痘接種が広まってから天然痘の流行が始まったことが、昔は公式に報道されていました。
1876年、ジェームズ・ウィルキンソン博士は、「ワクチン接種は、まさに狂気の沙汰と言うしかない。これは、純粋な殺人である。」と断言しています。
1899年には、アルフレッド・ワレス教授は、その著書『素晴らしい世紀』の中で、「ワクチンに効果があるというのは、幻想だ。それを法的に強制することは犯罪である。」と述べています。
1920年に発行されたチャズ・M・ヒギンズ著の『ワクチンの恐怖』−大統領に宛てた陸軍・海軍内の強制ワクチン接種の廃止嘆願書−の中で、ニューヨーク市民の死亡診断書を15年間にわたり入念に調査し、天然痘の死亡者数よりも、天然痘ワクチン接種による死亡者数の方が毎年桁違いに多いことを発見しまたそうです。
では、何が感染症を減少させたのか。
それはワクチンではなく、インフラ整備による環境改善、および市民や貧乏人の栄養状態改善によってである。
貧困がテロリストを作り出し、栄養不良や不衛生状態が感染症を蔓延させてきた。
ワクチンは危険な毒物であるというだけでなく、まったく感染症を防がない。
ワクチンが効かないという研究として、前橋医師会によるインフルエンザワクチンの研究が有名です。
インフルエンザの学校での集団接種は、1994年以降全国で中止されているのですが、その一番の理由といえます。この結果95年にはインフルエンザワクチンの接種率は激減しました。
更に、ワクチンの問題は効かないだけでなく病気を増やし、子どもの脳に悪影響を及ぼすという点にある。
現在世界で一番問題になっているワクチンの有害事象は、子どもが自閉症や知的障害や発達障害になることだと言われております。
成分を見れば当たり前のことであり、さらに代謝の弱い赤ちゃんや幼児の時期に何本も打つのですから、子どもの脳機能が喪失されるのも当然なのです。
精神科医でもある内海氏はこうおっしゃっている。
そもそも「発達障害」なんて病名は、精神科医が思いつきで作ったものです。精神科医の病名はクスリを売り込むために開発され続けてきました。
科学的根拠のないだれでもあてはまるADHDや発達障害のチェックリストによって、「診断」され「病名」をつけられ、麻薬や覚せい剤と同じ向精神薬を飲まされます。ここに精神医学の非科学性があるのです。
※『ワクチン不要論』内海聡著 フォレスト出版1,430円(税込)
まず、ワクチンは以下のような成分でできています。それは公式文書(添付文書といいます)にも記載されています。
・水銀
・アルミニウム
・グルタミン酸ナトリウム(MSG)
・ホルムアルデヒド(防腐液)
・ポリソルベート80、ツイーン20など
・猿、犬の腎臓、鶏、牛、人間の胎児細胞や遺伝子、それから作った豚や牛のゼラチンなど
・ワクチンの材料である動物細胞の培養で生じた細菌や野生のウィルス
・添加物や抗生物質など
一番接種数が多いと評判のアメリカでは、数十回の接種で100種類以上の有毒物質を取り込むことが分かっています。
ワクチンはいわゆる劇薬ですが重大副作用として以下のようなものが、添付文書には記載されています。
1.ショックなど:「ショック(血圧・脈拍低下、死ぬ場合も)、アナフィラキシー様症状(急性薬物アレルギー、死亡リスク)、じんましん、呼吸困難、血管浮腫など……」
2.脳脊髄炎:急性散在性脳脊髄炎(ADEM)があらわれる(当然、死の危険もある)。
3.ギランバレー症候群:「頻度不明」
4.けいれん:これも「頻度不明」(以下5〜11も同様)。けいれん、熱性けいれん(発熱をともなう)があらわれることがある。
5.肝機能障害:肝機能障害、黄疸、GOTなど肝機能値の上昇などが起こる。
6.ぜんそく:ぜんそく発作を誘発することがある。
7.血小板減少:血小板減少(血小板は出血を止める作用がある。減少すると内出血が起こる)、続いて血小板減少性紫斑病、紫斑(紫色の皮下出血)、鼻出血、口腔粘膜出血……など。
8.血管炎:アレルギー性紫斑病、白血球破砕性血管炎、血管炎……これらは激しいアレルギー反応で発症する。
9.間質性肺炎:間質性肺炎があらわれることがある。発熱、咳、呼吸困難など臨床症状に注意する。
10.脳炎・脳症:脊髄炎、脳炎、脳症があらわれることがある。
11.皮膚がズルズル:皮膚粘膜眼症候群があらわれることがある。皮膚や粘膜が水ぶくれからドロドロに溶けていく症状のこと。
また他の副作用として、
・アレルギーとアトピー性皮膚炎
・関節炎
・ぜんそく
・自閉症
・乳幼児にプロトンポンプ阻害薬の投与が必要となる胃酸の逆流
・ガン
・糖尿病(乳幼児、児童)
・腎臓の病気
・流産
・さまざまな神経疾患と自己免疫疾患
・乳幼児突然死症候群(SIDS)
「ワクチンが歴史的に感染症を防いできた」という事実はありません。というショッキングなお話をするのは、内海聡内科医。
そもそも感染症やワクチンの領域で有名なジェンナーは、「牛痘で天然痘が予防できることを証明した」としましたが、これがそもそもの嘘なのです。
英国では種痘接種が広まってから天然痘の流行が始まったことが、昔は公式に報道されていました。
1876年、ジェームズ・ウィルキンソン博士は、「ワクチン接種は、まさに狂気の沙汰と言うしかない。これは、純粋な殺人である。」と断言しています。
1899年には、アルフレッド・ワレス教授は、その著書『素晴らしい世紀』の中で、「ワクチンに効果があるというのは、幻想だ。それを法的に強制することは犯罪である。」と述べています。
1920年に発行されたチャズ・M・ヒギンズ著の『ワクチンの恐怖』−大統領に宛てた陸軍・海軍内の強制ワクチン接種の廃止嘆願書−の中で、ニューヨーク市民の死亡診断書を15年間にわたり入念に調査し、天然痘の死亡者数よりも、天然痘ワクチン接種による死亡者数の方が毎年桁違いに多いことを発見しまたそうです。
では、何が感染症を減少させたのか。
それはワクチンではなく、インフラ整備による環境改善、および市民や貧乏人の栄養状態改善によってである。
貧困がテロリストを作り出し、栄養不良や不衛生状態が感染症を蔓延させてきた。
ワクチンは危険な毒物であるというだけでなく、まったく感染症を防がない。
ワクチンが効かないという研究として、前橋医師会によるインフルエンザワクチンの研究が有名です。
インフルエンザの学校での集団接種は、1994年以降全国で中止されているのですが、その一番の理由といえます。この結果95年にはインフルエンザワクチンの接種率は激減しました。
更に、ワクチンの問題は効かないだけでなく病気を増やし、子どもの脳に悪影響を及ぼすという点にある。
現在世界で一番問題になっているワクチンの有害事象は、子どもが自閉症や知的障害や発達障害になることだと言われております。
成分を見れば当たり前のことであり、さらに代謝の弱い赤ちゃんや幼児の時期に何本も打つのですから、子どもの脳機能が喪失されるのも当然なのです。
精神科医でもある内海氏はこうおっしゃっている。
そもそも「発達障害」なんて病名は、精神科医が思いつきで作ったものです。精神科医の病名はクスリを売り込むために開発され続けてきました。
科学的根拠のないだれでもあてはまるADHDや発達障害のチェックリストによって、「診断」され「病名」をつけられ、麻薬や覚せい剤と同じ向精神薬を飲まされます。ここに精神医学の非科学性があるのです。
※『ワクチン不要論』内海聡著 フォレスト出版1,430円(税込)
タグ:#ワクチン
2020年11月13日
孤独死と殺処分。遺品整理人・特殊清掃人が見つめたセルフネグレクトとペット道連れ死
孤独死と殺処分。遺品整理人・特殊清掃人が見つめたセルフネグレクトとペット道連れ死。
(※セルフネグレクトとは、自己放任という意味で、ゴミ屋敷や、医療の拒否、過度な不摂生など、自らを追い込むことから“緩やかな自殺”とも呼ばれている。)
日本少額短期保険協会・孤独死対策委員会による最新の孤独死レポートによると、孤独死者の平均年齢は61歳で、さらに高齢者に満たない年齢での孤独死の割合は、5割を超え、20〜50代は4割弱を占める。という。
男女比は、8対2。つまり、男性のほうが、圧倒的に多い。
独居老人の孤独死が話題になった記憶はあるが、もっとも「孤独死」を耳にし目にしたのは、東日本大震災後、避難所から仮設住宅、そしてやっと公営の災害復興住宅に入った後の「孤独死」だった。身近なたくさんの人を亡くし、家を流され、プライバシーのない避難所生活を耐え、仮設住宅に仮の居を得て、ようやく自宅と呼べる場所を手に入れた、その結果、待っていたのは「孤独死」だった。
