2017年01月13日
海軍カレーと東郷平八郎元帥
世界中の海軍で、その名を知られている、「東郷平八郎元帥」。彼もまた、加治屋町の生まれで西郷、大久保らの後輩に当たり、薩摩藩士として戊辰戦争にも参戦しています。
産声をあげたばかりの日本帝国連合艦隊の司令官として、当時世界最強といわれた帝政ロシアのバルチック艦隊と戦い、これに勝ったことで世界中の海軍関係者に知られる事となり、英国のネルソン提督とともに尊敬されています。
東郷は明治3年から11年迄英国に留学し、海軍の基礎から当時最高の作戦の立案等を学んで帰国しました。
帰国後は海軍の中でも一足飛びに出世をとげ、連合艦隊の司令官に任官した頃、英国で食べたビーフシチユーの味が忘れられず、調理担当に命じて作らせようとしました。
しかし調理担当者はビーフシチューなど見たことも食べた事も無く、東郷もうまく説明できません。そこでその調理担当者が想像力を駆使して作ったのが今の日本で普通に食べられているカレーとなりました。
現在の日本海上自衛隊でも、洋上勤務の時は金曜日の夕食はカレーと決まっているそうです。永い航海では時間の感覚がおかしくなって、曜日も忘れがちになる為、カレーがでてくると「今日は金曜日か」と解るようにしているのだそうです。
名将東郷平八郎がいなければ、カレーライスも存在しなかったのでしょうね。
産声をあげたばかりの日本帝国連合艦隊の司令官として、当時世界最強といわれた帝政ロシアのバルチック艦隊と戦い、これに勝ったことで世界中の海軍関係者に知られる事となり、英国のネルソン提督とともに尊敬されています。
東郷は明治3年から11年迄英国に留学し、海軍の基礎から当時最高の作戦の立案等を学んで帰国しました。
帰国後は海軍の中でも一足飛びに出世をとげ、連合艦隊の司令官に任官した頃、英国で食べたビーフシチユーの味が忘れられず、調理担当に命じて作らせようとしました。
しかし調理担当者はビーフシチューなど見たことも食べた事も無く、東郷もうまく説明できません。そこでその調理担当者が想像力を駆使して作ったのが今の日本で普通に食べられているカレーとなりました。
現在の日本海上自衛隊でも、洋上勤務の時は金曜日の夕食はカレーと決まっているそうです。永い航海では時間の感覚がおかしくなって、曜日も忘れがちになる為、カレーがでてくると「今日は金曜日か」と解るようにしているのだそうです。
名将東郷平八郎がいなければ、カレーライスも存在しなかったのでしょうね。
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