2017年03月19日
鹿児島が産んだ大横綱
にほんブログ村
薩摩川内市川内は、薩摩藩政時代には、「川内川」を挟み、最終防衛ライン的な
要所で、川に掛けられた橋も、いざ事が起これば簡単に壊せる木橋でした。
当然、配置された武士団もそれなりに屈強な者たちで、自ら「せんでガラッパ」
と名乗り、代々その存在を藩内に知らしめてきました。
時代が変わり、現在では京セラの大工場を抱える「京セラ城下町」となっています。
鹿児島県内でも、霧島市国分と並んで若者が多く、活気のある都市です。
その川内の総合運動公園内に、一つの石碑が建っています。番付表に初めて「横綱」と
して名前が載った16代目横綱「西の海嘉次郎」の生誕地を示す石碑です。
川内の高城町に生まれ、明治23年から6年間横綱として活躍し、引退後は「井筒部屋」を
興し、後進の育成に務めたそうです。そんな相撲界の大人物がいたとは、今日まで知りません
でした。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6069335
この記事へのトラックバック