災害復興住宅と呼ばれる公営住宅は、耐震のため鉄筋コンクリート造り、それ故、防音もしっかりしているので、外にSOSが届かない。高齢者は、外へ向かうための扉の重さですら重労働になり、引きこもるようになってしまう、というお話を聞いた。
それまであったコミュニティは壊され、仲の良かったご近所さんとも離れ、庭先で誰かと挨拶を交わすこともなく、コンクリートの部屋の中でテレビの音声だけが響いている。
「自分が動かなければ、空気の動きがない」とどこかで聞いた。
恐ろしいほどの静寂の中、ぼんやりと窓を見上げる。窓の外を人が通ることもない。何故なら、大抵の災害復興住宅は数階建ての高い建物だからだ。
都会の孤独死も、この震災後の悲劇と変わりはないのだろうか。
団塊ジュニア、ゆとり世代こそが実は最も孤独死に近い世代だという。現在の孤独死年間3万人は、「大量孤独死時代」の序章に過ぎないとも。
「孤独死」の背景には貧困もある。
「この仕事をしていると日本全体が見えてくるんですよ。このままいくと、餓死や貧困の問題は本当に大変なことになるんじゃないかと思います。例えば親の仕送りがなくなって餓死で亡くなった大学生とか、実際にいたんです。そういう……自分で生きていくことができない状態にある人、っていうんですかね、そういう現実があるんですよね。」と語るのは、遺品整理人の小島美羽さん。
離婚に寄って子どもと引き離され、生きる気力を失って、引っ越し先のアパートでセルフ・ネグレクトに寄る死を迎えたまだ若い女性。
ハードワークでろくな食事も取れず、ある日、もしかして心臓発作か何かで動けなくなり、30代の若さで亡くなった男性。それでも、人の出入りの激しいブラック企業だと、来なくなった社員を心配もしないという。どうせ辞めたんだろう、と。それで発見が遅れる。気づいてくれるのは隣人の「異臭に寄る苦情」。
何よりこころを掻き毟られるようにつらいのは、一緒に暮らしていた犬や猫、小動物の末路だ。飼い主が孤独死し、数カ月も発見されずにいると、当然、食べ物も飲み水もなくなり、同居動物たちも餓死するしかなくなる。しかし、生き残っても彼らには「殺処分」が待っているのだとか。
遺族が、故人の飼っていた動物を引き取ることはほとんどないそうだ。そして、新しい飼い主を探して、ではなく、「殺処分か保険所」という選択しかない。
小島さんは、何度もそういう犬や猫たちの新たな飼い主探しをしてきた。
死に逝く飼い主を見つめた動物たち。腐っていく飼い主だった死体を見つめ続けた動物たち。それを思うとあまりにも苦しい。
「ペットを飼う方には、その後自分が死んでしまったり、世話ができなくなったときにどうするかまで考えて飼ってほしいです」。
それから、遺品に関しても。若い内から遺書は用意していた方が良いと小島さんは締めくくっている。
「結局どんなに信頼していた人でも、遺品を勝手に持っていってしまうことはあるんですよね。若い方でも生きている間に、これはどこで売ってほしい、誰にあげてほしい、というのをリストにして、パソコンや紙に残したり、家族に話しておくのがいいのかなと。
突然死は30代の方が多いです。20〜30代の方は自分が亡くなるなんて思っていないので、遺書がない場合がほとんどですからね……。もう生前に売っておく、というのも一つの手ですけど、それでは宝物を手放すことになるし……。「この人だったら譲ってもいい!」という人に「きみにあげるよ」と事前に話しておくのがいいかもしれないですね」。
「孤独」は「孤独死」という負のイメージばかりだが、一方で老後はむしろ「孤独なほうがうまくいく」と言う意見もある。
『孤独こそ最高の老後』の著者・松原惇子さんは、独りの老後を応援する団体であるNPO法人「SSSネットーワーク」を運営し、1000人以上の孤独老人を見てきた。松原氏自身も独身で、70歳を超えた今、1人で暮らしているとか。
「1人の人ほど大きな病気にかかっていません。気を張って生きていることで、細胞が頑張ってくれているのか。頼る人がいないので、普段から自己管理を徹底しているからか、理由は定かではありませんが。」
確かに、それはそうかもな、と思える。
大病院がなくなったら、住民が健康になったというハナシも聞いたことがある。確か、財政破たんした富良野だったかな?
