2017年01月09日
鹿児島版一休さん(日当山侏儒どん)
一休さんのトンチ話、似たようなものが全国各地に語り継がれていますね。
大分の「キッチョムさん」、熊本の「彦一さん」等が有名ですが、鹿児島にも「日当山侏儒どん」という人のトンチ話が伝わっています。
鹿児島にも「日当山侏儒どん」という人のトンチ話が伝わっています。実在した人物で、本名は徳田太兵衛といい、薩摩藩18代藩主島津家久に仕えた武士でした。生まれた時から身体が小さく、父が大きく育ちますようにとの願いを込めて「太兵衛」と名づけましたが、そのかいもなく成人してからも身長が三尺(90cm)しかなかったといわれています。
身体は小さいが、負けん気が強く、ユーモアのセンスが有り、家系も武士としては最下級の家柄でしたが、藩主家久に気に入られてたびたびお城に呼ばれるようになります。家久も藩主としてのストレスを太兵衛のとっぴも無い笑い話を聞くことで癒していたのでしょうか。
後年、大抜擢をうけ日当山(現在は霧島市の一部)の地頭職になりました。日当山の住民達も彼の飾らない人柄を愛し、いつの間にか「日当山侏儒どん」と呼ばれるようになりました。
400年ほども昔に生きた人ですが、その逸話は100以上伝えられ書物になっています。鹿児島市内の大きな本屋なら郷土関係の欄にいくつか置いてあると思います。是非一読をお勧めします。
大分の「キッチョムさん」、熊本の「彦一さん」等が有名ですが、鹿児島にも「日当山侏儒どん」という人のトンチ話が伝わっています。
鹿児島にも「日当山侏儒どん」という人のトンチ話が伝わっています。実在した人物で、本名は徳田太兵衛といい、薩摩藩18代藩主島津家久に仕えた武士でした。生まれた時から身体が小さく、父が大きく育ちますようにとの願いを込めて「太兵衛」と名づけましたが、そのかいもなく成人してからも身長が三尺(90cm)しかなかったといわれています。
身体は小さいが、負けん気が強く、ユーモアのセンスが有り、家系も武士としては最下級の家柄でしたが、藩主家久に気に入られてたびたびお城に呼ばれるようになります。家久も藩主としてのストレスを太兵衛のとっぴも無い笑い話を聞くことで癒していたのでしょうか。
後年、大抜擢をうけ日当山(現在は霧島市の一部)の地頭職になりました。日当山の住民達も彼の飾らない人柄を愛し、いつの間にか「日当山侏儒どん」と呼ばれるようになりました。
400年ほども昔に生きた人ですが、その逸話は100以上伝えられ書物になっています。鹿児島市内の大きな本屋なら郷土関係の欄にいくつか置いてあると思います。是非一読をお勧めします。
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