2017年01月16日
謎の史跡?隼人塚
国道10号線を鹿児島市内から国分方面へ、国分市街地の少し手前から左に入って、隼人駅のすぐ側に国定史跡「隼人塚」があります。
「古事記」「日本書記」「国土記」などに記載されている話によると、大和朝廷による反乱鎮圧のとき、殺された熊襲・隼人の霊が崇をなしたので、それを弔う意味もあって造られたとも伝えられています。
渡来人に駆逐された日本の先住民族だったのでしょう。他に類をみない特徴をあげてみると、
1.石塔3塔が並んでたっている。
2.各塔とも塔身軸部四方に仏像が彫られている。
3.四天王像が四方に立ち石塔3基を取り囲んでいる。
以上の事が特徴です。
国分尼寺の跡という説もあるようですが、その後は正国寺という寺の跡で、鹿児島神宮の桑幡公幸氏が「隼人塚---一名熊襲塚」と命名され、後に隼人塚と名付けられましたが、実のところ本当は何のモニュメントなのか、わかっておりません。以前は塔も倒れ荒れ果てていましたが近年復元され、立派な資料館も出来ました。
「古事記」「日本書記」「国土記」などに記載されている話によると、大和朝廷による反乱鎮圧のとき、殺された熊襲・隼人の霊が崇をなしたので、それを弔う意味もあって造られたとも伝えられています。
渡来人に駆逐された日本の先住民族だったのでしょう。他に類をみない特徴をあげてみると、
1.石塔3塔が並んでたっている。
2.各塔とも塔身軸部四方に仏像が彫られている。
3.四天王像が四方に立ち石塔3基を取り囲んでいる。
以上の事が特徴です。
国分尼寺の跡という説もあるようですが、その後は正国寺という寺の跡で、鹿児島神宮の桑幡公幸氏が「隼人塚---一名熊襲塚」と命名され、後に隼人塚と名付けられましたが、実のところ本当は何のモニュメントなのか、わかっておりません。以前は塔も倒れ荒れ果てていましたが近年復元され、立派な資料館も出来ました。
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