また「いい年になったら「行きつけ」の居酒屋を持て」と言うのは、太田和彦氏。1946年生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、68年資生堂宣伝部に。89年独立しアマゾンデザイン設立。2000〜07年東北芸術工科大学教授。著書に『太田和彦の居酒屋味酒覧』ほか。
「僕がアドバイスしたいのは、1番に、迷わず居酒屋に行け。2番に、1人旅をしろ。要するに1人で生活することの楽しさを知る。」
「居酒屋だといろいろ考えてるうちに、酒の力で無の境地になる。そこで浮かんでくるのはただ1つ、「次、何注文しようかな」。それがいいんです。群衆の中の孤独を楽しむ」。
太田氏の独特のお酒と人生論。
かっこいい男性の横顔が見えるなぁ、と思うのだが。
「50代以降は得るものより失うものが多くなる、って嘆きも聞くけど、失うものが多いほうがいいんです、楽になるから。裸一貫、身一つの心地よさ。酒ってうまい、人生って面白いものだなって。得るものはない、ただ深まっていくだけ。仙人のように生きると楽ですぞ。」
孤独に死んでも、「良い人生だったな」と思えれば良い。
一人きりで死んでも、行きつけの居酒屋があれば「あれ、今日は来ないな」と気づいてもらえる。
実は、これ、実際にありました。shuroの鍼灸の恩師の一人。盲目の先生だったのだけど、彼は毎晩同じタクシーを頼んで居酒屋へ送迎してもらい、同じ居酒屋さんで食事をして一人暮らしを楽しんでいた。それがある日、タクシーの依頼がなく、居酒屋さんにも現れなかった。
異変に気付いた周囲が通報してくれたお陰で、彼は死後すぐに発見された。命には間に合わなかったけど、でも、ご高齢の先生だったから、寿命でもあったんだと思う。最後まで元気に居酒屋さんで楽しくお酒を飲んで、天国に旅立たれたのだ。
(※セルフネグレクトとは、自己放任という意味で、ゴミ屋敷や、医療の拒否、過度な不摂生など、自らを追い込むことから“緩やかな自殺”とも呼ばれている。)
日本少額短期保険協会・孤独死対策委員会による最新の孤独死レポートによると、孤独死者の平均年齢は61歳で、さらに高齢者に満たない年齢での孤独死の割合は、5割を超え、20〜50代は4割弱を占める。という。
男女比は、8対2。つまり、男性のほうが、圧倒的に多い。
独居老人の孤独死が話題になった記憶はあるが、もっとも「孤独死」を耳にし目にしたのは、東日本大震災後、避難所から仮設住宅、そしてやっと公営の災害復興住宅に入った後の「孤独死」だった。身近なたくさんの人を亡くし、家を流され、プライバシーのない避難所生活を耐え、仮設住宅に仮の居を得て、ようやく自宅と呼べる場所を手に入れた、その結果、待っていたのは「孤独死」だった。
災害復興住宅と呼ばれる公営住宅は、耐震のため鉄筋コンクリート造り、それ故、防音もしっかりしているので、外にSOSが届かない。高齢者は、外へ向かうための扉の重さですら重労働になり、引きこもるようになってしまう、というお話を聞いた。
それまであったコミュニティは壊され、仲の良かったご近所さんとも離れ、庭先で誰かと挨拶を交わすこともなく、コンクリートの部屋の中でテレビの音声だけが響いている。
「自分が動かなければ、空気の動きがない」とどこかで聞いた。
恐ろしいほどの静寂の中、ぼんやりと窓を見上げる。窓の外を人が通ることもない。何故なら、大抵の災害復興住宅は数階建ての高い建物だからだ。
都会の孤独死も、この震災後の悲劇と変わりはないのだろうか。
団塊ジュニア、ゆとり世代こそが実は最も孤独死に近い世代だという。現在の孤独死年間3万人は、「大量孤独死時代」の序章に過ぎないとも。
「孤独死」の背景には貧困もある。
「この仕事をしていると日本全体が見えてくるんですよ。このままいくと、餓死や貧困の問題は本当に大変なことになるんじゃないかと思います。例えば親の仕送りがなくなって餓死で亡くなった大学生とか、実際にいたんです。そういう……自分で生きていくことができない状態にある人、っていうんですかね、そういう現実があるんですよね。」と語るのは、遺品整理人の小島美羽さん。
離婚に寄って子どもと引き離され、生きる気力を失って、引っ越し先のアパートでセルフ・ネグレクトに寄る死を迎えたまだ若い女性。
