2017年01月20日
西郷従道邸 庭園跡の庭石
西郷従道は西郷隆盛の弟として、天保14年(1843年)に生まれました。
ちなみに、「つぐみち」と書かれていることもありますが、「じゅうどう」が正しいそうです。
兄とともに戊辰戦争に従軍し、明治維新後は陸軍をつくることに力を尽くし、のち、海軍に移り、海軍大臣・内務大臣を務めました。
明治35年(1902年)に60歳で亡くなっています。やはり、加治屋町で郷中教育を受けた一人です。明治6年に南州翁が鹿児島に下野した後も、従道は東京に留まり西南戦争では図らずも兄弟で敵と味方に別れてしまいました。
なお、従道の住んでいた屋敷の庭園は明治期を代表するといわれるほど高い評価を受けたものでした。
伊豆石・紀州の青石・伊予の石などを贅沢につかったすばらしい庭園でしたが、この庭園の石が、平成12年12月に、目黒区から鹿児島市に寄贈されました。
現在では従道の石も、鍛冶屋町の西郷隆盛の生誕の碑とともに、すぐ横に置かれています。
二人の兄弟の活躍は、鹿児島の人だけでなく、日本全国の人に語り継がれていかねばならないと、今更ながら思いました。
ちなみに、「つぐみち」と書かれていることもありますが、「じゅうどう」が正しいそうです。
兄とともに戊辰戦争に従軍し、明治維新後は陸軍をつくることに力を尽くし、のち、海軍に移り、海軍大臣・内務大臣を務めました。
明治35年(1902年)に60歳で亡くなっています。やはり、加治屋町で郷中教育を受けた一人です。明治6年に南州翁が鹿児島に下野した後も、従道は東京に留まり西南戦争では図らずも兄弟で敵と味方に別れてしまいました。
なお、従道の住んでいた屋敷の庭園は明治期を代表するといわれるほど高い評価を受けたものでした。
伊豆石・紀州の青石・伊予の石などを贅沢につかったすばらしい庭園でしたが、この庭園の石が、平成12年12月に、目黒区から鹿児島市に寄贈されました。
現在では従道の石も、鍛冶屋町の西郷隆盛の生誕の碑とともに、すぐ横に置かれています。
二人の兄弟の活躍は、鹿児島の人だけでなく、日本全国の人に語り継がれていかねばならないと、今更ながら思いました。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5846182
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック