2017年03月15日
「義」を貫いたラストサムライ達へのレクイエムAー上
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「桂 久武」。
島津の分家の一つ、「日置島津家」の五男に生まれ、小松家、肝付家など
自家の所領を持つ「桂家」の養子に入りました。
どちらの家も薩摩藩の重臣の家柄で、本来なら身分が違い過ぎるために、
「西郷隆盛」達、軽輩者と知り合う事はないのですが、実兄が西郷達の
盟友で、「お由羅騒動」に巻き込まれて切腹させられた「赤間靱負」です。
また、西郷が奄美大島に流されていた時に、「大島守衛方」として現地に
居て、親交を深めました。
その後、藩の「大目付」から家老に昇格。自ら倒幕活動に見を投じ、
「薩長同盟」締結では、小松帯刀らと中心的な役割をはたしました。
維新後は、西郷とともに大参事として藩政トップを勤めた後、都城県参事、
豊岡県権参事を務めましたが、明治6年に病を理由に職を辞し、鹿児島に
帰ってきました。
帰郷後は、霧島山麓の開拓指導や、鉱山開発の指導を行っていましたが、
明治10年、「薩軍挙兵」の報を聞き、鹿児島城下に急ぎ駆けつけました。(続く)
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