ハードワークでろくな食事も取れず、ある日、もしかして心臓発作か何かで動けなくなり、30代の若さで亡くなった男性。それでも、人の出入りの激しいブラック企業だと、来なくなった社員を心配もしないという。どうせ辞めたんだろう、と。それで発見が遅れる。気づいてくれるのは隣人の「異臭に寄る苦情」。
何よりこころを掻き毟られるようにつらいのは、一緒に暮らしていた犬や猫、小動物の末路だ。飼い主が孤独死し、数カ月も発見されずにいると、当然、食べ物も飲み水もなくなり、同居動物たちも餓死するしかなくなる。しかし、生き残っても彼らには「殺処分」が待っているのだとか。
遺族が、故人の飼っていた動物を引き取ることはほとんどないそうだ。そして、新しい飼い主を探して、ではなく、「殺処分か保険所」という選択しかない。
小島さんは、何度もそういう犬や猫たちの新たな飼い主探しをしてきた。
死に逝く飼い主を見つめた動物たち。腐っていく飼い主だった死体を見つめ続けた動物たち。それを思うとあまりにも苦しい。
「ペットを飼う方には、その後自分が死んでしまったり、世話ができなくなったときにどうするかまで考えて飼ってほしいです」。
それから、遺品に関しても。若い内から遺書は用意していた方が良いと小島さんは締めくくっている。
「結局どんなに信頼していた人でも、遺品を勝手に持っていってしまうことはあるんですよね。若い方でも生きている間に、これはどこで売ってほしい、誰にあげてほしい、というのをリストにして、パソコンや紙に残したり、家族に話しておくのがいいのかなと。
突然死は30代の方が多いです。20〜30代の方は自分が亡くなるなんて思っていないので、遺書がない場合がほとんどですからね……。もう生前に売っておく、というのも一つの手ですけど、それでは宝物を手放すことになるし……。「この人だったら譲ってもいい!」という人に「きみにあげるよ」と事前に話しておくのがいいかもしれないですね」。
「孤独」は「孤独死」という負のイメージばかりだが、一方で老後はむしろ「孤独なほうがうまくいく」と言う意見もある。
『孤独こそ最高の老後』の著者・松原惇子さんは、独りの老後を応援する団体であるNPO法人「SSSネットーワーク」を運営し、1000人以上の孤独老人を見てきた。松原氏自身も独身で、70歳を超えた今、1人で暮らしているとか。
「1人の人ほど大きな病気にかかっていません。気を張って生きていることで、細胞が頑張ってくれているのか。頼る人がいないので、普段から自己管理を徹底しているからか、理由は定かではありませんが。」
確かに、それはそうかもな、と思える。
大病院がなくなったら、住民が健康になったというハナシも聞いたことがある。確か、財政破たんした富良野だったかな?
また「いい年になったら「行きつけ」の居酒屋を持て」と言うのは、太田和彦氏。1946年生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、68年資生堂宣伝部に。89年独立しアマゾンデザイン設立。2000〜07年東北芸術工科大学教授。著書に『太田和彦の居酒屋味酒覧』ほか。
「僕がアドバイスしたいのは、1番に、迷わず居酒屋に行け。2番に、1人旅をしろ。要するに1人で生活することの楽しさを知る。」
「居酒屋だといろいろ考えてるうちに、酒の力で無の境地になる。そこで浮かんでくるのはただ1つ、「次、何注文しようかな」。それがいいんです。群衆の中の孤独を楽しむ」。
太田氏の独特のお酒と人生論。
かっこいい男性の横顔が見えるなぁ、と思うのだが。
「50代以降は得るものより失うものが多くなる、って嘆きも聞くけど、失うものが多いほうがいいんです、楽になるから。裸一貫、身一つの心地よさ。酒ってうまい、人生って面白いものだなって。得るものはない、ただ深まっていくだけ。仙人のように生きると楽ですぞ。」
孤独に死んでも、「良い人生だったな」と思えれば良い。
一人きりで死んでも、行きつけの居酒屋があれば「あれ、今日は来ないな」と気づいてもらえる。
実は、これ、実際にありました。shuroの鍼灸の恩師の一人。盲目の先生だったのだけど、彼は毎晩同じタクシーを頼んで居酒屋へ送迎してもらい、同じ居酒屋さんで食事をして一人暮らしを楽しんでいた。それがある日、タクシーの依頼がなく、居酒屋さんにも現れなかった。
異変に気付いた周囲が通報してくれたお陰で、彼は死後すぐに発見された。命には間に合わなかったけど、でも、ご高齢の先生だったから、寿命でもあったんだと思う。最後まで元気に居酒屋さんで楽しくお酒を飲んで、天国に旅立たれたのだ。